イメージ 1 
 
あらすじ
法隆寺・薬師寺復興で名を馳せた西岡常一氏唯一の自伝に、職人や仏教関係者、文化人らのインタビュー・座談会を加え、「最後の宮大工」が遺した口伝を立体的に浮かび上がらせる。「木と話す」とはどういうことか。

 

ひと言
先日、薬師寺を訪れ、金堂の薬師三尊のお姿を拝んでいると、西岡常一さんのことが思い出され、今度図書館に行ったら、以前読んだことのあるこの本をまた読んでみようと思いました。
一度火を浴びた薬師三尊がもう一度焼けたら大変なことになると防火対策を優先させたために木造での金堂復興とはならず、鉄筋が3割となってしまった金堂。「木に竹をつぐ」ということはあるけれども、「鉄筋コンクリートに木をついでますねん」「しゃあないさかいに、わしの考えるだけのつぎ方はしました」と言った西岡常一さん。
私は専門的なことは全くわかりませんが、飛鳥、奈良時代の建物を鎌倉や江戸時代の素晴らしい技術で修復したものが現代にその名を残しているように、今から五百年、千年後、昭和という時代に西岡常一という棟梁が素晴らしい技術で金堂を復興させた。昭和の時代に建てた西塔が東塔と同じく国宝として認められる日がくることを祈っています。
『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』という映画が2012年に作られたようなのでそれも見てみたい。

 

 

「おまえは、稲を作りながら、稲と話し合いをせずに、本と話し合いをしていた。稲と話し合いできる者なら、窒素、リン酸は知らなくても、今、水をほしがっとるんか、今、こういう肥料をほしがっとるちゅうことかが、分かるんや。本と話すから、稲が言うこときかんのや」そして、「これからいよいよ、おまえも大工をするんやが、大工もその通りで…」と、話が核心に入った。「木と話し合いができなんだら、本当の大工にはなれんぞ」―木と話す。これだったのである。そのことを体得させるために祖父はわざわざ、私に農業の修業をさせたのだった。……。大正十四年のある日の夜、食膳に赤飯と小さな鯛があった。大工の道に入る、ささやかな入門式だった。
(第一章 千年先見通す「口伝」の重み)

 

 

すると棟梁は「石川さん、ぼちぼちやりなはれ。要領よくおぼえたらすぐに忘れるからな。とにかく基本をしっかりおぼえるこっちゃ。そしたら後はいくらでもおぼえられる」と言ってくれました。この言葉は、今でも記憶に残っています。(第四章 受け継がれる「口伝」)

 

 

私はその時、何としても西の塔を建てなければという熱意だけは持っていました。西岡さんに話すと、「安田さん、願を持っていなはったらできまっせ」と言って励ましてくれました。「願心」をいつも持ち続ける。すぐにできなくても、やりたいな、やりたいなということを思い続ける、これが大事だと思っています。だれしもが、いいことをやろうと思えば、それを思い続けること。(第五章 受け継がれる「こころ」)

 

 

結局は、一番おやじが嫌うてた「知識として持ってても知恵として活かせないような知識」はあってもしかたないやないかと思います。これこそが、まさにおやじの口伝やと思うんです。(第七章 父親として)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。三部作の終篇であると同時に晩年における一連の作の序曲をなす作品。

 

ひと言
前に読んだ「それから」で三部作を読み返すと書いたが、実はこの「門」は昔、読みかけて途中で投げ出した作品である。今回読んで、この作品は40歳以上の既婚者になってから読んだ方がより味わい深く感じられていいと思った。お互い顔が見えていないけれど、麗らかな縁側での宗助と御米の会話で始まり、「うん、しかしまたじき冬になるよ」という台詞で終わる設定も、この作品を象徴していて とても印象的だった。

 

 

