今日の夜は「ラーメンが食べたいね」ということでバスに乗って2人で今池の「らーめん 鞍」へ行きました。珍しい鯛の白湯スープの「鯛白湯そば(塩)(しょうゆ)」(各930円)の2つを頼んでスープを飲み比べて味わいます。魚介(鯛)の出汁が口の中いっぱいに広がります。塩の方はおとなしめの味で、しょうゆの方がパンチ力があり、どちらもとても美味しいです♪。チャーシューと鶏チャーシューのどちらも柔らかくこれもグッド!。今回は鯛白湯をめあてに伺いましたが、伊勢海老つけ麺もとても美味しそうなので次回はそれをいただきたいと思いました。ごちそうさまでした♪♪

 

らーめん 鞍

名古屋市千種区今池4

 

今日は以前からずっとずっと行きたかった西区 平田住宅にある「ニューエルビス」にお昼を食べに行きました。公共交通機関ではなかなか行きにくい所にあり、3年前から行ってみたい、食べてみたいと思っていたお店です。上小田井駅から市バスに乗り開店と同時に入店。カレーライスの普通(690円)と昔のとんかつ(310円)をトッピングしていただきます。他にお客さんがいなかったので、お店のご主人とたっぷり話ができました♪。ご主人やご家族は新潟とは何の関係もないとのことでしたが、新潟の万代バスセンター内にある「名物 万代そば」で食べたカレーライスにインスパイヤーされ、3年前にこちらにお店を出されたとのことです。名古屋ではこういうカレーを出すお店はほとんどなく、S&Bのカレー粉の赤缶をベースにブレンドして作っているとのことでした。私が以前訪れた名古屋市昭和区の「ひさや」の黄色いカレーの話などすごく盛り上がりました♪。肝心の味はとても懐かしく美味しく、どストライクなカレーライスでした♪♪♪。どうしてこういうカレーを出す店が少なくなったんだろう、オールドファンはもちろん、若い人にとってはとても新鮮なカレーだと思うんだけど…。また伺いたいです。美味しいカレーごちそうさまでした♪♪♪

 

ニューエルビス

名古屋市西区中沼町

 

あらすじ
光と闇、生と死、絶望と愛……この世のすべてを内包する、比類なき劇場【帝国劇場】。2025年2月をもって一時休館となった同劇場の記憶を未来へと繋ぐ、世界でたった一つの“帝国劇場”小説が誕生!
白杖の父が遺した、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のパンフレット。そこには新人案内係からの手紙が挟まれていた――「ホタルさんへの手紙」
少年は、劇場のステンドグラスの裏側に寝泊まりしていた。舞台袖、楽屋食堂、馬小屋……館内を自在に歩き回る彼は、ある人を永遠に探し続けている――「内緒の少年」
劇場ロビーに一脚あるという“幸運の椅子”。売店で働くたった一人の“担当さん”だけが代々受け継いできたその伝説と、椅子に座った人々の元に訪れる幸運――「こちらへ、お座り下さい」
劇場の“壁”に深い愛着を抱いてきた税理士の男、観劇後に日傘を差し館内を歩く“パラソル小母さん”と呼ばれる女性……。彼らの思いを迎え入れ続けた劇場が、ついに最終公演の日を迎える――「劇場は待っている」ほか全八編を収録。
舞台上でスポットライトを浴びるスター、誰かにとっての特別な一日を支える案内係や売店スタッフ、客席から見えない裏側で上演を支えるエレベーター係や幕内係、そして観客……。劇場を愛し、劇場を作り上げてきた人々の密やかな祈りと願いがきらめく、豊饒な短編集。


ひと言
建て替えのため2025年2月に一時休館となったとなった帝国劇場。この本の作者の小川 洋子さんにとってはとても思い入れのある劇場だったのか、翌月の3月から「すばる」に毎月投稿された作品を集めたものがこの小説です。私はもちろん帝国劇場にも行ったことはありませんが、30年以上前に映画「屋根の上のバイオリン弾き」を観たことがあって、今でもサンライズ サンセット♪のメロディが心に残っています。伝説的な森繫久彌さんの舞台も観てみたかったなぁ…。2030年に改修される新・帝劇も多くの人の心に残る素晴らしい劇場となりますように。

