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あらすじ
行方不明者の家族は遺族と呼んでいいのだろうか?東日本大震災から二年。いまだ行方不明者約二千七百人。娘を捜し続ける父、妻の勤務先に説明を求め続ける夫、親子二代で地域復興に頑張る経営者…行方不明者と共に生きようとする家族たちの想いを描いたヒューマンドキュメント。

 

ひと言
東日本大震災から明日で4年、毎月10日、今日 警察庁から発表された 行方不明者の方は2584名(死者数は15891名)
大切な人との別れは、誰もがつらい。でも大切な人が行方不明という、いつまでも心に踏ん切りがつけられない別れ、自分ならこんなつらい別れ方に耐えられるだろうか。
明日で4年目を迎える行方不明のご家族に、かけてあげる言葉も見つけられないが、1日でも早く、一人でも多くの方が、ご家族のもとに戻られることを心からお祈りしています。

 

 

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行方不明者の家族は、黄泉の国への旅立ちを送る人たちではなく、いなくなった相手を心のどこかで捜し続ける人たちである。そこには癒えない疵が生のままで残されている。私たちは「生者」と「死者」に二分してとらえるが、「行方不明者」という存在があり、その人たちとのつながりが続いていくなら、そこにはもう一つの現実があることになる。目には見えないけれど、心の中で確かに存在するものがあるはずだ。まだ帰らない人と共に生きていこうという家族が発しようとしているものがあるなら、それを受け止め、伝えていければと不遜ながら思った。
(はじめに)

 

 

家族の「最後の様子」も、周囲の人たちの話で分かってきた。地震の後、王太朗さんは児童館に汐凪ちゃんを迎えに行った。汐凪ちゃんは「じいちゃんが来た!」とうれしそうに飛びついて、手を振りながら出て行ったという。間もなく深雪さんも児童館にやってきたが、汐凪ちゃんは帰ったことを知らされると、家に向かったそうだ。三人は自宅で顔を合わせたと、木村さんは確信している。そこでどんな言葉を交わしただろう。
(第一章 自分で捜せない、大熊町の苦難)

 

 

「見つかるのはうれしいかって? いや、暗い気持ちになりますよ、出てくる答えは家族の死。その最悪の結果を突きつけることになるのだから、楽しいはずがない。好きになれない仕事だよ。でもやめるわけにはいかない。行方不明の人たちは、みんな帰りたいと思っているんだ。その人たちをこのまま放っておいていいわけがないだろう。見つけなかったら家族は遺族になれない。遺族になったらちゃんとお葬式もできるし、墓参りもできる。ちゃんと供養できることに意味があるんだ」
消防隊も自衛隊もいなくなった今も、毎朝田中さんが犬を連れて現場に出かける姿を見ると「ああ、まだ忘れられていない」と、少し元気を取り戻す家族がいる。「毎日捜している人間がいるから、正気を保っていられる人もいると思うよ。そういう人にとって、俺は最後の砦らしいよ」
(第一章 自分で捜せない、大熊町の苦難)

 

 

ナンバーから割り出して連絡を受けたYさんの遺族や親戚が見守るなか、きれいに洗われたYさん夫妻の遺体が姿を見せる。一部が白骨化していたが、顔まで見分けがつくほど生前の姿を留めた遺体に、親族たちは泣きながら抱き合い、見つかったことを喜んだ。Yさんの娘は「二人一緒にいられたんだね」と遺体に語りかけると、「ありがとうございました」と、門馬さんたちに深く頭を下げた。「ほっとしたのと同時に、これからも続けていかなくてはと改めて思いましたね」翌日、門馬さんはYさん夫妻の眠っていた地点に潜り、重しをつけた花束を沈めた。遺体が見つかる度に行う、門馬さんだけの儀式である。
(第三章 捜す人々)  

 

 

「子どもを失い、後を追ってもおかしくない時期も確かにありました」と裕美さんは語る。「家で布団をかぶったまま、一歩も外に出ない人生になったかもしれません。でも、そんなことをしてると、”いつまでもメソメソしてるんじやねえよ”と、娘に怒られるでしょう。行方不明というのは、周りの人たちもどう対応していいか分からないという感じになります。私たちの方が、窓を開けて行かないと。私たちが一日も早く立ち直らないと、娘がかわいそうだと思いましたね」
……。
死を認めることと、死者として扱うことは、イコールではない。瀬尾さん夫妻は、住苗さんがこの越喜来で元気に過ごしていることを信じている。それは心の現実である。心の現実が続く限り、佳苗さんは活き活きと生き続けるだろう。「必死に捜してくれなくても、会いに来てくれればいいよ、と娘が言っているような感じです。私たちがここまでこられたのは、彼女が姿を現さなかったからだと思います。姿を見ていたら、越喜来に再び来ることはなかったかもしれない。姿を見せないのが親孝行かなとも思います。一生懸命生きていれば、必ず会える時が来るでしょう。彼女はここにいるから、私たちは会いに来るのです」
(第四章 海に嫁いだ娘)

 

 

六月一一日、親戚皆が自宅跡に集まり、初めての供養を行った。皆が土台の上に花を供え、線香をあげ始めたが、麻野さんはどうしても花も線香もあげる気にはならず、独り、家の周囲をぐるぐると歩き続けるしかなかった。「それから毎月一一日には子どもたちや親たちと自宅跡にお参りに行くようになりました。でも、私はお花は供えられるけど、お線香はあげられないんです。今もそうですね。誰かにお線香を渡されたときだけ、形だけという感じでやっていますけど」
(第六章 子どもたちとここで生きていく)

 

 

