176)汽車は峠を3回越えたい | 峠を越えたい

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戻るより未だ見ぬ向こうへ

 「峠」という駅名に床しさを覚え、奥羽本線の福島駅を出て直ぐ待ち構える奥羽山脈の険しさはどれ程なのだろうと考えました。奥羽本線(福島~青森)は北上して青森駅に辿り着くまでに三つの峠を越えなければならないそうです。<鉄道絶景の旅No.29『奥羽本線』(集英社、2010)>では、「三つの峠を越えて484.5キロ 各駅停車の旅」なる副題が付けられています。その越えなければならぬ三つの難所とは、

    ①     板谷峠越え<板谷~峠間>

    ②     雄勝(おがち)峠越え<及位(のぞき)~院内間>

    ③     矢立(やたて)峠越え<陣場~碇ヶ関>

 それぞれの存在する場所はこの雑誌に載る「絶景俯瞰パノラマ地図 奥羽本線」を使わせて貰います。①より。

 福島盆地から山向こうの米沢盆地へと奥羽本線は走ります。見るからに嶮しそうです。栗子山と吾妻山との間を通るのが比較的起伏を低く採れるのでしょうか。国土地理院地図で、福島駅側から駅の標高を求めます。福島:72m、笹木野:96m、庭坂:132m、板谷:555m、峠:627m、大沢:465m、関根:307m、米沢:249m。赤岩駅は2021年に廃止されました。庭坂駅~板谷駅間の標高差が半端ではありません。この間にトンネルが大小5つあり、名前の記されているトンネル3つに就き庭坂駅側から板谷駅方向へトンネルの入り口と出口の付近で標高を測ります。(庭坂駅:132m)、第二芳ヶ沢トンネルの入り口:225m、同トンネル出口:260m、松川トンネル入り口:280m、同出口:314m、環金トンネル入り口:407m、同出口:482m、(板谷駅:555m)。更に米沢駅方向へ、板谷トンネルの東入口:583m、板谷トンネル西出口(≒峠駅):627m、峠駅と大沢駅の中間点:538m、(大沢駅:465m)。板谷トンネルの上方のやや北に板谷峠があります。国土地理院地図を見せた方が早いです。

 汽車は一体どうやって登ったのでしょう。「鉄道絶景の旅29」がちゃんと説明してくれます。「第一の難所・板谷峠を越える」より。

 “庭坂駅を過ぎたあたりから線路は山間に入り、勾配も目に見えて急になってくる。線路わきの勾配標も33.3パーミル(‰)を示す。ここからこの区間のハイライトである板谷峠越えになる。最急勾配はなんと38.0パーミルである。

かつては赤岩、板谷、峠、大沢と4駅に連続してスイッチバックがあり、これで急勾配に対応していたが、山形新幹線開業に向けた工事によってすべて廃止されてしまった。……”。

 スイッチバック4つでは間に合わない感じがするのですが、それに加えてSLの重連とか3重連とかが引っ張ったのでしょうか。4つのスイッチバックが取っ払われた現在、山形新幹線は兎も角、在来線の緩行電車は力が足りるのでしょうか。

 次は②を検討します。

 山間部を通り抜けるようですが、線路が余り蛇行しないのは縮尺が小さいからでしょうね。標高は真室川駅:78m、釜淵駅:146m、大滝駅:195m、及位駅:274m、院内駅:174m、横堀駅:148m、三関駅:108m。「鉄道絶景の旅29」の「第二の難所・雄勝峠越えに挑む」を読みます。

 “大滝駅の標高は201.3メートル、難読駅として知られる及位駅の標高は227.4メートル(?間違い)、この間18.2パーミルの勾配で高度をかせぐ。いよいよ雄勝峠越えの難所であるが、現在は、及位の先の院内トンネル(1356メートル)でなんなく越える。……”

 この書き方だと奥羽本線開通時点では院内トンネルが出来てなかったように見えますが最初からあります。雄勝峠及び院内トンネルは山形と秋田の県境に位置しています。国土地理院地図を見ましょう。

 雄勝峠の位置を知らせてくれませんが、県境に一致するので奥羽本線の院内トンネルや国道13号線の雄勝トンネルがある辺りの上方と思われます。

 「院内」で思い出すのは昔習った「院内油田」ですが、同一でしょうか。かつての院内銀山はここのようです。調べたら、院内油田は同じ秋田県南部ですが日本海沿岸に近い方です。別ですね。

