今日は1月22日 カレーの日、ですが、今日のお昼は前から行きたかった「オイスターキッチン シャッカーズルーム」へ牡蠣を食べに行きました。このお店は昨年7月にオープンしたお店ですが、わずか6か月 この1月末で金山に移転することになり、今日伺うことにしました。生牡蠣1個、カキフライ2個がついた 産地直送 新鮮生牡蠣と広島県産絶品大粒カキフライ定食(1100円)をいただきます。先ずはレモンを絞って生牡蠣をいただきます。うーん美味しい!なかなか生牡蠣を食べさせてくれるお値打ちな値段のお店は少ないですが、大粒で産地をしっかりと明記した生牡蠣はとても美味しいです♪。

 

 

もっと食べたくて思わず生真牡蠣2個(940円)を追加で注文。ほんとうに久しぶりの生牡蠣を堪能しました♪。

 

 

会計時に金山の新店のクーポン券をいただきました。また伺いたいと思います。ごちそうさまでした♪。

 

 

オイスターキッチン シャッカーズルーム
(OYSTER KITCHEN SHUCKER'S ROOM)

名古屋市中区新栄1

 

 

 

あらすじ
わたしの大好きなおじいちゃんは、無口だけど、いつもニコニコ笑っています。今日は、そんなおじいちゃんの、とても大切な一日だっていう。いったい、何の日なんだろう…。すべての人に受け継がれる「明日」。それを、「希望」と呼ぶための物語。


ひと言
私が大好きな作家、重松 清さん。重松さんの本は多数読んできたのだけど、見たことのない本を図書館で見つけました。どんな本なんだろう?と、あとがき それに続く刊行にあたってを読んで、借りてしっかり読みたいと思いました。このブログを目にした人が、できることなら書店で購入して読んでもらえることを願っています。

阪神・淡路大震災から30年目の次の日、2025年1月18日に

「えー、それで……ここで、サプライズがあります」司会をつとめる工場長さんは、もったいぶったしぐさで封筒を出して、そこからゆっくりと一枚の紙を取り出した。「いまから二十五年前のことです。当時、小学五年生だったイシさんの息子さんが、『父の日作文コンクール』で最優秀賞をとりました」お父さんのこと――?「本日のために息子さんに無理を言いまして、その作文を送っていただきました」マジ―― ?っていうか、コンクールのことなんか、いままで聞いたことなかったし。「イシさんの定年にあたって、この作文をもう一度、イシさんに捧げたいと思います」拍手と歓声の中、工場長さんはゆっくりと、お父さんの子どもの頃の ―― わたしと同じ歳の頃に書いた作文を読み上げた。

『お父さんの勲章』
ぼくのお父さんには、秘密があります。それは右足の付け根にあるので、ふだんはズボンに隠れて見えません。
お父さんの右足の付け根には、グリズリした固い、コブのようなものがあるのです。左足のほうはスベスベしているのに、右足だけ固くなっているのです。コブのところはうっすらと黒くなっていて、ちょっと汚れているようにも見えます。ぼくがまだ小さな子どもだった頃は、「お父さんは病気なんだろうか」と思って、とても心配していました。でも、それは、病気ではありません。汚れているのでもありません。お父さんは、工場で働くキサゲ職人です。毎日毎日、キサゲの柄を右足の付け根にあてて、固い鉄板や鋳物の表面を削っているのです。力を入れてキサゲの柄を押しっづけているので、いつのまにか、柄があたるところが鍛えられてコブになったのです。黒ずんでいるのは内出血したアザが取れなくなったからだと言っていました。ぼくはそれを聞いて、最初はお父さんがかわいそうだと思っていました。そんなに痛い思いをしなくてもすむ仕事は、他にもたくさんあるんじゃないかと思っていたのです。それに、はっきり言って、背広とネクタイで仕事をするビジネスマンのほうがカッコいいのになあ、という気もしていました。
でも、お父さんはぼくといっしょにお風呂に入ったとき、コブを見せてくれて、「これはお父さんの勲章なんだよ」と言いました。「お父さんは毎日毎日、一生懸命がんばって仕事をしてるから、ここに神さまが勲章をつけてくれたんだよ」そのときのお父さんは、とてもカッコよかったです。ぼくは手先が不器用なので、お父さんと同じ職人さんにはなれないと思います。でも、ぼくもオトナになったら、お父さんみたいに一生懸命がんばって自分の仕事をやりたいです。そして、ぼくが学校で勉強をしたり、放課後に友だちとソフトボールをしたりするときにも、お父さんはがんばって仕事をしているんだというのを、忘れずにいたいと思います。お父さんの工場では、いろんな機械を作るための機械を作っています。自動車や、電車や、テレビや、冷蔵庫など、ぼくたちの身近にあるいろんな機械は、お父さんの工場で作った機械のおかげで作られたのです。ぼくにはお父さんの仕事をお手伝いすることはできませんが、いろんなものを大切に使うことで、お父さんに恩返しをしたいと思います。今日は父の日です。お父さん、いつもありがとうございます。
食堂は割れるような大きな拍手に包まれた。わたしも拍手をした。子ども時代のお父さん、やるじゃん―― 。で、やっぱり胸が締めつけられた。ごめんなさい。おとといのこと、ほんとのほんとのほんとに、ごめんなさい… …。

