あらすじ
2014年正月。いつも、出された食事を残さないことを心がけている「剛さま」(貴月は高倉健のことをそう呼んでいた)が、珍しく食事を残した。2月、風邪のような症状を訴え、急速に体調が悪化していく。病院に行きたがらない高倉を、泣き落としで無理やり連れていき、さまざまな検査を行う。下された診断は「悪性リンパ腫」。高倉は尋ねた。「何もしないとどうなるんでしょうか」。医師の答えは、「死にます」。そこから、高倉と貴月、二人三脚での闘病が始まった――。同年11月に死去するまで、何があったのか。二人の間で、どのようなやり取りが交わされていたのか。そして、最後の一年を書ききるために、なぜ8年の歳月が必要だったのか。人知れず、稀代の俳優に17年寄り添った女性が綴る手記。


ひと言
健さんが亡くなった2014年のことが愛に溢れた言葉で丁寧に書かれてあって、思わず涙することもあった。最後は苦しまずに寿命を全うしてよかった、貴(たかし)さんと過ごせた晩年、最後は貴さんに看取られて幸せだったんだろうなぁ。貴さんほんとうにありがとう。

「人はいつか死ぬ。生きてるからね。僕は、死ぬことを恐れているんじゃない。生きてる実感がない状態が続くのが、耐えられないんだよ。だから、できたら管まみれになりたくないし、寝たきりだってごめん。そして何より、弱ってる姿を人に見せたいと思わない。わかってるのは、たぶん僕は貴より先に逝く……」
死を想い、生をまっとうする。高倉のこの強き意志を尊重し、最期を看取りました。生ききった先に開いた永久(とこしえ)の扉。やすらかな顔が、目に焼き付いています。これは、命を愛(いつく)しんだ記録です。 合掌
(まえがき)

二月二日、節分前日。高倉は例年通り、長野の善光寺にお詣りに向かいました。「僕が初めて善光寺に行ったのは、 デビューして四年目だったかな(一九五九・昭和三十四年)。二月の節分会の豆まき。(東映の)宣伝部から「健ちゃん、行ってくれないか」って声かけてもらったのがきっかけ。プロ野球の選手とか、相撲取りとかに混じってね。そのころ(主演)映画に出て一本二万円。善光寺さんで、裃姿になって豆まきして、ギャラが五万円。それに、豆まきした晩は、温泉宿に泊まれるんだから。次の年は、自分から『行かせて下さい』って頼んで、二年続けさせてもらったんだよ。そのあと、もうその仕事はないんだから、普通は行かなくなるだろ。それが、違ってね。なんか、二月の節分は、善光寺さんに行かないと気持ちが悪いって思うようになって……。『海へ See You』のときなんか、海外でロケしてたんだけど、この日だけはって日本に戻ってきて(善光寺に)お詣りしてね。『単騎(、千里を走る。)』のときは、最初から、節分はスケジュールNGにしてもらったし。よく、続けられたと思うよ。
あそこへは、○○お願いしますじゃなくて、一年間、おかげさまで無事に生きられました。ありがとうございましたって。お礼をしに行ってるんだなって思う」海外の撮影でどうしても都合がつけられなかった数回を除いて、長野の善光寺詣は、亡くなる年まで五十年以上続けることができたのです。
(第一章 冬うらら)

「小田は、今年八十三歳です。現役で仕事をしています。映画俳優には定年がありません。定年を決めるのは、自分自身だと現役を貫けていることに誇りをもっています。入院が長引くことが決まり、今、もっとも心配されるのは、すでにスケジュールが組まれている今後の撮影への影響です。具体的には、二本あります。新しく契約をしたコマーシャル撮影と、夏か、あるいはそれ以降の秋頃クランクイン予定の主演映画です。今年のコマーシャル撮影は、年二回で、初回分は二月に撮影が済んでおりますので、あと一本。映画については、本人が脚本を読ませていただいて、とても前向きです。
先生! その仕事は、是非させてあげたいんです。私自身が、観てみたいんです。さきほど、本人も話していたように、死を恐れておりません。人は、いつか亡くなるものだと……、寿命がくるものだと、普段の会話にも出るほどです。
今まで小田がもっとも注意してきたのは、約束していながら、不摂生などで健康状態が悪くなり、約束を反故にしてしまうことなんです。期待を裏切ることと言ってもいいかと思います。ですから、これまで怪我をしないこと、病気になりにくい身体を作ることに細心の注意を払って、好物の甘いものを控え、食べ過ぎないよう摂生してきました。健康であることを、最優先に生きてきた人です。私は、そのプロフェッショナルであろうとする生き様を、心から尊敬しています。
今回、入院すること、先生方に診ていただくことを、私が何とか説得できたのは、次の仕事に向けて、今の(症状の)ままでは、満足する仕事ができないと納得してもらえたからなんです。本人も、このあと、何本も(の映画に出ること)はできないと感じていますが、次の仕事、あと一本はなんとしても実現させたい……。先ほど先生が、治療法にいくつか組み合わせがあると仰られました。先生、お願いがあります。小田は、生き延びるためではなく、期待された仕事をするために入院を受け入れました。治療を終えたら、すぐにでも仕事に復帰できるようご配慮いただけないでしょうか」
(第二章 花曇り 四月九日)

