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あらすじ
「この世に生を受けたすべてのものが放つ喜びを愛する人間。それが、アンリ・マティスという芸術家なのです」(うつくしい墓)。
「太陽が、この世界を照らし続ける限り。モネという画家は、描き続けるはずだ。呼吸し、命に満ちあふれる風景を」(ジヴェルニーの食卓)。
モネ、マティス、ドガ、セザンヌ。時に異端視され、時に嘲笑されながらも新時代を切り拓いた四人の美の巨匠たちが、今、鮮やかに蘇る。語り手は、彼らの人生と交わった女性たち。助手、ライバル、画材屋の娘、義理の娘――彼女たちが目にした、美と愛を求める闘いとは。『楽園のカンヴァス』で注目を集める著者が贈る、珠玉のアートストーリー四編。

 

ひと言
読み終えてすぐ、ジヴェルニーのモネの家を検索してみました。

 

 

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こんな「陽のあふれる場所」でかけがえのない大切な人たちと過ごす幸せ。
20年ほど前に訪れた大原美術館。絵画にあまり興味のなかった私でもエル・グレコの「受胎告知」とクロード・モネの「睡蓮」を観たのだけはかすかに覚えています。

 

 

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もう一度大原美術館を訪れてモネの「睡蓮」を観てみたいなぁと思いました。

 

 

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クロード・モネ『印象 日の出』

 

 

 

「提案があるんだ」今度は明るく澄んだ声でモネが言った。「これからも、一緒に暮らさないか。ポワッシーで……そして、いつの日か、広いダイニングルームと、大きな庭のある家で」「いけません」突然、アリスが叫んだ。膝の上のジヤン=ピエールが、びくっと体を震わせた。「そんなことをしたら、夫が……エルネストが、何を言いふらすかわからないわ。ようやく認められ始めたあなたを、世間の笑いものにするわけにはいきません」「そうよ」ブランシュは、母に続けて思わず声を上げた。「私たちだって、先生と一緒に、幸せに暮らしたい。でも、それが先生のお仕事の妨げになるなら、ちっとも幸せじゃないもの」そうだ。それが、ほんとうの気持ちなのだ。ブランシュの瞳から、涙がひと粒、こぼれ落ちた。泣きたくなどなかった。弱い自分をさらけ出したくなかった。けれどこんなとき、涙を止められるほどブランシュは大人ではなかった。モネはアリスを、それからブランシュをみつめた。涙でいっぱいのブランシュの瞳を。あの夏の日、初めてまみえたあの瞬間、この世界のすべてをみつめるように少女をみつめていたのと同じまなざしで。「君たちは、私を幸福な画家にしたいというのかい?」ブランシュはうなずいた。その拍子に、もうひと粒、涙が頬を伝って落ちた。モネの目もとに、ふっと微笑が浮かんだ。「それならば、方法はたったひとつしかない。私たち家族が、これからも一緒に暮らすことだ」ふたつの家族ではなく、ひとつの家族として。アリスが、震える両手を口に当てた。涙が、みるみるその目いっぱいにあふれた。ところが、アリスよりさきに泣き出しだのは、膝の上のジヤン=ピエールだった。「ほらごらん。驚いてジヤン=ピエールが泣き出しちやったじやないか。おお、よしよし、びっくりしたね。大丈夫だよ、お父さんは、お前と一緒にいるとも。これからも、ずっと」幼な子を抱き上げて、モネがけんめいにあやした。それから、一緒に泣き出してしまったアリスの肩を、そっと抱き寄せた。家族の誰もが、いつしか泣き顔になってしまった。それから、お互いの泣き顔を眺め合って、くすくすと、やがて大いに笑った。小さなテーブルの上のきのこのグラタンは、すっかり冷めてしまった。けれど、あのグラタンが、モネ家の歴史に残る一皿になったことは言うまでもない。……。
四十三歳のモネは、とうとう「夢」だった家と庭を手に入れた。それからの幾星霜、どれほどの資金と手間と愛情を、この邸宅に注ぎこんだことか。一八九一年、新世紀を迎えることなく、エルネスト・オシュデがこの世を去った。そして その一年後、モネとアリスは、ジヴェルニーの館で結婚した。モネ五十二歳、アリス四十八歳、そしてブランシュは二十七歳だった。家族は独立したジャックとジャンを除いて、全員、相変わらず一緒に暮らしていた。あのヴェトゥイユでの「最後の昼食」を境に、家族の連帯感はいっそう強いものになっていた。
(ジヴェルニーの食卓)

 

 

8月29日 岐阜県羽島市の中観音堂、羽島円空資料館へ行ってきました。

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家から30分ちょっと、名神高速の岐阜羽島ICからすぐの所にあり よく すぐ近くを通っているのですが訪れるのが今まで延び延びになっていました。
すぐ近くにコストコがありこの秋11月下旬オープン予定ということです。

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2年ほど前に訪れたもうひとつの円空さんの生誕地と言われている岐阜県郡上市の「美並ふるさと館」の薬師如来像もすばらしかったのですが、こちらの中観音堂の十一面観音像もすばらしい円空仏でした♪

