昨日の「大京都展」で買った「クリケット」のグレープフルーツゼリー(800円)とオレンジゼリー(800円)を今日の夕食後のデザートにいただきました。一つ 800円は少し高いやろと思いながら、やっぱり評判のグレープフルーツゼリーを食べてみたくて…。蓋になってる上部の果汁を絞れるだけ絞って食べるのですが、高いだけあって美味しく、生クリームをつけて食べると、またこれも美味。個人的にはオレンジよりもグレープフルーツのほうが好みかな。ごちそうさまでした♪。

それにしても今回の「大京都展」は評判のお店がたくさん出店してくれて、ほんとうに大満足な催しでした。ありがとう 京都。早くコロナが終息して多くの人の笑顔が見られる京都になりますように!

 

クリケット

京都市北区平野八丁柳町

 

 

 

今日のお昼は「えびそば 緋彩」の濃厚えびそば(えびのアヒージョ添え)(1100円)です。一番人気の濃厚えびそば(950円)と迷ったのですが、海老をより感じることのできそうなこちらにしました。まずスープを一口。エビだ~~!う、うまい!頭から海老のアヒージョにかぶりつきます。うんこれもグッド!今まで食べた海老ラーメンで一番海老を感じるラーメンでした♪。リピ確定。 次は一番人気の濃厚えびそばを食べてみよ♪。ごちそうさまでした♪

 

えびそば 緋彩

名古屋市瑞穂区明前町

 

学生時代を京都で過ごした年配の人なら知っている安くて量が多く、それでとてもおいしい「ハイライト食堂」。その「ハイライト食堂」がコロナ禍の2000年7月に新たに出店した「ハイライト カツサンド」さんも「大京都展」に来てくれました。知る人ぞ知る「鶏に謝れ。」というキャッチフレーズは、「謝」という漢字には謝罪と御礼の2つの意味で、創業以来、名物として数多くのお客様に愛されていたチキンカツを、鶏肉で商売をしてきたことへの鶏に対する「おおきに」と「かんにん」の想いを込めたということです。サクサクで、どうしてこんなにおいしいの?というぐらいのカツサンドです♪。2回のワクチン接種が完了したら、是非京都のお店で食べてみたいです。ハイライトさんも、コロナ禍の中 「美味しいね」 っとみんなを笑顔にしてやろうと名古屋に来てくれてありがとう♪ ごちそうさまでした。

 

ハイライト カツサンド 

京都市下京区綾小路通柳馬場西入綾材木町

 

JR高島屋の「大京都展」の目玉 「AWOMB (アウーム)」の手織り寿し(2500円)を食べに行ってきました。いかにも京都らしい宝石のような、食べるのがもったいないような 20品をじっくりとかみしめていただきます。

 

 

コロナ禍で社会全体に活気がなく、京都への旅行も自粛ムードの中、京都の予約必須のAWOMB を名古屋に出店してくれるように口説いてくれたJR高島屋の関係者、そしてそれに応えてこのコロナ禍の中 名古屋に来てくれたAWOMB の心意気に唯々感謝です。並ばずに京都を味わうことができたのはよかったのですが、「大京都展」がマスコミで取り上げられなかったこともあり、みなさんあまり知らないのかガラガラだったのがとても残念です。AWOMB (アウーム)さん美味しかったです。ありがとう。ごちそうさまでした♪

 

AWOMB (アウーム)

京都市中京区姥柳町

 

 

 

今日からJR高島屋で開催されている「大京都展」。どうしても食べてみたいAWOMB(アウーム)の混み具合の下見を兼ねて10階の催会場へ。こちらも初出店のkoe donuts (コエ ドーナッツ)のシュガー、抹茶チョコレート、金ゴマ、の3点セット(777円)とベイクドーナッツ五色豆(378円)をいただきます。最近のドーナッツはヘルシー志向であまり油を感じるものは少ないのですが、このドーナッツは油感たっぷりのドーナッツで、しっとりしてとてもおいしく、食べログ 3.53 (5/11現在)だけのことはある大満足なドーナッツでした♪。

買いませんでしたが、インスタ映えしそうなクッキー缶(1620円)もありました。ごちそうさまでした♪

 

