地元に絶対のシェアを誇る中日新聞は5/2のCULTURE欄に又も書店を掲載

 でも経営目線では厳しい現実 。僕の町、財政豊かな”豊田市”から業界を眺める

                      [5/1}  その前に このタイミングで届いた新聞から (R8)5月1日号 

                                                                                        

[4/30]   この新聞の前日、それなりの規模の本屋さんが閉店(配達は続けるとのこと)

・ ”ブルータス、お前もか” その1年ほど前、同じことが起こっています

・近くのコンビニ、ファミマもブックコーナーがなくなりました

※  旧市内の書店はチェーン店 三洋堂と精文館(こちらは経営を既に

取次の傘下ー出版社と書店の仲介をする業界大手)のみ

 

[市立図書館、小中学校図書館の購入先]       市立図書館は全国で圧倒的シェアを誇る

図書館流通センター(TRC)が管理運営までも受諾、学校もTRCに追随しています

 

[5/7」連休明け初日に届いた荷物ーこれでも今や独立系の書店では多いのでしょう

(雑誌)PHP12冊 世界1冊 学校図書館4冊 クロワッサン4冊

クロスロードなど大人の脳活関係多種多数と女性セブンなどの週刊誌

週刊誌も週刊ではなくなっています

(書籍)注文書籍の荷物が1梱

 

[ Culture & Business ]  カルチャーがビジネスになる可能性の職種なのでしょうか

この地方で圧倒的なシェアを誇る中日新聞は、棚貸し、ブッククラブ、ギャラリー

など様々に展開する書店を頻繁に報道しています

ただ、ジャーナリズムにはこんな有名な言葉もありますね

「犬が人を噛んでもニュースにならないが人が犬を噛めばニュースになる」

A,ハームズワース(英ジャーナリスト)

※ 近年は犬が人を噛んでもニュースですが

 

[私の店の細やかなCulture]  なにしろメディアの取材は一度もうけていません

○ かっこちゃんコーナー

出版、映画、公演、障がい者と言われる方々の才能、人格について

国際的にマルチにご活躍の山元加津子さんのコーナーです

すべては神様から授かった等しく尊い命なんですね

豊田市の外国語部会の先生方にお願いしデビュー作”きいちゃん”の

英訳も出させて戴いています   =ブログ既報=

 

○ 当地足助藩(じつは旗本領)の藩札を再現した栞

最近、栞がつかない書籍が増えてきました。付いていない本に挟ませて

いただいています、サイズ、金額の相当価値等 =詳細ブログ既報=

 

○ 授業で教室に掛けた掛図、雑誌を年間予約した学生への景品など

修身指導掛図(T8年)銃剣術指導掛図(S20年)他、当時の竹槍の実物

月刊誌 中1コース年間予約の景品ピンクレディのサイン入り万年筆など

 

○ ”足助物語”文化財保護審議会委員時代に発行 =ブログ既報=

 

[本が教えてくれたこと]  生きるのがラクになりました(出典省略)

○ Business =Busy+ness    ○働く=端(ㇵタ)を ラクにする

 ○仕事=事に仕える○  ○ To help others  is  to help yourself.

○実践としての”ありがとう”の連呼、これは小林正観です

利潤の追求から開放されると仕事は楽しくなります。

思いがけないご縁に助けられ取り扱い品目が膨らんでいき学校、官庁に

納品が増えていきました

 

[本が売れる!]3つの病院の売店にも本を卸すことになりました

地元に加え、豊田市浄水町、岡崎市高隆寺町どちらも大病院です

とりわけ浄水町の売店は書棚の設置場所もスペースにも恵まれています

テーマを絞りコメントをつけたコーナーを設けてみたのです

ご紹介した本を思いつくままにリストアップしてみました。

嚆矢は ”天、共に在り(中村哲)”その座右の書、後世への最大遺物、

フランクルの夜と霧。 水は答えを知っていっる、生命の暗号(村上和雄)、アドラー

一歩踏みだす勇気、生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦)、ウオルシュ神との対話、

矢作直樹の人は死なない、量子力学で生命の謎を説く、etc..

