あらすじ
同じ身体を生きる姉妹、その驚きに満ちた普通の人生を描く、世界が初めて出会う物語。周りからは一人に見える。でも私のすぐ隣にいるのは別のわたし。不思議なことはなにもない。けれど姉妹は考える、隣のあなたは誰なのか? そして今これを考えているのは誰なのか――三島賞受賞作『植物少女』の衝撃再び。最も注目される作家が医師としての経験と驚異の想像力で人生の普遍を描く。
(第171回芥川賞 受賞作)
ひと言
ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の影響で生まれた実在のベトちゃんドクちゃん。医師である作者が書いているだけあって、最初は本当に天文学的な確率で杏と瞬のような結合双生児が生まれることがあるのか!?と驚いてしまった。ほんとうに今まで出会ったことのないびっくりびっくりの物語でした。
形成し直せないほど不良品のパンが流れてきて、ラインの向こう側へ手で弾いてカゴの中に落とした。もうカゴには数十個の不良品がたまっている。一日の労働が終わろうとしていた。パンが流れてこなくなって、わたしは ラインから一歩退いた。終業のベルがけたたましく鳴った途端、杏が反射的に体をびくつかせた。そして、雷に打たれる確率は約100万分の1。一つの卵子を共有する一卵性双生児が生まれるのは300の出生につき1組、つまり確率約O.3パーセント。結合双生児になると20万出生につき1組で、腰部や胸部の結合がほとんど。頭部結合となると確率が一段と低くなり、約250万分の1。頭部も胸部も腰部も結合した私たちはさらに低確率になる。確率の問題なのだから、母が妊娠中に雷に何回か打たれて、その衝撃で私たちが生まれたようなものだ。双子が病気ではないように、結合双生児も病気のようには思えない。生まれながら二人の距離がほんの少し近すぎただけだ。そもそも父と伯父の関係もそうだ。胎児内胎児だって50万出生に1組。人口が何十億人もいることを考えれば、たびたび結合双生児も胎児内胎児も生まれてくる。たいしたことではない。雷に打たれる人が世界中にいくらでもいるように、距離が近い人たちはこれからも……と、スイッチが入ったように、杏は昨晩の続きを脳内で語りはじめる。
(2)
館長は拡大された大きなシンボルをレーザーポインターで指し、「そして、これが先ほどの展示物に記されていた模様ですね。これは陰陽図といいまして、白と黒で構成されています」そのシンボルは白と黒の勾玉が追いかけっこしたような配置になっている。「陰陽魚という別名もあって、たしかに二匹の魚のようにも見えますよね」そう言われて陰陽図を見つめてみると、魚というよりはオオサンショウウオに見えてくる。黒いオオサンショウウオが一匹、白いオオサンショウウオが一匹。「白の頭部の中心には黒い点が、黒の頭部の中心には白の点があるでしょう。陽中陰、陰中陽とそれぞれ呼ばれていて、陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる、を表していて、対極はその果てで反転して循環するという意味であります。また白と黒がこのように、お互いの陣地に攻めいりつつ一つの円を成しているのは相補相克を表現しております。相補相克とは、補いあい、かつ、競いあう、という意味ですね。この図のように、対極が対等に循環している二つを統合して『一』を表現しようという試みは、はじめからうまくいったわけではないようでして……」
(3)
