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あらすじ
執事とお嬢様刑事が、6つの事件を名推理!ミステリ界に新たなヒーロー誕生! 主人公は、国立署の新米警部である宝生麗子ですが、彼女と事件の話をするうちに真犯人を特定するのは、なんと日本初!?の安楽椅子探偵、執事の影山です。彼は、いくつもの企業を擁する世界的に有名な「宝生グループ」、宝生家のお嬢様麗子のお抱え運転手です。本当は、プロの探偵か野球選手になりたかったという影山は、謎を解明しない麗子に時に容赦ない暴言を吐きながら、事件の核心に迫っていきます。本格ものの謎解きを満喫でき、ユーモアたっぷりのふたりの掛け合いが楽しい連作ミステリです。

 

ひと言
「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本」の大賞がこの本とは……、これは書店員が「売りたい本」なのかもしれないが、「読んでもらいたい本」では決してないと思う。帯にも 会話がおもしろい。ふたりの掛け合い漫才さながらの会話が、ツボにハマる。などの言葉が並ぶ。本屋大賞に選ばれた本を参考にして読む本を選んでいる読者も多いのだから、本を取り扱っているプロであるという自覚を持ってもっとしっかりと選んでほしい。
「失礼ながら書店員様―この程度の本を大賞に選んでしまうとは、あなたたちはアホでいらっしゃいますか。あなたたちの目は節穴でございますか?それでもあなたたちはプロの書店員でございますか。正直、ズブの素人よりレベルが低くていらっしゃいます」

 

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あらすじ
ペリー艦隊の砲艦外交の衝撃に遭遇、国の行く末を案じつつ武力討幕、大政奉還のはざまを駆けぬけた33年の熱き生涯!妻のお龍、女丈夫の乙女姉などに宛てた龍馬の赤裸々な手紙を駆使、武市半平太の土佐、亀山社中、海援隊の長崎、桂小五郎の長州、新選組の京都等、史跡を訪ねつつ活写した龍馬と幕末志士たちの青春。

 

ひと言
龍馬関係の本は非常に多いが、テレビ等で人気の河合 敦先生が書かれた本ということで借りた。特に目新しく感じるような内容はなかったが少し詳しくわかりやすく書かれてあり読みやすい本であった。
龍馬は手紙のなかで、「あきれ果てたる事ハ、其長州で戦いたる船を江戸で修復いたし、又長州で戦い申し候。……、夫より江戸の同志と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度洗濯いたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。……」(第3章 龍馬の手紙)

 

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あらすじ
17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが―。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション。

 

ひと言
2007年から新潮文庫の100冊に選ばれ、早く読みたいと思っていたこの本がやっと読めるようになりました。訳者あとがきで青木 薫さんが書いているように サイモン・シンは一般読者に理解してもらえる記述をすることに骨身を削っている。実際、本書には難解なことは何一つ出てこないにもかかわらず、ワイルズが何をやろうとし、どういう道筋をたどったかが鮮やかに見えるようになっている。専門的な数学を事細かに説明せずとも、数学上の業績の偉大さをこれだけの説得力をもって訴えうるというのは、たいへんな力量である。フェルマー関係の本は数多く刊行されているけれども、フェルマーの最終定理の証明が数学全体にとってどういう意味をもつのかをドラマティックにわかりやすく描いているという点で、本書の面白さは群を抜いている。まさに同感です。

 

 

すべての素数は二種類に分類できる。nをどれかの自然数として、4n+1 で表せる数と、4n-1 で表せる数である。

 

 

十七世紀のこと、数学者たちは次の数列を詳しく調べ上げ、どれもみな素数であることを示した。
31, 331, 3331, 33331, 333331, 3333331, 33333331
数はこの先どんどん大きくなるため、素数か否かをチェックするのはたいへんな作業になる。当時の数学者のなかには、これまでのパターンから考えて、この形の数はすべて素数になると思いたい者もいた。ところがこのパターンに次に現れる数、333,333,331 は、素数でないことがわかったのである。333,333,331=17×19,607,843 こんなわけで、数学者はコンピュータのはじきだした証拠では納得しないのである。

 

 

オイラーは、フェルマーの方程式に似た次の方程式には自然数解がないと主張した。
x^4 + y^4 + z^4 = w^4 (オイラーの予想)
二百年のあいだ、オイラーの予想は誰にも証明できなかった。しかし反例を見つけてこの予想が成り立たないことを証明した人間もいなかったのだ。まずは手作業による検索が行われ、その後コンピュータが数年がかりで数を篩(ふるい)にかけたが、解はやはり見つからなかった。そこまでしても反例が挙がらないという事実は、この予想を支持する強力な根拠となった。ところが1988年になって、ハーバード大学のノーム・エルキースが次の解を見つけたのである。
2,682,440^4 + 15,365,639^4 + 18,796,760^4 = 20,615,673^4
こうしてオイラーの予想は成り立たないことが示された。それどころかエルキースは、この方程式には無数の解があることを証明したのである。ここから得られる教訓は、たとえ1から100万までの数について確かめたとしても、無限までのすべての数に関する予想を証明したことにはならないということだ。

