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あらすじ
欧化政策、村共同体の崩壊、新しい価値観の波―。現代にも似た転換期の日本、明治後期という時代を、「先生」も「私」も「K」も、それぞれの立場で必死に生きました。その心の揺れ、やむにやまれぬ行為の中にこそ、今をより深く長きるための、思いがけない光が潜んでいます。再読・精読の至福のうちに、どうかそれに出会ってください。漱石の「こゝろ」を、私たちはこれまで、ほんとうに、読んだといえるのだろうか。

 

ひと言
来年でこゝろが新聞に連載されて100年になる。(参考 1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」で「心 先生の遺書」として連載 「ウィキペディア」より)いままで何回も読んだ「こころ」だが、ふーんそういう風にも読めるのか といった発見も多い内容だった。来年は文庫本ではなく当時の装丁に近いもので読み直そうと思った。

 

 

「先生」が妻に告白できなかったことに対しては、多くの批判がある。…。越智治雄は、「先生は、奥さんに自身の現在と同様の自意識の地獄への道を歩ませたくないのである。……。そしてさらに重要なのは、かりに妻が許したにせよ、実はこれがこの意識家にとって何の解決にもならぬことを先生が正確に知っていたからである」

 

 

私はたゞ人間の罪といふものを深く感じたのです。

 

 

と「先生」は言う。「先生」は、なぜ「私の罪」と言わないで、「人間の罪」と言ったのだろうか。それは、自分の半生を振り返ったとき、自らの罪を感じることはいうまでもなく、叔父はもちろん、妻も、妻の母も、Kも、我執を免れていないことに思い至ったからであった。それは、決してすべての人間に罪があると考えることで自分を正当化しようとしたためではなく、人間は、誰しも根源的に罪への傾向性をもっていることを痛感したからであった。

 

 

なお、この小説に、夫人を道連れにして自刃した乃木大将への批判が込められていることは、よく指摘される。……。固有名詞がないと一般に思われているこの小説で、あえて乃木夫人と同名の静を妻の名とした漱石には夫人道連れの乃木殉死への批判意識が明らかにあったといえよう。……。これに対して、山田輝彦は、「乃木自身は、静子を残して行くつもりだったことは、九月十二日夜の日附を持った『遺言条々』には、四名連記の宛名があり、その最後に「静子どの」と明記してあることによっても明瞭である」と弁護している。

 

 

筆者(水川隆夫)は、むろん漱石は何も記していないが、「先生」は「私」とはじめて出会った鎌倉の海で死んだと想像する。

 

 

「先生」は、今はほとんど人気のない海岸で着物を脱いで手拭いで頭を包み、冷たい鎌倉の海に入り、「沖の方へ向いて」泳いで行き、やがて「手足の運動を已めて仰向になつた儘波の上へ寝た」…。
「妻に血の色を見せないで死ぬ積です」
という「先生」の意図が失敗に終わったことが「私」の手記に全く暗示されていないことは、「先生」の死が事故による「頓死」だと認定されたことを示している。(Ⅱ 「先生」の遺書 明治の一知識人の生涯)

 

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あらすじ
ともに90歳を迎える二人が、大震災で感じた日本人の底力、生きる意味、自らの「老い」と「死」について縦横に語り合う。読めば元気の出る対談集。

 

ひと言
先日、角田光代さんの曾根崎心中を読んだとき、ふと瀬戸内寂聴さんのことが思い出され、それでこの本を図書館でかりた。5月で91歳になる寂聴さん、いつまでもお元気で、宇野千代さん(98歳)よりも長生きしてください。

 

 