ローカルな斜里町立図書館の取り組みを紹介した本とその図書館の推薦図書

・2、3ヶ月に一度くらいの取り組み、知る人ぞ知るといったラインナップですが

今のところ、すべて完売

 

[あらゆる手段で生き延びよう]冒頭の全国書店新聞の見出しの言葉です

本は大切な one of them  になりました

中日新聞では一度だけ”西三河のカイシャ”というシリーズで取材を受けました

タイトルは”創業200年「足助の総合商社」”

 

[追憶 ー 齢  SANJU 2歳] 一昨年SANJUでリタイアしました(実は傘寿2歳)

子どもの読書に熱心だった校長先生と呼応して絵本作家の先生方を

お招きしたのは懐かしい思い出。  アイウエオ順(敬称略)

梅田俊作、きたやまようこ、高畠純、武田美穗、

谷本雄治、長谷川義史、藤真知子、宮西達也

娘と孫に戴いた宮西先生の色紙です

大切に店内に展示しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                            

                                                                                 

 

  行者様を全面にしたタイトルにしたら、そこそこあったアクセスがダウン

  ”まさか祟りでは” という訳でタイトル変更、弘法大師にお縋りしました

        この記事、結構upまで時間をかけたのですが

 

  ーチョット長いかも・・だからこその まさかのエンディング・・のつもりー

 

  近年クローズアップされる地政学、電話も鉄道も自動車もない長い人類史

    歩いて移動した頃の人々の暮らしは立地に大きく左右されました 

 

江戸時代、国家が統一され人々の交易は盛んになりました。足助村はその立地から

    伊那(三州)街道、飯田街道の宿場町として太平洋側と信州を結ぶ

           拠点(塩の道)の一つになりました。

 

                                               

  役行者の石像です、御役は①旅人の安全 ②村の結界 ③山の神との境界

                               町は足助川に沿って 東西に発展していきました

                   

                  西の入口(川下)の行者様、近くに馬頭観音があり香嵐渓を望む絶景が

    広がっています(既報)    地名を ー狭石ーといいます

                                                                                   

                 東の入り口(川上)山へと向かっています 地名は ー蛇石ー

   

 ※ 足助村のなかに西町、新町、本町、田町という町名が付され、

                中央に本多氏が陣屋を構えました。藩札も発行しています(既報)

  ※ この町並みは平成23年(2011)文化庁の重要伝統的建造物群保存地区

   (重伝建)に指定されました

                                                                

                                                                         [小出家のこと]

                                                                                        

江戸末期、小出家は三河の三傑といわれ、日本の長者番付にも名を

連ねたと言われます。写真は現在の小出家、当時の侭です

他にも数家の豪商がいました

※ ここを過ぎると山が迫り、東の行者様へと登ります

 

重伝建の指定を示す表示板、エリアは結界で護られた行者様から行者様まで

東西の役行者の近くに建てられました

 

小出家を過ぎると山が迫ることは既にお知らせしました

足助から信州へ向かう輸送手段は、馬の背に頼ることとなり

物資はコンパクトに再梱包することとなります

宿場町として栄えた大きな理由です(足助直し)

 

[石の付く地名]

東西の入口が”狭石”蛇石”であることはお伝えしました

北側の矢作川へ向かう坂道は”礫石”、遥かに鳳来寺へ向かう南側は

”火打石”、足助の四方の村境は険しく四方を石で囲われているのです

 

 

=そして私的なミステリアスなお噺しをします=

江戸時代、修験道は他の宗教と同様、幕府の管理下ではありましたが、

山伏は、加持、祈祷、病気平癒、護符配布など、役小角の山岳宗教、空海の密教

と一体化し深く民間信仰に根付いていました。

とりわけ弘法大師(空海)は石仏を彫り、寺院を興し、

多くの井戸を掘りあてたそうです。

 

◎   誕生日

坂本龍馬の姉、女傑坂本乙女を知ったころ、博多の歴女といわれる白駒妃登美さんのお話を聞く機会があり、白駒さんの豪華なフルネームが龍馬の姉を彷彿させました。

龍馬の誕生日は11/15(命日も同じ)それを伺って僕と同じだと知り、それから

自分は龍馬の生まれ替わりと吹聴しています

◎座右の銘

”己の長を説くことなかれ他人の短を言うことなかれ”