これ(『八甲田山』)で森谷(司郎監督)と初めて組んだんだけど、最初はもうずっと寒いなかでの我慢比べ。こっちは現場で一歩も動かない。『休んでてください』なんて言われたって自分一人、車のなかで待機するわけにはいかないんだよ。足跡つけるわけにもいかないし。
宿で、若い俳優に『なんでこの映画に出ようと思ったの』って訊いたら、『健さんが出るって聞いたからです』って、言うんだよ。そんなこと聞いてるもんだから、余計に、自分だけ待機するなんてわけいかないだろう。もう、映画のなかの作り物のはずの部隊が、まるで現実なんだよ。だから、意地だね。負けるもんかだよ。森谷を目で追いかけてね。森谷は煙草吸いながら、天気待ち。大抵(の撮影)は 晴れ間を待つことが多いけど、この時の撮影はほとんどが吹雪待ち。
(第三章 青時雨)

三度目のリクエスト、コカ・コーラを買って病室に戻り、コップに移し替えてストローをさして、高倉を抱き起しました。「どうぞ、コーラですよ。飲めますか」と。ストローに口をつけることはできましたが、吸い込む力はありませんでした。このあとも、酸素マスクを嫌がる高倉のために、担当の看護師さんと相談しながら、点滴の架台に竿を渡すようにして、顔に当たらない位置に酸素マスクを吊るし、教えていただいた酸素流量計のセンター・オブ ・ボールに注意を払いながら、ベッドの傍らで見守りました。  苦しまないで……。
帰宅されていた担当医も、深夜、病院に戻ってくださり、「肺の病変のせいで呼吸状態が悪化しています。呼吸が苦しい状況が強くなるようであれば、モルヒネを使い呼吸の苦しさを取りたいと思いますが、投与量が増えれば、意識レベルが低下して会話はできなくなります。最後まで、慎重に様子を見ますがご了解ください」と、丁寧な説明がありました。「はい」とだけ申し上げるのが、精いっぱいでした。
日付が十日に変わったころ、血中酸素の値に注意が必要となりました。高倉の顔に当たらぬように、酸素マスクを鼻と口の辺りにできるだけ近づけて浮かせて持ち、もう片方の手で胸を摩り続けました。「楽だなあ」そう言ってもらえるだけで嬉しかった。「手伝いますね」と、この時の担当の看護師さんがご一緒に摩って下さいました。
しばらくして、担当医が病室に入られ、「小田さんの今の状況を見る限りはモルヒネの投与は不要で、ご自身の力で逝けます。僕たちは、ナースステーションで数値をチェックしていますから」と、看護師さんと病室を離れ、二人きりにしてくださいました。
呼吸が苦しいはずの高倉が、なおも話を続けていました。「これから、飛行機乗るところ。……今、沖縄、なんだ……」「わかりました。苦しくないですか」「……ああ、水をゴクゴク飲みたいなあ……」「ここにいますから… …」「……、……」「……、……」「もう、話さなくていいですから……」「……、……、……」「…………、… …」「……」「それでね……」最後に聞き取れた言葉は、「慌てるな、あ・わ・て・る……な……」
二〇一四年十一月十日、三時四十九分、担当医による臨終の告知がありました。高倉が最も嫌ったチューブに繋がれず、モルヒネが使われることもなく、自分の力で寿命を全うしたのです。「ご一緒になさいますか」と、担当の看護師さんが、身体を清めることを勧めてくださいました。入院患者用のリストバンドを外して頂いたとき、
「いつまで、これ着けてたらいいのかなぁ」と、高倉が退院を待ちわびていた時の笑顔が蘇りました。
(第五章 山眠る)


