あらすじ
2014年正月。いつも、出された食事を残さないことを心がけている「剛さま」(貴月は高倉健のことをそう呼んでいた)が、珍しく食事を残した。2月、風邪のような症状を訴え、急速に体調が悪化していく。病院に行きたがらない高倉を、泣き落としで無理やり連れていき、さまざまな検査を行う。下された診断は「悪性リンパ腫」。高倉は尋ねた。「何もしないとどうなるんでしょうか」。医師の答えは、「死にます」。そこから、高倉と貴月、二人三脚での闘病が始まった――。同年11月に死去するまで、何があったのか。二人の間で、どのようなやり取りが交わされていたのか。そして、最後の一年を書ききるために、なぜ8年の歳月が必要だったのか。人知れず、稀代の俳優に17年寄り添った女性が綴る手記。
ひと言
健さんが亡くなった2014年のことが愛に溢れた言葉で丁寧に書かれてあって、思わず涙することもあった。最後は苦しまずに寿命を全うしてよかった、貴(たかし)さんと過ごせた晩年、最後は貴さんに看取られて幸せだったんだろうなぁ。貴さんほんとうにありがとう。
「人はいつか死ぬ。生きてるからね。僕は、死ぬことを恐れているんじゃない。生きてる実感がない状態が続くのが、耐えられないんだよ。だから、できたら管まみれになりたくないし、寝たきりだってごめん。そして何より、弱ってる姿を人に見せたいと思わない。わかってるのは、たぶん僕は貴より先に逝く……」
死を想い、生をまっとうする。高倉のこの強き意志を尊重し、最期を看取りました。生ききった先に開いた永久(とこしえ)の扉。やすらかな顔が、目に焼き付いています。これは、命を愛(いつく)しんだ記録です。 合掌
(まえがき)
二月二日、節分前日。高倉は例年通り、長野の善光寺にお詣りに向かいました。「僕が初めて善光寺に行ったのは、 デビューして四年目だったかな(一九五九・昭和三十四年)。二月の節分会の豆まき。(東映の)宣伝部から「健ちゃん、行ってくれないか」って声かけてもらったのがきっかけ。プロ野球の選手とか、相撲取りとかに混じってね。そのころ(主演)映画に出て一本二万円。善光寺さんで、裃姿になって豆まきして、ギャラが五万円。それに、豆まきした晩は、温泉宿に泊まれるんだから。次の年は、自分から『行かせて下さい』って頼んで、二年続けさせてもらったんだよ。そのあと、もうその仕事はないんだから、普通は行かなくなるだろ。それが、違ってね。なんか、二月の節分は、善光寺さんに行かないと気持ちが悪いって思うようになって……。『海へ See You』のときなんか、海外でロケしてたんだけど、この日だけはって日本に戻ってきて(善光寺に)お詣りしてね。『単騎(、千里を走る。)』のときは、最初から、節分はスケジュールNGにしてもらったし。よく、続けられたと思うよ。
あそこへは、○○お願いしますじゃなくて、一年間、おかげさまで無事に生きられました。ありがとうございましたって。お礼をしに行ってるんだなって思う」海外の撮影でどうしても都合がつけられなかった数回を除いて、長野の善光寺詣は、亡くなる年まで五十年以上続けることができたのです。
(第一章 冬うらら)
「小田は、今年八十三歳です。現役で仕事をしています。映画俳優には定年がありません。定年を決めるのは、自分自身だと現役を貫けていることに誇りをもっています。入院が長引くことが決まり、今、もっとも心配されるのは、すでにスケジュールが組まれている今後の撮影への影響です。具体的には、二本あります。新しく契約をしたコマーシャル撮影と、夏か、あるいはそれ以降の秋頃クランクイン予定の主演映画です。今年のコマーシャル撮影は、年二回で、初回分は二月に撮影が済んでおりますので、あと一本。映画については、本人が脚本を読ませていただいて、とても前向きです。
先生! その仕事は、是非させてあげたいんです。私自身が、観てみたいんです。さきほど、本人も話していたように、死を恐れておりません。人は、いつか亡くなるものだと……、寿命がくるものだと、普段の会話にも出るほどです。
今まで小田がもっとも注意してきたのは、約束していながら、不摂生などで健康状態が悪くなり、約束を反故にしてしまうことなんです。期待を裏切ることと言ってもいいかと思います。ですから、これまで怪我をしないこと、病気になりにくい身体を作ることに細心の注意を払って、好物の甘いものを控え、食べ過ぎないよう摂生してきました。健康であることを、最優先に生きてきた人です。私は、そのプロフェッショナルであろうとする生き様を、心から尊敬しています。
今回、入院すること、先生方に診ていただくことを、私が何とか説得できたのは、次の仕事に向けて、今の(症状の)ままでは、満足する仕事ができないと納得してもらえたからなんです。本人も、このあと、何本も(の映画に出ること)はできないと感じていますが、次の仕事、あと一本はなんとしても実現させたい……。先ほど先生が、治療法にいくつか組み合わせがあると仰られました。先生、お願いがあります。小田は、生き延びるためではなく、期待された仕事をするために入院を受け入れました。治療を終えたら、すぐにでも仕事に復帰できるようご配慮いただけないでしょうか」
