332)山梨県の不思議な地域分け | 峠を越えたい

峠を越えたい

戻るより未だ見ぬ向こうへ

 一つの県内で地域が幾つかに分けられ、そのそれぞれに謂れのある「…地方」と呼んだりするのは独特の印象があり、好ましいものです。山梨県(甲斐国)では「郡内」地方という名前が天気予報の際であったか、何の時であったか聞いたことがあります。或いは江戸時代にこの地域で百姓一揆があったとかで初めて耳にした名称であった気もします。『日本地図帳』(昭文社、2023)から引用します。

 山梨県内の東側ですね。青色白抜き字の語句は、地図帳の中で「通称名」と断わっています。「峡東」と「五湖」も載っています。では県の西側を掲げます。

 「国中」と記されており、更に「峡北」と、またこの地図の南方に「峡南」地方があります。「郡内」と「国中」の青色が大きく、残る「五湖」、「峡東」、「峡北」、「峡南」は小さめの青色と区別されているようです。『コンサイス地名辞典』(三省堂、1975)に見付けました。

 2つの項目がちょうど近くて良かったです。「ぐんない」は良いとして、「くんなか」と読むのが普通のようです。共に甲斐国を2分する古称と記されています。「国中」は更に2つに分けられているとのことです。「郡内」なる地名の由来について、『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「郡内 ぐんない」では、

 “……郡内の語源は戦国時代の都留郡領主小山田氏(おやまだうじ)が自郡の意味に郡内と書いたのがそのおこりといわれ、のちに甲州が9筋2領に分けられたとき、郡内領と正式によばれるようになった。……”。

 ここでは「9筋2領」が甲斐国全体を指すように受け取れますが、コンサイスでは「国中」が九筋二領に分けられたようです。上記「甲州」は小山田氏領を除いた範囲を言っているとしたら良いのでしょうか。『郡内』(Wiki.)では、

 “郡内地方(ぐんないちほう)は、山梨県都留郡一帯を指す地域呼称。御坂山地大菩薩嶺を境とした県東部地域で、北都留郡南都留郡にあたり、相模川水系・多摩川水系の流域と殆ど一致する。県西部地域を指す国中地方と対比され、山梨県の県域を形成する。気象庁による山梨県内の気象区分では、東部・富士五湖地方と呼ばれ、この呼称が用いられることも多い”。

 気象区分では「東部・富士五湖地方」と呼ばれており、天気予報で“郡内地方においては……”と聞いたことがあると話したのは勘違いでした。

 「峡東・北・南」は昇仙峡に関わるものだろうと思っていました。『コンサイス地名辞典』を引いてみます。

 もう一つ、「峡中」もあるんですね。4つ続けて並べます。

 

 「東・西・南・北・中」を全て調べておいて良かった、嘘つかずに済みました。「峡」(かい)=「甲斐」なんて思いも寄らない事実が現れました。しかし「峡」に「かい」などという読みは漢音<コウ(カフ)>にも呉音<ギョウ(ゲフ)>にも慣用音<キョウ(ケフ)>にもありません。ところがです、奇妙なことが国語辞典に書かれています。デジタル大辞泉より、

 “かい〔かひ〕【▽峡】

《動詞「か(交)う」の連用形「交い」から。交差するところの意》両側に山が迫っている所。山と山の間。山かい………”。

 更に『旺文社古語辞典』にも登場して貰います。

 “かひ(カイ)【峡】(名)

  山と山との間の狭い所。谷。‘岩にむす苔(こけ)ふみならす熊野の山のーある(=「甲斐ある」ニ掛ケル)行く末もがな’<新古今・神祇>”。

 『後鳥羽院:熊野の歌』(み熊野ねっと)の助けを借ります。

 “岩にむす苔ふみならすみ熊野の山のかひある行くすゑもがな

  (訳)岩に生えている苔を踏みならして熊野の山の峡を行く、それだけの甲斐のある将来であってほしい。
    「かひ」に「峡」と「甲斐」を掛ける。  (巻第十九 雑歌中 1907)

 承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇の歌に使われた掛詞(かひ:「峡」→「甲斐」)が紹介されていて、大変助かりました。“甲斐がある/甲斐がない”の「かい」は国名の「甲斐(国)」と漢字が一緒です。「峡西」の中に記されている“峡は「かい」で甲斐のこと”とは説明が簡潔過ぎますが、何とか分かりました。「かいの国(峡の国)」に対して同じ音の「甲斐国」なる漢字が使われるようになったのでしょう。普通「かい」とは読まない「峡」が地域分割に使われて、例えば「峡東(きょうとう)」となりました。どうも甲斐国と言ったら山梨県から郡内地方を除くようですが、何だか変ですね。

 「かい(甲斐)のくに」の語源について書かれている所がありました。『山梨の呼び方』(山梨県立図書館のサイト)より、

山梨の呼び方

山 梨

県名は『和名抄』の「山梨郡」から。
果実の「ヤマナシ」がとれる土地だったという説、盆地内は山が無い地形だっ たことからくる名という説などがある。

甲 斐

山峡、峡谷の「峡(かい)」からついた名称という説がある。

甲斐国史     甲斐叢記     甲斐国絵図

甲 州

甲斐の国の別称。「州」は国の意味。

甲州道中膝栗毛     甲州生糸商標

甲 陽

甲斐の国の漢学風の名称。「陽」は「州」と同じ使われ方をされる。

甲陽軍鑑

 この表には峡中、峡東、峡西、峡南、峡北、国中、郡内についても載っています。こういう説があると、それ程積極的ではないようで、別の説もあります。峡谷の多い地域であることが由来ならば、昇仙峡を一番意識したかどうかは別にして、「峡」が使われた源の一つであると言えないこともありません。大体は昇仙峡(甲府盆地のほぼ真北)に対しての東西南北に当てはまってもいます。

 後鳥羽上皇が自分の詠んだ歌で、「峡」と「甲斐」(「かひ」)を掛けたことが大本になって、後の世の人がそれに因み、峡谷の多いこの地を「かひの国」と名付けたという経緯ならば素敵ですね。でも「甲斐」の名はそのずっと前からあるようです。