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あらすじ
起業のためにIT企業を辞めた多岐川優が、人生の休息で訪れた故郷は、限界集落と言われる過疎・高齢化のため社会的な共同生活の維持が困難な土地だった。優は、村の人たちと交流するうちに、集落の農業経営を担うことになる。現代の農業や地方集落が抱える様々な課題、抵抗勢力と格闘し、限界集落を再生しようとするのだが……。 ルールは変わった! 老人、フリーター、ホステスに犯罪者? かつての負け組たちが立ち上がる逆転満塁ホームランの起業エンタテインメント。

 

ひと言
バルビゾン村が出てきたあたりから「ん?!」今まで自分がイメージしてきたこの限界集落にミレー記念館のような美術館を建てるっていうこと?!。ちょっと頭が混乱しそうでしたが、日本中の限界集落に「頑張れ!」とエールを送っているような作品で、楽しく読ませてもらいました。
「ところで、このクズ野菜キャラを使って、またマンガ描くんでしょう。だったら、あたしに提案があるんだけど」美穂が片眉を吊り上げ、優を見た。「あなた方都会から来た人たちも、もう分かってると思うけど、食料って別に不足してるわけじゃないでしょう。輸入に頼ってる一部を除けば、むしろ余ってるのよ。マスコミがさんざん、日本では食料自給率は四十パーセントで、先進国中最低とか恐怖心を煽るから、一般消費者が誤解してるだけ」「そうですよね。おれも田舎来て、初めて気づきました。でも、何でみんな捨てちゃうんすか。価格下げて売るとか、貧困な国に寄付するとか、やり方はいろいろあるはずじゃないですか」……。「日本は山が多いし、大規模農業で徹底的に効率化しているアメリカなんかに比べれば、競争力低いのは当たり前だよ。農家は日本の食糧問題なんかより、まず自分たちの所得のことを考えなきゃ生きていけないの。その為には、消費者にもっと現実を理解してもらいたい。如何にこの国の農業で、理不尽な事態が沢山起きているか。そういうことを、無駄に捨てられてしまう野菜の視点から、梅田くんには描いて欲しいの」……「甘ったれるな!」 優に一喝され、美穂は口をつぐんだ。「苦労してるのは、農家だけか。消費者だって、この大不況の下、リストラの恐怖に怯えながら生きてるんだ。何万人もの派遣労働者がポイ捨てされて、路頭に迷うご時世だぞ。曲がりなりにも、補助金貰って、家があって食いものにも困らない農家は、この国の底辺では決してないはずだ。そんなことばかり言ってると、大反発を食らうぞ。消費者のリスクなんかそっちのけで、農薬だの遺伝子組み換えだのを使って金儲けしようとしているやつらが、偉そうなこと言うなって、非難されるのが落ちだぞ」美穂は唇を噛んだまま押し黙った。(第ニ章)
  

 

2月25日 今回で3人旅も第17回。今回は、静岡県の牧之原・掛川の方へ遊びに行きました。
今回の旅行で一番印象に残ったのが、遠州七不思議にも数えられる「夜泣き石」と「子生れ石」

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ある日の夕方、この寺に、臨月の身になった婦人が安産をお祈りして帰る途中、丸い石にもたれて休んでいました。すると突然、刀を持った山賊が出て来て、婦人を丸い石に切りつけ、ふところにあったお金を取り去って行きました。婦人は殺されましたが、幸い刀の先が石に当たった為、お腹を切り落とすことなく赤ちゃんは無事切り口から生まれました。子を想う母の魂は、丸い石にのり移り、助けを求めるために泣きました。山頂のお坊さんは泣き声に気づき、山を西の方に下り訪ねてみると、道の真ん中の丸い石のかたわらで婦人は殺され、赤ちゃんは虫の息で居りました。「この有様ではお寺まで赤ちゃんの声が聞こえるはずがない、泣いていたのはこの石に違いない」と思い、まず婦人を始末して、赤ちゃんをお寺に連れて帰りました。お乳がなく困ったお坊さんは早速、水飴を作り大事に育てました。(夜泣石のすぐ隣の小泉屋さんのHPより)
小夜の中山 夜泣き石の伝説。

