1月14日 今日は親父の命日。生前 親父が着ていたコートを供養がわりに着て、一足お先に映画を観てきました。

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この映画の主題歌「夢のつづき」は10年ぶりの浜田省吾の新曲だし、原作が重松 清さんなので、どうしても観たかった映画です♪。

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原作本を読んでいるので、筋も次のセリフもわかっているのに、波瑠さんが演じる美枝がお父さんの形見のグローブを受けとって泣き崩れるシーンなどはやっぱり泣かされてしまいます。

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もっと浜省の曲(BASEBALL KID'S ROCK や I am a Father とか)が映画の中で使われるのかなと思っていましたが、最後のエンドロールで主題歌が流れただけなのでそれが少し残念でした。

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自分の上の娘は高校で、下の娘は中学で それぞれソフトボール部で 数年前までは娘たちとキャッチボールをしたこともありました。
今度 暖かくなったら娘に「久しぶりに公園でキャッチボールするか」と声をかけてみようかな。
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あらすじ
本書は、フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊です。欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な“答え”を提示します。この世界のひとつの真理とも言うべき、アドラーの思想を知って、あなたのこれからの人生はどう変わるのか?もしくは、なにも変わらないのか…。さあ、青年と共に「扉」の先へと進みましょう。

 

ひと言
本屋さんで平積みされている人気の本で、タイトルの「嫌われる勇気」という言葉に、読んでみようと借りました。嫌われる勇気のようにはっとさせられる言葉が多く、読んでみるとなるほどと納得することもあるのですが、やはり腑に落ちないところもあり、理解を深めるためには、時間をおいて何度か読み直す必要があると思いました。

 

 

アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順序は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。「目的論」
(第一夜 原因論と目的論について)

 

 

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です
(第二夜 対人関係の悩みについて)

 

 

どうしてあなたが他者を「敵」だと見なし、「仲間」だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。人生の課題? そう。ここは大切なところです。アドラー心理学では、人間の行動面と心理面のあり方について、かなりはっきりとした目標を掲げています。
まず、行動面の目標は
「自立すること」「社会と調和して暮らせること」の2つ。
そしてこの行動を支える心理面の目標が
「わたしには能力がある」という意識、それから「人々はわたしの仲間である」という意識です。
(第二夜 人生のタスクについて)

 

 

恋人や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようになることがあります。食事の仕方が気に食わないとか、部屋にいるときのだらしない姿に嫌悪感を抱くとか、あるいは寝息でさえも腹が立つとか。つい数カ月前まではなんとも思っていなかったにもかかわらず、です。これはその人がどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料を探し回っているから、そう感じるのです。相手はなにも変わっていません。自分の「目的」が変わっただけです。いいですか、人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる、きわめて身勝手な生き物なのです。アドラーは、さまざまなロ実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。
(第二夜 人生の嘘について)

 

 

「貨幣とは鋳造された自由である」ドストエフスキーの小説に出てくる言葉です。
(第三夜 承認欲求について)

 

 

われわれは「他者の期待を満たすためにいきているのではない」のです。他者の期待など、満たす必要はないのです。
(第三夜 承認欲求について)

 

 

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」
(第三夜 課題の分離について)

 

 

きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。'''他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。……。先生は、わたしに「他者から嫌われろ」と? 嫌われることを怖れるな、といっているのです。
(第三夜 嫌われる勇気について)

 

 

もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。
(第五夜 人生について)

 

年末の12月28日 親父の1周忌を無事にお勤めすることができました。

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1月14日が命日で早いものでもうすぐ1年になります。
普段なかなか会うことのできない親戚が暮れの忙しい時期に集まってくれて、親父が、後に残ったもの同士 仲良くやっていけよと会わせてくれたことに感謝です。
人が亡くなるというのはこんなに大きな力を持っていて、参列していただいた方々の心の中に、それぞれの思い出と一緒に親父がまだまだ生き続けているんだなぁと思うことができました。

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1月11日 はその親父の母 私の祖母の50回忌がありました。1900年(明治33年)1月3日に生まれ 1966年(昭和41年) 1月19日亡くなりました。

