そして 菅さんの仰った”自助 共助 公助 ”に思いを馳せる

10月7日 日本特派員協会で開かれた 二世信者小川さゆりさん(仮名)の記者会見中

教団から中止を求めるFAXが届きました。教団は精神疾患を理由に小川さんが虚偽

の可能性があると主張しました。ご承知のとおりですね。

 

・僕が指摘したいのは 英文で届いたFAXにご両親の署名があったということです。

  教団の異常な実態が白日のもとに晒されて 尚 教団に縋りつく気の毒な人々。

  他人と比較し 他人を羨み 自分は不遇だと決めつけ、その解決を他人に依存し

  続けるる自分の心が自分を苦しめている と気づかなければ 第2、第3のカルト

  教団の犠牲者(と言っていいのか)はアトを絶たないでしょう。

      「だいじょうぶ!アナタだけではありません、僕もそのひとり」

        そしてこんな美しい詩を紹介します。

 ”山のあなたの空遠く 幸(さいわい)住むと人の言いふ 噫 われひとと尋め行きて

   涙さしぐみかへりきぬ 山のあなたになほ遠く「幸」住むと人のいふ”

                  カアル・ブッセ(上田敏 訳)

 

・たしか”クローズアップ現代”がこの特集を組んだときのことです。

  韓国の幹部信者が、それなりにグローバルな展開をする教団にあって このよ

  うな膨大な献金は日本人だけだと述べていました。

 

[先祖供養]  この教会はこれを”先祖解怨”というそうです。感謝すべき祖先に対し          

  て”怨”いう おぞましい当て字が不安を煽ります。

  現在 僕には子供も孫もいます。彼ら(娘もいます)から見れば僕は 先祖 にな

  るべき立場にいます。その僕が子や孫に望むのは 多額の金品を自分たちの系

  列に捧げ 自分たちに手を合わせてほしいなどと思ったことはありません。

            僕のご先祖様も同じはずです。

  望むのは 子供たちが それぞれ周りの人たちの中で 喜ばれ 幸せに暮らして

  くれること。           そうすれば 僕は天国にいて 

 「見てください!ほら あれが 僕の子供や孫たち」と近くの魂(肉体は無いので)

  に自慢できます。これがホントの先祖供養。及ばずながら努めています。

         生きてゆくのが とても ラクになります。

  そもそも先祖が何も語らないのをいいことに  苦しみの原因が あたかも そこ

  から発しているように脅かし 供養と称し多額の金品を召し上げる それが正し

  い宗教と言えるでしょうか。            ましてや、

   地獄に堕ちると脅されて 自分が助かりたいために 家族を不幸に陥れる 

     これこそが地獄に堕ちる行為だと何故気付かないのででしょう。

     人間は不完全な動物 他人事で片付けられないお話をします

   国宝や世界遺産に指定されている 教会 モスク 神社 仏閣 訪れると

   その荘厳さに心洗われますが 遡れば  その建設時には数多の 汗や涙や

   犠牲があったのではないでしょうか。今 旧統一教会は後世の世界遺産

   を目指して 豪華な本部を建築中とか。

 

[自分の告白をします]  車社会前夜、漸く 白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機が三種の

  神器と語られ始めたころ、人の移動は未だ公共交通機関に限られていました。

  地方の町や村は そこだけでコミュニティが完結しましたから、自営業のプチ

  成功者も多く、長男は あたりまえのように家業を継ぎました。

  僕は長男、でも 両親の誠実に働く期待に応え得る自信はありませんでした。

  ・我が家は学校関係の商いが主流、同業者が4軒(今はウチだけ)ありました。

  職員室へ営業に行くと鉢合わせもシバシバ、同等の物を 同じ時に 同じ場所

  で売る!ガラスのハートは そこから逃げろと命じます。

  ・軽商用車の月賦(ローンというコトバは未だありません)が不渡りになった

  こともありました。

  ・仕入れた商品の代金が払えず、商品を引き上げられたこともありました。

  苦悩の日々を送り 救いを模索したのは旧統一教会の信者の方々と変わらない

  でしょう。僕の心の遍歴を紹介しようと思います。

     ・モラロジー ・7つの習慣の研修 ・小林正観 ・木村藤子さん

     ・幸福の科学 ・非構成的エンカウンターの研修 ・天命庵 

     ・メンタルクリニック ・樋原塾 

  常に支払いに追われ、将来ビジョン、販売戦略、売上目標など 立てる資質も

  ヒマもなく、目の前のことだけに悩まされ続けていたのです。

        でも それが幸いするから人生はおもしろい。

 

