あらすじ 
天才数学者でありながら不遇な日々を送っていた高校教師の石神は、一人娘と暮らす隣人の靖子に秘かな想いを寄せていた。彼女たちが前夫を殺害したことを知った彼は、2人を救うため完全犯罪を企てる。だが皮肉にも、石神のかつての親友である物理学者の湯川学が、その謎に挑むことになる。ガリレオシリーズ初の長篇、直木賞受賞作。福山雅治主演で2008年に映画化され、堤真一、松雪泰子の熱演も話題になった。累計320万部突破!東野圭吾40周年企画「104冊1億部 全国民投票」で圧倒的第1位!


ひと言
ニュースで7月23日に東野圭吾さんがお亡くなりになっていたという報にふれたとき、「えっ、嘘だろ!!」と信じられませんでした。そして20年ぶりにもう一度読み直そうと、すぐに街の図書館にこの本の予約を入れ、その夜にプライム・ビデオでこの映画を観直しました。あのときのラストの驚きと感動は今でも色あせることはありませんが、結末がわかっている今読み返してもやっぱり感動の一冊でした。私が、そして多くの人々にとって東野 圭吾作品を読むきっかけになった一冊であり、100冊を超える東野 圭吾作品の中の最高傑作、No1作品だと思います。

 


俺より3つ歳上だけなのに…早すぎるよ圭吾さん!たくさんの感動作をほんとうにありがとう。20年ぶりにまたこの本と出会えてほんとうにほんとうによかった。ありがとう。ご冥福を心よりお祈りいたします(合掌)。

「でもこいつには興味があるわけか」石神は自分のノートを手にした。「証明済みだからな。証明されたことは知っておいて損はない」彼は石神の目を見て続けた。「四色問題は証明された。すべての地図は四色で塗り分けられる」「すべてじゃない」「そうだった。平面または球面上、という条件つきだったな」それは数学界において最も有名な問題のひとつだった。『平面または球面上のどんな地図も四色で塗り分けられるかどうか』というもので、一八七九年にA・ケーリーによって提出された。塗り分けられることを証明するか、それが不可能な地図を考案すればいいわけだが、解決されるまでに百年近くを要した。証明したのはイリノイ大学のケネス・アッペルとウォルフガング・ハーケンで、ふたりはコンュータを用い、あらゆる地図が約百五十の基本的な地図のバリエーションでしかないことを確かめ、それらすべてについて四色で塗り分けられることを証明したのだ。一九七六年のことだった。「俺はあれが完全な証明だとは思っていない」石神はいった。「そうなんだろうな。だからこそ、そうやって紙と鉛筆で解こうとしているわけだ」「あのやり方は人間が手作業で調べるには膨大すぎる。だからこそコンピュータを使ったんだろうが、おかげてその 証明が正しいのかどうかを完璧に判断する手段がない。確認にもコンピュータを使わなければなんてのは、本当の数学じゃない」「やっぱりエルデシュ信者だ」長髪の男はにっこり笑った。(6)

湯川は軽く首を振りながら、草薙と向き合って座った。「最後に石神と会った時、彼から数学の問題を出された。P≠NP問題というものだ。自分で考えて答えを出すのと、他人から聞いた答えが正しいかどうかを確かめるのとでは、どちらが簡単か――有名な難問だ」草薙は顔をしかめた。「それ、数学か。哲学的に聞こえるけどな」「いいか。石神は一つの答えを君たちに提示した。それが今回の出頭であり、供述内容だ。どこから見ても正しいとしか思えない答えを、頭脳をフル回転させて考案したんだ。それをそのままはいそうですかと受け入れることは、君たちの敗北を意味する。本来ならば、今度は君たちが、全力をあげて、彼の出した答えが正しいかどうかを確かめなければならない。君たちは挑まれているし、試されているんだ」「だからいろいろと裏づけを取っているじゃないか」「君たちのしていることは、彼の証明方法をなぞっているだけだ。君たちがすべきことは、ほかに答えがないかどうかを探ることなんだ。彼の提示した答え以外には考えられない――そこまで証明して初めて、その答えが唯一の解答だと断言できる」強い口調から、湯川の苛立ちを草薙は感じた。常に沈着冷静なこの物理学者が、そんな表情を見せることはめったにない。(17)