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この遺影は 横に三輪車に乗った私が写っている写真が使われています。5才だったのではっきりとは覚えていませんが、一緒に遊んでもらったときのことが蘇ってきます。

うちの下の娘が2000年生まれ ちょうど100年違いのひ孫です。祖母や親父がいなければ私も娘も生まれることはないし、今こうして自分があるのも先祖のおかげです。ありがとうございました(合掌)
1月10日 祖母の50回忌のため車で大阪に帰る途中、滋賀の西国三十三所を巡ってきました。

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名神の八日市ICで降りて、32番 観音正寺へ。途中の駐車場まで登ってくると、がーん!そこから先は積雪・凍結のため通行止になっていました。

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案内をみると、お寺まで徒歩40分。これも観音様から与えられた お慈悲 試練だと思って歩き出します。

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夏、レンタサイクルで登った壷坂寺もきつかったなぁ、真剣に熱中症になるかもしれないと思ったなぁ。
この前の京都のときはめちゃくちゃ寒い日だったし、もひとつ前の京都は足に豆ができるぐらい歩いたなぁ。今まで巡った西国三十三所を懐かしく思い出しながら、こけないよう足元に注意しながら一歩一歩登っていきます。

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やっと上の駐車場まで、着きました。雪で歩きにくいのでここまででもう40分ほどかかっています。
ここからあと570m(約10分)です。

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お地蔵様も雪に負けずに、参拝者を見守ってくれています。
やっと本堂に着きました♪

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僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る(高村 光太郎『道程』)の気分で雪の中を歩きます。
靴はベタベタになるけど、超気持ちいい!
総白檀の御本尊の大千手観音はすごく立派で、雪の中を登ってきた甲斐があります。

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お参りを済ませ、納経所で御朱印をいただくと、雪の中よくお参りくださいましたと未の土鈴をいただきました。つい今さっき、本堂で観音様から「雪の中よく参られましたね」と同じようにお声をかけていただいた気がしていたので、観音様から土鈴をいただいた気分になりすごくうれしかったです。

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帰りはすこし雲も切れて、素晴らしい景色が眼下に拡がります。往復2時間かかったけど登ってきてほんとうによかった♪

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次は、31番 長命寺です。こちらも巡礼者へのご褒美のようなすばらしい景色が眼下に拡がります。

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両方の親の健康長寿をお祈りしてお守りをいただきました。

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今回は車で上がってしまったので、次は気候のいいときに808段の石段を踏みしめてお参りしたいと思いました。
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あらすじ
わかば銀行から契約社員・梅澤梨花(41歳)が約一億円を横領した。梨花は発覚する前に、海外へ逃亡する。梨花は、果たして逃げ切れるのか? 自分にあまり興味を抱かない会社員の夫と安定した生活を送っていた、正義感の強い平凡な主婦。年下の大学生・光太と出会ったことから、金銭感覚と日常が少しずつ少しずつ歪んでいき、「私には、ほしいものは、みな手に入る」と思いはじめる。夫とつましい生活をしながら、一方光太とはホテルのスイートに連泊し、高級寿司店で食事をし、高価な買い物をし…。そしてついには顧客のお金に手をつけてゆく。

 

ひと言
今年の1冊目は大好きな角田光代さん。それも話題の「紙の月」で大正解でした。
女でないと書けない梨花の心の動き、さすが角田光代と唸ってしまいます。最後がひとつ前の梅澤梨花で終わらず、中條亜紀で〆ているのも角田さんらしく、より作品に奥行きを持たせていていい。途中で読むのをやめたくなる作品もあるけれど(実際にやめた本も何冊かありますが…)こういう作品が多いからやっぱり角田光代はやめられません♪。宮沢りえの映画も楽しみです♪
読み終えたあと Amazon のカスタマーレビューを見ていて以下のレビューが印象に残ったので引用させてもらいます。
一見、「フトしたキッカケ」で少額の横領から手を染め、それが段々エスカレートして……という風に見えるが、それは違うと作者は言っている。子供の頃からの経済面を含めた生活環境、躾、それらに基づいた自身の考え方の"積み重ね"で人間が出来上がっており、ヒロインの犯罪はある意味"必然"だったと言うものである。これは、「フトしたキッカケ」より遥かに怖い。「当り前」に対する考え方あるいはその対象が、人によってマチマチである事…(略)…。

