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あらすじ
中学二年生のよっちゃんは、祖父母が営むうどん屋『峠うどん』を手伝っていた。『峠うどん』のお手伝いが、わたしは好きだ。どこが。どんなふうに。自分でも知りたいから、こんなに必死に、汗だくになってバス停まで走っているのだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。そして『峠うどん』の暖簾をくぐるたくさんの人たちが教えてくれる、命についてのこと。

 

ひと言
角田光代さんを読んだ後、重松清さんを読みたくなった。棚を探していると、この本を見つけた。詳しくは知らない本だが、題名からして今読みたい本なんだろう。重松さんの本は、人が近くにいるときではなく、寝る前にふとんに入ってか、まわりに人がいないときに読むように気をつけている。「第七章 本年も又、喪中につき」は「神様のカルテ」を読んでいるみたいで、すごく暖かさや優しさにつつまれた気分になる作品でした。

 

 

「六曜は先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順番で、旧暦の月の数字と日の数字を足して六で割り切れれば大安、六で割ったときの余りが三なら友引」――高校受験には絶対に出題されない、と両親に断言されるまでもなく、わかっている。ちなみに、旧暦と六曜は規則正しい対応をしていて、毎月一日の六曜は固定されている。一月と七月は先勝から始まるし、二月と八月は友引から始まる。三月と九月は先負で、四月と十月は仏滅で、五月と十一月が大安、六月と十二月が赤□というわけだ。
(第一章 かけ、のち月見)

 

 

「中村さんっていうひとも優しいけど、トクさんだって優しい。和子さんは幸せだねえ」「会いたがってるのに会わなくても?」「見送るひとは、死んでいくひとに後ろ髪を引かせちゃだめなんだよ。いろんな後悔や、よけいな思い出や、背負いきれないものを、最後の最後に乗っけちゃだめなの。和子さんが認知症だろうと、認知症がなかろうと、同じだよ。どんなにトクさんにもう一回会いたがってても、そこで会ったら、ぜんぶおしまい………」トクさんが会いに行かなかったおかげで、和子さんは正真正銘、中村さんと長年連れ添った夫婦として、人生を閉じることができる――ほんとうにそうなったのだから、やっぱりおばあちゃんの言うことは正しかったのだ。
(第四章 トクさんの花道)

 

 

「でも、おじいちゃん、みんなのために柿の葉うどんのつくり方を教えるとか、けっこういいところあるんじゃない?」「なに言ってんの、おじいちゃんにはいいところしかないんだよ」きっぱりと言った。孫娘のくせにそれくらいわかんないのかい、という追い打ちの一言も、耳には聞こえなかったけど、胸に響いた。
(第六章 柿八年)

 

 

 

榎本先生は毎日ずっと奥さんと二人で過ごしている。午後の暖かい時間に、奥さんの車椅子を押して散歩に出かける。奥さんの体調と天気の良い日には小一時間もかけて、ご近所をのんびりと一周する。その姿を見るのを、ご近所のひとたちはみんな楽しみにしていたのだ。タイミングを見計らって外に出て、二人が通りかかるのを待つひとがいる。わざわざ同じ散歩ルートを逆向きに歩いて、すれ違おうとするひともいる。二人の姿を見かけると窓を開けて挨拶をするひと、手を振るひと、ただにこにこと微笑んで会釈をするひと……。でも、誰も長話はしない。ニ人を呼び止めることもない。先生が挨拶に律儀に応えようとすると、かえってみんな恐縮して、いいですいいです、立ち止まることなんてありません、ほら早く車椅子を押してあげてください、と身振り手振りを交えてお願いするほどだった。みんな先生と奥さんの邪魔をしたくないのだ。夫婦水入らずで過ごすひとときを、町ぐるみで静かに応援したいのだ。平日の昼間は仕事のあるわが家の両親も、土曜日と日曜日には公園まで出かけた。「いろんなウチのダンナさんが来てたぞ、ざっと見ただけで二十人はいたな、うん」とお父さんは帰宅するなり感心した顔で言って、でも微妙に悔しそうに「俺の印象、ちょっと薄くなっちゃったかもしれないな……」と首をかしげていた。お母さんは、すっかり痩せてしまった奥さんを見て、涙をこらえるのが大変だったらしい。おばあちゃんも、
……。……。……。
「じゃあ、先生も納得してるってことなんですか?」「親父から連絡が来たんだ」やるだけのことはやった。住み慣れたご近所を毎日散歩して、お世話になったひとたちと挨拶を交わし、看護師の原さんの手伝いを受けながら夫婦水入らずの毎日を過ごした。それでいい。もう、それだけでいい。医療センターでお世話になるひとたちに、しっかりと挨拶ができるうちに――と、奥さんが入院のタイミングを決めた。榎本先生も、夫としては名残惜しくても、医師として、この時期を逃すと奥さんの望みを叶えるのは難しくなるだろう、と判断した。「でも、不思議なんだ」健生さんが教えてくれた。ガンは確かに進行しているし、体の衰弱も進んでしまった。治療らしい治療はなにもしていない。それでも、先生がカルテや看病日誌に記した体のさまざまな数値は健生さんが想像していたよりずっとよかったし、なにより奥さんの気持ちがしっかりしている。「たいしたものだよなあ」健生さんはしみじみと言って、「夫婦の力なのか、町医者の力なのか……どっちなんだろうな」と、くすぐったそうに笑った。
(第七章 本年も又、喪中につき)