 

 

素数にはもう一つ、1742年に誕生した謎がある。この年、かつて十代のロシア皇帝ピヨートル二世を教えたこともあるクリスティアン・ゴルトバッハが、偉大なスイス人数学者レオンハルト・オイラーに一通の手紙を送った。ゴルトバッハは何十もの偶数を調べ、それらが二つの素数の和として表わせることに気づいたのである。
4=2+2 6=3+3 8=3+5 10=5+5 50=19+31 100=53+47 21,000=17+20,983
そこでゴルトバッハはオイラーに、すべての偶数は二つの素数の和で表せるということを証明できるだろうか、と尋ねたのだった。オイラーは長年この問題に取り組んだが、解析学の権化と呼ばれた男も、今度ばかりは解決の糸口すらつかむことができなかった。今日”ゴルトバッハの予想”と呼ばれているこの問題もまた、コンピュータを使って一億までのすべての偶数に対して成り立つことが確かめられている。しかしこの予想が、無限に存在するすべての偶数で成り立つかどうかはいまだ証明されていない。

 

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あらすじ
このことは誰も知らない。五月末日の木曜日、午後四時のことである。大阪が全停止した。長く閉ざされた扉を開ける“鍵”となったのは、東京から来た会計検査院の三人の調査官と、大阪の商店街に生まれ育った二人の少年少女だった―。前代未聞、驚天動地のエンターテインメント、始動。

 

ひと言
本筋とは全然関係ないことであるが「JR天王寺駅のコンコース隅にある、551蓬莱の前には、いつも行列ができている」(P355) たくさん店舗のある551蓬莱の中でも、天王寺の蓬莱は誰が食べてもやっぱり一番うまいよなぁ!と妙なところに感心してしまった。本の帯にもあるように はっきりいって、万城目学の最高傑作でしょう。後味のいい作品を読ませてもらった。もうすぐ公開される映画も楽しみです。
「なぜ、信じる――?」幸一の手のことには触れず、松平はかすれた声で訊ねた。「……、あなた方は誰もが、おかしいほどその存在を強く信じている。〝王女〟を守ろうと滑稽なまでに必死だ。大阪国のことを普段、外で語ることは固く禁じられている、とあなたは言った。ならば、あの地下の議事堂を一度、訪れただけで、すべてを判断することになる。たったそれだけで、なぜこんなお伽噺のような世界を信じることができる?私なら、とても信じる気にはなれない」「それは父の言葉だからだ、松平さん」と幸一は即座に答えた。「あのトンネルを二人だけで歩く。ゆっくりと、父親の歩調に合わせて。行きと帰りで、一時間から二時間はかかる。そのとき、子は父から真実を伝えられる。松平さん――あなたは大人になってから、一時間でも、父親と二人だけの空間で話し合ったことがあるか?」幸一の問いに、松平は何も答えなかった。ただ、太い眉の間に深いしわを寄せ、幸一の真摯な視線を受け止めた。「そう――男は普通、そんな時間を一生持たない。父と子が二人だけで歩むトンネルでの往復の時間は、二度と持つことができない二人だけの記憶になる。そこで託される言葉は、二度と聞くことができない二人だけの約束になる。なかには、父の言葉を信じられない者もいるだろう。あなたのように半信半疑の者もいるだろう。だが、今日、この風景を見て、誰もが父親の言っていることが、本当だったことを知る」やわらかい風が、松平の短い髪を撫でた。………「父から子へ大阪国の事実を伝える――我々が四百年間、続けてきたことは、たったこれだけだ。あなたはそれを無駄なことだと言うかもしれない。だが、そこには、かけがえのない想いが詰まっている。我々はこれからも〝王女〟を守る。たくさんの大切なものと一緒に、大阪国を守り続ける――これがすべての問いに対する、我々の答えだ」(栄光の五月 Ⅱ)

 

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あらすじ
シューマンに憑かれた天才美少年ピアニスト、永嶺修人。彼に焦がれる音大受験生の「私」。卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。現場に居合わせた修人はその後、指にピアニストとして致命的な怪我を負い、事件は未解決のまま30年の年月が流れる。そんなある日「私」の元に修人が外国でシューマンを弾いていたという「ありえない」噂が伝わる。修人の指に、いったいなにが起きたのか。鮮やかな手さばきで奏でる“書き下ろし”長篇小説。

 

