実は12月26日 いつものパロディとしてTwitterに載せたものがあります。

     [2日遅れのクリスマスプレゼント]        洗剤とパンツ!

   誰からもらったのでしょうか?       センタクズロース! アレ?

      ボクは三河弁だがね。(因みに だぎゃあ は名古屋弁だぎゃあ)  なので

   訛ったとしたら   ”アベさん じゃなく   Sorry!”  

             寒すぎますね。     なにしろ   (from ワ!凍ル)

  ※ ズロースはヤングが知らない英語です。(drawersのハズ)

         じいちゃんばあちゃんは良くご存知。     

さて!

 豊田市の小中学校では外国人の英語の先生(ALT)が来ます。

 みんな授業はエネルギッシュでとても熱心。でも職員室では孤独、しょうがないけど。

 英語を使うチャンス! ボクはBroken Englishで声をかけます。挨拶のあと続けます。

    ”You are drinking some tea,aren't you?    It's real ティー・チャー!”

 彼が返してくれます。

    ”I will soy sauce."立ち止まるボクに続けます。”I will ショー・ユー(show you)"

 お互いに  ”Nice to meet you!."    話が弾みます   大切なのは ”一期一会”

  (これもルーツは お茶 英語ではa once-in-a-lifetime chance.と書いてありました )                                               でも彼は”イチゴイチエ?” ボクは ”イエス Strawberry Meeting."

                     友だちになりました!

 

 

 

 

 

 

 愛知県の北の一角に山田川郡というところがあります。

 かつては、東から上山村、下田村、愛川町と並び、その真ん中の字を集めたのがこの群の

由来かとも推察できますが、それは私の生まれる前のこと。上山村も豊田市と合併し、現在の山田川郡は、実質は田川郡とも言うべき、一村一町の構成です。

 日本の自治体は、今や”村おこしレース”にちょっとお疲れ気味でしょうか。

 

下田村のシンボルマークは、カタカナのモの字を四文字円形に配した中に田の字の囲みの部分を丸くして十を加えたもので、戦後の一時期盛んに行われたデザイン手法の侭です。

 素朴で分かりやすく、取り残された”村”のイメージを彷彿とさせます。

 この村がホタルによる村おこしを提案し、ついでにシンボルマークを変えることになりました。田の部分の右上に二匹のホタルを配することにしたのです。これが濁点となり「シモタムラ」と読み違えてシモウタと言われることもなくなると、担当の産業課長さんは、得意げに語ってくれました。

 

 愛川町の町長は、愛川太郎といいます。企画課長も観光課長も愛川某で、やたら愛川姓が多く、お互いに役職名か名前で呼び合うようにしています。

 同姓同名もあり、この町の唯一のスーパーマーケットの社長も愛川太郎です。政財界のトップが揃って同じというのは、本人たちの責任ではないのですが、町長にとっては気懸かりなことがあります。

 というのもスーパーの社長は、渾名が”撫でぼうき” 来店する主婦のお尻を如才なく撫でていったり、レジに立つと、おつりを十円ぐらい多めに握り、両手で手渡して、お客様の手を握るので、いつとはなしに商品名のひとつをとってつけられたのが、その渾名の由来です。

 ウインターセールでは、雪降りの後片付けを予想した、渾名の撫でぼうきを目玉商品の一つとして堂々と広告していましたが、そのチラシの渾名の”渾”の字がサンズイではなく、コロモヘンになっていたのに意に介さないのです。

 そんな訳で、町長はイメージが彼とダブルのを憂えているわけです。

 

 先日、町長が名勝愛川渓谷で売る土産物の開発ということで、特産品にしようとしている

イチゴをイメージした”おこし”を売り出そうと言いだし、商品名も、愛のある町愛川の”逢ひ川をこし”と命名しました。どことなく演歌調ですが、当事者たちは「これがほんとの町おこし、いや、町をこし」と自画自賛しています。

 その辺りを、おそれながら金子みすず風の七五調で表すと、こうです。

 ”愛に逢ふ町愛川の、フンドシ、オコシ、ナデボウキ、みんなはまってみんないい”