 



老婦人がコートを着る間、新人案内係はバッグを持ってあげた。ロビーにあふれる観客たちのざわめきが、波のように二人のそばを通り過ぎていった。「あなたのおかげです」老婦人はコートのボタンを留め、襟を直し、前を向いて言った。「あなたが、小さな明かりを灯して下さったおかげです」新人案内係は、自分が為した当たり前の仕事には釣り合わない、感謝を捧げられていると感じた。それをどう受け取ったらいいのか、分からなかった。「ホタルの明かりを目印について行くと、ちゃんと自分の座席がありました」「はい。劇場の座席はいつでも、辛抱強く、お客様をお待ち申し上げています。本日はご来場、ありがとうございました」研修で注意された姿勢も、お辞儀の角度も、言葉の選び方も関係なく、ただ心の底からあふれ出る気持ちのまま、新人案内係はお礼を述べた。「そちら、右手の階段が地下鉄の駅につながっております。どうぞ、くれぐれもお気をつけて」「さようなら、ホタルさん」老婦人はバッグを受け取り、手を振りながら人波に消えていった。新人案内係はポケットの中のライトを握り、スイッチをカチ、カチ、といわせた。何の変哲もない市販のペン型ライトに、オレンジ色のセロフアンを二枚貼っただけの光が、こんなにも誰かを安心させる力を持っているとは、とても信じられなかった。ホタルさん、と呼んでもらえた喜びが、じわじわと胸に広がっていった。目障りになることなく、闇の中に正しい一筋の道を描く。それはホタルのように慎ましく、美しい光でなくてはならない。新人案内係は見えなくなった老婦人の背中に向かい、もう一度頭を下げた。
(ホタルさんへの手紙)

「泉門です」彼女の声は普段にも増してすぐ耳元から届いてきた。「ご存知のように、生まれたての赤ん坊は、骨と骨の境目がまだくっついていないので、ここに隙間ができています。危なっかしいと思いませんか? 一番大切な脳を包む骨が完全には閉じていないなんて」ガーゼを被せられ、椅子に横たわる彼は、うなずくことも首を横に振ることもできなかった。かつての頭蓋骨の隙間を探るように、彼女の指は更に深く髪の間に潜り込んできた。「もしかしたら……」少し間をあけてから、彼女は続けた。「生まれ落ちて、体と魂がきちんと一つになるまで、しばらく時間がかかるのかもしれません。先にこの世に出てきた体が、魂のために入口を開けて待っているんです。それが泉門、スプリングゲイトです」そうか、魂のための門か。彼は目を閉じた。睫毛がガーゼに触れていた。
(スプリングゲイト)

