296)北へ南へと延伸した京浜線 | 峠を越えたい

峠を越えたい

戻るより未だ見ぬ向こうへ

 「京濱線」と呼ばれていたことのある京浜東北線の歴史を辿ってみようと思います。先ず

は神田駅と上野駅の繋がっていない遠い昔の大正時代末で、1925年4月号『汽車時間表』(日本旅行文化協会)から、

 東海道本線(東京~横濱~沼津~静岡~………~神戸)に対して東京~横濱~桜木町間も東海道本線と名乗っています。当時の円環を成していない山手線と現在の京浜東北線部分はどのように列車が走り、路線名がどうなっているかというと、東京~新橋~品川~渋谷~新宿~池袋~駒込~田端~上野と辿る列車では、東海道本線(東京~品川)+山手線(品川~田端)+東北本線(田端~上野)であり、池袋~板橋~十條~赤羽間の列車もあり、これは山手線に含まれています。7年下った1930年10月号『汽車時間表』(日本旅行協会)では東京―神田―秋葉原―御徒町―上野が既に繋がっていてます。その時刻表を。

 

 赤羽~田端~上野~東京~品川~川崎~横濱~桜木町間が京濱線とされています。「品川・新宿・池袋・上野・東京・品川間(山手線循環)」、「池袋・赤羽間(赤羽線)」と時刻表に載っています。この後、運転区間は大宮~赤羽~東京~横濱~桜木町に伸びて、「大宮・東京・桜木町間(東北・京浜線)」との記載が1934年、1940年、1942年、1944年、1950年、1956年(日本旅行協会、日本交通公社)と続きます。1967年10月号『時刻表』では、この路線が桜木町駅より先に延伸されていて、下記の表記が見えます。

 

 桜木町~根岸~磯子まで延びた路線は「京浜東北線・根岸線」と書かれています。「東北・京浜」が「京浜東北」とひっくり返っています。根岸線は桜木町~磯子間でしょうか。そこで『根岸線』(Wiki.)を開きます。

 “根岸線(ねぎしせん)は、神奈川県横浜市西区横浜駅から磯子区根岸駅を経て同県鎌倉市大船駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である”。

 今は大船駅まで延伸して東海道本線に繋がっているんでした。横浜駅~大船駅が根岸線だそうです。そうすると京浜東北線の起点と終点が気になります。『京浜東北線』(Wiki.)を調べます。

 “京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区大宮駅から、東京都千代田区東京駅を経由して神奈川県横浜市西区横浜駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する運転系統の通称である。……線路名称上は、東京駅を境に東京駅 - 大宮駅間は東北本線[1]、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線に属しているが[2]、両線の列車が走行する線路(列車線)とは別の専用の線路(電車線)を走行する”。

 大宮~桜木町間であった京浜東北線の区間変更については下記のようです。上記と同じ引用の「歴史」の中から、

 “1964年(昭和39年)5月19日根岸線桜木町駅 - 磯子駅間が開業し[11]、同線と直通運転を開始。横浜駅 - 桜木町駅間が東海道本線から根岸線に編入される”。

 最後に路線図を掲げます。

 洋光台駅まで延びた根岸線が未だ大船駅までは達していない時期で、1971年8月号『時刻表』(日本交通公社)からの引用です。

 まとめますと、東京~横濱(現・桜木町)間の時代は京浜線という名前がぴったりです。(東京~)田端~赤羽間と北側に延びても京浜線と呼ばれ、既に東北本線を含んでいるものの、未だ埼玉県へは突き抜けていないのでこの呼び名のままでも良い様な気はします。更に赤羽~大宮間が仲間入りして「東北・京浜線」と暫く名乗っていました。後になって「京浜東北線」という名前で落着きました。