ひと言
出だしからの横文字に違和感を覚えながら、途中何度も読むのをやめようと思ったが最後まで読み進めた。ラスト9ページの吾妻豊彦に宛てた手紙の、「修人」はもちろん、シュー=修、マン=人の洒落です。「修人」で「まさと」と呼ばせるのは、知り合いにそういう名前の方があったようです。というくだりを読んでさすがにあほらしくなった。だから「シューマンの指」?!これで本屋大賞5位 270.5点とはあきれる。

 

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あらすじ
いま甦る、後藤田正晴という人間の真髄!後藤田正晴氏と深く関わった政治家、官僚、民間人30名が綴る「後藤田正晴論」。“カミソリ”の異名を持つ男の影響力がいまなお健在であることを証明する1冊。

 

ひと言
私の好きな言葉であるフランシス・ベーコンの「知は力なり」(経験をたくさん積み、その経験から得られた知識は、自然を支配できるほどの力になる)を証明した人。それが後藤田正晴さんだと私は思う。リーダーシップを発揮する人もなくこの震災後の人災で混乱した今の世の中に、後藤田正晴さんがご存命であれば……。後藤田正晴総理が実現していたら今の日本はどう変わっていたのだろう。
阪神・淡路大震災(平成七年一月十七日)のあった翌日、官邸にお見えになったときの後藤田さんの一言は忘れることができない。いまでもはっきり覚えています。それは「総理、地震は天災だから防ぎようがない、しかしこれからは、まかりまちがうと人災になる。しっかりやってくれ」と言われ励ましてくれました。まさに緊急事態だ。政令や省令にとらわれないでやるべきだ。官僚はえてして先例主義にとらわれがちだが、政治主導で必要なことはどしどしやりなさいと励ましてくれたのだと思います。(1後藤田正晴とは何であったか 村山富市)
そんな後藤田正晴先生の座右の銘は「天知る 地知る 我知る 人知らず」。佐々淳行氏から聞かされた。日本のために奔走した自分を決して人に知られることを好まなかった先生。知っていることを全て持ったまま突然亡くなった。残された我々は只さまようばかりである。(3後藤田正晴の魅力 板東英二)

 

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あらすじ
これって性欲?でも、それだけじゃないはず。高校一年、斉藤卓巳。ずっと好きだったクラスメートに告白されても、頭の中はコミケで出会った主婦、あんずのことでいっぱい。団地で暮らす同級生、助産院をいとなむお母さん…16歳のやりきれない思いは周りの人たちに波紋を広げ、彼らの生きかたまでも変えていく。嫉妬、感傷、愛着、僕らをゆさぶる衝動をまばゆくさらけだすデビュー作。
第8回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞受賞、 2011年本屋大賞 第2位

 

ひと言
読み終えた後、大賞の『謎解きはディナーのあとで』をまだ読んでいないので軽はずみなことは言えないのかもしれないが、R‐18がネックで本屋大賞から外れたんだろうなと思ったほど心に残った作品でした。特に後半の「セイタカアワダチソウの空」「花粉・受粉」は圧巻で、新人作家とは思えない、私の好きな角田光代さんを読んでいるような気持ちになりました。
「きちんと守っていれば、先生、私、絶対に自然に産めますよね」ノートをそっと閉じて、西村さんが笑いかけたので、私は曖昧に笑い返した。自然、自然、自然。ここにやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。彼女たちが口にする自然、という言葉の軽さや弱さに、どうしようもない違和感を抱きながら、私はその気持ちを言葉に表すことができない。乱暴に言うなら、自然に産む覚悟をすることは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ。……、お産には、温かい肉が裂け、熱い血が噴き出すような出来事もある。時には、母親や子どもも命を落とす。どんなに医療技術が発達したって、昔も今もお産が命がけであることは変わらないのだ。
時間があれば、ここに来て手を合わせた。今までにとりあげた子、とりあげられなかった子、私の手の中ですぐに亡くなってしまった子、これからとりあげる子たちのことを祈った。助産院を始めたころは、一気に駆け上がることのできた石段も、今は半分も登りきらないうちに、息が苦しくなった。……。「大きな声で泣いたら、赤んぼうたちが驚くからさ」「だいじょうぶだよ。ここなら神さましか聞いていないんだから」……。顔を上げると、雲の切れ間から銀色の丸い月が顔を出していた。卓巳が泣きやむまで、私は手を合わせ続けた。神さまどうか、この子を守ってください。(花粉・受粉)

 

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あらすじ
在原業平といえば、『伊勢物語』に「むかし男ありけり」と語られた人物とされ、日本史屈指の美男、プレイボーイといわれる。しかし業平は貴族としては出世が遅く、不遇であった。華麗な恋愛遍歴と裏腹に、内面はかなり屈折していただろう。その屈折は、あるい太宰治作品の主人公のような「マイナスの魅力」を湛え、女性たちを虜にしたのではないか。権力や地位にはまるで無関心、マイナス思考でマイペース、恋愛はしても溺れたりしない。どろどろした政争のかたわらで、ひとり静かに恋をし歌を詠んでいる「なりひら」の、どこか憎めないキャラクターに思わずはまってしまう。新感覚で楽しめる古代の恋愛物語。