 スイマセン、なにしろ私は 囃しジロウ、スーパーの太郎さんとも親戚です。

 何か町長のお役に立たねばと思っていた或る日、一匹の大きな手負いの野良猫が迷いこんできました。片目で左の後肢をおりまげているのです。

 「ニャア ニャアとよく哭き空腹そうなので残飯をやると、そいつが居付いてしまいました。

 

 愛川小学校の子供たちは、以前からそいつのことを「化け猫」と呼んでおり、餌もやり、遊んだり、構いすぎたりしている有名な猫だとその後わかりました。肉体のハンデを感じさせない

深い洞察力を漂わす鋭い右眼、将来を憂える様子もない一期一会(因みにスーパーの太郎さんは、それをストロベリーミーティングと呼んでいますが、イチゴも売りたいですよね)の逞しき物腰。それらはボクに無いもので、だんだんこの猫が気に入ってきました。

 ですから名前をつけてやることにしました。はじめは”正宗”とも思ったのですが、ボクの名前が”ジロウ”、それなら”太郎”と命名しました。ボクにとっては兄貴分に価し、なにしろ有名な猫です。町長さんの印象のワンパターン化も分散すると考えたからです。

 

 太郎の足は日に日に回復していきました。足がよくなると、なかなか帰って来なくなります。

 一匹狼ならぬ一匹猫、ネコナデ声でほほえんで一宿一飯の義を果たせばいいがと思いつつも、愛川の町はずれでどて飯屋を営んでいる友人に話したところ、彼はこんな返事をくれました。 「それらしきヤツが俺んとこのゴミ箱を漁っとった、俺の顔を見ると脱兎のごとく下田村の方へ走って行った」 狼になったり兎になったりネコ社会もごくろうさまです。

 でも逞しいヤツです。既に  ”村をこし町をこし”  て活躍しているのです。

  

  ※ ボクにとっては褌 失礼 渾身のケツ作のつもりでしたが、周りは

     「何が?」と言います。 なので屈辱の解説です。

    ◎ 下田村の村章 下図 モの字を4つ周りに配し、真ん中は”田” その右上に

       ホタルを2匹描き、濁点のつもり

           

    ◎”おこし” 女性の和装の下着の一種 と 和菓子の一種の2つの意味がある。   

            金子みすずのところは前者

 

  ●モデルが居て事実が有って、そこから妄想が膨らみました。作文中ボクは,

    おこし食って 失礼又も おかしくって しかたありませんでしたが、空気が

    読めないヤツでしょうか?

    

 

 

 

 

        

           

 

 

 

 

 

ドしろうとの本ヤの畑が完成しました。

 

比嘉セオリーの量子もつれ(よく分かりませんが)による無農薬野菜づくりの始まりです。

宅地を更地にした土地を耕しました。石や陶磁器の破片が続々とでてきました。

 

 

全体図です。左側にマルチを掛けた畝が4本ありますが見えぬくいですね。30m先の

電柱から引っ張った紐が3段に渡してあります。見えるでしょうか?

マルチを掛けたところ二晩に亘って小動物に破られました。

対策として次のような仕掛けをつけました。

四方を支柱で囲み対角線に写真のようなEM等の入ったペットボトルをつけました。

3ボルトのボタン電池とフェライト磁石がつけてあります。キャップは締めてあります。(電磁波対策でしょうか)

それ以後被害はありません。原理は後述します。

 

  でもナゼ農業をする気になったかと言いますと

① EM菌(有用微生物群・Effective Microorganismsの頭文字をとったもの)利用者との奇跡的な出会い。 こんなことがありました。

    30年以上前に遡ります。マイナス思考になりがちな自営業のメンタルを整えるため

    よく読書をしますが、船井幸雄の本のなかの EM菌による高松市の農業の成功例に目が止まりました。

     ボクは千葉県の全寮制(当時)の麗澤高校の卒業です。読書から約半年後三重県の赤目で行なわれた、麗高絡みのとてもマイナーなある経営塾に参加したのですが、そこでナント高松のK産業課長さんと出会ったのです。船井さんの本に登場するご本人です。知り合いに誘われた一回きりの参加とのことでした。