瀬戸内 この歳ですから、死を考えないことはありません。ただね、死ぬときのことは怖くないの。そんなに苦しまないと思う。というのも、その昔、宇野千代さんが長生きしたいと努力なさっているのを見て、「なんでそんなに長生きしたいんですか」とお訊ねしたら、長く生きると、秋の木の葉がはらりと自然に落ちるように、命が尽きる。痛くないし、苦しまない。「だから私は長生きしたいのよ」とおっしゃったのが頭にあるんです。若いとまだ本当は死ぬ命ではないから、体が逆らう。それで苦しいそうなんです。だから私も、生ききって、はらりと落ちる。それがいいなと思って。(第四章 「老」「死」と向きあう)

 

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あらすじ
真也は30歳。出版社で編集の仕事をしている。彼は幼い頃から、品物や場所に残された、人間の記憶が見えた。強い記憶は鮮やかに。何年経っても、鮮やかに。ある日、真也は会社の同僚のカオルとともに成田空港へ行く。カオルの父が、アメリカから20年ぶりに帰国したのだ。父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた…。わずか7行のあらすじから誕生した二つの小説。大切な人への想いが、時間と距離を超え、人と人とを繋げていく。有川浩meets演劇集団キャラメルボックス。小説×演劇の全く新しいクロスオーバーから生まれた物語の光。

 

ひと言
TVドラマ「空飛ぶ広報室」(新垣 結衣)が4月14日(日)9時から、映画「図書館戦争」(岡田 准一 榮倉 奈々)が4月27日(土)公開、映画「県庁おもてなし課」(錦戸 亮 堀北 真希)が5月11日(土)公開と、今大人気の有川 浩さん。いろいろと新しいものに取り組もう(この姿勢が人気の秘訣なんだろう)とする有川さんだが、今回のようなパラレルワールドならもっと明確な差が出るような2つの物語にしたほうがよかったかも。

 

 

「本当にそれでいいんですか」真也はまっすぐ榊の目を見た。榊の目はわずかに揺れた。「――僕はあのときから、白石の遺した望みを叶えるために生きているんだ」「あなたの気持ちはどこへ行くんですか」「僕の気持ちなんて」「あなただけじゃない」真也は強い声で遮った。「輝子さんの気持ちは。カオルの気持ちは。あなたの選択では生きている人は誰も救われない」そして榊が気づいていない命題を突きつける。「あなたたちが愛した白石晴男は、遺された愛しい人たちにあくまで不幸な従属を求めるような死者なんですか」榊が虚を衝かれたような表情になった。「あなたの選択は、白石さんをそのような死者にしてしまいます」明らかな動揺が榊を襲った。「違う。――彼は身勝手だったがそんな男じゃ、」「それなら遺言を取り違えたんじゃないですか?」
哀れむな。哀れまれるなど、お前にも妻にも娘にもごめんだ――
激烈なその言葉は、真也には別の意味合いを持って聞こえる。「哀れむなというのは、あなたたちを解放しようとした言葉じゃないんですか?」俺を哀れむな。振り返るな。顧みるな。俺は俺の生きたいように生きた。後はお前たちも勝手にそうしろ。なぜお前たちは勝手に生きない― 白石が亡くなって十数年の時を経て、真也には臨終の言葉がそう聞こえる。「不器用なことも偏っていたことも歪んでいたことも本当でしょう。そうであれば、なぜ臨終のときだけ心安らかな言葉を選べると思います?」愛しい者の幸先を祈るときでさえ、彼は激烈にならざるを得ないような生き物だったのだ。「愛しているよと、だからもう俺のことは気にせずに幸せになってくれと、穏やかにそう言えるような人でしたか」榊の目に涙が溢れた。「……僕は、」涙が瞼を乗り越える寸前で榊は俯いた。「僕は、彼が許してくれると信じていいんだろうか。僕が、」――彼女たちを愛することを。静かな息で榊はそう呟いた。「死者の思いは遺された者が決める、と僕の敬愛する作家が言っていました。使者を荒ぶる者にするのも安らげる者にするのも生者を解釈次第だと」君は、と榊が赤くなった目を上げた。「どうして僕たちのこんなこじれた物語にそんな解釈を与えられるんだ」問われて真也はにっこり笑った。「僕は編集者ですから」(Here Comes the Sun)