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円空さんが 中(村)観音堂の本尊を彫刻しようと長良川上流から、その用材に「中村行」と記して川に流したところ対岸の安八郡中村の人々がそれを見つけ 大勢で川から引き上げようとしたがびくともせずに上がらず、その話を聞いた中島郡中村(ここ)の人々が引き上げると何事もなかったように軽々と上がった という話や、
この本尊の十一面観音像の背面をくりぬいた中には円空さんの使った鉈が入っていて、それを見たものは目がつぶれるといわれていてまだ見たものはいないという話などを聞かせてもらいました。

すぐ横に資料館があり、全国の有名な円空仏のレプリカが展示されていて しかもありがたいことに触ることができ、円空ファンにはたまらない資料館でした。
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あらすじ
ニューヨーク近代美術館の学芸員ティム・ブラウンは、スイスの大邸宅でありえない絵を目にしていた。MoMAが所蔵する、素朴派の巨匠アンリ・ルソーの大作『夢』。その名作とほぼ同じ構図、同じタッチの作が目の前にある。持ち主の大富豪は、真贋を正しく判定した者に作品を譲ると宣言、ヒントとして謎の古書を手渡した。好敵手は日本人研究者の早川織絵。リミットは七日間。ピカソとルソー。二人の天才画家が生涯抱えた秘密が、いま、明かされる。
(2013年本屋大賞 3位)

 

 

ひと言
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のときのように、寝るのも、食べるのも忘れて一気に読みました。自分的にはダ・ヴィンチ・コードよりもおもしろいです♪。原田 マハさんファンなのに、2013年本屋大賞 3位のこの本をどうして今まで読まなかったんだろうと後悔。
読む前まで、ルソーってあの哲学者のジャン・ジャック・ルソー? へー、絵も書いていたんだと思っていた自分が恥ずかしいです。MoMAでアンリ・ルソー の『夢』を観てみたいけれど まず無理だから、オリエ・ハヤカワのようにキュレーター 原田 マハが窓口となって日本に『夢』が来ないかなぁ。

 

 

 

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アンリ・ルソー、一九一〇年――画家最晩年の傑作、「夢」。二十世紀美術における奇跡のオアシスであり、物議を醸す台風の目ともなった作品だ。作品の舞台は、密林。夜が始まったばかりの空は、まだうす青を残し、静まり追っている。右手に、ぽっかりと明るい月が昇っている。鏡のような満月だ。月光に照らし出される密林は、うっそうと熱帯植物が密集している。名も知らぬ異国の花々が咲き乱れ、いまにも落ちそうなほど然した果実が甘やかな香りを放つ。ひんやりと湿った空気のそこここに、勤物たちが潜んでいる。その目は爛々と、小さな宝石のように輝いている。遠く近く、聞こえてくるのは笛の音-黒い肌の異人が奏でる、どこかせつなくなつかしい音色。耳を澄ませば、そのまま彼方へ連れ去られてしまいそうなほど、深く静かな旋律。月の光に、果実の芳香に、ライオンの視線に、そして異人の笛の音に、いま、夢から覚めたのは――長い栗色の髪、裸身の女。彼女が横たわる赤いビロードの長椅子は、夢と現のはざまにたゆたう方舟。夢から覚めてなお、女は夢をみているのだろうか。それともこれは現実なのか。ゆっくりと上半身を起こし、女は、真横に左手を持ち上げる。恐る恐る、彼女は、まっすぐに指差す。その向こうにあるのは、彼女がみつめる先にいるのは、たぶん、いや、きっと――。この作品を生まれて初めて見た瞬間の驚きと興奮を、ティムはいまもありありと思い出すことができた。十歳だった。両親に連れられて、ニューヨークヘ観光にやってきたとき、出会ってしまったのだ。この場所、MoMAの展示室で。
(第二章 夢)

 

 

けれど、ティムは、最後の章を読み終えたとき、みつけたのだ。――ページの余白に、ぽつりと落ちた涙の跡。まだ乾き切っていない、織絵が落とした涙の跡を。紙のその部分は、かすかに湿って盛り上がっていた。そこに、うっすらと見えたのだ。紙に漉きこまれた筆者の名前が。貴族や資産家は、自分専用の便便などに名前や紋章を漉きこむことがある。物語を印刷するのに使われていた紙には、著者の名前が漉きこまれていたのだ。ティムは、紙の下に指を差しこんで注意深く見た。そこに発見した名前は――。――ヤドヴィガ・バイラー。驚きが、疾風のように織絵の顔をかすめた。ティムは、絵の中のヤドヴィガから目を離さずに続けた。「つまり、物語の中に登場したルソーに心酔するヤドヴィガの夫、ジョゼフは……コンラート・ジョゼフ・バイラーだったんだ」……。……。感極まったように、織絵が声を放った。その声には、歓喜の響きがあった。「じゃあ、ムッシュウ・バイラーが、この作品にあんなにも固執したのは……」「彼の妻が、ルソーとともに『永遠を生きる』ために。どうしても、この作品を手にして、守り抜きたかったんだ」
(第十章 夢をみた)

 

 

「色がきれい」「その通り。それから?」「ていねいに描いてるって感じ」うん、と織絵はうなずいた。母も、つられてうなずいている。真絵は、顔を少し表紙に近づけると、思わず、という感じで言った。「なんか……生きてる、って感じ」その瞬間、織絵は息を止めた。母までが、一緒になって息を止めているのがわかる。真絵は、ちらりと母と祖母の顔を見て、「もうええじゃろ」とつぶやくと、再び箸を動かし始めた。生きてる。絵が、生きている。そのひと言こそが真理だった。この百年のあいだ、モダン・アートを見出し、モダン・アートに魅せられた幾千、幾万の人々の胸に宿ったひと言だったのだ。そのひと言を胸に抱いて、織絵はニューヨークヘと旅立った。
(最終章 再会)

