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あらすじ
僕らは廃校が決まった東玉川高校最後の生徒。平凡な高校生として、それなりに楽しくやっていたのに、赴任してきた熱血中年非常勤講師・ジン先生のせいで調子がくるった。通学路で出会ったピエロさんの大道芸に魅せられた僕は、ジン先生の持ち込んだ迷惑な「ウイルス」に感染して…。思わぬところから転がり込んだ「セーシュン」、そして明らかになる、ジン先生の―トンタマ一期生の、過去。

 

ひと言
重松 清さんの作品は好きなんですが、この作品はあまり心に響きませんでした。

 

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あらすじ
奈良  室生寺・長谷寺・薬師寺・唐招提寺・秋篠寺・法隆寺・中宮寺・飛鳥寺・当麻寺・東大寺
古寺、名刹のある場所には、不思議なエネルギーがある。それを体で感じ、新しい命を悠久の歴史に思う。第一巻は古の都、奈良。小雪の舞う室生寺、聖徳太子の強く深い想いが込められた法隆寺、優しさをいまに伝える中宮寺の半跏思惟像、「苔の海」が輝く秋篠寺。著者の「百寺巡礼」の旅が始まる。

 

ひと言
図書館で Travel guidebook と一緒に借りて、一つのお寺を読んだら、すぐその寺のガイドブックを読むという形で読み進めたが、とても効果的だった。先日、室生寺に行ったとき室生草餅本舗で五木寛之「百寺巡礼」で取り上げられました。という張り紙があったが、確かにガイド版に紹介されていた。まだまだ訪れていないお寺にもいつか訪れたいと思った。

 

 

霊場を巡礼する人びとは、よく「同行二人」という言葉を菅笠などに記している。これは、観音巡礼の場合は、つねに札所の本尊がともに巡っているという発想だ。四国八十八箇所のお遍路さんの場合は、弘法大師との二人連れということである。だからこそ、一人でも巡礼の旅がつづけられる。このように、誰かと一緒、という感覚はとても大事なことだろう。誰かがつねに見ていてくれる、誰かの声が聞こえる。そんな目に見えない「誰か」をもつこと。それが、じつは宗教というものなのではなかろうか。(第二番 長谷寺)

 

 

「千日聞き流しせよ」この言葉で、佐伯定胤師はこんなふうなことを言われたのではないか、と私は想像する。仏教とは知識ではない。それは人間から人間へ、大事なことは毛穴からしみこんで伝わるものだ。だから、わからなくても、じっと自分の話を聞くがよい、と。……。……。理論だけなら書物を読めばいい。しかし、書物からは伝わらないことがある。あるいは、理屈ではない大事なものが人間の肉声にはある。顔の表情にも、声にもある。そういうものを感じとっていく。理解するだけでなく、感じるのである。このことも、人間にとっては大事なのだ。もし、〈面授〉が大事にされなければ、人間は大切なものをなくしてしまうのではなかろうか。(第六番 法隆寺)

 

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あらすじ
土門拳が心血を注いだ最高傑作、室生寺山あいに静かに息づく室生の里、弘仁期を代表する建築と仏像群。昭和14年暮れ、はじめての室生寺との出会いが、土門拳のいつ果てるともない「古寺巡礼」の長い旅路の原点だった。土門拳の室生寺への撮影行脚は数えきれない程続き、昭和53年ついに念願の雪の室生寺を車椅子に乗って撮影。土門拳が心血を注いだ最高傑作「室生寺」が、ハンディサイズで登場。

 

ひと言
先日、室生寺を訪れる機会があり、図書館でこの本を借りた次の日の12月10日、名古屋では雪が積もった。何かすごく運命的なものを感じる。室生の里には今日雪は降ったのだろうか。土門拳が39年待ちわびた1978年(昭和53年)3月12日の歓喜の雪。そうか、この日は東大寺二月堂修二会、お水取りの日だ。
翌年9月に脳血栓を発症し昏睡状態に、11年の昏睡状態を経て1990年9月15日死去。
脳出血の後遺症のため助手に背負われ、左手でシャッターを押したと言われている「雪の鐙坂 金堂見上げ」。
土門拳の執念の写真を合掌しながらじっと眺める。