 ③   ははどんな険しさでしょうか。「第三の難所・矢立峠越え」より。

 『矢立峠』(Wiki.)の始まりの部分を掲げます。

 “矢立峠(やたてとうげ)は、秋田県大館市青森県平川市県境にあるである。標高は258m。羽後国(旧出羽国)と陸奥国(旧陸奥国(分国前))の国境の一部でもある。………

峠の東側にある奥羽山脈と西側にある白神山地との中間に位置する。秋田県側へと流れる下内川米代川水系)と青森県側へと流れる平川岩木川水系)との分水嶺ともなっている”。

 矢立峠は駅で言うと、陣場駅と津軽湯の沢駅の中間にあります。前後の駅の標高は、大館駅:58m、白沢駅:99m、陣場駅:178m、津軽湯の沢:182m、碇ヶ関駅141m、長峰駅:97m。「第三の難所・矢立峠越え」の本文の一部です。

 “………大館駅からは矢立峠を越える山越えとなる。板谷峠に比べるとやや霞んでしまうが、かつて陣場~碇ヶ関間では25パーミルという急勾配が連続していた。奥羽本線電化前はD51形蒸気機関車が重連、あるいは三重連によって運行されていた。……しかし、電化に合わせて勾配を最大10パーミルに緩和した新線に切り替えられ、今の列車はあっけなく越えてしまう(2010年時点)”。

 重連と三重連の記載があります。板谷峠克服も同様の状況だったでしょう。四重連なんてないんですかね。勾配を緩くした新線が電化と合わせて出来ました。国土地理院地図を見ていて、走り方の随分違う線路が2本あって何だろうと思っていたところ、これと関わりありそうです。

 勾配を緩くするためにわざわざトンネルを掘ったんですね。ループ線にするほどではなかったようです。松原トンネルを潜る左に迂回した線と真っ直ぐ北に向かう線が見えるのは白沢駅~陣場駅間です。『廃線レポート 奥羽本線 矢立峠』を参照します。これの「2 松原」より。

 “白沢・陣場両駅の中間地点である松原地区では、鉄道の一風変わった線形が目を引く。
手前の水田の中をまっすぐ走る単線の線路が下り線(峠を登る方)で、奥のほうに新幹線のような高架を従えて見えるのが、上り線である。
 この上り線は、昭和35年の複線化で誕生したものであるが、平地を避け、その上2404mもの松原トンネルが、不可解に山裾を抉っている。
既にあった、現在は下り線として利用されている線路より遠回りの、しかも莫大な建設費のかかる新線を、上り線として建設したことになる
。………”。

 ここで疑問に思ったのですが、白沢駅→陣場駅は登っています。そうすると下り線(福島→青森方向)が松原トンネル経由の勾配を緩くした線路を使って登っていかないといけません。上り線(青森→福島方向)が従来の線路を使って坂道を下って行くのが道理です。上り下りの線路の使い方が逆のような気がしますが、実際はどうなんでしょう。上掲文の前の冒頭には。

 “ ………この地を、7本の隧道と多くの橋で貫く線路は、明治38年の奥羽本線全通後、ますますその重要性を増すが、最大25パーミルという(1パーミル=1kmで1mの勾配)、鉄道にとっては非常に厳しい勾配が仇となり、昭和45年の複線化のおりに将来の電化も踏まえて、全長3180mの矢立トンネルを供する新線に切り替えられ、その役目を終えたのだった。
 記録に残るものとしては秋田県内最古の廃隧道が、この矢立峠の旧線の隧道群なのだ
”。

 昭和35年と昭和45年のどちらなんでしょう、複線化の年は。今の矢立トンネルは新線の上にあるということで、元々旧線上に小さいトンネルが幾つかあったのを合わせたような感じで長い矢立トンネル経由新線が出来たのでしょうか。25パーミルあった路線は矢立トンネル近辺(陣場駅~津軽湯の沢駅)よりも、南側の白沢駅~陣場駅間(新たに松原トンネルが出来た)のような雰囲気ですが、矢立トンネルは真っ直ぐで迂回していませんから。どうでしょうか。

 話はがらっと変わり、路線図を2つ並べます。

 共に『鉄道路線をくらべて楽しむ地図帳』(寺本光照編著、山川出版社)からです。1893年時点には奥羽本線(福島~青森)は全く影も形もないのに、13年半で全通しています。すごく早いのではないでしょうか。国営鉄道は夜を日に継いで頑張ったのでしょうか。『奥羽本線』(Wiki.)の歴史を読むと、1894年に青森~弘前間開業が手始めで1905年に全通です。両路線図の年の間に1894~1905年が確かにすっぽり入っています。。