 

 

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あらすじ
母は目に見えない何かに怯えはじめ、兄嫁はとめどもなくしゃべり続け、赤ん坊は鬱陶しい泣き声を響かせ、昔の男はストーカーになった。癒しようのない孤独を抱えた私の毎日を描く表題作 ほか、「真昼の花」を収録。

 

ひと言
図書館の角田さんの棚でこの本を見つけ、あれこんな本があるんだ、奥付をみると2000年1月発行。初出は1999年6月、角田さんは1967年生まれだから、32歳のときの作品になる。読了後なんかすっきりしない。しばらく角田さんの作品は封印。

 

 

何かを得るには何かを手放さなければならないとはよくいわれることで、実際そのとおりなのかもしれないが、自分が何を得て、何を手放してきたのか、私にはまるでわからない。ただひとつ、ものごとがかわり続けていくその真ん中に、かわったりかわらなかったりしつつも自分がいて、日々、おちこんだり笑ったりし、来週にはかわってしまうかもしれない何かを切実だと思い、何かに深刻に向き合っている、そんなことを思うと、時間の流れの中にぽつんといる自分といる自分というものが唯一、私に測量可能のささやかな永遠であるような気がして、どことなく安心してしまうのだ。(あとがきにかえて)

 

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あらすじ
恵まれた環境に育ちながら、夢も希望も目標もない日々を送っていた20歳の澄雄。しかしある日携帯の出会い系サイトでジュリアとめぐりあい、彼の人生は一変してしまう。言葉をしらない獣のようにつながりあい、愛しあう二人だったが、六本木ヒルズに住む学生とパン工場で働く契約社員では、あまりにも住む世界が違いすぎた。格差社会に引き裂かれ、それでも命がけて恋を全うしようとする恋人たちを描く。

 

ひと言
表紙の絵と題名からライトノベル(中学生〜高校生という主なターゲットにおいて読みやすく書かれた娯楽小説 wikipedia より)だとは思っていたのだが、石田 衣良がどのように描くのか興味があって読んでみた。読み終えた後は、ケータイ小説(携帯電話を使用して執筆し閲覧される小説(オンライン小説、電子書籍) wikipediaより)に近い感じがした。とくに感想もないが、さすが石田 衣良だなぁと思わせるような表現があった。

 

 

メールは不思議だった。初めての相手に十年来の友人にさえいえないことを簡単に漏らしてしまえるのだ。一番遠いはずの者が一番近くなる。見知らぬ者にだけ心の一番底に沈めた秘密を語れるのだ。澄雄はときどき思うことがある。現代の人間は肉体としての存在と社会的な存在とネットのなかのヴァーチャルな存在の、みっつの在りかたを重ねて生きているのではないか。(第二章)

 

 

「捨てたいけど、捨てられないんだ。あんたを捨てたら、わたしは自分のことを一生責めることになる」(第十章)

 

 