 

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あらすじ
第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった不朽の書。日本人の行動や文化の分析からその背後にある独特な思考や気質を解明、日本人特有の複雑な性格と特徴を鮮やかに浮き彫りにする。“菊の優美と刀の殺伐”に象徴される日本文化の型を探り当て、その本質を批判的かつ深く洞察した、第一級の日本人論。

 

ひと言
先日読んだ新書にベネディクトの「菊と刀」の中の言葉が引用されていて、50歳以上の人にとっては、超有名な「菊と刀」だが、そういえば知っているだけで読んだことがないことに気づき図書館で借りた。
今の若い人に勧めようとは思はないが、私個人としては、やっぱり読んでよかったなと思える一冊であった。

 

 

一九四五年八月十四日に日本が降伏した時に、世界はこの「忠」がほとんど信じがたいほどの大きな力を発揮した事実を目撃した。日本に関する経験と知識をもつ多くの西欧人は、日本が降伏するなどということはありうべからざることである、という見解を抱いていた。……。……。こういうふうに日本を分析していたアメリカ人は、「忠」を勘定に入れていなかったのである。天皇が口を開いた、そして戦争は終わった。天皇の声がラジオで放送される前に、頑強な反対者たちが皇居の周りに非常線をめぐらし、停戦宣言を阻止しようととした。ところがいったんそれが読まれると、何人もそれに承服した。満州やジャワの現地司令官も、日本内地の東条[英機]も、誰一人としてそれにさからうものがいなかった。われわれの部隊は飛行場に着陸し、丁重に迎えられた。……。このような態度には少しも不思議なところはなかった。それを不思議に感じたのは、人間の行為を左右する感情が、いかに多種多様であるかということを容認することのできなかった西欧人だけである。……。すなわち、日本人は、たとえそれが降伏の命令であったにせよ、その命令を下したのは天皇であった、と言いうる権利を獲得したのである。敗戦においてさえも、最高の掟は依然として「忠」であった。(第六章 万分の一の恩返し)

 

 

……。だが返さないのは、彼が山嵐から受けた恩について感じる気持ちと対照して独白しているように「清をおれの片破れと思ふからだ」。この言葉が日本人の恩に対する反応を理解する手がかりになる。たとえどのように錯綜した感情がともなうにせよ、「恩人」が実際に自分自身である限り、すなわち、その人が「私の」階層的組織の中に一定の位置を占める人であるか、風の吹く日に帽子を返す場合のように、私自身もおそらくそうするだろうと想像されることをするか、あるいはまた、私を崇拝している人間である限りにおいて、日本人は安んじて恩を負担する。ところが、いったんこれらの条件が当てはまらなくなると、恩は堪えがたい苦痛となる。相手から蒙った負債が、どのように些少なものであっても、それを不快に感じるのが立派な態度である。(第五章 過去と世間に負目を負う者)

 

 

さまざまな文化の人類学的研究において重要なことは、恥を基調とする文化と、罪を基調とする文化とを区別することである。道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにする社会は、罪の文化(guilt culture)と定義することができる。……。したがって、恥の文化(shame culture)には、人間に対してはもとより、神に対してさえも告白するという習慣はない。幸運を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はない。真の罪の文化が内面的な罪の自覚にもとづいて善行を行なうのに対して、真の恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行なう。恥は他人の批評に対する反応である。……。「恥を知る人」という言葉は、ある時は'virtuous man'[有徳の人]、ある時は'man of honor'[名誉を重んずる人]と訳される。恥は日本の倫理において、「良心の潔白」、「神に義とせられること」、罪を避けることが、西欧の倫理において占めているのと同じ権威ある地位を占めている。したがってその当然の論理的帰結として、人は死後の生活において罰せられるなどということはない。(第十章 徳のジレンマ)

 

