344)空海生誕地に程ない讃岐国府 | 峠を越えたい

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 コンサイス地名辞典に載る「府中」群のうち、今回「ふちゅう」は四国に渡ります。讃岐国府に行き着けるでしょうか。

 讃岐国の国府は高松の西方にあります。Google地図で「讃岐国府跡」を検索すると、

 JR讃岐府中駅前に正に存在し、東隣りの駅は国分駅(こくぶえき)、西へ3つ目が坂出駅です。『讃岐国』(Wiki.)の「国内の施設」>「国府」より、

 “国府阿野郡に存在した。現在の坂出市府中町( 北緯34度17分36.97秒 東経133度55分06.25秒)において、2012年度(平成24年度)に中心施設が見つかっている[4]。”

 さて、讃岐国国司(守・介・ジョウ・目)の長官である讃岐守に任官し、四国に渡った人物たちが『讃岐国』(Wiki.)に載っています。応天門の変(866)で有名な可哀想な伴善男(811~868)は失脚して伊豆国へ流罪となりました。大伴旅人(家持の父)の弟から4代後の子孫です(山川日本史小辞典)。菅原道真(845~903)も讃岐守になりました。後に道真を左遷させる藤原時平がこの時権守(ごんのかみ)として一緒に勤務していました。その他の聞き覚えある人物として、源高明、藤原兼通、藤原佐理、が名を連ねています。

 空海が讃岐国の生誕であることを忘れてはいけません。その地が讃岐国多度郡屏風浦だそうで(山川日本史小辞典)、多度津のあるところでしょう。伊能中図(『伊能図大全』、河出書房新社)を見ましょう。

 2ページに亘る地図なので右端が見づらいです。上下が逆で、下が北になります。多度郡と多度津があります。しかし坂出村の東側には一向に「府中村」が見つかりません。「綾歌郡府中村」とコンサイスで書かれていますが、阿野郡坂出町は、阿野郡と鵜足郡とが合併して綾歌郡が発足したことで綾歌郡坂出町となり、その後綾歌郡の数村が坂出町に吸収されて坂出市が成立し、更に「綾歌郡府中村」など数村も坂出市に編入されました(『坂出市』Wiki.)。伊能図はこの近辺の全ての村名は記していないのでしょうか。

 『創建1200年記念特別展 神護寺 空海と真言密教のはじまり』が東京国立博物館で始まりましたね。空海が写した(写させた?)と言われる両界曼荼羅(高雄曼荼羅、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅)が見られるかしら。滅茶苦茶込むでしょうが、ウィークデイなら少し増しでしょうか。

 崇徳上皇の配流地のことがコンサイス地名辞典に記されていました。この人も菅原道真と同じく怨霊伝説で有名ですが、「安元の大火」(1177年、鴨長明著『方丈記』所収)が祟りの内の一つらしいです。