 

 

「私が最初に寄付をした子は、最初だけ、お手紙をくれたの。お礼の言葉のあとに、『私はあなたがしてくださったことを、一生忘れません』と書いてあった。それ、きっと決まり文句なの。でも私、それを見てものすごく……複雑な気分になったの。まだ六歳か七歳の子が、一生忘れてはならないような重荷を背負ってしまったのよ。感謝という重荷よ。そんな決まり文句を書かせる大人もどうかしていると思った。私、そのとき、決めたの。この子が一生重荷を背負うのなら、私は一生この子の面倒を見なければならない。私のできる範囲内でそうしなければならないって」梨花は淡々と話した。その淡々とした口調と、語られる内容とのギャップが木綿子にはかすかにおそろしかった。木綿子はそんなことを考えたことがなかったし、一生、という言葉をどのような意味合いでも使ったことがなかった。けれどおそろしさを感じつつ、もっと梨花の話を聞きたくなった。(P205)

 

 

ネオンサインと花火が薄淡く染める夜空が、どーんどーんという轟音とともにのしかかってきて、ゆっくりと自分を押しつぶしていくような気がした。梨花はあわてて光太の手を握った。光太は梨花に手を握らせたまま、握り返すことをしなかった。「花火の向こうに月がある」ぽつりと光太が言った。たしかに切った爪のように細い月がかかっていた。花火があがるとそれは隠され、花火の光が吸いこまれるように消えるとそろそろと姿をあらわした。
(P301) 

 

 

「働いて働いて、単身赴任までして、余裕のないような十五年だったけど、でもほしい暮らしはちゃんと手に入ったよな」酔っぱらっているらしく、正文の声は間延びしていた。そうね。梨花はもう一度言い、
空を仰いだ。さっとナイフで切り込みを入れたような細い月がかかっている。いつかどこかで見たことのある月だと梨花は思ったが、いつ、どこで、だれと見たのか思い出せなかった。(P335)

 

 

私は私のなかの一部なのではなく、何も知らない子どものころから、信じられない不正を平然とくりかえしていたときまで、善も悪も矛盾も理不尽もすべてひっくるめて私という全体なのだと、梨花は理解する。そして何もかも放り出して逃げ出し、今また、さらに遠くへ逃げようとしている、逃げおおせることができると信じている私もまた、私自身なのだと。
 いこう、この先へ。(P345)
 

 

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あらすじ
2011年3月11日。人々の価値観や生き方が、大きく変えられてしまった「あの日」。それでも人には、次の世代につなげるべきものがある。幾度となく被災地に足を運んだライター・田村章と、中学受験に失敗し不登校になってしまった少年。二人は、そこでどんな人に出会い、どんな涙を流し、どんな新たな幸福への道すじを見つけたのか。去ってゆく者、遺された者の物語を書き続けてきた著者が、「希望」だけでも「絶望」だけでも語れない現実を、被災地への徹底取材により紡ぎ出し、「震災後」の時代の始まりと私たちの新しい一歩を描いた渾身のドキュメントノベル!

 

ひと言
図書館で 重松 清 3.11 という文字を見つけて、今年の最後に読む1冊はこれにしようと思って借りました。
西国三十三所を巡る途中の電車の中で読んで、「あかん」 泣きそうになると読むのを中断して、周りに人がいなくなるとまた読みました。
心が風邪をひきそうなときに いつも読者に寄り添った重松 清さんの心やさしい文章に、いつも勇気や元気をもらっています。
震災後、被災地へ行きたい 行きたい と思いながらずっと行けていませんが、そのときは宮古市の「浄土ヶ浜パークホテル」にも泊まりたいです。

 

 

来年は、まだ震災から立ち直れない人、明日を信じて頑張っている人たちが
笑顔になれる日が1日でも多くありますように!