どうか、チャヴァの未来が平和でありますように、と女性は祈った。父親が自分のためにそうしてくれただろう、と信じるやり方で、膝の上で両手を合わせて祈った。きっと見えない目は、より深い真実を見通す闇を求め、閉じられていただろう。月日が流れ、再演が繰り返されてゆくうち、配役も替わっていった。初代のテヴィエは九百回もの上演記録を残して次の人に役をつなぎ、チャヴァは何人もの女優さんが演じた。と同時に女性も歳を取った。いつしか、テヴィエの年齢をすっかり追い越していた。去ってゆくチャヴァより、残されるテヴィエの哀れさが、より切実に胸に迫ってくるようになった。『屋根の上のヴァイオリン弾き』の世界は変わらず舞台の上にあり続けるのに、客席にいる者は時と共に老いてゆくしかないのだった。テヴィエはしばしば空の神さまに向かって話しかける。愚痴をこぼしたり、質問を投げかけたり、不安な言葉を漏らしたりする。答えは戻ってこないと承知していながら、心の内をさらけ出す。そうやってまたトボトボと牛乳を売りに行く。家族を愛するという、最も平凡で最も尊いことを成し遂げているテヴィエを、お守り下さい。彼女はハンドバッグの中に手を差し入れ、パンフレットを撫でながら、テヴィエの視線の先にいる空の神さまに向かって祈った。ただの冊子であるはずのパンフレットに触れているうち、父親の左腕の感触がよみがえってきた。そう遠くないうち、父親と再会した時、左腕にそっと手を添えさえすれば、すぐに娘だと分かってくれるだろう。舞台のテヴィエが神さまに愛されている限り、父親も自分も幸せでいられるはずだ。終演後、彼女はロビーの中央でひととき立ち止まる。あたりを見回し、案内係さんたちを探す。皆が最後まで、プロとして抜かりなく心を配っている様に目をやる。形見となった手紙をくれたのがどの案内係さんなのかはもちろん分からないし、たぶんもう退職されているに違いない。しかしそんなことは気にせず、一番初々しそうな案内係さんに近寄ってゆく。「あのう……」案内係さんは振り向き、はい、どうぞ、どんな言葉でも受け止めます、という表情を見せてくれる。「素晴らしい舞台を観せていただき、ありがとうございました」そう言って、女性は頭を下げる。それ以外にどんな言葉が必要だろう。「本日はご観劇、どうもありがとうございました。またのご来場をお待ち申し上げております」案内係さんと女性、二人の視線が交わる。この時、劇場に来たもう一つの大事な目的が果たされる。
(劇場は待っている)

 

 

 

 

今日は朝から八事日赤病院へ行った後、自由ケ丘の「うどんのいなや」へお昼を食べに行きました。先日TVで紹介されたということもあるのか結構な行列です。みそ中華(大)(870円)をいただきます。具材はちょっとあっさりしすぎているので並にしてトッピングを追加すればよかったかなと少し後悔。ただお店名物の濃いめの赤味噌のスープはとても美味しく、人気店だけのことはあります。隣の人が食べていたカレーうどんのコロッケトッピングがとても美味しそうだったので、次はそれをいただこうかな。ごちそうさまでした。

 

うどんのいなや 自由ヶ丘店

名古屋市千種区自由ヶ丘3

 

今日はイオンモールナゴヤドーム前の「北京本店」へお昼を食べに行きました。三河安城駅前の本店には4回ほど食べに伺ったことがあるのですが、8月7日にドームのイオンにオープンするというニュースを聞き、お盆明けの今日なら、もう大行列はないだろうと伺いました。予想通り3人ほどの待ちですんなりといただくことができました♪。お肉が2倍のDX北京飯(1300円)をいただきます。美味しい!うーんこの味 この味、久しぶり!。最近ではもう全国区並みになった安城名物だけあってとても美味しいです♪♪。ただお肉2倍のDXを注文しましたが、自分が歳を取って食べられなくなったのか、お肉が多すぎに感じました。次は普通の北京飯をいただくことにします。それにしてもなかなか行きにくい本店ではなく、気軽に立ち寄れるナゴヤドーム前に出店してくれたのはうれしい限り。自分的には餃子の王将、ココイチなどと並んで時々無性に食べたくなる逸品の北京飯なので、また伺わせてもらいます。ごちそうさまでした♪♪♪

 

北京本店 イオンモールナゴヤドーム前店

名古屋市東区矢田南4 イオンモールナゴヤドーム前 フードコート 2F

 

 

 

 

あらすじ
九州だけに展開するコンビニチェーン「テンダネス」。その名物店「門司港こがね村 店」で働くパート店員の日々の楽しみは、勤勉なのに老若男女を意図せず籠絡してしまう魔性のフェロモン店長・志波三彦を観 察すること。なぜなら今日もまた、彼の元には超個性的な常連客(兄含む)たちと、悩みを抱えた 人がやってくるのだから……。コンビニを舞台に繰り広げられる心温まるお仕事小説。