石神は相手の男を殺害した。顔を潰したのは、もちろん富樫慎二でないことを隠すためだ。しかしじつは指紋を焼く必要はなかった。レンタルルームには殺された男の指紋が残っているはずだから、そのままでも警察が死体の身元を富樫慎二と誤認しただろうからね。だけど顔を潰す以上、指紋も消しておかないと犯人の行動として一貫性がない。そこでやむをえず指紋を焼いたんだ。ところがそうなると、警察が身元の確認に手間取るおそれがある。だから自転車のほうに指紋を残したんだ。衣類を串途半端に燃え残したのも同様の理由からだ」「しかしそれなら自転車が新品である必要はないんじゃないか」「新品同様の自転車を盗んだのは、万一のことを考えたからだ」「万一のこと?」「石神にとって重要なことは、警察が犯行時刻を正確に割り出してくれることだった。結果的に解剖によって比較的正確に推定できたようだが、死体の発見が遅れるなどして、犯行時刻に幅をもたせられることを最も恐れたんだ。極端な場合、前日の夜、つまり九日の夜まで広げられたら、彼等にとって極めてまずいことになる。その夜は実際に花岡母娘が富樫を殺した日だから、彼女たちにアリバイはない。それを防ぐため、少なくとも自転車が盗まれたのは十日以後だという証拠がほしかった。そこであの自転車だ。丸一日以上放置されているおそれの少ない自転車、盗まれた場合に持ち主が盗難日を把握していそうな自転車、となると新品同様の自転車ということになる」「あの自転車にはいろいろな意味があったということか」草薙は自分の額を拳で叩いた。「発見された時、両輪がパンクさせられていたという話だったね。それも石神らしい配
慮だ。おそらく、誰かに乗り逃げされるのを防ぐためだろう。彼は花岡母娘のアリバイを生かすために細心の注意を払ったんだよ」「だけど彼女たちのアリバイはそれほど確実なものではなかったぞ。映画館にいたという決定的な証拠は、今も見つかっていない」「だけど、いなかった、という証拠も君たちは見つけられずにいるだろ?」湯川は草薙を指差した。「崩せそうで崩れないアリバイ。これこそが石神が仕掛けた罠だった。もし鉄壁のアリバイを用意していたなら、警察は何らかのトリックが使われた可能性を疑う。その過程で、もしかしたら被害者が富樫慎二ではないのではないか、という発想が出てくるかもしれない。石神はそれを恐れた。殺されたのは富樫慎二、怪しいのは花岡靖子、そういう構図を作り上げ、警察がその固定観念から離れられないようにしたんだ」草薙は唸った。湯川のいうとおりだった。死体の身元が富樫慎二らしいと判明した後、すぐに花岡靖子に疑いの目を向けた。彼女の主張するアリバイに、中途半端な点があったからだ。警察は彼女を疑い続けた。だが彼女を疑うということは、即ち、死体が富樫であることを疑わない、ということになる。恐ろしい男だ、と草薙は呟いた。同感だよ、と湯川もいった。「僕がこの恐るべきトリックに気づいたのには、君の話がヒントになっている」「俺の?」「石神が数学の試験問題を作る時のセオリーというのがあっただろ。思い込みによる盲点をつく、という話だ。幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題、というやつだ」「あれがどうかしたのか」「同じパターンなんだよ。アリバイトリックに見せかけて、じつは死体の身元を隠すという部分にトリックが仕掛けられていた」あっと草薙は声を漏らした。「あの後、君に石神の勤怠表を見せてもらったことを覚えているかい。あれによると、彼は三月十日の午前中、学校を休んでいた。事件とは関係がないと思って、君は重視していなかったようだが、あれを見て僕は気づいたんだ。石神が隠したい最も大きな出来事は、その前夜に起きたのだとね」                     
隠したい最も大きな出来事――それが花岡靖子による富樫慎二殺しというわけだ。(18)