 

 

 

震災を生き抜いた子どもたちが真新しいランドセルを背負って小学校の門をくぐる光景は、確かに微笑ましく、希望に満ちたものだろう。けれど、その陰には、入学を心待ちにしながら亡くなったたくさんの子どもたちがいる。テレビを観ている人の中には、我が子を失った親もいるはずなのだ。そんな人たちは、東京のスタジオでコメンテーターが口にする「よかったですねえ」「被災地も前を向いてがんばってるんですね」といった言葉を、どんな思いで聞くのだろう………
 「『復興』の先頭を伝える役割を持った番組もあると思うんです。でも、私たちの番組は、最後尾にいる人たちを支えていきたい。立ち直るスピードは、みんなそれぞれ違うんですから」被災者の皆さん、がんばってください――。震災の直後、数えきれないほど目にしたり耳にしたりした言葉である。けれど、津田さんはある日の『被災地からの声』で、こう言った。
「がんばれる人だけが、がんばってください。無理のできない人は無理する必要はありません」キャスターとしては異例の発言かもしれない。けれど言わずにはいられなかった、という。「被災者の方々がこのままでは浮かばれないと思ったんです。この人たちが浮かばれるために自分が言うべき言葉がある」それがすべてなんですよ、と津田さんはきっぱりと言った。
(第一章 被災地に/ 被災地から伝えたいこと)

 

 

 

 

「ハローワークに相談しても、とにかく通常の状態ではありませんから、ひたすら『解雇してください』と言うんです。ふだんとは逆ですよね。従業員を解雇すれば会社の負担はなくなるし、解雇された従業員も国から失業手当が支給されるので、ハローワークはそれを勧めるわけです」でも、と阿部さんはつづけた。「私は、それは違う、と思ったんです。解雇という選択肢は確かに簡単だけど、会社と従業員との信頼関係はどうなってしまうんだ、と。いま住む家がない、食べるものがないという状況ですから、ここで従業員との関係を断ち切ってしまうと、もう修復できないと思ったんです」阿部さん自身、自宅を津波で流されてしまい、奥さんと二人の息子さんは避難所生活をつづけていた。だからこそ、家族を失ったり家を流されてしまった従業員の不安な気持ちは痛いほどわかる。さらに、津波は、阿部さんにとって公私ともども大切な相棒だった一人の従業員の命を奪っていた。「私と中学高校で同級生だった工場長が、津波に呑まれて亡くなってしまいました。私がお願いしてウチの会社に来てもらったんですが、とても信頼の置ける男で、私の代わりに工場をまとめてくれていました。津波に呑まれたのも、従業員に避難を呼びかけるために工場に最後までとどまっていたからだったんです。友人であり、同志であり、私ことって最高のパートナーだった彼が命をかけて植え付けてくれた精神は、やっぱり守り抜きたいんです」
…… 。……。
なにより阿部さん自身、「ここで解雇を決断できないのは、経営者としてダメなんだろうな」と内心では認めているのだ。それでも、どうしても解雇に踏み切ることはできなかった。なにかがブレーキをかけている。その「なにか」の正体が、四月に入ってわかった。「大船渡に去年建てたばかりの工場を見に行ったんです。その工場も、近くの貯木場から流れてきた三トンも四トンもある丸太に直撃されて、ひどいことになっていたんです」
…… 。……。
「七千尾から八千尾の魚が四月頃には腐りはじめていましたから、それをなんとかしなくては……と現地に向かったんです」そこで阿部さんが目にしたのは、従業員が工場を埋め尽くす瓦疎の片づけや掃除をおこなっている光景だった。会社の命令や指示ではない。雇用継続か解雇かの不安を背負いながらも、従業員たちは自主的に集まって、「一日でも早く工場が再開できるように」と、いま自分たちにできることをやっていたのだ。四月に入社予定だった女の子たちもいた。震災で入社が延期になり、いつ仕事ができるのか目処すら立たないなか、高校を卒業したばかりの彼女たちは、腐った魚の異臭が立ちこめる工場で、全身泥まみれになって、黙々と働いている……。気仙沼や石巻の工場でも同じだった。従業員は自主的に集まって、瓦蝶を片づけていた。家族を亡くし、家を失った従業員にとって、工場の再開は、自分自身の再出発でもあったのだ。そんな従業員の姿に、阿部さんもついに決断した。どんなに資金繰りが大変でも、雇用を守る――。もうブレない。揺らぐことはない。「父親の判断にそむいて ここまで自分の意見を貫き通したのは、社長になってから初めてだったかもしれません」照れくさそうに笑う阿部さんの目は、うっすらと赤くなっている。大船渡の工場の話をしたときから、目が潤んでいたのだ。やはり、優しい。その優しさに強さが加わった二代目社長の体は、急に一回り大きくなったように見えた。
(第七章 社長たちの奮闘)