「今、どこにいるのだろうと思いますね。毎日お線香をあげて拝んでいるんですが、思うのはどこにいるのか、ということです。骨の一本でも見つかってほしいと切望しているんですけど……。亡くなった時の光景を考えると、いたたまれないものがこみあげますよ。きっと尋常な苦しさではなかったろう。溺れたのか、何かに潰されてしまったのか……。今回のことは、いちばんの試練です」ヤス子さんの“今”をどうしても知りたくて、先日は妻の易寿子さんに遠野の巫女のところまで訪ねてもらった。そこではヤス子さんは寒いとも苦しいとも訴えなかったという。「ああ、水の中で苦しんで亡くなったわけではなかったんだなと思うと気持ちが安らぎました。…、どこかで穏やかにいてくれているようでよかったなと思いました」
(第七章 津波との因縁、親子二代の地域復興)

 

 

「今、どこにいる?」は“その人”とのつながりの原点を表す言葉かもしれません。
(あとがき)  

 

3月7日 第26回の3人旅は月ヶ瀬 観梅 柳生の里 そして笠置寺の旅です。

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名阪国道の上野東ICで降りて まずは「桔梗屋織居」さんで、小豆憧風(あずきとうふ)(一人あたり252円)と釣月(ちょうげつ)(140円)を店内でいただきます。
さすが18代 400年以上続く老舗だけあって、上質で上品な小豆のお菓子はとてもおいしかったです。

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上野ICから五月橋ICまで名阪国道に乗り、次は月ヶ瀬の梅を観に行きます。名勝月瀬梅林の石柱近くの駐車場(700円 満開の時は値段が上がると思います)に車を停めて歩きます。

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家族 親戚で中学生の時以来、40年ぶりの月ヶ瀬。ほとんど何も覚えていませんでしたが、途中 「あっ ここ歩いたの覚えてる!」と記憶がよみがえりすごく懐かしい気分に浸ることができました。

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今年は寒くまだちらほらとしか咲いていませんでしたが、おかげで土曜日なのに人も少なくゆったりと天神神社まで梅と景色のいい渓谷を見て歩くことができました。途中顔を出したふきのとうを見つけることもできました。

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盆梅を値切ってお値打ちにしてもらい、真福寺の自家製梅干し(300円)をお土産に買いました。


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梅一輪 一輪ほどのあたたかさ(服部 嵐雪)

お昼は神野山にある「 映山紅(えいざんこう)」で、山添村の特産「大和茶」を使った茶がゆ(760円)をいただきます。

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窓から広がる景色もよく 薪ストーブで暖められたきれいな店内 一期一会を感じる素敵なお店でした。

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次は柳生の里を巡ります。柳生宗厳(むねよし)(石舟斎)が修行中、天狗と試合をし、一刀のもとに切り捨てたところに2つに割れた巨石が残ったという逸話のある巨石、一刀石です。

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旧柳生藩家老 小山田主鈴の屋敷(1964年からは山岡荘八の所有、現在はご遺族から奈良市に寄贈)天保12年(1841年)に尾張の石工が築いたと言われる石垣の見事さ。これだけきれいに組み上げた石垣は見たことがないほど素晴らしいです。

しかし、柳生の里を歩いて巡ることを前提にしているからか、それぞれの見どころの近くに駐車場が整備されておらず、体の不自由な方や高齢者が見て廻るのには無理があります。

柳生家の菩提寺の芳徳寺の下に市営の有料駐車場(600円)がありますが、芳徳寺へは長い階段を登らなければならず、柳生を訪れるような年配の人たちはせっかく訪れたのにあきらめて帰ってしまう人もいると思います。

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階段を登ってみると駐車スペースがないわけではなく隣の社会法人の職員駐車場はあるし、車の登り口には車両進入禁止の標識が勝手につけてあり観光客が登ってこれないようにしてあり非常に不愉快な気分になりました。

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一生に一度かもしれない柳生を訪れる観光客におもてなし一期一会の気持ちをもう少し持ってもらえれば…。

次は 巨石信仰、ご本尊が弥勒磨崖仏である笠置寺です。笠置寺は東大寺の開山で初代別当(寺務を統括する僧)であった良弁和尚の雨乞いや、その弟子で「お水取り」の創始者とされる実忠和尚の観音悔過(かんのんけか)の法要が、笠置山の正月堂で始まり、「お水取り」の起源とも言われています。

一周約800mの修行場の「胎内くぐり」なども体験してきました。

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今回の旅の温泉は、笠置山を降りた所にある「笠置いこいの館 わかさぎ温泉」です。
結構ぬめりのあるお湯で、純重曹(炭酸水素ナトリウム)の池田温泉に次ぐぐらいの ぬるぬる感でとても気持ちのいい温泉でした。

名阪国道の名阪上野ドライブイン近くの「名阪茶屋」で伊賀肉の夕食をいただき、帰路につきました。

40年ぶりの月ヶ瀬の観梅と柳生、笠置の にびっくりの旅でした。
3月5日 午前休みを取って下の娘の中学校の卒業式に参列しました。

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上の娘のときは仕事が休めず参列できなかったので、どんな卒業式なんだろうと楽しみにしていましたが、とても素敵な卒業式で、PTA会長祝辞や卒業生答辞にはうるうるしっぱなしでした。

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諸先生方、お友達とその保護者の方々 そして子どもが安全にまた快適に過ごせるようにご尽力くださったすべての方々のおかげで今日無事に卒業することができました。
ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。