空海の座右の銘です、僕はアランの

”楽天主義は意思の所産だが厭世主義は自己を放棄した状態である”

と共に2つを座右の銘にしています

そんなある日、チャネラーでもある大川隆法の”龍馬の前世は空海である”

という書物を目にした記憶です

◎井戸のこと

空海の能力からの着想として、かつての足助の豪商 白久 を父が入手したのは

昭和10年、独立、開業のための店舗を探していました。

ここには江戸時代から続く足助屈指の井戸があり、

周辺は、汚染、枯渇しているにも拘らず今も完全なお水を供給してくれます。

水神様のいわれもあります(既報)

◎ 伝建部会

重伝建については既にお知らせしました。その指定に向けて伝建部会が

組織されました。以前から近くの馬頭観音は周知されていましたが、役行者の認識は

薄く、エリアの特定のそれらしき根拠に苦慮していました。

偶々、その働きではなく町の両サイドにあるというのが都合のいい

理由になりました。でも後にその意義を知るにつけ、良い選択ができました。

実は、その提案をしたのがワタシでアリマス。

[エピローグ]

拍子抜けしましたか ?

ミステリアスではなくミステーク?

オーマイゴッドという言葉もあります、神様までご登場いただきました

「脱力感、お腹がすきました?」

「何か 、くうかい」

 

{追 録ー豪商について}

3/26 (R8年)豊田市博物館に開催中の伊能忠敬展に行って来ました

この地域の測量時、宿泊地は白木屋久兵衛宅と記録されていました

二階、格子のある正面が座敷(白久商店)

 

明治45年十代目白木屋久兵衛宅に届いた、親友山田耕筰からの葉書

写真はアミ族の家族(台湾)

※ 因みに足助中学校の校歌は 相馬御風作詞、山田耕筰作曲

かなり貴重な校歌”歴史資料レベル”とChatGPTは述べています

 

◎  天保六乙未年 (1835)殿様お頼みにつきという上納金の受取証も

あります。受取は大庄屋小出権右衛門

◎  土地、建物が現存する紙屋鈴木家は国の重要文化財に指定されています

(他にも加茂一揆のターゲットとなった白宗など)

 

※ 平成の大合併で足助は豊田市に編入されました。市役所などビジネスの

エリアは拡大しました。初めて電話をするところが増えました。

通称「はっきゅう」とか「はくきゅう」とお伝えしても必ず聞き返されました。

「実は文化12年の創業で・・」何度もそんな説明をしました。

※  何らかにご関心をもたれたらS62刊行の足助物語をご覧下さい

残部数十冊、付録に藩札、上納金の証書などのレプリカもつけました

 

※ 観光のルーツは儒教の五経のひとつ易経の”光を観る ”から

それに相応しい様々な条件を足助は具えているのでしょいか

令和8年4月から県立足助高校に全国でも珍しい

「観光学科」が新設されました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                    

 

                                                                                   

   

 

    

 

                                 

                                                                                 

 

 

 

           太郎を眠らせ太郎の屋根に雪ふりつむ

           次郎を眠らせ次郎の屋根に雪ふりつむ 

                           三好達治

     久々の降雪、音が吸い込まれるように深々と夜が更けました 

 

 

         一転、快晴の朝、馬頭観音から望む香嵐渓

            

       10:15 a.m.   気づく時間が少し遅れました

                  

足助村の西の入口にある立派な馬頭観音

慶応3年、俳人板倉塞馬が建立した芭蕉の句碑

左上に窺われます。それが

”馬をさへながむる雪の朝かな”

                                                                                

 

       静かにに時の過ぎてゆくのを見るのは 静かな流れを見るように静かである

                   1月1日 中勘助

         豊田市足助町は穏やかに新年を迎えています

                    

             

   

    「これは,けっこう珍しい資料も豊富、読み物としてもおもしろいね」

  観光協会が発行した初めてのガイドブック”三州足助”の中心執筆者もちろん

  ”足助町史”の指揮をとられたこの町の圧倒的郷土史家、故S先生評、。おかげで

  ’足助町教育委員会’’足助の町並みを守る会’の推薦もいただきました 

       