 

 

(注) 鎧(よろい)坂が正しい名称ということですが、土門さんの写真集には鐙(あぶみ)坂とあります。土門さんのお写真の名前ですので鐙坂を使わせてもらいます。)

 

 

ぼくは昭和十四年(一九三九)の晩秋に室生寺にはじめて行って以来、四季折々に何十遍、室生を訪ねたことであろう。しかし、どういうものか雪の室生寺には一度も出会うことはなかった。当時の住職荒木良仙師が云った言葉に、「全山白皚々(はくがいがい)たる雪の室生寺が第一等であると思う」とあるように、ぼくはどうしても白皚々たる雪の室生寺を撮って入れなければ、気がすまなかった。
……。……。 
その日は三月十二日だった。朝、ぼくはまだ床の中でうつらうつらとしていた。いつもと違うひきいれられるような寺の鐘の音に、ぼくはもしやと思っていた矢先、廊下をバタバタと走って来る音が聞えた。女将の初代さんが寝巻姿のまま部屋にとびこんできた。「先生、雪が……、早く起きて下さい」とぼくの手を引っぱった。「降りましたか」とぼくは大声で叫ぶと、すぐ助手に廊下のカーテンとガラス戸を開けさせた。するとまだ薄暗い空間に横なぐりに雪が降っていた。ぼくと初代さんは「とうとう雪が降りましたね」と互いに手をとりあってうれし泣きした。ぼくの待っていた雪はさあーっと一掃け、掃いたような春の雪であった。ぼくは荒木良仙老師が四十年前に云った白皚々たる雪の室生寺をついに見た。そしてついに撮った。 どんなに淡く薄くあろうとも、そして午前十時頃にはあとかたもなく消えてしまった雪であろうとも、ぼくは雪を、室生寺の雪を撮ったのだ。 

 

 

待ちこがる 雪降りきたり 思わずと 手を握り合う 水取りの朝

 

 

これは撮影を終えて帰ってきたぼくに、女将の初代さんがはなむけにつくってくれた和歌である。
(ぼくの古寺巡礼 室生寺(二))

 

 

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          (雪の鐙坂 金堂見上げ)

 

12月5日 第19回目の今回の3人旅は、滋賀の逢坂の蝉丸神社(3社)から始まり、また あまり人が行かないような所を巡りました。

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少し遅い昼食になりましたが、東近江市の五個荘にある「秀明庵」で2750円のランチ。

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滋賀県東近江市五個荘川並町713  0748-48-6193 定休日 月曜日
11:00~14:30(L.O.14:00) 17:00~22:00(L.O.20:00)(要予約) 

お店は築160年の素敵な古民家です。

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ウエルカムドリンクでお抹茶と甘納豆のおもてなし。

料理がおいしいのはもちろんですが、細かいところにまで気配りされていて、

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時間がゆったりと流れる素敵なお店です。

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他の人には内緒にしておきたいお店ですが、こちらの方に遊びに来られたときはおすすめのお店です。

その後、近江商人屋敷3館を拝観して、


今から約1400年前の推古2年(西暦594年)、推古天皇の摂政であった聖徳太子がこの地を訪れた際に、太子の馬が池に沈んで石と化していたという言い伝えから名付けられた石馬寺へ。


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訪れる人もなく静かで紅葉がとてもきれいでした。

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聖徳太子直筆『石馬寺』三文字の木額が大佛宝殿に安置されてあり、役行者腰掛像や十一面観音菩薩立像も拝観させていただきました。

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石馬寺の石段を降りた頃には日没サスペンデッド。

サスペンデッドなので、再び石馬寺と 行けなかった教林坊、観音正寺の
繖(きぬがさ)三観音もいつか訪れたいです。

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12月2日 先週の吉野に続き、今週は 室生寺 長谷寺に行きました。

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名張で乗り換えて室生口大野駅からバスに乗ってまずは女人高野の室生寺です。