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あらすじ
本は、開くとき、読んでいるときばかりではなく、選んでいるときからもう、しあわせをくれるのだ。まるで旅みたい。読書という幸福な時間をたっぷりつめこんだエッセイ集。
読書名人・角田さんの読書という幸福な時間をたっぷりつめこんだエッセイ集。『私たちには物語がある』につづく(本をめぐるエッセイ集)第2弾! 宮沢賢治、ヘミングウェイ、開高健、池澤夏樹などの古典的な名作から現代作品まで、延べ80冊におよぶ本にまつわるエッセイがつまっています。

 

ひと言
大好きな作家の角田さんの読書エッセイ。読んだことがある本では、ふんふんと納得しながら。読んだことのない本のでは、すごく読んでみたいと思わせるような文章で読書へ誘ってくれる ほんとうに旅をしているような本でした。読んでいる途中、付箋だらけになって、どこをこのブログに書き残そうか迷いました。
にゃーごさんいい本を紹介してくれてありがとう。

 

 

 

小学生のとき、宮沢賢治の物語が好きで、卒業するまでに図書室にある童話集をすべて読もうと思っていた。布地の表紙の、ページの隅の黄ばんだ大判な本だった。すべて読めたのかどうか、思い出せないげれど、けっこうたくさん読んだ。大人になって読み返すと、こんなにもよくわからない話を子どもなのによく読んでいたなあと思う。でも、理解する、しないとか、解釈する、しないとかではなくて、ただ、情景を思い浮かべていたんだろうなあと思う。大人になった私にとって、宮沢賢治は、物語ではなく光景を描く人だ。うつくしい光景を言葉でつむいで見せる人。子どもの私はただ、その光景をうっとりと見ていたんだろうと思う。
(冬の光 宮沢賢治の童話)

 

 

 

近しい人が死んだとき、死というものをはじめて経験したとき、私たちは混乱する。それはまったく「意味がわからないもの」だ。今まで出合ったもののなかでもっとも意味のわからないそれを、私たちは受け入れなくてはならない。拒絶したり避けたりする選択肢はない。受け入れること、それしか私たちには許されていない。私たちは混乱し、かなしいと思うより先に泣き、受け入れざるを得ないそれを、のみこめず自分の内に転がし、転がすうち染み出てくる後悔の痛みに耐え、そうして、それほどの苦しみを人と共有できないことを知って愕然とする。同じように近しい人を亡くし、同じようにかなしんでいても、私たちはそれを分かち合うことができない。分かち合うことで軽減させることができない。その、絶望的なまでのできなさ加減にもまた、私たちは混乱するのである。
(湯本香樹実「春のオルガン」)

 

 

読みながら、私は幾度も思った。何かを失うということ、それはこんなにも人を傷つけるのだ、と。失うということは、希有なことではない。ふつうに日々を暮らしていたって、私たちはしょっちゅう何かを失う。だいじなものも、そうでないものも。生きれば生きるほど失うことに麻痺していく。何かをなくしても、たいしたことじゃない、と自分に言い聞かせる術を、私たちは知らず身につけていく。しかし、実際はそうではない。失うことは、慣れることのできるようなものではないし、麻痺してしまえるようなものではない。だいじなものを失えば失うほど、人は深く傷を負う。そのことを、私はこの小説を読んでいて思い出したのである。
(大島真寿美「水の繭」)

 

 

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あらすじ
本好きの作家がつづる、心躍る読書エッセー ひとりひとりの人生が重なり合い、関わり合っただれかの時間が縫いつなげられ、無限へ、永遠へと広がっていく。本が、物語がある世界とは、なんとすばらしいのだろう。この本は、まるごと物語にのみこまれることの至福に満ちた、すべての本とすべての本を必要とする人へのラブレターだ。著者は語る――「収録してある本はほとんどすべて、読みたくて読んだものであり、読んでみておもしろかった本ばかりだ。こんなにも世界にはたくさんの本がある。私はこれらの活字を追いながらじつに膨大な、幸福な時間を過ごしてきた。その幸福な時間が、この一冊には詰まっている」

 

ひと言
私の好きな角田さんのおすすめの本がたくさん紹介されていて、これからの本選びの参考になりました。
佐野洋子さんなどは、「佐野洋子のエッセイは中毒になる。一度読めばもっともっと読みたくなって、新刊が出れば飛びつくように買う。私は二十年も前から佐野洋子中毒者である。なぜか。この人のエッセイには本音しか出てこないからだ。私たちはこんなにも本音に飢えているのだと、佐野洋子の文章を読むたびに思う。」と書いてあり、今まで読んだことのない作家さんですが、角田さんが中毒とまでいうのだから読んでみたいという気持ちになります。他に

 

 

伊藤比呂美 「あのころ、先生がいた」 「女の絶望」
佐野洋子 「シズコさん」 「問題があります」
島本理生 「君が降る日」
鴨居羊子 「鴨居羊子コレクション1~3」

 

 

なども是非読んでみたいと思いました。

 

 

 

生きることは困難で厄介で理不尽で残酷なことだ、というのは、この作家の基本的な捉えかたである。太宰治の小説のなかで、生きることそのものがきらきらした何かであると書かれているものはないのではないか(遠く彼方にきらきらしたものを見ることはあっても)。この小説でもそうである。家は売らねばならず、スウプを美しく飲むお母さまは亡くなり、かず子は生活を突きつけられ、そしてどうしようもない既婚者に行き場のない恋をする。泥のなかにずぶずぶと入りこんでいく。けれどかず子ぱ、その泥のなかで顔を上げる。困難で厄介で理不尽で残酷な、「生きる」ことを受け入れる決意をする。
なんて強い小説だろう。この強さを二十年前はわからなかった。感動というのは、共感や共鳴とイコールだと思っていた十代の目には、わからなかったのだ。
(強い小説 太宰治『斜陽』)