(第二章 花曇り 四月九日)
これ(『八甲田山』)で森谷(司郎監督)と初めて組んだんだけど、最初はもうずっと寒いなかでの我慢比べ。こっちは現場で一歩も動かない。『休んでてください』なんて言われたって自分一人、車のなかで待機するわけにはいかないんだよ。足跡つけるわけにもいかないし。
宿で、若い俳優に『なんでこの映画に出ようと思ったの』って訊いたら、『健さんが出るって聞いたからです』って、言うんだよ。そんなこと聞いてるもんだから、余計に、自分だけ待機するなんてわけいかないだろう。もう、映画のなかの作り物のはずの部隊が、まるで現実なんだよ。だから、意地だね。負けるもんかだよ。森谷を目で追いかけてね。森谷は煙草吸いながら、天気待ち。大抵(の撮影)は 晴れ間を待つことが多いけど、この時の撮影はほとんどが吹雪待ち。
(第三章 青時雨)
三度目のリクエスト、コカ・コーラを買って病室に戻り、コップに移し替えてストローをさして、高倉を抱き起しました。「どうぞ、コーラですよ。飲めますか」と。ストローに口をつけることはできましたが、吸い込む力はありませんでした。このあとも、酸素マスクを嫌がる高倉のために、担当の看護師さんと相談しながら、点滴の架台に竿を渡すようにして、顔に当たらない位置に酸素マスクを吊るし、教えていただいた酸素流量計のセンター・オブ ・ボールに注意を払いながら、ベッドの傍らで見守りました。 苦しまないで……。
帰宅されていた担当医も、深夜、病院に戻ってくださり、「肺の病変のせいで呼吸状態が悪化しています。呼吸が苦しい状況が強くなるようであれば、モルヒネを使い呼吸の苦しさを取りたいと思いますが、投与量が増えれば、意識レベルが低下して会話はできなくなります。最後まで、慎重に様子を見ますがご了解ください」と、丁寧な説明がありました。「はい」とだけ申し上げるのが、精いっぱいでした。
日付が十日に変わったころ、血中酸素の値に注意が必要となりました。高倉の顔に当たらぬように、酸素マスクを鼻と口の辺りにできるだけ近づけて浮かせて持ち、もう片方の手で胸を摩り続けました。「楽だなあ」そう言ってもらえるだけで嬉しかった。「手伝いますね」と、この時の担当の看護師さんがご一緒に摩って下さいました。
しばらくして、担当医が病室に入られ、「小田さんの今の状況を見る限りはモルヒネの投与は不要で、ご自身の力で逝けます。僕たちは、ナースステーションで数値をチェックしていますから」と、看護師さんと病室を離れ、二人きりにしてくださいました。
呼吸が苦しいはずの高倉が、なおも話を続けていました。「これから、飛行機乗るところ。……今、沖縄、なんだ……」「わかりました。苦しくないですか」「……ああ、水をゴクゴク飲みたいなあ……」「ここにいますから… …」「……、……」「……、……」「もう、話さなくていいですから……」「……、……、……」「…………、… …」「……」「それでね……」最後に聞き取れた言葉は、「慌てるな、あ・わ・て・る……な……」
二〇一四年十一月十日、三時四十九分、担当医による臨終の告知がありました。高倉が最も嫌ったチューブに繋がれず、モルヒネが使われることもなく、自分の力で寿命を全うしたのです。「ご一緒になさいますか」と、担当の看護師さんが、身体を清めることを勧めてくださいました。入院患者用のリストバンドを外して頂いたとき、
「いつまで、これ着けてたらいいのかなぁ」と、高倉が退院を待ちわびていた時の笑顔が蘇りました。
(第五章 山眠る)
二〇一九年秋、前作『高倉健、その愛。』出版のとき、さまざまなメディアで取り上げていただき、中には「高倉さんのどこが好きだったのですか?」と 訊かれました。
面影に立てば、流行りのスタイルを真似るのではなく独白の洒落感を楽しもうとしたところ、
少年のように純粋一途なところ、
好奇心旺盛なところ、
抜群な記憶力で良くも悪くもすべて覚えているところ、
半端なく律儀なところ、
信心深く感謝を忘れないところ、
肩書で判断せず、相手の真心を汲もうとするところ、
その場を凍り付かせるエネルギーを発しながら沈黙を貫くところ、
もう勘弁してくださいというほどイラチなところ、
疲れ知らずの饒舌なところ。
無邪気な笑顔と魅力的な声。
歯をくいしばりながら、昭和、平成、令和という時代の風雪を乗り越えた美しさ。
私の命に換えても守りたかった人……。
私は、「何も彼(か)も」とお答えしました。
(あとがき)
質問⑩
最後にお聞きします。日本のシニアが選んだ「美しき人」が高倉さんですが、その高倉さんが理想とする「美しき人」とは、誰でしょうか。理由とともにお願いします。
多くの人があえぎながら生きて行く人生で、その人の心意気を垣間見たとき、僕は美しいと感じます。
美しさとは、他者に対しての優しさではないでしょうか。
(スペシャル寄稿)