 

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あらすじ
家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにする。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。
咲子が訪れたのは、メキシコを代表する建築家、ルイス・バラガンの邸。かつてのビジネスパートナー、青柳君が見たがっていた建物。いっしょにいるつもりになって、一人でやって来たのだ。二人とも独立して、都市開発建築事務所を共同で立ち上げたが、5年前に彼は鹿児島へ引っ越していった。彼はそのちょっと前に目を患っていた。久しぶりに会った彼の視力は失われようとしていた。青柳君の視力があるうちに、けど彼の代わりに、咲子はバラガン邸の中に足を踏み入れた(皿の上の孤独)

 

ひと言
「皿の上の孤独」を読んだとき、あれ?このシチュエーションってどこかであったなぁ。「いつか一緒に沖縄に行ったとき、ビキニ着てたでしょ」なんて確かまったく同じ、『夏を喪くす』だったよな。最近は原田 マハさんばかり読んでいるけど、この本もよかったなぁ♪。
読み終えてすぐにバラガン邸を検索してみた。
ルイス・バラガン 1902年にメキシコに生まれ、1980年 プリツカー賞(建築界のノーベル賞)を受賞、1988年 自宅で逝去(86歳)、2004年 バラガン邸がユネスコの世界遺産に登録。
 
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70年ほど前の 1947年に設計した自宅が世界遺産だなんて!!どんな家なんだろう。大学で建築を勉強している娘に是非見せてやりたいなぁと思いました。

 

 

 

あなたの好きな人と踊ってらしていいわ
やさしい微笑みもその方にもあげなさい
けれども私がここにいることだけ どうぞ忘れないで
あなたに夢中なの いつかふたりで
誰も来ない処へ 旅に出るのよ
どうぞ踊ってらっしゃい 私ここで待ってるわ
だけど送ってほしいと頼まれたら断ってね
いつでも私がここにいることだけ どうぞ忘れないで
「コーちゃん……」かすれた声で、父がつぶやく。新しい涙が、父のくぼんだ目をみるみる満たしていく。そのとき、ようやく私は気がついた。その瞬間に、どうにか止めていたはずの涙が、あたたかく頬を流れ落ちるのを感じた。これだったんだ。母から父への、最後の伝言は。
きっと私のため残しておいてね 最後の踊りだけは
胸に抱かれて踊る ラストダンス 忘れないで
(最後の伝言)

 

 

 

結婚しよう、エスター。このさきも、ずっと、僕のたったひとつの宝物でいておくれ。エスターは、あまりの驚きに、声も出せずにいた。……。ふたりはようやく結ばれた。そして、四年後、アンディは、そのときを待っていたかのように、天国へと旅立った。難しい病気だったが、苦しむことはなく、満足そうに、安らかに、微笑みながら、旅立っていった。たった四年間の結婚生活だったけれど、あの四年間のために、彼も、私も、この人生を授かったような気がするの。長い長い話を聞くうちに、いつしか涙が止まらなくなってしまった私の肩を抱き寄せて、エスターが言った。ねえ、マナミ。人生って、悪いもんじやないわよ。神様は、ちゃんと、ひとりにひとつずつ、幸福を割り当ててくださっている。誰かにとっては、それはお金かもしれない。別の誰かにとっては、仕事で成功することかもしれない。でもね、いちばんの幸福は、家族でも、恋人でも、友だちでも、自分が好きな人と一緒に過ごす、ってことじゃないかしら。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにする。笑ってしまうほど単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが、ほんとうは、何にも勝る幸福なんだって思わない?
(月夜のアボカド)

 

 

「お母はん、なんかあったんか」静かに問いかけられて、私は、思わずうつむいた。「……なんでわかったん?」そう訊くと、「そりゃ、わかるわ。去年の夏の旅以降、なんやらえらい頻繁に『いま姫路』とか『今週末実家に帰る』とか、メールくれたやないの」……。……。「経済的にも、身体的にも、東京と姫路を月に何度も行き来するのは、やっぱり限界があるし。とはいえ、いまの仕事は東京に主軸があるから、すぱっとやめて姫路に帰るわけにもいかへんし………」そうか、とやわらかく相づちを打って、ナガラは何も言わなかった。ちょっと肩透かしを食らった気分だった。いつものように、「イケるやろ」などと言ってもらえるのを期待していたことに気がついた。「イケるやろ」とは、ナガラの口癖だった。大阪人はよく使うのだが、「大丈夫」とか「テイク・イット・イージー」のようなニュアンスを合んだ言葉だ。旅の最中に、ちょっとそれはムリ、というような局面で、「イケるやろ」とナガラがどこまでも楽観的に口にするのが、私は好きだった。なんの根拠もない、けれど流れるままに波に乗っていけば、最後にはなんとかなる。そんな感じで、ほんとうに、いつも結局どうにかなってきた。旅するふたりの魔法の言葉のようですらあった。
(波打ち際のふたり)

 

 

