178)ひと駅間を歩けそうな飯田線 | 峠を越えたい

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 飯田線(辰野~豊橋)は駅が多すぎやしないか、と昔路線図を見ていて感じたことが錯覚かどうかを確かめたい気持ちをきっかけとして、飯田線を辿って見たいと思います。2017年6月『時刻表』(JTBパブリッシング)の路線図より。

 中央本線に比べて余程多いのでは。路線の距離を「駅数」で割ってみますか、いや「駅数―1」で割ってみますと言ったところで、時刻表に載っているのは営業キロ、換算キロ、運賃計算キロ、とややこしく、営業キロも実際の物理的距離とは異なるということです。仕方なくこの営業キロで計算することにします。豊橋~辰野間=195.7㎞、駅数=94。195.7/93=2.1で、駅間距離が凡そ2㎞は短いでしょう。30分で歩けます。

 幾つか比較します。木曽山脈を隔てて並んで走る中央本線(西線)はどうか。塩尻~名古屋間=174.8㎞、駅数=40。174.8/39=4.5。山手線(東京~渋谷~新宿~池袋~上野~東京)電環=34.5㎞、駅数=31。34.5/30=1.15。これは比べる相手が悪いです。山陰本線の鳥取~出雲市間=154.3㎞、駅数=36。154.3/35=4.4。東海道本線の熱海~浜松間=152.5㎞、駅数=34。152.5/33=4.6。東北本線の大宮~宇都宮間:79.2㎞、駅数=18。79.2/18=4.7。日光線の宇都宮~日光間=44.6㎞、駅数:7。44.6/6=7.4。

 地方の幹線に当たるものは4キロメートル台が不思議に多そうです。それらの支線は駅間隔がもっと長いでしょうか。これだけでものを言えないと断わって、飯田線は駅数が多く、駅間距離が短めであるとしておきます。ここでべつの話に移ろうとしたところ、『飯田線』(Wiki.)の「概要」にその状況が述べられていました。

 “元々は直結していたものの4社に分かれていた私鉄(豊川鉄道鳳来寺鉄道三信鉄道伊那電気鉄道)の路線を戦時国有化・統合したことで成立した路線であり、駅はほぼ開通時の沿線集落ごとに設けられている。このため駅間距離が旧国鉄の地方路線としてはとても短いのが特徴で、全長195.7 km中に起終点を含めて実に94の駅がある。それらの平均駅間距離は約2.1 kmと大都市の市街地路線並みであり、また地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから速度は低く、急カーブや急勾配も多く見られる。………”。

 私鉄4社が繋がり合って出来た飯田線という事情のようです。次の話ですが、飯田線は天下に名だたる木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)の間を縫って走っているので、さぞかし起伏の克服が難儀でしょう。この路線は「天竜下り」みたいなものですね。地図が欲しいところです。

 辰野から南へは天竜川の右岸を下ったり左岸を下ったりして、全路線の2/3くらい走ると天竜川と分れて西南に向かい、豊橋に至ります。

 路線全体の様子を見るために主だった駅の標高をネットの国土地理院地図上で求めます。

辰野駅:723m、伊那市駅:640m、駒ヶ根駅:672m、伊那大島駅:519m、飯田駅509m、時又駅:382m、天竜峡:381m、平岡駅:327m、小和田駅:292m、佐久間駅134m、東栄駅:260m、湯谷温泉駅:103m、本長篠駅:76m、新城駅:57m、豊川駅:17m、豊橋駅:8m。

 同『飯田線』の上の引用部分の続きです(一部重複)。

 “………また地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから速度は低く、急カーブや急勾配も多く見られる。中でも赤木駅 - 沢渡駅間の勾配は40 で、信越本線横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)廃止後は、JR線で最急の勾配となった。また、駅間が短い路線ながらも、山岳区間を中心に大小138本のトンネルが存在する。特に半数の68本が平岡駅 - 天竜峡駅間の22.4 kmに集中しており、同区間では約46 %がトンネルで占められている”。

 現在のJR路線で最大の急勾配の地位を得た、赤木駅~沢渡駅間が最初の主題です。駒ヶ根駅と伊那市駅の間にこの区間があります。登りとして扱うため、上の標高の並びと逆(南から北)にします。田切駅:628m、伊那福岡駅:663m、小町屋駅:670m、駒ヶ根駅:672m、大田切駅:648m、宮田駅:649m、赤木(あかぎ)駅:634m、沢渡(さわんど)駅:614m、下島駅:618m、伊那市駅:640m。

 標高の移り変わりが奇妙です。天竜川を遡る方向が当然登りと思って逆並びにしたのに、駒ヶ根駅から伊那市駅に向かって30m余りも下っていますよ。分かりません。だから40‰は南方向へ登っている勾配というおかしな状況になっています。伊那市駅は天竜川の流れにくっつくような位置で、駒ヶ根駅はそれから2,3㎞離れていることが関わっているのでしょうか。走り方の工夫で避けられる40‰に思えてなりません。