     なにしろ余裕のない僕ができるのは眼の前のことに限られます。

      様々な教えを請うなかで いただいたお言葉の貴重なひとつ。

    「目の前の人を大切にして、目の前のことに集中する、それだけ」

        それなら僕もできます。だれでもできます。

          そして その深いワケを知るのです。

  その瞬間・瞬間の積み重ねが1日、その積み重ねが1年、その積み重ねが

   人の一生。人生は今しかない。お釈迦様は人の一生の長さを

           ”刹那”と 仰ったとか。

   様々な目の前の人がいます。家族 従業員 仕入先 お客様 ライバル 

   目の前の人に囲まれている。 眼の前の人すべてが目の前の人でした。

             ”利益の追求 ”そんな呪縛から開放されました。

   それから半世紀以上が過ぎました。多くの出会いが御縁となり、気が

   つけばプチ総合商社、今も5人の従業員に支えられています。

 「お金はな、喜ばれるように使うと友だちを連れて帰ってきてくれますのや」

          そんな楽しいお話も覚えています。

 

                 =自 助   共 助   公 助=

  自助、共助については 既に 具体的に述べたつもりですがまとめてみます。

           ◎”汝、自身を知れ(ソクラテス)”

  "生まれ難き人の世に生をうけ 限りある身の 今 命あるは有り難し(法句経)”

  すべての人は 大自然の(神様の)お慈悲のもとに 等しく選ばれて 命を戴いてい     

  る、あなたもその1人だと伝えることが宗教の役割であるべきでしょう。

  目覚めたら その感謝から1日をスタートすると教わりました。 ー[自 助]ー

   ◎ "第2はこれである、自分を愛するように あなたの隣人を愛せよ(マルコ伝)”

    "山川草木悉皆成仏(正法眼蔵)" ”一切衆生悉有仏性(涅槃経)”

   人に限らず 山も川も 一切の衆生もすべては仲間。量子力学によって

             科学的にも実証されようとしているらしい。

        こうなると共助感は時空を超えて広がりますね。

          環境問題のキーマインドでしょうか。

  人の営みは常に今までの 自分の生き方の答えですから、人の違いは 等しく

  与えられた時間の公平な結果です。”人の為と書いて偽り" 人の為に尽くす

  ことが実は すべて自分に還るということになります。  ー[共 助]ー

 ◎”国家が諸君に何を為しうるかを問うのでは無く

          諸君が国家に何を為しうるかを問え(J・F・ケネディ)”

  「国家」という言葉を耳にすると 特にリベラル系の論客は「国家権力」と

  結びつけます。でも ウクライナ、アフガン の現実を目の当たりにすれば

  自由も 平等も 人権も 平和も 国家の安定なくして得られません。別の意味で

  中国も又然り。「国家権力」と簡単に語れる国家に住んでいる 自覚と 感謝 と

  責任はあるでしょうか?

  ”個人は国家を担う 国家の一部 として生まれてくるのだ(アリストテレス)”

    ”一日自分の仕事、勉強を怠れば、一日国家の進歩が遅れる(米国留学生時代の      

  秋山真之ー子どもの心に光を灯す日本の偉人の物語・白駒妃登美著 より)”

                            ー[公 助]ー

 

        されば 安倍さん の死も報われるものとなります。

           国葬に相応しいではありませんか。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

  

   

   

 

 

 

 

 

  

  

  

 

    ゴメンナサイ俵様 な訳でこのお付き合い,時間のムダかも! でも。

   ー「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日ー

     サラダ記念日は7月6日 なら 7月5日は少なくも その1年後。

               そして次も

         「この味が待ったね」と君が言ったから7月4日もサラダ記念日

   

   と手に取った本の向こうを通り過ぎる 白いブラウスの看護師さん 

      近くのお医者様から帰宅の途中。僕の家の先が駐車場

    先程までは ”白衣の天使” ハンドルを握れば ”白衣のウンテンシ”

         そのアトをゆくのは ”悪意の運転士?”

       それって ”ストーカー?”「ソ・ソ・ソーカー?」

    こういうキレの悪い 周囲のヒンシュク承知の 自虐ギャグがスキ!

             (ナンセンスギャグと言い換えるだけで カッコよく響く不思議)

 だけど”チコちゃんに叱られる”の キョエ様のどう見たってブラックジョークは

                もっとスキ!