「おまえには厳しい選択になるかもしれない。どこかの作家がいった恋愛の定義について、よく考えてみるといい」澄雄にはなんのことかわからなかった。黙っていると、弘和はいった。「相手の幸福が自分にとって不可欠な状態を、恋愛というそうだ。おまえは自分のことよりも、樹里亜さんの幸福を第一に考えてあげられるかな」(第十二章)

 

先日、健康のために朝ランニングをされている人から、RunKeeper というアプリを活用してランニングの記録を管理していると教えてもらいました。その方はiPhone5でGPS機能がついているのですが、私のiPad mininiはGPS機能がないので、自分の自転車通勤にも活用したいしカーナビとしても使ってみたいと思って Dual XGPS150 Universal Bluetooth GPS Receiver (Amazonで12,800円)を買いました。

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走り出す前に、ポケットWiFi、GPS受信機、iPadの電源を入れ、設定画面のBluetoothをオンにしてXGPS150を同期(接続)します。

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そしてStatus Toolで接続を確認したら、

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(上の位置情報や下の地図は通勤経路とはまったく関係のない場所での画面キャプチャーです)


RunKeeperを立ち上げ、画面下の真ん中にあるstartボタンを押して

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画面上にNew Activity画面を表示させて、緑のStart Activity を押すと、

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女の人の「Activity Start」という声が聞こえるので、走り出します。
5分毎に英語でDISTANCEとSpeed がアナウンスされる(設定を変更できます)のにも元気づけられます。

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実験的に途中でポケットWiFiの電源を切ってみましたが地図上を正しくトレースし続けたのにはびっくりしました。

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ちなみにMapFan+ で地図をダウンロードせずにカーナビとして使った場合はWiFiの電源を切ると当たり前ですが地図は表示されませんでした。

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恐るべし Runkeeper。とにかく多機能な Runkeeper 多くの人が記事をアップしているので詳しくはそちらを参考にしてください。冬の風の強い日などは特につらい自転車通勤ですが、これで少しは楽しくなりそうです。
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あらすじ
7世紀半ばから8世紀初めの乱世といわれる時代に実在した、修験道の開祖といわれる役行者のまつろわぬ生涯を描く。鬼神をあやつり、鳳凰のごとく飛翔するという幻想的な話が伝わる役行者の実像に迫る。
白村江の大敗から壬申の乱へ。動乱の倭国を背景に繰り広げられる賀茂(神)の民の自立の戦い。中世最大の呪術者にしてわが国修験道の開祖=役行者の実像に迫る待望の続編。
古代史の大きな謎の一つとされる持統天皇の吉野行幸。その頻繁な行幸はなぜ行われたのか。持統が欲した力とは。女帝に憑依した蘇我一族の怨霊と死闘する修験道の開祖=役行者の素顔。

 

ひと言
図書館でこの3冊を見つけ、こんな本があるんだとうれしくなって思わず借りた本。異界の人々 P335 神の王国 P322 夜叉と行者 P346 3冊計1003ページ。続 神の王国ぐらいからおもしろくなってくる。でも「小角」の読みがわからない人にとっては、おもしろくもなんともない本だ。ふーっ疲れた。
「おん・ばさら・くしゃ・あらんじゃ・うん・そわか」
(金剛蔵王権現の真言)
 
「息を鼻や口でしてはならぬ。下腹の底の方でするのだ。先ず最初に鼻の中へ軽く息を吸い込み、それを下腹に貯える。いっぱいになったと思ったら、呼吸を止めて、心の中で百二十まで数える。それが終わったら、今度は腹の底に溜まった息を少しずつゆっくりと吐いていく。ただしここで、自分の吸う息や吐く息の音が、自分の耳に聞こえてくるようでは駄目だ。鳥の羽を鼻や口の前に置いても、それが少しも揺れないように修行をするのだ。一応これが出来るようになったら、次は数える数を増やしていく。三百、五百、千というようにな。これが出来るようになると、目の前の敵も吹き飛ばせる」小角は、自分の修行時代を思い出したのか、懐かしむように遠くへ目をやった。おそらく、その視線の先には天へ昇った自覚の姿が映っているのであろう。 「胎息法」の説明が一通り済むと、次は刀印による破邪の法である。
臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前  りん ぴょう とう しゃ かい じん れつ ざい ぜん」
の九字の真言を唱えながら、刀を模した印(手刀)をもって空間を縦横に斬り、邪を払う。これは、邪を払う一番簡単な技法であり、自ら作った刀印を全くの真剣と感じる想像力と精神の集中力が要求される。これが出来るようになれば、自分が危機に追い込まれても、その場の邪悪な気配を切り裂いて退散させ、身の安全を図ることが出来る。(『続 円小角 神の王国』 一 倭国大敗)

