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あらすじ
不意の出会いはありうべき未来を変えてしまうのか。ふつうの家庭、すこやかなる恋人、まっとうな母親像…。社会の「かくあるべし」を質してきた著者の真骨頂。30代の選択を描き〈生活〉の意味を問う長篇。

 

ひと言
いつもながら尋常じゃない家庭の人間関係を描く角田さんの本。嫌悪感を感じたり、途中で読むのを止めようと何度も思うのだが、いつも最後まで読んでしまう。どういう人生を歩んできたらこういう作品を書けるようになるのだろう。どうしてこういう角田さんの作品を読みたくなってしまうのだろう。今回はどうしてこの本のタイトルが「月と雷」なのかわからなくて、ネットで調べてるうちに、すごく自分にはフィットした感想を書かれた方の文章を載せさせてもらいます。

 

 

これはひたすら不愉快なだけの話だ。だが、どんどん読んでしまう。彼らがどうなるのか、気になる。でも、最初からわかっている。どうにも、ならないのだ。彼らはずっとこのままだ。これまでもそうだったし、これからもそうなのだ。そして、その変えられない事実がまた、不快なのだ。かわいそうだ、なんて思わない。運命だ、なんて思わない。ただ、そんな人たちなのだ、と諦めるほかない。

 

 

そういう日々を、泰子はしあわせだともすばらしいとも思わなかった。最初からあったものだからだ。腕が二本あり指がそれぞれ五本ある、そのことにとくべつ感謝などしないのと同じに。(P37)

 

 

そういう女。触るなと書いてあるのに桃に触れてやわらかさをたしかめ、牛乳パックの日付を調べて奥から新しいものを取りだし、やっぱり要らないと思った鰺を精肉売場に戻し、食べもしないアメリカンドッグを詰め放題の袋が破けるまで詰めこむ、どちらかというと見なりや人の目にかまわない女。年齢より若く見えるどころか老けて見え、若いころはさぞや美しかっただろうなと思わせる面影もない。ただのおばさん。(P120)