刊行にあたって
この本は、もともと、書店に並んであなたに手に取っていただく機会はないはずの一冊でした。「ウチの社員とその家族に会社からプレゼントしたい」という、ある工作機械メーカー(「名前を伏せてもらいたい」との強いご希望に従い、M社と呼ばせていただきます)の依頼でつくった、いわゆる私家版の書籍です。
そんな大切なプレゼントにかかわらせてもらう光栄と緊張とを胸に、自分なりに力一杯がんばって物語をつくりました。それが二〇〇八年のことです。幸いにしてM社の皆さんの評判も上々で、さらに初めてコンビを組んだはまのゆかさんの絵にもすっかり魅せられ、書き手として、とても愛着のある作品の一つになりました。その時点で、すべては終わっているはずでした。読んでくださったM社の皆さんの胸に残ることで、はまのさんと僕のつくった物語は与えられた役目をまっとうしたのです。それ以上はなにも考えていませんでした―― ニ○一一年三月十一日までは。
未曾有の被害をもたらした東日本大震災は、たくさんのひとびとの「昨日まで」を無情に奪い去ってしまいました。いま、この小文を書いている四月半ばの時点でも、被災された皆さんの「今日」は、僕の想像などはるかに及ばない困難の中にあるはずです。そして、震災で両親をうしなってしまった子どもたちも、ほんとうに悲しくて悔しいけれど、数多くいます。その子どもたちの「明日から」を、僕たちはどう支えていけばいいのでしょう。自分の無力さは、もちろんわかっています。しかし、やれる範囲で、なにかできないだろうか。ほんの小さなことでも、被災した子どもたちの役に立てないだろうか……。そんなふうに思い悩んでいるときに思いだしたのが、この本のことです。被災した子どもたちに読んでもらうには、もう少し時間はかかるでしょう(もちろん、いつか出会える日をずっと待っています)。でも、子どもたちに心を寄せてくださるひとに本書を届けることによって、ささやかでも支援ができるかもしれない。ならば、ぜひやらせていただけないか、と思ったのです。
はまのゆかさんにもご快諾をいただき、しかもカバーの装画まで新たに描き下ろしてもらって、本書を一般書籍として刊行することになりました。はまのさん、ありがとうございました。また、この話は、当然ながらM社のご厚意があってこそ実現したものです。一般書籍としての刊行をお許しいただいたM社の皆さんに心より感謝いたします。さらに幻冬舎の皆さんには、刊行にあたって直接のご苦労をおかけしただけでなく、さまざまな面でのご配慮もいただきました。記して感謝いたします。
本書の著作者印税は、はまのゆかさんと重松清を合わせて定価の十一パーセントになります。その印税を将来にわたって全額、あしなが育英会に募金します。同会を通じて、震災で親を亡くしてしまった子どもたちへの支援にあてさせていただきます。
それは言い換えれば、本書をお買い求めいただくことで、読者のあなたが子どもたちを支援している、ということです。形式上は僕たちが印税を募金するというものでも、「主役」は、紛れもなく、本書を買ってくださったあなた。―― ほんとうにありがとうございました。……。……。
いまのおとなたちからバトンを受け取ることになる子どもたちに、わが子の「明日から」を空の上で案じていらっしゃるはずのお父さんとお母さんに―― この作品を、静かに捧げさせてください。
二〇一一年四月十六日  重松 清 