バラガン邸に足を踏み入れたときに感じた新鮮な印象と、空間がもたらす不思議な安定感は、まったく未体験のものだった。リビングの真ん中に佇んで、十字に切られた窓に向かい合ったとき、胸の内側にわき起こった感情は、不思議を通り越して、神秘的なほどだった。窓の向こうで揺れる緑と木漏れ日をみつめるうちに、いま自分のいる場所がどこなのかを忘れてしまいそうになる。ふと、目を閉じてみた。見えなくても、感じることのできる空間。この場所は、そういう場所――のような気がしたから。 ……。……。――ねえ、じゃあさ。ひとつ、提案。あなたの視力が――私の命があるうちに。一緒に行かない?メキシコシティヘ。――バラガン邸へ。そんな言葉が、のどもとまで出かかっていた。けれど、私はそれを飲み込んだ。――言ってはいけない。誘っては、いけない気がした。そんなことをしたら、もう、引き返せなくなってしまいそうで。
(皿の上の孤独)

 

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あらすじ
アメリカの国民的画家〈アンドリュー・ワイエス〉と〈フクシマ〉の原発事故について描く「中断された展覧会の記憶」、MoMAに現れる一風変わった訪問者にまつわる監視員の話「ロックフェラーギャラリーの幽霊」、初代館長アルフレッド・バーと、美しきMoMAの記憶を、インダストリアルデサイナーの視点から描いた「私の好きなマシン」、マティスとピカソ、そしてある学芸員の友情と別れを描いた「新しい出口」、そして「あえてよかった」。著者ならではの専門的かつ、わかりやすい視点で、芸術の面白さ、そして「MoMA」の背景と、その歴史、そして所蔵される作品群の魅力を、十二分に読者へと伝える待望の「美術館」小説集。

 

ひと言
近代美術館 Museum of Modern Art の頭文字を取ったMoMAというのは、ほぼ確実にニューヨーク近代美術館のことを指すらしい。そこで実際に働いていた原田 マハさんが書いたこの作品。絵画のことなんかほとんどわからない私でも、ものすごく引き込まれて、付箋だらけのとても素敵な作品でした♪。3時間もあれば読めてしまうおすすめの本です。今まで図書館でなかなか借りられなかったというのもありますが、美術のことはわからないからと敬遠していた本屋大賞3位の『楽園のカンヴァス』も是非読みたいです。

 

 

たった一行の「追伸」が、あまたある依頼メールとは異なっていた。その一文こそが、杏子の気持ちを強くたぐり寄せたのだ。  追伸 
画中の『クリスティーナ』が、草原の中、不自由な体をどうにかひきずって向かう先に、私は、私のふるさと、福島があるのだと勝手に信じています。
(中断された展覧会の記憶)

 

 

クリスティーナは小児麻痺に罹り、足が不自由だった。にもかかわらず、自分のことはすべて自分でやり抜いた。常に前向きな彼女の生き方に、ワイエスは深い感銘を覚えた。その結果、世間からは「不憫な女性」と見なされていたクリスティーナは、画家によって永遠の命を与えられることになる。横長の画面を枯れた草原がいちめんに覆っている。画面上部を横切っている空に陽光はなく、どんよりとした曇り空だ。その空の下にぽつんと建つ二軒の家。画面で見る者の目を奪うのは、やや左下寄りの中央に描かれた女性の後ろ姿だ。薄いピンク色のワンピースに包まれた細い体。両手は枯れ草の大地にしっかりと食いこみ、いましも前進しようと力をこめている。か細い髪を揺らして乾いた風が通り過ぎる。過酷な重力に逆らい、懸命に進もうとするその後ろ姿。決して振り向かないその背中。彼女こそが、クリスティーナだ。「多くの人が不幸の恪印を押すであろう彼女の人生を、彼女は自ら克服した。その力をこそ、私は描きたかった」。生前、ワイエスはそう語った。「彼女は確かに身体的には不自由だっただろう。けれど、心は自由だったのだ」。誰の助けも借りず、自らの意志で、自らが行きたいと願う場所へ行こうとするクリスティーナ。ワイエスがその姿に見たのは、絶望ではない。光だった。
(中断された展覧会の記憶)

 

 

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杏子は傍らのトートバッグの中を手探りした。思いがけず、苦しいほど胸の鼓動が高まった。が、やらざるを得ない。業務なのだから、と自分に言い聞かせる。杏子がバッグの中から取り出しだのは、放射線量測定器だった。伸子の視線が背中に突き刺さる。息を詰めてスイッチを入れた。出発まえにルイーズからこれを手渡されたとき、杏子は青ざめた。そして、いったいなんのために? と語気を強めて抗議した。放射線の線量を測ったところでどうすることもできないでしょう? もし作品が放射能に汚染されてたら洗浄するっていうの? だいいち、あっちの学芸員の目の前でこれにスイッチを入れるなんて……。
(中断された展覧会の記憶)

 

 