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「夜泣き石」の話を聞いた弘法大師が、石の菩提のために「南無阿弥…」と指で書いていく途中に石が泣き止んだと宝暦元年(1751年)創業 小泉屋さんの10代目のご主人が教えてくれました。

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その後、旧東海道にある夜泣石跡や妊婦の墓をお参りして、もうひとつの夜泣き石がある久延寺へ。
「扇屋」さんの子育て飴(100円)もいただきました。

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昼食は新金谷(大井川鉄道のSLが発車する駅)の「よし善」で菜飯付き茶そばセット(1365円)。
山椒なしの田楽がとてもおいしかったです。

国道473号を南下して「子生れ石」の伝説がある大興寺へ

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人徳の高かった大徹禅師は九十余歳の高齢で多くの門弟に見守られ、静かに大往生をとげようとしていた時、惜しまれて逝く大徹和尚は、『わしの身代わりとして裏山より石が生れるであろう。』と予言。事実、往生直後、岩中より、まゆ形の無縫石が生まれ落ちました。そして弟子達はこの石を大徹和尚の身代わりとして墓石にしました。以降、代々の住職も無縫石の落下を予言して大往生しましたが、その通りに落下し、現在に至る二十九代続いているということです。

お寺を入って左の方に進むと歴代の和尚のお墓に

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石が生まれる河原は少し離れた所にあるということなので車でその場所へ

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生まれてきた石の上に、石を置くと願いが叶うらしく、小石がたくさん積み重ねられていました。

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その後、近くの「さがら子生れ温泉」に入りました。
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あらすじ
東野圭吾作家生活25周年特別刊行、第1弾ここから夢に羽ばたいていく、はずだった。大切な人を守りたい、それだけだった。誰も信じなくても、自分だけは信じよう――加賀シリーズ最高傑作、書き下ろし。 寒い夜、日本橋の欄干にもたれかかる男に声をかけた巡査が見たのは、胸に刺さったナイフだった。大都会の真ん中で発生した事件の真相に、加賀恭一郎が挑む。

 

ひと言
やっと借りられた「麒麟の翼」。加賀恭一郎シリーズでは「新参者」のほうがよかったように思う。「新参者」は本もいいが、TVドラマの出来がとてもよかったので、今回の「麒麟の翼」の映画もとても楽しみにしています。
25周年の3冊では「マスカレード・ホテル」が一番好きかな。

 

 

瀕死の状態で日本橋を目指した父の気持ちが、わかるような気がした。武明は息子に伝えたかったのだ。勇気を出せ、真実から逃げるな、自分の信じたことをやれ、と。涙が溢れた。胸の奥に灯が点された。父の本当の言葉が聞けたと思った。同時に、なぜもっと話をしなかったのだろう、なぜ父の思いを理解しようとしなかったのかと深く悔い、自分自身を責めた。あの父を誇りに思わねばならない。労災隠しのような卑劣なことをするわけがない。誰も信じてくれなくても、自分だけは信じよう。そう思った。(32)

 

 

加賀がいきなり立ち上がった。長い腕を伸ばし、糸川の襟首を摑んだ。
 「ふざけるな。何か傷つけたくないだ。あんたは何か悪いかわかってない。なぜ杉野は青柳さんを刺した後、自首しなかったと思う? それはあんたが間違ったことを教えたからだ。過ちを犯しても、ごまかせば何とかなる――三年前、あんたはあの三人にそう教えたんだ。だから杉野は同じことを繰り返した。同じ過ちを繰り返した。青柳さんは、あんたに間違った教育を施された息子に、正しいことを教えようとしたんだ。それがわからないなら、教師なんか辞めろ。あんたに人を教育する資格なんてない」
汚らわしいものを捨てるように加賀は手を離した。糸川の顔面は蒼白になっていた。(34)

 

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あらすじ
何のために勉強するんだろう?何のために大学に行くんだろう?進路に悩む女子高生、和花が「手紙屋」から学んだ、勉強の本当の意味とその面白さ。ベストセラー『君と会えたから…』『手紙屋』の著者が贈る渾身のメッセージ。

 

ひと言
今回の「手紙屋」は、何のために勉強するんだろう?という帯の言葉に、喜多川 泰さんはどう書くのだろうと興味を持って借りた。

 

 