今日のお昼は、「うなぎのうな泰 錦店」でひつまぶし特(3切れ)(1300円)をいただきました。熱田の蓬莱軒などで出てくる木のお櫃に似せたプラスチック製のやや小ぶりなお櫃ですが、うなぎがたっぷりと入り、ビジュアルもグッド。もちろんこの価格なので中国製のうなぎですが、これがふんわりと柔らかくとても美味しいです♪。お茶碗にまずはそのままで、後の2杯はお茶漬けとしていただきましたが、出汁もたっぷりでした。テーブルの山椒も好みで好きなだけかけられるし、このお値段にしては大満足♪。欲を言えばわさびがもう少しあってもいいかなぁ。愛知県知事の大村秀章さんの色紙も飾ってありTV番組の取材も多数。とてもコスパ抜群のおいしいひつまぶしでした。またうなぎが食べたくなったら必ずまたうかがわせてもらいます。ごちそうさまでした♪。
名古屋市中区錦3
大満足な味噌カツ丼を食べた後、栄まで足を伸ばし「UNI DONUTS 栄店」へ。昨年9月に名古屋1号店として八事にオープンしたお店が、11月末に栄にもオープンした生ドーナツ屋さんです。UNIドーナツ(250円)いちご(450円)カスタード(400円)を購入。最近流行の生ドーナツですが、ふんわり具合は他に比べていまいちですが、クリームがとてもたっぷり入っているのがグッド。
ごちそうさまでした。
名古屋市中区栄3
今日のお昼は、東京では結構知られたスパゲッティのチェーン店の「スパゲッティーのパンチョ」へ一番人気のナポリタン+目玉焼きトッピング(大)(990円)を食べに行きました。パンチョは2024年 ジャパン・フード・セレクションにも選ばれ、モチモチ食感の太麺で、昔懐かしいような味付けでとても美味しいです♪。並、大、メガとも同じ値段なのもグッド!。大を頼んでしまいましたが、もう歳なので並でよかったかも……。ごちそうさまでした♪。
名古屋市中区大須4
あらすじ
東京・新宿にある都立高校の定時制。そこにはさまざまな事情を抱えた生徒たちが通っていた。負のスパイラルから抜け出せない21歳の岳人。子ども時代に学校に通えなかったアンジェラ。起立性調節障害で不登校になり、定時制に進学した佳純。中学を出てすぐ東京で集団就職した70代の長嶺。「もう一度学校に通いたい」という思いのもとに集った生徒たちは、理科教師の藤竹を顧問として科学部を結成し、学会で発表することを目標に、「火星のクレーター」を再現する実験を始める。
ひと言
BSテレ東の「あの本、読みました?」で紹介され、読んでみたいとすぐ図書館に予約を入れました。以前読んだ「月まで三キロ」の伊与原 新さんが描く熱い青春科学小説。読んでいる途中、この伊与原 新さんって何者?という疑問が湧き、調べてみると神戸大の理学部を卒業後東大の大学院で地球惑星科学を専攻……。だからこんな小説が書けるんだ、と納得。青少年の読書感想文の課題図書にも選ばれているし、多くの若い人に読んでもらいたい本だと思いました。見逃してしまいましたが、NHK総合でドラマ化もされていて、見てみたかったなぁ。「月まで三キロ」といい、本書といい、伊与原 新、今後注目したい作家さんになりました。
父親はいつも多忙で、岳人の勉強を見るどころか、休日に一緒に遊んでくれることもほとんどなかった。そのくせ通知表を見るたびに、「お前が 悪いんじゃないのか」と母親をなじった。岳人は教科書を読むのが辛いようだと母親が 訴えても、「辛抱が足りないんだ。怠けたいだけの言い訳だよ」と面倒くさそうに繰り返すだけだった。そこそこ名の知れた大学を卒業した父親と違って 、母親はどうにか高校だけは出たという人だった。そこにどれほどの引け目があったのかは知らないが、ときに高圧的な態度に出る父親に、決して口答えをしなかった。息子が勉強ができないのも、育て方のせいではなく、自分の血を受け継いだからだと感じていたのかもしれない。