 佐久間駅から東栄駅に向かい(豊橋方向)登っており、ちょうど飯田線が天竜川沿いから離れて行く区間です。このあたりも嶮しそうです。東栄駅の次の駅、池場駅あたりが標高の最高点(273m)です。出版されたばかりの『鉄道開業150周年 日本鉄道大地図館』(小学館)の「三信鉄道線路縦断面図」(昭和12年)に、こう書かれています。

 “飯田線は愛知県の豊橋と長野県の辰野までの195.8㎞を結ぶ長大なローカル線である。昭和18年(1943)に戦時買収によって国有鉄道になる以前は、豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道の4社に分かれていた。このうち、三信鉄道だった区間が最も険しい地形をたどる。現在138か所あるトンネルのうち133か所が、三河川合~天竜峡の区間に集中している。戦後の佐久間ダム建設にともなう線路の移設でトンネルの数が激減する昭和30年(1955)以前は、実に171を数えた。……”。

 やたらトンネルを造って険しさと高低差を乗り切ったようです。線路の蛇行もそんなにありません。スイッチバックが見られないのは、若しかしたらそれを造るほどの地面を造成出来ないほど険しいと言うことはないでしょうか。

 『鉄道絶景の旅8 飯田線』(集英社、2009)に、「河岸段丘の大カーブに「みすず」のモーター音が響く」なる見出しの写真と文章が載っています。

 “木曽駒ヶ岳を主峰とする中央アルプス(木曽山脈)の山々を見上げて、115系電車が行く。……七久保(ななくぼ)駅を出て伊那本郷駅へ向かう途中の、半径300mの大カーブで、2月初めに撮影”。

 場所は駒ヶ根駅と飯田駅の間です。辰野駅~伊那市駅~駒ヶ根駅までは比較的走行は真っ直ぐですが、伊那本郷駅の3駅北側、伊那福岡駅を過ぎたあたりから東西の蛇行が目立ち始めます。国土地理院地図を出します。

 飯島駅:647m、伊那本郷駅:645m、七久保駅:695m、高遠原駅:666m、と言った具合です。ここも何だか変で天竜川下流方向へ登って下ります。兎も角は勾配を緩くしたくて蛇行するのでしょうが、ループ線までは造らないんですね。「半径300mの大カーブ」と呼んでいるくらいですから有名なんでしょう。

 高低差関係の話は終わって、今の飯田線がどのようにくっついたかを調べます。1925年4月『汽車時間表』(日本旅行文化協会)の路線図です。

 時刻表には辰野駅から南西へ飯田駅まで延びている路線は伊那電気鉄道線、豊橋(旧・吉田)駅から北東に三河川合駅迄延びている路線は吉田・長篠間(豊川鉄道線)と長篠・三河川合間(鳳来寺鉄道線)と記されています。1940年10月号『時間表』(日本旅行協会)より。

 飯田線はこの時点で既に繋がっています。吉田・長篠・三河川合・天竜峡間(電車)と記され、やや小さい字で吉田・長篠間(豊川鉄道線) 長篠・三河川合間(鳳来寺鉄道線) 三河川合・天竜峡間(三信鉄道線) となっています。もう一つ、辰野・天竜峡間(伊那電気鉄道線)と出ています。この4社の路線を乗り継ぐと豊橋から辰野へ行けます。1943年(昭和18年)に国有化され、飯田線と名付けられました。そうすれば直通が可能です。

 今度は私事。飯田線を南下して温田駅に降り立ったのは高2の夏。空気の良い涼しいところで勉強に身が入ったら良いな、の建前です。その当時長野県を中心に「学生村」が盛んに開かれており、売木(うるぎ)村を何故選んだかは覚えていません。主に農家でしょうか、民家に泊めてくれて3食+三時のおやつ付。確かスイカとかトウモロコシとかを出してくれました。1週間ぐらいお世話になったか、帰りは平岡駅から豊橋に出て新幹線だった気がします。行こうと思わないと行かない場所とは思いますから、周囲の景色もおばちゃんの優しさも掛け替えのない記憶です。

 湯谷温泉宿泊、天竜峡よりの天竜下り船、長篠城址史跡保存館は別の機会の思い出です。「天竜下り」は怖いんですよね。その頃、何十年かに一度死亡事故が起こっていました。そちらの恐ろしい方は運行されていなかった気がします。以前から天竜下りは2か所でやっていましたが、今はどうなんでしょう。また、不思議に日本三大急流に入っていない天竜川は諏訪湖を発するときは誠におとなしい流れです。豊川稲荷の「おいなりさん」は是非食べたかったのに。