自分は門を開けてもらいに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」という声が聞えただけだった。彼はどうしたらこの門の閂を開ける事が出来るかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事が出来なかった。従って自分の立っている場所は、この問題を考えない昔と毫も異なる所がなかった。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。……。
彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもって生れて来たものらしかった。それは是非もなかった。けれども、どうせ通れない門なら、わざわざ其所まで辿り付くのが矛盾であった。彼は後を顧みた。そうして到底また元の路へ引き返す勇気を有たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固な扉が何時までも展望を遮ぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
(二十一)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
長井代助は三十にもなって定職も持たず、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮している。実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代との再会により、妙な運命に巻き込まれていく……。破局を予想しながらもそれにむかわなければいられない愛を通して明治知識人の悲劇を描く、『三四郎』に続く三部作の第二作。

 

ひと言
「ビブリア古書堂の事件手帖」の本とドラマに影響されて、漱石の三部作を読み返そうと思い立った。ただし三四郎はパス。10代のときに読む漱石、20代30代で読む漱石、そして50を過ぎて読む漱石。この「それから」だけに限らず、漱石の作品は読むたびに感じ方・捉え方が変わっていく。このことこそが文豪と呼ばれる所以なのかもしれない。

 

 

「君は金に不自由しないから不可ない。生活に困らないから、働らく気にならないんだ。要するに坊ちやんだから、品の好い様なことばっかり云っていて、――」代肋は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手を遮ぎった。「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麵麭(パン)を離れている」平岡は不思議に不愉快な眼をして、代助の顔を窺った。そうして、「何故」と聞いた。「何故って、生活の為めの労力は、労力の為めの労力でないもの」「そんな論理学の命題みた様なものは分らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云ってくれ」「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪(にく)いと云う意味さ」「僕の考えとはまるで反対だね。食う為めだから、猛烈に働らく気になるんだろう」「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食う為の働らきと云うと、つまり食うのと、働らくのと何方が目的だと思う」「無論食う方さ」「それ見給え。食う方が目的で働らく方が方便なら、食い易い様に、働らき方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働らいたって、又どう働らいたって、構わない、只麵麭が得られれば好いと云う事に帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ」「まだ理論的だね、どうも。それで一向差支ないじゃないか」「では極上品な例で説明してやろう。古臭い話だが、ある本でこんな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱えたところが、始めて、その料理人の拵えたものを食ってみると頗る不味かったんで、大変小言を云ったそうだ。料理人の方では最上の料理を食わして、叱られたものだから、その次からは二流もしくは三流の料理を主人にあてがって、始終褒められたそうだ。この料理人を見給え。生活の為に働らく事は抜目のない男だろうが、自分の技芸たる料理その物のために働らく点から云えば、頗る不誠実じゃないか、堕落料理人じゃないか」「だってそうしなければ解雇されるんだから仕方があるまい」「だからさ。衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇にやる働らきでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るものじゃないんだよ」(六)

 

 

電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代肋の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと?の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。(十七)

 

 

「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶えるのが、友達の本分だと思った。それが悪かった。今位頭が熟していれば、まだ考え様があったのだが、惜しい事に若かったものだから、余りに自然を軽蔑し過ぎた。僕はあの時の事を思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分の為ばかりじゃない。実際君の為に後悔している。僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義俠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎を取られて、君の前に手を突いて詫まっている」代助は涙を膝の上に零した。(十六)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
名古屋の高校を卒業し、東京の大学に進学した多崎つくるは東京の鉄道会社に就職し、駅舎を設計管理する仕事をしている。紹介で知り合った旅行代理店勤務の木元沙羅とのデートのとき、高校時代に仲良くしていた5人組の4人から、大学2年生のときに突如、理由も告げられないまま絶交を言い渡されたという自分の過去を語る。沙羅から、なぜ4人から絶交されたのか「あなた自身の手でそろそろ明らかにしてもいいじゃないかという気がするのよ」と告げられ、つくるは4人の名前と高校時代の住所と電話番号を、沙羅に知らせる。
アカ:赤松慶、アオ:青海悦夫、シロ:白根柚木、クロ:黒埜恵理。

 