――ねえ、お母さん。クリスティーナにね、いっぱいいっぱい、話したよ。がんばってね。がんばってね。負けないでね。真由もがんばるからね、って。真由はワイエスの画集を見ながら、母に『クリスティーナの世界』について話を聞かせてもらっていた。病気で足が不自由なのに、なんでも自分でできたクリスティーナ。この絵は後ろ向いてるでしょ? なんでかっていうとね。クリスティーナがいっつも前を向いて生きてるってことを、画家がみんなに見せたかったからなんだよ――「そうだったんですか」杏子は、胸の中が熱いもので満たされるのを感じた。「じゃあ、展覧会が中断されたことは、まだ真由ちゃんには……」「もちろん、伝えました」きっぱりと伸子が言った。「事実は事実ですから。地震があって危ないから、クリスティーナはおうちへ帰る、って。そうしたら……」よかったね、と娘は言った。――クリスティーナは自分で福島に来てくれたんだよね。それで、自分でおうちに帰るんだよね。よかったね。いま、目の前に伸子の娘がいたら間違いなく抱きしめるだろう。
(中断された展覧会の記憶)

 

 

 

「ああ、それはね、『ゲルニカ』っていう、美術史上もっともセンセーショナルな戦争絵画って言われてるやつだ。いまじゃ、反戦のシンボルにもなってるよ」一九三六年、スペイン共和国で、フランコ将軍率いる反乱軍がクーデターを起こし、スペイン内乱がぼっ発した。その翌年、スペインの地方都市、ゲルニカが、フランコ将軍と結託したナチス・ドイツの空軍によって空爆された。それに激怒したピカソが、一ケ月あまりで描き上げた壁画のように巨大な作品なのだと、説明してくれた。……。
「その作品、第二次大戦中にMoMAに疎開してたんだと。で、戦争が終わっても、ピカソが『スペインに真の民主主義が実現するまで、返還しないでほしい』って、MoMAの当時の館長に依頼してたらしい。その頃、スペインのフランコ政権はファシズムに走ってたからね。で、ピカソが死んでしばらく経って、スペインも事実上民主主義を取り戻したし、もういいだろうってことで、回顧展を機に返還された。つまり、その回顧展は、MoMAで『ゲルニカ』を拝める最後のチャンスだったってわけだ」「そりゃ観客も殺到するさ。なあ?」と、ハリーが間の手を入れた。
(ロックフェラーギャラリーの幽霊)

 

 

 

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そうだとも。目も、毛穴も、心の闇も、全部開いて、見るがいい。あなたこそが「目撃者」。新しい時代の、美の目撃者なのだから。この絵が醜いって? ああ、確かに。この女たちは、人間のかたちをかろうじてしているけれど、人間じゃない。彼女たちが体現しているのは、人間の心の奥深くに潜む闇だ。真実だ。ピカソ以前の芸術家たちが、決して目を向けようとはしなかった、人間の本質だ。人間は汚い。ずるい。醜い。だからこそ、「美」を求める。醜さを超えたところにあるほんものの「美」を求めて、アーティストはのたうち回って苦しんでいるんだ。心地よい風景、光、風、花々、まばゆいほどに美しい女たち。けれど、美しいものを美しく描いて、だから、なんだっていうんだ?アーティストは、美しいものを美しくカンヴァスの上に再現するために存在しているのか?はっとして、顔を上げた。思わず、回りを見回す。
(ロックフェラーギャラリーの幽霊)

 

 

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いつまでも、いつまでも、ここにいたい。この場所に。――マティスとピカソのはざまに。けれど、やがて、展覧会は終わる。そして、この会場を出たら、私は、もうここには戻らない。さびしさに足を搦めとられる思いがした。前に進みたくない気持ちが、急激に湧き上がってきた。ねえローラ、私がいちばん好きなふたりの作品は、これと、これよ。ふいに、セシルの声が蘇った。マティスとピカソのカタログレゾネを眺めながら、セシルがふたつの作品のページに付せんを貼った、あのとき。――この絵、どっちも背中が描かれているでしょう? マティスもピカソも、向こう側を向いている。けれど、ふたりがみつめていた地平は、きっと同じだったはず。ふたりは、何をみつめていたのかな。ねえローラ、どう思う?展覧会の最後の展示室へと、ローラはたどり着いた。いったん立ち止まり、呼吸を整えてから、そっと足を踏み入れた。
(新しい出口)

 

 

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『実は、お別れのプレゼントを用意していたの。私のデスクの一番上の引き出しを開けてみて。ギフトの包みが入っているから』引き出しの中に、銀色のラッピングペーパーで包まれたギフトが入っていた。麻実は待ちきれずに、すぐさま開けてみた。赤と黒の塗り箸が現れた。メッセージが添えられている。「ひとつはあなたのもの。もうひとつは、私が日本へ行ったときに私が使うもの」。麻実は思わず微笑んだ。ランチタイムに、いつものコーヒースタンドに立ち寄った。もうすっかり顔なじみの、ヒスパニック系のコーヒー売り、ジェシーが、「やあ、また来たね」と声をかけた。……。「コーヒーをふたつ。ひとつはミルクと砂糖入り、もうひとつは空っぽで」と注文した。「空っぽで?」とジェシーが返す。麻実はもう一度、うなずいた。右手に熱いコーヒーを、左手に空っぽの紙カップを持って、オフィスヘと帰る。……。デスクヘ戻ると、麻実は、空っぽの紙カップの文字 ―― We Are Happy To Serve You.―― 「We Are」と、「Serve」の中の「rv」の二文字を、サインペンで黒く塗りつぶした。Happy To See You.――あえてよかった。そのカップを、パティのデスクの真ん中に置いた。せいせいと明るい心持ちで、麻実はその日、オフィスを後にした。
(あえてよかった)

 