 

 

また、不思議なのは、『日本書紀』に、天智の陵墓の記載がないことである。神武から始まって持統で終わる『日本書紀』歴代天皇の中で、陵墓の場所がはっきりと記されていないのは、持統を除いてこの天智だけである。持統については、『日本書紀』編纂時にまだ生存されていたから、記す必要がなかっただけのことである。『日本書紀』が完成したのは、七二〇年である。天智の死後五十年も経っていない。まして、『日本書紀』は二十年以上の年月をかけて完成されたものだろうから、編纂時には天智の死(失踪)はもっと生々しい形で伝えられていた筈だ。そうなれば、遺体もなく死亡したかどうかも定かではない天智の陵墓を造ることは憚られたにちがいない。(『続 円小角 神の王国』 四 帝、失踪)

 

 

「王国の神よ、我の前に示現し給え!」小角の思念が祈った。と、突然、小角の端座している岩が揺れ出した。そして、次の瞬間、小角の背後にある龍の岩穴から火炎が吹き上がった。轟音が、山頂を揺るがしている。火炎が更に激しくなる。岩穴が、ばりばりと音を立てている。その様を、小角の思念ははっきりと捉えている。再び、火炎が吹き上がった。―現われた!それは、目をらんらんと輝かせ、牙を剥き出し、右手に持った金剛杵を高く天に突き上げ、左手で剣印を結んだ青黒色の憤怒の像であった。―― 大神、不動明王、金剛童子!小角の思念は叫んだ。饒速日と不動明王、金剛童子が合体したのだ。その像は、小角の思念が見守る中を、虚空めざして昇天していった。  ……
小角は、新しく示現した神を金剛蔵王権現と名づけ、その姿を桜の木に刻んだ。ちなみに、権現とは仏が化身して神となって現われることを言う。神と仏の習合こそ、小角の最も願ったことであり、これで、小角がめざす民人済度に、最も相応しい強力な神が現れたことになる。神と仏……それはこれまで小角を育んでくれた偉大な力であり、同時にその力は五鬼童と自覚にも通じていた。金剛蔵王権現は、神の王国の守護神となった。
(『続 円小角 神の王国』 六 神の王国)

 

 

諸王子、諸官、従者らを前にして、鸕野は言った。
「本日この日より、この社の地を霊地とし、吾を除き何人たりとも足を踏み入れてはならぬ禁制の地とする。亡き帝と吾は、この小山に立ちて、天の下を統べることを誓い合った。幸いにして、吉野の神々のご加護により、先の帝は倭国の大王位に即くことが出来た。一滴の水が流れて、大河となる。この霊地より発した先の帝と吾の祈りは、今や倭国を統べる大きな力となり祈りとなった。この地を除きて、他に霊地があろうや。先の帝の御霊が鎮まるこの地は、吾の王統のつづく限り、禁足の霊地となる。しかとこのことを胸に刻み、都にありては、朝夕この地に向かい手を合わせよ」重々しい口調であった。列席していた誰の耳にも、鸕野のこの地に寄せる思いの深さが伝わった。(『外伝 円小角 夜叉と行者』 四 霊地)

 

 

鸕野大后が即位して、天皇と号した。持統天皇である。……
ふくよかな白い頬、秀でた額、切れ長の目、小さく豊かな唇……大后鸕野は確かに生まれ変わって持統女帝となった。(『外伝 円小角 夜叉と行者』 五 永遠の都城)

 

 