それらの指示の最後に、次の文章が付け足してあった。『工藤邦明氏は誠実で信用できる人物だと思われます。彼と結ばれることは、貴女と美里さんが幸せになる確率を高めるでしょう。私のことはすべて忘れてください。決して罪悪感などを持ってはいけません。貴女が幸せにならなければ、私の行為はすべて無駄になるのですから。』読み返してみて、また涙が出た。これほど深い愛情に、これまで出会ったことがなかった。いやそもそも、この世に存在することさえ知らなかった。石神のあの無表情の下には、常人には底知れぬほどの愛情が潜んでいたのだ。(18)   


彼女たちとどうにかなろうという欲望は全くなかった。自分が手を出してはいけないものだと思ってきた。それと同時に彼は気づいた。数学も同じなのだ。崇高なるものには、関われるだけでも幸せなのだ。名声を得ようとすることは、尊厳を傷つけることになる。あの母娘を助けるのは、石神としては当然のことだった。彼女たちがいなければ、今の自分もないのだ。身代わりになるわけではない。これは恩返しだと考えていた。彼女たちは身に何の覚えもないだろう。それでいい。人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。
富樫の死体を目にした時、石神の頭の中ではすでに一つのプログラムが出来上がっていた。死体を完璧に処分するのは困難だ。どれだけ巧妙にやっても、身元の判明する確率をゼロにはできない。また仮に運良く隠せたとしても、花岡母娘の心が安らぐことはない。いつか見つかるのではないかと怯えながら暮らすことになる。彼女たちにそんな苦しみを味わわせることは耐えられなかった。靖子たちに安らぎを与えるには方法は一つしかない。事件を、彼女だちと完全に切り離してしまえばいいのだ。一見繋かっていそうだが、決して交わらない直線上に移せばいい。(18)
 

 

今日は六番町の「玉家」へお昼を食べに行きました。いつもは敬老パスを利用して電車、バスで伺うのですが、ここ最近の暑さと公共交通機関では少し行きにくい場所にあるので車で伺います。カツ入りカレーきしめん(1250円)をいただきます。ねぎとかしわ、そしてとんかつとカレールウの組み合わせはもちろん美味しいのですが、レタスがまたとてもよくカレーに合い美味しいです。また食べたくなる美味しさでした。ごちそうさまでした♪♪

 

玉家

名古屋市熱田区一番2

 

連日40℃に迫る酷暑が続き、外食も億劫になりますが、今日は他の用事もあったので、大須で創業百年を超える老舗の「御幸亭 (みゆきてい)」へお昼を食べに行きました。Cランチ(味噌カツ)をいただくつもりでしたが、日曜はやっていないということなので海老フライ、ロースハム、味噌カツが盛られた本日のランチ(1450円)をいただきます。少し甘めの味噌だれがとても美味しいです。お店の中はビートルズと猫のパネル等でいっぱい。待合の壁には1966年の武道館コンサートの会場でしか販売されていないと思われる貴重なタオルが飾ってありました。貴重なお宝も観られて大満足です。ごちそうさまでした♪

 

御幸亭 (みゆきてい)

名古屋市中区大須3

 

美味しいおばんざいランチをいただいた後、本山まで歩き、娘から教えてもらった塩パンが美味しいと評判の「ピーグリーンベーカリー 名古屋本山店」へ。塩パン(150円)、塩あんバター(220円)テリヤキクロックムッシュ(550円)夏野菜のカレーパニーニ(450円)をいただきます。塩パンをリベイクしていただきましたが、後味がとてもよく評判通りの美味しさです♪。他のパンももちろん美味しいのですが、やっぱり塩パンの美味しさは特筆ものです。また伺わせてもらいます。ごちそうさまでした♪♪

 

ピーグリーンベーカリー 名古屋本山店

名古屋市千種区猫洞通4

 

今日はほんとうに久しぶり、2年ぶりに、私のグルメの師匠と末盛通2丁目にある「おばんざいとスイーツ やまざき」にお昼を食べに行きました。師匠が予約しておいてくれた10食限定の京おばんざいランチ(1680円)をいただきます。豚肉と夏野菜の甘酢餡かけ、とうもろこしの冷製茶碗蒸しなど季節を感じるおばんざい5品に十五穀ごはん、なめこの味噌汁が付き、どれもとても美味しいです♪♪