 

 

koe donuts 京都店

京都市中京区新京極四条上ル中之町

 

 

あらすじ
会社とは何か。働くとはどういうことか。目からウロコの落ちる本。胸を打つ5つの会社のストーリーが収録されています。なぜこの会社には、4000人もの学生が入社を希望するのか?なぜこの会社は、48年間も増収増益を続けられたのか?なぜこの会社の話を聞いて、人は涙を流すのか?6000社のフィールドワークで見出した「日本一」価値ある企業。


ひと言
このブログを書き始めた2010年以前に読んだ本です。図書館で見つけてもう一度読んでみようと借りました。日本理化学工業や中村ブレイスのことは覚えていましたが、読み終えてもう一度読んでよかったなぁと思いました。ネットで調べてみると好評で1巻~7巻まで発刊され、「日本でいちばん大切にしたい会社 大賞」というものまで出来ていました。今度、北海道展があったら、開拓時代の思い出深い薪の割り方から名前が付いた「柳月」の三方六を買ってみよう。


企業経営の第一義は、社員とその家族の幸福を追求し、実現することです。社員と、その社員が最も大切にしている家族を路頭に迷わせてはいけないのです。だからこそ、継続させなければならないのです。
(第1部 会社は誰のために?)

「大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか? そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」頭を地面にこすりつけるようにお願いしている先生の姿に、大山さんは心を打たれました。「1週間だけ」ということで、障害をもつ二人の少女に就業体験をさせてあげることになったのです。……。……。そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の四月一日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。だから、どうか採用してあげてください」これが私たちみんなのお願い、つまり、総意だと言います。社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。……。ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。
(第2部 日本でいちばん大切にしたい会社たち<日本理化学工業株式会社>)

ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。するとお坊さんは「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、① 人に愛されること、② 人にほめられること、③ 人の役に立つこと、④ 人に必要とされることです。 そのうちの ② 人にほめられること、③ 人の役に立つこと、そして ④ 人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」と教えてくれたそうです。「その四つの幸せのなかの三つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。真の幸せは働くことなんです」
(第2部 日本でいちばん大切にしたい会社たち<日本理化学工業株式会社>)

塚越さんはこう言います。「……。小社はこれまでも、またこれからも社員のリストラはやりません。なぜなら小社にとって、人件費はコストではないからです。人件費は目的である社員の幸福を実現するための生活費だからです……」ここが伊那食品工業の原点だと思います。これを具現化した経営が四八年間、続けられてきたということです。
(第2部 日本でいちばん大切にしたい会社たち<伊那食品工業株式会社>)

「ブレイス」とは、「支える」という意味です。……。
この会社がやろうとしていることは、五体不満足な方や高齢者の方、いわば社会的な弱者の方々が、人間の尊厳を失わずに生きていくことを支えることです。そこに特化した仕事を必死にやってきたことが、結果として多くの人の共感を呼び、世界中から注文がくるまでになったのです。
(第2部 日本でいちばん大切にしたい会社たち<中村ブレイス株式会社>)

ところが柳月の正規社員は、七〇パーセントを超えています。こうした正規社員重視の経営姿勢は、いい会社に共通していえることです。
正規社員が七割ということであれば、当然人件費は高くなります。日本では、残念なことですが、男女の賃金格差がほぼ倍あります。正規社員の男性と非正規社員の女性と比較すると、パートの女性の賃金は、四分の一以下程度にしかなりません。だから一般的に、非正規社員を採るのです。柳月はそれにもかかわらず、仕事を優先して考えるべき正規社員を採用し続けています。それが結果的に、顧客満足度の向上につながり、お客様の支持を受け、長期にわたって繁盛していることにつながっているのでしょう。
(第2部 日本でいちばん大切にしたい会社たち<株式会社 柳月>)

北海道の菓子業界全体の繁栄を念じているのが、柳月の特徴なのです。柳月が北海道にこだわる理由を聞くと、田村社長はこう答えてくれました。「わが社はお菓子だけ売っているわけではありません。お菓子といっしょに。〝北海道〟も包んで売っているのです。本州では北海道を包めませんから。わが社は、これからいろいろなことがあっても、この北海道を離れる気はありません」
(第2部 日本でいちばん大切にしたい会社たち<株式会社 柳月>)
 