      そして”江戸川慕情”のノスタルジーに浸りつつ迎えた日曜日

     ”ダーウインが来た”の ヒゲじい のダジャレのレベルに

        ほっと(HOT)する チョット和らいだ残暑。

 

 

 

 

   国旗に象徴される豊かに広がる ”ウクライナ” の空と小麦畑

      それに託した鮮やかなツートンカラーのマスク

   手作りマスクのコーナーにも並べました

 

 

こちらは鮮やかすぎるコントラストに遠慮しての”ウクライナカラー”のつもり

ところが「それはドコ?」と尋ねられました。じゃあ ”ドコダイナ”

   (マスクについては、3分で読めるショートブログ

                   "キバツの刃のマスク On Sale!”もどうぞ)

 

  恒例夏の夜のイベント”たんころりんの夕涼み” 今年の影絵のテーマ

    ”広がれ!青い空と黄いろの小麦畑・ウクライナ国旗の下に"

 

  事前PR用ハンドメイドの看板 QRコードもつけました。

          昼間の店舗正面、

 右側の雑誌の棚もウクライナデコレーションで満たします。

   

”広大な畑のなかで一日の農作業を終えた夫婦が教会の鐘の音に祈る姿”

       ミレーの晩鐘”にトライしてみます。

 

  昨年、東海テレビで放映されたシルエットもご紹介します。

       タイトルは ”炭治郎と柱たち 全集中”

 浴衣姿によく似合う手作りの かざぐるま も限定販売!

 タイムスリップする重伝建の町並みに、ゆく夏の彩を添えて

        ご来町をお待ち申し上げます

 

「この秋は雨か風かは知らねども 今日の勤めに田草とるなり」二宮尊徳

僕も微生物で土づくりをして野菜を育てています。スイカ、トマト、

 サツマイモなど、有機栽培はあたりまえ、”楽しいやさいづくり”

 そんなライフスタイルを楽しんでいます。(ブログで2回既報)

   トリも獣も草も タフなおつき合い、でも生態系の ヒトの仲間

        一切衆生悉生仏性(涅槃経)

    自分だけでなく、仲間づくりができればと願いつつ!

        

 

はちきれそうなスイカ[6月末収穫5.5kg糖度12.3デキスギデス(イ)カ]

    

         あたりまえの日常が あたりまえ でなくなった現実。

    自由も平和も ”ある” ものでなく築くもの。

    ウクライナに早く平和な日常が訪れますように。

 

[追録]   はじまりました”ぶらたもり”じゃなく”たんころりんの夕涼み”

       今年(R4)のフェステバルを追録します   

◎1F 豊かに広がる青空と小麦畑、青色と黄色で溢れさしたつもり

  ・レオ-レオーニのフレデリックも鬼滅の禰豆子もウクライナカラー

   のマスクをしています

      ・絵本”てぶくろ”はウクライナを代表する民話のひとつ

      ・かざぐるまの下に提灯を2つ置きました 大正5年のもので張替え

   ました 電気のない時代、日が落ちると月明かりだけ

   「提灯を携えて掛取りにいったもんだ」昔、父が語ってくれました

◎ 2F ”晩鐘”に託した農夫婦 、遠くの教会の十字架は見つかりましたか

 

◎陣屋跡に集結した昼間の”たんころりん” 舞台裏ですね

◎落日とともに火が灯るとフェスティバル オープン 

 陣屋の轟きは 鬨の声 でしょうか? 宴の嬌声でしょうか?

          それともソフトなライブの調べでしょうか

            

◎13.14.15日は町内会の組毎にゲートのような屋台が路上に並び、

    頭上に提灯がともされ、祭気分を盛り上げます

◎期間中 随所でローカルミュージシャンたちのライブが聞かれます

◎14日は花火が夜空に映え 足助川の両岸にも灯明が揺らぎ、紙屋渕の六地蔵

 では 人々の願い文が朗詠され読経が沁み渡ります。ここは  かつて

   無縁仏を葬った寂しいところ、供養にも相応しいところです

◎15日は香嵐渓で地蔵祭があり  河畔では灯籠流しが催され

      夏祭りは静かなフィナーレを迎えます

残暑のなか川面に立ち夜風が頬に触れると 忍び寄る秋の気配に気付きます

※ これらは多く語られ報じられています 私が出過ぎるまでもないですね。

            もう一つお伝えします

    旧家の確かな佇まいの活用にと 地元の有志が出資し、行政の

      バックアップもあって生まれた”塩の道づれ家”

    かつての中馬街道の宿場町にふさわしい粋なネーミング

              ご来町頂いたら

     足を留め おもてなしを愛で 手打ちの蕎麦に舌鼓を打つ。

     こうして育む 充実の 夏の そして  旅の 思ひ出

     

 

 

 

前掲の ”綱渡りより空中ブランコ・・・ふしぎな婦・・・” の細やかな追録です。

    裏切られることの無い自信はあります。その為の条件!