 

 

 

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あらすじ
ほとんど取材を受けない高倉健が認めた貴重なインタヴュー集 初めて語った「何度も見た映画のこと」一言一句、僕のセリフへの想い日本人の心を射止めた「名言」分析「あなたへ」最後の映画俳優の演技ほか ファン待望の永久保存版「発言集」 1995年から2012年……。日本最後の映画俳優を追い続けた著者の18年の集大成が一冊に。健さんの仕事観、人生観、好きな映画まですべてがわかるインタヴュー集。

 

ひと言
来週の月曜日2月16日は高倉健さんの84歳の誕生日。なぜ覚えているかというと健さんのファンでもあるけれど、自分の誕生日の月と日の両方をちょうど2倍した日だから。
健さんも印象に残るセリフと言っているように、私が健さんのファンになったのは高校生のとき映画館で封切の「八甲田山」を観たから、上映効果なのかクーラーの温度調節がつぶれていただけなのか、夏に観たのにすごく寒かったのを覚えています。吹雪の中を行軍し、村の入り口で「中隊長殿、案内人を最後尾に」という進言に健さんが「いや、このままでいい」そして「気をつけーッ 案内人殿に対し、かしらー、右」すごくカッコよくて男の憧れでした。
この本を読んで、八甲田山の3年にも及ぶ撮影の無事を祈願して、成田山で、いちばん大好きなコーヒーか1日80本吸っていた煙草のどちらかをやめるから無事に終わらせてくださいと願をかけて煙草を止めたってことを知りました。

 

 

健さん、誕生日にはおいしいコーヒーを淹れるね。2人が大好きなコーヒーを一緒に飲もうね♪

 

 

 

それまで任侠映画のなかで彼が主に要求されていたのは立ち回りという体の動きを見せる芝居だった。ところが、静かな映画に出演するようになってから、彼が観客に伝えなくてはならないのは心の動きを見せることだ。自らが得意としていたものを捨てて新しいものに挑戦することはつらく、そして膨大なエネルギーがいる。しかし、彼が俳優として時代を乗り越えていくためにはどうしても必要とされる変化だった。
(Ⅱ「鉄道員 ぽっぽや」の撮影現場で)

 

 

 

<小林捻侍の話>主役と脇役の演技の違いですか?そうですねえ、僕の場合、脇役のときは簡単です。主役の人を好きになること。好きになって芝居をすれば自然とその人を立てるような動きになるし、ジャマにもならない。健さんと共演したときは僕は子犬ですよ。飼い主に対してじゃれついていくという感じ。うるさいな、と言われてもじゃれついていく。
(Ⅱ「鉄道員 ぽっぽや」の撮影現場で)

 

 

<降旗監督の話>健さんは抑制された演技で感情を伝えることができる。ふっと息を吐いただけで悲しい気分にさせることができる。それはすごいことだなあ。
(Ⅱ「鉄道員 ぽっぽや」の撮影現場で)

 

 

それでも映画のセリフのなかでいくつか忘れられないものはあります。たとえば「八甲田山」のなかで、農家の嫁をやった秋吉久美子さんが僕ら軍人を案内するシーンのセリフがそれです。暴風雪のなかをかよわい女性が先頭に立って、軍人たちを案内する。道案内を終えた秋吉さんにお礼をするために、僕が号令をかける場面があるんです。「全員、整列」「案内人殿に向かって、かしらー、右」一列に並んで敬礼をするんですが、あのときは出演者みんながジーンとしました。映画のなかでも印象に残るシーンなんです。つまり、あのセリフ自体は特別な言葉じゃないけれど、場面がいいからセリフが印象に残る。いいセリフとはいいシーンで使われるものなんじゃないでしょうか。
(Ⅵ 一言一句、僕のセリフへの想い)

 

 

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「あなたへ」では六歳年上の大滝秀治と会話をするシーンがあるが、撮影後、高倉健は感じ入ったように「大滝さんはすごい」と話していた。本人はこう語る。「この映画で大滝秀治さんが船頭を演じておられます。彼の言葉に『久しぶりにきれいな海を見た』というのがあって、台本を読んだ時、僕は『つまんないセリフだな』と思った。しかし、本番で大滝さんがおっしゃったのを聞いて、言葉の深さに気づいた。私たちが住んでいる所はさほど美しいわけじゃない。しかし懸命に生きている。生きているからこそ、この言葉が出たんだ、と」「僕が何十回台本を読んでも何も感じずにいたセリフを、大滝さんが話すと、一字も変えていないのに意味が出てくる。そろそろ役者をやめなきやいかんな、と考えていた時期でしたが、まだまだ一生懸命やるうと思い直しました」(朝日新聞朝刊 二〇一二・一・三〇)
そこで大滝秀治がしゃべったセリフは素っ気ない。感情をこめるように、テンション高く発したわけではない。しかし、役がしゃべると意味が出てくる。老船頭になりきった大滝秀治だからこそ意味を持たせることができたセリフだ。船頭の述懐を聞く高倉健の頭に浮かぶのは感動した気配だ。弛緩した表情ではなく、引き締まった頭のなかに相手役の演技に反応している姿が映る。彼が気を入れるのは主体的なシーンばかりではなく、相手の演技に感動してスイッチが入る瞬間がある。アップのシーン、相手役に感動を引き出されたときと並んで、もうひとつ、気を発しているのが、ここぞというセリフをしゃべり出す寸前である。自分の表現を優先する俳優はセリフをしゃべる段になると、ためらいもなく、セリフを発声する。だが、高倉健の場合はここぞというセリフをしゃべる前に一呼吸入る。口を開くまでにためらいが感じられる。大切な言葉をどういう声で言うのか、どういうトーンで話し出すのか、とっさに考えているように感じられる。彼にとっては言葉が発せられる前の沈黙が特有の演技なのだ。
(Ⅸ 「あなたへ」最後の映画俳優の演技)

