322)相模国と伊豆国に跨がる温泉 | 峠を越えたい

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 湯河原町は神奈川県足柄下郡に属するのにかかわらず、湯河原温泉の所在は神奈川県だけではないんです。昔々ここの温泉宿、翠明館に泊まったことがあります。記憶は朧気ですが、湯河原温泉旅館・土産物屋街の道を通り、途中で左に折れながら渡った川に沿い、鬱蒼とっした木々に囲まれた中を登った車が宿に着きました。旅館の中が清潔で綺麗であったことは覚えているものの、食事とか風呂の様子は皆目記憶にありません。満足した印象だけが残っています。

 突然『時刻表』(1971年8月号、日本交通公社)を広げるのは、「日本観光旅館連盟会員旅館・日本交通公社協定旅館一覧表」を眺めるためです。神奈川県の欄には当然「湯河原温泉」の項目があり、4,50ほどの旅館名が載っています。しかしよくよく目を凝らしても、私の泊まった旅館がありません。ところが静岡県のところにも「湯河原温泉」旅館が20軒弱出ています、いや間違い、「温」が抜けて「湯河原泉」。印刷間違いか、或は「泉」なる地域があるんでしょうか。

 「翠明館」は確かにあります。上記の渡った橋が怪しい。そこで大好きな地図を開きます。Mapionから、

 この地図だけで大体分かります。静岡県との県境を成す千歳川を南へ渡ると「泉」地区なんです。湯河原温泉内の「泉」とは面白い。それでいて「熱海市泉」です。『コンサイス地名辞典』が丁寧に説明してくれます。それの「ゆがわら 湯河原」>「―温泉」より、

 凡そ理解出来ましたが、湯河原温泉に泊まりたくて事情を知らない人は、宿泊予約を神奈川県の湯河原温泉ばかりで、熱海市の湯河原温泉にしてくれません。都道府県別にまとまっている旅館表であれば仕方ないですが。

 翠明館のホームページに行き当たりません。「湯河原温泉翠明館のホームページ」と入力しても、「山中温泉ではない湯河原温泉の翠明館」にしても、一向に現れません。若しかしたら若しかするかも。真であれば残念です。

 さて、湯河原温泉を2つに分けるように神奈川と静岡の県境が通っているという不思議な状況ですが、この境目の千歳川が元々相模・伊豆国境なんです。『旧国名で見る日本地図帳』(平凡社)より、

 『伊能中図』(伊能図大全、河出書房新社)もおまけです。

 「河」でなく「湯ヶ原」と書かれています。箱根峠が相模と伊豆の国境です。湯河原温泉は元々「土肥の湯」(どひのゆ)と言われたようです。源頼朝の御家人、土肥氏がこの辺りを治めていました。伊豆の土肥温泉と漢字は一緒です。

 「天野屋」という大きくて古めかしい宿に湯河原温泉で泊まったこともあります。確か建物は有形文化財に指定されていましたが、残念なことに閉じてしまいました。『廃墟検索地図』から引用します。

 “天野屋旅館は神奈川県足柄下郡湯河原町の旅館。

1877年に創業。伊藤博文などの著名人が定宿としたほか、夏目漱石の小説「明暗」の中に登場するなど、湯河原を代表する老舗旅館だった。

 各地の銘木を多用された歴史的に価値のある建築で、国登録有形文化財に指定されていた。

「交通公社のエースガイド伊豆・箱根・富士」(日本交通公社、1987年)には「味と真心サービス主眼」「貼るの筍・夏の鮎・冬の山菜開運鍋が自慢」「3階、66室」と紹介されている。

2005年4月に閉館し、建物のほとんどは2008年より解体された。………”。

 老舗旅館が立ちゆかなくなって閉じてしまうのは寂しいです。箱根宮ノ下温泉には奈良屋が曾てありました。湯ヶ島温泉の落合楼は再開して続いていますが、宿泊を考えるには宿代が高くて躊躇します。『明暗』にはどんな風に天野屋は出て来たんでしょう。未完の著作でしかも漱石作品中最長であるからには、更に最長を更新しつづける予定だったのでしょう。もっと長生きして欲しい漱石でした。「天野屋」が中に現れる期待を原動力にして大作を読んでみますか。