             期待をしないで下さい。

でも 祈り 関連で 伊藤佐千夫の”野菊の墓” の美しい一節をご紹介しました。

 

   お言葉をいただいた あの日 から何年経ったのでしょうか? 

 青森の神様といえば 木村藤子さん 同じく特別な お力と役割を持ったお方

  ”あさひのおばあさん(仮称)”が当時、隣町にお住まいでした。

   多くの人たちが悩みごとの相談に訪れていました。

或る日「今後のこともあるから」と誘われ、運転手として伺ったことがあります。 

挨拶と自己紹介のあと、脇で畏まっていただけの僕にも お話をして下さいました。

 我が家について  ①父が入手した 天照大御神様の掛け軸は、父の心の籠ったもの

         だから大切にするように。

          ②奥にある立派な井戸に 水神様 のお姿が見える。感謝の心で日々

          過ごすように。こちらで商いをしたほうがいいが。

          (作物に注ぐ井戸水を自分も飲もうと気がついて、水質検査ををしていただき

   ました。殆どの家が井戸水が使えなくなっているなかで結果はパーフェクト)      

  (店内から望まれる、井戸と土蔵のむこうの足助川と瀬音、かつてCBCTVの住宅

   番組で"足助川の家"と紹介されたロケーション、お水の事も含め宜しかったら

   空ペットボトル持参でお気軽にお越し下さい。)

 ③”あさひのおばあさん”の家の近くに、当時、空き家の天理教の教会があり、

  管理を”あさひのおばあさん”がされているとのこと。僕がお邪魔したことを

  教祖様がお喜びだと語って下さいました。

  軸のこと、井戸のこと、そして親様、何故お分かりなのか驚くばかりでした。

※ ”あさひのおばあさん" エピソード

 ◎ 千代の富士が破竹の勢いで連勝を続けたころ、招かれて電気屋さんでの休憩時間  

  テレビの相撲放送を見ながらその日の彼の敗戦を予言されたました、千代の富    

  士の連勝が止まった日のことです。

 ◎ 国道沿い、S小学校の上に若手経営者4人が立ち上げた喫茶店がありました。車で

  通りかかった”おばあさん”がその店の廃業を同乗者に語られたとのこと、程なく  

  してそのとおりになりました。

 

この国の巷の知識人の立ち位置は 無神論と科学至上主義。だとしたら、僕が経験した

真実をどう説明するのでしょうか。 それもまた 無神論という信仰、科学至上主義という非科学的信仰でしょうか?    

「それでも地球は回る」パスカル。コペルニクス的転回から、科学が果たした役割は

絶大ですね。 そこから派生した唯物論、先日僕の元気な友人が突然倒れました。

 大動脈破裂とか、顔色も良く そのままの寝姿に 僕は彼に呼びかけ まだ温もりの残るような肩を激しく揺すってみましたが、何も応えてくれませんでした。

 魂が抜けると ヒト から モノ に一瞬にして変わります。唯物論の限界でしょうか。

   パスツールや昨年 他界された 村上和雄さんについては触れました。   

    アインシュタインにもこんな言葉があります。

「私は 神がどういう原理にもとづいてこの世界を創造したのか知りたい。・・・」

 高校時代から啓発されたことを書き留めてきたノートが2冊。そこで、こんな言葉を

見つけました。

 ”人間は大自然の一部である 自然のなかに生かされている存在 それが人間の真実の姿である この生の自覚のなかに 人間の生きるほんとうの価値がある 太陽は生存するすべてのものに 等しく恵みの光と熱を与え それらを はぐくむ この永遠の慈愛の姿こそ 自然の法則の実質である…”(慈愛と英知と進化のモラロジー教育)

                                             そして

「まあ民さん。御覧なさい。入り日のりっぱなこと」民子はいつしか笊を下へ置き、

両手を鼻の先に合わせて太陽を拝んでいる。

西の方の空は一体に薄紫をぼかしたような色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の

出ない太陽が、今その半分を山に埋めかけたところ。僕は民子が一心入り日を拝む

しおらしい姿が長く眼に残っている。      ー野菊の墓 よりー

 

 

 

 

 

 

 

 

 (タイトルと内容を一部手直しし、バレンタインを前にしてチョコっと加筆)

     (補遺版 中途半端でしたので削除し、別掲載しました 4.6/24)

 

官公庁の仕事では入札制度があります。落札すると契約書を交わします。

その契約条件が履行できないと、指名停止というペナルティーがあります。

それは単に入札に参加できないだけでなく、社名が公開され、一定期間

   該当官公庁との一切の取引ができなくなる厳しい措置です。

   物品販売業である僕は3度そのリスクを経験しました。

入札に参加するときには、メーカーに条件を確認して応札するにも拘わらず

契約後、その期限内に完納できない備品が生じたということです。

契約者は当社、運よくといっていいものか、ナントか回避できましたが、

  その都度思ったのが冒頭の言葉。”綱渡りより空中ブランコが好き”