持統の一行は、吉野に向かった。最早、天皇ではない。従者も、広売ら側近の侍女と大舎人のみであった。……思えば、この吉野行きも今度で三十二回となる。天武と共に吉野に逃れた一回を含めれば、三十三回となる。多い時は、年に五回も通ったことがあった。恐らく、そのお陰であろう。時には心身衰弱の危機もあったが、それを乗り越えて、新益京造営と軽の即位という大事業を成し遂げることが出来た。
(『外伝 円小角 夜叉と行者』 七 深謀)

 

 

そして、ほぼ一年後の大宝三年十二月十七日、持統の遺骸は、飛鳥の岡で火葬にふされた。歴代の天皇(大王)の中で、火葬となったのは持統が初めてであった。自らの肉体を焼き捨てて、骨となる。死してもなお、持統は激しい女であった。永遠の生命を願って吉野に通った持統も、僅か五十八歳を一期としてこの世を去った。持統にとって小角とは一体何であったのか?永遠に分からない謎を残したまま、持統の遺骨は、天武の眠る大内山陵に合葬された。(『外伝 円小角 夜叉と行者』 七 深謀)

 

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あらすじ
不意の出会いはありうべき未来を変えてしまうのか。ふつうの家庭、すこやかなる恋人、まっとうな母親像…。社会の「かくあるべし」を質してきた著者の真骨頂。30代の選択を描き〈生活〉の意味を問う長篇。

 

ひと言
いつもながら尋常じゃない家庭の人間関係を描く角田さんの本。嫌悪感を感じたり、途中で読むのを止めようと何度も思うのだが、いつも最後まで読んでしまう。どういう人生を歩んできたらこういう作品を書けるようになるのだろう。どうしてこういう角田さんの作品を読みたくなってしまうのだろう。今回はどうしてこの本のタイトルが「月と雷」なのかわからなくて、ネットで調べてるうちに、すごく自分にはフィットした感想を書かれた方の文章を載せさせてもらいます。

 

 

これはひたすら不愉快なだけの話だ。だが、どんどん読んでしまう。彼らがどうなるのか、気になる。でも、最初からわかっている。どうにも、ならないのだ。彼らはずっとこのままだ。これまでもそうだったし、これからもそうなのだ。そして、その変えられない事実がまた、不快なのだ。かわいそうだ、なんて思わない。運命だ、なんて思わない。ただ、そんな人たちなのだ、と諦めるほかない。

 

 

そういう日々を、泰子はしあわせだともすばらしいとも思わなかった。最初からあったものだからだ。腕が二本あり指がそれぞれ五本ある、そのことにとくべつ感謝などしないのと同じに。(P37)

 

 

そういう女。触るなと書いてあるのに桃に触れてやわらかさをたしかめ、牛乳パックの日付を調べて奥から新しいものを取りだし、やっぱり要らないと思った鰺を精肉売場に戻し、食べもしないアメリカンドッグを詰め放題の袋が破けるまで詰めこむ、どちらかというと見なりや人の目にかまわない女。年齢より若く見えるどころか老けて見え、若いころはさぞや美しかっただろうなと思わせる面影もない。ただのおばさん。(P120)

 

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あらすじ
僕は捨て子だ。その証拠に母さんは僕にへその緒を見せてくれない。代わりに卵の殻を見せて、僕を卵で産んだなんて言う。それでも、母さんは誰よりも僕を愛してくれる。「親子」の強く確かな絆を描く表題作。家庭の事情から、二人きりで暮らすことになった異母姉弟。初めて会う二人はぎくしゃくしていたが、やがて心を触れ合わせていく(「7’s blood」)。優しい気持ちになれる感動の作品集。

 

ひと言
図書館で「優しい気持ちになれるおすすめの一冊」というPOPに惹かれて借りた一冊。以前「温室デイズ」だけ読んだことがあり、瀬尾さんのことはあまり印象には残らなかったが、解説で、あさのあつこさんが書いている通り、こんなストレートな愛の言葉を子どもに伝えられる母親ってほんと最高だと思う。おすすめの一冊。

 

 

「すごーくおいしいものを食べた時に、人間は二つのことが頭に浮かぶようにできているの。一つは、ああ、なんておいしいの。生きててよかった。もう一つは、ああ、なんておいしいの。あの人にも食べさせたい。で、ここで食べさせたいと思うあの人こそ、今自分が一番好きな人なのよ」母さんはにっこり笑って、ハンバーグを□にほうりこんだ。(卵の緒 2)