 

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あらすじ
NHKラジオ深夜便で取り上げられた感動の書! 沖縄本島に無数あるガマ(壕)。戦後、何十年もの間、その洞窟に入って遺骨を掘り続ける人たちがいます。「沖縄の戦争は、まだ終わってはいない」と、戦禍を風化させない一心で、彼らはスタッフや費用の困難に向き合いながら、その作業を続けています。ガマのなかでアメリカ兵から身を隠して暮らし、ガマに爆弾や毒ガスを投げ込まれて息絶えた人々の存在を、生々しくいまに伝える痕跡。そのなかから、「すずり」「目覚まし時計」「アルバム」をめぐる現在と過去の物語を描きます。モノたちから浮かび上がってくるのは、運命的に助けられた命や最期の瞬間まで人間であろうとした命、そして、戦後何十年経ったあとで大切な家族の死に方に対面する人々の思いです。

 

ひと言
2014年6月に出版された本で、2011年7月 家族で沖縄へ旅行に行った時に訪れた旧海軍司令部壕やひめゆり平和祈念資料館で見たガマ(壕)のことを思いだしながら読みました。8月6日や8月9日に比べ、6月23日が何の日なのかはあまり知られていません。現代に生きる者の責任として、もっとこの悲惨な沖縄戦のことを多くの人に知ってもらい、2度とこのような悲惨な、被害者でもあり同時に加害者でもある沖縄戦を絶対に繰り返さないとの誓いをこの本を読んで新たにしました。
シマンチュ、カフー アラシミソーリ

 

 

五月十一日、ついにアメリカ軍は、首里城に向けて総攻撃を開始した。そのときすでに、沖縄の日本軍は約六万人の兵を失い、壊滅は時間の問題だった。五月二十二日、地下洞窟の司令部に集まった参謀たちは、一様に沈痛な面持ちを浮かべていた。「このまま首里城の司令部に立てこもり、最後の一兵になるまで戦い抜く」参謀たちは、みなそう考えているはずだった。そのため、ある参謀が言い出した次の作戦には、少なからず驚かされた。「われわれの任務は、一日でも長く沖縄で敵軍と戦い、本土決戦準備のための時間稼ぎをすることである。このまま首里城の地下洞窟に立てこもっていれば、短時間で負けてしまうだろう。われわれは一刻も早く首里から出ていき、南に十三キロほど離れた摩文仁に移動し、そこに新しい司令部をつくって戦うべきだ」当時の日本軍は、沖縄戦に勝利したアメリカ軍が日本の本土、つまり、九州、四国、本州へと上陸したときにこそ、最後の決戦に挑むと決断していた。そのためには本土での戦闘に向けた準備を進める時間が必要となる。そのために、首里城の司令部を他の場所に移して、できるだけ長い時間、沖縄でアメリカ軍の進撃を食い止めようと、この作戦を提案した参謀は考えたのだ。だが、そのような考えは、もっとはっきり言えば、本土決戦に備えるための時間稼ぎに、沖縄を犠牲にしてもやむを得ないということを意味していた。
(第一章 哲也の硯)

 

 

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石に刻まれた家族の名に
涙を落とす祖母
なんの形見も残っていない石に
声にならない声で
石をさすり
石をだきしめる
小さな声でとても小さな声で
「本当は話したくないサー」
少し首をかしげて
空を見上げる
人さし指の大きさの大きな傷
あごと左腕に残る
戦争の傷あと

 

 

祖母は傷の手当てをするために
水くみに行った
防空ごうに姉を残し 母と二人で
そのあとすごい光と音が…
そのまま姉はもどらなかった
「いっしょに連れて行けばよかった」
「ごめんね ごめんね」
と何度も何度も
きたときよりも
石を強くさすり
石を強くだきしめる

 

 

ぼくはもう声を上げて泣いていた
そして祖母の背中をずっとさすった
こんな青い空に
こんなおだやかな沖縄に
戦争は似合わない
祖母のくしゃくしゃな涙も
似合わない

 

 

そんな祖母はもう今は歩くことが
できない
毎日毎日空を見て
きっと
生きている喜び
生き残った悲しみを感じて
いるのだろう
ぼくは車イスをおして
祖母のいのりを引きつぐ
戦争のない平和な国を

 

 

真っ黒に日焼けした丸刈りの少年は、ひどく緊張した面持ちで一礼すると、「平和のいのり」と題する自作の詩を朗読した。二〇〇九年六月二十三日、糸満市摩文仁にある平和祈念公園の広場。沖縄は戦後六十四年目の「慰霊の日」を迎えた。全国各地から沖縄に集まった遺族は、ほとんどが高齢者だった。その厳かな雰囲気のなかで、詩というかたちで平和を伝えたのは、南城市立大里北小学校六年の比屋根憲太だった。詩のなかにある、彼の祖母が泣いたという場所、それは「平和の礎」の前を指している。刻まれた家族の名前の前で泣く祖母の姿を詠んだこの詩は、「第十九回児童・生徒の平和メッセージ展」で最優秀賞を受賞し、この年の沖縄全戦没者追悼式で発表されることになった。
(第三章 夏子のアルバム)

 

 