 

 

 

 

あらすじ

地方都市の寂れた町にある、家族葬専門の葬儀社「芥子実庵」。仕事のやりがいと結婚の間で揺れ動く中、親友の自死の知らせを受けた葬祭ディレクター、元夫の恋人の葬儀を手伝うことになった花屋、世界で一番会いたくなかった男に再会した葬儀社の新人社員、夫との関係に悩む中、元恋人の訃報を受け取った主婦。


ひと言
2021年の本屋大賞「52ヘルツのクジラたち」を読んだとき、どうしてこんな小説を書けるんだろうとすごく衝撃を受けました。町田さん自身が小学校のときにいじめられ、離婚経験もある子供2人のシングルマザー。そうした経験から生まれたいくつかの小説なんだと思いますが、町田さんのもっとバカバカしいほどの明るい小説も読んでみたいなぁと思いました。

なつめの夢、しあわせ。人知れず流した涙やもがいた日々。それらすべてが、誰かの手に繋がれ、輝いている。なつめの手を離れ、なつめがいなくなったいまも。そしてきっと、これからも、ずっと。
わたしたちは、何かを手に入れて、何かを失う。何かを望み、手に入れられないことに絶望する。己の手の中に残ったものと失ったものを数えて、嘆いたりする。でも、大事なのは『持っていること』ではなく、『持っているもの』『持っていたもの』でもない。そこから得た喜び、得られなかった哀しみ、葛藤やもがきこそが大切なのだ。それらは、誰かに繋がれていく。
(五章 一握の砂)
 

 

今日は、ずっとずっと前から、2016年に現在の場所に移転する前から行きたかった「榎本よしひろ商店」へお昼を食べに行きました。こちらのお店は昔から名古屋でも1,2位を争う豚肉100%のハンバーグの名店で、昨年も2回伺ったのですが、2回とも臨時休業で食べることができませんでした。今日は開店15分前から並び1番の入店です。デミソースのオリジナルとチーズのハンバーグ (1450円)をいただきます。うーん美味しい! さすが食べログ3.61(2025年1月8日 現在)洋食百名店 2023 だけのことはあります。ただこれだけ美味しいとチーズが邪魔な気がしてきて、次はオリジナルハンバーグでいただこうと思いました。誕生日に念願の榎本よしひろのハンバーグがいただけて大満足。ごちそうさまでした♪♪

 

ハンバーグ食堂 榎本よしひろ商店

名古屋市東区代官町19

 

 

あらすじ
神様を探す二人の旅が始まる。「少しばかり不思議な話を書きました。木と森と、空と大地と、ヒトの心の物語です」藤崎千佳は、東京にある国立東々大学の学生である。所属は文学部で、専攻は民俗学。指導教官である古屋神寺郎は、足が悪いことをものともせず日本国中にフィールドワークへ出かける、偏屈で優秀な民俗学者だ。古屋は北から南へ練り歩くフィールドワークを通して、“現代日本人の失ったもの”を藤崎に問いかけてゆく。学問と旅をめぐる、不思議な冒険が、始まる。“藤崎、旅の準備をしたまえ”


ひと言
「民俗学」聞いたことはありますが、どういう学問なのかはよく知りませんでした。医学と民俗学の違いはあれど、夏川さんは人の心の物語を描くのが上手い人だなぁと思いました。

