288)鉄路の延伸と伊豆へ入る優等列車 | 峠を越えたい

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 「スーパービュー踊り子」号は最早時刻表に探せません。運行終了から3年余り過ぎたことをちっとも知りませんでした。そう言えば、「Saphir」と列車側面に書かれた、青色の鮮やかな特急を伊豆急線で時々見かけるのを何の気なしに眺めていて、単純に両方の特急が走っている風に思っていました。「Saphir」とは英語読みなら如何にも「サファイア」でしょう。車体が青色ですし。伊豆高原駅は上り下りの線路以外に駅の東側に何本も余分な線路があって、そこに特急「Saphire」(の車体)がちょうど休んでいて、緩行列車で通り過ぎる際乗り合わせた近くの2人旅の方だったか、交わす言葉に「サファイア」と聞き取れるのでした。確かこの特急の側面にはカタカナ文字はなかったため、なんて読むんだか考えていましたが、ヒントをくれました。「サファイア踊り子」号か。それを何処で「サフィール」と読むんだと分かったのでしたか、時刻表(『JTB時刻表』、JTBパブリッシングなど)を開けば直ぐ解決します、カタカナ表記されてます。「サファイア」の綴りは「sapphire」なので英和辞典では判明せず、「コトバンク」に助けて貰いました。男性名詞で意味はサファイア;サファイア色、青色(形容詞もあり)<プログレッシブ仏和辞典>。

 ずっと昔の伊豆へ乗り入れる(伊東線に乗り入れる)特急だか急行の「天城」を覚えています。先ずは伊東線が熱海から延伸していて、その後だいぶ経って東京オリンピック少し前に伊豆急が開通しました。その辺の歴史と伊豆へ入る優等列車(特急、急行、準急など)の変遷とを時代を追って並行して調べます。優等列車が伊豆に走るようになった時代の方が伊東線開業よりもだいぶ遅れるでしょう。『伊東線』(Wiki.)を開きます。その「歴史」に興味深いことが書かれています。

 “改正鉄道敷設法別表第61号で定められた「静岡県熱海ヨリ下田、松崎ヲ経テ大仁ニ至ル鉄道」の一部である。元々は熱海駅と下田町(現:下田市)の間を複線で結ぶ計画であったが、濱口雄幸緊縮財政政策により、熱海駅 - 伊東駅間のみが単線で建設されることになった。伊豆半島独特の海岸に山が迫る険しい地勢、断層・軟弱地層などで開通には苦労を要した(宇佐美トンネル掘削時の温泉湧出などは同時期の清水丹那トンネルなどに最新の掘削技術がフィードバックされた)。

 1938年(昭和13年)に熱海駅 - 伊東駅間が全線電化で開通した。観光路線として全通するとすぐに東京駅からの直通列車の運転が開始されている。1961年(昭和36年)には伊東駅 - 伊豆急下田駅間を結ぶ伊豆急行線が開業し、同線との直通運転も開始された。

 熱海~伊東~下田が若しかして全線JRであったら路線名は如何だったでしょう。下田線とかになっていたかも。更には下田からもっと延伸する望みがありました。でも路線が想像出来ませんね。松崎まで伊豆半島南端を回り込んだらどんな風にして中伊豆の大仁に至るのでしょうか。計画が図示されていると面白かったのに。

 伊東線の開通は1938年でした。直ぐに走り出した東京発伊東行き電車は優等列車の資格がありそうですが、緩行列車です。その4年前で、1934年12月号『汽車時間表』(日本旅行協会)からの路線図です。

 

 熱海~伊東~下田間にはバス(乗合自動車)<東海自動車東海岸線>が走っています。4時間弱掛かります。1940年10月号『時間表』(日本旅行協会)の路線図は、

 

 伊東線は既に出来ています。電車(熱海~伊東)から乗合自動車(伊東~伊豆下田)に乗り継いで所要時間は3時間50分ほどということは全部乗合自動車時代と余り変わりません。この時刻表でも優等列車の記載はありません。手持ちの時刻表の範囲内で話をすると、1950年以前の時刻表では緩行列車しか見られないようです。1956年12月号『時刻表』(日本交通公社)は準急「伊豆」、準急「はつしま」、準急「たちばな」、準急「いこい」、準急「いでゆ」を載せており、「はつしま」以外は修善寺行き列車が併設されています。