ひと言
話題の村上春樹が1カ月ちょっとで借りることができました♪。
1Q84やカフカに比べれば読みやすいのですが、それがかえって、よけいにいろいろ考えながら読むので疲れました。いつものことながら回収されないまま終わる灰田や緑川。シロとクロを混ぜるとグレーだよな。でもノーベル賞候補にあげられる村上春樹がシロとクロを合わせて灰田みたいなそんな単純なわけないよな。アカとアオを混ぜると緑?違う紫だ。赤の補色は緑(青緑)だよな…。村上春樹=メタファだし、緑川の持っていた壺って…。
好き嫌いは大きく分かれる作品だと思うが、さすが村上春樹。とにかく読了後も話題にことかかないし、作品に登場するラザール・ベルマン演奏の「巡礼の年」は、日本ではCDが発売されていなかったが、急遽この5月、日本盤CDが発売という、社会現象をも巻き起こしたということだ。
個人的には1Q84やカフカの方が好きかな。

 

 

「僕は怖いんだ。自分が何か間違ったことをして、あるいは何か間違ったことを口にして、その結果すべてが損なわれ、そっくり宙に消えてしまうかもしれないことが」エリはゆっくり首を振った。「駅をこしらえるのと同じことよ。もしそれが仮にも大事な意味や目的を持つものごとであるなら、ちょっとした過ちで全然駄目になったり、そっくり宙に消えたりすることはない。たとえ完全なものではなくても、駅はまず作られなくてはならない。そうでしょ? 駅がなければ、電車はそこに停まれないんだから。そして大事な人を迎えることもできないんだから。もしそこに何か不具合が見つかれば、必要に応じてあとで手直ししていけばいいのよ。まず駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を。用事がなくても電車が思わず停まりたくなるような駅を。そういう駅を頭に想い浮かべ、そこに具体的な色と形を与えるのよ。そして君の名前を釘で土台に刻み、命を吹き込むの。君にはそれだけの力が具わっている。だって夜の冷たい海を一人で泳ぎ切れたんだから」

 

 

『さて、君にとって良いニュースと悪いニュースがひとつずつある。まず悪いニュース。今から君の手の指の爪を、あるいは足の指の爪を、ベンチで剥がすことになった。気の毒だが、それはもう決まっていることだ。変更はきかない』。おれは鞄の中からでかくておっかないペンチを取りだして、みんなに見せ。ゆっくり時間をかけて、そいつを見せる。そして言う。『次に良い方のニュースだ。良いニュースは、剥がされるのが手の爪か足の爪か、それを選ぶ自由が君に与えられているということだ。さあ、どちらにする? 十秒のうちに決めてもらいたい。もし自分でどちらか決められなければ、手と足、両方の爪を剥ぐことにする』。そしておれはペンチを手にしたまま、十秒カウントする。『足にします』とだいたい八秒目でそいつは言う。『いいよ。足で決まりだ。今からこいつで君の足の爪を剥ぐことにする。でもその前に、ひとつ教えてほしい、なぜ手じゃなくて足にしたんだろう?』、おれはそう尋ねる。相手はこう言う。『わかりません。どっちもたぶん同じくらい痛いと思います。でもどちらか選ばなくちゃならないから、しかたなく足を選んだだけです』。おれはそいつに向かって温かく拍手をし、そして言う、『本物の人生にようこそ』 ってな。ウェルカム・トゥー・リアル・ライフ」

 

 

 
「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています」

 

5月26日 今回は、薬師寺、唐招提寺、南円堂・北円堂、春日大社、新薬師寺、法華堂、戒壇堂 国宝の仏像巡りの旅です。

イメージ 1


大和八木で乗り換え西ノ京駅で降りて、まずは薬師寺金堂の薬師三尊像との御対面です。
2018年までの予定で国宝の東塔の解体修理で塔全体が白いシートで覆われていて、入江泰吉さんの写真のような薬師寺を拝むことはできませんでしたが、記念に白檀の腕輪念珠をいただきました。

イメージ 2


次は唐招提寺です。こちらの金堂にも中央に盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)という夢のような取り合わせの3体が並んでおいでになり、特に大脇手42本、小脇手911本、合わせて953本の腕をもつ千手観音は圧巻でした。
唐招提寺東口のバス停まで歩き、次の興福寺へバスで向かいます。

イメージ 3


4月12日~6月2日まで南円堂創建1200年記念の特別公開です。

イメージ 4


通常は年に1度、10月17日の大般若経転読会の日にしか開扉しない南円堂。
「いつ観るか?」「今でしょ」それ以外の選択肢がみつかりません。
父・康慶作の不空羂索観音の第4手の左手に羂索を持たれているのが見えました。

