315)真ん中を旧国境線が通る市 | 峠を越えたい

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 福岡県北部の地図を掲げます。北九州市は門司区、若松区、戸畑区、小倉区、八幡区の5区で発足しましたが、現在は小倉北区、小倉南区、八幡東区、八幡西区という分割があって、7区になっています。その北九州市の真ん中を旧・国ざかいが通っている話は『ブラタモリ』で以前知りました。ということは筑前国の北東一部と豊前国の北西一部が合体して一つの市になるという画期的な出来事です。

 1950年発行の『中学校社会科地図帳』(帝国書院、165円)なので、東京オリンピック1年前の5市合併時よりも10年以上前の地図です。八幡市と小倉市を分けて、直方市の東を通る1点鎖線が筑前国と豊前国の境界です。もう少し広い範囲を示します。

 1点鎖線は南に進み、英彦山(ひこさん)の西で福岡県と大分県の県境を横切ってから東に辿り、「高田」辺りで周防灘に達します。ここは「豊後高田市」と言いますからね。福沢諭吉は豊前中津藩出身です。小倉十五万石はやはり豊前小倉藩です。「筑豊炭田」は炭田地帯が筑前国と豊前国に跨がっていたからです。福岡藩(黒田藩)は筑前藩とも呼ばれます。

ここで旧・国名の地図は『小学校総復習 社会科地図帳』(帝国書院、2021)より、

 駅名で旧国名を当たってみます。日豊線では豊前松江、中津、豊前善光寺、豊前長洲、宇佐(豊後高田に一番近い)、豊後豊岡などの駅が続きます。日田彦山線(城野~夜明)を南に走ると、豊前川崎駅は地図上に「川崎」があります。更に南で豊前桝田駅も見えます。更に7駅目ほどで筑前岩屋駅。豊前国の凡その領域が掴めます。

 序でに筑前国と筑後国との境目も知りたいのですが、この境界は1点鎖線で表わされていません。福岡と佐賀の県境(筑前と肥前の国境)が東に延びてきて、やや南にカーブしていく辺りは、東西に流れる筑後川が久大本線の直ぐ北に並行しています。多分筑前と筑後の境はこの川でしょう。駅名を眺めると、久大本線の夜明~久留米間では筑後吉井駅(地図では「吉井」)、筑後草野駅などがあります。筑豊本線の飯塚~原田(鳥栖の5つ北の駅)間では、筑前内野駅があります。そこで『筑後川』(Wiki.)を開きました。その中の「交通」の所です

 “筑後川は明治以前筑前国筑後国肥前国豊後国の境界をなしており、軍事上の要衝として活用されていた。このため江戸時代はを架けることが厳禁とされ、代用交通として水運が発達(後述)し昭和後期まで利用されていた“。

 境目は筑後川で良かったようです。1番目と2番目の写真と同じものですが、県境を考えた地図です。

 1点鎖線の英彦山~豊後高田間は県境がずっと北ですが、それ以外の大分、熊本、福岡、佐賀の県境を表わす赤い線の上には1点鎖線が重なっています。だから旧国境と県境がこの区間は一緒です。

 以前、福岡県が有明海にも面しているのを知って少し違和感がりましたが、筑後国が福岡県に属すると覚えていれば良いわけです。博多駅を出た鹿児島本線は福岡県から佐賀県に入ると直ぐ福岡県に戻り、熊本県に南下します。

 ところで何故5つの市は合併しようという構想を実現させたのでしょう。北九州地域の隣同士が工業地帯として発展して来て、結びつきが強くなっていたのでしょうか。それと九州一の人口を有する市になりたいという心もあったのでは。市の名前を決めるのにさぞ難渋したことでしょう。例えば「小倉市」や「八幡市」が候補に挙がりそうもない。5つの市名を折衷したような名前も考えようがない。『北九州市』(Wiki.)に命名の経緯が詳しいです。公募したところ、2位の「北九州市」の倍近く「西京市」が票を集めたとのこと。でも後者が選ばれる事のない予想はつきます。