 

 

お店の名前がおばんざいとスイーツと謳っているだけあり、これも師匠おすすめの天ぷらどら焼き(350円)ともちっとどら焼き(300円)を半分に切ってもらってシェアしてアイスコーヒーと一緒にいただきます。

 

 

うんこれもとても美味しいです♪♪特に天ぷらどら焼きは、すぐ明日にも食べたくなるような美味しさです。2年ぶりの再会で積もる話と美味しい食事に大満足です。また近いうちのランチを約束をして名残惜しいですがお別れです。久しぶりに誘ってもらいありがとうございました。ごちそうさまでした♪

 

おばんざいとスイーツ やまざき

名古屋市千種区末盛通3

 

あらすじ
これ1冊で『源氏物語』全部を読んだ気になれる!著者曰く、『源氏物語』の世界をより知るにつれ、のめり込んで面白くなり、たくさんの方々に是が非でも伝えたくなってしまったい、衣装など時代設定もおろそかにはできなくなり、気がついたら構想から6年、制作の実作業に3年もかかってしまいました。それだけにこの書は必読です。一帖8コマ、全54帖。解説もまじえ、オールカラーかき下ろし。


ひと言
今まで源氏物語は何度か挑戦(もちろん現代語訳)して挫折。こういう一帖8コマ漫画は初めてでした。どうにか最後まで読み終えることができましたが、これで全54帖を読んだという気にはなりませんでした。ただ今までは辿り着くこともできなかった「橋姫」から始まる宇治十帖は、これが宇治十帖と呼ばれるものなのか…と少しは触れることができてとてもよかったです。

 

 


 

 

 

 

今日は今池の「美よし」へお昼を食べに行きました。みそカツ定食(1050円)をいただきます。みそだれがかかっているのではなく、みそだれの中に漬け込んであるのか端までしっかりとみそだれを味わうことができます♪玉ねぎのスライスが付け合わせについていて少し苦みがあるかなと思いましたが、まったく苦みもなくとても美味しい付け合わせそして美味しいみそカツでした。ごちそうさまでした♪♪

 

美よし

名古屋市千種区今池5

 

 

あらすじ

2020年、愛媛県の済美と石川県の星稜、強豪2校に密着した元高校球児の作家は、彼らに向き合い、〝甲子園のない夏〟の意味を問い続けた。退部の意思を打ち明けた3年生、迷いを吐露する監督……。パンデミックに翻弄され、日常を奪われたすべての人に送る希望のノンフィクション。


ひと言
2020年の3月、新型コロナウイルス感染症の感染拡大で、全国ほとんどの学校が5月中旬までの約3か月一斉休校となり、甲子園だけでなく、インターハイも中止となりました。大人の社会生活にも多大な影響を与えましたが、子どもたちに与えた影響や心の傷は計り知れず、あんな禍はもう二度と起こって欲しくないと強く強く思います。
もう50年も前になりますが、私が通っていた高校はすぐ横に鉄道とそれを挟むように自動車専用道路が走っていたので、ファウルボールで大事故が発生するかもしれないという理由で学校が野球部の設立を認めてくれませんでした。生徒会がフェンスを高くして野球部を作って欲しいと署名活動をしたこともあります。また野球部は道具代、遠征の交通費、試合の審判員代etcと他の部活に比べて非常にお金がかかります。また危険がないようにと朝練のバッティングが前提で、そのお弁当を早朝から作る保護者の理解や協力がないと成り立たないのが高校野球です。野球部がない、経済的、お弁当や送り迎えなどの負担を保護者にかけたくないなどの理由で、野球をやりたくてもあきらめている高校生はたくさんいると思います。野球をやりたくてもあきらめてしまった人の思いや、いろいろな人々の支えのもとで野球ができていることに感謝の気持ちを忘れず、精一杯の悔いのないプレイを期待しています。頑張れ高校球児!