 

 

 

ごめんなさい――。誰でもない誰かに謝った。津波で亡くなった人たちは、ゆるしてくれるだろうか。かけがえのない家族を津波に奪われた人たちは、思い出の詰まった我が家を失った人たちは、原発事故でふるさとを離れざるを得なくなった人たちは、どうなのだろう。被災者のことを思えば、不登校なんて――そうぃう発想も、やはり、自分勝手で傲慢なのだと思う。
ごめんなさい――。何度も繰り返した。途中から自然と手を合わせていた。つぶった目から涙もあふれてきた。ごめんなさい――。
ほんとうは、そうではない言葉をつかいたい。もっと大切な言葉が、絶対にあるはずなのに、それが見つからないのだ。
(第九章 リレーのバトン)

 

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あらすじ
もう一度、甲子園を目指しませんか―。40代半ばの元高校球児、坂町は見知らぬ女性に突然、声を掛けられる。彼は高校時代、ある出来事が原因で甲子園への夢を絶たれていた。記憶の蓋をこじ開けるような強引な誘いに苛立ちを覚える坂町だったが、かつてのチームメイトと再会し、ぶつかり合うことで、再び自分自身と向き合うことを決意する。夢を諦めない全ての大人におくる感動の物語。

 

ひと言
本はもっぱら図書館で借りて、本を買うことはほとんどないのですが、この本は映画の原作本で、上映される前にどうしても読みたくて買いました。応募した1月14日の試写会が当たって1日でも早く映画が見れますように!
映画の中で浜省の主題歌「夢のつづき」が流れたら泣いちゃうんだろうな。他のシーンでもいっぱい泣いちゃうんだろうな。ハンカチ忘れずに持って行こ。

 

 

「美枝……負けるときには、ちゃんと負けろよ。負けて次に進め」電車の扉が閉まる寸前だった。プラットホームで見送る父親が、突然そんなことを言った。(3)

 

 

ちゃんと負ける。それを誰かに繋げることで、その誰かがきっと何かに勝つ――父が一球入魂に込めてきた思いは、きっと、そういうことだったのだろう。一球一球に魂を込めれば、たとえそのときは負けても、それはいつか勝利に繋がると――。(8)

 

 

「マスターズ甲子園では、大会の最後にいつも、甲子園キャッチボールというのをやっています。皆さんが、一番大切に思う人と、ぜひ甲子回でキャッチボールをしてください」
甲子園キャッチボール、それはマスターズ甲子園を、ともすれば試合以上に象徴するものかもしれない。大会の試合後に、日の傾いた甲子園のグラウンドで、元高校球児たちが好きな誰かとキャッチボールをするのだ。ただそれだけのことに、かけがえのない時間が流れていることを、美枝は去年初めて見たときから実感した。そのときだったかもしれない、もし父親が生きていたら、この場に連れてきてあげたいと思ったのは……父親とキャッチボールをしている自分を思い浮かべたのだ。暴力事件を起こし、多くのチームメイトを苦しめた父親の過去を知った今でも、そのときの感覚は消えていない。(5)

 

 

おそらく彼は、自分が暴力を振るった原因をみんなが知ったら、私一人の罪が重くなること……みんなから軽蔑されて、責められることを怖れたんだと思います……これ以上、私が傷付くことがないようにと、考えてくれたんだと思います……彼は私のために、野球部員の恨みを、一身に引き受けてくれようとしたんです」
落ち着いた裕子の声が、そこでやっと感情に揺れ動いた。裕子は自分の感情に負けないようにして、全員に向かって真実を話そうとしてくれていた。「ノリは……松川典夫とは……そういう人です」(6)

 

 