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鎧坂から見る紅葉。この坂の両脇の石楠花が咲く頃にも是非訪れてみたいものです。

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金堂の釈迦如来立像(国宝)の光背の七仏薬師や宝相華・唐草文がほんとうに鮮やかで感動ものでした。


奥の院の納経所の中村 一誠さんに会いに行きます。



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「室生草もち本舗」で草もちを1つ買って食べました。
よもぎの風味がしっかりと残っていて美味しい。おみやげに6個

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室生寺から今シーズンは今日で最後の直通バスで長谷寺へ向かいます。

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ちょうど修行僧の方々がはしごをかけて千社札を剥がされていました。きれいになった登廊

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長谷寺の登廊(全長200m 399段の石段)を上って行く途中、写経道場でお抹茶がいただけるということで一休み

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中登廊を上った右手に蔵王堂。金峯山寺の本尊 蔵王権現がお祀りされているので、お参りします。

結縁の五色線(仏の五つの智慧をあらわす白・赤・黄・青・黒の糸をより合わせた腕輪)をいただきました。

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12mもある十一面観世音菩薩の御足に触れて、上を見上げるとその大きさに圧倒されます。

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さらに、薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩、眷属の十二神将までもがすぐ近くでゆったりと見れて大満足です。

帰り、初瀬(hase)の交差点から長谷寺駅まで、また122段の階段を上ります。
1日中、石段の上り下りで疲れている体に、この階段はこたえます!。

うかりける 人を初瀬の 石段よ はげしかれとは 祈らぬものを

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今回の旅は石段・階段の上り下りの旅でした。

室生寺のしゃくなげ、長谷寺のぼたんが見頃になる4月下旬から5月上旬に、是非また訪れたいです。
720段の石段を上った所にある女人高野 室生寺の奥の院。
空海を祀る奥の院の納経所に14年間、毎日のように通う人がいる。
1936年(昭和11年)生まれ76歳の中村 一誠さんだ。

 

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(上の記事は「まほなび」の一部です。是非 下のリンクから全文をご覧ください)

 

 

奥大和の情報サイト『まほなび』で中村さんのことを知り、12月2日お会いしに行った。
受付で「今日も中村さんは、奥の院に上がられてますか」とお尋ねすると、「はい、上がられてます」ということ。
杖をお借りし、「毎日、中村さんはこの急な石段を上られているんだなぁ」と思いながら一段一段噛みしめるように上った。

 

 

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五重塔の脇を通り残り約400段、急な石段が果てしなく続く。
香川の金毘羅さんは本宮まで786(なやむ)-1の785段。
喜寿に近いお歳でそれもほぼ毎日、14年間も…。それがいかに大変なことかを身をもってかみしめて上る。
石段を上りきると納経所の中に中村さんのお姿がみえる。先に御影堂、位牌堂にお参りをして、納経所へ。

 

 

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「まほなび」を見させていただきました。と話しかけて御朱印帳をお願いすると、訪れる者の心が和まされるような笑顔でこちらに話しかけてきてくださいました。
「いつまでもお元気で…」と声をかけ、握手していただいて、名残惜しそうに立ち去ろうとすると、「お茶のんでいき」と納経所からお茶をお盆にのせて出てきてくださいました。

 

 

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お話では、2日前の11月30日NHK BSで中村さんのことが放送されたということでした。
(これは中村さんからお伺いしたことではなく、自分で調べたことで未確認なことですが、再放送が12月5日(水)の午前8時~9時 BSプレミアムの『新日本風土記』ではないかと思われます。違う番組であったらごめんなさい)。
他にも 土門 拳さんとのこと、有名な芸能人(名前は伏せさせていただきます)の方が御朱印をいただきにきたこと などなどたくさんお話しをうかがいました。
そして室生寺がお配りしている日本手ぬぐいや裏にNHK BSテレビ放送記念 平成二十四年十一月三十日 中村一誠氏書と裏書された色紙までいただき、厚かましくも御朱印帳に私の名前と中村さんのサインを書いてくださいという勝手なお願いにまで笑顔で応じてくださいました。