    (その後のボクは地元で、町が後援するEM菌による河川の浄化ボランティアの一人として活動していました。最近

     頼もしい仕事の跡継ぎができ、漸く時間ができました)

 ② 今になって耕作放棄地が増加しています・・後継者不足と作物が実ると収穫前に鳥獣に奪われてしま

    うとのこと。 EM農業も最近になって急速に進歩したそうで、

    これをブロックし、その結果を公開しみんなで楽しみたい。比較され、数字を負い続けた

    競争社会を終えた企業戦士と言われた人たちの、新たな生きがいを提案できないか。

      「人間にとって最も不幸なのは、貧困ではなく孤独である」マザー テレサ

             「人間は自由の刑に処せられる」 サルトル(のハズ)

    これは、リタイアを控えた自分自身の問題でもあります。

 ③ 障がいのある人や、ウツや引きこもり(ボクにもその傾向があります)の人たちと一緒に

    汗が流せたら。 作物に携わる仕事なら、7割が障がい者と言われる日本理化学工業   

    の方々をお手本にできないか。そんな思いが駆け巡ってきたのです。

農業に苦労した方からは素人の夢物語だと一蹴されます。

「語るにしても2,3年やって結果を確認できたらにしたら」と家内も心配します。

そのとおり。でもあの高松市と愛知県足助町のアカの他人同士の三重県の赤目の出会いはなんなのか。

  (ただ三島由紀夫の「海と夕焼け」も遠藤周作の「沈黙」もモーセのようにはいかなかったけれど)

  そして、 もう一度、比嘉セオリーをふりかえります。

 ① 野生動物は電磁気に量子的に対応して動いており、このバランスを整流するというも

    のです。   これは電柵による感電とか強固な柵による阻止といった物理的対応とは

    異なります。そして成果は報告されています。動物の本能が、ここに餌があることに気

    付かないとしたら、その生態系のなかで生息し共生も可能です。

    代わりに、近くに柿の木を一本植えましょうか。鳥たちは喜ぶでしょう。

 ② そして強調されるのが向きあう者の資質、慈しみ(愛)が問われるというものです。

    この言葉、日本の行政やメディアは途端にひきそうですが、嫉妬とコンプレックスに傾

    斜し易いボクには福音でもあります。             こんな風に考えるからです。

「それでも地球は回る」地動説から始まって、科学は宗教から離れました。(たしかラッセル)

科学万能の時代が「見える三次元世界の物の世界のこの世」(岸根卓郎)という、別の信仰を育てました。しかし、この宇宙に存在する最も小さな単位の学問(量子論でいいですか)は既存物理学では語れなくなっているそうです。そこでは人の意識が重要な要素を占め、それなら愛は頂上を極めることになるのでしょうか。宗教と科学の量子論的融合が期待されます。

  既にパスツールは「科学の道を少し進むと神から離れるが、更に極めればこれに回帰する」と語り、分子生物学者の村上和雄さんの「サムシング グレート」は有名です。

              ボクがこの農業に注力する所以です。

 

 ※ 引用などの文責はボクにあります。ご迷惑をおかけしていたらお詫び致します。 

 

 先程、今年の中学校の課題図書「太陽と月の大地」を一気に読みました。スペインで読みつがれてきた児童文学の名作と書かれています。ロマンチックで格調の高い文体が悲しく美しい物語を紡いでいます。

 

 あれから8ヶ月が経ちました。いずれ映像も含めたご報告をしますが現況をお知らせします。ボクの畑は周りが住宅、何ということもないのですが、一緒に始めた小沢さんは、もともと意欲的な農家、山の中腹にあり人間よりも動物の住処。そこへ柵を破ってイノシシが侵入しましたがカボチャに被害はナシ。ブルーベリーも鳥やスズメバチの被害に初めて遭わず、我家も酸味の少ない美味しいジャムができました。

       

   

      

 

   (きゅうかんちゅう、きゅうかんちょうデハありません。おうむがえしにいいますが)