「藤崎、ひとつ、大事なことを覚えておきたまえ」その口調が少しだけ厳格さを帯びた。「科学と、それに基づく科学的思考は確かに大切だ。しかしそれは、あくまでも道具に過ぎないということだ。道具は用いる者の態度次第で、役にも立つし害にもなる 。強力な 道具であればあるほどそうだ。火は人間に、魚を焼き米を炊くことを教えてくれたが、使い方を誤れば竈を焼き、炊事場を焼き、家そのものを焼き払うことさえある」古屋はおもむろに首をひねり、窓の外に目を向ける。「科学は、鞍馬の険しい山中に線路を敷いたり、抗がん剤の量を計算することは得意だが、人の心の哀しみや孤独を数値化することはできない。数値化できないから存在しないと考えるのは、現代の多くの学者が抱えている病弊だ。こういう学者たちは、科学が世界を解釈するための道具に過ぎないことを忘れ、世界の方を科学という狭い領域に閉じ込めようとしてしまう。人間の、哀しみや孤独、祈りや想いといったものを、ホルモンの変動で説明しようと試みることは、科学の挑戦としては興味深いが、ホルモンが変動していないから、その人間が哀しんでいないと考えるのは、道化以外のなにものでもないだろう」ふいに辺りが暗くなり、またすぐに光が差しこむ。列車が短いトンネルを通過したのだ。風が鳴り、小刻みに振動する車内に、揺るぎない古屋の声が続く。
「かりにも世界について学ぼうとする者ならば、科学の通じぬ領域に対しても真摯な目を向けなければならない。科学が万能ではないことを知り、それを用いる人間もまた万能から程遠いことを肝に銘じなければならない。これを忘れた時、人は謙虚さを失い、たちまち傲慢になる。世界が自分の解釈に合わないからといって、世界の側を否定するような愚行さえ犯すようになる。鞍馬の秋をうまく絵に描けないからといって、銀杏や紅葉を罵倒するようなものだ。鞍馬山に罪はない。絵描きの側の問題だ」見たまえ、とふいに古屋は目で窓外を示した。いくらか遠のいた鞍馬の山並みに、今も明るい色彩が躍っている。古屋は眩しげに目を細めながら告げた。「研究室を出て、自らの足で町や山を歩いてみればすぐに気がつくはすだ。世界はそんなに単純にはできていない」古屋の声は大きなものではない。けれどもその深い響きは、叡山電車の揺れる音にも負けず、はっきりと千佳の耳まで届いてくる。
(第二話 七色)