確か、三年生くらいの頃だったと思う。母親がディスカウントショップで買ってきたキッチンタイマーが、一度使っただけで動かなくなった。父親は、「わけのわからんメーカーのものを買ってくるお前が悪いんだ。不良品だよ」と言って、それをその場でごみ箱に捨ててしまった。その様子を見ていた岳人は、胸が締めつけられるような痛みを感じた。自分がそう言われたような気がした。
(第一章 夜八時の青空教室)
「電子書籍の地学の教科書なんてすが、どうですか」「どうもこうもねーって」さすがにいらたった。「無理だっつってんだろ」小さな文字が無秩序に目に飛び込んでくるので、見ているだけで酔いそうになる。読み取れたのは、〈マグマ〉という単語だけだ。タブレットを荒っぽく突き返すと、藤竹は画面を数回タップし、「今度はどうです?」ともう一度差し出してくる。あまりの驚きに、声も出なかった。何が起きているかよくわからず、タブレットを持つ手が小刻みに震える。〈マグマが地表に噴出したものを溶岩、地下に貫入して冷え固まったものを貫入岩体という。貫入岩体にはいくつか種類があり―― 〉読める。読めるのだ。もちろん、行は歪んで見えるし、文字も大きくなったり小さくなったりする。しかし、目を凝らしてさえいれば、文章がきちんと追えた。「―― 何だよ、これ……」喉を絞るようにしてどうにか言った。「読めるんですね?」画面を見つめたまま、二度うなずいた。「でも、なんで……あんた、何やったんだよ」「文字を少し大きくして、行間も広げましたが」藤竹は平然と答える。「一番のポイントは、フォントを変えたことです。さっきのは一般的な教科書体。今見てもらっているのは少しばかり特殊なフォントでしてね。はねやはらいも含めて線の太さが均一で、濁点なども大きめ。より手書きに近いので、文字の形をとらえやすい。ディスレクシアのために開発されたフォントです」「ディスレクシア……」初めて聞く言葉だった。「読み書きに困難がある学習障害です。音と文字を結びつけて脳で処理する力が弱かったり、文字の形をうまく認識できなかったりするせいで、文章をスムーズに読めない。当然、書くことも苦手になる」「俺が、そうだってのかよ」「おそらく。ディスレクシアの中には、そういう特別なフォントに変えるだけで、劇的に読めるようになる人がいるそうですから」そんなことで。そんな簡単なことで――。「この学習障害の存在は、最近まであまり広く認知されていませんでした。親や教師にも気づかれず、本人もそうだと知らないまま大人になるケースも多い。理由の一つは、ディスレクシアの多くは文字情報のデコーディングが不得手なだけで、情報の中身はちゃんと理解できるからです。つまり、知能には問題がない」「――バカじゃねえってことか、俺も」「バカどころか、聡明な人だと私は思いますよ。いくら練習しても歌が下手な人、球技がだめな人がいるように、単に君は読むことや書くことが――」
(第一章 夜八時の青空教室)
放課後、また藤竹に呼び出された。物理準備室を訪ねると、藤竹が一人、奥の机で論文らしきものを読んでいる。「今日は科学部はないんですか」省造は丸椅子に腰掛けて訊いた。「ええ。クレーター実験は中断中でしてね。でも、長嶺さんのおかげて、また進めることができそうです」「何のことだ。私は何もしとらんよ」「実は今日の夕方、奥様から私に電話がありましてね」「電話?うちのが先生に?」「それから、これを」藤竹は紙を一枚差し出した。「病院のコンビニからファックスで送ってくださいました」それは、省造が病室で手描きした、鉄球の発射装置の図面だった。あくまで暇つぶしに描いたもので、これが何かは妻にも説明したが、落書きなので捨てていいと伝えたはずだ。……。……。