 

 

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このブログは個人的な楽しみ、親しい方々への近況報告として続けているのですが、この記事だけは、「ブログ楽しみにしています」と言っていただき、お写真の掲載もOKしていただいた中村さんに見ていただきたいと思ってアップしました。
そしてこの記事を目にした人が、「そうだ 室生寺、行こう。」と思っていただければ幸いです。
「上がってきてよかった」お参りにきてくださった人に、喜んで帰っていただきたい。訪れた方が室生寺や奥の院、室生の里のことを家族や友人に話してもらいたい。と願われている中村さんの少しでもお役に立てればと思っています。
そして、もし室生寺に行かれたなら、奥の院まで足を延ばしてください。そこには弘法大師のような笑顔でみなさんが来るのを待っている中村一誠さんがきっとおられると思います。

 

 

 

追記 2024.11.26 YouTube から あなたの動画は著作権侵害による

削除通知があったという連絡があり残念ながら削除されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あらすじ
40年前に「世界のオザワ」と言わしめた中田よりもイチローよりもスゴイ挑戦。「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土地、そこに住んでいる人間をじかに知りたい」という著者が、スクーターでヨーロッパ一人旅に向かったのは24歳の時だった……。ブザンソン国際指揮者コンクール入賞から、カラヤン、バーンスタインに認められてニューヨーク・フィル副指揮者に就任するまでを、ユーモアたっぷりに語った「世界のオザワ」の自伝的エッセイ。

 

ひと言
本を読み終えて、2010サイトウ・キネン・フェスティバル松本でチャイコフスキーのセレナード ハ長調 作品48 の第1楽章を指揮する小澤征爾さんのビデオを見ました。来年の2月末まで指揮活動の中止を発表されている小澤さん。来年2013の夏 サイトウ・キネン・オーケストラを元気に楽しそうに生き生きと指揮される姿を心待ちにしています。はやくお元気になられることをお祈りしています。

 

 

親交のあった板垣征四郎の征、石原莞爾の爾をもらって三番目に生まれた赤ん坊に征爾という名をつけたのだそうだ。(日本を離れて)

 

 

ぼくはある日、パリの教習所を訪れた。しかし初歩からレッスンを受けていたのでは時間もひまも金もかかる。ぼくにはとてもそんな余裕はないので、教習所の教師に、「オレは日本の免許証は持っているから、なんとか簡単にフランスの免許証がもらえるようにはからってくれ」と、たのんでみた。免許証の代わりに、学生証か米の通帳の古いのでも見せればいい。写真と何か日本語が書いてあれば、どんな物でも大日本国自動車免許証になる。国際語でない日本語の利点だ。(棒ふりコンクール)

 

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あらすじ
傭兵飛空士・シャルルは、流民上がりである自分が未来の皇妃ファナを本国まで送り届けるという荒唐無稽な指令に我が耳を疑った。圧倒的攻撃力の敵国戦闘機「真電」が、シャルルたちの搭乗する複座式水上偵察機「サンタ・クルス」に襲いかかるなか、ふたりは無事本国まで辿り着けるのか? そして、飛行中に芽生えたシャルルとファナの恋の行方は――!?  蒼天に積乱雲がたちのぼる夏の洋上にきらめいた、恋と空戦の物語。

 

ひと言
本の帯の 2008年Amazonエディターランキング1位 2009大学読書人大賞2位 「奇跡のように美しいラストシーン!」という言葉につられて、とうとう最後まで読んでしまったが、特に感想はない。この本を読んだという事実だけをここに記す。

 

11月24日 名古屋7:10発の近鉄特急に乗り、吉野の金峯山寺に行きました。

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ロープウエイで吉野山駅まで上がるとちょうど10:40発のバス(満員)に乗ることができてラッキー♪。

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奥千本口のバス停に11:05到着。さあ、ここからは5時間近くずっと歩きです。

