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あらすじ
あなたもこの本を読んでおけば安心できる。なる前に読めば予防になり、なってから読んでも勇気が出る。著者が脳梗塞らになった自らの経験とその後の猛烈な研究を経て、脳梗塞の発見法、予防の仕方から、闘病、リハビリ、社会復帰の仕方を命懸けでガイドする。

 

ひと言
5月に、知り合いの方のお父さんが脳梗塞で倒れられ、今も意識が戻らずに入院生活を送られている。
以前にこのブログのひと言で紹介したが、脳梗塞という病気の恐ろしさを改めて知った。
この本も「脳梗塞は癌より怖い」という言葉から書き始めているくらいである。
一分一秒が、生死や 障害が残るかどうかを左右することや、発症後3時間以内が t-PAによる血栓溶解療法を行なえるかどうかを左右するということを、我々は(私は)知らなさすぎた。
Amazonの脳梗塞の本の中から、カスタマーレビューを参考にして選んだこの本で基本的な知識を得たいと思う。ただし、この本は2000年(平成12年)出版であり古い理論である場合もあるので、新しく2009年に書かれた他の本なども参考にし、気になった箇所を以下に記述する。

 

 

 

脳梗塞の主な危険因子は 高血圧、高脂血症(コレステロールと中性脂肪が体のなかに多すぎる状態)、糖尿病、喫煙です。

 

 

 

脳卒中……くも膜下出血・脳出血・脳梗塞 

 

 

40歳以上の人の、クモ膜下出血の原因のほとんどは動脈瘤の破裂です。この病気は女性に多い傾向があります。この動脈瘤ができる原因の大部分は、脳血管を作っている膜の一部の先天的な欠損と考えられています。血管の壁は外膜、中膜、内膜でできていますが、そのうちの中膜が一部欠けていて、それに長い間、血圧や血流の影響が加わると、血管がふくらんできて動脈瘤になるのです。

 

 

高血圧が原因の脳出血(高血圧性脳出血)の大部分は、脳の中でも大部分を占める大脳に起きやすいことが知られています。大脳の中でも特に脳出血が起きやすいのは内包と呼ばれる、反対側の手足を動かす運動神経や、反対側の手足からの感覚を伝える神経など、重要な神経線維の集まりのある部分の近くです。

 

 

脳梗塞……ラクナ梗塞(脳の深いところの小血管がつまり、直径15mm以下の梗塞ができた場合)・心原性脳梗塞症(心臓からの脳梗塞)・アテローム性脳梗塞(脳の太い血管の動脈硬化による)・その他の脳梗塞

 

 

脳梗塞の前ぶれとしては、片方の手が動かない、足がもつれる、片方の目が見えなくなるといった症状が、数秒から数時間あるいは1日弱見られ、また消えてしまうことがあります。いわゆる一過性脳虚血発作です。この発作があると、多くは5年以内に約30%の人が大きな脳梗塞を起こすと考えられています。前ぶれがあれば、十分な検査を受けたうえで、必要となればアスピリン、チクロピジン、シロスタゾールなどの血小板凝集阻止薬と呼ばれる薬を医師の指示のもとに飲み始めます。

 

 

脳梗塞を発症すると、昨日まで可能であった何かが不可能になります。その代表的な症状は
①片マヒ ②半身の感覚障害 ③運動調整機能の失調 ④失語症 ⑤嚥下障害 ⑥左半身空間無視 など

 

 

欧米では、すでに10年以上前からおこなわれている t-PAによる血栓溶解療法が、2005年より日本でも認可されました。臨床試験の成績では、t-PAを使うと約40%の人がほとんど障害のない状態にまで回復しました。しかしよい薬には副作用がつきものです。6~7%の人は出血を合併、”出血性脳梗塞”となり、症状はむしろ悪化してしまったのです。さらに、この薬を使うには、きびしい条件があります。

 

 

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”ペナンブラ”が存在するのは、発症早期のみです。そのため、t-PAが投与できるのは発症後、3時間以内だけです。t-PAの有効性を検証した研究では、発症3時間以内の投与でなければ有効性が認められていないばかりか、出血性脳梗塞の発生率が上昇してしまうこともわかっています。しかしながら、これらのきびしい条件を満たし、かつ危険性を理解していただける場合は、この薬の恩恵にあずからない手はありません。現時点では、脳梗塞を発症したあとに症状を劇的に改善させることのできる唯一の薬といってもよいからです。注射後、みるみるマヒがよくなっていく様子はまさに”魔法の薬”です。