イメージ 5


それが自分がいつも身につけている長谷寺でいただいた五色線とつながっていて、ポスターの「ここでなら、通じる祈りがある。」という言葉通り、祈りが通じるような気がしました。

イメージ 6


一の鳥居、二の鳥居をこえて春日大社へ、お参りをすませ、若宮 十五社めぐりへ向かいます。

イメージ 7


まず夫婦大國社で布袋に入った玉串札(木札)(1000円)をいただき、十五社に木札を納めに巡拝します。

イメージ 8


上の祢宜道を通って新薬師寺へ、もちろん薬師如来さま、そして我が国最古最大の十二神将にお会いしに行ってきました。

イメージ 9


やっぱりここの十二神将はすごい!すこし離れたところにあり歩き疲れましたが来てよかったです♪。
(最初から、薬師寺と新薬師寺に行く計画でした)新薬師寺から歩いて東大寺へ向かいます。

イメージ 10


修学旅行生と外人観光客ですごい人でした。大仏殿はパスして、鏡池の手前を右に上がり二月堂の方へ向かいます。5月18日から拝観を再開した法華堂(三月堂)におはします不空羂索観音菩薩にお会いしてきました。1日に日本の代表的な不空羂索観音2体にお会いできるなんて、これ以上ない贅沢。かつてこちらにおられた日光・月光菩薩(日光・月光菩薩は法華堂の仏様が一番好きです)が東大寺ミュージアムに移られ、今回お会いできなかったのが残念です。

イメージ 11


二月堂から奈良の街を見て、四天王がおいでになる戒壇堂へ向かいます。

イメージ 12


「天平が生んだ奇跡の仏像」というコピー通り、何時間でも対面していたかったのですが、お堂が狭いのと団体さんが入ってきたので名残惜しく戒壇堂を後にし近鉄奈良駅に向かいました。

素晴らしい国宝ばかりの仏像と多くの御縁が結ばれ大満足の1日でした♪
イメージ 1 
 
あらすじ
10代でプロボクサーを経験したが、所属ジムを訪れた日本ボクシング界のスター選手の練習をみて、才能の違いを痛感し断念、独学で建築家を志す。若き日に国内外の建築物を見て歩く旅を経験。空き地を見付けると設計図を描いて土地のオーナーに売り込んだが、結果は連戦連敗。しかし、何度断られても、尊敬する建築家のル・コルビュジエを思ってへこたれなかった。その後、数々の建築賞を受賞。東京大学の名誉教授も務め、国内では「表参道ヒルズ」「司馬遼太郎記念館」などで話題をさらい、世界の建築現場をまたにかける。
著者独特の人生哲学、仕事への思い、夢を、具体的なエピソードで知ることができる本書は、建築を志す若者はもちろん、もっと無我夢中で生きたい人にオススメです。

 

ひと言
最近はTVにもよく出演されている安藤 忠雄さん。今年の3月、香川県の直島に「ANDO MUSEUM」がオープンというニュースを見たとき、「地中美術館」や「地中の庭」のことも取り上げられていて一度訪れてみたいと思いました。

 

 

イメージ 2
地中美術館(ベネッセアートサイト直島 HPより)

 

 

人間は、歩きながら何かを考える。時には「自分の人生は、これでいいのか」ということも考えます。
(第二章 建築家への道のり)

 

 

子どもの頃によく言われたのは「読み書き算盤ができないとだめだ」と。「読み」というのは、読むことによって哲学を考えるということ。自分の生き方を考える。「書く」というのは、書くことによって自分の考え方を表現するということ。「算盤」というのは、単なる数勘定ではなく人生を計画する、ということです。自分の人生を計画するのに、過去をどう考え、未来をどう考えるか。そのためには、読み書き算盤ができないといけないと思うんです。
(第五章 デジタル時代に思う)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
校内の更衣室で生徒指導の教師が青酸中毒で死んでいた。先生を二人だけの旅行に誘う問題児、頭脳明晰の美少女・剣道部の主将、先生をナンパするアーチェリー部の主将 ― 犯人候補は続々登場する。そして、運動会の仮装行列で第二の殺人が…。乱歩賞受賞の青春推理。
(1985年 第31回 江戸川乱歩賞受賞)