いままで隠してきたことを謝り、自分の姉であり、初美の母である夏子について、すべてを打ち明けた。
母の死は、初美にとって想像していたより悲しく、みじめなものだった。初美は泣いた。そして、本当は叔母だったとわかった紀子に、こう尋ねた。「母さんは、きれいな人だったの」「初美に似て、とてもきれいな人だったよ。私は姉さんみたいになりたかった……」「私、母さんの顔が見たい。写真はないの」紀子は言葉に詰まった。そして、怒りがこみ上げてきた。母をアメリカ兵に殺されたあの日、空っぽになった防空壕のことをはっきりと思い出したのだ。「戦争で勝った者は、なにをしてもいいのか!」と叫びたかった。「……姉さんのだけじゃなく家族の写真はね、戦争中にぜんぶなくなってしまったの……」初美は、それ以上、なにも言わなかった。それから数週間後のよく晴れた日に、初美は亡くなった――。
紀子の話を聞いて、ゴードンは頭を抱え、急に立ち上がったかと思うと、大声で叫んだ。「私はなんという過ちをおかしたんだ!」ゴードンの脳裡には、六十四年前の光景が鮮やかによみがえっていた。
……。……。
ハイスクールに通うゴードンの孫が、「もう、がまんできないよ」と憤って声をあげ、客の前だというのに自分の祖父に食ってかかったのだ。「おじいちゃんは、いつもいつも戦争で勝利したって自慢話をしているけれど、いいかげんによしてくれないか! このアルバムは戦利品なんかじゃない。沖縄の人の大切なアルバムを、おじいちゃんは盗んできただけじゃないか!その人は、家族の思い出を奪われたんだよ。そう思わないの?」孫はそう叫ぶと、会場から出ていった。
……。……。
私が沖縄でしでかした行為は、人として最低の行いでした。アルバムは、思い出の固まりです。そこに家族の愛や笑い声が詰まっています。自分の家族を振り返れば、そんなことは簡単にわかることです。しかし、私にはそれがわかっていなかった。それどころか、沖縄戦で日本人を傷つけたことを自分の強さの証拠であると信じて、この年まで生きてしまった。しかも、醜いことに、あなたのお姉さまのアルバムを材料にして、戦争の手柄を自慢してきたのです。孫に言われてから、そのことに気づきました。それ以来、私は、『このアルバムを手元に置いておきたくない。沖縄の持ち主に一刻も早くお返ししたい』と、そればかりを考えていました。そうしなければ、死んでも死にきれません。しかし、お返しするのがあまりにも遅かった……。初美ちゃんが生きているうちに、お母さんの写真を見せてあげたかった……」
(第三章 夏子のアルバム)

 

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あらすじ
主人公の永田一雄の前に、1台のワゴン車が止まったことからこの物語は始まる。ワゴン車には橋本義明・健太親子が乗っており、彼らはなぜか永田の抱えている問題をよく知っていた。永田の家庭は崩壊寸前。妻の美代子はテレクラで男と不倫を重ね、息子の広樹は中学受験に失敗し家庭内暴力をふるう。永田自身も会社からリストラされ、小遣いほしさに、ガンで余命いくばくもない父親を訪ねていくようになっていた。「死にたい」と漠然と考えていたとき、永田は橋本親子に出会ったのだ。橋本は彼に、自分たちは死者だと告げると、「たいせつな場所」へ連れて行くといった。そして、まるでタイムマシーンのように、永田を過去へといざなう。

 

ひと言
重松 清さん原作 日曜劇場「流星ワゴン」。第1話は見逃しましたが、第2話を見て すぐに図書館へ本を借りに行きました。貸出中じゃなくてラッキーでした♪。
親子(父と息子)を書かせたら重松 清と私が思うだけあって、3組の父と息子がうまく描かれていて、引き込まれるように一気に読みました。
ただ妻の美代子の設定とその経緯、その描写が不満で、ここは女を書かせたら角田 光代と私が思っている角田さんが書くとどういう設定や経緯になるのかなと思ってしまいました。
人は誰でも あのときに戻ってやり直せたらと思うような過去を持って生きている。過去は変えることができないけど、過去をもう一度見つめ直すことはできるし、その受け止め方は変えることができるんだってことだよね。

 

 

 

信じてる――。言葉では伝えられないから、頭のてっぺんに頬ずりするように広樹を抱いた。強く、深く、抱きしめた。僕は未来を知っている。未来が変わらないことも覚悟している。それでも――信じる。僕は、僕の息子が信じる未来を、信じる。息子が未来を信じていることを、信じる。腕を離すと、広樹は大袈裟なしぐさで足元をふらつかせ、「あー、びっくりした」と言った。「わけわかんないことしないでよ、あー、マジ、ビビった」「悪い悪い」と僕は笑って、もう行けよ、と手を振った。広樹は少し決まり悪そうにうつむいて、エレベータホールに向かって駆けだした。やっとわかった。
信じることや夢見ることは、未来を持っているひとだけの特権だった。信じていたものに裏切られたり、夢が破れたりすることすら、未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく幸福なのだった。(23)

 

 

 

「考えてみたら、墓いうて不思議なもんよのう。たかが骨のために、なして、ひとは高いゼニ出して墓を建てるんじゃろうのう……」「忘れられたくないからだよ、たぶん」僕は言った。考えて出した答えではなく、口が勝手に動いていた。
(24)

 

 

