177)超人気の大谷石は運ぶのが大変 | 峠を越えたい

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戻るより未だ見ぬ向こうへ

 宇都宮駅にて5番線ホームに下りて行くと日光線が待っています。と言っても通勤通学時間以外はせいぜい1時間に1本くらいしか望めません。発車して最初の駅が鶴田駅です。大昔に砥上駅が東に移動して出来た駅でしたね。鶴田駅の改札口を出ると右(東側)には2本の道路が見えますがどちらでも良いから進んで、宇都宮高校脇、滝谷町、県中央公園(県立博物館)を通る本道に突き当たる僅か手前(西側)に、一定の幅をした不自然な道路が北上しています。北へ少し辿ると小さくて見落としそうな火伏稲荷神社を右脇に見ますが、立っている説明板はこのようです。

 “……宇都宮軌道株式会社が鶴田から荒針(大谷)に大谷石搬送の軌道を敷設したとき、火難・盗難避けとして勧請したのが初めである。その後、宇都宮軌道株式会社が、東武鉄道に合併されて、東武鉄道の所有となったが、………”。

 片側2車線道路(県道2号線)に寄り添うようにして北へ辿る、自動車道にしては細めの道路はこんな様子です。

 この説明板と歩いてみた道筋とを考え合わせると、どうもこの道路は線路跡の気がしてならない。この話を進めたいと思います。Googleマップです。

 赤矢印で道路に印を付けました。この道は県立中央公園まで辿れます。続いて掲げる『鐵道線路図』(日本国有鉄道営業局、昭和35年3月10日現在)は『週間鉄道絶景の旅』創刊号付録(2009年、集英社)です。

 最初の説明板によると、鶴田から荒針へ大谷石搬送軌道を敷設したのが宇都宮軌道株式会社で、後にこの会社は東武に吸収されたのでした。昭和35年時点では荒針に向けて出ている路線は東武宇都宮線の西川田駅から伸びており、大谷線と呼ぶそうです。鶴田駅の僅か宇都宮駅寄りでこの大谷線は国鉄日光線を横切っています。東武江曽島駅と鶴田駅は大変近くて前者の凡そ北2㎞も無いくらいに後者が位置します。現在江曽島駅から北東へ走る東武宇都宮線は宇都宮高校敷地の少し東で日光線を跨いでいます。そうすると西川田駅を出た大谷線はあたかもかつての鶴田~荒針線を使っている気がします。鶴田駅からであったのを線路を付け替えて東武西川田駅から鶴田駅の直ぐ東側を素通りして、赤矢印で示した昔の軌道と思しき経路を一部使ったように見えますが、想像に過ぎません。

 昭和35年以前の路線図が欲しいです。ここで又おかしなことがあります。大分遡って1930年『汽車時間表』(日本旅行協会)より。

 昭和5年ですが、未だ東武宇都宮線(新栃木~東武宇都宮)は出来ていません。1931年(昭和6年)開業です(『東武宇都宮線』Wiki.)。変ですね、鶴田駅からではなく宇都宮駅から支線が出ています。同汽車時間表の中で、

 

 宇都宮石材軌道線は大谷石を運んでいるようです。宇都宮軌道株式会社との関係は如何なんでしょう。検索します。『宇都宮石材軌道』を開くと「東武鉄道大谷線(宇都宮石材軌道)」(廃線レイルビュー)なる題で述べられています。。

 “■M30大谷石の運搬を主目的として宇都宮軌道運輸により西原町-荒針間に人車軌道が敷設されました。
■以後、路線延伸と周辺の人車軌道の吸収によりネットワークを拡大、M39には宇都宮石材軌道と改称。
■T4に、このページのお題である鶴田-荒針間の蒸気機関車による専用軌道(軌間1067mm)を開業しました。(以後大谷線と記述します)
■S4荒針終点の手前から分岐して立岩へ延長。
■S6東武鉄道の宇都宮進出と歩調をあわせ同鉄道に吸収合併されました。
■これに伴い結節点を東武側へ移すため鶴田手前で分岐し西川田へ至る区間が建設されました。
■人車軌道の各路線は、乗合バスの台頭により次々と路線を廃止し、S27には姿を消しました。また、同時期、元々の起点である鶴田への接続線を廃止しています。
■S36立岩付近の採掘上で落盤事故発生。立岩方面へ運転ができなくなったとの記録があります。
■S39輸送の主力がトラックに移行しその役割を終え、廃止されました。
■以後、比較的長くその姿をとどめていましたが現在では急速な開発の進展により主要な遺構の多くが失われてしまいました。今後も、この傾向が続くものと思われます
”。

 丁寧にまとめられています。その下の地図を見ると。

 当てが外れたかな。鶴田~荒針線と西川田~荒針線は鶴田駅の西側を通っていますね。では宇都宮軌道株式会社を検索します。「大谷石の運送に果たした人車軌道と軽便鉄道/柏村祐司(栃木県立博物館名誉学芸員)」(『日本遺産 地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮』)にもっと詳しい地図がありました。

 字が滲んでいて読みづらいです。(昭和7年に廃線)と記された路線が、線路跡ではないかと私の想像した不自然な細い道に該当しそうです。東武大谷線を検索します。『東武大谷線』(Wiki.)を読みました。1931年(昭和6年)に東武鉄道は宇都宮石材軌道を合併し、軽便線を大谷軽便線、人車軌道線を大谷軌道線としました。中で「廃線跡の現況」を見つけました

 “軌道線のうち、鶴田 - 西原町の一部については、1952年より専売公社宇都宮工場への専用線に転用された(同専用線は1977年に廃止され、現在は遊歩道「なかよし通り」になっている)”。

 私の想像路線はこの「なかよし通り」で良いのではないでしょうか。何処か見当違いが心配ですが、納得できた気がします。試しに「なかよし通り」を検索してみました。何と不動産屋さんのサイトで、『なかよし通りと共に|物件情報|MET不動産部-栃木の物件案内-』が説明してくれます。

 “その昔現在の中央公園のある場所は、専売公社(現在のJT)の工場だった。

そこから鶴田駅まで、専用軌道が伸びていて、その廃線跡がなかよし通りとして整備された。

いわれてみれば、地図上のなかよし通りは住宅街に、いかにも人為的にゆるやかな曲線を描いており、そこに軌道があったことが窺い知れる”。

 以上でお開きが可能になり、やれやれ。猶1930年の時刻表の路線図は間違いですね。