 

        実は4回目に遭遇した話をします。

運命の神様の悪戯か、そうなるように仕組まれたほどの手の込んだ状態で。

◎入札案件は 家庭科教材備品約50台

・8月下旬 予算取りの参考見積り このときは何の問題もなし

・9月下旬案件公開 入札は2週間後 納期は12/20まで

 公開日に代理店に連絡 これはベトナム一括生産品で、現地はパンデミック

 9月中、工場閉鎖  「納期保証ができなくなりました」 という代理店回答

・市役所に連絡しました。他業者に参加の可能性もあり入札は予定どうり執行

         ”僕は参加を断念しました”

・入札日前日 代理店から☎ 「11月には入荷の目途がついたので参加してほしい」

 嬉しい知らせに、”入札参加”、運よく落札 (その後公表・参加者は一社のみ?)

・11月中旬 市役所から納品予定の問い合わせ 余裕たっぷりに代理店に☎

・その返事 「パンデミックが10月まで延長し 入荷の目途がたちません」

梯子を外された状態で、漠然と書棚を眺めて目に止まったのが

        芹澤光治良著   教祖様ー”ふしぎな婦”の一生

 

もともと超安定化志向の僕が文化12年来の家業を継いだのですが、自営業のプレッシャーをコントロールするために多くの本に頼ってきました。

 名駅前のビルにある心療内科を受診したほどの自分を支えたロングセラーや

名著は、どなたかにも役立つだろうと当店の定番商品にしようと強く決意していす。           自分の強い決意なので”強引g my way!"

 

   "教祖様”で思いだしたのが、かつての日々の同じ著者の”神の微笑”

天理教の教祖 中山みきさんが、川口に住む青年に天下り人助けをしているという内容。

当時、市内で集まってニューモラルの勉強会をしていました。そこで紹介されて、

みんなで行こうとなりました。   

     そんな或る日、近くの雑貨屋の若奥さんが訪ねてきました。

  「噂をきいたのですが、主人が癌に罹り、入院中ですが難しく、ルルドの泉のようなお水をいただけるとのことでお邪魔したのですが」

     中山みきさんのところでは個人相談日があります。

     自分のことも含め、これは相談できるチャンスです。 

 

そのとき赤布を召された青年のお口から次のようなお言葉をいただきました。

「さあさあ この世に病というものはひとつもない、病と思たら病となる 神様からの重要なお手紙と思たらお手紙となる,あんさんが病のような人にお水をお届けするのは難しいことではない。重要な役割があるから病いのようなものをいただいたようやけど・・・」・・ 「ものの考え方ひとつでご守護というのはあらわれてきますのや」

「あんさんかて 敵やとか争う相手やとか、仕事どうのこうのと埃やと思うているようやけれども、そうして刺激しあえるすばらしい仲間と肩をならべているんやと思うて拝んでいったら あんさんは伸びていきます」

   「このことようく言っておきます。しっかりな ごくろうさん」

  そうでした。  長きにわたり見捨てられることも無くお慈悲をお注ぎいたき、

  4回目で漸く気付くことができました。

 

         ”吾 唯 足るを知る(龍安寺の蹲) 

   人の生を享くるは難く限りある身の 今、命あるは有難し(法句経)

    母校、全寮制度の麗澤高校の生徒手帳にある 日常生活の心得 

     第一は”朝夕神仏を礼拝し父母 祖先及び 恩人に感謝する事” 

     祈りとは求めることではなく感謝することだと教わりました。、

 記憶をたどれば ”食事のときにも神に黙礼する事” ”便所において汚れを見出したときは直ちに拭き取る事、たとえ自己の行為に非ざるとも、為すべきである” 

 トイレ掃除は、今やある意味トレンディ でも遥かに諭していただきました。   

愚直に続けてきましたが、そこにみきさんのお言葉も加えることとしました。 

   「神の承諾の無いことは起こらない」これは 小林正観の言葉です。

  

次の日 代理店から☎ありました。「商品が日本に着きました。一週間後には届けす」

   弾んだ電話口でした。 僕も答えました ”「ARIGATOH(10匹の蟻)]”

                                     11月30日のことでした。

 

 

 

 

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     公開したはずが、下書きになっていました。再公開(こうかい)です。操作の不手際を後悔(こうかい)しています。


                     (M)ask me please!

  •                       Sorry,this is just a signboard.