「なあ、ヒロ。一回だけやってみろよ」「かったるい」「一回だけだって、ほら」テーブルから赤いナイフを取って、広樹に差し出した。広樹は面倒くさそうにそれを受け取り、立ったまま、手近な穴に刺した。バネのはずれる音がして、海賊が跳んだ。広樹はびくっと身を反らし、一歩あとずさる。驚いた顔に笑みが浮かびかけた。すぐに眉を寄せ、顎を引いて、「むかつく」と吐き捨てた広樹に、僕は言った。「おまえの勝ちだよ」「なにが?」「海賊をジャンプさせるゲームなんだ、これは。ヒロは一発で当たりだったんだ」「なに言ってんの、ぜんぜん違うよ」「お父さんが決めたルールだ。勝ち負けなんて自分で決めちやえばいいんだから」「……わけわかんねえ」「もう一回やるか?」「やだよ、もう」「じゃあ、明日またやろう。ここに置いとくから、いっしょにやろう」広樹はなにも答えず、部屋を出ていった。「おやすみ」背中に声をかけると、ドアを抜けながら、小さな声で「うん……」と返事が来た。僕は樽からナイフを抜いて、ソファーに寝転がった。仰向けになって天井を見つめ、首筋がくすぐったくなって、笑った。
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あらすじ
この出逢いは、人生を変える。走るように、飛ぶように生きた三十五年の熱き奔流。子規と漱石。二人の友情は、日本の未来をひらいた。こんな友が欲しかった。こんな男に、側にいてほしかった。明治三十五年、子規の余命が尽きるまで、誰もが憧れた二人の交際は続く。子規と漱石の友情を軸に、夢の中を走り続けた人、ノボさんの人生を描く。小説家・伊集院静がデビュー前から温めていたのは、憧れの人、正岡子規の青春。野球と文芸に魅入られた若者の姿は、伊集院静の青春そのものだった。三十年にわたる作家生活の中で、ずっと憧れ、書きたかった。書かなければ、先には進めなかった。伊集院静が贈る、待望の、感動の青春小説!

 

ひと言
本を読み終えた後、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第7回「子規、逝く」のDVDを観ました。
「子規逝くや 十七日の 月明に」ドラマのように 虚子には、天に昇っていく子規の魂がほんとうに見えたのだろう。9月17日に生まれ 十七文字の俳句に尽力し 十七日の月(立待月)の日に旅立っていった子規。もう新暦の時代なのに糸瓜忌(9月19日)の十九ではなく子規へのオマージュを込めた十七にこだわった虚子。
ノボ(升)さん、短い人生だったけれど、漱石、虚子、碧梧桐、秋山真之、そして律や八重 すばらしい人たちに出会えた人生でよかったね。東京の根岸の子規庵は行ったことがないから、今度東京へ行ったときはノボさんに会いに行くね。

 

 

ノボさんは筆を手にとると新しい半紙を出して、そこに文字を書いた。″子規″とある。秉五郎がそれを見て首をかしげた。「シ、キ、と読む。時鳥(ほととぎす)のことじゃ。あしはこの初夏から名前を正岡子規とした。五月の或る夜、血を吐いた。枕元の半紙に血がにじんでおった。それを見た時、時鳥が血を吐くまで鳴いて自分のことを皆に知らしめるように、あしも血を吐くがごとく何かをあらわしてやろうと決めた。それで子規じゃ」秉五郎は″子規″の文字を見た。話を聞いて、秉五郎は泣きそうになった。それほどまでの思いで、この人は何かをしようとしている。
(血を吐いた。あしは子規じゃ)

 

 

漱石は以前聞いた、或る話を思い出した。「これは山に登る人から聞いたんだが、山登りというのは、その山が高ければ高いほど途中の道は下りが多いそうだ」子規は漱石の顔をじっと見ていた。「興に乗っている時はきっと登山でいう登りのようなものさ。さして考えることもなく足が進むのさ。筆が止まる時は下りの道を進んでいて、ちっとも進んでない気がするんだと思うよ。高い山ほど下りが多いというのが本当なら、君が今書いているものが前より高いものという証拠かもしれないよ」「なるほど……」子規が漱石を見て白い歯を見せた。「そうか、今は下りの道を歩いとるから進んどるように思えんのじゃ。きっとそうじゃ」子規は漱石の言葉に得心がいったという顔をした。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

おそらく明治のこの時期、子規ほどの直観力と能力を持ち合わせた人はいない。時代の中に埋もれ、町衆の遊びとしかとらえられていなかった俳句を、今日、日本人の文芸のひとつの大きな基軸として成長させたのは子規の、この一風変わった直観力と、素直に己が愛するものを認め、それをたかめようとする清廉なこころがあったからだろう。
明治という時代の強さは、この清廉なこころ、自分の信じたもの、認めたものにむかって一見無謀に思える行為を平然となす人々がまだあちこちにいたことが挙げられるかもしれない。何よりも清廉、つまり損得勘定で動かなかったところに行動の潔さがあった。そして何より子規は己自身の仕事として、俳句の革新をしようとしたのである。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

鳴くならば満月になけほとゝぎす
漱石はわざわざ俳句をしたため、同じ鳥になるなら、満月(卒業して文学士の称号を得ることと考えられる)にむかって鳴いた方がいいという思いを句に込めた。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

彼は床の間の隅に置いてある花活けの瓶に目を留めた。―今日は何の花を活けるのじゃろうか。彼は子規の短歌の中で好きな一首を思いそれを口ずさんだ。『墨汁一滴』に掲載された歌であった。
 
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ、たたみの上にとどかざりけり……」

 

 

子規が仰臥して瓶にさした藤の花を見つめている姿が浮かんだ。あとわずかに畳の上に花が届かないと見つめるノボさんの胸の内が切なく思えた。子規は寝息を立て、碧梧桐は子規との日々の中に佇んでいる。碧梧桐の座す場所に、昨夜は伊藤左干夫がいて、その前夜は虚子がいた。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