二〇一九年秋、前作『高倉健、その愛。』出版のとき、さまざまなメディアで取り上げていただき、中には「高倉さんのどこが好きだったのですか?」と 訊かれました。
面影に立てば、流行りのスタイルを真似るのではなく独白の洒落感を楽しもうとしたところ、
少年のように純粋一途なところ、
好奇心旺盛なところ、
抜群な記憶力で良くも悪くもすべて覚えているところ、
半端なく律儀なところ、
信心深く感謝を忘れないところ、
肩書で判断せず、相手の真心を汲もうとするところ、
その場を凍り付かせるエネルギーを発しながら沈黙を貫くところ、
もう勘弁してくださいというほどイラチなところ、
疲れ知らずの饒舌なところ。
無邪気な笑顔と魅力的な声。
歯をくいしばりながら、昭和、平成、令和という時代の風雪を乗り越えた美しさ。
私の命に換えても守りたかった人……。
私は、「何も彼(か)も」とお答えしました。
(あとがき)

 質問⑩
最後にお聞きします。日本のシニアが選んだ「美しき人」が高倉さんですが、その高倉さんが理想とする「美しき人」とは、誰でしょうか。理由とともにお願いします。
多くの人があえぎながら生きて行く人生で、その人の心意気を垣間見たとき、僕は美しいと感じます。
美しさとは、他者に対しての優しさではないでしょうか。
(スペシャル寄稿)

 

 

あらすじ
高倉健、空白の時代 健さんはなぜ、「一時期」のことを「なにも語らなかった」のか?そこに知られざる驚きの健さんがいた。健さんの側近、そして三田佳子、八代亜紀も取材に応えた! 高倉さんは多くのインタビューでデビュー間もないころの苦闘ぶりや、出演作を絞るようになった80年代以降のエピソードを明かしている。が、「日本侠客伝」「昭和残侠伝」「網走番外地」の3シリーズが同時進行した全盛時代、デビューからそこに至るまでの話は希薄だ。若く輝いていたころの「生身の健さん」がなかなか浮かび上がってこない。年をまたいでからの取材には、しばしば驚きがあった。浮かび上がったのはこれまで知らなかった高倉さんの素顔だった。


ひと言
昨年11月のNHKの番組「没後10年 高倉健にあいたい」を観て、延暦寺の大阿闇梨から贈られた健さんの座右の銘が「征く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」だということを初めて知りました。健さんの大ファンなのにまだまだ知らないことが多いなぁと思ってこの本を読もうと思いました。健さんの行きつけの京都の喫茶店が「喫茶・花の木」だというのは知っていたので、お亡くなりになってすぐの12月中旬に「花の木」には行きましたが、もうあれから10年、また「花の木」で健さんを偲んでおいしいコーヒーをいただきたいなぁと思いました。

突然の訃報だった。2014年(平成26年)11月18日正午前、高倉プロモーションから各メディアにファックスが届いた。文面に私たちは言葉を失った。
「映画俳優高倉健は、次回作準備中、体調不良により入院、治療を続けておりましたが、容体急変にて11月10日午前3時49分、都内の病院にて旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でございました」
ネット速報で情報が瞬時に拡散する時代に、死後8日を経て、すべての後始末を終えてからの発表。言葉はそぐわないが、鮮やかな、高倉健さんらしい最期だった。病名は悪性リンパ腫。闘病もごく近しい人以外には明かさなかった。ファックスには「征く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という座右の銘も添えられていた。52歳のとき、延暦寺の大阿闇梨、酒井雄哉氏からこの言葉を贈られ、高倉さんは極限の状況での撮影が待つ 「南極物語」への出演を決意する 。年齢を重ねても、過酷な撮影をものともしない晩年のイメージはこの言葉とともにあ った。
(まえがき)

後年の話になるが、1977年(昭和52年)の「幸福の黄色いハンカチ」のエピソードにこの典型がある。刑務所から出てきたばかりの主人公が食堂でビールを飲み干し、ラーメンをむさぼるように食べる場面はあまりに印象的だった。ビールののど越しや麺の食感がダイレクトに伝わってきた。高倉のリアルな演技に山田洋次監督は本番1回でOKを出す。実はこのシーンのために高倉は2日間食事を抜いていたのだ。何らかの不都合があって撮り直しとなったら、このシーンはどうなったのだろう。高倉の演技は文字通り一球入魂の一発勝負なのである。本人はもちろん、周囲のスタッフ、キャストもミスを許されない。晩年の高倉の撮影現場には「原則1テイク」の緊張感があった。
(第3章 不器用)