     内容は詳しくは触れませんが5分間の幸福感を、立ち読みで味わって下さい。

       ◎山元加津子 きいちゃん・・・絵も文もステキ(休刊中)

       ◎くすのきしげのり おこだでませんように・・・若いおかあさんに

       ◎竹下文子 きょうりゅう一ぴきください・・・こんなこどもと話したい(絶版)

       ◎ファルコナー OLIVIA・・・オシャレ 谷川俊太郎の訳も秀逸

       ◎ジャン・ジオノ 木を植えた男・・・HIBIYA C.M.にはいった本屋さんが

         語ったのが”ハチドリのひとしずく”それならボクならこっちでしょうと

         思いました。

      とりあえず 絵本でないものをあと2つ。

       ◎野口嘉則 鏡の法則・・・もともとネットでブレイクしたもの。温かい

          自分発見に気付く幸せ(再版未定)

       ◎村上和雄 陽気ぐらしの遺伝子・・・名著”生命の暗号”ではなく敢えて

         こちら。 これは長いので立ち読みはムリです。

 

 自営業の背景について・・・ボクが語るまでもなく

  かつて公共交通機関が主流だったころ、人々の行動範囲は限られていました。

 駅前商店街やローカル商店街に必要とされる役割がありました。人々の暮らしは

 その範囲で循環し、小さな”まち”や”むら”にも存在理由がありました。

  ところが自家用車の時代がやってきて人々の行動は拡大し”町”の地図は一変しました。

  大型ショッピングモールが消費と余暇をも担うようになりました。

  かつての名残りで、我が足助地区8000人足らずの人口に10の小学校が点在し

 全部を束ねる一つの中学に今年は47人の中学1年生が誕生し、伝統ある地元高校は

 三年連続定員割れです。これは日本中どこにもある風景のひとつでしょう。

  足助にはもう一つの衰退期がありました。

  明治末期、中央線の開通によって塩の道の物資の要衝としての機能を喪失します。

  新しい産業も興らずそれに応じた基盤の整備の可能性も見つからないことで、

 そのままの佇まいが取り残されました。それが時を経て重要伝統的建造物群として保存されることとなり、景勝地香嵐渓とセットで豊田市の観光の拠点として期待されるように     なりました。

       ー これだけでは告白もなく面白くもないですね。ー

  足助が再び大ブレイクしたのは三十数年前、香嵐渓にできた三州足助屋敷の大成功。

  これを仕掛けた役場の職員O氏は忽ちスターとなり、メディアは彼の一挙手一投足を

 追いかけました。報道される足助は彼の発信が全て。こうして外から見る足助が確立されて             いき地元の人々はその情報を違和感をも含めて逆輸入することとなりました。

  町の活性化を目指すO氏は素材としての町並みにも着目します。

  メインは M小路と土蔵が店舗の小路に隣接するM店、加茂一揆のときの農民がつけたと        いわれるナタで切られた柱の残るK屋でした。

 更にO氏は、”まちおこし”のビジョンの論文募集を公募しました。

 ボクはそのころ商工青年部の部長、過疎化を見据えたとき”まちづくりに呼応したみせづくりの必要性と竹文化と竹ビジネス”をテーマとした意見をまとめ、青年部として提出し第一席を得たのでした。

 まだ公民館の無い時代、町民センターが現在の森林組合の場所にあり、その三階のホールでCBCのアナウンサーを招いての表彰式を含めたセレモニーがありました。

 ボクは受賞とスピーチをすることになっており、誇らしげと緊張感を伴って登壇したのですが

その視線の右側に販売コーナーがあり、なんとMさんが本を売っているではありませんか。

 ウチは書店を名乗らず商店ですが本も扱っています。小さな町に二軒のみせ。一対一、

営業が苦手のボクにはとてもナーバスな関係です。更にMさんは和紙工芸の芸術家、これはO氏主導の足助屋敷のコンセプトに呼応します。M小路にM店、O氏の様々な活動にMさんの存在がボクには常に窺われます。学者、芸術家、メディア、自治体の視察、同業でなければ、