[付 録]  英文入りマップ、藩札2種(ブログ既報)

江戸時代の商品券、上納金の覚え書きレプリカ

            

みち 谷川俊太郎(上記、裏表紙に記載)

 めのすみにうつった  おかのうえのふるいおてら

とおりすぎる

やなみのむこうがわにのぞく  そらよりもあおいうみ

とおりすぎる

ほしもののてをやすめてふりむいた  なつかしいえがお

とおりすぎる  

しずむひにおいつくつもりですか

ちきゅうをおいこすつもりですか

 

[本文内、その他の引用作品]   伊藤左千夫 野菊の墓の一部

茨木のりこ 6月、中原中也 一つのメルヘン 他

※ 谷川先生と茨木先生は当時ご存命、掲載許可をお願いしました

茨木先生からはお葉書をいただきました

 

[P.19役行者] 足助村の西の入り口に祀られている役小角の像、今も道を隔てて

願掛けの幟が何本も立ち香華も絶えることがなく手向けられています。

厳冬の未明でさえ、小さなろうそくの灯りは瞬き、

夜明けとともにその輝きも朧となり、

朝の光と同化し人々の祈りを携えて、日輪とともに天に帰るのでしょう。

一条の炎に人々は熱い願いを今も託しています

 

  [P.19 馬頭観音から望む香嵐渓の絶景]    役行者から20M程で馬頭観音があります。

頻出しているので画像は省きました。

ここに故郷の俳人板倉塞馬が慶応3年に建立した芭蕉の句碑があります

 

”馬をさへ  ながむる雪の  朝(あした)かな”

 

※  この写真は師走の香嵐渓ですが残念ながら雪はありません

雪景色をイメージで重ねて下さい

 

「P.27.28,29   愛を育む2つの祠  庚申堂、夫恋薬師] 

[p27,28   庚申堂 ]    万延元年の記録によれば、高浜の観音寺まで続く参河国准秩父

三十四箇所の二番目の札所となっており御詠歌も残っています。

そして写真前方の石は八幡の陽石と呼ばれ三河屈指の逞しさとのこと。

馬も’コウシン’否’コウサン’したとか、ーほんのブレイクタイムー

十一面観音の興味深い言い伝えも残っています

 

[p.28 夫恋薬師]     これは登り口、もう一つの石段を登った所に大銀杏と共に

お薬師さんの祠はあります。大銀杏はコブが沢山あるからでしょうか、

母乳の願掛けもできるといわれています。こんなふうにも歌われていました

 

「夫が欲しけりゃ落部へおいで、落部薬師は夫恋薬師」

 

[p.36,37  黍生城址]     鎌倉時代、足助氏の祖、山田長政最初がに城を構えたところ

山谷から望む早朝の遠景と、地元の年例祭。

子どものころは、この辺りまでトリモチを仕掛け野鳥を追いかけもしました。

青空はあかね色に染まり、此処で迎えるオレンジ色の大きな落日

伊藤左千夫の”野菊の墓”の一節に相応しい夕闇が迫ります

 

ー「まあ民さん、御覧なさい、入り日のりっぱなこと」民子はいつしか笊を下へ

置き、両手を鼻の先に合わせて太陽を拝んでいる。

西の方の空は一体に薄紫をぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで

光線の出ない太陽が、今その半分を山に埋めかけたところ、僕は民子が一心

入日を拝むしおらしい姿が長く眼に残っているー

 

※ ここまでストーリイがあって余り紹介さっれなかったところから

ピックアップしました。

 

 

<香嵐渓と重伝建の町  もう一つの道しるべ>

◎そして昭和55年に香嵐渓な内にできた三州足助屋敷が大ブレイクすると

町当局は、江戸時代の町並みを残す眠れる資源と一体化させた

グローバルな観光化による産業化を目指します

そこから国の予算もとりいれた圧倒的規模の3つの施設(+足助城)が誕生します

◎リフォーム後の三州足助屋敷、一枚の写真では納まり切れません

 