「どうだい、お嬢さんの心の中には仏様はいるかい?」「私ですか?」つかみどころのない質問に、千佳は首を傾げてしまう。「あんまり考えたことはありませんけど、ただ神様とか仏様を信じているかというと……」「信じるかどうかじゃない。感じるかどうかだよ」ふわりと春の陽だまりのようなのどかな言葉がこぼれた。千佳は、住職の顔を見返す。老住職は、徳利を取って中身を確かめるようにゆっくりと回しながら、「感じるかどうかってのは、この国の神様の独特の在り方なんだ。例えばキリスト教やイスラム教やユダヤ教ってのは、みんな信じるかどうかってことを第一に考える。そりゃそうだ。神様自身が自分を信じなさいって教えているんだからね。しかしこの国の場合はそうじゃない。神様でも仏様でもどっちでもいいんだが、とにかく信じるかどうかは大きな問題じゃない。ただ、感じるかどうかなんだ」とくとくと、酒杯に酒を注ぐ軽やかな音が響く。「もちろん仏教の中にも信心が大事だって話はたくさんある。けれど、もともとは難しい理屈なんかない。大きな岩を見たらありがたいと思って手を合わせる。立派な木を見たら胸を打たれて頭を下げる。大きな滝を見たら、滝つぼに飛び込んで打たれるし、海に沈む美しい夕日を見て感動する。誰かが教えたわけでもなく、みんな、そうするべきだと感じただけの話さ。それがこの国の人たちの、神様との付き合い方だ」住職の不思議な説法を聞きながら、千佳は自然とまた境内の巨木に目を向ける。うららかな日和の下で、六百年という途方もない時間を越えてきた木は、静かに佇んでいる。いつでも異様な存在感を放つ古屋の存在さえ、巨木の前に立っていると変哲もない背景に溶けてしまうようだ。「けど、最近じゃ、神様を感じる人も減ってるんだよ」やれやれ、と住職が息を吐き出した。「感じることができなくなれば、あの立派な桜を切ろうなんて、乱暴な料簡も当たり前に飛び出してくる。大きな木はありがたいから切っちゃいけねえって言っても伝わらないんだ。理屈じゃなく、感性の問題なんだから」本当はさ、と住職は頭を撫でる。「神も仏もそこらじゅうにいるんだよ。風が流れたときは阿弥陀様が通り過ぎたときだ。小鳥が鳴いたときは、観音様が声をかけてくれたときだ。そんな風に、目に見えないこと、理屈の通らない不思議なことは世の中にたくさんあってな。そういう不思議を感じることができると、人間がいかに小さくて無力な存在かってことがわかってくるんだ。だから昔の日本人ってのは、謙虚で、我慢強くて、美しいと言われていたんだ」初めて聞く話であった。神仏の話をこんな風に語る言葉を、千佳は聞いたことがなかった。……。……。
「昔のこの国の人たちは、美しいとはどういうことか、正しいとは何を意味するのか、そういうことをしっかりと知っていた。しかしどんどん木を切って、どんどん心を削ってきた結果、そういうことがわからなくなってきちまったんだ。わからなくなっただけならまだいいが、途方に暮れて、困り果てたあげく、西洋にならって、なんでもかんでも金銭ずくで計算して、すっかりモノの価値をひっくりかえしてしまった」持ち上げた酒杯に口をつけぬまま、ゆらりと空を仰ぐ。「正しいことをしていれば金が集まってくるんじゃない。金を稼ぐことが正しいことだという奴らが現れた。他人が何を考え、何に悩んでいるかなんてどうでもいい、俺がどう考え、何に悩んでいるかが一番大事だということになった。結果、世の中じゃ、大金持ちと大声を上げる奴らが正しいということになっている」住職は晴れた空から、千佳へと視線を戻した。
「前にも言ったことだがね。大切なのは理屈じゃない。大事なことをしっかり感じ取る心だ。人間なんてちっぽけな存在だってことを素直に感じ取る心なのさ。その心の在り方を、仏教じゃ観音様って言うんだよ」また唐突な言葉が飛び出してきた。驚く千佳を住職はおかしそうに眺めている。「観音様ってのは、天から光り輝く雲に乗って降りてきてありがたいお話をしてくれる特別な仏のことじゃない。心の中にある自然を慈しんだり他人を尊敬したりする心の在り方を例えて言ってる言葉だ。昔から心の中に当たり前のように住んでいた観音様を、忘れはじめているのが今の日本人ってわけさ」
(第五話 灯火)

「柳田はもともと役人としてのエリートコースを約束された秀才だった。農商務省の官僚としてスタートし、瞬く間に出世して貴族院の書記官長まで上り詰めた。国内にとどまらず、国際連盟の委任統治委員まで務めたかの人物は、その道を全うすれば、輝かしい経歴となったことは疑いない。にもかかわらず後半生を、白足袋で全国を歩き回るような民俗学というまったく新たな学問の開拓になぜ費やしたか」淡々と述べる古屋の声は、講義のときのような朗々たる響きがあるわけではない。だが、なにか静かな熱量を抑えた独特の抑揚がある。千佳はもちろん答えなど持ってはいない。ゆえに身じろぎもせず続く言葉を待つ。「彼は農政をつかさどる中でおそらく日本の庶民の悲惨を目にしたのだ」「悲惨?」「貧しさだ」古屋はスコッチを飲み干すと、空になったグラスをそっとカウンターの奥に押し出した。視線を向ける雨宮に向けて、「トバモリーを」と短く告げる。「勤勉で働き者の日本の農民たちがなぜこれほどに貧しいのか、柳田はそのことに衝撃を受けたのだ。農民たちが怠惰であるわけではない。にもかかわらず、トップダウンで政務をとりしきっても一向に豊かにならない。そのギャップに苦悩したとき、彼は日本人とはどのような人間で、日本の社会とはどのように成り立っているかを根本的に学ばねば、改革は困難だと考えた。この国の民俗を調べ、理解し、それをもって、この国を貧しさから救う。そういう鉄のような使命感があったのだ」目の前に新たなグラスが届いて、古屋は小さく息をついた。「今の民俗学者にそんな壮大な視野を持っている人物が何人いるか、頗る頼りないがね」「先生も」と思わず千佳は口を開く。「先生も、そういう使命感を持って働いているんですか?」「当然だ」返答は、予想外のものではなかった。ただ、予想を超えて、明快であった。
(第五話 灯火)