坂町は汚れたグローブを左手に嵌めて、右の拳で叩いた。乾いた泥が埃のように舞い上がった。
「まだ使える」嬉しそうに坂町はそう言った。「使ってください」父が誰よりもそれを喜んでくれるだろう。もしかしたら父は、このグローブを坂町に手渡すために美枝を遣わしたのかもしれない、とさえ思った。坂町は、なんだか丁寧に泥を落とし始めた。親指を入れる辺りの表面を一生懸命に擦っている。それから、急に笑い声を漏らした。「あいつ……書いてるよ……わざと間違えて……」「え?」「見てごらん、ほら、ここ」美枝はグローブを受け取って、同じところを指で擦った。その文字がはっきりと浮かび上がってきた。美枝は、それを見て、自分が思い違いをしたことを悟った。父はこのグローブを自分に手渡すために――坂町と出会わせたのではないか、とさえ思った。
一球人魂――父はグローブにそう書いていた。入魂にあるのはチームメイトとの絆でも、人魂にあるのは、美枝との絆だった。美枝は、言葉にならない思いを熱い涙にして、声を上げて、その心から溢れさせることしかできなかった。(8)

 

12月26日、27日 今回は1泊2日 青春18きっぷで西国三十三所を巡ってきました。

26日

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京都駅で山陰本線に乗り換え亀岡駅へ、バスで 21番 穴太寺へ向かいます。

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亀岡駅から京都駅へ戻る途中、「嵯峨豆腐 森嘉(もりか)」のひろうす(がんもどき)(221円)にほんとうに久しぶりに会いたくなって嵯峨嵐山駅で途中下車します。
♪どんな時にも想うことは ただ… 君に逢いたくて oh 戻って来たよ oh yeah♪
(浜田省吾 「光と影の季節」1月14日発売の「Dream Catcher」にも入っていま~す)


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京都にはおいしいお豆腐屋さんはいっぱいあってここが一番だと決められませんが、「森嘉」のひろうすは間違いなく京都一(日本一)じゃないでしょうか。
これは、今までの「がんもどき」のイメージを変えてしまうくらい、おいしいだけでなく感動させてくれる一品です。
列に並んでいる人のほとんどが 飛龍頭(ひろうす)を注文していました。

京都駅に戻り、東海道本線で向日町駅へ、次は 20番 善峯寺です。
ここは1時間に1本しかバスがないので、前もって調べてあったのですが嵯峨嵐山駅で電車を1本乗り遅れ 駅に着いたときは次のバスまで45分。
まだ次もあり、そんなに待てないのでタクシーで善峯寺へ向かいます。タクシー代 2040円 これは痛い!

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桂昌院のお手植えの遊龍の松もさすが、すばらしい日本一の松でしたが、ここは阪神淡路大震災で高速道路から間一髪落下を免れたバスの運転手さんが、このお寺のお守りを持っていたということで話題になりました。

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うちも下の娘が高校受験をひかえているので、お守りをいただきます。

帰りは 350円のバスに乗って阪急の東向日駅へ、総持寺駅まで阪急電車に乗り、22番 総持寺へ。
24番の中山寺もまわる予定でしたが、JRの摂津富田駅に着いたときはもう5時過ぎで今日はこれで終了です。

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大阪の実家に帰り、おふくろに「森嘉」の焼き豆腐入り白味噌雑煮を作ってもらいました♪。
ごちそうさまでした。


27日

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大阪 堺の実家から阪和線に乗り、日根野駅で関空快速と紀州路快速の切り離しを見て和歌山駅に向かいます。

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和歌山線に乗り換え、3番 粉河寺へ向かいます。

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参拝者もほとんどいない とてもよく手入れされた広い境内を貸切状態で歩くことができました♪

和歌山駅に戻り、紀勢本線に乗り換え、次は 2番 紀三井寺です。

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紀伊国屋文左衛門のエピソードが残る231段の結縁坂を上ると、圧巻の和歌浦の景色が広がります。

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2008年に落慶供養された大千手十一面観世音菩薩、木造の立像仏としては日本一の大きさ(約 12m)です。

