303)大川の水 | 峠を越えたい

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 江戸時代には、隅田川には幾つ橋が架かっていたか、その最初の橋はどれか、など白鬚橋ついでに気になるところを調べてみます。Wikipediaとかを当たればすぐ分かって仕舞い、つまらないので古い地図を頼りに探ると楽しいです。『分間江戸大絵図』(1764年、早稲田図書館古典籍より)は江戸時代半ば少し後の地図です。

 名前が判読できますね。上流から両国橋、新大橋、永代橋。遡って、浅草辺りには未だ橋はないようです。100年弱経って『分間江戸大絵図』(1862年、早稲田図書館古典籍)では、

 こっちは字が分かりません。橋は4つあります。浅草寺と「水戸殿」を結ぶ線の僅か下流に1本橋が増えています。明治になって、明治26年の『東京名所案内』(1893年、早稲田図書館古典籍)より、

 

 アツマバシ、ムマヤバシ(?)、両ゴクバシ、シン大ハシ、永代バシと読めます。31年経って一つ増え、5つです。明治時代後半以降の地図は国土地理院地図で探せそうでしたが、サイトを開いたもののマニュアルが難しく困っていたところ、『今昔マップon the web:時系列地形図閲覧サイト』(埼玉大学教育学部 谷謙二氏)に出会い、助けて貰うことにしました。左右に分れて左に旧地図、右に現在地図を表示し、明治後半から21世紀初頭に掛けて年代が8つに分けられて、それぞれ鮮明な地図で見ることが出来ます。先ず地図をじっと見て、8つの時期に於いて初出した橋を抜き出します。

 <1917~1924>白髭橋、相生橋、<1927~1939>言問橋、駒形橋、蔵前橋、清洲橋、<1944~1954>勝鬨橋、<1965~1968>佃大橋、春海橋、<1992~1995>桜橋

  *「<1896~1909>吾妻橋、厩橋、両国橋、新大橋、永代橋、相生橋」を取り残してしまいました。

 その中で、一つ地図を借ります。

 永代橋の下流で佃島によって隅田川が二股になった西側の流れには佃島の渡し、月島の渡し、勝鬨橋と続きます。勝鬨橋はカチドキノ渡しが以前存在した所です。

 さて昭和50年の時点で橋は幾つ架かっているか。『コンサイス地名辞典―日本編―』(三省堂、1975)の「すみだ 隅田」の項の「―川」(隅田川)より、

 桜橋はこの辞典発行のあとに出来ました。現在隅田川に架かる橋で、私の話から漏れているものはないでしょうか。

 明治・大正時代の水泳場に関しては、水練場とか称して水泳を教わったようなことを父から聞いた記憶があります。日本泳法を習ったんでしょう。「抜手を切る」などど言いますね。私は中学1年次夏の水泳学校で水府流太田派を教わりました。

 さて最初に完成した橋は?ここらでWikipediaに頼ります。『隅田川橋梁群』(Wiki.)の「歴史」より、

 “・1594年(文禄3年)、関東郡代伊奈忠次千住大橋を架橋する。

・1661年(寛文元年)、明暦の大火を受けて江戸幕府は両国橋を架橋する。

・元禄年間、江戸幕府は新大橋永代橋を架橋する。

・1774年(安永3年)町方により吾妻橋が架橋される。”

 「千住大橋」も隅田川に架かる橋としていますね。鐘淵の屈曲部から下流を隅田川だとすれば千住大橋は含まれません。『TOKYOイチオシナビ』(東京都産業労働局)、「地域資源紹介記事」の「隅田川に架かる橋」にはこんな事が記されています。

 “隅田川には現在、千住大橋から勝鬨(かちどき)橋までの間に全部で16の橋が架かっています。しかし江戸時代は、幕府は防御上の理由で隅田川にわずか5カ所の橋しか作ることを許可しませんでした。「千住大橋」は、1594(文禄3)年に架橋された隅田川の最初の橋です。千住大橋は松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の始まりの句を詠んだ場所で、橋のたもとには記念碑が建っています。”

 1764年の地図で4つの橋が見えましたが、千住大橋を入れれば5つで勘定が合います。江戸幕府はこの5つしか橋を架けませんでした。

 さて「勝鬨の渡し」の時代を経て「勝鬨橋」が造られました。名前の由来は戦勝記念(日露戦争での旅順陥落)なんだそうです。橋が跳ね上がって開いたのを見たことあるんだか、それとも映画か何かで見かけたのか。

 赤穂浪士達が本所松坂町吉良邸より歩いて渡った橋は永代橋です。1702年(元禄15年)のことで、永代橋が1698年(元禄11年)に建設された4年後です(Wiki.)。両国橋か新大橋か永代橋のどれかを渡ることになりますが。伊能忠敬は自宅から幕府の浅草天文台に通う頃には吾妻橋も架かっています。『さぶ』(山本周五郎、新潮文庫)の冒頭を引用します。

 “小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。………―彼が橋を渡りきったとき、うしろから栄二が追って来た。”

 『氵墨東綺譚』(永井荷風)の中には場所柄もあり、言問橋、吾妻橋、白髯橋、駒形橋 が現れます。付け足しで、亀戸が「亀井戸」と記されています。江戸時代の地図にも「亀戸」村なのに、荷風自身が「井」の無いのに違和感を覚えたのでしょうか。

 『大川の水』(芥川龍之介)を勧めます。隅田川(大川)に架かる橋がもっと出て来ます。『氵墨東綺譚』も『大川の水』も青空文庫で読めます。