291)伊豆旅行の勧め | 峠を越えたい

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戻るより未だ見ぬ向こうへ

 『あしたの名医』(藤ノ木優著、新潮文庫)を読了して残る爽やかな充足感に感謝しつつ伊豆の話をします。町なかのデパートの3階にある本屋さんへは歩いて20分余りで行けます。たまに散歩がてら訪ねます。文庫本コーナーでふと手に取ったのがこの本。何故開いてみたのかは本のおもての題名の脇に「伊豆中周産期センター」、その「伊豆」なる地名におそらく心引かれたからです。普段ちょくちょく伊豆半島を旅しています。また沼津市立病院に遠い昔1年半だけ出張していました。関連病院であるというのはこの小説の流れと一緒です。当時沼津市三枚橋が病院の住所でしたが、今は片浜駅近くにでかくなって存在し、病院跡には市立図書館が建っています。

 この本の初っぱなに“伊豆箱根鉄道はSuicaが使えないから気をつけろ”との言葉が出てきます。今やJRでも東武でもスイカカードかモバイルスイカ(スマホ)で間に合います。伊豆内のバス路線でも同様です。三島駅でビュースイカを伊豆箱根鉄道駿豆線の自動改札にかざしたら通行口が閉じてしまって困ったのを覚えています。以後三島駅の外への改札口に回り、カードを見せて精算して貰うのは偉く面倒です。三島駅から西はJR西日本管轄のためかと想像しましたが、関西でもSuicaは使えます。駿豆線さん何とかお願いしますよ。

 主な舞台となる「天渓大学医学部付属伊豆中央病院」へは、“来週から伊豆長岡に行ってくれ。1年で戻すから。”という移動命令を受けてやって来たことから、その立地は伊豆長岡に違いありません。そうすると順天堂大学医学部付属静岡病院がモデルでしょうか。以前は順天堂大学伊豆長岡病院と名乗っていた気がします。脳外科で名が知られており、沼津から患者さんを引き受けて貰った記憶が何回かあります。大変助かりました。伊豆長岡駅から徒歩で病院までは30分足らず。主人公は歩きました。そして本にも「駅から30分」と書かれているので、想像通りです

 「こだま719号」は新大阪行きで10時57分東京発、11時55分三島着。速いですね、1時間足らずです。券売機で買うしかない切符330円は正に伊豆長岡駅までです。

 準主役の「城ヶ崎塔子」医師の名前ですが、東伊豆は伊東の南にある「城ヶ崎海岸」を訪ねたことがあります。一方三浦半島先端は「城ヶ島」です。主役の「北条衛」は伊豆長岡周辺の地名、北条(韮山駅の古い名)、中条、南条(伊豆長岡駅の旧名)を意識しているでしょうか。病院近くの「弘陵の湯」については「弘法の湯」旅館が実在します。

 鰻を食べる話が出て来ます。大概の人は大好きでしょう。そして三島駅周辺の鰻屋さんが特に美味しいとのこと。良く聞きます。鰻のランク付け(松、竹、梅とか上、並)は例えば鮨のようなネタの差があるわけ無く、鰻の大きさとか数の差なんですね。沼津市立病院で鰻の出前を食べたことがあって、とっても美味しかったのは、U屋さんという三島に存在する鰻屋さんと同名だったので、その支店なのでしょうか。この小説には至るところ美味しい食事の話が出て来ます。温泉と海、川と山と食べ物の伊豆です。

 三島広小路、三島田町界隈の地図を掲げます。

 “伊豆パノラマパークは、伊豆長岡からほど近い観光地だ。………”と書かれた伊豆パノラマパークはロープウェイと山頂にある公園、食事処からなる施設で、以前は葛城山ロープウェイと呼ばれていました。その頃は運賃が高いと敬遠していたのでしょうか、初めて乗ったのは数年前ですが、生憎お目当ての富士山にはお目にかかれず、運賃を本当に損しました。葛城山の山頂より沼津と駿河湾方向を撮った写真です。

 海に浮かんでいるような淡島が見えます。三津シーパラダイスのことも本文に出て来ますね。

 ここが何処の水族館かは分かるものの、残念なことに水面の上に飛び上がったイルカは既に水の中。その昔はラッコが何頭もいて大層盛況でした。でもイルカのショーでも人は沢山見ていました。三津シーパラダイスの道向かいに建つY旅館はずっと昔のこと太宰治著『斜陽』執筆の宿だったかしら。海側に建つS館は駿河湾の眺めが絶佳でしょう。このどちらかに泊まってみたいです。

 ラッコに関してはこんな事が記されていました。『GOOPASS(グーパス)』(ANIMAL MAGAZINE)の「ラッコのいる水族館・動物園は日本で2ヶ所、3頭のみ」という題です。

 “……日本で最初にラッコの飼育をはじめたのは静岡県の「伊豆・三津シーパラダイス」で、80~90年代にかけては100頭以上のラッコたちが日本の水族館・動物園を盛り上げました。

しかし2023年の現在、日本で飼育されているラッコは3頭しかいません。

主な理由は前述の通り、石油タンカー事故や環境変化、乱獲などでラッコの個体数が減少し、絶滅危惧種に指定されたことが挙げられます。

それにより生息地である米国からの輸入ができなくなり、加えて国内での繁殖が成功せず、ラッコは3頭まで減ってしまいました。

残った3頭は、鳥羽水族館にいる15歳のキラと19歳のメイ(いずれもメス)、マリンワールド海の中道にいる16歳のリロ(オス)。…………”。

 下田の医院から切迫早産患者がはるばる天城峠を越えて搬送されてくる話が語られます。道中の緊迫した状況を伝える救急車と病院との遣り取りに心躍りました。下田市内~河津七滝ループ橋~天城峠~浄蓮の滝~月ヶ瀬~病院と救急車は2時間を超えて走らなければなりませんでした。何とか間に合って良かった。下田からは海岸伝いの道を採ったのか(135号線)、蓮台寺へと北上して414号線を辿り河津七滝に達したのか。河津桜トンネルが出来た今なら断然後者ですが。

 そうそう、伊豆長岡温泉の温泉饅頭が当時有名でした。Googleマップに目を凝らすと元祖温泉饅頭Kが病院近くにありますが、この店だったのか記憶は定かでありません。