そしてもう一つ、僕には「もの悲しい」と感じる理由があった。スタンドにいる控え選手たちの姿だ。センバツ出場校に対する救済措置として、今回の甲子園交流試合はおそらく成功だった。観客はいなくとも、ブラスバンドの演奏はなかったとしても、グラウンドの選手たちは間違いなく真剣勝負ができたはずだ。では、スタンドの選手たちはどうだったか。運営側がすべてをお膳立てできるとは思っていないし、最善が尽くされていたのも理解している。それでも僕自身が補欠だったからよくわかる。背番号をもらえた選手にとってグラウンドがお披露目の場なのだとしたら、控えの選手にとってはスタンドでのどんちゃん騒ぎこそが最高の晴れ舞台だ。この夏、田村天や荒井貴大は応援席で声を上げることすら許されなかった。口をマスクで覆い、仲間とも一定の距離を保ち、グラウンドに向け拍手しか送れない三年生の控え部員にとっても、この甲子園は「救済」となり得たのだろうか。表情さえ見えない彼らの姿を遠くから見つめながら、そんなことを考えた。
(第六章 「もの悲しさ」の正体は何?)

三年生だけじゃない。社会全体が最後の大会を失った三年生を”お客さま扱い”する中で、本当の意味で”被害”を被っだのは二年生かもしれなかった。三年生が主体のチーム作りを余儀なくされ、新チームの始動が立ち遅れたケースもあっただろう。そんな二年生たちは、落ち込んだり、ふて腐れたり、注目されたり、一方的に思いを託してきたりする先輩たちをいったいどう見ていたのだろうか。何人かからは話を聞いた。返ってきたのは「でも、先輩たちは苦しい思いをしているので」といった優しい言葉ばかりだった。もちろん、それがウソとは思わない。ただ、仮に彼らの胸の中に鬱屈した思いがあったとしても、絶対にそれは表に出てこない。あの年の三年生をどう見ていたか。彼らが語れるのはもう少し先のことになるだろう。
(第七章 最後に泣けた? 笑えた?)

佐藤敦基(済美高校)八月十七日・「資格の大原」愛媛校にて
―― 佐藤くんにとって二〇二〇年の夏がどういうものだったか教えてください。
「コロナで夏の大会がなくなって、それを良かったとは言えないですけど、そうなってはじめて気づけたことがありました。これまで当たり前に野球ができていて、そのことに対する感謝の気持ちを持てというふうに教えられていて、自分でもそうしていたつもりだったんですけど、違いました。たくさんの大人が、たとえば私学交流戦の準備をしてくれている姿などを見て、本当の意味で感謝する気持ちを持てたと思っています。普通の夏を普通に過ごして終わってしまうより、自分たちにしか持てない感情を得たんじゃないかと思います。人間性という部分で、大きく成長できた期間だったんじゃないかと思っています」
―― そういう期間を経て、これからどういう人生にしたいですか。
「自分たちは『コロナ世代』なんていう呼ばれ方をしていて、周囲から『かわいそう』と言われることが多いんですけど、あまりしっくり来ていません。大きなものをなくしたからこそ、多くの視点で物事を考えられる人間になれるんじゃないかと思っています。本当に得たものの方が大きいと思っているので、何年か後、コロナで甲子園がなくなった世代と紹介されたときには『かわいそう』じゃなく、尊敬されるというか、この期間で学んできたものを認めてもらえるような人生にしていきたいです」
―― あらためて、佐藤敦基にとってどういう夏でしたか。
「自分が失ったものの大きさより、大きく人間的に成長できた夏だったんじゃないかと思っています」
(第七章 最後に泣けた? 笑えた?)
 