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あらすじ
戦後50年を経て、私たちが見失っていたものが何かを今、懐かしく想い出させてくれる人がいる。名古屋と金沢をつなぐバス路線沿いに2000本の桜を植えつづけたバス車掌 佐藤良二さんの人生を描く。

 

ひと言
今年もまた桜の季節が巡ってきた。先日、図書館で桜の本の特集コーナーが設けられていて、そこにあったこの本が目にとまった。1994年から行われている名古屋-金沢間250キロを36時間以内に走るウルトラマラソン「さくら道国際ネイチャーラン」(平成25年4月19日~4月22日)も今年で20回目を迎える。
東海北陸自動車道の飛騨トンネルが開通するまでは、荘川ICから国道156号を御母衣ダムに沿って走るしか道はなかったが、その道沿いに2本の立派な荘川桜が移植されている。今まで数回、荘川桜の横を走ったことはあるが、桜の季節の荘川桜は見たことがないので是非1度観に行きたいと思った。

 

 

桜の季節に、私の好きな歌を3つ。

 

 

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし  在原業平

 

 

願はくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ  西行法師

 

 

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 今宵逢ふ人 みなうつくしき  与謝野晶子

 

 

 

報いを求めず、ひたすら桜の花で人びとの心を喜ばせ、桜の花を通して人の世に和が生まれることを願って桜を植えつづけた佐藤良二さん。妻の八千代は、良二さんの桜の仕事に反対しながらも、民宿を営み子供と家庭を守ってきた。「無理して大学へ行かなくてもいい。人に喜んでもらえる人間になればそれで上等なんや」―― 娘の美智子とゆかりにそう話していた良二さん。しかし、八千代は良二さん亡きあとも民宿をつづけ、二人の娘を大学に進ませた。父が亡くなったことで娘の進路を狭めたくない、と考える八千代の意志からでもあった。八千代は言う。
「最初から最後まで、主人は体が弱かったし、仕事もよう休んだりしていましたから、私は反対していたんです。家のことは全部私まかせでしたし、村の付き合いだけでもやってほしいと思いましたが、主人は桜ばかりをやっていて、村の付き合いにはいつも私がかわりに行っていました。家族の団らんもほとんどありませんでした。家にはほとんどいませんでしたし、仕事から帰るとすぐまた出て行って。子供も、とうちゃん、今晩家でとまるんか?と言うくらいやったんです。入院して、帰って来たかと思うと二、三日休養して、すぐまた桜をいじる。すると三日もすると、また入院。そのくり返しでした。他の人は咲いた桜を見るだけでいいでしょうが、私にしたら夫の体の方が大事やったんです。桜で体をこわしてしまうくらいなら、やらない方がいいと私は言っていました。ですから、その頃の私は心の底から喜べなかったんです。子供をどうして養っていこうか、どうして生きていこうかと思ったことが何度もありました。病気になっても、桜を植えに行ったし、桜をしなければもっと長く生きられたろうにと、今も思います。病室の壁には、もう桜のことはやめてしまおう、と紙に書いて貼っていましたけど、どうしてもやめられなかったんやね。でも、今はお父ちゃんの植えた桜をみると、子供もポロポロ涙をこぼすんです。この前も、お父ちゃんの植えた桜が人に切られてしまったんです。すると娘はポロポロ涙を流して、何で切ったんや、どうして切らしたんやと言うんです。そうなると私も悲しいんです。今になれば、よかったのかなあと思っています。家にも一本植えてあるんです。植えて歩いて残ったのが一本。今ようやく咲くようになって、その花を見ると、お父ちゃんのことを思い出します。ああ、お父ちゃんが花になって帰ってきよった、とそう思うようになりました。お父ちゃんのかたみは、毎年花を咲かせる桜なんやなあ、と思うんです」
(一筋の桜街道)

 

 

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あらすじ
江戸時代、元禄期の大坂で人々が狂喜したように、激烈な恋の物語が今また私たちの心を掻きたてる。運命の恋をまっとうする男女の生きざまは、時代を超えて、美しく残酷に、立ち上がる 。300年前、人形浄瑠璃の世界に“心中もの”の大流行を巻き起こした近松の代表作「曾根崎心中」を、直木賞作家・角田光代が現代に甦らせる!