    【解説】 刀作りは ひょっとこ ではなく おかめに。

      コートの柄は、市松模様ではなく唐草模様。

      空の呼吸絵(かい)の型は又の名を絵空事とも!

    ◎でも手作りマスクは全集中

    ◎三層構造不織布マスク50枚入り ¥400(税込)

          ご来店をお待ちもうしあげます

 ※昨春掲載のブログ、「きめつできめつけた きわめつきの   2日間」も併せてご覧ください。

      『かまとと単なるジジイだろう商店・再見』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボクのブログは、ジョークと真面目(漢字を使ってみました)の両方です。

もともと何の知名度もないので、アクシデントのヒットで充分。

それでもマイナーな一定の方のレスポンス。自己満足しています。

ただ、全くリアクションの無い最新のジョーク。

”サンダル履いて市役所へ”は思いがけずご近所受けしています。

「言葉遊び」ということで、ナント中学の国語の授業にも採用。

小さい笑いがしてみたく、1ミリくらい免疫力UPしてみたい、

そんな瞬間があったら覗き見して下さい。胸の谷間を覗き見るような

そんな期待はアリマセンガ。

一つだけ開いた時にお願いが、実はあります。

副題が”なんでやねんの【まさかの王さま】その意味に気付かないひとばかり。

ほかに【 】が二つあり 【マー・キング】と【パー・キング】

キングは王さま。 ありえへん造語やねん。

 

 

 

       菅内閣は、コロナ対応を”後手、後手”と報道され、全責任を負わされて支持率が急降下。 退陣に至りました。

 

 ◎ Go To Travel  発表されるや各メディアが公表する結果は、どれも反対が             60%以上。  大多数の行かない人がメディアに影響されるだけの結果でしょう            か? 20年秋、ボクは2回旅をしています。友人たちも、その後、旅、 ライブ

  スポーツ観戦、映画鑑賞と、それなりの対策をして何人も参加しています。

    何れも主催者は、必死(必ず死ぬお書きますね)の対応をしており、みんな      安心して参加していました。

    感染の元凶は、提供サイドではなく、受ける側(客)の在り方だという事が     漸く分かってきたと思っています。

  Go Toをメディアはカタカナで ゴートー(強盗)トラブルと言っていると、揶揄    してもみました。

   Go Toが中止されると、メディアは観光地や商店街の主催者側を取材し、そ の                          悲 惨さを放映し対策の不備を又も流していました。

 ◎オリンピック、パラリンピック開催もメディアの多くは警鐘の大合唱、どうすれ開催できるか、そういうスタンスでの提案は

   ありませんでした。 No からではなく Yes But から報道を組み立てれば、日本人としての共感と連帯が生まれます。

   オリパラ在りきで出発できてからの報道では、勝者も弱者も含め、溢れた言葉は”感謝”、爽やかで視聴後まで余韻に浸ることができました。

  施策の不足を暴き全体を否定する刺激的な報道で、視聴率UPや購読数を増やす、

「あな嬉し、となりの蔵が売れていく」(江戸時代の川柳) 他人の不幸に溜飲を下げたり、非難の対象を設定し不機嫌を煽り

分断を助長する。 こうしたメディア(全部ではない)のありかたは、オリパラの成果からも反省材料にはならなかったようです。  

 

 文豪ゲーテは人の最大の罪は”不機嫌”だと書き残したそうです。

 不機嫌はコロナと同じく伝染し、負の世論をつくるからです。

 幸福論のアランにこんな言葉があります。  

「楽天主義は意思の所産だが、厭世主義は自己を放棄した状態である」

  座右の銘としていますが、アランは不機嫌をストレートに”伝染”とし、それを目論む人をエゴイストと言っていると僕は解釈しています。

 

   ところで”自助、共助、公助”と対比する、申し上げるまでもない、ケネディの就任演説の有名な一説を記します。

   Ask not what your country can do for you: ask what you can do for your country.

 サミュエル スマイルズも       Heaven helps those who help themselves.

  アドラーは、  「人生の目標は公共体への貢献  自分が社会に役立っていると実感できる独特の幸福感・・・より多く得人から、より多く与える人になれ」と。             (一歩踏み出す勇気)

       与えるもののない人はいないそうです。  

  「優しい眼差しと笑顔」(無財の七施)  こちらも喜びが伝染していきます。

                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

”お探し物は図書室まで”今年の本屋大賞2位、「読む人の日常に温かく寄り添ってくれる」そんな感じの青山美智子さんの名作。

そこに紡がれた”縁”。 それぞれが積み重ねる日常が、自身も(当然他人も)気づかないなかで、それぞれの人生を選択していきます。

 

だから、ジョハリの窓の自分も他人も知らない 未知の窓。 そこに潜むキーワードも”縁”ではないかと、ボクは勝手に解釈しています。

 