「健さんは実はほとんど新幹線を使わなかった、いや使えなかったんです」と佐々木は言う。東京と京都に撮影所がある東映の看板スターは頻繁に東西を行き来した。1964年に開業したばかりの東海道新幹線は東映スターにとって格好の「足」のはずだった。佐々木が担当になって数力月、高倉は顔をしかめながら理由を明かした。開業間もないころだという。東京駅で出発を待つ車内で静かに座っている高倉に、いかにもその筋と見られる男が気付いた。後ろには若い衆が続いている。「高倉健?」「はい」「サインもらえないかなあ」「書くものはありますか?」たまたま手元にペンがあったため、色紙の類いの有無を確認したのだ。「よし」男は若い衆に命じ、近くの座席から白布のカバーを5、6枚剥がして持ってこさせた。「そういうものには出来ません……」その後、どうなったかを高倉は明かさなかった。だが、以来、東西移動はもっぱら空路を使っている。客席間の移動は新幹線のように自由にはできない。少なくとも機内にいる間はほっとすることができたのだろう。……。……。
「作品的にどうしてもその世界の人がファンになる。クランクアップと同時に海外に飛び出すようになったのも、その辺に理由があったのでしょう」。「昭和残侠伝」のプロデューサー吉田達は言う。
(第3章 不器用)

高倉は朝が弱い。京都撮影所で仕事がある時の定宿は河原町の京都ホテル(現京都ホテルオークラ)の701号室。高倉を起こし、撮影開始時間までにスタジオに連れて行くのも佐々木の仕事だった。高倉の部屋の呼び鈴を鳴らし、しばらく待つと扉が開く。高倉自身が開けたのに違いないのだが、その気配が感じられないほどの早さで本人はベッドに戻ってしまう。……。……。ベッドに向かって呼びかけると、「あと20分だけ寝かせてくれ」と力ない声が返ってくる。市内の行きつけ「喫茶・花の木」で気心の知れたスタッフと毎夜遅くまで過ごしているから無理もない。
(第6章 孤高の人)



 

 

今日は先日TVで紹介された「洋食屋 うおひろ」でランチです。一番人気のうおひろランチ(1100円)をいただきます。ハンバーグ、お好みフライ2種(イカ・カキを選択)それに名物シーフードグラタンがついてくるグラタン好きの私には夢のようなランチです。グラタンもシーフードがたっぷりでとても美味しいです♪。フライは他にも海老やクリームコロッケなども選べるのでまた利用させてもらいます。ごちそうさまでした♪。

 

 

 

洋食屋 うおひろ

名古屋市中区丸の内2

 

今日は職場の人と「重きよ」へランチを食べに行きました。和室にイス席の部屋を予約してくれてあって、床の間にかわいいお雛様が飾ってあり、とても静かで雰囲気のいいお店です。銀むつ西京焼膳(2000円)をいただきます。煮物、西京焼、茶碗蒸しもおいしく、とても楽しいひとときを過ごすことができました。ごちそうさまでした♪。

 

 

重きよ

名古屋市中区新栄2

 

今日は生後約7か月の孫と天白区農業センターの梅まつりに行く前に、プライムツリー赤池の「中村麵兵衛」でお昼です。昨日TVで紹介された濃厚玉子 厚みかつ丼とそば(大盛)(1199円+そば大盛代)をいただきます。とても肉厚でやわらかいカツがとても美味しいです♪。「中村麵兵衛」は愛知ではプライムツリー赤池にしかなく、愛知より西では沖縄に一店あるだけの貴重なお店で、昨日TVで紹介された美味しいカツ丼とそばがいただけてとてもラッキーでした。ごちそうさまでした♪。

 

 

中村麵兵衛 プライムツリー赤池店
日進市赤池町箕ノ手1 プライムツリー赤池 2F

 

 

 

 

