あらすじ
ほとんど取材を受けない高倉健が認めた貴重なインタヴュー集。日本を代表する映画俳優・高倉健。「すみません」「お願いします」「ありがとう」──寡黙で、礼儀正しく、思いやりに溢れる稀代の名優の言葉は、日本人が忘れ去ってしまったものを思い出させてくれる。健さん自身のセリフや演技への想いをはじめ、『網走番外地』『昭和残侠伝』『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』『駅 STATION』『夜叉』『居酒屋兆治』『鉄道員 ぽっぽや』などの多くの人が励まされ涙した名作の台詞分析など、知られざる事実が満載。映画のワンシーンや、ほかでは見ることができないプライベート写真も掲載。
ひと言
私が高倉健さんの大ファンになったのは、1977年の夏 映画館で「八甲田山」を観たからでした。この本にもあるように八甲田の大吹雪を乗り越えて村に入った道案内人を隊列の最後尾にと助言した兵隊に「このままでいい」と秋吉久美子さんを先頭で行進した後、別れ際に「かしらー 右」と敬礼するシーン。カッコよかった、一瞬でファンになりました。コーヒーが大好きになったのも健さんのおかげ。前に読んだ「健さんからの手紙」にも出てきた「運動靴と赤い金魚」という映画も、もしレンタルDVDがあれば観てみたいと思いました。
イランのマジッド ・マジディ監督が作った『運動靴と赤い金魚』。素晴らしい才能のある人で、ハリウッドじゃ絶対に作らない映画を作る監督です。この映画を見たとき、誇り高いペルシャ文化の香りを感じました。
『運動靴と赤い金魚』は貧しい親子の話で、小学校五年生の兄貴が買い物の途中で、たった一足しかない妹の靴をなくしちゃう。ゴミ集めの人が間違って持っていっちゃうんです。兄も妹も家が貧しいことをよく理解しているから、両親に靴を買ってくれとは、とても言い出せない。仕方なく妹は兄貴のよかぶかの靴を履いて朝一番で学校に行く。兄貴は妹が帰ってきたとたん、靴を履き替えて学校に全速力で走っていく。そんな生活のスケッチが続いたあと、ある日、兄貴は学校で地区対抗のマラソン大会が開かれることを知る。三等の賞品は靴なんです。それで兄貴が妹のために走る。自分がいちばん愛する人のために立ち上がって、必死になって走る。頑張った結果、兄貴は一等を取っちゃうんだ。ところが、一等の賞品はキャンプ旅行への招待。兄貴はしょんぼりして家に帰ってくる。靴を持ってない兄の姿を見ても妹は怒らない。黙って二人で飼っている金魚にえさをやる。感動します、この映画は。世界の金持ち国から見たら、イランは経済的には貧しいかもしれない。しかし、映画を見ていると、彼らは貧しさを引け目と思っていない。貧しいかもしれないが、その代わりに私たちはこういうものをちゃんと持っているんですよ、と朗々と謳い上げている。
僕がいちばん、ぐっときだシーンは妹が白分が履いていた靴を学校で見かけたことから始まる。違う子が履いていたんです。それで妹が兄貴に知らせて、二人はその子の後をつけて家の前までやってくる。「あの家の中に入っていった」と。そのとき、小さな家の中から、妹の靴を履いた子がお父さんと一緒に出てくる。お父さんは目が見えない。その子はお父さんの手を引いて、どこかへ出かけようとしている……。二人は何も言わずに帰ってきます。犯人を見つけた、と思ってワクワクしながら後を追いかけていったのだが、兄と妹は一緒に手を握り合って道を引き返してくる。靴を返してくれなんて言わない。ひとことも言わない。何もしゃべらせない演出もいいが、それよりも貧しくて靴を買うお金もない子供たちなのに、それでも他人に優しくする心に僕は打たれてしまう。