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観音様と五色線でご縁が結ばれていることが実感できます。

9番 南円堂もまわる予定でしたが、和歌山駅から天王寺経由で奈良駅まで2時間弱
時間的に無理なので今日もこれで終わりです。

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天王寺(阿倍野)の金券ショップであと2つ残った青春18きっぷを3500円で買い取ってもらいました。
1日あたり(11850円-3500円)÷3回=約2780円 になります。

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たくさんある 551蓬莱のお店の中でも ここが一番おいしい♪と思う 天王寺駅店の 551蓬莱。

4個入り豚まん(680円)を2つ、いつものように「からし多めに入れてや」とやさしい口調で言いながらおみやげに買って堺の実家に帰りました。

今回のお寺はみんななかなか行きにくい場所にあり、2日で5つしか巡れませんでしたが充実した三十三所巡りでした。
今年のクリスマスは材料を買ってきて手作りケーキに挑戦しました。

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スポンジも焼こうと思っていたのですが、何かと忙しいのと、家族から「お父さんが焼くと膨らまないと思う」とか「ケーキ作りはスポンジを焼くのが難しいんだよ」「失敗したらどうするの?他にケーキないんだよ」と女3人に散々おどされ、スポンジは泣く泣く市販(505円)のもの(6号)を使います。

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先に上に載せる形のいいイチゴを8個を選びヘタをカット。残りは間に敷き詰め用に3つにカット。缶詰の桃もスライスして用意しておきます。生クリーム1パック(300円)200mlに対して粉砂糖 25gも量っておきます。

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ボールに生クリームと粉砂糖を入れハンドミキサーで角ができるまで混ぜます。ヘラで下のスポンジ台にクリームを塗りスライスしたイチゴと桃を敷き詰めます。

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その上にクリームを塗って上のスポンジを載せ、一番上にクリームを塗って残ったイチゴや桃を上にも載せます。その上に生クリームを塗ってイチゴを置き、しぼり器でデコレーション。トッピングシュガーとお湯で温めたデコペンで飾りつけて出来上がり♪

9時過ぎ、家族が揃ったところでいただきましたが おいしい♪ これなら十分ありかも♪

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Merry Christmas
May your days be merry and bright!
みんなに いいことが いっぱい いっぱい ありますように!


家族に言わせると「スポンジを焼いていないから、こんなの手作りケーキとは言わないよ」と言われました。
今度はスポンジまで焼いて作ってみたいと思いました。
12月23日、名古屋・栄 ナディアパークで行われている浜田省吾の写真展に、
お気に入りのON THE ROAD "FILMS"のジャンパーを着て行って来ました♪

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懐かしいCDジャケットの写真や、ON THE ROAD のパンフレットの写真のパネルがたくさん展示してあり浜省ファンにはたまらない作品展でした。
途中、directed by 田島 照久さんのビデオのコーナーがあり
AMERICA、1月14日 Release の新曲 夢のつづき、日はまた昇る の3曲のMVを見ることができました。

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先日亡くなった高倉健さん。「幸せの黄色いハンカチ」の山田洋次監督が「同い年の健さんが元気でいてくれることが僕にとってどれだけ大きな励みであるか。健さんがまた仕事に入ると聞いたときに、よかった 僕もまだ頑張れるなって思っていたので…。健さんがいなくなってしまったら、僕もすっかり気落ちしてしまいます」という言葉がすごく心に残っています。

大学生のときに浜省の曲に出会ってもう35年。8才年上の浜省が新しいコンサートツアーを始めたり新曲を出すたびに、「よし、俺もがんばらなきゃ」といつも浜省から元気をもらっていました。

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だから今度 1月14日に新しいアルバム「Dream Catcher 」が出ると知ったときは、ほんとうにうれしかった。
その中の「夢のつづき」が1月17日公開の「アゲイン 28年目の甲子園」の主題歌にもなって…。

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数日前の新聞に映画の試写会の案内が載っていたので、コンビニで往復はがきを2枚買って応募しました。試写会当たりますように!

それから浜省展の帰り、めったに本は買わないんだけれど映画を観る前に原作本を読んでおきたくて重松清さんの原作本も買いました。

この前のコンサートのときは 浜省 太ったなという印象だったので、体調には十分気をつけて 早く次の ON THE ROADツアーを始めてください。すごく楽しみにして待っています。