 

ひと言
東野圭吾さんの作家としてのデビュー作「放課後」。前からずっと読みたいと思っていたのですが、図書館ではいつも貸出中で、やっと借りることができました♪。賞を取るだけあってプロットは非常によくできていると思うのですが、「そんなことで2人も殺しちゃうの?」と思っちゃうぐらい動機が弱いような気がします。

 

 

「彼女達にとって最も大切なものは、美しいもの、純粋なもの、嘘のないものだと思います。それは、時には友情であったり、恋愛であったりします。自分の肉体や顔の場合もあります。いや、もっと抽象的に思い出や夢を大切にしているケースも非常に多いものです。逆に言えばこういう大切なものを破壊しようとするもの、彼女達から奪おうとするものを、最も憎むということになります」(第六章)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
美人の産地・神去村でチェーンソー片手に山仕事。先輩の鉄拳、ダニやヒルの襲来。しかも村には秘密があって…!?林業っておもしれ~!高校卒業と同時に平野勇気が放り込まれたのは三重県の山奥にある神去村。林業に従事し、自然を相手に生きてきた人々に出会う。
日常 2010年 本屋大賞 第4位
夜話 2012年11月30日 初刷

 

ひと言
しをんさんのお父さんの出身地、三重県一志郡美杉村(2006年に合併して津市美杉町)が舞台の小説。名松線の終点の伊勢奥津駅から県道695を南へ…。三峰山の麓あたり?と読み終えた後、ネットの地図や美杉の写真を見ていろいろ想像してみるのも面白かった。本の帯に宮崎駿さんのおすすめの一言があり、本を読んでなるほどと納得。青い衣をまとった勇気が杉の花粉で黄金に輝くシーンを見てみたいと思った。

 

 

山で仕事をしていると、花粉がもわもわ降ってくる。降り注ぐ花粉で、山の斜面は真っ黄色だ。作業が終わる夕方には、俺たちは衣をまぶして揚げるばかりになったフライみたいなありさまだった。……。「地震だ!」……。斜面の木が激しく梢を揺らし、杉の花粉が豪雪地帯もかくやとばかりにいっせいに降り注ぐ。ふ、腐海!俺は思わず、ナウシカを連想した。「午後の胞子を飛ばしている…」ってやつだ。こんな幻想的な光景に、まさか現実でお目にかかれるとは思ってなかった。
(二章 神去の神さま)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
いつか全作品を読んでみたい。けれども、きっかけがつかめない。夏目漱石について、多くの人はそう思っている。現代文のカリスマ講師として名を馳せた著者は、「今だからこそ、忘れられた漱石が必要とされ、その文章が生き生きと甦る」と力説する。漱石を読めば、現代人の心のありようを新しい視点から捉え直すことができる、というのだ。生と死、愛と孤独、宗教と罪、正気と狂気…。現代のわれわれをとりまく切実なテーマが漱石作品にはあり、漱石は現代が直面する危機を誰よりも早く見抜き、警鐘を鳴らしていたのだ。漱石は遠くにいる作家ではなく、すぐそこにいる。そんな実感を与えてくれる、とっておきの読書ガイド。

 

ひと言
下に載せた言葉は、漱石の「こころ」を読んだ誰もが心に残っているフレーズだと思います。私の場合は「あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました」という言い回しも心に残っています。
それから、「ビブリア古書堂の事件手帖」は本もよかったけど、TVのドラマの方もとても楽しめました。第8話のロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」を読みたくて、あれから図書館で「たんぽぽ娘」で検索しているのですがヒットしません。でも5月18日に複刊するという話なので楽しみにしています。また第1話の「それから」もおもしろく、大輔役のEXILEのAKIRAさんがとても印象的でした。

 

 

 

自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう 「こころ」

 

 

 