 

ひと言
しばらくは角田さんを封印しようと思っていたのですが、図書館で角田光代の曾根崎心中を見つけました。この誰もが知っている曾根崎心中を現代人で書くとしたら瀬戸内 寂聴さんか角田 光代さんぐらい しかないだろうと思っていたので、迷わず借りました。やっぱり角田光代はうまいなぁ!。
今度、梅田へ行くことがあったら露 天神社(お初天神)に寄ろうと思いました。

 

 

ようやく徳兵衛がくちびるを離したとき、仰向けになった初は間近にある顔をじっと見つめた。そのときにはすでに、この男がいない世のなかは生きる価値なんかないと、そんな気持ちになっていた。だれだろう、まったく知らないのに、ずっと知っていたような気がするこの男はだれだろう。この世のなかを、生きる価値のある場所に一瞬にして変えたこの男は、だれだろう。いやそんなはずはない。何かの思い過ごしだ。ただの男だ。好きになるはずもない、ただの男。初は自分に言い聞かせるようにしながら上体を起こそうとして、びっくりした。力がまるで入らないのである。なんていうことだ、この男の接吻で、腰を抜かしたらしい。
……。……。
ああ、ああ、姐さん。徳兵衛の腕のなかで初は叫び出したい衝動に駆られる。姐さん、祈っててくれはったんやね。きたで。あてにもわかるときが、やっときた。

 

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あらすじ
大衆芸能のなかに隠された仏教文化とは?意外に知られていない歌舞伎や能などへの仏教の影響。日本人の精神文化を追究し続ける著者が、密教や浄土教そして神道や道教など多様な庶民信仰の姿を大衆芸能に探り、現代に息づく宗教の諸相を明快に解き明かす。

 

ひと言
新書をもっと読まないと と思って図書館の新書の棚を探していると「弁慶はなぜ勧進帳をよむのか」というおもしろい題名の本を見つけた。読んでいると、2月3日にお亡くなりになった十二代目團十郎さんのことが思い出されて、第3章まで読むと、大好きな「勧進帳」のDVDとNHKの追悼番組の團十郎(弁慶)と海老蔵(富樫)の親子共演の「勧進帳」の録画を立て続けに観た。
あまりにも早すぎる死にご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

さて、「勧進帳」の最初の見せ場は、富樫左衛門が弁慶一行を偽山伏と怪しみ、もし本物であるならば携えている勧進帳を読めと命ずる場面である。そこで弁慶が「心得て候」といって、白紙の勧進帳を取り出し案文して読み上げるものであるが、まずはその台詞を紹介しておきたい。

 

 

 

それつらつらおもん見れば、大恩教主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。爰(ここ)に中頃、帝おはします。御名を聖武皇帝と申し奉り、最愛の夫人に別れ追慕やみ難く涕泣、眼にあらく、涙玉を貫く、思ひを先路に翻へし上求菩提の為、盧遮那佛を建立仕給ふ。然るに去んじ治承の頃焼亡し畢(おわ)んぬ。かほどの霊場絶えなんことを歎き、俊乗房重源勅命を蒙って、無常の観門に涙を落し、上下の真俗を勧めて、彼の霊場を再建せんと諸国に勧進す。一紙半銭奉財の輩は、現世にては無比の楽に誇り、当来にては数千蓮華の上に坐せん。帰命稽首、敬って白す。
(第2章 勧進帳と弁慶と山伏)

 

もうすぐ2年目の3月11日を迎える。
2日前の新聞(6日現在、警察庁まとめ)では 亡くなられた方15881名 いまだに不明の方 2676名 
1年前の3月11日では不明の方 3155名。この1年で見つかった479名の方々はご遺族のもとに戻ることができたのだろうか?