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いきなり目の前に金峯神社へ続く結構急な坂道。

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神社にお参りして、左の義経の隠れ塔へ、右の坂を上っていくと西行庵です。

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西行庵までの道のりはけっこう急な山肌を降りて行きます。

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少し紅葉の時期を過ぎていましたが、モミジの絨毯に覆われた奥千本の西行庵。

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最近、名水にハマっているので、持参した500mlのペットボトル2本に苔清水を戴きました。

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途中の花矢倉展望台から一際大きく見える蔵王堂。
この吉野の山全体を3体の仏がお守りしてくれているんだと感じました。

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吉水神社境内の一目千本。後醍醐天皇もこの桜を眺めたのでしょうか

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吉水神社で「十六弁八重表菊紋」の御朱印と 平成13年に不審火で焼失した勝手神社の再建の一助にでもなればと思い勝手神社の御朱印をいただき、役 小角(えんの おづの)行者の像の前で座して合掌。

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お庭の「北闕門」での邪気祓所
九字真法『臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前』。早く覚えなきゃ

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さあ、待ちに待った金峯山寺 蔵王堂です。

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JR東海のCM『いま、ふたたびの奈良へ。』を見てずっと、行きたいと思っていた金剛蔵王大権現とご対面です。

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圧倒的弩迫力。来てよかった♪♪♪

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あらすじ
戦闘機パイロットの夢を不慮の事故で断たれた空井大祐が、転勤先の防衛省航空自衛隊航空幕僚監部広報室で出会ったのは、記者の夢を断たれ悶々としていたテレビディレクターの稲葉リカだった。大の自衛隊嫌いのリカの言葉に刺激されながら、空井は、少しずつ新しい夢を追い始める。  広報という「お仕事小説」としても、自衛隊ラブコメとしても楽しめます。また、書き下ろしの「あの日の松島」は、3.11の松島基地が舞台です。涙なくして読めません!

 

ひと言
自衛隊3部作(「塩の街」「空の中」「海の底」)、「クジラの彼」の有川 浩さん。
本の帯に「あの日の松島」を書き下ろした という言葉を見ては、462ページ もう読むっきゃないでしょ。
読み終えた後、昨夏(2011)に刊行される予定だったこの本が刊行延期になったいきさつを調べてみた。

 

 

『当時は東日本大震災による自衛隊の災害出動まっただなか。震災を避けては通れないが、過剰にドラマティックに描いて、自衛官をヒーローにしてしまうのも受け入れがたかった。それでは、「取材相手の気持ちと反する物語になってしまうから」。有川は自らの意思で、刊行延期を出版社に申し入れた。その結果、一年を経て最終章「あの日の松島」が書き下ろされることになり、感動必至のエンディングが誕生したのだ』
(週刊文春 2012年9月20日号より)

 

 

「でっ……でも、国民の血税で賄われた装備品を商品なんてふざけた言い方っ……」何だか枕詞みたいだな、と空井は『国民の血税で』という言葉を頭の中で転がした。自衛隊に係る枕詞です、テストに出ます(配点は20)。(1.勇猛果敢・支離滅裂)

 

 

「おまわりさんや消防士は小学校の教科書から出てくるのに、自衛隊が初めて教科書に出てくるのは中学校の公民からだぞ。基礎点がそもそも違う、公の場で既に日陰扱いなんだから」(2.はじめてのきかくしょ)

 

 

「僕たちに肩入れしてくれる代わりに、僕たちの活動が国民の安心になるように伝えてほしいんです」虚を衝かれた。取材対象である彼らに寄り添うことばかり考えていた。どうして報道がもっと彼らに寄り添えないのか歯痒く思うばかりだった。その思い入れの向きを、空井の言葉はそっと正した。背中に手を添えられたような気がした。「……。……。僕らが冷たい缶メシを食べていることをクローズアップするんじゃなくて、自衛隊がいたら被災者は温かいごはんが食べられるということをクローズアップしてほしいんです。自衛隊は被災地に温かい食事を届ける能力があるって伝えてほしいんです。それはマスコミの皆さんにしかできないことです」(あの日の松島)