今日は定例の大垣へ水汲みに行く日で、水汲み場へ行く前に「サンコック 大垣本店」でお昼です。日曜日で 先日TVに取り上げられたこともあり店の外まで待ちができて大混雑。20分ほど待って 人気No.1のしーなし(天津飯+汁なし担々麵のセット)(1300円)をいただきます。2つを一緒に撮ろうとしたのですが大混雑で担々麵が先に運ばれてきて天津飯がなかなか運ばれてこなかったので一緒の写真は撮れませんでした。担々麵は太麺でそんなに辛くなく万人受けの味付けです。天津飯はあんかけの味付けがよく、人気No.1もうなずけます。美味しいのですが量が多くお腹いっぱい。女房は天津飯(小)を頼んだのですが、量が多くてごはんを少し残したぐらいです。ごちそうさまでした♪。

 

サンコック 大垣本店

大垣市上面4丁目

 

あらすじ
一緒に生きよう。あなたがいると、きっとおいしい。やさしくも、せつない。この物語は、心にそっと寄り添ってくれる。法務局に勤める野宮薫子は、溺愛していた弟が急死して悲嘆にくれていた。弟が遺した遺言書から弟の元恋人・小野寺せつなに会い、やがて彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うことに。弟を亡くした薫子と弟の元恋人せつな。食べることを通じて、二人の距離は次第に縮まっていく。
(第1回「あの本、読みました?」大賞)(2025年本屋大賞ノミネート)


ひと言
最近、TVerでBSテレ東の本好きのための情報番組「あの本、読みました?」という番組を観ているのですが、第1回 あの本、読みました?大賞に選ばれ、2025年の本屋大賞10作にも選ばれている「カフネ」。もう読むっきゃないでしょう。本書に出てくる料理のレシピも発表されているし、2023年の大賞「汝、星のごとく」、2021年の大賞「52ヘルツのクジラたち」と、この「カフネ」も間違いなく上位に入ってくる作品になると思います。個人的には、M1の「令和ロマン」のように成瀬の連覇もありかも!?と思っています。

 



「令和二年七月十日、相続法が改正されたの。遺言書保管法が施行されて、法務局による自筆証書遺言書保管制度が始まった」「……今から始まるの、小難しい話ですか?そういうの好きじゃないんですけど」「どこも小難しくないわ。それまでは弁護士に預けるか、公証役場に預けるか、自分で保管するのが主流だった遺言書が、法務局で気軽に預かってもらうことができるようになりましたという話。話したと思うけど、私は法務局の八王子支局に勤めていて、その制度の開始で業務に遺言書の受付も加わったの。それでうちに春彦を呼んで私と公隆と三人で食事をした時、そんな話をしたことがあったのよ。あんたも遺言書を作っておけば、って冗談のつもりで言ったの。……」
(第一章 3)

階段で二階に上がると、廊下の突き当たりにオフホワイトのドアがあり、ドアの真ん中よりやや上に『カフネ』とやわらかい字体で記されたプレートが取り付けられていた。……。社名の『カフネ』はポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」を表すらしい。
(第二章 3)

薫子はバッグから財布をとり出した。カード入れにはさんだまま、ずっと手放せずにいたものを拓斗にさし出す。拓斗はとまどいがちに、その名刺に目を落とす。「この滝田公隆という人は、法律事務所で働きながら児童相談所でも弁護士として勤務しているの。拓斗さん」少年の目を見つめる。誰を責めるつもりもない、ただどうか聞いてほしいと願いながら。「お風呂場の掃除をした時、洗面台に砂時計が置いてあるのを見たわ。『砂がぜんふ落ちるまで歯みがきがんばろうね』って貼り紙もしてあった。あれ、ののかちゃんのためにお母さんが書いたのよね。お母さんは一生懸命あなたやののかちゃんを育てているし、あなたも一生懸命、そんなお母さんを助けてるのよね」拓斗の目もとが、小さく引き攣るように震えた。助けたいと思う理由を、彼は母親から受け取ってきたのだろう。たとえば薄焼き卵をかぶせたオムライスのような形で。「お母さんは毎曰くたくたになるほどがんばってる。だからこそ、もしもこの先、お母さんやあなたたちに何か困ったことが起きた時のことを話させて。そういう時、この名刺の彼に連絡すれば相談に乗ってくれる。お金の心配はいらないわ。さっきの私たちの話は、あなたにはお母さんを責めているように聞こえてしまったかもしれない。でも、そうじゃないの。私たちや、この名刺の弁護士さん、あらゆる人が考えたいのは、あなたたちもお母さんも安心して暮らしていける方法なの。どうか覚えていて。この国では、子供はみんな安心してごぱんを食べて勉強して生活していいの。それがすべての子供に約束された権利なの。権利であるはずのものが欠けている状態なら、あなたはその不足分を求めていいの。でも、いきなり弁護士に連絡なんて気軽にはできないかもしれない。その時は、私か、この小野寺さんに連絡をくれたら、すぐに動くわ。必ずよ。どうか覚えていて。何かに困った時、あなたには相談できる人間がいる。これは社交辞令じゃない。これから何日、何ヵ月、何年経っても、今ここに名前の出ている三人の大人は.一ミリも変わらずにあなたの力になりたいと思っているから」
(第三章 2)

