あらすじ
欧化政策、村共同体の崩壊、新しい価値観の波―。現代にも似た転換期の日本、明治後期という時代を、「先生」も「私」も「K」も、それぞれの立場で必死に生きました。その心の揺れ、やむにやまれぬ行為の中にこそ、今をより深く長きるための、思いがけない光が潜んでいます。再読・精読の至福のうちに、どうかそれに出会ってください。漱石の「こゝろ」を、私たちはこれまで、ほんとうに、読んだといえるのだろうか。
欧化政策、村共同体の崩壊、新しい価値観の波―。現代にも似た転換期の日本、明治後期という時代を、「先生」も「私」も「K」も、それぞれの立場で必死に生きました。その心の揺れ、やむにやまれぬ行為の中にこそ、今をより深く長きるための、思いがけない光が潜んでいます。再読・精読の至福のうちに、どうかそれに出会ってください。漱石の「こゝろ」を、私たちはこれまで、ほんとうに、読んだといえるのだろうか。
ひと言
来年でこゝろが新聞に連載されて100年になる。(参考 1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」で「心 先生の遺書」として連載 「ウィキペディア」より)いままで何回も読んだ「こころ」だが、ふーんそういう風にも読めるのか といった発見も多い内容だった。来年は文庫本ではなく当時の装丁に近いもので読み直そうと思った。
来年でこゝろが新聞に連載されて100年になる。(参考 1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」で「心 先生の遺書」として連載 「ウィキペディア」より)いままで何回も読んだ「こころ」だが、ふーんそういう風にも読めるのか といった発見も多い内容だった。来年は文庫本ではなく当時の装丁に近いもので読み直そうと思った。
「先生」が妻に告白できなかったことに対しては、多くの批判がある。…。越智治雄は、「先生は、奥さんに自身の現在と同様の自意識の地獄への道を歩ませたくないのである。……。そしてさらに重要なのは、かりに妻が許したにせよ、実はこれがこの意識家にとって何の解決にもならぬことを先生が正確に知っていたからである」
私はたゞ人間の罪といふものを深く感じたのです。
と「先生」は言う。「先生」は、なぜ「私の罪」と言わないで、「人間の罪」と言ったのだろうか。それは、自分の半生を振り返ったとき、自らの罪を感じることはいうまでもなく、叔父はもちろん、妻も、妻の母も、Kも、我執を免れていないことに思い至ったからであった。それは、決してすべての人間に罪があると考えることで自分を正当化しようとしたためではなく、人間は、誰しも根源的に罪への傾向性をもっていることを痛感したからであった。
なお、この小説に、夫人を道連れにして自刃した乃木大将への批判が込められていることは、よく指摘される。……。固有名詞がないと一般に思われているこの小説で、あえて乃木夫人と同名の静を妻の名とした漱石には夫人道連れの乃木殉死への批判意識が明らかにあったといえよう。……。これに対して、山田輝彦は、「乃木自身は、静子を残して行くつもりだったことは、九月十二日夜の日附を持った『遺言条々』には、四名連記の宛名があり、その最後に「静子どの」と明記してあることによっても明瞭である」と弁護している。
筆者(水川隆夫)は、むろん漱石は何も記していないが、「先生」は「私」とはじめて出会った鎌倉の海で死んだと想像する。
「先生」は、今はほとんど人気のない海岸で着物を脱いで手拭いで頭を包み、冷たい鎌倉の海に入り、「沖の方へ向いて」泳いで行き、やがて「手足の運動を已めて仰向になつた儘波の上へ寝た」…。
「妻に血の色を見せないで死ぬ積です」
という「先生」の意図が失敗に終わったことが「私」の手記に全く暗示されていないことは、「先生」の死が事故による「頓死」だと認定されたことを示している。(Ⅱ 「先生」の遺書 明治の一知識人の生涯)
「妻に血の色を見せないで死ぬ積です」
という「先生」の意図が失敗に終わったことが「私」の手記に全く暗示されていないことは、「先生」の死が事故による「頓死」だと認定されたことを示している。(Ⅱ 「先生」の遺書 明治の一知識人の生涯)