 

ひと言
三田誠広?本をパラパラとめくって気づいた。確か私が高校生の時だったと思うが「僕って何」で芥川賞をとった作家だ。好きな伊勢物語だしこれも何かの縁かもしれないと思って図書館で借りた。愛知県知立市にある無量寿寺のかきつばたももうすぐ見頃だなぁと思いながら読ませてもらいました。
わずかな供をつれて、東下りの旅に出た。三河国、八橋という地に来た。そのあたりは湿地帯だった。細い流れが蜘蛛の足のように枝分かれして、橋がたくさんかけてあったので、そういう地名になったのだろう。湿地帯のいたるところに、カキツバタが咲きみだれていた。…供の者のひとりが、こんな提案をした。「この美しい花を歌に詠んではいかがでしょう。カキツバタという五文字を歌の中に詠み込むことができましょうか」そんなふうに言われれば、歌人として評判の高いなりひらとしては、歌を詠んでみせるしかない。こんな歌を詠んだ。
からごろも 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
(からごろもを きて愛し合った つまを京に残して はるばると遠くまで たびをしたものだね) 

 

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あらすじ
どれだけ慊かろうとも仕方がない。すべては自業自得のなせる業なのだ。
友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫多。或る日彼の生活に変化が訪れたが……。こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか。青春に渦巻く孤独と窮乏、労働と痛飲、そして怨嗟と因業を渾身の筆で描き尽くす、平成の私小説家の新境地。(第144回芥川賞受賞)

 

 

ひと言
年度末、年度初めは忙しくて、なかなか読書する精神的余裕がありませんでしたが、またマイペースでブログを更新していきたいと思います。読了後、自分の意志では止めたり降りたりすることができない「列車」という言葉をうまくタイトルにしたなと思いました。ただ普段本を読んでいてもあまり見ることのない慊(あきた・らない)などの言葉使いが少し気になりましたが、平成の私小説家という言葉に恥じない作品でした。
「必要悪でなんでも肯定しようとするのはよくないよ。そんなのは本来なくってもいいものを、それによって利益を受けている者が無理に正当化しようとする幼稚な口実に過ぎないよ。そんなのは、事の心理のごまかしだ」(苦役列車 四)

 

 

2月26日 今回の3人旅は,伊勢・志摩の方へ遊びに行きました。浦村の牡蠣や焼きウニを食べ、伊勢志摩温泉ともやまの湯に入り、天の岩戸なども見てまわりましたが、今回の旅で一番心に残ったのが 鳥羽市相差(おおさつ)町の神明神社(石神さん)です。

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鳥羽水族館の前を通ってまっすぐ行くと自然と無料になったパールロードに入ります。そのパールロードの途中、相差と標識のある方へ一本道を下ると相差町です。

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相差海女文化資料館に車を駐めて、坂を登っていくと石神さんです。

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ここは2004年8月のアテネオリンピックの女子マラソンで三重県伊勢市出身の野口みずきさんが石神さんのお守りをつけて走り見事金メダルをとったということで一躍有名になり、「女性の願い事は一つだけ必ずかなえてくれる」パワースポットとしてTVや女性誌に取り上げられ昨年は12万5600人の参拝者が訪れるようになりました。

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海の中には魔物が多く棲んでおり、元来そこに存在する筈のない人間がやって来ると、好んで悪戯したり、時には食い殺してしまうと言われている。そこで、彼らの嫌う五芒星(セーマン)と井桁(ドーマン、九字紋)の紋章をあしらった小物(磯手拭や襦袢など)を着用することで身を守る知恵が生まれた。これがセーマンドーマンである。

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セーマンとは安倍晴明(あべの せいめい)のなまりであり、五芒星(安倍晴明判紋、晴明桔梗)は陰陽道における五行(火、水、木、金、土)の和合を示している。また、ドーマンは蘆屋道満(あしや どうまん、安倍晴明とは好敵手であったとされる)のなまりであり、九字紋は陰陽道における天地の和合を表わすとされている。が、ドーマンは必ずしも九本線で書かれるとは限らない。

海女さんたちの口伝によれば、星形(セーマン)は一筆書きで元の位置に戻り始めも終わりもないことから潜った元の位置に無事に戻れるように、魔物の入り込む余地がないように、格子(ドーマン)は多くの目で魔物が近づいてくるのを見張ることができるようにとの祈りを込めたともいわれています。


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たくさんの女性が列を作って参拝し、お守りを買い求める姿に強く「祈り」というものを感じました。
すべての人が健康で安全に生活し、幸せに暮らしていけますように!