楽しみに考えながら歩き出したところで、薫子はしばらく先の電柱のそばに見える人影に気がついた。カーキ色のつなぎ服に、ごつい黒のコンパットブーツ。おだんご頭をうつむけて、ぽつんと立っている。カフェを出て行ってから十分近くは経っているはずだ。戻ってきたのだろうか? まさか、ずっとここに立っていたわけじゃないだろうな。薫子は小走りで近づいた。「どうしたの。もしかして本当に具合が悪かったの?」せつなが緩慢に顔を上げた。目が赤い。小さく目もとが震えて、唇が開かれるが、しばらく経っても何の言葉も出てこないまま、また閉じられる。風に乱されたのだろうか、彼女の前髪がくしゃくしゃになっていたので、薫子は自然と手をのばした。斗季子の声が。耳の奥によみがえった。「愛しいんです。眠ってる娘たちの髪をさわりながら、忙しすぎて心を失くしかけているような人たちが、こんな時間を持てるようにする仕事がしたいと思いました。それで会社を立ち上げた時、社名にしたんです」

カフネ。   ほのかに体温をおびた前髪に指をとおし、やさしく、胸を満たす想いを込めて梳く。こどものように顔をゆがめたせつなも、ためらいがちに手をのぱし、薫子の髪にふれた。言葉にならないものを伝えるように、そっと、髪に指を絡めた。
(終章)

 

 

今日のお昼は今池の「天ぷらスタンドKITSUNE」で KITSUNE天ぷら定食(1100円)をいただきます。揚げたてのナス・レンコン・かぼちゃ・半熟卵・とり天3個・海老・キスの7種類の天ぷらとおかわり自由なごはんでおなかいっぱいになりました。とてもお値打ちで美味しい天ぷらでした。ごちそうさまでした♪。

 

天ぷらスタンドKITSUNE 今池店

名古屋市千種区今池5

 

 

今日も一宮へ行く用があり、変わり種のお好み焼きのモーニングがいただけるという「STAGE (ステージ)」へ。一日中モーニングがいただけるというお店ですが、お店に着いたのが10時30分を少しまわっていたので10時30分からの人気No.1のお好み焼きサンド(スクエアプレート)とブレンドコーヒー(740円)をいただきます。7時30分からも同じメニューがあるのですが、お店の人の話では10時30分からの方がボリューミーとのこと。お好み焼きも紅ショウガが効いて美味しいし、茶わん蒸しにプリンもついて大満足。TVの取材も多数のお店で、2018年には Snow Man も来店、お値打ちで美味しいモーニングでした。ごちそうさまでした♪。

 

STAGE (ステージ)

一宮市時之島字下垂

 

 

今日のお昼は以前から一度行ってみたかった「パンのトラ 八事店」です。ネットで調べ、大人気の生チョコ食パンの焼き上がり時間の11時にお店に伺ったのですが、まだ30分ほどかかるということなので、生チョコ食パンは諦めて、3月1日に新発売になったトラのたこ焼き、八事店人気No.1の牛乳クリームパン(八事限定)、八事店人気No.2のお!おいしいカレーパン、八事店人気No.3のトラのクリームパンを購入。レシートを取り忘れて各々の値段はわかりませんが4つ合計で1060円でした。駐車場も広く、客がひっきりなしに訪れる大人気店で、パンの種類も非常に多く、今回いただいた4つはどれも美味しかったです。私の好きなピロシキやギネス記録を作った食パン、惣菜系、サンドイッチも多数あり、是非また伺いたいと思いました。ごちそうさまでした♪。

 

パンのトラ 八事店

名古屋市昭和区広路町梅園8