333)「ふちゅう」と「しずおか」の繋がり | 峠を越えたい

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 江戸時代末まで「静岡」という地名は存在しませんでした。19世紀初め、文化文政時代の地図として『伊能図大全』(河出書房新社、2013)より、伊能中図を掲げます。

 この辺りの東海道五十三次は江戸から京都方向へ、興津宿~江尻宿~府中宿~鞠子宿(丸子宿)~岡部宿~藤枝宿~嶋田宿~金谷宿、と続きます。明治初めの地図がないので、明治23年の東海道本線時刻表を代用します。「明治23年1月1日改正東京新橋神戸間鉄道汽車発着時刻ならびに賃金表」の「鉄道線路略図」(三立社、恐らく日本交通公社発行時刻表復刻版付録)より、

 府中駅はなく、東海道の宿場名にない静岡駅が見えます。次に示すのは「府藩県対照表」(『岩波日本史辞典』、1999)です。

 駿府藩(駿河府中藩;府中藩)は暫し途絶えていたのが、明治元年に再設置されました(『駿府藩』Wiki.)。どうも「静岡」という名前の成立は廃藩置県(明治4年)前のようです。そこで『静岡県』(Wiki.)を当たります。その中の「県名の由来」より、

 “静岡という名称は、1869年から1871年まで存在した静岡藩に由来する。

「静岡」の名称の決定は版籍奉還に際して行われた。現在の静岡県庁周辺を指していた「府中」という名称が特定の地名を指しておらず紛らわしいこと[13]、読みが同じ「不忠」を想起させることを理由に明治政府から改名が要請された。それにより藩庁で改名について議論され、1868年府中藩が明治政府に「静岡」「静」「静城」の3つの案を上申し、明治政府が「静岡」を採用した[14]。この「シズオカ」という名称のうち「シズ」は賤機山に由来するとされており[13]、名称の決定に際して賤機山にちなんだ「賤ヶ丘」としていったんは決まったが藩学校頭取であった向山黄村の提案で、「賤」の字を「静」に改めたとされる。………”。

 「静岡」の使い始められた時と命名の由来が掴めました。賎機山に因んだ「賎ヶ丘」で一旦決定された際にも、学者の方々は検討メンバーの中にいたのでしょう。「賎」の字は敬遠されない可能性がありました。「ふちゅう」は明治政府より使用禁止のお達しがあった。「府中」は全国を眺めれば、幾つかありそうですから。それなら駿府県ではどうかというと、駿河の中心地を表わす語に県を付けるのは変ですか。駿河県では遠江国や伊豆国を含めることが出来ません。『静岡市』(Wiki.)を調べます。その「歴史」の項を。

 “1869年7月28日(明治2年6月20日) - 徳川家の象徴的都市であった「府中」(駿河国府中)という都市名が「(明治政府に対する)不忠」に通じることから、改名することとなった。当初は、駿府城近くの賤機山に因んで「賎ヶ丘」とすることとなったが、「賎」が「いやしい」「さげすむ」を意味するため、代わりに駿府学問所の向山黄村によって「静岡」と改名された。[48]

  …………

 ・1879年(明治12年)3月22日 - 郡区町村編制法により静岡は東海道より北が「安倍郡」、南が「有渡郡」に属する。なお、同法による「区」は設置されなかった。

…………

 ・1889年(明治22年)

 ・2月1日 - 東海道本線東京静岡間開通。/市街地火災により千百戸余りが焼失。

 ・4月1日 - 静岡(駿府)城下にあたる有渡郡静岡宿(概ね現在の葵区伝馬町)と74町および安倍郡の50町、ならびに有渡郡 南安東村の一部を統合し[注釈 5]市制を施行し、「静岡市」となる。面積4.36 km2、人口3万7,681人、戸数7,664戸。日本で最初に市制施行した31市の中のひとつである。

 ……………”。

 静岡市が出来たのは明治22年のことです。「しずおか」が創作された地名であることに少し違和感を覚えますが、事情があるので、部外者の批判は慎みます。「しずはた山」が見つかりました。国土地理院地図より。

 静岡駅の北北西で、安倍川の左岸方向に位置します。静岡駅の南東方向に目を向けると、静岡にあると言われる登呂遺跡の場所はここだと初めて知りました。弥生時代に陸地だったんですね、この辺りは。発見のきっかけはどうだったのか。『【登呂遺跡】弥生時代にタイムスリップできる歴史公園を紹介します』(ひろたかブログ)を読ませて貰いました

 “登呂遺跡は、戦時中の1943年に軍需工場を登呂地区に建設しようとした際に、偶然発見されました。

そして終戦後、本格的な調査が始まり4年近くに渡って考古学、地理学の専門家を中心に発掘作業を続けた結果、弥生時代の水田跡や住居跡、倉庫跡が次々と発見されて、当時の人々を驚かせました。”

 工場の建設をこの場所に選ばなければ、日本で発見された最初の水田跡も日の目を見なかったかも知れませんが、静岡駅から近いとなれば行く行くは掘り起こされた場所でしょうか。安倍川の氾濫で流失しないで良かった。