324)丹波市町から「やまのべ」市に | 峠を越えたい

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 「山辺の道」を北から南へ辿る時、石上神宮境内の西側に沿った道が始まりです。この神宮を目指してとある駅に降り立って凡そ東方向に歩いている際、宗教関係の建物がそこかしこに林立していて、幾分異様な印象を抱いたのは何十年前のことか。かなり都会的な大きな町です。恐らくJRでなく近鉄のほうで、京都発の直通の急行だか特急だかであった記憶は正しいのかどうか。山辺の道が目当てで下車した駅とは天理駅です。その天理駅の変遷を調べます。JRにとっては丹波市駅が天理駅の初代の名前です。

 駅名の変わる前の時刻表として、1925年4月号『汽車時間表』(日本旅行文化協会)の「大坂附近線路略図」の一部より、

 奈良駅~桜井駅間に「丹波市駅」があります。直ぐ西隣りに大阪電気軌道線(後の近鉄)の天理駅が見えます。その大阪電気軌道線の時刻表のページでは「平端―天理(丹波市)」と記載されています。「たんばいち駅」の「市」はまさしく「いち」で現在使われている「足利市駅」、「川越市駅」などとは違い、「武蔵五日市駅」の「いち」です。

 100年以上遡って、『伊能図大全』(伊能中図、河出書房新社)を当てにします。

 「奈良」の南(右側)、紙面の右端に「丹波市村」です。図に見える村名の内、蔵之庄町、森本町、楢町、櫟本町、田部町、田町などが現代の地図で確かめられます。1967年の時刻表の路線図を掲げます。1961年の時刻表では未だ「丹波市」駅でした。

 「天理」駅に改称されています。「丹波市」が「天理」に変わったのはそんなに古くありません。『てんり 天理』(コンサイス地名辞典、三省堂、1975)を読みます。

 この辞典は駅名が既に変わった後の発行です。丹波市町などいくつかの町村が合併して天理市の誕生したのは1954年で、この時初めて「天理」という地名が出来ました。(JRの)駅名が「天理」になったのは1960年代のようです。時間差がありますが、駅名が市制の敷かれた町の名前に改称されるのは必然でしょうか。それを思わせる改名が間にもう一回あったのです。『消えた駅名』(今尾恵介、東京堂出版、2004)内の「丹波市」を引用させて貰います。

 ちょうど1ページに収まっている文章の上半分をコピーしました。改名当初の「天理市駅」の時代が2年間あったことは何だか納得できる気がします。町村が「し(市)」に昇格したことと元々の駅名に「いち(市)」が付いていた事の両方が関わっているようで面白いです。上記文の続きを抜粋します。

 “………1965年(昭40)には国鉄天理市駅付近の路線変更が行なわれている。これにより桜井線の線路は西へ最大170メートルほど移設され、駅の位置は停車場中心で約300メートル北西側移転、………。その際に国鉄(天理市駅)と近鉄(天理)の駅を統合して設けられたのが現在の天理駅だ。従来の天理駅と区別するため「天理総合駅」と改称され、これは現在も使われている。……”。

 離れていた駅が一緒になるに当たって「市」が取れたことは、「丹波市駅」をワンクッション置いて、「市」を無しにしたというよりも、別駅である「天理市駅」が近鉄の「天理駅」と合体すれば「市」が取れるのは必然です。

 何故歴史のある地名を変えてしまうのか、不満がありましたが、経緯が分かって少し落着いたと言っても、幾町村も集まって天理市になってしまったのは問題です。それ程大きな団体になっていたのでしょうが、やはり宗教名を都市名にするのは反対です。堺、平野、博多などの自由都市の雰囲気を感じますが、勿論自治はしていないでしょう。『天理市』(Wiki.)の「市名の由来」の中にこうあります。

 “かつて、天理市民ではない天理教信徒が天理市の市名を、山辺郡をそのまま市名にした「山辺市」に変更するよう求めて天理市長を訴えたが、この訴えは却下された[6]”。

 賛成ですね。「山辺(やまべorやまのべ)市」にしましょう。「山辺(やまのべ)の道」は全国に知れ渡っています。石上神宮や箸墓古墳があります。しかしこの訴えが信徒の中から発せられたのはどう理解しましょうか。。

 「丹波市」という地名の由来が知りたいです。『丹波市町』(Wiki.)の「町名の由来」より、

 “1893年(明治26年)、山辺村から丹波市町に改称。丹波市は山辺村の大字である「丹市」(旧丹波市村)にちなむ。古くは単に丹波と呼ばれ、その名の由来は「旧事紀」天孫本紀に物部布都久留の三男「物部多波連公(もののべのたはのむらじのきみ)」という人物が見られ、その住居があったことから(大和志料上)、あるいは丹波国から市神であるエビス神を勧請(現在の市座神社)したことにちなむともいう[1]。中世以降、市場の発展により丹波市(たんばいち)と呼ばれるようになった”。

 兵庫県丹波市の発足が2004年、丹波市町の消滅は1954年なので、同じ地名は全く被っていません。