(きゅうかんちゅう、きゅうかんちょうデハありません。おうむがえしにいいますが)
内容は詳しくは触れませんが5分間の幸福感を、立ち読みで味わって下さい。
◎山元加津子 きいちゃん・・・絵も文もステキ(休刊中)
◎くすのきしげのり おこだでませんように・・・若いおかあさんに
◎竹下文子 きょうりゅう一ぴきください・・・こんなこどもと話したい(絶版)
◎ファルコナー OLIVIA・・・オシャレ 谷川俊太郎の訳も秀逸
◎ジャン・ジオノ 木を植えた男・・・HIBIYA C.M.にはいった本屋さんが
語ったのが”ハチドリのひとしずく”それならボクならこっちでしょうと
思いました。
とりあえず 絵本でないものをあと2つ。
◎野口嘉則 鏡の法則・・・もともとネットでブレイクしたもの。温かい
自分発見に気付く幸せ(再版未定)
◎村上和雄 陽気ぐらしの遺伝子・・・名著”生命の暗号”ではなく敢えて
こちら。 これは長いので立ち読みはムリです。
自営業の背景について・・・ボクが語るまでもなく
かつて公共交通機関が主流だったころ、人々の行動範囲は限られていました。
駅前商店街やローカル商店街に必要とされる役割がありました。人々の暮らしは
その範囲で循環し、小さな”まち”や”むら”にも存在理由がありました。
ところが自家用車の時代がやってきて人々の行動は拡大し”町”の地図は一変しました。
大型ショッピングモールが消費と余暇をも担うようになりました。
かつての名残りで、我が足助地区8000人足らずの人口に10の小学校が点在し
全部を束ねる一つの中学に今年は47人の中学1年生が誕生し、伝統ある地元高校は
三年連続定員割れです。これは日本中どこにもある風景のひとつでしょう。
足助にはもう一つの衰退期がありました。
明治末期、中央線の開通によって塩の道の物資の要衝としての機能を喪失します。
新しい産業も興らずそれに応じた基盤の整備の可能性も見つからないことで、
そのままの佇まいが取り残されました。それが時を経て重要伝統的建造物群として保存されることとなり、景勝地香嵐渓とセットで豊田市の観光の拠点として期待されるように なりました。
ー これだけでは告白もなく面白くもないですね。ー
足助が再び大ブレイクしたのは三十数年前、香嵐渓にできた三州足助屋敷の大成功。
これを仕掛けた役場の職員O氏は忽ちスターとなり、メディアは彼の一挙手一投足を
追いかけました。報道される足助は彼の発信が全て。こうして外から見る足助が確立されて いき地元の人々はその情報を違和感をも含めて逆輸入することとなりました。
町の活性化を目指すO氏は素材としての町並みにも着目します。
メインは M小路と土蔵が店舗の小路に隣接するM店、加茂一揆のときの農民がつけたと いわれるナタで切られた柱の残るK屋でした。
更にO氏は、”まちおこし”のビジョンの論文募集を公募しました。
ボクはそのころ商工青年部の部長、過疎化を見据えたとき”まちづくりに呼応したみせづくりの必要性と竹文化と竹ビジネス”をテーマとした意見をまとめ、青年部として提出し第一席を得たのでした。
まだ公民館の無い時代、町民センターが現在の森林組合の場所にあり、その三階のホールでCBCのアナウンサーを招いての表彰式を含めたセレモニーがありました。
ボクは受賞とスピーチをすることになっており、誇らしげと緊張感を伴って登壇したのですが
その視線の右側に販売コーナーがあり、なんとMさんが本を売っているではありませんか。
ウチは書店を名乗らず商店ですが本も扱っています。小さな町に二軒のみせ。一対一、
営業が苦手のボクにはとてもナーバスな関係です。更にMさんは和紙工芸の芸術家、これはO氏主導の足助屋敷のコンセプトに呼応します。M小路にM店、O氏の様々な活動にMさんの存在がボクには常に窺われます。学者、芸術家、メディア、自治体の視察、同業でなければ、
若しくは、もう一軒同業があればボクも何とかまちづくりの一角に関われると思ったのですが、
情報発信がストレートに担える職種が職種だけに深い敗北感に襲われました。
あの”まちづくりに呼応したみせづくり”語った自分が何もできないのです。
「アブラカタブラ、ヒラケゴマ」たしか五年生の学芸会ではうまくいったのに。
結果としてこの町に関わる最後の仕事となったのは、この町を紹介する本の出版でした。
少し前にM店でマップが発売され、メディアは大きくとりあげ、自治体も販売に協力していました。だがボクが本を出した時はすべてが冷淡でした。草稿を、親しくさせていただいた、このまち屈指の郷土史家、故S氏に見ていただき、ダイジェストとして良くできている等々で教育委員会や町並みを守る会の推薦をとっていただくなど、背中を強くおしていただき出版に踏み切ったのですが、手をさしのべてくれたのは、名古屋の図書問屋だけ。
(2000部つくり1600販売、その後なし崩し減っていき現在庫数十冊)
ボクは文化財保護審議会委員を退きました。
世間での注目度が増していくなかでボクのできるのはただ一つ。「ウイ ムッシュ」
たしかモームの”人間の絆”のローエ先生?(じゃなかったでしょうか)に重なります。
あれから30年たちました。ナゼか店は残り、ボクはおかげさまで元気です。ボクのような競うことに過剰に反応し、自らにプレッシャーをかけるような性格で、誤解を承知で述べれば、仏門に遁れることなく、自営業としてやってこれたこと、何を読み、誰に会い、何を思い、どうしたかを語ることで同じような人のお役にたてないかと、長々と綴ってみました。
これはその最初の告白です。
冒頭で紹介した本は、その一部が含まれます。よろしければ立ち読みにお越し下さい。
※ What a coincidence!ボクの町は国の「重伝建」に指定されました。
これは否応なしに「町づくりに呼応した家(店だけではなく)づくり」
「たんころりん」は将に竹文化。ただビジネス未満ですが。
(これは2018年7月に書いたものです)