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あらすじ
サンフランシスコにある医院のオフィスで、老精神科医は、壁に掛けられた穏やかな海の絵を見ながら、光と情熱にあふれた彼らとの美しき日々を懐かしく思い出していた……。結婚を直前に控え、太平洋戦争終結直後の沖縄へ軍医として派遣された若き医師エド・ウィルソン。太平洋戦争で地上戦が行われ、荒土と化した沖縄。首里城の北に存在した「ニシムイ美術村」そこでは、のちに沖縄画壇を代表することになる画家たちが、肖像画や風景画などを売って生計を立てながら、同時に独自の創作活動をしていた。その若手画家たちと、交流を深めていく、若き米軍軍医の目を通して描かれる、美しき芸術と友情の日々。史実をもとに描かれた沖縄とアメリカをつなぐ、海を越えた二枚の肖像画を巡る感動の物語。

 

ひと言
作家になって3年ほど経ったある日のこと、偶然見ていたテレビの美術番組で、「ニシムイ美術村」の存在を知った原田 マハさんが「書きたかった、そして、書かなければいけなかった『真実の物語』」と断言する美術小説。
ラストの7つの鏡は涙が止まりませんでした。今度沖縄へ行くことがあったら、以前手を合わせに行けなかった沖縄平和祈念公園の島守之塔。そして2015年、命日とされる6月26日に那覇市の奥武山公園に建立された島田叡氏顕彰碑。それから沖縄県立博物館・美術館の戦後70年特別企画 ニシムイ 展も訪れてみたいと思いました。

 

 

タイラに投げつけられたひと言が、胸に鋭く突き刺さったままだった。――あんたは、おれたちが信じているものを、侮辱したんだ。大切な宝物を壊されてしまった少年のように、まっすぐに怒っていた。そして、目に涙をいっぱいに浮かべていた。私は、あのとき、タイラに向かってなんと言っただろう。君ら画家は、軍人が好む絵を描くべきだ。きれいで、明るくて、故郷への手みやげにいい絵でなくちや。そんなふうに、言ったのだ。馬鹿な。……なんて、馬鹿なことを。私は、タイラの――いや、ニシムイの芸術家たちの中でそっと息づいていた自尊心を、傷つけたのだ。日本も、アメリカも、戦争も、貧しさも――いかなるものも侵し得なかった、彼らのもっとも大切なものを。日章旗の下にあっても、そしてそれに星条旗が取って代わっても、抗うことなく、ひそやかに、しかし絶え間なく燃やし続けてきた彼らの誇り。――自らの意志で描き続ける芸術家であること。彼らのたったひとつの誇りを、私は踏みにじった。自分の軽薄な言葉を、どれほど侮やんだかわからない。(5)

 

 

「おい若造。お前、どこの所属だ。おれのルーシーに手出しなんぞしたら、即刻、戦場に送り出してやる。もうすぐ朝鮮で戦争がおっ始まるんだ、わかってるだろうな。最前線で蜂の巣になるがいいさ」「やめて。やめてったら、ロバート。この人はなんでもないの、ただのお客よ」「いいか若造。おれたちは、お前ら兵卒なんぞ、なんとも思っちやいないんだ。お前らは、二本足で歩く爆弾さ。朝鮮人の中に突っ込んで、やつらもろともぶっ飛ばされゃあいいんだ。沖縄人を見習って、自爆してみろ。ああ? あいつらは、おれたちにやられるまえに、自爆したんだぞ。女も子供もな。手榴弾のピンを自分で引き抜い……」「やめてよっ!」メグミが金切り声を上げた。両肩が、激しく上下している。(5)

 

 

結局、アランは、もう一度ニシムイヘ行くことがかなわなかった。それだけが彼の心残りだったことだろう。荷物をすべて整理したあとで、彼は、私に一冊のスケッチブックを、こっそりと見せてくれた。おびただしい数の女性の顔や姿が描かれていた。そのすべてが、メグミたった。アランは、彼女に密かに思いを寄せていたのだ。――彼女に渡してほしいのかい?訊いてみると、彼は、首を横に振った。――まさか。そんなこと、ちっとも望んでないよ。だけど、最後に……君にだけは、見てほしかったんだ。まあ、とてつもなくへたくそだけどね。そう言って、照れ笑いをした。そして、その一冊だけは持って帰ろうと思う、と呟いた。――大切な痛みなんだ。しばらくは刺さったままの、青春の棘さ。……なんて、格好つけすぎかな?(7)

 

 