ひと言
町田 そのこさんの作品はほぼ読み、残るはこの「コンビニ兄弟①~⑤」のみとなったので、最初からあまり気が進まなかったのですが借りて読み始めました。第一話、第二話までは、ていねいに読んだのですが、自分が求めている町田 そのこ作品とは違うような気がして、残りの話は斜め読みになりました。9月には町田 そのこさんの新刊が出るとのことなのでそれを楽しみにしています。

 

 

あらすじ
広島の被爆少年少女の体験手記を集めた『原爆の子』(1951年初版、岩波文庫)は、投爆直後の貴重な証言集として、発売当時から国内外に衝撃を与え、現在も読み継がれる。1972年、執筆者らのグループ「きょう竹会」が発足し、以来50年にわたり、年に一度広島で集まり、被爆者の人生の苦悩を分かち合い、励まし合ってきた。本書では、同会の会長である著者が自らの被爆者人生を振り返りながら、仲間とともに「原爆の子」らがこの80年をどのように生き抜いたのか、伝える。


ひと言
図書館で青少年読書感想文全国コンクール の高等学校の部の課題図書という本の帯が目にとまり読んでみようと思いました。昨日8月6日は81回目の広島平和記念日でした。この本の中に出てくる沼田 鈴子さんに三十数年前 広島の平和記念公園で大変お世話になり、「何か困ったことがあったら連絡くださいね」と名刺までいただいたことがあります。第一章の人生が一変した八月六日は今まで読んだ体験談の中でもすごく心に残る生々しい記述でした。沼田鈴子さんの言葉「平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること」を改めてかみしめています(合掌)。



前出の篠田さんは、長く人前で体験を語ることにためらっていましたが、七十代後半になり証言活動を始め、八十五歳で広島市の「被爆体験証言者」になりました。篠田さんの背中を押したのは、被爆語り部の沼田鈴子さんでした。沼田さんは被爆当時二十二歳でした。爆心地から 約一・三キロメートルの勤務先、広島逓信局(現・中区)にいました。建物の下敷きになり、左足を切断。婚約者も戦死し、戦後は生きる希望を見出せずにいましたが、新芽を出した被爆アオギリに勇気づけられ、生きることを決心したと語っています。沼田さんは、広島平和記念公園の被爆アオギリの下で修学旅行生たちに被爆体験を語り続けていました。篠田さんは沼田さんとのやりとりを次のように語っています。
知り合ったのは被爆から5年後、入学し直した安田女子高(中区)の2年生の時。家庭科教諭だった沼田さんの授業を受けた。お互いの趣味の編み物を通して親しくなり、たくさんの猫と暮らしていた沼田さんの自宅に招かれたこともあった。(中略)恩師をそばで支えていたある日、「篠田さんの被爆体験を聞かせてほしい」と市民団体から依頼を受けた。長く封印してきた記憶だ。迷っていると、沼田さんに言われた。「あなたが見たままを語りなさい。私のような経験をする人間を二度とつくってはいけない」。自分が知る被爆の実情を語ることが、二度と被爆者をつくらないことにつながるのだと、恩師の言葉を受け止めた。
(中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター 2024年11月25日付より抜粋)
(第四章 未来への「遺言」)