4年前、それまで思いもしなかった野菜作りのワクワクチャレンジも、振り返れば必然という”縁”の賜でした。(前のブログ参照)

そこで「リタイアを控えた」と書いたボクでしたが、意外にもバリバリの現役です。

あの日のあの人との出会いがあったおかげで、仕事と従業員が一緒にやってきたのでした。

吾峠さんも集英社も”鬼滅の刃”がこんなにブレイクするとは予想されていなかったでしょうし、逆に人を殺めた人がいたとして、

まさか自分がそんな人生を送るなど,幼いころの当人は、予想だにしなかったでしょう。

   あの 未知の窓 の奥に隠された大切な要素の一つは”鏡の法則”。 野口嘉則さんの実話に基づいた感動的な本もあります。

   J、アレンのこの言葉も紹介します。 「私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。私たちをとりまく環境は、真の私たちを映し出す鏡にほかなりません」                                                              (原因と結果の法則)    

   未知の窓は、こうして、気づかれることもなく、いつも静かに開いているので

    しょう。

 

農業の話をします。 今も動機も夢も温めています。週末だけの農作業ですが全集中。 35℃の炎天下でOS-1とともに数時間。

汗でベタベタになった身体に、時々吹き抜ける風は、生かされている喜びを運んでくれます。

やっていることは、生ごみ、米ぬかなどを、光合成細菌をはじめとする微生物群(EM)の力で堆肥化した肥料に、炭などを加えた豊饒な土づくり。 

太陽と水と風。大自然の恵みを力いっぱい享けたヘルシーで瑞々しい作物が収穫できたら、みんなに田舎で暮らす意味もお示しすることができます。                                           ところで、

作物で4年間一貫して取り組んだのは、小玉スイカと、プリンスメロン。整枝、摘心、摘果など何もしないので作りすぎ、後半にできた物の味は薄まりましたが、

前半分で糖度計の示すスイカの数値は10~12、ビギナーとしては出来すぎでしょうか。

一方、昨年は,枝豆が肥料の与えすぎなのか、木は逞しく育ったにも拘わらずく実が膨らみませんでした。  

     失敗でも、負け惜しみでもなく、一つ教わったと捉えています。

     ”日本の植生”の著者 宮脇昭さんが、「条件が整いすぎるとその植物はうまく育たない」とか。人間も同じですね。

 

       以上がボクの微生物による土づくり農業のダイジェスト。 

                    もう一つの柱が鳥獣対策です。

   イノシシ もカラス も My Friends、ヒト もまた同じ生態系に包まれた One of Them として共存できるのかな?という期待です。

           EM農業のバイブルの一冊が”愛と微生物のすべて”。 そこに、こんな記述が著わされてれています。

  "野生動物は電磁気に量子的に対応しており、このバランスを整流する” ことにより、ヒモで囲った内側に侵入させないというもの。

 そのワケを知りたくて、この本以外の量子力学の本を6冊読みました。  (畑の写真については、既掲載のブログにあります)

 波と粒子の二面性、一つのモノが複数存在する状態の共存、コペンハーゲン解釈、       ヨーロッパこまどりやアサギマダラは、なぜ、かくも長旅ができるのか、等々。

 その時のそれなりの理解はしましたが 説明といわれても戸惑うばかりです。  

 昨年、電柱から引くロープを他人の土地を経ることから止めました。その後のケアが雑だったのか、スイカもメロンも、カナリを

小動物に提供することとなってしまいました。 でも、立て直したせいか今年は無事、収穫も終え、いまのところ だいじょうぶ。

 

”縁”の話しに戻ります。  平成16年、景勝地・香嵐渓と、のちに国の重伝建に指定される古い町並みとを合わせ、足助町の活性化の拠点を創りたいということで、蕎麦処として”塩の道づれ家”が誕生しました。2代続けて商工会長が社長を務めました。

施設が市の所有のため、使用契約を更新する時期となった一昨年、手続きを前にして社長が急逝されたため新たな申請者が必要で、私(ボクとは言えない)が社長になりました。      そこに私がいたからです。 

                          そして、あなたの人生も同じです。

     尚、ホームページも開設していますので、ゼヒ ご覧ください。

 

  農業は第6次産業として展開できれば 夢は大きく膨らみます。”塩の道づれ家”には、その可能性があります。

  でも、ボクは未だ 農業もレストランも、一丁目一番地。  

ですのでステキなコラボレーションのためにも、皆様には、カスタマーに止まらず フレンドリーなご発言も併せて、お越しをお待ち申し上げます。

 支柱を立て、ヒモで結び、ペットボトルを吊るした畑は、近くにあります。いつでもご案内します。私が近くに居る限りは!