「勉強する」とは、どういうことなのか。これを別の言葉で説明してみると、こうなります。
『今までこの地球上に存在した人々が経験し、発見しては次の世代へと伝えてきたすばらしい知識や知恵を、今度は自分が受け継ぎ、自分のものにすること』(第一章 迷い)
われわれの時間の使い方は、大きく二つに分けられるということがわかります。一つは『自分がやりたいこと』をやっている時間。そして、もう一つは『自分がやるべきこと』をやっている時間です。(第二章 衝撃)
私があなたに「何のために勉強しないといけないの?」と聞かれたら、「世の中の人たちのために頑張りなさい!」「あなたの今日の頑張りが、将来出会う多くの人たちの人生を変えるんだよ。その人たちのために頑張りなさい」「どんな生き方をしてもいい。でも、人の役に立つ人になりなさい。そのために勉強するんだよ」まずはそう言ってあげたいと思うんです。ちょっと厳格な親父みたいに、「『勉強』は、人の役に立つ使い方をしてはじめて『できる』って言うんだぞ」ってね。(第四章 希望)

 

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あらすじ
高校入学をきっかけに、本家のある琵琶湖の東側に位置する石走に来た涼介。本家・日出家の跡継ぎとして、お城の本丸御殿に住まう淡十郎の“ナチュラルボーン殿様”な言動にふりまわされる日々が始まった。ある日、淡十郎は校長の娘に恋をするが、その直後、彼女は日出家のライバルで同様に特殊な「力」をもつ棗家の長男・棗広海が好きだと分かる。恋に破れた淡十郎は棗広海ごと棗家をこの街から追い出すと宣言。両家の因縁と三角関係がからみあったとき、力で力を洗う戦いの幕が上がった。

 

ひと言
さすが万城目 学。わけがわからないのにとってもおもしろい。石走(いわばしり)とは近江八幡や彦根をイメージして万城目さんは書いたのかなと思って読んでいると、第七章 しゅららぼん に「石走から竹生島まで、だいたい十五キロ。…」と出てきて、それじゃ長浜辺り?と最後まで石走という町の存在がこのわけのわからない作品をとても素敵なものに仕上げている。次の作品の舞台はどこなんだろう。神戸・淡路島あたりかな?

 

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あらすじ
新聞・雑誌・ポスターなどの広告の中で、商品の機能や企業コンセプトを伝えるボディコピー。この中には、何度も読み返したくなるような名コピーが数多くあります。本書では、100を超える優れたボディコピーを、「物語型」「メッセージ型」などの表現技法別に分けて紹介。広告クリエイター必須の1冊です。

 

ひと言
コピーだから何も私のひと言は必要ない。私が気に入った3つのコピーを記す。

 

 

死ぬのが恐いから飼わないなんて、言わないで欲しい。
おうちを汚すから飼わないというなら、犬はお行儀を身につけることができる。留守がちだから飼わないというなら、犬はけなげにも、孤独と向きあおうと努力するかもしれない。貧乏だから飼わないというなら、犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。

 

 

だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、犬はもうお手上げだ。すべての犬は、永遠じゃない。いつかはいなくなる。でもそれまでは、すごく生きている。すごく生きているよ。たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、飼い主たちは、大変であつくるしくって、幸せな時間を共有してるはず。

 

 

飼いたいけど飼わないという人がいたら、伝えて欲しい。犬たちは、あなたを悲しませるためにやっては来ない。あなたを微笑ませるためだけにやって来るのだと。どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を預かってみるのは、人に与えられた、素朴であって高尚な楽しみでありますよと。
(コピーライター 小島 令子)

 

 

思い立った日が、父の日、母の日になる。
帰らなきゃ、とは思っている。親もいい歳になってきた。でも、こちらもいい年齢になってきて 仕事での責任も重くなり、なかなか休むことができなかった。現実的には、年一回、四、五日帰省するのがやっとだった。もし、これが十年続いても単純計算で四、五十日しか会えないことになる。十年で一緒に過ごす時間が、たったニケ月にも満たないのか…。通勤電車を待つあいだに、そんな計算をしてしまった。

 

 

実家は、この九州の南のほうにある。故郷は、このレールの先にある。会うたびに、白髪がふえていく父。無理して帰らなくていいよ、といつも言う母。が、目に浮かんだ。これから先、僕は、人生で、何日帰省するのだろう。その週末、僕は、つばめで故郷に降り立った。
(コピーライター 赤石 正人)

