297)塩原温泉を目指すには先ず宇都宮線 | 峠を越えたい

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 1988年の時刻表にその路線名はありませんが、1993年にはその名が使われています。いつ頃から「宇都宮線」と呼ぶようになったのでしょう。宇都宮線は宇都宮駅までではないと知りました。黒磯駅までのようです。2022年5月号『JTB時刻表』(JTBパブリッシング)より、

 使われ始めてから30年余りは経つようですが「(愛称)宇都宮線」と、控えめです。「高崎線」はずっと古い呼び名ですが、堂々と名乗っています。宇都宮線の起点と終点を調べます。

 “宇都宮線(うつのみやせん)は、東京都千代田区東京駅から埼玉県さいたま市大宮区大宮駅栃木県宇都宮市宇都宮駅を経由して同県那須塩原市黒磯駅までを結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する東北本線列車運行系統の愛称である[注 3]

 「宇都宮線」の愛称が設定されたのは1990年平成2年)3月10日[2]、それまで「東北線」と案内されていた区間を中心とした区間を走行し、東京駅 - 日暮里駅(通過)間と赤羽駅 - 黒磯駅間は東北本線を、日暮里駅 - 尾久駅 - 赤羽駅間は東北本線尾久支線を経由する。駅ナンバリングで使われる路線記号はJU(東京駅 - 大宮駅間)。”

 東京駅~黒磯駅間ということは東京駅から大宮駅までは高崎線と呼び名が重複します。でもこちらは「愛称」以上ではなさそうです。宇都宮線に東京方面から乗ると黒磯駅まで直通する電車はないです。宇都宮駅から出る緩行は黒磯駅止まりでしょう。宇都宮~黒磯が何だか寂しそうです。

 その寂しげな区間の駅の一つで下車しました。小学校の林間学校では上野発黒磯行きであったか、3時間半も揺られて降りて那須温泉へ担任先生の引率で行きました。当時の駅の並びは西那須野、東那須野、黒磯であり、西那須野駅からは塩原温泉へ、那須温泉の下車駅は黒磯駅です。真ん中の駅はひっそりとしていたかどうかは分かりませんが、今や2階建て(3階建て?)の立派な駅舎と姿が変わり、新幹線が停まり、両温泉行きのバスが始発します。名前も相応しい那須塩原駅で下車して、今回は塩原温泉へ向かいました。

 

 ちょうど昼飯時で、西口を降りて左に見えたレストラン(2階にある)に入り、視界の良い窓寄りの席に座ることが出来ました。那須塩原駅と雲一つない青空を眺めながら食事をしました。勿論生ビールも美味しさのお供です。この大写しの写真では判然としない、右から2本目の柱の広告が目に止まりました。

 「那須塩原市は生乳生産(日)本一のまち」と読んで、レストランの係の女性に聞きました。“柱の垂れ幕に記されている「日本一」は本当ですか、北海道がありますよね”。“勿論です。「本州一」なんですよ”。最上部に「日」がある積もりになり、「本」と「一」の間に1文字ある積もりを忘れていました。2階からであることと、この距離がちょうど「州」を隠してしまいました。食後、別の場所からしつこく確認しました。

 『那須塩原市』(Wiki.)を読んでみます。「経済」内「酪農」のところです。

 “那須野が原扇状地の扇頂部分近辺に多くの牧場がある。生乳の生産が北海道に次いで多い栃木県の主生産地となっている。その生産量は本州の市町村で第1位、全国的にも北海道の別海町中標津町標茶町に次いで第4位となっている。

畜産生産額も多く、本州では群馬県前橋市に次いで第2位、全国では第8位である。乳牛農家数は、本州第1位、全国第2位である。乳牛頭数は、全国第4位で、本州第1位である。”

 観光客の沢山押し寄せる千本松牧場とか南が丘牧場とかがありますね。

 山に接するように建っている塩原温泉のI屋旅館は源泉が全て建物の直ぐ傍から噴出しているのが自慢です。川岸からは少し離れた岩の中から出ているのがその中の一つであるとのことです。源泉からパイプを延ばして来た引き湯ではないのです。洞窟風呂、露天風呂、大浴場と3つを堪能しました。「美肌美人の湯」と銘打った湯に浸かっても、男には関係ありません。食事も勿論美味です。部屋の入り口ですが、引き戸の格子戸(和紙の貼られていない障子様)をがらっと開けると玄関風のこじんまりしたスペースが設けられ、更にドアを開けて部屋に入るという昔の旅館ながらの造りが大変気に入りました。さて旅館周辺の土産物屋は開いている店が限られているようでした。古き良き昔にはスマートボール場、矢場、射的場などが並んでいたはずです。