出港の汽笛が鳴り響いた。私は、手すりに上体を預けて、ゆっくり、ゆっくり、船が港を離れていくのを眺めていた。太陽が、真上に高く上がっていた。静かな強さをもって、日光が緑の島を照らしている。群青の海はさんざめき、幾千万の魚たちがいっせいに飛び跳ねるように、白い波頭がちらちらと弾けている。潮風に吹かれながら、私は、遠ざかる陸地の小高い丘を、緑豊かな「北の森」を探した。ニシムイの森の果てで、タイラと私は、海を渡っていく貨物船を眺めていた。あの森は、どのあたりだろうか。あの丘に、画家たちがいま、いるとしたら。――私の船が見えるだろうか。ふと、チカッと光る何かが、私の視界をかすめた。私は、目を凝らして、はるかな丘のあたりを眺めた。チカッ、チカッ。光が明滅している。ひとつではない。いくつかの光。なんだろう、あの光は。何かが、反射して……。ひとつ……ふたつ……三つ……四つ……。最初はゆっくりと。やがて、小鳥が羽ばたくように、いっせいに。五つ……六つ……七つ。 七つの、小さな光。はっとした。私は、手すりから大きく身を乗り出した。あれは、ニシムイのあたりだ。間違いない。そして、あれは、あの光は――。いつの日か、アランとともにニシムイを訪ねたとき。タイラが、手の中のコンパクトに日光を集めて、私たちの目をめがけて光を放ったことがあった。――鏡。そうだ、鏡だ。自画像を描くためにと、私が、ニシムイのみんなに贈った、七つの鏡。それが、光を集めて、反射しているのだ。私は、息をのんだ。七つの光が、いっせいに、海に――船に向かって明滅している。輝きを放っている。去ってゆく、私に向かって。……。……。
ニシムイの丘は、太陽を集めて、まばゆい光の棘を作っていた。それは、かすかな痛みを伴って、私の目を、胸を、冴えざえと刺した。私は、遠ざかる光が見えなくなるまで、みつめていた。やがて、静かに目を閉じた。――まぶしかったのだ。それは、小さな光だった。ほんの一瞬のきらめきだった。けれど、たとえようもなく、まぶしかった。……。がらんとした甲板で、私は、ひとり、佇んでいた。布で包んだ二枚の絵を、しっかりと胸に抱きしめていた。どんなに強い向かい風にも、飛ばされぬように。まぶたの裏に焼きついた光の棘を、その残像を、もうしばらくのあいだ、追いかけていたかった。島影が、白くかすむ水平線の彼方へと消えてゆく。中空を過ぎた太陽が、湿った光を放ちながら、永遠のようにゆっくりと遠ざかっていく。(8)

 

 

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8月5日 ON THE ROAD インフォメーションセンターから
12月17日(木)の名古屋センチュリーホールでの浜省コンサート当選 のメールが届きました♪

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念のため16日も申し込んだのですが、そちらは落選でした。
でも、よかった♪ほんとうによかった♪浜省のコンサートに行けるよ(泣)

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2011年6月12日の ON THE ROAD 以来4年半ぶりのコンサートになります。


もうすぐ63歳になる浜省に負けないようにがんばらなくっちゃ。
12月17日が楽しみです♪
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あらすじ
将来の夢を抱きつつも職はなく悩める毎日を送っていたしいなは、植物公園で一風変わった老人と出会った。そして老人に誘われるままに就職を決め、初出社。なんと彼は今をときめく超高層ビル群を次々に手掛ける、大手都市開発会社社長“権田原大咲”だった!!憧れのキャリア・ガールへスタートを切ったと思ったのもつかの間、配属先はホコリだらけの地下4階、これっていったいどういうこと? SNS「mixi」公式企画「ミクドラ」として限定公開された初の小説を書籍化。連載時から話題沸騰!共感度120%の一途な夢と仕事と友情と恋の物語。

 

ひと言
植物版ドリトル先生。設定としてはとてもおもしろいけれど少しライトすぎるかな。でも「ピグマリオン効果」を信じて明日も頑張ろうという気になり元気をもらいました♪

 

 

「本気でガーデナーを目指してるんなら、おじいちゃん説得してみなよ。なんとかなるって。しいなは絶対、もっともっと伸びる、そうだな、えっと……オカメヅタ、なんだから」思わず真百合に抱きついた。心優しい幼なじみは、いつもこんなふうに、しいなを植物にたとえて応援してくれる。そうだ。花は本来、誰かに連れて行ってもらうのを待っている存在じゃない。風に種子を飛ばして、自ら遠くまで行く花だってある。私も、飛んでみよう。真百合の毛先が風に揺れるのを眺めながら、すでにしいなの心は飛び始めていた。
(1 飛ばない種子かも)

 

 

「お嬢さん。『ピグマリオン効果』 ってのを知ってるか?」しいなは首を振った。「ギリシャ神話だよ。ピグマリオンという男が、自分の作った彫刻の娘に恋をしてしまった。毎日毎日、人間になりますようにと願い続け、憐れに思った神様がかなえてやったという話。つまり、強く願って言い続ければ、夢はかなってしまう、ということだ」「ピグマリオン効果……」老人は、きびしくもあたたかなまなざしでしいなをじっと見た。「いいか。夢見る自分を信じなさい」門前で店じまいをしていた花屋で、老人は黄色いラナンキュラスの鉢植えを買い、しいなに差し出した。「ほれ。バナナが花に化けたぞ」しいなはそっと鉢を胸に抱いた。花は照れくさそうにしいなの胸に顔をうずめている。「夢の続きを話したくなったら、いつでもわしのところに来なさい」そう言って、名刺を手渡した。権田原大咲とある。大きな花のような名前に、しいなは微笑んだ。「また会おう。今度は、そうだな……マンゴーの木の下で」
(2 運命の出会い)

 

 

〈よいのです。さあ、摘んで下さい。こんな時のために、花はあるのです〉
しいなは震える指先で、E.0.の黄色い顔に触れた。ぶちっと音を立てて、花が一輪、切り離された。「これを……」しいなはもう一度、看護師に差し出した。看護師はうなずいて、日だまりのような花を手に、ICUへ戻って行った。……。摘み取る直前にこぼれ出たE.0.の言葉は、あたたかな雨のようにしいなの乾いた心にしみた。摘み取った一輪の花は、ただ美しかった。花には花の理由があって、美しく進化をしてきたのだろう。けれど、悲しみや苦しみに直面した人間の心を慰める美しさを、確かに花は、植物は持っているのだ。
(6 最大の危機?!)