 

 

脳梗塞が一般に、春から夏にかけて発症することが多いというのも、喉が渇いているのに水を飲まないと起きる脱水症状のせいなのである。

 

 

脳梗塞の疑いがでた場合、決して救急車を呼んではならない。救急車は地域によってお決まりの救急病院にしか患者を運ばない。救急隊員が経験上この人はA病院に行くといいね、と思っても手近のB病院にしか運ばないのである。だから、正解はあらかじめ通いなれた病院にマイカーかタクシーで乗りつけなさい。

 

 

塞栓に対する血栓溶解療法をする場合には、残存血流量、つまり麻痺している側(患側)の血流が35%以上、出来たら40%以上確保されているかどうか、を確認するということのようだ。

 

 

脳梗塞の発病を抑えるという意味では、風邪薬に使われるアスピリンが風邪薬の容量のはるかに少量で効果があることが証明されている。私も再発予防にこれを使っているが、少量で良いため、「小児用バッファリン」という名称の薬を朝食前に1錠飲むだけである。

 

 

脳梗塞の警告サインの症状があったら、ためらわずに脳神経外科か神経内科のある病院に急行すべきだ。
自分に「隠れ脳梗塞」が見つかっている人は、必ずあらかじめ病院を定めておくべきである。

 

3人旅も20回(正式には今回が第21回目)を迎え、今回は記念に泊りがけでということで
8月25、26日 1泊2日丹波・丹後の旅に出かけました。

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新名神を通り、京滋バイパスを通り京都縦貫道で、まずは丹波篠山です。
篠山城といえば明智光秀。大書院にも入館しましたが、謀反人だからなのか、町全体を通して光秀に関することが少ないのが残念でした。

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こんな美味しそうな栗、見たことがない。迷わず買い。6個500円でひとり2つずついただきました。

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お昼は「黒豆の館」でランチバイキングです。
大人気で入るのに30分以上待ちましたが、黒豆料理のおいしいことおいしいこと。
そばも黒豆そばです。それで1050円。安すぎるやろ!
篠山へ行ったら絶対おすすめのお店です。


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酒呑童子で有名な大江山近くにある元伊勢内宮皇大神社です。
元伊勢とは、現在の伊勢神宮へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社、場所のことです。

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少し危なかったですが天岩戸神社にもお詣りし、その後ろにある天の岩戸も拝んできました。

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次は今日の宿泊地である天の橋立へ向かいます。
リフトで天橋立ビューランドへ上り、股のぞき。
誰が考えたのかわかりませんが、股のぞきで見る天の橋立はすごく幻想的な感じがしました。

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宿 仁風荘にチェックインして、そこから歩いて天の橋立を散策します。
大学生の頃、友だちと来たことがある天の橋立。
もう30年以上も前で何も思い出せませんが、昔は廻旋橋が回転して船が通るのを待たされた記憶が蘇ります。今も回転するのかなぁ。

2日目は行きたかった舞鶴の引揚記念館へ
語りべのボランティアの方のお話についつい涙が…。
この舞鶴は私が生まれるわずか3年前の昭和33年まで、66万4531人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れてきたということです。

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引揚船が浅い引揚桟橋に接岸できないので、湾内で小さな船に乗り換えて南桟橋から日本の土を踏むと、そこには都道府県の旗を持った人が待っていたということです。

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引揚復元桟橋の前で3人の記念撮影。

福井県おおい町名田庄にある暦会館へ。

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東大寺の「お水取り」で一日を六つに分けて行法が行われるが、現在もその時刻を知るために「香時計」が使われ続けられているということです。

鯖街道を通って熊川宿。そこから楽しみにしていた木之本の「鯖の棒すし」で有名な「すし慶」。


このお店は天皇陛下が皇太子だった昭和56年においでになったということで、そのときの漆器が展示してありました。

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お店の方に「せっかく すし慶さんに来たのだから、鯖を多く食べたいと伝えて、5000円(もちろん税サ等がついてもう少しかかった)のおまかせでお願いします」と言って出していただいたのがこのお料理。