 

 

子どもを産むのが恐かったんです。
やっと二歳になった娘は、毎日が発見の連続みたいで 新しいものを見つけては「これなに?これなに?」と自分の世界を広げてる。新しい言葉を覚えては、一日中それを言って笑っています。毎日、しあわせです。わたしなんとなく、わたしは子どもを産まないんかなと思ってた。それは漠然と、こんな世の中でどうやって育てたらいいのか わからないっていう不安みたいなものがあったからで、いまでも時々考えます。この子はどんな子に育つんやろ、この子が大きくなった時、世の中はどんなことになってるんやろ、学校に行くようになって、いじめられるのも、いじめるのも困るし 犯罪に巻き込まれるのも、犯罪を犯すのも絶対に嫌だ。

 

 

考えだすと頭がぐるぐる回って涙が出てくる。でもたぶん 時代がどんだけ変わっても、わたしがそうやって育ててもらったみたいに、いいこととわるいこと、たのしいこととあぶないことをひとつずつ教えていくしかないんでしょうね。娘は「ありがとう」と「ごめんなさい」がかなり上手に言えるようになりました。産んでよかった。家族で話そう。福井新聞
(コピーライター 古川 雅之)

 

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あらすじ
夏休みを伯母一家が経営する旅館で過ごすことになった少年・恭平。仕事で訪れた湯川も、その宿に滞在することを決めた。翌朝、もう一人の宿泊客が変死体で見つかった。その男は定年退職した元警視庁の刑事だという。彼はなぜ、この美しい海を誇る町にやって来たのか…。これは事故か、殺人か。湯川が気づいてしまった真相とは―。

 

ひと言
3つの図書館をマメに通って本を借りるようにしているのだが、一番借りるのが困難なのが東野圭吾さん。もう映画が封切られているのに25周年記念の第1弾「麒麟の翼」がまだ借りられない。それはさておき、この本の感想だが、湯川先生、成長したというか人間的になったなぁというのが一番の感想だ。この本を読む多くの人は「容疑者Xの献身」と対比させて読み進めると思うし、東野圭吾さんも明らかにそれを思わせる表現を用いているから、作者自身がそういうことを含めて描きたかったのだろう。次の湯川学がどんな風に描かれるのかも楽しみだ。
ただ東野圭吾さんだからこちらの要求が高すぎるのかもしれないが、「仙波さんが入院中なんです」と夕食時に話しかけてきた塚原さんを、昔の罪を暴こうとして来たわけではなく息を引き取る前に、再会させてやりたいだけだということがわかったにもかかわらずその数時間後には殺害してしまうという設定はちょっと無理があるのではと思った。でもさすが東野圭吾さん最後の最後まで読者を引きつける巧さには他の作家さんたちとは一線を画す感があるなぁと思った。

 

 

「あの絵の海がどこか、博士は見つけたの?」……。「わざわざ行ってきたんだ。よっぽど気になったんだね」「気になる、というのは知的好奇心が刺激されていることを意味する。好奇心を放置しておくことは罪悪だ。人間が成長する最大のエネルギー源が好奇心だからな」この人物は、どうしてこういう話し方しかできないのだろう、と思いながらも恭平は頷いた。(36)

 

 

「どんな問題にも答えは必ずある」湯川は眼鏡の奥から真っ直ぐに見つめてきた。「だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。だから人間は学び、努力し、自分を磨かなきゃいけないんだ」その言葉を噛みしめた後、恭平はあっと小さく声を漏らした。湯川が何をいおうとしているのかが、突然わかったからだ。「今回のことで君が何らかの答えを出せる日まで、私は君と一緒に同じ問題を抱え、悩み続けよう。忘れないでほしい。君は一人ぼっちじゃない」(64)

 

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あらすじ
舞台は、大阪。時代は、昭和40年代…。「超」のつく怪獣番組好きの夏木祐太朗と、浅黄智也は、暴力団によって理不尽にも命を奪われた小城香奈の無念を晴らそうと、ウルトラマンとウルトラ怪獣の着ぐるみを身にまとい、吉田組の屋敷に殴り込みをかけた…。果たして、その結末は。著者の実体験を踏まえた、三倍泣けて笑える「新・大衆小説」の誕生!ウルトラマンが夜ごとの墓参りをするその理由とは何か?