 

コロナ禍でどこにも外出しなかった連休。今日のお昼は自転車で前からずっと行きたかった「らぁ麺や 汐そば雫」へ。2017年からずっとラーメン百名店、そしてミシュラン2019にも選ばれているお店です。一番人気のあじ玉汐そば(900円)をいただきます。鶏・豚のレアチャーシューは「らぁ麺 紫陽花」に負けないぐらいおいしく♪あじ玉も今まで食べた中で1,2を争うおいしさ。完成度の高いスープもグッド♪。行ってよかった、どうしてもっと早くに行かなかったんだろうというお店でした。ごちそうさまでした♪

 

らぁ麺や 汐そば雫

名古屋市瑞穂区下坂町4

 

あらすじ
あの夏、ぼくは「勇気」を手に入れた。稀代のストーリーテラーによる約3年ぶり、渾身の長編小説。人生で最も大切なもの。それは、勇気だ。ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、31年前の出来事のおかげかもしれない―。昭和最後の夏、ぼくは仲の良い友人2人と騎士団を結成する。待ち受けていたのは、謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。新たなる感動を呼び起こす百田版「スタンド・バイ・ミー」。勇気 ― それは人生を切り拓く剣だ。


ひと言
ほんとうに百田版のスタンド・バイ・ミーでした。「永遠の0」(なんとこれが作家としてのデビュー作だからビックリ!)「海賊とよばれた男」(本屋大賞)etc …、そしてこんな爽やかな作品も書けるんだ と改めて百田さんの多才ぶりに拍手。本文中に「探偵!ナイトスクープ」も出てきて、百田さんと云えばやっぱり「探偵!ナイトスクープ」だよな。


「そうや。俺たちは、やればできるんや。潜在能力を出すんや」「お、俺は、いつもお父さんとお母さんに、け、健太は、やればできる子、と言われてる」健太もかぶせるように言った。壬生は声を上げて笑った。「バカバカしい。やればできるというのは、やればできた子に言う言葉やで。あんたら、今まで何もできたことがないやないの。何が潜在能力よ。一回でもその能力を発揮したことがあるん?」壬生の言葉は心にグサッと突き刺さった。「やればできるというのは、やればできた子」か、言われてみれば、たしかにその通りだ。できた実績もないのに、「やればできる」と誰が保証してくれるのだ。そのとき、ぽくはずっと「やればできる」という言葉を心の中で言い訳にしていたのかもしれないと思った。
(7)

今ならわかる。そしてこう言える。人生の成功者は、優先順位を間違えない人間だと。簡単に言えば、「今やるべきことをやる」―― これができる人間は成功を収める。たとえ運が悪くとも、人生のはずれ馬券を摑むことはない。書店に行けば、「成功者になるための十の法則」やら、「社長がいつもやっている七つの習慣」みたいな本が山のように並んでいる。そんな本を買う人間は、それらの本の中には成功のための魔法の呪文のようなものが書かれていると信じている。自分もそれを唱えれば、たちどころに成功者になれると。バカバカしい。そんな呪文が千円やそこらの本に書かれているなら、それほど安い買い物はない。成功へのただ一つの道であり、しかも最高の法則は、「今やるべきことをやる」―― それだけだ。
(7)

大人になって理解したことがある。世の中には、一流大学に合格する人は勉強が好きな変わり者だと思っている人が少なくない。もちろん一部にはそういう人もいるだろうが、優等生にとっても、やはり勉強は面白くないのだ。ただ、彼らはその苦痛を充実感に変えたり、その結果得られることを、楽しさに変換しているだけなのだ。一流のスポーツ選手は激しいトレーニングを行うが、筋肉が負荷に悲鳴を上げ、溜まった乳酸が「もうやめろ!」と叫び出すようなことが快楽のはずがない。それでもアスリートにとっては、それらはやはり「楽しいこと」なのだ。そこには達成感があるからだ。別の譬(たと)えで言うと、登山のようなものだろうか。一歩一歩足を動かすと、確実に上へ行く。テレビをどれほど観ようと、何時間ごろごろしようと、その達成感は味わえない。……。……。
逆に子供時代や十代にそうした負荷をかけずに過ごした者は、社会に出て苫労することになる。大人になってから、いやな仕事や退屈な仕事を続けることに根気をなくす人をよく見たが、全員とは言わないまでも、子供時代や十代のころにそうした負荷を背負わずにきた人が多かったように思う。
(11)