鯖寿司は高いので、あまり多く食べたことはありませんが、今までで食べた中で最高の鯖寿司だと思います。

次は30回記念で、また泊りがけをやろうと約束して帰路へ。
とても楽しい3人旅でした。
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あらすじ
四十を前に、突然会社を辞めた娘。映画とギャンブルに依存するダメな父。二人に舞い降りた奇跡とは―。壊れかけた家族を映画が救う、奇跡の物語。

 

ひと言
最近は新しい話題の本がなかなか借りられず、他の人のブログでおすすめの本になっていたこの本を借りた。
最近は気分的に落ち込むことが多いのだが、この本を紹介してもらって、元気をもらえた気がする。
特に映画好きの人には、たまらない本で、私からも絶対おすすめの一冊だ。

 

 

高校生の頃はよく映画館へ映画を観に行った。大阪の難波高島屋の正面のビル(今は「TOHOシネマズなんば」とかいう映画館らしいが)にリバイバルの映画を見せるテアトル銀幕のような名画座(名前は忘れてしまった)があって、1日5回上映(昔は入れ替え制ではなかった)の「小さな恋のメロディ」を2日計10回見に行ったことがある。あの頃は映画雑誌「ロードショー」(2008年に休刊)の女優人気No1がトレイシー・ハイドだったなぁ。「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンも一目惚れだったけど、このトレイシー・ハイドにも一目惚れで夢中だった。
最近はレンタルDVDで映画を観ることがほとんどだが、もし「ニュー・シネマ・パラダイス」が映画館で上映されるなら、絶対観に行こうと思った。

 

 

映画館が滅びないのは、その臨場感こそが、「娯楽」を追求した人類がようやく獲得した至宝だからだ。映画館は一級の美術館であると同時に、舞台、音楽堂、心躍る祭りの現場でもあるのだ。この世に映画がある限り、人々は映画館へ出かけていくだろう。家族と、友人と、恋人と……ひとり涙したいときには、ひとりぼっちで。人間の普遍的な感情、笑いや涙、恐怖や驚きが映画館にはある。ありとあらゆる人生がある。人間が人間である限り、決して映画館が滅びることはない。たまらなく心踊るひとときを求めて、人はきっと映画館に出かけていくのだ。(1)

 

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あらすじ
男に従属しないで自由に生きる女を支えているものは何か?情熱の純粋さにいのちを賭け、より多く愛し、より多く傷ついた著者の半生が語りかける愛による人生の意味の再発見。

 

ひと言
図書館でこの本の「はじめに」を何気なく眺めていたとき、その最後に書かれている
多く愛し、多く傷ついた魂にこそ浄福を。」という言葉に目がとまった。
浄福…信仰によって得られると信じられている幸福。
後の解説によれば、この「ひとりでも生きられる」を刊行した後、その年(昭和48年)のうち、五十一歳の瀬戸内さんが「寂聴尼」の法名によって仏門に入られたということだ。

 

 

眠っていた獣は、出逢いの神秘さに永い眠りをよび覚まされ、本来の野性の血の高まりを思いだし、自分をとりまいている平穏という銀の檻のもろさを自覚する。……。こんな自由を忘れ、どうして今まで生きられたのか不思議に思う。……。気がついた時、檻を出た獣は傷だらけになって見捨てられている。その時、傷ついた獣は昔の銀の檻の中の平安とかったるい日常性のおだやかさをなつかしみ、烈しい悔いを感じて泣くだろうか。運命的な出逢いを呪い、あの出逢いがなかったならばと自分の軽率を恨むだろうか。……。人は出逢いの神秘と威力を怖れて、出来るかぎりそれをさけ、その猛威の前から身を守って暮らすのが賢明だろうか。それとも、人のふみ固めた標識ばかり立った大道を昼間を選んで歩き、出逢いをやりすごすことにのみ意を使って暮らすのが聡明だろうか。それもひとつの生き方にはちがいない。しかし、出逢いの出逢いたるゆえんは、そういう慎重な要心にもかかわらず、やはり、雨や風のように不可抗力的におそいかかることにあるのだ。……。
この一度きりしか味わえない人生で、ひとつでも多くの心にかかる出逢いにめぐりあうことは、決して不幸ではないと信じるからだ。万一、ひとつの出逢いにめぐりあったばかりに、その人の運命が思いもかけない波乱の中に投げこまれ、生活の秩序がかき乱されてしまったとしても、長い目で見た場合、そういう人は、その出逢いをさけたところでまたもうひとつの似たような出逢いに逢う運命に置かれていたことに気づくだろう。
大切なのは出逢いによってもたらされる、得とか損とかいう決算勘定ではなく、ひとつの出逢いがひとりの人の人生に、どれほど深い想い出を刻みつけ、物を感じさせ、考えさせ、自分のエゴと他人のエゴとのかかわりあいのきびしさを思い知らされたかということにあるのではないだろうか。
(本章5 自分のしるしを刻みつけたい人は)