「しかし――」何か起きているのか、本当にわからない。「なんで妻はこれを先生に。私はそんなこと、頼んでいない」「私は頼まれたんです」藤竹が目を細める。「あなたを科学部に入れてやってほしいと、江美子さんから。もっとあなた自身に、高校生活を楽しんでほしいから、と」「私が楽しむ? いや、だから私は……」「江美子さんは、あなたが以前、定時制高校の案内パンフレットを取り寄せていたことを、ご存じでしたよ」「そうなのか……」それは、もう十五年ほど前のことだ。福島の母が亡くなる直前、「省造、父ちゃんさ恨んではだめだぞい」と言って、遺言がわりに初めて教えてくれた。父がなぜヤマで孤立してまで、組合運動にもストライキにも加わらなかったのか。それはすべて、省造と妹のためであった。高等小学校しか出ていないために炭鉱で働くしかなかった父は、子どもたちをどうしても高校へ行かせたかったのだ。そのためには一銭でも多く稼がなければならない。父は月に一日休むことも惜しみ、組合もストもお構いなしに、賃金の高い危険な現場を選んで入っていった。そして、帰らぬ人となってしまった。それを知って以来、父に対して抱いていた怒りは、言いようのない申しわけなさに変わった。それだけではない。父が命がけで自分たちに望んだ高校というところを、このまま知らずに死んでいいのかと考えるようになった。
妻には黙って定時制のパンフレットを取り寄せ、六十や七十の人間でも受け入れてもらえることを知った。もうしゃかりきに働く必要もないし、ちょうど江美子も高校のことを口にし始めている。数年したら工場の仕事を減らして、妻と二人で通うのもいい。などと思っていた矢先に、彼女のじん肺が発症しか。自分だけが高校へ通うなどということは、当然ながら考えられなかった。
藤竹が穏やかな声で言う。「授業で習ってきたことを家で教えてほしい。そう言い出しだのは、奥様のほうだそうですね。もしかしたら、そんな風に頼めばあなたも気兼ねなく定時制に通えるとお思いになったのかもしれない」
省造は目を閉じて、静かに息をついた。そうでも言わないと、あなた、高校へ行くと言わなかったでしょ―― 。まぶたの裏で、ベッドの上の妻が微笑んだ。「江美子さんは、こうもおっしゃっていました。『病室でも科学部の話ばかりしているから、本当はすごく仲間に入りたいんだと思います。宇宙や地球にはそこまで興味ぱないかもしれないけれど、何か作ってくれと頼まれたら、お金にならない仕事でも腕まくりして張り切っちゃう人だから』と」
(第四章 金の卵の衝突実験)
束の間の沈黙のあと、息を潜めるように座っていた佳純が、小さく右手を上げた。「どうぞ、名取さん」「あの… …」佳純は震える声で言う。「もし……もしこの科学部が、先生の実験なんだとしたら……。先生の仮説は何ですか?」「仮説―― 」「何か仮説を検証したくて、実験したんじゃないんですか」訴えるように問う佳純に、小さくうなずきかけた。ずっと胸の奥にあった形のないものを、初めて言葉に変換する。「どんな人間も、その気にさえなれば、必ず何かを生み出せる。それが私の仮説です」佳純は瞳を潤ませて、「だったら―― 」と言った。「だったらそんなの、実験じゃないです。観察する相手のことを信じてやる実験なんて、ないです」言葉を失った。何も返せないまま、いつの間にか強張っていた肩の力が抜けていく。安堵と感嘆、そしてかすかな羞恥が混ざり合った不思議な感覚に、自然と口角が上がる。「まったく」眼鏡に手をやり、小さく息をついた。「あなたの言うとおりかもしれません」
(第六章 恐竜少年の仮説)
あらすじ
歴史のよもやま話から悪ガキ時代を描く自伝的エッセイまで。2021年1月に亡くなった、半藤一利さんの最後の著作には「人生の愉しみ方」が詰まっている。昭和史最良の語り部、半藤さんの遺した、昭和から現代まで!