若しくは、もう一軒同業があればボクも何とかまちづくりの一角に関われると思ったのですが、

情報発信がストレートに担える職種が職種だけに深い敗北感に襲われました。

 あの”まちづくりに呼応したみせづくり”語った自分が何もできないのです。

「アブラカタブラ、ヒラケゴマ」たしか五年生の学芸会ではうまくいったのに。

 結果としてこの町に関わる最後の仕事となったのは、この町を紹介する本の出版でした。

 少し前にM店でマップが発売され、メディアは大きくとりあげ、自治体も販売に協力していました。だがボクが本を出した時はすべてが冷淡でした。草稿を、親しくさせていただいた、このまち屈指の郷土史家、故S氏に見ていただき、ダイジェストとして良くできている等々で教育委員会や町並みを守る会の推薦をとっていただくなど、背中を強くおしていただき出版に踏み切ったのですが、手をさしのべてくれたのは、名古屋の図書問屋だけ。

(2000部つくり1600販売、その後なし崩し減っていき現在庫数十冊)

       ボクは文化財保護審議会委員を退きました。

 世間での注目度が増していくなかでボクのできるのはただ一つ。「ウイ ムッシュ」

 たしかモームの”人間の絆”のローエ先生?(じゃなかったでしょうか)に重なります。

 

あれから30年たちました。ナゼか店は残り、ボクはおかげさまで元気です。ボクのような競うことに過剰に反応し、自らにプレッシャーをかけるような性格で、誤解を承知で述べれば、仏門に遁れることなく、自営業としてやってこれたこと、何を読み、誰に会い、何を思い、どうしたかを語ることで同じような人のお役にたてないかと、長々と綴ってみました。

 これはその最初の告白です。

 冒頭で紹介した本は、その一部が含まれます。よろしければ立ち読みにお越し下さい。

    

   ※ What a coincidence!ボクの町は国の「重伝建」に指定されました。

       これは否応なしに「町づくりに呼応した家(店だけではなく)づくり」

       「たんころりん」は将に竹文化。ただビジネス未満ですが。

                  (これは2018年7月に書いたものです)

 

 

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

TVから刷りこまれるように、このCMが流れていたころのこと。

金曜日のボクのビジネスロードに豊松小学校から滝脇小学校へ

抜ける道が次のように続いています。

 

 

 

道路や圃場のインフラ整備が終わると、記念のためか碑が建ちます。

最初にこれを見たとき、近くに自販機がないか見渡しましたがアリマセン。

そこで翌週の金曜日、2個の缶コーヒーを載せて撮った写真がこれであります。そこに

  ”缶コーヒーは 3-1=2” こんなアナグラムを付けました。ナスカの地上絵気取りです。

意味は”カンコーヒーは、サンから1トリイのボス(=BOTH=両方で2)”計算も合っています。

この瞬間は、お風呂で浮力を発見し裸で思わず跳びだしたアルキメデスの心境でしょうか!

ボクも仕事をそっちのけで自慢しまくりました。

そして微かな期待を膨らませ 当時のTV番組の珍風景に応募しましたが”ボツ”。

 

      何かを 祈念 して高月院へ行くことがあったら、ここまで足を延ばしカッコよく

   記念 撮影はいかが? ダジャレ転じて シャレになります。観光費はタダ。

   自販機を置けば、カンペキの缶光スポット!

 

※石御堂   天保7年9月21日夜・五つ時 70人ほどの農民がここに集まりました。

         12000人余が加わったという”かもの騒立ち”のはじまりです。

         深閑とした樹木に囲まれた小さな祠、鍬と汗と土の匂いが伝わります。

    

     本屋のボクも特別な有機農業をはじめました。

     鳥獣害で諦めた耕作放棄地の人たちの福音とならないか?

     鳥や獣となかよくできないか?

     お釈迦様が入滅するときは、あらゆる動物が集まってきましたね。

          野菜づくりは別のブログに書きました。ボクの畑は宅地を更地にしたところ。

    まだ土作りの段階ですが、一緒に手法をとりいれたプロの小沢さんは、ボクが

    ブログで紹介したとおりの凄い結果がでてます。田舎で暮らす意味が生まれ

    ます。