 

 

瀬戸内さんが「傷つくこと」を積極的に肯定し、それをむしろすぐれた≪情熱≫のあかしとしている点です。愛とはつまり、いのちの真のよろこびを得るための闘争、生きて闘うことそのことにほかならない――だから傷つくのが当然だ。――そういう明確な自覚と鮮烈な意志があってこそ、愛の自由の実践は、得がたい光彩を帯びてきます。(解説)

 

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あらすじ
不慮の死を遂げた人々を“悼む”ため、全国を放浪する坂築静人。静人の行為に疑問を抱き、彼の身辺を調べ始める雑誌記者・蒔野。末期がんに冒された静人の母・巡子。そして、自らが手にかけた夫の亡霊に取りつかれた女・倖世。静人と彼を巡る人々が織りなす生と死、愛と僧しみ、罪と許しのドラマ。
「その人は、誰を愛したか、誰に愛されたか。どんなことで人に感謝されたことがあったか」。静人の問いかけは彼を巡る人々を変えていく。家族との確執、死別の葛藤、自らを縛りつける“亡霊”との対決、思いがけぬ愛。そして死の枕辺で、新たな命が…。静かな感動が心に満ちるラスト。
(第140回直木賞受賞作)

 

ひと言
上下併せて約650ページ。読み終えた後、何も考えられないような空っぽな心の状態になった。昔読んだ本の言葉
「人間は、二度死ぬんだ。一度目は、身体が死ぬ時。二度目は、死んだその人の事を、誰も思い出さなくなった時。その時、人は本当に死んでしまうんだ。……」
を改めてかみしめてみる。静人が母・巡子の所に戻らなかったのは、静人が生きている限り、静人の心の中で巡子は生き続けていられるからなのだろうか。

 

 

「…。亡くなった一人一人がこの世界に生きていたということを、できるだけ覚えていられないかと思っている。覚えて、何になるかなんて、いまはわからないよ。それを知るためにも、つづけたいんだ」
(第五章 代弁者)

 

 

「…。旅に出た三年目に、或る人が言ってくれました……大切なのは、つづけることだろう、と。それで吹っ切れました。いろいろなことに柔軟でいい、でないと、つづけることができなくなる、と。だからいまは、……」
(第六章 傍観者)

 

 

おまえを<悼む人>にしたものは、この世界にあふれる、死者を忘れ去っていくことへの罪悪感だ。愛する者の死が、差別されたり、忘れられたりすることへの怒りだ。そして、いつかは自分もどうでもいい死者として扱われてしまうのかという恐れだ。世界に満ちているこうした負の感情の集積が、はちきれんばかりになって、或る者を、つまりおまえを、<悼む人>にした。だから……おまえだけじゃないかもしれない。世界のどこかに、おまえ以外の<悼む人>が生まれ、旅しているのかもしれない。見ず知らずの死者を、どんな理由で亡くなっても分け隔てることなく、愛と感謝に関する思い出によって心に刻み、その人物が生きていた事実を永く覚えていようとする人が、生まれているのかもしれない。だって、人はそれを求めているから……。
(第七章 捜索者)

 

 

(…。誰かのためにね、その人のためになら、自分が少しくらい損をしてもいいって思えたら……それはもう、
愛でいいのよ。)
(エピローグ)

 

7月28日(日) 今回は、奈良の飛鳥(明日香)をレンタサイクルで巡る旅です。

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飛鳥駅前でマウンテンバイクを借りて、先ずは高松塚古墳へ。昭和47年3月、私が小学6年生のときだったと思いますが、すごいブームになった40年以上前のことが思い出されます。

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次は聖徳太子生誕の地、謎の「二面石」がある橘寺です。観音堂の如意輪観音さまの表情がとてもやさしくこちらに語りかけてきてくださっているようでとても心が落ち着きます。橘寺をバックに記念撮影。