       ◎足助公民館・トレーニングセンター 昭和60(1985)竣工

300人収容のホールがあり、そのために先生の給与に上乗せしていた

へき地手当が廃止 そんなエピソードもありました

◎  ホテル百年草 平成2年(1990) 竣工

ハムとパンの製造販売をする、ジジ工房、バーバラハウスが

あり、社協も隣接しています

※  散在するこれらの施設は、後に地元の部会で決めた重伝建エリアと

中之御所地区を経て繋がります、当時、日本中で語られた”町おこし”の

モデルともなる試みのひとつでしょう

一方町並みにも注力します、

郷土史家S氏の史的裏付けを根拠とし、総てのプロジェクトを主導したのは

町役場の一職員故O氏でした

 

ブレイクタイム  ☕

きかは繪持子(←こちらから読む)

明治天皇 大喪の礼の仕掛け絵葉書、葬列も葉書ももっと長いです

 

 

<足助物語のものがたりとその背景>

O氏これらの施設を活用し、講演に限らずマルチな活動を展開し

メディアはO氏の活動を負い続けます。O氏の言葉は足助の言葉と

して報道されました。当然、点を面にすべく町並みにも着手します。

[P20.21 マンリン小路・マンリン書店] 足助には街道から山側と川側に多くの

小路があります、川側を代表するのは海老屋小路

(小路に隣接する建物で命名されています)

とりわけ足助山宗恩寺道の塔の立つマンリン小路は日本の小路100選に

指名される程の、両側を白壁、下見板が連なる垂直性の強い空間です

書店主は小原和紙の芸術家でもあり、店内にギャラリーとカフェを併殺され、

O氏の企画に屡々片腕として登場されます

三州足助屋敷と百年草の売店には関連書籍のコーナーも設置されました

 

◎  ”晴れた日足助”岡崎の画家からさわさんが町並みのマップを描き、

それを販売することになった時、当然の如くマンリン書店発行

ーたしか朝日新聞は、田舎の書店がマップを発行!ー

紙面の半分ほどをさいて報道した記憶です

 

◎  足助物語 それから1.2年後でしたでしょうか、S先生の冒頭の評価も

あり、人脈の無いメディア関係ですが、密かに期待したのでしたが

報道は中日新聞三河版 最下段に三行の掲載、反響は殆どなし

1000冊近い部数を販売してくれたのは名古屋の小取次でした

 

ブレイクタイム ☕

◎  作曲家山田耕筰から当時の白久の当主宛の手紙2通

明治45年1月1日付 台湾アミ族の家族

豊田市博物館で伊能忠敬展(令和8年)があり、白久で宿泊されたという

お知らせをいただき、調べましたが旅館の営業らしきものは何も見つからず、

代わりに発見しました。耕作君と仰ったのを微かに記憶しています。

付録の上納金の覚書もあるように、とても羽振りが良かったようで、

そんな関係でお泊りいただいたのかもしれません。

 

◎  建築家上杉氏 3大施設、マンリン書店の設計はアイビースクエア倉敷にも

 関わった上杉氏でした。 白久は運良く3大施設の家具備品の納品業務を入札

で取得しました。親しくなった上杉氏に白久の店舗設計をお願いしたところ

暫くして、理由は申し上げられないが、今はできないと断られ、

株式会社船場にお願いしました

リニューアルオープンは2001.12.1

畏れ多けれど愛子内親王のお誕生日と同日でした

 

※ 車社会の黎明期まで人々の移動は限られ、足助町も在郷町として

地域の中心でした。当時、田町に藤屋という大きな薬店があり

父はその番頭として年季が明け独立すべく物件を探していたところ

白久が売りに出ます。そこで薬屋をやらずにそのまま事業を引き継ぎました。

 

「結果として文化12年から続く足助で最も古い店となりました」

 

 

<グリフィンの祈り>

アメリカの病院の壁に一人のベトナム戦争の帰還兵が書きつけたもの

(小林正観著 神様に好かれる話 より)

「大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに

謙虚さを学ぶように弱さを授かった」

・・・略・・・  ・・・略・・・

「世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに

   得意にならないようにと失敗を授かった」

・・・略・・・

「求めたものは、ひとつとして与えられなかったが

願いはすべて聞きとどけられた」

・・・略・・・

”1500年前に、釈迦は「求める」ことを「執着」という言葉で表現しました。

「執着」があると叶わないのです”