 1961年10月号『時刻表』(日本交通公社)では、準急「おくいず」、準急「伊豆」、準急「いでゆ」、準急「あまぎ」、準急「いこい」、準急「湘南日光」が運行されています。修善寺行きも殆ど併設されています。「湘南日光」号とは楽しげです。勿論日光駅発ですが、日光、今市、宇都宮、上野、東京、新橋、横浜、小田原、湯河原、熱海、木宮、網代、伊東と停まります。日光と伊豆の両方を観光するということでしょうか。現在の上野東京ライン(宇都宮発熱海行き)を上回る走行距離です。今のところ準急ばかりです。

 同じ1961年に伊豆急行線が開業しましたが、10月以降となりますね。1967年10月号『時刻表(復刻版)』(JTBパブリッシング)の路線図で伊豆急を眺めます。

 この時点では準急はなくて急行ばかりで、沢山ありますから名前だけ並べます。「しもだ」、「おくいず(1号、2号、3号、4号、5号)」、「(第1,第2)伊豆」、「(第1,第2、第3)いでゆ」、「常磐伊豆」、「(第1、第2,第3、第4)あまぎ」、「南伊豆」、「湘南日光」。ユニークな走り方の電車が2つになりました。「常磐伊豆」:平(現・いわき)~日立~水戸~土浦~上野~東京~横浜~熱海~伊豆急下田。「湘南日光」は既述。熱海から伊豆急に乗り継いで伊豆急下田まで1時間半ほど、半分以下の所要時間に短縮されています、すごいですね。

 1971年に特急を見付けました。特急「あまぎ(1号、2号、3号、4号)」で、東京~伊豆急下田が2時間50分ほどです。急行の名を挙げると、「おくいず」、「伊豆」ですか。「いでゆ」が無くて、「湘南伊豆」や「常磐伊豆」も走っていないようです。「あまぎ」は準急→急行→特急と、この電車だけ格を上げました。

 更に17年経過しました。1988年10月号『時刻表』(日本交通公社)には「特急運転系統図」がまとめられています。

 L特急「踊り子」となっていて特急「あまぎ」はどうしたのでしょう。特急「リゾート踊り子」や特急「モントレー踊り子」なる列車もあり、「あまぎ」は姿を消しました。1993年になると(1993年1月号『JR時刻表』、弘済出版社)、L特急「踊り子」だけでなく、特急「スーパービュー踊り子」も顔を見せました。素晴らしい特急はこの時期が始まりなんですね。

 今や「スーパービュー踊り子」も代替わりして「サフィール踊り子」の目の覚めるような青色列車が伊豆を行き来しています。側面に読める「Saphir ODORIKO」は、「おどりこ」が残っているのがせめてもの事ですが、「踊り子」と記して欲しかった。でも「スーパービュー踊り子」車体側面がどういう字であったか定かでありません。

 ネットを更に訪ねたところ、『教えて!goo』にこんな質問が成されていました。

 “西伊豆と鉄道:伊豆半島は全体的に険しいと思うのですが、西伊豆に鉄道がないのは寂しいかぎりです。西伊豆を通って南端に達するような路線の計画が過去にありましたら、その栄光と挫折(笑)の物語を教えてください。”→これに対する回答は、

 “ざっと調べたところ、以下の計画があったようです。すべて着工に至っていません、免許がおりていたかは不明です。
 ・熱海-伊東-下田-松崎-土肥-大仁という伊豆半島一周計画
 ・伊豆箱根鉄道の松崎延長計画(小田急が計画)
 ・沼津-湯ヶ島の鉄道敷設計画
 ・伊豆急下田から石廊崎を経由した延伸計画
 あとは、とば口だけですが、沼津港線(蛇松線)でしょうかね、現在は廃止されて蛇松緑道になっています。まあ、狩野川河口に鉄橋が架かる可能性はなかったと思いますが

 熱海~伊東~下田路線が南伊豆から西伊豆へと回り込むと松崎~土肥~大仁と延びるつもりだったのでしょうか。西海岸をもっと北上して戸田~大瀬崎~三津~沼津なんて路線が出来たら素晴らしかったですね。その代わりというか、松崎~土肥~戸田~沼津港と辿る「コバルトアロー」という船が運航されていたのは、今は昔となってしまいました。乗っておいて良かった。更に昔々には、下田港~沼津港間の船があります。1934年12月号『汽車時間表』(日本旅行協会)の路線図は最初に掲げたものと同じです。

 伊東線も伊豆急行線も走っていない頃です。東海岸沿いにも下田~伊東~熱海間の船が運航されています。険しい山道を登ったり下ったりしなくて良い船が旅客にとって楽で、陸路より余程貴重であった時代でしょう。