 

 

バナナマンのせっかくグルメで紹介された「かつ丼 あらた」。JR高島屋の催事で出店したときはあまりの行列で断念。ひと月ほど前に伺ったときは特上リブロースかつ丼は上も並も売り切れ、このかつ丼を食べずに年を越すのは心残りなので、今日は開店15分後の11時45分にお店に到着。それでももう並は売り切れで、特上リブロースかつ丼上(お肉約300g)(2640円)をいただきます。写真ではわかりませんが、これでもかというぐらい肉厚のリブロースがとてもとても美味しいです♪。テーブルの上にいろいろな薬味があり、味変してお召し上がりください。とのことですが、美味しいお肉なのでシンプルに塩が一番好みかな。結構お高いのでしょっちゅう食べに来られませんが、また自分へのご褒美に食べに来たいなぁ。ごちそうさまでした♪。

 

かつ丼 あらた

名古屋市北区大我麻町

 

 

 

 

あらすじ

右から読むと詩集、左からみると絵本という新しい形のビジュアルブック。「朝」をテーマにした、言葉と写真のコラボレーション。「この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている」小学生だった私はこの“朝リレー”の詩を学んだとき、何か楽しくてワクワクするような、想像すると笑ってしまうような気持ちになった。この本はそんな幼い頃の思いを何倍もの形で思い出させてくれる。‘あさがくるっていうのは、あたりまえのようでいて、じつはすごくすてきなこと’素直にそう思える素敵な一冊です。(書店員さんのレビューより)


ひと言
谷川さんの訃報に触れて、借りた本が「二十億光年の孤独」でした。その本もとても素敵な本ですが、私が一番好きな詩”朝のリレー”が収められていなくて、もちろんネットでは”朝のリレー”という詩に触れることはできるのですが、谷川さんの詩集本として”朝のリレー”に触れてみたいなぁと思っていたときに図書館でこの本を見つけました。図書館の司書さんも”朝のリレー”が載った本を探す人がいるだろうということで目のつきやすい場所に飾ってくれてありました。司書さんの心遣いに感謝です。この本は”朝のリレー”を使ったネスカフェのTVのCMが流行った年に刊行された本で、当時多くの人が谷川さんの”朝のリレー”という詩に触れ、ファンになったんだろうなぁと懐かしく思い出されました。改めてご冥福をお祈りいたします(合掌)。


朝のリレー

カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうっとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ



おはよう

あさ、めがさめたら、いちばんになにをする?
ぼくはカーテンをあける。おひさまがさしこむと、きもちがいい。
でもくもっていても、あめがふっていても、もんくはいわないようにしてる。
だって、よがあけて、あさがくるっていうのは、
あたりまえのようでいて、じつは、すごくすてきなことだから。

カーテンをあけたら、かおをあらう。
なつだったら、つめたいみずがきもちいい。   
ふゆだったら、あたたかいおゆがきもちいい・・・でもこういうあさを、
むかえられないひともいるんだよね、せんそうなんかしてると。

どこにいても、かならずあさはくるけれど、あさのむかえかたはいろいろだ。
おきるじかんもちがうし、あさごはんだってちがう。
あさがきても、おきたくないひとだっているし、はやくあさがこないかなあって、
まってることだってあるだろう、よるのあいだにこわいゆめみたりするとね。

ぼくは、だいたいあさは8じころおきるけれど、
ときどき、もっとはやくおきることもある。
そうするとはれていれば、おひさまがあかってくるところがみられる。
なんどみてもあきない。
なんだかおひさまに、ありがとうっていいたくなる。
だれかにおはようって、こえをかけたくなる。

たにかわしゅんたろう

 

 

今日は仕事帰り、前から行きたかった中川区 No.1中華「かいすい 本店」へ立ち寄りました。デララバというTV番組では、ハンバーグの「ハローキッド 太平通店」台湾まぜそばの「麺屋はなび 高畑本店」を抑えて中川区民が選ぶNo.1のお店です。かいすい名物の王府(わんふう)めん(858円)ともう一つの名物の純レバー(979円)をいただきます。極細の麺に玉子をとじたスープがよく絡み美味しいです。レバーは鶏のレバー、ハツ、砂肝、鶏皮などが入っていて、メニュー通りの純レバーですが、味付けが濃いように思いました。酒のアテの方が合うと思います。他にも美味しそうなメニューがいっぱいで次回を楽しみにしています♪。ごちそうさまでした♪。