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次は蘇我馬子の墓と伝えられている石舞台古墳です。今まで何度となく見たことのある石舞台ですが、内部が空洞になっているとは今の今まで知りませんでした。やっぱり実際に行って見て、自分の目で確かめるということはとても大事なことだなぁと思いました。

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自転車で少し南に行った所にある マラ石にまたがり記念撮影。

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ここから次の岡寺までの坂道がかなりきついです。24段変速のマウンテンバイクだからよかったけれど、普通のママチャリだと押して歩かないと行けないと思います。
自転車で走り周っている間に、ペットボトルの水やポカリを全部で5本も飲みましたが、岡寺までと岡寺に着いてすぐとで2本を飲んでしまいました。

岡寺の如意輪観音さまは我国最大の塑像で如意輪観音としては最古です。日本最初の厄除け霊場で、西国三十三ヶ所の第七番札所にもなっており多くの方がおまいりされていました。

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「梵鐘を撞いてもよい」ということなので、思いを込めて力いっぱい撞かせていただきましたが、とても心地よい響きと余韻でした。こんなに心地よい響きに触れるのは久しぶりです。岡寺へ行かれる方は是非この梵鐘を撞いみてください。

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岡寺からは車道を一気に坂を下りキトラ古墳の展示コーナーのある飛鳥資料館へ向かいます。8月18日~25日、最初で最後のキトラ古墳の石室の一般公開があるそうです。天井の天文図がとてもきれいでした。

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次は596年に創建された日本最初の寺である飛鳥寺です。609年鞍作鳥によって造られた日本最古の仏像の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)。お寺の方から丁寧に説明していただきましたが、「私たちが記念写真を撮るとうれしいように、この飛鳥大仏も写真を撮ってもらうと喜ばれれます。どうぞお写真をお撮りください」というお言葉にびっくりしました。一瞬、隣の方にシャッターを押していただいて飛鳥大仏さまとツーショットも考えましたが、あまりにも恐れ多いので思いとどまりました。

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レンタサイクルなので他にも亀石や鎌足の産湯の井戸、天武・持統天皇陵などなど多くを見て、とても充実し疲れた1日となりました。家に帰って体重計に乗ると76.4kgになっていました。
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あらすじ
太平洋戦争が始まる年、許婚の父を訪ねて18歳の母は単身、朝鮮から日本に渡った。熊本で終戦を迎え、「在日」の集落に身を寄せる。そして、祖国の分断。正業に就くことも祖国に還ることもできない。貧困に喘ぎながら生きることに必死だった他の在日一世たちとともに、忍従の日々を過ごす。ひたむきに、「家族」を守るために―。かけがえのない母の記憶をたどり、切なる思いをつづった著者初の小説。

 

ひと言
父や母に対する想いは、日本も朝鮮もない。

 

 

知り合いの方のお父さんが脳梗塞で倒れられ、もう2か月も意識が戻らない。もちろん全快されることをお祈りしているが、どうしてもそれが叶わぬのなら、せめて最後に一瞬でも意識が戻ってお互い「ありがとう、幸せだった。ほんとうにありがとう」と声が掛けあえるようになることを心からお祈りしています。
 

 

 

「アボジ、オモニ、わかりました。二年の間離れていても、ふたりの思いが変わらないなら、一緒になることを祝ってくれませんか。もし離れていて、気持ちも離れていくなら、ふたりの思いはそんな程度のことなのだし……、その時は別れるようにします」わたしは居ずまいを正すようにしてマリコの方に体を向け、「マリちゃん、二年経ってふたりの気持ちが離れているなら、仕方がないね。でも、決してそんなことはないと確信しているよ」と告げた。マリコも大きく頷きながら、相づちを打つ素振りをした。「…………」
父と母は、しばらくじっと考え込んでいるようだった。そして母が重い口を開いた。「テツオ、わかったばい、お前の決心がよーわかった。アボジも、オモニも、お前が好きなら、どこん女性でもよかと。それこそ、黒でも白でも黄色でも、どんな肌の女性でもよかとたい。ばってん、イルボンサラム(日本人)とハングッサラム(韓国人)との間には、これまで言うに言われんいわれがあったと。若かひとたちが、それば引き摺って不幸になるのが辛かとたい。マリコさん、どうかそこんところはわかってね」(二十一 憂愁)

 

 