 

 

母さんは僕の泣き顔をいたずらっぽく笑うと、「想像して。たった十八の女の子が一目見た他人の子どもが欲しくて大学辞めて、死ぬのをわかっている男の人と結婚するのよ。そういう無謀なことができるのは尋常じゃなく愛しているからよ。あなたをね。これからもこの気持ちは変わらないわ」と僕の耳元で言った。僕は何か言おうとしたけど適当な言葉が浮かばなかった。ただわかったって頷いた。(卵の緒 4)

 

 

「そうよ。わざとらしいのよ。なにもかも。しゃべり方、笑い方……、あんたはいつも周りの人間に気に入られることばかり考えてる。どうすればかわいがってもらえるのか知ってるのよ」「いけない?」七生がいつになく挑戦的に言うので、私はかちんときて思わず声が荒立った。「いけないって、あんたはまだ十一でしょう。なのにちっとも子どもらしくないわ。もっと子どもって、人の顔色見ずに自分の思うように行動するものよ。あんたは人の顔色しか見てない。いつもいい子ぶってるのよ。わざとらしくって叶き気がするわ」七生は眩しそうに目をしかめながら、私の顔をじっと見ていた。そして小さな声でつぶやいた。「子どもだからだよ」「え?」「僕はまだ十一歳だから。…大人に気に入られないと生きていけないもん。一人じゃ何もできないもん。食べるものも住む場所も、一人じゃどうにもできない」七生は静かに言った。(7's blood 1)

 

 

「元どおりになるだけだよ」。七生は言ったけど、それは違う。元どおりになるものなど、この世には一つもない。(7's blood 4)

 

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あらすじ
幼い頃、毎年サマーキャンプで一緒に過ごしていた7人。 輝く夏の思い出は誰にとっても大切な記憶だった。 しかし、いつしか彼らは疑問を抱くようになる。 「あの集まりはいったい何だったのか?」別々の人生を歩んでいた彼らに、突如突きつけられた衝撃の事実。 大人たちの〈秘密〉を知った彼らは、自分という森を彷徨い始める――。親と子、夫婦、家族でいることの意味を根源から問いかける、角田光代の新たな代表作誕生。

 

ひと言
角田 光代の真骨頂でもある、親と子、夫婦、家族を描いた作品。他の人では描けないか、説得力に欠けるようなことを角田さんはほんとうに上手くえがくなぁといつも感心させられる。「八日目の蝉」のような終わりかたではなく、明日や明るさを感じる角田さんにとっては珍しい終わり方もグッドでした。

 

 

子どもというのは、精子と卵子の結合によって生まれてくるものではなくて、だれかがだれかを思う強い気持ちが作るものなのではないか(第三章 2)

 

 

……後悔しているただひとつのことは」樹里は母を見る。母は顔を陽にさらしたまま、言う。「しあわせを見くびっていたことかな」樹里に視線を移して母は微笑んだ。「私とあなたのパパは、クリニックで、さまざまな情報を見るうちに、よりいい学校を、よりいい容姿を、よりいい暮らしを、よりいい収入を、って気侍ちになっちゃった。それが、生まれてくる子に対するせいいっぱいの善きことだと思いこんだ。でも、私たちはあなどってたのよね。生まれてくる子にあげられるものは、しあわせの保証っていうのは、そんな『条件』ではなかった。若かったから、気づかなかったの。そのことがあとで自分たちを追いつめるなんて思わなかった」「でも条件のいいものと悪いものがあれば、いいほうを選ぶでしょう、だれしも」「そうね。でも重要なのはそこじゃない。善きことは、その子が生まれてからじゃないと与えられない。だってその子は私たちと違う世界を生まれたときから持っていて、その世界では何がしあわせか、わからないでしょう」(第四章 8)

 

 

こんな人たち、今までたくさん見てきた。ものほしげで、他人まかせで、超能力もないのにテレパシーで相手が動いてくれるって思ってる。ほしいものが手に入らないと、人のせいにして、地団駄踏んで怒って泣いてくやしがる。それなのにまだ、自分の足では動き出さない。そういうやつにかぎって言うんだ、halってコネでデビューしたんでしょ。……。ほしいものを得るために、他人が歯を食いしばってがんばっているなんて、思いもしない。そうしなければ手に入らないんだって、知りもしない。
(第四章 9)