 

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九月十八日は、子規は朝から痰がなかなか切れなかった。容態もかんばしくないのは見ていればわかった。……。碧梧桐はやって来ている顔ぶれを見て、律に虚子を呼ぶのかと尋ねた。するとすぐに子規が
言った。「高浜も呼びにおやりや」その一言で子規自身も何かを感じているのが周囲に伝わった。碧梧桐は掲南の家へ行き電話を借りて虚子を呼んだ。部屋に戻ると、子規が右手をやや上にむけて筆を使う仕草をした。碧梧桐と律が手伝って画板に貼った唐紙を目の前にたて子規に筆を持たせた。子規はその唐紙の中央に句を書いた。

 

 

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
書き終えると手から筆を放した。筆が落ちるのを碧梧桐が拾った。子規は痰を切ろうと喉を鳴らし、これを律が拭った。五分後、子規の手がまた動いた。碧梧桐がその手に筆を取らせた。律が画板を子規の前にたてた。同じ唐紙の一句目の左にさらに一句書いた。

 

 

痰一斗糸瓜の水も間に合はず
そうしてまた手から筆を放した。放すというより零れ落ちるふうだった。また五分後、子規の手が動いた。次は右端に一句書いた。

 

 

をととひのへちまの水も取らざりき
今度は子規がはっきりと筆を投げ捨てたのがわかった。転がった筆の墨が敷布を染めた。この三句を書き終えるまで子規は一言も発しなかった。勿論、周囲の人々も無言でこれを見守った。聞こえていたのは子規の痰を切ろうとする荒い息遣いと咳と最後に筆が敷布に転がった折のかすかな気配のみであった。辞世の句であることはあきらかだった。へちまの水は旧暦の八月十五日に取るのをならいとする。それができなかった無念を句に詠んだのだ。子規は書き終えた唐紙を一瞥もしなかった。かわりに周囲の者がそれを覗き込んだ。文字は所々かすれてはいるがしっかりした筆致であった。ただ最後の一句の仕舞いの文字が力なく尾を引いていた。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

 

通夜の支度がはじまるのだが、まだ宮本医師も姿をあらわさない。八重と律は子規を見つめ、やや左に傾いていた身体と蒲団からはみ出していた足に気付き、それを戻した後、二人して子規の上半身を持ち上げるべく子規の両肩を八重の両手が握りしめ顔を上げるようにした。その時、八重は息子の両肩を抱くようにして言った。「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」その言葉は九月の明る過ぎるほどあざやかな月明かりが差す部屋の中に透きとおるような声で響き渡った。八重の目には、それまで客たちが一度として見たことのない涙があふれ、娘の律でさえ母を見ることができなかった。その場にいた碧梧桐は黙したままうつむいていた。虚子は根岸の路地を歩きながら、先刻、碧梧桐と鼠骨に子規の死を報せるために急いだ路を淡々と歩きつつ、あの時にあまりに空が明るいのでつい仰ぎ見た秋の弓を思い出していた。子規の死を己の中に刻もうと発句したものをもう一度反復した。
 
子規逝くや十七日の月明に
碧梧桐は根岸の路地を急ぎ足で抜けていた。夜が明けていた。耳の奥から先刻の八重の言葉が離れない。その声に台所で口元をおさえるようにして嗚咽していた律の声が重なった。気丈な律があんなふうに泣く姿を碧梧桐は一度も見たことがなかった。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

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あらすじ
ホテル・コルテシア大阪で働く山岸尚美は、ある客たちの仮面に気づく。一方、東京で発生した殺人事件の捜査に当たる新田浩介は、一人の男に目をつけた。事件の夜、男は大阪にいたと主張するが、なぜかホテル名を言わない。殺人の疑いをかけられてでも守りたい秘密とは何なのか。お客さまの仮面を守り抜くのが彼女の仕事なら、犯人の仮面を暴くのが彼の職務。二人が出会う前の、それぞれの物語。「マスカレード」シリーズ第2弾。

 

ひと言
湯川学 加賀恭一郎 に続きこれからは山岸尚美という新たな「マスカレード」シリーズが始まっていくんだろうなと思わせる一冊でした。
今回の交換……はある程度読めてしまうので、容疑者Xのようなびっくりするようなトリックを東野圭吾さんお願いします。でも薔薇の香りの持って行き方は、さすが東野圭吾、うまいなぁと思いました。

 

 

「御心配なく。私どもは、どんなにお金を積まれても、お客様の仮面に隠された本当の顔をほかの方に教えることは絶対にございません。その素顔が美しいならともかく、醜ければ尚のことです」
(それぞれの仮面)

 

 

「俺たちの正体を隠しておいてくれるんだな」「もちろんです。お客様の仮面を守るのが、私たちの仕事ですから」そういってから首を傾げ、「いえ、仮面ではなく覆面…でしたね」
(仮面と覆面)

 

 

本音をいえば、あの女性の味方をしてやりたかった。しかしホテルマンとしては、それをするわけにはいかない。たとえどんなに見下げ果てた人間であろうとも、それがホテルの客ならば、彼等が被っている仮面を守るのが自分たちの仕事なのだ―。
(マスカレード・イブ)

 

 

「でも山岸さん、すごいですね。僕なんか、二か月前にいらっしゃったお客様の顔、覚えてる自信がないです」「お客様の顔を見ながら、この方に何をしてあげられるだろう、自分は何を期待されてるだろうって考えるの。そうすれば覚えられる」
(マスカレード・イブ)