火葬場で炉の中に柩を入れ、最後に扉を閉じるその瞬間、下関の巫女の跡を継いだ息子が、突然、数珠を握りしめた手を大きく振り下ろしながら、「うーん、やぁー」と声を張り上げ、棺を見送った。それは、この世への執着を断ち切ってあの世へ旅立つよう、故人の決断を促しているかのようだった。傍らの母は、父に向かって呟くように語りかけていた。「あんた、ありがと、ありがと、あんた。幸せだったばい、ありがと、ありがとね……」
大粒の涙がポロポロとこぼれ、母の足元にポツリポツリと滴となって落ちた。(二十三 父の死)

 

 

テツオ、もうオモニの大切な人たちはみんな逝ってしもて、だーれも残っとらん。岩本のおっさんも、お前の叔父さんも、そしてアボジも……。淋しかねぇー。アボジがいなくなってから、ほんなこつオモニは淋しかったとよ。ばってん、マサオとテツオがおるし、それに孫たちもいて、幸せかもしれんねぇー。アボジが、亡くなる前、まだ意識があった時、オモニに『ありがとな、ありがとな、末永く元気でな』と言ってくれたとよ。そん言葉がうれしくて……。オモニは、アボジがいなくなっても、アボジのところに行くまで、元気で生きんとと思い返したとたい。ばってん、寿命があるけんね。もうそろそろじゃなかろか。だけん、お前に一言伝えておこうと思ったとたい。テツオ、オモニは幸せだったばい。苦労もしたばってん、よか人たちに出会えて。ばってん、オモニが気違いて人から言われとった時は、淋しかったねぇー。でもオモニが、祖先ば大切にせんなら、誰がするかてぇ、そう思っていろいろ法事をやってきたと。ばってん、もうそがんこつはこれからの時代はなくなっていくだろね。オモニたちは、昔からの仕来りば守ることで、何とか日本でも生きていけたと。もうこれからは、ニホンも、チョーセンもなか時代になるど。テツオ、お前はアボジやオモニが知らん世界ば教えてくれた。ようわからんばってん、そういう世界があることがわかったし、それだけでも字ば読めんオモニにはうれしかったとよ。テツオ、ありがと、ありがとねぇ――」
(二十五 ふたつの声)

 

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あらすじ
「あんた、本当は私のこと笑ってるんでしょ」就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺……自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす、書下ろし長編小説。
第148回(平成24年度上半期) 直木賞受賞


 
ひと言

 

「私ね、わかったことがあるの」瑞月さんは、理香さんの呼びかけを全く気にしない。
「最近わかったんだ。人生が線路のようなものだとしたら、自分と全く同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって」
瑞月さんはまっすぐに隆良を見つめている。
「生きていくことって、きっと、自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくことだと思うの」
隆良は立ち上がりかけた自分の体をどうしていいかわからないらしく、中途半端な姿勢のままそこにいる。
「今までは一緒に暮らす家族がいて、同じ学校に進む友達がいて、学校には先生がいて。常に、自分以外に、自分の人生を一緒に考えてくれる人がいた。学校を卒業するって言っても、家族や先生がその先の進路を一緒に考えてくれた。いつだって、自分と全く同じ高さ、角度で、この先の人生の線路を見てくれる人がいたよね」
まるで説得をするような瑞月さんの声は、誰も話さなくなった部屋の中を満たしていく。
「これからは、自分を育ててくれた家族を出て、自分で新しい家族を築いていく。そうすれば、一生を共にする人ができて、子どもができて、また、自分の線路を一緒に見てくれる人が現れる」
体が、左右に、上下に、小さく揺れているような感覚に襲われる。
「そういうことだと思うんだ。自分以外の人と一緒に見てきた自分の線路を、自分ひとりで見つめるようになって、やがてまた誰かと一緒に見つめる日が来る。そしてそのころには、その大切な誰かの線路を一緒に見つめてるんだよね」
 各駅停車の電車の中で、瑞月さんと、隣同士で座った。あの帰り道のことが、思い出される。
「だからこれまでは、結果よりも過程が大事とか、そういうことを言われてきてたんだと思う。それは、ずっと自分の線路を見てくれてる人がすぐそばにいたから。そりゃあ大人は、結果は残念だったけど過程がよかったからそれでいいんだよって、子どもに対して言ってあげたくなるよね。ずっとその過程を一緒に見てきたんだから。だけど」
瑞月さんは言った。
「もうね、そう言ってくれる人はいないんだよ」