 

 

今日は伏見の「ひびの食堂」へお昼を食べに行きました。人気の海鮮丼(1400円)をいただきます。毎日ネタが変わるとのことですが、今日のネタはカツオ、ヒラメ、カンパチ、ゴマサバ、ネギトロ、玉子の6種類がこれでもかと盛られています。見るからにとても新鮮なネタがたっぷり盛られていて、どれもモチッとしてとても美味しいです♪♪♪。こんなにネタがたっぷり盛られているとは思わなかったので、ごはんを並盛(250g)で注文しましたが無料の大盛(350g)にしたほうがよかったかな…。とても美味しい大満足の海鮮丼でした。ごちそうさまでした♪♪♪

 

ひびの食堂

名古屋市中区栄1

 

 

あらすじ
小学生のとき、担任の先生と町の外からやって来た男が駆け落ちしたのを忘れられない主婦。東京でバツイチ子持ちの恋人との関係に寂しさを覚える看護師。認知症の義母に夫とのセックスレスの悩みを打ち明ける管理栄養士。父と離婚した母が迎えに来て、まもなく転校することになる小六の女の子。発達障害のある娘を一人で育てるシングルマザー。小さな町で、それぞれの人生を自分らしく懸命に生きる女性たちを描いた感動作。


ひと言
うん、これもいい!。やっぱり町田 そのこは全部いい!ということを再確認させてくれる一冊でした。ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章(ラルゴ)の「家路」。学校の下校時の放送に一番多く使われているであろう名曲「遠き山に 日は落ちて……」。この本の最後を以下に抜粋しますね。ほらドヴォルザークが聞こえてくるでしょ。
「春風、今日は楽しかった?」「カレーがおいしかった。おばあちゃんに、お夕飯はカレーにしてって言った」「え!夕飯もカレーなの?」小さなぬくもりを握りしめて、校門を出た。「あ、お母さん見て。いちばんぼしだよ」春風が、空いている方の手で空を指す。綺麗な金色が輝いていた。「きれいだねえ。明日もきっと、晴れるね」「ほんとうだね」賑やかな夕暮れは過ぎ、明日を告げる星が静かに煌(きら)めいている。そっと、校舎を振り返る。わたしたちはここに集い、多くを学び、多くの失敗をし、多くを感じ、多くの記憶を重ねた。そして、それぞれの家に帰っていく。明日への希望を抱えて、明日を迎える支度をして、生きていく。人生の故郷をときどき振り返りながら、これからも、ずっと。

「四十四で、甘えたことを言ってるんかもしれません。だから、仕方ないことなのだからと言い聞かせて、受け入れようとしました。でも、寂しいし、虚しいし、辛いんです」ははあ、と義母が呟いた。壁の展示にしばらく視線を向ける。ばかなことを言っている嫁だと呆れたのだろうかと思っていると、「嫌やねえ」と苦々しく呟いた。「子どもは親の背中を見て育つち言うけど、あの子は父親の背中しか見とらんやったんやろうねえ」やれやれ、というように義母が頭を振った。「一緒にいて寂しいと思わないといけんなんて、そんな悲しいことありますか。夫婦は互いの人生を豊かにするために寄り添うんです。佳代子さん、あなた、嫌な思いをしたねえ」分かってくれるひとがいた。耐えきれず、涙が一粒だけ転がった。慌てて手の甲で拭う。「でもね、あたしは務の母親やけん、話し合って歩み寄ってくれち、言います」展示を見つめたまま、義母が続ける。務は務なりにあなたを大事にしとって、間に生まれた陵介ももちろん大事にしとる。あなたがもし離れていけば、務はきっと傷つくしいろんな苦労もする。愛情のかたちなんぞにこだわらんと、このまま一緒に生きていってやってくれんね、ち言います。やはり、そうか。胸に小さな穴が開き、そこがぐりぐりと押し広げられているような痛みを覚える。相談すべきひとを、間違えた。そりゃそうだ。このひとはどこまでも、夫の母だ。すみませんでした。嫌でもそう謝らなければいけないと口を開こうとした。「……けれども、あなたはあたしが娘やと決めたひとでもある。娘が泣きながら寂しいち言うんなら、あたしは我慢せえなんて酷いこと、よう言えん。辛いんなら、離れてしまいなさい、ち言うよ。やけん、務に、愛情のかたちが違うのが苦しい、っち伝えなさい。寂しくてたまらん、ち。言葉を砕いて本気で伝えてみて。それでも務が理解しないのなら、あなたが辛い思いをし続けなくていい。務と別の道を進みなさい」
「……お義母、さん?」義母がわたしを見て、そっと笑った。昔からのやさしい義母の笑顔でもなく、病気で曖昧になった笑顔でもない。今日何度か見た、意地の悪い笑顔でもない。わたしと同じ、女の笑顔だと感じた。「我慢して、諦めて生きんでええ。昔と違うて、何があっても死ぬまで連れ添わないけん時代やない。誰かの目やら体裁やらを気にして生きる時代でもない。いまは、自分に嘘ばつかんで、自分のために生きられる時代でしょうもん」「で、でも。自分のためと言っても、陵介が」「ええ。子どもは、確かに可哀相。やけん、もしそういう道を選ぶんやったら、ふたりでしっかりあの子を支えられる方法ば考えんといけんよ。あなたと務は、夫婦ちいう席からは降りられても、両親ちいう席からは決して、降りられませんけんね」ぽん、と腕をやさしく叩かれた。温かくて、力強い手のひらだった。
(第3話 クロコンドルの集落で)