 

7月29日~8月1日 夏休みを取って 西国三十三所を3ケ所巡ってきました。

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29日は第9番 興福寺南円堂です。2012年7月30日御朱印を最初にいただいたのが南円堂。2013年5月に南円堂創建1200年記念で2つのお堂の同時公開で訪れたとき以来2年ぶりです。

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興福寺 国宝館の阿修羅像も素晴らしいのですが、ここの千手観音に跪き祈りを捧げていると、心が癒されやさしい気持ちになれます。そしていつもなぜかわかりませんが自然と涙がこぼれてきます。
私にとっては特別な観音さまです。

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北円堂の特別開扉も行われていて、無著・世親像にも再会してきました♪

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30日は第1番 青岸渡寺へ日帰り3980円(お昼のお弁当付)のバスツアーです。大阪 堺の実家に泊まり、三国ヶ丘を8時出発、国道311号を通り那智の滝に到着したのが13時05分。

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那智の滝の前で記念撮影です。

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青岸渡寺の参道で風情いっぱいのラムネを見つけました♪

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記念にプロの写真屋さんに写真を撮ってもらいました。

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先達さまも同行のツアーでしたので、巡礼のありがたいお話やためになるお話も聞け、読経のお勤めもご一緒できてとても充実したバスツアーでしたが1日じゅうバスでとても疲れました。
14時50分青岸渡寺発 19時40分三国ヶ丘着

次の31日は堺で脳のMRI・MRA検査 頸動脈エコー検査です。

8月1日は京滋バイパスを通って、ぼけ封じで有名な第12番 岩間寺に立ち寄りました。

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本堂横に芭蕉の有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」を詠んだといわれる池がありました。

これで2014年7月12日第30番 竹生島の宝厳寺から始めた西国三十三所巡りも
残すところ 第5番 葛井寺と第33番 谷汲の華厳寺の2寺。

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葛井寺は毎月18日にご開帳される千手観音のお姿をどうしても拝みたくて今まで延び延びになってしまっていますが、この秋までには谷汲の富岡屋さんの「満願そば」を食べに行きたいです。
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あらすじ
お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に導いた話題作。
(2015年 第153回 芥川賞 受賞)

 

ひと言
書店でも売り切れ続出の話題の本。職場の人が読み終えて図書館に返すところをちょっと借りて読むことができました♪文豪が書いたような書き出し
大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。沿道の脇にある小さな空間に、裏返しにされた黄色いビールケースがいくつか並べられ、その上にベニヤ板を数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕達は花火大会の会場を目指し歩いて行く人達に向けて漫才を披露していた。
に唸ってしまいます。又吉さんがこの書き出しを練りに練って仕上げたのがすごく伝わってきます。所々、表現が少し回りくどく感じたり、少し哲学的に感じる部分があるように感じますが、立派な純文学 芥川賞 受賞作品でした。

 

 

「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん」神谷さんは目に落ちかかる前髪を、時折指で払った。「つまりな、欲望に対してまっすぐに全力で生きなあかんねん。漫才師とはこうあるべきやと語る者は永遠に漫才師にはなられへん。長い時間をかけて漫才師に近づいて行く作業をしているだけであって、本物の漫才師にはなられへん。憧れてるだけやな。本当の漫才師というのは、極端な話、野菜を売ってても漫才師やねん」……。……。
「準備したものを定刻に来て発表する人間も偉いけど、自分が漫才師であることに気づかずに生まれてきて大人しく良質な野菜を売っている人間がいて、これがまず本物のボケやねん。ほんで、それに全部気づいている人間が一人で舞台に上がって、僕の相方ね自分が漫才師やいうこと忘れて生まれて来ましてね、阿呆やからいまだに気づかんと野菜売ってまんねん。なに野菜売っとんねん。っていうのが本物のツッコミやねん」(P16)

 

 

次々と企業の名前が告げられ大きな花火が上がる。一際壮大な花火が打ち上がり歓声が巻き起こったあと、しばらく間があり、観客達は夜空から白い煙が垂れてくるのを、ぼんやりと眺めていた。すると、スポンサー名を読み上げる時よりも、少しだけ明るい声の場内アナウンスが、「ちえちゃん、いつもありがとう。結婚しよう」とメッセージを告げた。誰もが息を飲んだ。次の瞬間、夜空に打ち上げられた花火は御世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった。その余りにも露骨な企業と個人の資金力の差を目の当たりにして、思わず僕は笑ってしまった。馬鹿にした訳ではない。支払った代価に「想い」が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。しかし、次の瞬間、僕達の耳に聞こえてきたのは、今までとは比較にならないほどの万雷の拍手と歓声だった。それは、花火の音を凌駕する程のものだった。群衆が二人を祝福するため、恥をかかせないために力を結集させたのだ。神谷さんも僕も冷えた手の平が真っ赤になるまで、激しく拍手をした。「これが、人間やで」と神谷さんはつぶやいた。(P146)