 

 

 

 

 

 

 

初めて 全国書店フェアコンテスト に応募しました。

弱小書店のボクが 恥も顧みず応募した動機は”すぐ死ぬんだから”(内館牧子さん)の本が背中を押してくれたから。

下の囲みは リストアップした48冊を紹介するA4の用紙を四つ折りにして、その一面に書いた表紙です。

 テーマは 「ひと夏の経験」 から 「いい日旅立ち」 へ 山口百恵さんの歌のタイトルからです。

                                    

その選書の一冊は 中村哲さんの”天 共に在り”  そして、中村さんが座右に置いた 内村鑑三の“後世への最大遺物”。

 

中村さんが凶弾に斃れてのち、アフガンは  カカムラッド(中村のおじさん)を 名誉市民とし、壁画を描き、絵本まで出版し

讃え続けました。そのアフガンがアメリカ軍の撤退と共に、あっという間に崩壊しました。

アフガニスタンで築かれた 見せかけの自由と平和は、アフガンの、アフガン人による、アフガン人の国として、

良くも悪くも、体制を変え、起こるべくして樹立されました。 アフガニスタンの人びとはなぜ、米軍が駐留して20年という長きのなかで、自国のための自国民による民主国家を築こうとしなかったのか?

  ペシャワール会が活動を再開するそうです。この崇高なボランティア活動も30年以上経つそうです。

 なぜ、こちらも アフガンの人たちは できる限り自分たちの手で担おうとされないのでしょうか?

 

自国の 自由も平和 も与えられるものでも、存在するものでもなく、自立と信頼のもとに、築くもの。そして

築いた人々のものであることが如実となりました。

アメリカ軍の撤退は 敗北ではなく、20年の貢献を前提とすれば、当然のこととボクは思います。

 

永世中立国スイスは 多数の成年男子ガ 予備兵若しくは民兵 として有事に備えているそうです。

第二次大戦では了解なく自国の領空に侵入した飛行機に対し、連合国、枢軸国を問わず、そのため

多くの自国の飛行機に犠牲がでても、敢然と挑んだそうです。

 

今 我が国を想うとき、こんな数字に出会いました。 9条維持61%(’21 5/3 朝日)  前文と共に

平和憲法を掲げる 最も重要な条文だといわれます。たまたま読んだ”豆腐屋の四季”(’09 10/4初版)という本で

非武装中立という懐かしい言葉に出会いました。世界に平和憲法と戦力の不保持を宣言すれば日本の独立が保たれるのであれば、誰一人として第9条を改訂しようと思う人はいないでしょう。

だが丸腰は、初めから、自国の独立を他国の判断に委ねることになります。

南シナ海を実効支配している覇権国家が隣国に存在します。同じ論理で 例えば漢委奴国王の金印をタテに日本も我が国の属国だと迫ることだって あり得ます。

 

人間の歴史は争いの歴史でもあります。 何故繰り返すのか? それは”ヒト”の持つ”他者との比較”という

本質的な”性”の故ではないでしょうか? 比較が嫉妬を生じさせ 内に向かえばウツ。外に出れば憎むべき敵をつくります。 

それを克服するのが宗教のハズなのに、その心を学ばず形式(儀式)ばかりを踏襲し、宗教をタテに争いを繰り返しています。

 

であれば、自国を守るための力をつける、それが抑止力となり、初めて 平和 について語り合える 同じテーブルに着くことになります。

たとえ戦力に劣っても、その気概があれば戦力に勝る国軍を無力にしたことを、今回のタリバンは証明しました。 

朝日の調査による61%の人たちは、その自覚があって尚の9条維持でしょうか。

かつて会田雄二さんがこう述べています。 外国のお母さんは危機に直面したとき、子どもを後ろにまわし相手と対面

するが、日本の母親は、わが子を抱えて背中を相手に向ける。 平和憲法があるから平和だと信ずる61%の方々は、日本人同士なら通じるある種の優しさと甘え。

それは国際社会では、初めから自分たちの安全も自由も自ら築くことを怠った、

相手次第ということになりませんか。

  (あの慰安婦問題に対する河野談話も、もしや、この優しさが誤解された?)

 

ジョージ・オーウエル(英)はこう書き残しています。「平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の人々が彼らにかわって暴力を行使してくれるからである」

 

 経済も交易も、文化も芸術も、築かれた国家という基盤に立って 開花、結実していきます。

   であれば カカムラッドの人生の終焉も、祝福に包まれていたでしょう。

 

      ボクの母校 足助中学校の校訓は 奇しくも”自立”であります。