yO JAPANの天下獲り日記(シンガーソングライター) -1074ページ目

難しいこと

曲を人に聴かせることが時々難しいと感じる。

例えば、一般のお客さん達に喜んでもらえる曲を音楽関係者に聴かせるといいコメントがほとんど返ってこない。

作る側はお客さんに喜んで聴いてもらいたくて作ってるわけで、スタッフに褒めてもらうために曲作りをしているわけじゃないのです。でもスタッフに認めてもらえなければCDリリースは出来ない。うーん、厳しいなぁ。

その辺がいまいち理解できない今日この頃です。

方言

恐らく俺の話す訛り(方言)は地元に住む誰よりも強いのではないかと思う。もちろん実家の近所の年配の方々が話す言葉も悲しいくらいに完璧に理解できる。

だから昔から友達からは「土生の東北弁は最強だな」といつも言われていた。まぁ、全然嬉しくはなかったが自分でも納得はしていた。でもやはり郷に入れば郷に従えで東京に移ってからは標準語を話すように頑張ってきた。例えばテレビのアナウンサーの話を復唱したりイントネーションの確認を何回もしたりね。

おかげさまで今では東京人を騙せるくらいに上達してきたのではないかと自画自賛!

よく「東京生まれですか?」と聞かれることが増えてきました。(マジです!!)

でも気を抜くとアクセントを間違えたりするので、いつも気合を入れているのも事実です。

地元では標準語を話すとみんなに馬鹿にされるのでいつも東北弁だ。

前に仙台のラジオ番組に何回か出演した時に、後でオンエアを聞いたら恥ずかしいくらいに訛っていたのでビックリしました。それもあって今は喋りの練習もしているわけなのです。

昔から何故か俺は家でくつろぐのがキライだった。特に昼くらいから夕方までの時間帯はよほどの用事がない限り家にいるのが苦痛だった。

だから友達とかが休日にはずっと家に篭もっているという話を聞くとビックリしちゃいます。

俺の場合は仕事とか遊びに行って外出して、夜の9時くらいになるとようやく帰宅してもいいかなという気持ちになる。俺にとって家は寝る為だけにあるのかもしれない。

既に中学の頃から1日おきくらいに友達の家に泊まりに行ってたからその影響もあるかも。親も何も言わなかったし、完全に放任主義だったからその分自分にかかってくる責任も大きかったなと今になって思います。

今は自分の家がどこなのかが分からない状態です。毎朝、起きる時いったいどこにいるのかを一瞬考えます。毎日の寝る場所も定まっていない感じですね。

今は、、、、、あっ、、、、、宮城ですね。

話は変わりますが、最近「堕天使」という曲に対する感想とか反響のメールをたくさん頂いています。本当にありがたいことです。

この曲は俺には珍しくメロディが先にできて、歌詞をのせた曲なのでたまにはこういうのもアリかなって思っています。

まだ聴いた事がない人は俺のホームページ上から無料ダウンロードが出来ますのでmp3プレーヤーにでも入れて聴いてみて下さい!

CDに入っている曲は著作権上、アップ出来ませんが、そのほかの曲は今後もアップしていきますのでダウンロードしてね!

つねに

毎日の生活の中で常に作品の事を考えている自分がいる。

テレビを見ている時、街を歩いている時、シャワーの時、ご飯を食べている時、寝ている時、どんな時でもだ。

起きている時間の90%は曲作りの事をいつも考えている。これは学生のときから変わっていない。良い言葉がないかとかメロディーがないかとか正直疲れる時もあるけど、おそらくこれに関しては死ぬまで変わらないだろう。

ゼロの状態から1つの作品まで仕上げるのは本当に辛いがやめられない。作品が出来上がったらまた無意識に次の作品の事を考えるんだ。繰り返しだ。

昔、子供の頃、毎日会社に行って帰ってきて寝て、また次の日会社に行くという繰り返しをする大人になるのが嫌で自分を変えようとアメリカに渡った。

でも最近分かった事がある。

形は違えど繰り返す事が生きる事だ、と。

歌詞

知り合いから最近、俺の歌詞が以前よりも難解になってきたねと言われました。

そっかぁ。そうだよね。

頭の中にあるグチャグチャなものを文にしようとすると何故かそんな感じの作品になってしまう。それじゃいけないか。。。

前から出来るだけ具体的な表現は避けるように書いてきたのだけれど、それがいけなかったのでしょうか。そうっすね。

聴くのは俺じゃないですもんね。これからは俺特有の表現ばっかりじゃ駄目だなと理解しております。

今はメロディーよりも歌詞を書きためている最中です。何回も推敲を重ねて納得したらようやく曲を付けるのが俺のやり方です。