人生はベストを尽くせばいい。その結果に関しては何ら恥じることはないということを学んだのだ。恥じなければいけないのは、ベストを尽くさずに逃げることだ。そして自分に言い訳をすることだ。あの夏、ぼくが得たものはそれだけではない。それは勇気だ。でも勇気は決して天から舞い降りてきたものではない。幸運に恵まれて道端で拾ったものでもない。人はみな勇気の種を持っている。それを大きな木に育てるのは、その人自身だ。そして勇気こそ、人生で最も大切なもののひとつだ。ぼくが今もどうにかこうにか人生の荒波を渡っていけるのは、わずかな勇気のお陰だ。
(エピローグ)
 

 

ひと言
2021年本屋大賞 第2位の「お探しものは図書室まで」で紹介され、読んでみようと借りた本です。げんげとはれんげ草のこと。蛙の鳴き声を「ケルルンクック ケルルンクック」というオノマトペで表現したところが面白いと思いました。特に紹介された作品を中心に何度も何度も読み返してみましたが、やっぱり詩は難しいなぁ。


春のうた

かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上にでてきます。
そのはじめての日のうた。

ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。

ケルルン クック。

ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。

ケルルン クック。
ケルルン クック。





波はよせ。
波はかえし。
波は古びた石垣をなめ。
陽の照らないこの入江に。
波はよせ。
波はかえし。
下駄や藁屑や。
油のすじ。
波は古びた石垣をなめ。
波はよせ。

波はかえし。
波はここから内海につづき。
外洋につづき。
はるかの遠い外洋から。
波はよせ。
波はかえし。
波は涯(はて)しらぬ外洋にもどり。
雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。
億万の年をつかれもなく。
波はよせ。
波はかえし。
波は古びた石垣をなめ。

愛や憎悪や悪徳の。
その鬱積の暗い入江に。
波はよせ。
波はかえし。
波は古びた石垣をなめ。
みつめる潮の干満や。
みつめる世界のきのうやきょう。
ああ。
波はよせ。
波はかえし。
波は古びた石垣をなめ。
 

 

あらすじ
人気作家・角田光代さんが雑誌オレンジページにて14年に渡り連載を続けているエッセイ「散歩」シリーズ第4弾。多忙ななか、京都出張の折りに震えるほどおいしい卵サンドに出会ったり、魚卵好きで朝から明太子のために行列に並んだり。迷路のような渋谷で途方にくれたり、まったく進まない本棚整理を楽しんでいたり。あっという間に過ぎてしまう日々のできごとを鮮やかに描いた1冊。


ひと言
読み終えて、京都の震えるほどおいしい卵サンドが気になって調べてみました。京都の卵サンドで真っ先に名前があがるのが「喫茶 マドラグ」。でもここではないようなので、もっと調べてみると「よしもと祇園花月」近くの「グリルグリーン」の玉子サンドでは……?。

 

 

今度京都に行ったら食べてみたいなぁ。ちなみにマイベストは麻布十番の「天のや」さんの たまごサンド(名駅で買ったけど…)です。


そういうことを知るに至って、人は岐路に立たされる。本当の本当においしいもの道を突き進むか、降りるか。……。……。
私はあっさりと降りた。降りてみてわかったのは、私はそもそもおいしすぎるものがそれほど好きではない、ということ。本当の本当においしいものは、私にとってときに負担なのだ。あまりのおいしさに、耳の奥がわーんと鳴ったこともあるし、無意識に泣いてしまったこともある。おいしすぎて笑い出したこともある。動悸がしたことも。おいしいものの力ってすごい、と思う。それを食べられて幸せだ、とも。でも、食べ終えると私は疲れているのである。おいしいもの疲れでぐったりとしている。幸福感が、ちょっとしたつらさに変わっている。
温泉と似ている。毎日仕事をして疲れ果て、ときどき無性に「ああ、温泉いきたい」と思う。温泉にいくことが夢のように思える。実際に温泉にいくと、やっとこられた、と思う。うれしくて二度も三度も風呂に入る。そして帰りはぐったり疲れている。自宅ベッドに倒れるように横たわり、とうぶん温泉はいいや……と思っている。そんな感じ。本当の本当においしいものを食べるには、それに見合った愛と体力が必要なのだと思う。そのどちらも持っていない私は「ふつうに」おいしければそれで大満足するようになった。
(おいしいものを極める)