 

◎ 書店と商店の葛藤 

地方紙の雄中日新聞は時々本屋をテーマとした報道をします。

本好きを自認する僕は2点の書籍を出版し、書店としての存在感に拘った

のですがメディアのアプローチは無く、授かったのは創業以来の商店と

しての役割でした(ただ、数字は冷静に書店もサポートしてくれています)

※  本屋の歴史と証 S20旺文社銃剣術指導掛図、T8終身掛図

手塚治虫没年の雑誌少年の付録、鉄腕アトムのカレンダー

左下 中1コース年間予約景品ピンクレディの万年筆etc.

宮西達也先生の色紙も掲げてあります

(小学校と連携し多くの絵本作家さんをお招きしました)

 

◎ 「求める 」と 「執着」 競争社会に促されて悩みの中から掴んだ事

①  煩悩即菩提 この言葉に随分励まされました。

○私小説も書きました、タイトルは”町おこし心おこし(208枚)”

コスモス文学に応募し佳作のレベル、177号に一応掲載

② 神様のプレゼント (贈り物)はプレゼント (今)   人生はいつも今、

今を大切にする(ウオルシュ著 神との対話)

=誰でもできる2つのこと=

 

◎エピローグ 一昨年SANJU(実は傘寿)でリタイア 、事業承継の困難な時代

ですが譲渡も叶い、暫くはお手伝いとして残ることとなりました

天職は英語でcallingだとか(夢をかなえるゾウ0)神様は、やはり

こちらの仕事にお声をかけて下さったのでしょうか

運とこ゚縁にも恵まれて、地元豊田市の卒園児が受け取る記念品、

小学生中学生が学習をする机、椅子などをお届けする仕事もできています

 

悩み続けた人生と思っていましたがこ゚縁はすべて神様のお手紙であり

お慈悲、僕にとって大切で必要なものばかりでした。

未だ長男が家業を継げた時代、生涯を誠実に働き通した両親でしたが

僕が帰省したときは家も土地も借金の担保、

マイナスからの苦しいスタートでしたが、それも含めて。

 

”グリフィンの祈り”は、このように結んでいます

「私はもっとも豊かで祝福されたのだ」

 

 

<少女スジャータにあやかって>

※ 厳しい修行に疲れ果てた釈迦にスジャータは乳粥を差しだし

お釈迦様の悟りのきっかけとなったそうです

※ 店内から俯瞰できる江戸時代から利用する立派な井戸があります、

周辺の井戸は既に枯渇か汚染、水神様のいわれのある我が家の水質は

パーフェクト(足助町時代に1度、直近R4 7/5検査済)

町並み散策でお疲れの方には無料で提供します。

ペットボトルをご持参下さい、店頭にも表示します。

災害時地域のお役にたてればと、発電機とカセット燃料も準備しました

水神様もお喜びいただけるでしょう。

(尚、水神様についてはブログで既報)

※ リフォームによって生まれた店内からのロケーション

土蔵の先は足助川

某TV局の住宅番組でついた名称”足助川の家”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                

      (ジョークのハズが予想外の展開になりました、

             急遽 ”本屋として⑭ をタイトルに加えました)

 

     収穫した15cm余りのサツマイモ、こちらも予定外の掲載です

   タイトルから、どうして此処へたどり着いたのか、何故本屋としてなのか

               細やかなお付き合いを

 

8月?日放映のMr.サンデー 負け組みの星、103戦全敗の ハルウララ特集のCMで

 見た錯覚     ”育毛剤は ハゲザンス  じゃなく”アデランス”

 

   そしてNHK7時p.m.からのニュース天気予報 ちょうど夕食の時間帯

  天気予報 月~金は ”晴山さん”、週末は”向笠さん”ー笠に向かうは雨模様

     お名前から分かる、  お二人共、天性のウエザーレポーター、

           約束されていたような絶妙のコンビ

 