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震災のちょうど1年にあたる昨年 2012年3月10日の午後11時からNHK総合で放送された『3月11日のマーラー』というドキュメンタリー番組の録画を、この前久しぶりに観た。

地震が発生した2011年3月11日の夜、すべての交通機関はストップし、電話もつながらない大混乱の東京。東京都墨田区のすみだトリフォニーホールで、イギリス人指揮者、ダニエル・ハーディングを迎えて新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会が行われた。1800の客席が満席になるはずだった、マーラーの交響曲第5番の演奏に集まった観客はわずか105人。それでも舞台の幕は予定通り午後7時15分過ぎに上がった。
大津波が東北を襲ったことを知ったこんな非常事態の中、演奏会を開いていてもいいのだろうか?こんな状況の中、クラシックコンサートを聞いていていいのだろうか?人々の心の葛藤を描いたドキュメントだ。

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Maybe music, amongst the many great achievements of mankind, can help us to try to comprehend
the magnitude and the context of such suffering.
Maybe music can also help us, in the smallest way, to begin to heal.
人間が作り出した偉大な創造物の中で、
恐らく音楽はそうした苦しみの大きさや背景を理解することの助けになります。
また音楽は私たちを癒してもくれるのです。

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先週の土曜日、図書館でマーラーの交響曲5番のCDを2つ借りた。ピエール・ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルのと佐渡 裕 指揮のもの。これからは3月11日が来るたびに、あの日を忘れないように、亡くなられた多くの方々を悼んでマーラーの交響曲第5番を聞くようにしたい。
(合掌)
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あらすじ
列島を揺るがせた未曾有の震災と、終わりの見えない原発事故への不安。今、この国が立ち直れるか否かは、国民一人ひとりが、人間としてまっとうな物の考え方を取り戻せるかどうかにかかっている。アメリカに追従し、あてがい扶持の平和に甘えつづけた戦後六十五年余、今こそ「平和の毒」と「仮想と虚妄」から脱する時である----深い人間洞察を湛えた痛烈なる「遺書」

 

ひと言
坂口 安吾のあの堕落論?「新」って…、へぇ石原慎太郎が書いてるんだ。あまり新書を読まないのだが堕落論と石原慎太郎で借りて読もうと思った。複式簿記の導入は他の人の本を読んでもよく出てくるが、どうしたらこの国の会計制度を変えることができるのだろう。東野圭吾もいいが、やっぱりもっと新書を読むようにしないといけないなぁと思った。

 

 

ついでにいえば今日の日本経済の低迷の原因はいろいろあるが、肝心の問題についての議論が一向にない。それは国の会計制度の問題です。ここでこまごま申す暇もないが、この日本には従来、国家としてのバランスシートが無いのです。そんな馬鹿なと思う人が多かろうが、実際に無いものは無い。せいぜい大福帳の域を出ない。それはこの日本は先進国の中で唯一、国家の会計制度が単式簿記でいるからです。どこの国も発生主義の複式簿記でやっているのに日本だけは昔ながらの単式簿記でいる。日本の周辺の国家で単式簿記でやっているのは北朝鮮とフィリッピン、そしてパプアニューギニアくらいのものです。それだからこの国には財務諸表なるものが存在しない。財務諸表とは企業でいえば投資家や債権者といった組織の外部の利害関係者に財政状態や経営成績に関する情報を開示するために定期的に作成される書類です。企業の場合には投資家や債権者だが、国家の場合には税金を払っている国民に他ならない。しかしその財務諸表がないのだから、国民は自分かちが納めた税金がどんな具合に使われているのかがさっぱりわからない。民主党政権になって官僚が隠している厖大な金があるはずだ、無駄な税金使用が山とあるはずだと、事業仕分けなどという政治興行を打ってみせているが、あんまり効果は無いし隠されているものが全て明るみに出てくることもない。最初から国家の会計制度を正常なものにして、きちんとした財務諸表があればあんな不毛な政治ショウをしなくてもすむのですが。ならばなぜ他の先進国なみに、発生主義の複式簿記にしないのかといえば、単式簿記の方が国民の目をごまかしやすいからに他ならない。つまり、政治家が何をいおうが役人たちが実質的にこの国を支配していくためには、国民の目をごまかしやすい会計制度の方が都合がいいからです。(一章 平和の毒)