 

 

―― 私ね、ちゃんと就職しないとダメなんだ。

 

 

「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。進路を考えてくれる学校の先生だっていないし、私たちはもう、私たちを産んでくれたときめ両親に近い年齢になってる。もう、育ててもらうなんていう考え方ではいられない」

 

 

―― 私のお母さん、ちょっと弱いんだよね。体っていうよりも、心が。

 

 

「私たちはもう、そういう場所まで来た」
電車の中で聞いた瑞月さんの声が、現実のそれと交差する。
「ギンジくんとの企画の話がなくなった、っていうさっきの言い方ひとつとってもそう。まるで自分とは全く関係のないところで話が消え失せたみたいな言い方したよね。何それ、そんなの、地球温暖化で南極の氷がなくなった、っていうニュースと同じじゃない。自分は何もしてないけど、何かの現象がきっかけでなくなった、って、そう言いたいの? したこともないくせに、自分に会社勤めは合ってない、なんて、自分を何だと思ってるの?会社勤めをしている世の中の人々全員よりも、自分のほうが感覚が鋭くて、繊細で、感受性が豊かで、こんな現代では生きていき辛いなんて、どうせそんなふうに思ってるんでしよ?」
隆良はその場から動かない。
「そんな言い方ひとつで自分を守ったって、そんなあなたのことをあなたと同じように見てる人なんてもういないんだよ。あなたが歩んでいる過程なんて誰も理解してくれないし、重んじてない、誰も追ってないんだよ、もう」
瑞月さんの言葉から滲み出る説得力が、この部屋にいる全員を、がんじがらめにしている。
「バイトのことを『仕事』って言ってみたり、あなたの努力が足りなくて実現しなかった企画を『なくなった』って言ってみたり、本当はなりたくてなりたくて仕方がないはずなのに『周りからアーティストや編集者に向いているって言われてる』とか言ってみたり、そんな小さなひとつひとつの言い方で自分のプライドを守り続けてたって、そんな姿、誰も知らないの。誰も追ってくれていないの」
誰も、と、言葉の輪郭をもう一度なぞるように、瑞月さんは繰り返した。
「隆良くんは、ずーっと、自分がいまやっていることの過程を、みんなに知ってもらおうとしてるよね。そういうことをいつも言ってる。誰かと知り合った、誰かの話を聞いた、こういうことを企画してる、いまこういう本を読んでる、こういうことを考察してる、周りは自分にこういうことを期待してる」
瑞月さんは息を吸う。
「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ。何度も言うよ。そうでもしないともう、見てもらえないんだよ、私たちは。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって」

 

自転車通勤にするまでは毎日、自転車に変えてからも雨の日や荷物の多い日にお世話になったムーヴが、7月5日(金)の通勤途中に突然調子が悪くなりました。

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仕事帰りそのままクルマ屋さんに持ち込みましたが、修理にかなりの費用がかかるということで、泣く泣く車を買い替えることになりました。

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約10年半 走行距離120689 km、事故や故障もなく安全に私たちを運んでくれて、ほんとうにありがとう♪。そして、永い間ほんとうにお世話になりました。123456kmになったらまたこのブログに載せようと楽しみにしていたのですが残念です。

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あと1週間ほどで新しい車が来ます。次のタントも事故なく、安全に私たちを運んでください。お願いします。
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あらすじ
学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む…。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。

 

ひと言
漱石の「行人」は今まで一度も手にしたことがなかったので、読んでみようと思った。最初はエンジンがかからずおもしろくないが「兄」の途中ぐらいからおもしろくなってくる。最後の「Hさんの手紙」は必要ないかもしれないと思った。

 

 

「正直な所姉さんは兄さんが好きなんですか、又嫌なんですか」自分はこう云ってしまった後で、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いて遣れない代りに自然口の方から出たのだと気が付いた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔を覗くように見た。「二郎さん」「ええ」この簡単な答は、恰も磁石に吸われた鉄の屑の様に、自分の口から少しの抵抗もなく、何等の自覚もなく釣り出された。(兄 三十二)

 

 

「男は厭になりさえすれば二郎さんみたいに何処へでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんか丁度親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植られたが最後、誰か来て動かして呉れない以上、とても動けやしません。凝としているだけです。立枯になるまで凝としているより他に仕方がないんですもの」(塵労 四)