「そっちの君。君はこれから、死ぬ気で勉強しなさい。そして、無事合格して、引っ越すその日にぜーんぶ、みんなにバラしてしまいなさい。それが、君のお母さんのためでもあるんだよ」美冬が、ゆっくりと顔を上げた。鼻の頭が赤い。「ママのため?」「そう。覚悟がきちんとあるひとなら、とうとう断罪される日が来たか、って腹を括るだろう。みんなに告白する勇気のなかったひとなら、君が、隠れた恋愛を白日の下に晒してくれたことに安堵するだろう。間違った恋愛に夢中になっていただけのひとなら、君が道を正してくれたことにいつか感謝するんじゃないかな。そして最後。『どうしてこんなことをしたのか』と激怒するひとだったら、君との関係をすっぱり断ち切るきっかけになる。そのときにはきっと、もう好きに生きなさいと言い捨ててあげられるだろうからね」
(第4話 サンクチュアリの終わりの日)

「結局さ、自分の口から自分の真実を話さないと、何にも伝わらないんだよ」夏海はカメラを自分に向けて、「ねえ群ちゃん」と話し始めた。「いまから説教じみたこと言わせてもらうね。どんな事情があっても、黙って逃げちゃだめなんだよ。そうしてしまえば、逃げた側が絶対的に悪くなる。相手に言い訳の理由を与えて、被害者の顔をさせてしまう。彼らは自分がしたことを反省しなくて、むしろ、逃げたやつが悪いって恨む。群ちゃんの苦しみや哀しみは、伝えるべきひとたちにきちんと伝わらなくなってしまったんだよ。そんなの、もったいないよ」……。……。「でもさ、それよりももっと……一番大事なのは、死ぬほど苦しんだ自分を、自分自身がリセットしてしまうなよってこと。自分のお墓に、誰かにとって都合のいい言葉を彫られてしまうようなもんなんだよ。そんなのだめでしよ。だから自分だけは、自分のために最後まで足掻くべきだ。ひとは、どれだけ辛くても、自分のために闘うことを放棄しちゃだめだ」三好さんもそう思わない?と夏海が見る。その目はどこまでも強くて、わたしを叱咤しているように思えた。
(第5話 わたしたちの祭り)

「先生って、画家のこと好きだったのかな」「そりゃ、最初はそうなんじゃない? 前に、やっぱりいまも画家のことが好きなの?って訊いたことがあるんだけど、縁だって言われた。好きとか嫌いとかそういうものを越えて、繋がったらもう切り離せないものがあるんだって。やっぱ、いろいろあったんだろうね」「そういう縁って、羨ましい気もするね」何もかもを乗り越えて、それでも繋がれるひとがいる。先生はすべてをリセットしたように思っていたけれど、すべてと引き換えにたったひとつの縁だけは摑めたのだ。その縁が、いまも彼女を支えている。「そうだね。でも、ひとにはそれぞれ、ひとじゃなくっても繋がれるものや場所があるんだよね。」……。
(第5話 わたしたちの祭り)