 

 

 
評論家の福田和也が以前『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』という優れた論文を書きました。彼はその中で、「幼稚な人間とはIQの数値が低いとか、多くの人が知っていることを知らない、などということではない。何が肝心かということが分からない者、肝心なことについて考えようとしない者を幼稚というのだ」といっていましたが、こと我々の生活を容易に左右する経済、財政に関して、政治家を含めて日本人は幼稚としかいいようありません。そんな日本人を笑っているのは、何が肝心かを知っていて隠し通している国家の官僚たちでしょう。
(一章 平和の毒)

 

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あらすじ
みんな、ほんと、元気だそう!世の中がどんなに暗くても、心まで暗しくしてはいけない。自分なりの湖にむかって、悠然と歩いていこう。石田衣良、待望の最新エッセイ集。

 

ひと言
大好きな司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」をもじった石田衣良さんの「坂の下の湖」。いつもポジティブ思考の衣良さんから少し元気をもらった気がする。でも『失われた20年』(日本において安定成長期終焉後の1991年(平成3年)3月からの約20年以上にわたる経済が低迷した期間を指す。 ウィキペディアより)だなんて…。こんな、立ち上がろうという気力さえ失わせるような名前をつけたのは誰だ。

 

 

「本屋大賞でも第一位の本はよく売れるんですけど、それ以外のノミネート作品はまったく動かないんです」……。ナンバーワンは確かに大ヒットになるけれど、二位以下は大差をつけられて沈んでしまう。これはエンターテインネントの未来を考えるとき、実に憂慮すべき事態だ。……。なぜ、こうした事態になってしまったのか考えると、淋しい結論にたどりついてしまう。観客が自らの趣味や鑑賞眼で作品を選ぶ自由(これ以上はないくらい貴重な自由だ!)を放棄し始めているのだ。書籍も映画も音楽もあまりに種類が多くて、情報過多に陥っている。面倒だから自分で調べたり評価したりするのを投げて、どのジャンルでもランキングー位のものを選んでおしまいにする。それでは受け手の個性は伸びていかないだろう。なんといっても、アートの効用のひとつは、その世界にふれることによって、心の力をより強く深くして、個性を伸ばしていくことにあるのだ。(ひとり勝ちの世界)

 

 

ただ現在の日本の下り坂の先には、坂の上の雲にあたる目標が見えていない。これがぼくたちの今の苦しみの源なのだ。目的さえはっきりしていれば、たいていの苦痛に耐えられることは、高度成長期の猛烈社員が証明している。そこで、ぼくからの提案は、各自が下り坂の先に、自分なりの湖をつくることである。もう成長期のように画一的な目標は必要ない。自分の好きな形の湖でいい。ゆったりとした下り坂の先に、涼しげに空の青を映す静かな秋の湖をつくる。その水面にむかって、無理せず軽々と下り坂を歩いていく。それがこれからの理想的な日本人の生き方なのだ。国は少々貧しくなるかもしれない。でも日本の個人は世界有数の経済と自然の富をもち、世界がうらやむような安全とおたがいに対する信頼感を共有している。なあに財政赤字などで気分まで悪くすることはない。あの湖にむかって、長く快適な下り坂を、みんなで悠々と歩いていこう。青く澄んだ湖面が待っている。涼しい風が吹いている。きっとそれはそう悪くない道のりのはずだ。(坂の下の湖)