私たちは比治山にのぼって、山の防空ごうに入りました。その途中父は、方々の家の屋根や、植木などに燃えている火を、水そうの水をかけて消してゆきました。しかしそんなことでは、とうていかなうことではありません。またその途中で、いく人か死んでいるのを見かけました。そのたびごとに私は胸がつまって、とても見ていられませんでした。しかしだんだんと山をのぼっていくうちに、たくさんの死人がごろごろしていたので、どうしても見ないわけにはゆきませんでした。その中には、私の知っている人もだいぶいました。そのたびに私は、なみだが出てしかたがありませんでした。やっと山の防空ごうにたどりついたのですが、やはり父はおちつかないらしく、下の方へおりで行きました。まもなくバケツに水を入れそれにひしやくをつけてあがってきました。山にのぼる途中でもう息もたえだえになって。「水をくれ、水をくれ。」と叫んでいる人々に、役人が「水をやってはいけない」と言うのもかまわずに一口ずつ入れてやりながら、あがって来たのだそうです。「どうせ水をやっても、やらなくても死ぬ人なら、ほしがる水くらいのものはやってもいい」というのが父の考えでした。私もまた父の考えがもっともだと思いました。
山の途中のほら穴は、今から考えると、とても入ることのできるような穴ではありませんでした。けが人でいっぱいで、もう死んでいる人もたくさんいました。穴の中は真暗で、やけどや、きずの生々しいにおいで、息もつまりそうでした。頭の上ではぶんぶんとたくさんのアメリカの飛行機がとんでいます。そして今にもばくだんをおとしそうな気がして、一時もぐずぐずしてはいられません。しかしあとで分ったことですが、それらの飛行機はあの原爆を落した後の有様はどんなかと、ていさつに来たのだということです。その時のあのむごたらしい様子を空から見て、アメリカ人はどう思ったでしょう。いかにわれわれの敵であったとはいえ、なみだをのまずにはいられなかったと思います。
([付録1]「原爆の子」に収録された手記)

 

 

 

 

伏見できしめんを食べた後、栄のHAERA(ハエラ)に立ち寄りました。地下1階の「赤坂おぎ乃 和甘」は以前は大行列で整理券が必要でしたが、今日は並べば買えるというので10人ほどの列に並び、あずきマスカルポーネ(560円)あずき塩バター(560円)あずき生クリーム(560円)をいただきます。少し値が張りますが、焼きたてのふわふわの生どらやきはどれも甘さ控えめでとても美味しいです♪。やっぱり人気のマスカルポーネが一番好きかな。ごちそうさまでした♪

 

赤坂おぎ乃 和甘

名古屋市中区錦3 HAERA B1F

 

今日は伏見の「名代きしめんげんき庵」へお昼を食べに行きました。本日のランチ(きしめん(温)、ミニミックス天丼)(850円)をいただきます。めちゃくちゃ美味しいとは言いにくいですが、これで850円はとてもお値打ちでお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。

 

名代きしめんげんき庵

名古屋市中区栄1

 

 

あらすじ
神々と古代人の躍動感が、生きた言葉でよみがえる!「古事記」全巻を完全現代語訳した、現代日本人必読の一冊。「信じられないほど読みやすい」「はじめてでも完読できた」「今までで最高の現代語訳」「何度も挫折していたけれど、本書は最後まで読めました!」との賞賛の声が続々!著者は、明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰。著者からの「より読みやすくして届けたい」の声から始まったプロジェクト。


ひと言
東野 圭吾さんの訃報にふれて、途中「容疑者Xの献身」を読むのが優先されましたが、どうにかこうにか読み終えることができました。以前にまんがで古事記を解説する本を読んだことがあって、伊邪那岐神と伊邪那美神、天照大御神と須佐之男命、倭建命のあたりはなんとなく覚えていたので少しは読みやすかったです。それにしても「そこまで言って委員会」の竹田 恒泰さんしか知らなかったので、この学者ぶりにびっくりでした。

さて、伊耶那岐神は最後に顔をおすすぎになりました。左の御目をお洗いになった時に成ったのが、天にましまして照りたもう神である、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。右の御目をお洗いになった時に成ったのが、月の神である、月読命(つくよみのみこと)。御鼻 をお洗いになった時に成ったのが、嵐の神で、勇猛迅速に荒れすさぶる神である、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。          
(二 伊邪那岐神と伊邪那美神)

