行者様を全面にしたタイトルにしたら、そこそこあったアクセスがダウン
”まさか祟りでは” という訳でタイトル変更、弘法大師にお縋りしました
この記事、結構upまで時間をかけたのですが
ーチョット長いかも・・だからこその まさかのエンディング・・のつもりー
近年クローズアップされる地政学、電話も鉄道も自動車もない長い人類史
歩いて移動した頃の人々の暮らしは立地に大きく左右されました
江戸時代、国家が統一され人々の交易は盛んになりました。足助村はその立地から
伊那(三州)街道、飯田街道の宿場町として太平洋側と信州を結ぶ
拠点(塩の道)の一つになりました。
役行者の石像です、御役は①旅人の安全 ②村の結界 ③山の神との境界
町は足助川に沿って 東西に発展していきました
西の入口(川下)の行者様、近くに馬頭観音があり香嵐渓を望む絶景が
広がっています(既報) 地名を ー狭石ーといいます
東の入り口(川上)山へと向かっています 地名は ー蛇石ー
※ 足助村のなかに西町、新町、本町、田町という町名が付され、
中央に本多氏が陣屋を構えました。藩札も発行しています(既報)
※ この町並みは平成23年(2011)文化庁の重要伝統的建造物群保存地区
(重伝建)に指定されました
[小出家のこと]
江戸末期、小出家は三河の三傑といわれ、日本の長者番付にも名を
連ねたと言われます。写真は現在の小出家、当時の侭です
他にも数家の豪商がいました
※ ここを過ぎると山が迫り、東の行者様へと登ります
重伝建の指定を示す表示板、エリアは結界で護られた行者様から行者様まで
東西の役行者の近くに建てられました
小出家を過ぎると山が迫ることは既にお知らせしました
足助から信州へ向かう輸送手段は、馬の背に頼ることとなり
物資はコンパクトに再梱包することとなります
宿場町として栄えた大きな理由です(足助直し)
[石の付く地名]
東西の入口が”狭石”蛇石”であることはお伝えしました
北側の矢作川へ向かう坂道は”礫石”、遥かに鳳来寺へ向かう南側は
”火打石”、足助の四方の村境は険しく四方を石で囲われているのです
=そして私的なミステリアスなお噺しをします=
江戸時代、修験道は他の宗教と同様、幕府の管理下ではありましたが、
山伏は、加持、祈祷、病気平癒、護符配布など、役小角の山岳宗教、空海の密教
と一体化し深く民間信仰に根付いていました。
とりわけ弘法大師(空海)は石仏を彫り、寺院を興し、
多くの井戸を掘りあてたそうです。
◎ 誕生日
坂本龍馬の姉、女傑坂本乙女を知ったころ、博多の歴女といわれる白駒妃登美さんのお話を聞く機会があり、白駒さんの豪華なフルネームが龍馬の姉を彷彿させました。
龍馬の誕生日は11/15(命日も同じ)それを伺って僕と同じだと知り、それから
自分は龍馬の生まれ替わりと吹聴しています
◎座右の銘
”己の長を説くことなかれ他人の短を言うことなかれ”
空海の座右の銘です、僕はアランの
”楽天主義は意思の所産だが厭世主義は自己を放棄した状態である”
と共に2つを座右の銘にしています
そんなある日、チャネラーでもある大川隆法の”龍馬の前世は空海である”
という書物を目にした記憶です
◎井戸のこと
空海の能力からの着想として、かつての足助の豪商 白久 を父が入手したのは
昭和10年、独立、開業のための店舗を探していました。
ここには江戸時代から続く足助屈指の井戸があり、
周辺は、汚染、枯渇しているにも拘らず今も完全なお水を供給してくれます。
水神様のいわれもあります(既報)
◎ 伝建部会
重伝建については既にお知らせしました。その指定に向けて伝建部会が
組織されました。以前から近くの馬頭観音は周知されていましたが、役行者の認識は
薄く、エリアの特定のそれらしき根拠に苦慮していました。
偶々、その働きではなく町の両サイドにあるというのが都合のいい
理由になりました。でも後にその意義を知るにつけ、良い選択ができました。
実は、その提案をしたのがワタシでアリマス。
[エピローグ]
拍子抜けしましたか ?
ミステリアスではなくミステーク?
オーマイゴッドという言葉もあります、神様までご登場いただきました
「脱力感、お腹がすきました?」
「何か 、くうかい」
{追 録ー豪商について}
3/26 (R8年)豊田市博物館に開催中の伊能忠敬展に行って来ました
この地域の測量時、宿泊地は白木屋久兵衛宅と記録されていました
二階、格子のある正面が座敷(白久商店)
明治45年十代目白木屋久兵衛宅に届いた、親友山田耕筰からの葉書
写真はアミ族の家族(台湾)
※ 因みに足助中学校の校歌は 相馬御風作詞、山田耕筰作曲
かなり貴重な校歌”歴史資料レベル”とChatGPTは述べています
◎ 天保六乙未年 (1835)殿様お頼みにつきという上納金の受取証も
あります。受取は大庄屋小出権右衛門
◎ 土地、建物が現存する紙屋鈴木家は国の重要文化財に指定されています
(他にも加茂一揆のターゲットとなった白宗など)
※ 平成の大合併で足助は豊田市に編入されました。市役所などビジネスの
エリアは拡大しました。初めて電話をするところが増えました。
通称「はっきゅう」とか「はくきゅう」とお伝えしても必ず聞き返されました。
「実は文化12年の創業で・・」何度もそんな説明をしました。
※ 何らかにご関心をもたれたらS62刊行の足助物語をご覧下さい
残部数十冊、付録に藩札、上納金の証書などのレプリカもつけました
※ 観光のルーツは儒教の五経のひとつ易経の”光を観る ”から
それに相応しい様々な条件を足助は具えているのでしょいか
令和8年4月から県立足助高校に全国でも珍しい
「観光学科」が新設されました