        一週間が週2の降雨、こんなペースで推移すると

           オーガニックな野菜作りを楽しめる

         サンデーファーマーの僕も作物も嬉しい

前回掲載の盆行事”たんころりんの夕涼み”はアメブロからオファーを戴くほどの

    大ブレイク その期間の挨拶が”ボンジュール(盆 中 留)

 

      僕は、その乗りでスイカに声をかけました、「ボンジュール」

      スイカが応えてくれました「最近 雨が フランス ねえ」

             葉や茎が力なく、そう語りかけます。

  スポーツドリンクで喉を潤して、我が家の井戸の水神様の水(既報)を

               タップリ注ぎます

  炎天下、自殺行為と言われつつも楽しい、けれど着衣は即  ” ベタベタ”

         木陰で涼むと風が心地よく囁いてくれます

               「better   better」

         ※ それが次のような、こだわりの畑です                                                                                 

(宅地を更地にした場所に開いた畑、眼の前はサツマイモ、

肥料は微生物による土作り)

◎支柱にヒモで囲ったゾーンは、電磁波で行動する動物の侵入を防ぐ

量子力学に基づく結界、吊るしたペットボトルには、

炭、塩、微生物が詰まっています

※ 今年は隙があったのかハクビシンに侵入されました、急遽ラジオのCMで

 盛んにアピールする”ヒトデ”を配して対応し、トマトを狙う

鳥の侵入はブロックできましたが、スイカの被害は収まりませんでした。

ただ、畑へ来る動物たちは僕を困らせようとしているのでは無いということ

僕も生態系の一員として、最善を尽くします

 

作物も、それを目当ての虫も、鳥も、動物も、直ぐ生える草も、そして風も

          神様に存在を許された、すべては仲間 

    ”空”と説き、”エネルギー”と示され、始まりは”膨大な意識”とか

     色即是空(般若心経)  E=mc²(特殊相対性理論)

    一切衆生悉有仏性(涅槃経)  山川草木悉皆成仏(正法眼蔵)

   ※ 著書多数(品揃えはさほどでもなく)電話をかけて、ご来店下さい

 「・・臨死体験の中で私は宇宙の始まりを見てきました、

   言葉でいうのは難しいのですが、それは”膨大な意識”というものでした」

       (木内鶴彦著 生き方は星空が教えてくれる p14)

 

 

 

(2-1)とこの(2-2)でお盆イベント”たんころりんの夕涼み”の全紹介です

                   

やや登る正面、石柱の門の奥が陣屋跡

足助の中心に位置します

道標の表示どおりここで道路は直角に折れています

もう少し手前にもう一箇所、敵のダイレクトの攻撃をかわす”桝形”

江戸時代の名残を象徴するところ

陣屋跡に並んだ”たんころりん”

傘をさして佇む女性でスケール感を確認して下さい

 

陣屋跡で行われた手筒花火の競演(8/11)

 

夜のセレモニーを彩る川沿いの道(8/14)

少し下ると紙屋淵、かつて右岸の高台に柳の木が聳え、子どものころは

肝試しをした寂しいところ、六地蔵がひっそりと佇んでいます

六地蔵 無縁佛を弔ったと語り継がれたてきました

今夜の読経の為に設えた六地蔵周辺

8:30p.mから9:00p.m. まで花火が上がりました

人々で賑わった陣屋前から足助橋にいたる路上

15日はステージを香嵐渓エリアに移し”たんころりんの夕涼み”より

遥かな歴史を紡ぐ”地蔵まつり”と”灯籠流し”が催されています

 

 

 

 

 

    お盆には黄泉の国からご先祖様も帰省され留まって下さいます 

 ”盆 中 留” と言ってみました フランス語と日本語のコラボレーション

     ”迎え火”に”送り火” 重伝建の町足助は”たんころりん”の灯火

 

      ”たんころりん”は竹を編んで和紙で包んだ郷愁を誘う”灯り”のこと

             次の写真に登場します

   

      

               夜を待つ屋台    

                           

"たんころりん"が並んだ夕闇

 

Ohtani-sanと侍大リーガー

(文化12年創業の白久のナイトシルエット)

 

向かって右下のクローズアップ たんころりんは各球団のマーク

デコピンの右はフォトスポット

 

左下は手作りのかざぐるま|¥200.