「おいしい」という味覚や感情について、このところ深く考えるようになった。私たちにおいしいという感覚がなければ、もっと世界は合理的だったろう。食べものはサプリでいいのだし、二時間も三時間も食事にかけることもない。「おいしい」が引き起こした戦争や諍いもきっと多々あるに違いない。でも、「おいしい」は私たちの内から消えることがない。コンビニの味が「おいしい」の基準になったなどと言われて、退化しているかのように思うけれど、実際は、百年前より私たちの舌は何千倍もの味を知り、知覚し、「おいしい」を繁殖させているはずだ。
おいしいっていったいなんなのだろう。考えはじめると、頭が靄がかったようになる。その感覚がなければ、生きるたのしみはかなり減るが、でも、たとえばまずいものを食べて落ちこむこともないし、おいしいものが食べたいと欲まみれになることもない。でもやっぱり、おいしいもまずいもなければ、生きているのはそんなにたのしくない気もするし……。
(おいしいってなんだろう?)


ある遠方の地で、友人数人と落ち合った。いっしょに夕食を食べ、見知らぬ町でバーをさがして入り、その土地のおいしいものを言い合った。「おいしいもの」の優先順位がすこぶる高いAさんが、「ものすごくおいしい豆腐を食べさせる店」の話をはじめた。そこは駅から遠く、バスも電車も通っていないので、タクシーでいかなければならないという。早朝に店ははじまるが、豆腐が売り切れ次第店は閉まる。だから七時くらいにいくといいのだが、それでも並ぶ場合がある。その話を聞いて私がまず思ったのは「面倒だ……」ということ。豆腐は好きだが、タクシーも面倒、並ぶのも面倒。しかしAさんはその豆腐がどのくらいおいしいかを滔々と話し出した。聞いていると、本当に魅惑的。この町にまたくるのはいつになるかわからないし、そんなおいしいものはやはり食べておいたほうがいいのではないか。今日は遅くまで飲んでいるし(その時点でもう夜の十二時過ぎ)、明日早く起きられないだろうから、明後日いこうかな。ついに私は言った。面倒を優先する人間を、おいしいもの優先者が覆したのである。するとAさんはぱちぱちぱちと携帯電話をいじり、「明後日日曜は定休日よ。いくなら明日いかなきゃ」と言う。顔と目がきらきら輝いている。おいしいもの優先者は、他人がおいしいものを食べると思っただけでハイになるようだ。私は腕時計を見、「じゃあやっぱりやめる」と言った。二日酔いで寝不足で七時前にタクシーに乗るなんて面倒なこと、できるはずがないと判断したのである。でもきっとAさんはいくのだろう。明日、寝不足でも二日酔いでもいくのだろう。
おいしいものの優先順位が高い人は私にはおそろしい。でもきっと、そういう人たちにしたら、面倒という理由だけであれこれ切り捨てる私がおそろしいだろうなあ。だれかと交際したりともに暮らしたりする場合、だいじなのは、ほかのどんな相性より、この優先順位の近似ではないかとひそかに私は思っている。
(人生の優先事項)

それにしても、「カセットを知っているか、黒電話を知っているか」みたいなことが、以前よりずっとずっと楽しく思えるのはなぜなのか。この先、加齢していくにしたがって、どんどん楽しくなっていくのだろうか。それが老いるってことなのか。
ひとりぐるぐると考え、家に帰り着くころには、「でも、あんまり嬉々として話すのはやめよう」と決めた。そのうち昭和ハラスメントという言葉ができて、若い人がいっしょに飲んでくれなくなるかもしれないから。
(昭和、知ってる?)