ひと言
図書館でまだ読んでいない半藤さんの本を見つけたときは、ついつい手に取ってしまう。本の帯に半藤さんの遺した「人生の愉しみ方」の文字が、今まで半藤さんの本をたくさん読んできたが、ひょっとしてまだ読んだことのないステキな言葉が書かれているかもしれないと思うと、やっぱり借りて読みたくなる。2021年1月12日 もうお亡くなりになって4年にもなるんですね。もっともっと半藤さんの文章を読みたかったです。改めてご冥福をお祈りいたします。
もう一つ、畏れ多いことながら、昭和二十年(一九四五)八月「終戦の詔書」の「堪へ難キヲ堪へ忍ビ難キヲ忍ビ」である。「忍ぶ」と違って「堪える」は自動詞であるから、見るに堪えぬ悲惨事とか、風雪に堪えた老松とか、「何々に堪える」と「を」ではなく「に」でなければならないのであるまいか。したがって「堪へ難きに堪へ」が正しい。(二〇〇三年十二月)
(第一章 昭和史おぼえ書き)
ところで、この経済という言葉である。もともとは中国の古典にある。しかも経国済民(けいこくざいみん)、あるいは経世済民の略語として。唐の詩人李白の詩に「問うに経済の策を以てすれば/茫として煙霧に墜つるが如し」という詩句がある。この経済の策は、金儲けの策なんかではなくて、世を経(おさ)め民を済(すく)う方策ということ。日本でも、江戸時代の経済は同じように、経国済民の意で使われている。(二〇〇三年五月)
(第三章 うるわしの春夏秋冬)
ついでに西行法師の歌を低音で朗誦したりして楽しんでいる。
願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
この鎌倉時代初頭の歌人は、文治六年(一一九〇)二月十六日、河内国の弘川寺の草庵で亡くなった。それは正しくその願ったとおりの如月(二月)の満月のころに、この歌のとおり桜の花の下で大往生したと、同時代の記録はみんなそう伝えている。ヘヘエーと感服するそばから、でもそいつぁおかしいんじゃないか、とずっと疑問を捨てきれないでいた。
如月は旧暦の二月で、太陽暦にすれば三月。とすれば旧暦二月十五日の望月(満月)のころは、いまの暦に直せば三月十五日、これじゃいくら河内国(大阪府)でも桜はせいぜい蓄がふくらみかけるぐらいで、「花の下にて」というわけにはいかぬのではあるまいか。
この疑いを晴らすべく調べてみた。いやア、恐れ入りました。西行がこの歌を詠んだ前年の文治五年(一一八九)は、四月が二度あった。すなわち四月のあとに閏(うるう)四月があり、それ以降の月は例年より1ヵ月近く遅れてやってきていたではないか。そして年が改まっても旧暦の遅れはそのままで、文治六年の二月十六日は太陽暦で三月三十日でござった。これなら弘川寺の桜はたしかに開いていたにちがいない。
それにお釈迦さまの亡くなったのは二月十五日。敬虔なる仏弟子でもあった西行は釈迦の命日に死にたいと願った。その日は間違いなく満月、きっと桜も開花しているだろうと。花と月と仏と。その歌のとおりに、西行法師はなるほど、大往生であったのであるな。まことに、まことにうらやましい。(二〇一六年五月)
(第三章 うるわしの春夏秋冬)
『百人一首』の、わが庵は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人は言ふなり
ついこの間この歌のほうでは大恥をかいた。この「しかぞ住む」をほんとうに五十年近く「鹿ぞ住む」と思いこんでいたのである。ところが、これは漢字で書くと「然かぞ住む」、つまり「世は憂きものという思いでここに慎ましく住んでいる。それなのに世間の人は憂し山といっているそうな」と解するんだとか 。「半藤よ、それが定説なんだぞ。鹿なんか住んでおらんぞな、もし」と、くだんの友め、「江戸の仇を長崎で」とばかりに大笑いしおった。(二〇一五年十二月)
(第四章 愛すべき小動物諸君)
隅田川と向島といえば在原業平の『伊勢物語』であろう。「しろき鳥のはしとあしと赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚をくふ。京にはみえぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、これなむ都鳥といふをききて、名にし負はば いざ言問(ことと)はむ都鳥 わがおもふ人は ありやなしやと」
都鳥というのはユリカモメの異名である。冬に日本に渡ってきて四月ごろふたたび北へ帰る。全体が白く、くちばしと脚とが赤い。その数が川面に多くみられるときは、風が強く、海が荒れている日とわかる。
この『伊勢物語』にちなんで、浅草から出る東武鉄道の隅田川を渡った最初の駅が、王朝の貴公子の名をとって業平橋であった。浅草からの鉄橋が架けられていないころはここが始発駅であった。その由緒ある業平橋がこんど東京スカイツリー駅と、あまりにもあっさり無残に変えられてしまった。言問橋(こととい)と業平橋はいわば対で成り立っている向島の名物であったものを、と老骨がいくら悔やんでもはじまらない。悪貨が良貨を駆逐するのは世の習いである。(二〇一二年六月)
(第五章 下町の悪ガキの船出)










