318)日光道中旅案内 | 峠を越えたい

峠を越えたい

戻るより未だ見ぬ向こうへ

 日光道中には何宿あるんでしょう。東海道五十三次と言われ、中山道は六十九の宿場があるそうですが、東海道と重複する草津宿と大津宿を除くと中山道六十七次となります。

 「足立区立郷土博物館収蔵資料データベース」の『日光道中』(歌川広重)の解説にはこう書かれています。

 “32枚(2枚1組)からなる小型の浮世絵で、旅行案内または土産用に刊行されたものです。千住から鉢石までの21宿に日本橋、野沢(宇都宮宿と徳次郎宿の間にあった立場=人足などの休息所)を加えた日光道中23枚、神橋から御宮までの日光山9枚に分けられています”。

 21宿は千住、草加、越ヶ谷、粕壁、杉戸、幸手、栗橋、中田、古河、野木、間々田、小山、新田、小金井、石橋、雀宮、宇都宮、徳次郎、大沢、今市、鉢石です。この32枚の浮世絵の内、目に留った浮世絵を上のデータベースからピックアップします。日光道中(奥州道中)における重要な関所に関わって、栗橋宿と中田宿は既に調べました。

 「春日部」を江戸時代は「粕壁」と書きました。地名の漢字は簡単に変えられたりします。左上部「かべ」の漢字は「壁」の「くずし字」です。『粕壁宿』(Wiki.)に目を通しておいて良かった。新田義貞の家臣、春日部氏の領していた土地だったそうで、元禄時代から「粕壁」が使われ始めました。「糟壁」、「糟ヶ辺」、「糟壁」とも書かれたそうです。1899年「粕壁駅」として出発した東武線の駅名は1949年に「春日部駅」となりました(『春日部駅』Wiki.)。いつ「春日部」になったか、やっと分かりました。『春日部市』(Wiki.)によると、1944年4月1日に南埼玉郡粕壁町と同郡内牧村が町村合併して春日部町となりました。でも今も「春日部市粕壁」という地名があります。次の宿場名は聞き慣れない。

 「新田」の右横の2字は何と読めるでしょう。

 “新田宿(しんでんしゅく、しんでんじゅく)は、江戸時代日光街道(日光道中)に設けられた下野国宿場日光街道江戸日本橋から数えて13番目の宿場である。現在は栃木県小山市羽川に相当する。

    概要[編集]

 宿駅としての起源はよく分かっていない。別称は芋柄新田(いもがらしんでん)、大町新田(おおまちしんでん)。現在は栃木県小山市羽川に相当する。 宿駅の管理は、当初は小山藩元和5年(1619年)以降は宇都宮藩、元和8年1622年以降は古河藩貞享2年(1685年)以降は幕府が担った。”

 今は跡形も無いのでしょうか。発掘はされているのか。「新田」の右側2字は何と書かれているかというと、別称2つのヒントから「芋柄新田」と分かります。宿場のあった場所は分かっていて、詳細が掴めないのは面白そうです。

 奥州道中(日光道中)宇都宮追分で左に折れ、単独の日光道中に入って直ぐ、絵の中では「徳二良」と書かれているようですが、現在も地名に残る「徳次郎」は「とくじら」とも地元では呼ばれていて、「徳二良」は正にこの読みが出来そうです。遠くの台形を成す山は男体山でしょうか。次は「鉢石」宿。

 聞き慣れない名前ですが、日光の町中でこの名前を見かけたような。『鉢石宿』(Wiki.)より、

 “鉢石宿は江戸時代下野国都賀郡にあった宿場町である。もともと鉢石村という村落があったが、元和3年(1617年)に徳川家康日光山に祀り日光参詣が盛んとなると日光東照宮門前町として大いに栄えた。現在のJR日光駅の辺りに鉢石宿の木戸があった。当時、入江本陣は御幸町、高野本陣は中鉢石町にあり、参詣者は本陣に投宿して東照宮を参詣した[1]

 鉢石町という名前が今に残っています。次は、「うらみのたき」と記すと恐ろしいですが、「裏見の滝」です。

 「日光道中」の浮世絵集に名所として載るくらいだから、人気のある滝だったのでしょう。確か芭蕉が一句詠んだとか。明治の後半に岩盤が崩れ滝の裏側へはいけなくなったことを聞いているので訪ねていませんが、一度行きたいです。「裏見の滝」バス停下車で良いでしょう。

 男体山と並んで女峰山も描かれていますが、漢字は「如宝山」で、どっちが元々の用字か分かりませんが、余り自由に字を変えてしまうのも考えものです。

 日光道中二十一宿は殆どの名前が鉄道駅名として今にあります。JR宇都宮線として、栗橋、古河、野木、間々田、小山、小金井、石橋、雀宮、宇都宮、東武線として、草加、越ヶ谷、粕壁(春日部)、旧・杉戸(東武動物公園)、幸手、栗橋、新古河、(東武)宇都宮、今市(下今市)、JR日光線として下野大沢(大沢)、今市。千住は北千住駅として東武もJRもあります。鉢石宿≒東武、JR日光と考えて、鉄道駅名として名前が残っていないのは中田宿、新田宿、徳次郎宿です。

 最後に地図を載せたいところ、日光道中21宿の名前は殆ど駅名で確かめられるので、路線図を考えました。『汽車時間表』(1934年12月号、日本旅行協会)から。

 先ず千住(北千住)から東武日光線を辿り、栗橋からJR宇都宮線に移り、宇都宮からJR日光線へと進路を北東に取ると日光道中の凡その道筋になるでしょう。