すると、須佐之男命は「自分の心が明るく清いから、たおやかな女の子が生まれたのです。だから私の勝ちだ」と仰って、勝ち誇ったように、天照大御神の田の畔を壊し、溝を埋め、しかも大嘗(おおにえ)(新嘗祭。神に新穀を供える神事)を行う神聖なる御殿に糞をまき散らして、高天原で大暴れしました。須佐之男命のひどい行いにもかかわらず、天照大御神はこれをお咎めにならず、次のように仰せになって弟をおかばいになりました。「糞をまいたというのは、酔って吐いたものでしょう。また田の畔を壊し、溝を埋めたのは、土地が惜しいと思ったからでしょう」しかし、弟の悪態はひどくなる一方でした。天照大御神が機織小屋で神の衣を織らせていると、須佐之男命はその小屋の屋根に穴をあけ、尻の方から皮を剥いだ馬を落とし入れました。その時、機織女はびっくりして、捘(ひ)(機の横糸を通す道具)で、陰上(ほと)(女性器)を突き剌して死にました。これには天照大御神も黙ってはいらっしゃいませんでした。天の石屋戸(いわやと)(高天原にある洞窟の入口を塞いでいる岩)をお開けになって、洞窟の中にお引き龍もりになったのです。すると、高天原は暗闇に包まれました。葦原中国(あしはらのなかつくに)もことごとく暗くなりました。昼が来ない夜だけの世界になり、万(よろず)の神の声が夏蝿(なつばえ)のように満ちあふれ、万の災いがことごとく起こるようになったのです。
(三 天照大御神と須佐之男命)

解説 欠史八代
『古事記』には、綏靖(すいぜい)天皇から開化天皇までの八代の天皇について、崩御の年齢、宮廷の場所、御陵の場所、妻と子どもの名前などを記しているだけで、具体的な御事績などは明らかにされていません。そのため、この八代の天皇は「欠史八代」と呼ばれることがあります。欠史八代は皇室の歴史を長く見せるために後世に創作されたという考え方があります。中でも孝安天皇と孝霊天皇は百歳以上まで生きたと書かれていることもあり、実在しなかったというのです。
(第二代 綏靖天皇)

倭建命の薨去
倭建命(やまとたけるのみこと)が尾津前(三重県桑名市多度町付近)の一本松の所へお着きになると、かつてそこで食事をなさった時にお忘れになった御刀(みはかし)が、なくならずにまだありました。……。……。その地よりお進みになり、三重の村(三重県四日市市采女(うねめ)町)に至った時、倭建命は次のように仰せになりました。「私の足は三重の勾餅(まがりもち)のように、腫れてねじ曲がってしまい、とても疲れた」そこで、その地を三重というのです。そこからさらにお進みになり、能煩野(のぼの)(三重県鈴鹿市と亀山市にまたがる地帯)に至ると、国を偲んで次のお歌をお詠みになりました。
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし
大和は国の中でも最も優れた国である。畳み重ねたようにくっついた、国の周囲を廻る、青々とした垣根のような山々の内に籠っている。大和は美しい。
(第十二代 景行天皇)

解説 なぜ『古事記』は推古朝で終わっているのか
『古事記』の編纂を命ぜられたのは第四十代天武天皇で、当時は推古天皇の次の舒明天皇以降が「現代」と考えられていました。そもそも『古事記』という書名が「古い事を記した書物」というような意味があり、舒明天皇以降の現代については記述する意図が最初から無かったものと思われます。『古事記』が完成したのは第四十三代元明天皇の御世でした。元明天皇は推古天皇の兄弟の玄孫(やしゃご)に当たり、推古天皇の崩御から元明天皇の御即位まで七十九年の開きがあります。『古事記』が完成した元明天皇の時代では、推古天皇の時代はすでに古い時代に当たると考えて良いでしょう。だから全体として『古事記』という名称であっても矛盾はありません。また、武烈天皇からは、簡潔な記事しか見えなくなることはすでに指摘したとおりですが、これは『古事記』が神話を中心にまとめられたものだからです。しかも『古事記』の記事は全体を通じて簡潔さが重視されているようです。つまり『古事記』には、①古い事を、②神話を中心に、③簡潔にまとめる、という編纂方針があり、そのために、武烈天皇以降の記述が簡素なものとなり、全三巻という少ない紙面のなかで、第三十三代推古天皇までを記し、完結しているのです。
(第三十三代 推古天皇)