 

ひと言
『ウルトラマンの墓参り』?図書館でこの本を見つけ、本のタイトルが気に入って借りた本である。著者の竹内さんとは学年で5つほど私の方が若いが子供のころ見ていたTV番組が重なっていたりして うん、そうそう。と懐かしみながら読んだ。タガメが犬を襲うシーンは著者が子供のころとても巨大なタガメを見てその記憶が強烈なので入れたのか、タガメを怪獣とダブらせているのかのどちらかなのだろうがこの作品には必要だったかなと思う。

 

 

その日の土曜日の昼下がり、ゴロリと横になりながらテレビを見ていた。中学、高校の頃から、この時間が好きだった。学校から戻ると、テレビの前に陣取り、大急ぎで朝日放送にチャンネルを合わせる。一時に間に合うと、ファンファカファンファカのテーマソングが聴ける。『お笑い花月劇場』。言うまでもない、最強のコメディ――吉本新喜劇だ。それを、豆菓子を摘みながら鑑賞する。そんなひとときが、大好きだった。 単純で明解なギャグのつるべ打ち。見ているだけで、単純にテンションが上がった。……。土曜日の新喜劇は、谷しげる、伴大吾、船場太郎あたりが、パワーのあるギャグを競い合っていた。谷しげるは、「は、いそがし、は、いそがし」と言いながら、何かを抱えている格好でチョコマカ動き回るパフォーマンスを得意としていた。それは、関西のおばちゃんの特徴をドメスティックに表現していて、最高のギャグだった。祐太朗の一押しは、二枚目キャラの船場太郎。彼の「只今、ご紹介に預かりました、セン、バタロウです」のフレーズが大好きだった。

 

 

奇跡――そう、それはまさしく奇跡だった。 昭和四十一年の一月二日。のちの特撮番組に多大なる影響を与えることになる『ウルトラQ』の第一回放送日。こんなハイクオリティな作品が、テレビ放映される。世の特撮ファン、怪獣ファンにとってはミラクルとしか言いようのない出来事だったのだ。「ほんと、感動したよね」そこからは、もう祐太朗と哲也の二人の世界だった。『ウルトラQ』によって、もたらされた特撮怪獣の新たな映像世界。『ウルトラマン』『マグマ大使』『キャプテンウルトラ』『仮面の忍者 赤影』……。テレビ画面を彩ったヒーローや怪獣たち。彼らを素材にして、二人の対話はいつまでも続いた。……。……。朝までの会話の中で、祐太朗と哲也は、互いに“超”のつく怪獣好きだということがわかった。そして、互いが一番のシンパシーを感じたのは、数ある特撮ドラマ、ヒーロードラマの中で最高と思うのが、『ウルトラマン』で一致したことだった。外国のヒーローも、和製のヒーローも、等身大が基本だった。しかし、『ウルトラマン』は、『ウルトラQ』によってもたらされた怪獣ブームの延長戦上にあったので、巨大な怪獣と戦えるヒーローとして身長40メートルものヒーローが誕生したのだった。『ウルトラQ』の放送が終了した昭和四十一年七月三日の二週間後、七月十七日から始まった『ウルトラマン』。日本に空前の怪獣ブームをもたらした張本人――ウルトラマン。

 

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あらすじ
山本五十六の願いも空しく開戦へ。太平洋戦争におけるこの人の指揮ぶりは、求めて戦いにいくような“性急さ”と“激しさ”に終始する。それもすべて戦争を早期のうちに終らせたいために。日米戦争に反対しながらの真珠湾攻撃という決断。半藤さんが最も愛する提督の真骨頂を、半藤昭和史の名調子で語り下ろす。

 

ひと言
見たい映画の原作本ということもあるが、半藤一利さんの本だから読みたかった。1968年の映画の三船敏郎さんのイメージが強いが、今回の役所広司さんがどのような山本五十六を演じるのかも楽しみです。

 

 