封建時代は自由こそなかったけれど、誰もが自分個人のためだけではなく、藩とか家などの集団のため、今の流行の言葉で言えば、「公」のために尽くしたのです。人びとは何のために生きるのか、はっきりとしていました。自分の職業も結婚相手も、個人が悩む問題ではなかったのです。ところが、私たちは「自由と独立と己れ」を得たがために、何のために生きるのかも分からず、何が善で何が悪かも分からないまま、途方に暮れてしまったのです。それが私たちの悲劇でした。その結果、私たちが選択したのは、とりあえず自分の欲望を満たすことだったのです。漱石は人間の自我がエゴへと変わる瞬間を、見事に捉えています。おそらく「自由と独立と己れ」を獲得することは、その代償として孤独を引き受けることに他なりませんでした。ところが、私たちは欲望を満たすことに夢中になり、孤独と対峙することを巧妙に避けたのです。その結果、「こころ」の「先生」が、私たちの孤独をたった一人で引き受け、一人で静かに死んでいったのではないでしょうか。(第1部 自分はどこにいるのだろうか)

 

 

今日始めて自然の昔に帰るんだ 「それから」

 

 

「それから」以後、漱石が善悪といった道徳の代わりに持ち出した理念が、「自然」という言葉でした。…。三千代の兄が死んだとき、代助は自然に逆らって、平岡と三千代の結婚を斡旋しました。その時の代助の気持ちが「自然に抵抗した」のです。そして、今代助は自然に帰ろうとしています。意を決して、代助は三千代を呼び出しました。そして、自分の胸の内を初めて吐露するのです。

 

 

三千代は其膝の上を見た儘、微かな声で、「残酷だわ」と云った 「それから」

 

 

代助の告白を聞き、三千代が「何故棄てて仕舞ったんです」といったことから考えると、三千代の兄が死んだ時点で、彼女はすでに代助のものだと信じていたということが分かります。そのまま二人が結ばれるのが、まさに「自然」だったのです。だが、代助は平岡に対する義侠心から、三千代と平岡の間を取り持とうとしました。絶望した三千代は平岡と結婚するしかなかったのです。その結果、二人の結婚はうまくいかず、夫婦仲はすっかり冷め切っていきます。三千代の口から「残酷だわ」といった言葉が零(こぼ)れたのは、そういった事情を指してのことだったのです。(第3部 引き裂かれた自己)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
「週刊文春」の名物連載対談「阿川佐和子のこの人に会いたい」が900回を超えた阿川佐和子さん。18年もの長きに渡って読者の支持を得てきたのは、堅物の企業経営者、大物女優から、10代のアイドルまで、老若男女とわず本音を引き出してきたからでしょう。「相槌をケチらない」「『分かります』は禁句」「楽しそうに聞く」「事前に用意する質問は3つまで」など、名インタビュアーがビジネスにも通じる“聞く極意”を伝授します。

 

ひと言
最近、新書を読まないといけないなぁ という意識があって、本屋さんで売上上位にランクインしている本ということで借りた。新書としてはイマイチな内容であったが、エッセイとしては阿川さんらしさが詰まった本であった。

 

 

「僕はずっと、被災地に行く理由が見つからないんだけど行かなきゃならない、という気持ちがあって、でも理由がなきゃ観光旅行と何が違うんだって、自問自答してたんです」……。そんなとき、糸井(重里)さんはネット上で一人の被災者の女性に出会います。……。糸井さんは彼女に素直な気持ちを吐露します。被災地へ行きたい思いは山々なれど、どこへ行って何をすればいいのかわからないと。するとその女性が応えたそうです。「行くなら訪ねてほしいところがあります」その一つが避難所。避難所の人たちは、話をする相手がいない。なぜなら、家が壊れた話を訴えたところで、みんな同じ目に遭っているから、誰も驚かないのですと。……。「だから避難所に行って話を聞いてあげてください。来てくれたというだけで、孤独じゃないってわかるから。自分が忘れられていないと気づくから」彼女は糸井さんにそう言ったのです。さらに糸井さんに訪ねてほしい場所として、その女性は、いまだ身元の判明しない遺体が放置されている「遺体安置所」と、津波に呑まれた「お墓」を挙げたそうです。
(まえがき)