初めて 全国書店フェアコンテスト に応募しました。
弱小書店のボクが 恥も顧みず応募した動機は”すぐ死ぬんだから”(内館牧子さん)の本が背中を押してくれたから。
下の囲みは リストアップした48冊を紹介するA4の用紙を四つ折りにして、その一面に書いた表紙です。
テーマは 「ひと夏の経験」 から 「いい日旅立ち」 へ 山口百恵さんの歌のタイトルからです。
その選書の一冊は 中村哲さんの”天 共に在り” そして、中村さんが座右に置いた 内村鑑三の“後世への最大遺物”。
中村さんが凶弾に斃れてのち、アフガンは カカムラッド(中村のおじさん)を 名誉市民とし、壁画を描き、絵本まで出版し
讃え続けました。そのアフガンがアメリカ軍の撤退と共に、あっという間に崩壊しました。
アフガニスタンで築かれた 見せかけの自由と平和は、アフガンの、アフガン人による、アフガン人の国として、
良くも悪くも、体制を変え、起こるべくして樹立されました。 アフガニスタンの人びとはなぜ、米軍が駐留して20年という長きのなかで、自国のための自国民による民主国家を築こうとしなかったのか?
ペシャワール会が活動を再開するそうです。この崇高なボランティア活動も30年以上経つそうです。
なぜ、こちらも アフガンの人たちは できる限り自分たちの手で担おうとされないのでしょうか?
自国の 自由も平和 も与えられるものでも、存在するものでもなく、自立と信頼のもとに、築くもの。そして
築いた人々のものであることが如実となりました。
アメリカ軍の撤退は 敗北ではなく、20年の貢献を前提とすれば、当然のこととボクは思います。
永世中立国スイスは 多数の成年男子ガ 予備兵若しくは民兵 として有事に備えているそうです。
第二次大戦では了解なく自国の領空に侵入した飛行機に対し、連合国、枢軸国を問わず、そのため
多くの自国の飛行機に犠牲がでても、敢然と挑んだそうです。
今 我が国を想うとき、こんな数字に出会いました。 9条維持61%(’21 5/3 朝日) 前文と共に
平和憲法を掲げる 最も重要な条文だといわれます。たまたま読んだ”豆腐屋の四季”(’09 10/4初版)という本で
非武装中立という懐かしい言葉に出会いました。世界に平和憲法と戦力の不保持を宣言すれば日本の独立が保たれるのであれば、誰一人として第9条を改訂しようと思う人はいないでしょう。
だが丸腰は、初めから、自国の独立を他国の判断に委ねることになります。
南シナ海を実効支配している覇権国家が隣国に存在します。同じ論理で 例えば漢委奴国王の金印をタテに日本も我が国の属国だと迫ることだって あり得ます。
人間の歴史は争いの歴史でもあります。 何故繰り返すのか? それは”ヒト”の持つ”他者との比較”という
本質的な”性”の故ではないでしょうか? 比較が嫉妬を生じさせ 内に向かえばウツ。外に出れば憎むべき敵をつくります。
それを克服するのが宗教のハズなのに、その心を学ばず形式(儀式)ばかりを踏襲し、宗教をタテに争いを繰り返しています。
であれば、自国を守るための力をつける、それが抑止力となり、初めて 平和 について語り合える 同じテーブルに着くことになります。
たとえ戦力に劣っても、その気概があれば戦力に勝る国軍を無力にしたことを、今回のタリバンは証明しました。
朝日の調査による61%の人たちは、その自覚があって尚の9条維持でしょうか。
かつて会田雄二さんがこう述べています。 外国のお母さんは危機に直面したとき、子どもを後ろにまわし相手と対面
するが、日本の母親は、わが子を抱えて背中を相手に向ける。 平和憲法があるから平和だと信ずる61%の方々は、日本人同士なら通じるある種の優しさと甘え。
それは国際社会では、初めから自分たちの安全も自由も自ら築くことを怠った、
相手次第ということになりませんか。
(あの慰安婦問題に対する河野談話も、もしや、この優しさが誤解された?)
ジョージ・オーウエル(英)はこう書き残しています。「平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の人々が彼らにかわって暴力を行使してくれるからである」
経済も交易も、文化も芸術も、築かれた国家という基盤に立って 開花、結実していきます。
であれば カカムラッドの人生の終焉も、祝福に包まれていたでしょう。
ボクの母校 足助中学校の校訓は 奇しくも”自立”であります。