五十六さんがかつて率いた航空戦隊には、「海鷲の三羽烏」と呼ばれた三人の技量すぐれたパイロットがおりました。そのうちのひとり、南郷茂章少佐が日中戦争の南昌作戦に出撃して戦死してしまいます。弔問に訪れた山本次官のようすを南郷の父が記しています。「自分は閣下に対し長男生前の懇切なる指導の恩を謝し、軍人としてその職責を完遂せるを心より満足する旨を述べた。じっと伏し目がちに聞いておられた閣下はただひとことも発せず、化石したかのごとく微動もされなかったが、忽然からだを崩し小児そのままの姿勢で弔問者の群衆のさなかであるにかかわらず大声で慟哭し、ついに床上に倒れられた」 これのみならず、類する挿話が山本さんにはいくつもありました。山本五十六にとって部下の死は、いったいどれほど重いものであったのでしょうか。長男の義正さんは、父の死後それを知ることになります。家でくつろいでいるとき、五十六さんは書斎か縁側の椅子によりかかって、じっともの思いにふけっていることがあったといいます。そんなとき、かれの左手には、黒い革の手帖、ポケットに入るくらいの大きさの手帖が握られていました。ときどき手帖をひらき、また閉じて、目をつぶる。そんな動作を何度もくり返し、三十分も一時間もじっとしていたのです。山本さんは、その手帖を肌身から離したことがなかった。そこになにが書いてあるのかは、家族みんなの疑問でしたが、けっして見せてはくれませんでした。
 死後、遺品を整理していたときに家族らははじめてその中身を見ることになりました。ふちが擦り切れて下地の紙がのぞいていました。表紙をひらくとそこには、ペン書きの細かい字でびっしりと、階級、姓名、艦名、戦死の日、戦死の場所、本籍、現住所、遺族の氏名などが克明に書いてありました。南昌作戦で戦死した南郷少佐の記述もありました。
少佐(従六、勲五、功四) 南郷茂章 十五空 昭和十三年、七、十八 南昌空爆 父 次郎 
(第一章 たいせつにした黒革の手帖)

 

 

陸軍が投入した兵力三万三千六百人のうち、戦死約八千二百人、戦病死者約一万一千人。そのほとんどが栄養失調、下痢、マラリアすなわち飢餓によるものです。たいしてアメリカ軍は、……作戦参加の陸軍および海兵隊計六万人のうち、戦死千五百九十八人、戦傷四千七百九人でした。米国は、戦死戦傷者の数を概算ではとらえません。最後のひとり、ひとりまで確実に数えます。それこそ戦死者への敬意であり、指揮するものの責任そして義務ではないでしょうか。ひるがえって日本では、何人が死んだのかさえはっきりわかりません。国家が人を人とも思わなかった証拠ではないでしょうか。(第五章 山本司令長官の諦念)
 

 

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あらすじ
「はい」と「いいえ」だけでは意思は通じません。私たちは日本語の勉強を始めたばかりの外国人ではないのです。標準語圏内で育った人の会話は基本に忠実というか、会話の「なんか」を求めない傾向があるようです。そうすると、大阪人は会話に関しては応用編で喋っているということでしょうか。ならば声を大にしてこう言いたい。大阪人の会話に学べ、日本人。ラジオドラマ『おしゃべりな夏』を併録。

 

ひと言
最初、本のタイトルから、逆らいの大阪人のことが書いてあるんだろうと思っていたが、そうではなくて、なるほどなぁと妙に感心してしまった。下にこの本の一番最初に書かれている『「はい」と言わない大阪人』を引用する。

 

 

大阪の人は「はい」という返事をあまりしない。常識的にはよくないことだとされているが、とてもいいことだと私は思う。例えば大阪弁で「このお菓子食べる?」と聞くとする。すると東京の人は「はい、ありがとうございます」と返事する。いいことなのだが、後が続かない。そういう意味ではさすがは標準語、整理整頓された言葉だなと感心するが。関西人に同じことを言うと「このお菓子めっちや好きやねん」とか「食べる、食べる。何これ?」という返事、が返ってくる。だからその後も「あ、そんなに好きなん?」とか、「腹減ってたんかい!」などと会話は自然に続くものだ。……。「はい」というのは最低限の返事で、それ以上会話しなくてもいいきっかけにもなる。嫌いな人には「はい」と言っておけばいいという怖さがある。 だから私は「はいと言わない大阪弁促進運動」に乗り出そうと思うんである。会話は人生最大の娯楽である。それを最低レベルですませては面白くない。まず大阪弁から「はい」を取り除きたい。(第1章 「はい」と言わない大阪人)