もしかしてonly ones in the world

好評です

 

セット側からの2点、下は昨年のジブリ

(障子に貼った切り絵に光を当てています)

 

まちかど演奏会

期間中、4グループ4箇所6回開催

 

期間 8/9~8/15、8/11手筒花火、8/14花火

14日には六地蔵にお祈りを捧げます

そちらは(2-2)へと続きます、再検索して下さい

 

 

 

   

  江戸時代、塩の道(中山道の脇街道)として足助村は多くの御用商人が跋扈し 

        大商圏を形成していました

 村のなかに、西町、新町、本町、田町など4つの町名がその勢力を物語っています

   城主本多氏は七千石の旗本、藩ではないので旗本札というべきでしょうか

            

 「旗本札について」  

            ◎  銭三百文(13cm×4cm)と 銭四拾八文(9.5cm×3cm)     

                                               酒一升が百文の時代です

         ◎  中央の朱印は”取締”の文字   ◎緑の印は”當所限り通用

          

        (裏 面)  ◎  朱文字 午十月限 ー 明治3年10月のこと  

        ◎  黒印  上から  西町年寄、新町年寄、本町年寄、田町年寄

           ※  年寄は庄屋の下の位置づけです

                                            ※  大相撲にもそうした役職が残っています

 

   ◎ ・昭和62年発行の足助物語の付録の一つとして作成しました

    銭三百文は既に無くというよりも、銭四拾八文が抽斗の奥に残っていました

 

 

                       

 

 

                          

                

 

 

 

          この3冊は言わずとしれたミリオンセラー、

      でも初版から結構、日にちが経っているものを選びました。

僕の店では、足助、豊田、岡崎の3つの病院の売店でも本を置かせていただいています。その中の最も棚数も多く設置場所もいい豊田の病院にコメントをつけて

            上記3冊を紹介してみました。

    例えばこんな引用(鏡の法則)

 ”栄子はガクゼンとした。「そんなことがあったのに私に黙っていたなんて、

  (息子が)自分に何も言ってくれないことが悲しかった」 P、10 より”

        そんなに日にちを要せずに 完売 しました

 

       同じことをしていてもお店でなかなかは売れません。

      これが普通の本屋の実態、ブログ発信はもちろんムリ。

        どこかの本屋で手にとっていただければOK

 

  本屋大賞も20年が過ぎました。次は、候補作も含めた本のなかから、さらに

  温かい読後感に浸れるものを、コメントをつけて紹介しようと思っています。

        

        この試み、他の病院でもやろうと思っています。  

    予定を変更して以下の3冊と”たつき諒さんの- わたしが見た未来-”

          たつきさんの本は即日に売れました

 

                              

       こちらもその後完売、付けたコメントをお知らせします。

  [愛されたいなら日本史に聞こう] -白駒妃登美著

  History のルーツはHis Storyとも、誰が何時何をしたかを丸暗記するのではなく

  人の生き様を歴史から学ぶ。筆者はその第一人者、豊田市の女性の役職先生方の

  集い(ひまわり会)でもお話されました。

 [空の上で本当にあった心温まる物語] 三枝理枝子著

  「先日孫が大変お世話になりました。元気のない孫にいろいろと話しかけて下

  さったとのことありがとうございます。実はあの子は先日、両親を交通事故で

  二人とも亡くしてしまったのです。兄弟も誰もいない孫は私のところで暮らす

  べく初めて飛行機に乗ったのでした」・・・「とってもきれいな富士山を見たよ

  神様のプレゼントなんだって」     p.46

   [心に響く小さな5つの物語] 藤尾秀昭文 片岡鶴太郎画

  平成22年初版 申し上げるまでもないロングセラー 30年近くなりました

  のでご紹介しました。

 

 「でも本屋で売れない現実」 私の店は多くの業者に助けていただき、幸いにも

  営業種目が増え、学校、官庁の納品が200年以上続く店舗の経営を支えて 

  います。お気づきのことがあれば何でもお寄せ下さい。。

  市の指定管理施設、蕎麦レストランを核とした”塩の道づれ家”にも関わって

  います。観光も兼ねてご来店下さい。