 

 

私たちが、今日、こわがらずに家を出ていけるのは、迷子にならない保証や困った事態にならない確信があるからじゃない。何かすてきなことや人にきっと会える、困ったときにきっとだれかが肋けてくれる、そう思うことができるから、なんとか今日も明日も、出かけていけるんじゃないか。大げさにいえば、生きていかれるんじゃないか。(エピローグ)

 

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あらすじ
豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で刃傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老により向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる。秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。だが、向山村に入った庄三郎は秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり…。命を区切られた男の気高く凄絶な覚悟を穏やかな山間の風景の中に謳い上げる、感涙の時代小説。
(2011年 第146回 直木賞受賞)

 

ひと言
たくさん出てくる登場人物を咀嚼しながら、ところどころ「ん?」と思うようなこともありましたが、今年の1冊目にふさわしい本でした。

 

 

今年も たくさんのいい本と出会えますように♪

 

 

「さて、それは――」言葉を濁して秋谷は、「それがしの想いでやっていることもございますれば」間を置いて静かに言った。お由の方は胸が騒いだ。秋谷はどのような気持ちで想いと口にしたのであろうか。「想いとは――」それが、自分の胸の奥に大切にしまっている想いと重なるものであってほしい。お由の方は声をひそめて訊ねた。「若かったころの自分をいとおしむ想いかもしれませぬ」しみじみとした口調で秋谷は答えた。「さようですね。わたくしも、あのころのわたくしをいとおしく思います」かろうじて、お由の方は言葉を返した。(九)

 

 

「薫の祝言と郁太郎の元服も見届けることができ申した。もはや、この世に未練はござりませぬ」「さて、それはいかぬな。まだ、覚悟が足らぬようじゃ」慶仙は顔をしかめた。秋谷は片頬をゆるめた。「ほう、覚悟が足りませぬか」「未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」「なるほど、さようなものでござりまするか」(二十二)

 

 

「もしも違う道を歩めば、かように悲しいお別れをせずにすんだのやもしれませぬ」涙を浮かべて見つめる松吟尼を、秋谷は愛惜の情を湛えた眼差しで見返した。「違う道を歩みましょうとも同じであったのではありますまいか。若いころの思いを、ともに語れるひとがこの世にいてくださるだけでも嬉しゅうござる」(二十二)

 

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あらすじ
平家の“偉大なる父”清盛が源氏の少年、牛若丸に伝えたものは、家族愛と一族郎党の絆だった。「源平」という敵同士、清盛と牛若丸には、まるで真の父と子のような絆がめばえた。しかし、牛若丸はやがて平家一門を滅ぼす「義経」となる…。
平成17年大河ドラマ「義経」の原作。

 

ひと言
今年の締め括りに選んだのは「義経」。今年は「平清盛」の年ですが、やっぱり「義経」のほうがいい。今年11月 吉野へ行った折、金峯神社の義経の隠れ塔や吉水神社の義経潜居の間を訪れ、勝手神社の舞塚に思いをはせ、もう一度2005年の「義経」の総集編のDVD(本当は全編をもう一度見たいのですが なにせ時間が……)を見て、この原作本を読もうと思っていました。
どうして清盛が頼朝を殺さずに伊豆へ流罪にしたのか、今までずっと疑問に思っていたのですが、頼朝を捕らえた弥平兵衛宗清や池禅尼(清盛の継母 宗子)のことについて述べてある(二 頼朝助命の仕掛人は)を読んで理解しました。でも納得はしませんでした。
いつも心に残ったフレーズを記していますが、今年最後の引用はやっぱりこれしかないと思います。

 

 

吉野山、峯の白雪ふみ分けて
入りにし人のあとぞ恋しき
 
一首詠み、続いて、

 

 

しずやしず、しずのおだまきくりかえし
昔をいまになすよしもがな
 
とうたい納めました。(十八 彷徨する義経)

 

 

*

 

 

本歌「伊勢物語」32段
古(いにしえ)のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな

 

 

本歌「古今和歌集」冬歌(壬生忠岑)
み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