日本は豊かでしょう。今日はこっちの車に乗って出かけよう、明日はあっちだなんてことができる国になっている。それは悪いことじゃない。けれど、この映画に出てくるイランの家族は小さな一部屋に全員が暮らしている。お父さんは仕事が終わってからも内職をし、母親は腰を痛めて家事に苦労している。子供たちはその様子をじっと見て知っているから、靴一足の大切さがわかる。子供が親の生きていく姿を見ているから、親に対しても何かを感じられるんです。この映画を見ると忘れてはいけないことがあるのを思い出させてくれる。
(ハリウッドじゃ作らない映画の話)
今度の映画は世紀の変わり目に向けて考えたものでした。特攻のことは残しておくべき話だと思ってましたから。今、この国には何かを守るためにすべてを捧げるという人がほとんど残っていないでしょう。しかし、あの戦争のときにはそういう人たちがいた。その人たちが命をなげうってこの国があり、僕たちがいる。特攻を取りあげて美化したいのではないし、逆に戦争責任を追及したいわけでもない。昔、国を守るために命を散らした人たちがいる。それが今では風化していきそうになっている。じゃあ、それを映画にしてみよう、そう思ったのです。「ああ、そんな時代があって、もう今はそうじゃないんだ」ってことが観客に伝わればそれでいい。そんな映画です。
(『ホタル』について)
それでも映画のセリフのなかでいくつか忘れられないものはあります。たとえば『八甲田山』のなかで、農家の嫁をやった秋吉久美子さんが僕ら軍人を案内するシーンのセリフがそれです。暴風雪のなかをかよわい女性が先頭に立って、軍人たちを案内する。道案内を終えた秋吉さんにお礼をするために、僕が号令をかける場面があるんです。「全員、整列」「案内人殿に向かって、かしらー、右」一列に並んで敬礼をするんですが、あのときは出演者みんながジーンとしました。映画のなかでも印象に残るシーンなんです。つまり、あのセリフ自体は特別な言葉じゃないけれど、場面がいいからセリフが印象に残る。いいセリフとはいいシーンで使われるものなんじゃないでしょうか。
(胸に残るセリフ)
太陽が現れて、ふたたび、監督がヨーイと言った。よかった。涙の塊はまだ胸のところにとどまっていた。シメシメ、と。するともう一度、『すみませーん』……。いや、もう駄目だ、三回目は無理だ、もう一度やってみて、泣けなかったら、恥をしのんで目薬を頼もうとそこまで追い込まれました。そして三度目です。ヨーイ、スタートの後に、あの声が、あの方の声が後ろから聞こえてきたんです。『殿が云われた……、殿は一〇歳であった……。米はあるのか。この殿のやさしいお心づかいに胸をうたれた』高倉さんは自分の出番が終わったのに、僕が演技するのをそっと見守っていたんです。しかも、涙が出そうもないと直感してセリフをしゃべってくれた……」セリフを語った後、高倉健はさっと姿を消してしまったという。さらに後のこと、お礼を述べたら、「宇崎さん、この映画、もうずいぶんフィートが回ってましたから」と答えただけだったという。―― あなたのためだけじゃない、自分も出演している映画のためにやったことです。あなたはそんなに恐縮しなくていいですよ。高倉健はそんな意味のことを言ったのである。「どうですか。そんな人いないでしょう。大物俳優ならば自分の出番だけ終えたら、宿に帰って休憩していればいいんじゃないですか。あるいは取り巻きとワイワイガヤガヤやっていればいいんじゃないですか。高倉さんは特別です。一般の社会でもあんな人はいません」
私が宇崎竜童に踏み込んで尋ねたのは次のようなことだ。「では、私たちは高倉健の言葉や心の使い方をどう真似すればいいのか」と。彼の答えはシンプルだった。
「高倉さんにいただいたものは返せません。返したいけれど返せないほど大きなものをいただいている。できるとすればたったひとつ。私が後輩や新人に高倉さんからもらったものと同じものを渡すこと。その人のいいところを見つけて、大局的にほめてあげること。そんなことを気づかせてくれるのは高倉さんだけです」
(あの方の声が後ろから聞こえてきたんです)











