335)新垂井線と垂井線に挟まれて美濃国府跡 | 峠を越えたい

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 話題は前回から続きます。『コンサイス地名辞典』(三省堂、1975)のあるページには「府中」が幾つも並びます。コピーは3つに分けます。

 昭和50年時点で、「府中」を継続している土地と改称した土地があります。「ふちゅう1」は岐阜県「垂井町」に変わりました。『コンサイス地名辞典』(三省堂、1975)の「たるい-ちょう 垂井町」では、

 “1954(昭29)9.1垂井町と宮代(みやしろ)・表佐(おさ)・府中(ふちゅう)・岩手4村および荒崎(あらさき)村の一部が合併。……東海道本線は地形の関係で上り駅が垂井、下り駅が新垂井に分離。中山道の旧宿場町。……美濃国分寺跡・南宮神社・竹中氏居城跡の史跡がある。………

 「府中村」が曾てありました。『垂井町』(Wiki.)では、

  “……美濃国国府趾、一宮などの所在地として有名であり、古代から美濃国の中心として栄えた。中世には中山道宿場町美濃路の分岐点、南宮大社門前町として栄えた。戦国時代に豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛所縁の地としても有名であり菩提山城跡やその一族の竹中氏陣屋などがある。………”。

 美濃国の国府所在地でした。Google地図を見ます。

 赤い点線で囲まれた範囲が旧・府中村です。JR垂井駅の直ぐ北側を中山道が東西に通っている、その北側で、東海道本線(新垂井線)線路のほぼ南一帯です。

 話は突然横道に逸れます。この辺りを走る東海道本線が2本に分かれているのが気になります。「垂井町」(コンサイス)に奇妙なことが書かれていました。“東海道本線は地形の関係で上り線が垂井、下り線が新垂井に分離”を手掛かりにします。2022年5月号『時刻表』(JTBパブリッシング)の路線図を。

 2本どころか、もう1本の美濃赤坂駅に至る盲腸線も加わっています。51年遡るともっと変です。1971年8月号『時刻表』(日本交通公社)より、

 

 大垣~関ヶ原間の二又路線が、昔はたすき掛け(八の字形)になっており、垂井駅と新垂井駅が見えます。盲腸線にも何故か東海道本線と路線名が付けられています。1971年の時刻表の中を見ます。下り方向及び上り方向です。

 東海道本線の下りが新垂井駅を通る線で、上りが垂井駅を通ります。下りなのに垂井駅を通る緩行列車が一つあります。2022年はどうでしょう。下りも上りも垂井駅と書いてあり、新垂井駅はありません。下りの時刻表を示します。

 太字は特急しらさぎ9号の時刻表ですが、縦2本線(∥)は“他の線区・区間を経由”の説明書きなので、以前新垂井駅のあった路線を通るのでしょう。そうすると、以前の下り専用路線(新垂井駅経由)は貨物列車の専用か何かで、旅客列車のほうは垂井駅経由の線路と言うことです。8の字路線が2又合流路線に変化したように見える状況はどう調べたら良いのでしょう。『新垂井駅』(Wiki.)に助けられました。まず新垂井駅廃止後の線路図です。

 旧下り線(茶色)は一旦撤去されて、下りが新垂井経由線(新垂井線、橙色)、上りが垂井線(緑)であったところ、再び旧下り線(茶色)が復活し、現在は貨物列車と特急列車が橙色路線を通っていると言うことで、推測が当たっていました。8の字表現線は正確さに少し足りません。

 何故迂回路(新垂井線)が設けられたかは恐らく大垣~関ヶ原間の勾配がきつかったからでは。同『新垂井駅』(Wiki.)より、

  “東海道本線には大垣駅 - 垂井駅 - 関ケ原駅間に最大25 (25/1000) の急勾配区間があるが、蒸気機関車時代にはそれを克服するため下り列車は大垣駅に一旦停車して補助機関車を連結する必要があり、牽引定数も限られた。太平洋戦争中の貨物列車の輸送力増強のため、下り列車専用の勾配緩和別線(最大10‰)を建設することとなり、その別線上に設けられたのが当駅である。この別線は垂井駅を通る下り線(通称:垂井線)と区別するため「新垂井線」と呼ぶことがある。そのため上り列車は設定されず、下り列車しか停車しなかった。…………”。

 東海道本線の盲腸線を忘れるところでした。『美濃赤坂線』(Wiki.)を見付けました。

 “美濃赤坂線(みのあかさかせん)は、岐阜県大垣市内にある大垣駅美濃赤坂駅を結ぶ、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の支線である

 「美濃赤坂線」は通称であり、ほかに「赤坂支線」と呼ばれることもある[1][2]”。

 石灰石や大理石の運搬目的に敷かれた路線で、今も石灰石を運んでいるようです。

 さて本論に戻ります。東海道本線(新垂井線)と中山道(又は東海道本線の垂井線)とに囲まれて存在した旧・府中村の位置しか判明していません。Google地図で検索すると、相川水辺公園の北で旧・府中町の南端近くに美濃国府跡が示されました。

 “美濃国府跡(みのこくふあと)は岐阜県不破郡垂井町府中に所在する官衙遺跡で、古代美濃国国府跡である。2006年(平成18年)に国の史跡に指定された[1]”。

 国衙跡が発掘されています。美濃国府は中山道垂井宿に、若しくはは垂井宿の少し北にありました。