 

かいすい 本店

名古屋市中川区野田1

 

あらすじ
大ヒット『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』待望の続編! 「もし、生まれかわれるなら―― 今度こそ、君の側にいよう」白昼夢―佐久間彰 「あなたと出会ったことで、私は変わった。あなたの想いが、私を変えたんだ」水鉄砲―加納百合 「千代ちゃん、どうか幸せになってくれ。君は絶対に幸せになる」三日月―石丸智志 「いつかまた必ずお会いできると信じて、ずうっと待っていたの。もう一度あなたに会える日を…」夏の空―中嶋千代 人気登場人物たちの”その後”が読める短編集。それぞれの物語に号泣!

 

 

ひと言
今年の1月「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の本を読み、Amazon Primeで映画を2回観ました。本や映画では描かれなかった裏話に、そうだったのかと感動させられました。「あの星が降る丘で、君とまた会いたい」という本は読んでいませんが、そこにはこの本の最後に描かれている現代を生きる加納百合と彰の生まれ変わりであろう宮原涼の話が描かれているんだろうと想像して読んでみたいなぁと思いました。
特攻を美化してはいけない。もう二度と特攻で命を落とすような人を作ってはいけませんが、特攻を絶対に忘れてはいけない。軍部からの正しい情報が伝えられなかったあの時代、この国の未来を想い尊い命を捧げた人たちがいたことを絶対に忘れず、自分の子や孫に伝えていかないといけないと改めて思いました。

俺は、生きる。あの人たちの分まで、生き抜いてやる。そして、この国がどうなるか、見届けてやる。あの立派な男たちを、生き神様だのなんだのと崇め奉りながら捨て駒にした、この日本が、これからどんな国になるのか、見届けてやるのだ。「……和さん」多恵が静かに口を開いた。「生きていてくれて、ありがとう」俺ははっと目を見開き、多恵を見つめる。彼女は大きな瞳を潤ませて、俺を見上げた。「私のために、生き延びてくれて、ありがとう」俺は息を呑む。生き延びたことを、罪だと思っていた。恥だと思っていた。生きたいから生き延びた。後悔はない。それでも、罪は罪だと思っていた。この罪を一生背負って生きねばならないと、覚悟していた。でも、多恵は、ありかとうと言ってくれるのか。「あなたの罪の意識も、あなたに向けられる悪意も 、私は全て共に背負うわ」多恵は宣誓のように告げた。潤んだ瞳に、月明かりが反射している。美しい涙だった。「……ありがとう」声を震わせて応える。「生きよう」俺も宣誓のように告げる。「一緒に生きよう。生き抜こう。こんな世の中はおかしいと、胸を張って言える世の中になるまで、生きてやろう」
いつか、あの人たちのことを堂々と話せるときが来たら、語り継ごう。この国がどんな大きな過ちを犯し、多くの犠牲を払ったのか。戦争を知らずに育つ子どもたちに、語り継ぐのだ。それだけが、この罪を償いうる唯一の手立てだろう。それこそが、俺が生き残った意義、俺の使命だろう。まだ見ぬ未来に思いを馳せながら、俺はいつまでも、目映いほどに明るく輝く満月を見上げていた。
(夜半月 ― 板倉和久 ―)

 

 

昨日、もつ煮込みうどんを食べた後、リニューアルされた松坂屋へ立ち寄りました。東海地方初の「サブレ ミシェル」にクリスマス限定のかわいいクッキー缶がありましたが、残念ながら売り切れていました。Amazonで探してみると購入可能で、23日までには届くということなので、大阪で施設に入っている90歳のお袋に届くように注文しました。今朝の 9時過ぎに電話があり、もう届いたとのこと Amazon恐るべし。他にもかわいいクッキー缶がたくさんあるので、また家族にも買いたいと思います。

 

サブレミシェル 松坂屋名古屋店

名古屋市中区栄3 松坂屋名古屋店本館 B1F