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恒例の伊吹山の麓の「泉神社湧水」の水汲みのお昼に、近くの伊吹の里という道の駅にある「そば処 伊吹野」へ行きました。以前にも行ったことがあるのですが、伊吹大根(辛み大根)という幻の大根が取れる旬の時期ではなかったので、今回はそばの旬の11月、伊吹大根も1週間ほど前に取れるようになったという そば、大根とも旬の時期のおろしそばです。みんなよく知っているのか、日本そばの発祥地と言われる伊吹そば、30人近くの行列です。もちろんいただくのはおろしそば(850円)そばももちろんおいしいのですが少し辛い伊吹大根がなんとも言えず絶妙のおろしそばです。

 

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隣の直売所で伊吹大根(15cmほどの小振りな大根 2つで100円)をおみやげに4つ買い、水汲みの帰りにいつも立ち寄る養老の「丸明」でおいしい肉を買って、夕飯は大根おろしとポン酢だけで食べる焼肉でした。この大根おろし最高。肉が胃にもたれず、おいしくて何枚でも食べられます。大根2つをおろして食べてしまいました。ごちそうさまでした。

 

 

伊吹そばWeb
滋賀県米原市伊吹

 

先達として…とは、おこがましいですが11月28日、奈良の長谷寺へお参りしてきました。

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もうこれで4度目になりますが、秋の特別拝観のこの時期、今年1年を無事に過ごせたことのお礼と、

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いつも左腕につけている結縁の五色線をお返しして、新たに観音様とのご縁を結ばせていただくために長谷寺へお参りしています。

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10日ほど前に、申請していた西国三十三所札所会から、先達の授与の品が届きました。
申請したときから、先達として最初に巡るのは 第八番 長谷寺にしようと思っていました。

先に徳道上人の法起院へお参りし、先達として再び三十三所を巡ることになったことに感謝し、何年かかるかわかりませんがこれからの巡礼の無事をお祈りしました。

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法起院のすぐ前の「井上ぼたん堂」で草もち(90円)を2個いただきます。

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長谷寺は本堂外舞台と仁王門が保存修理中でしたが、紅葉の季節で多くの人が訪れていました。
今年は暖かいのかこの時期でも色づきはいまひとつです。

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長谷寺駅へ向かう帰り道、行きの時から目をつけていた「寶園堂」さんのおこわ饅頭(栗入・山菜入)(各150円)をいただきます。少し寒い日だったので心も体も暖まりました。ごちそうさまでした。

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帰りの電車のなかでパチリ。右から新しい五色線、三十三所の満願記念の谷汲山の念珠、以前病気の平癒を祈願して薬師寺でいただいた腕輪念珠です。これからの1年もよろしくお願いします。
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あらすじ
小説家のもとに、少年から謎の手紙が届く。「僕たちはゼツメツしてしまいます」少年2人、少女1人、生き延びるための旅が始まる―僕たちをセンセイの書いた『物語』の中に隠してほしいのです。ゼツメツ少年からの手紙は届きつづける。でも、彼らはいま、どこにいるのか。「大事なのは想像力です」手紙は繰り返す。やがて、ゼツメツ少年は、不思議な人物と次々に出会う。エミさん。ツカちゃん。ナイフさん。このひとたちは、いったい、誰―?これは物語なのか、現実なのか。全ての親と子に捧げる、再生と救済の最新長編。

 

ひと言
11月1日、名古屋市西区の市営地下鉄鶴舞線の庄内通駅で中学1年の男子生徒が自殺した。生徒の自宅から「いじめが多く、もう耐えられないので、自殺しました」などと書かれた遺書が見つかった。
重松 清さんが書いているように「生きるっていうのは、なにかを信じていられるっていうこと」
少年は何も信じられなくなったことが、無性に悲しい。ご冥福をお祈りしています。

 

 

「不登校になった生徒や子どもは、よく先生や親から言われるんだよ、『なんでも話しなさい』って。でも、それはちょっと違うんじゃないかなって思うんだ。違うっていうか、足りないっていうか」「なにが足りないの?」「『いつでもいいから』の一言だ」なんでも話しなさい――。いつでもいいから、なんでも話しなさい――。お父さんは二つの言葉をつづけて、「けっこう大きな違いなんだ」と言った。「しゃべりたくないときにしゃべらされるのって、キツいもんな、誰だって」
(第二章 イエデクジラ)

 

 

「三歳のガキなんてさ、ほんとに弱っちいよ。おまえがいま手を離したら、一発で地面に落ちて、へたすりゃ死んじゃう。口と鼻をパッと手でふさいだら、もっと簡単に死ぬよ。そうだろ?こいつがどんなに反撃しても、おまえ、負けないよ。そうだろ?」タケシは黙ってうなずいた。それを確かめて、ツカちゃんは「だから」とつづけた。「忘れるな。自分より弱いものを抱いて守ってやってるときの、感触っていうか、気持ちっていうか、ぜんぶ忘れるな」「……はい」「それを覚えてるうちは、俺、おまえはゼツメツしないと思うぜ」
(第四章 捨て子サウルス)

 

 

顎がこわぱって、口がうまく動かない。財布のことなんて、ほんとうはどうでもいいのだ。いまいちばん言いたいのは、もうやめてくれよ、の一言なのだ。いつだってそうだ。その言葉は、学校に通っているときは毎日毎日、数えきれないぐらい喉にひっかかっていた。もうやめてくれよ――。もうやめてください――。もうやめてください、お願いします――。自分でもわかっている。ほんとうは違うだろ、とも思う。「やめてくれ」とお願いするのではなく、言わなきゃいけないのは「ふざけるな!」の怒りの一言だ。学校の先生は言う。「ガツンと怒らないから向こうも面白がるんだ」評論家も言う。「いじめられてしまう子というのは、往々にして意思表示があまりうまくない子が多いんですよ」コメンテーターも言う。「本気の怒りにまさるものはないと思いますよ、私は」親も言う。「いじめをする奴なんて、ほんとは弱虫の臆病者だよ。一回怒ってやれ、そうしたらもう怖がってなにもしないって」実際、いままでの我慢を爆発させて、その力でいじめから抜け出した奴は、タケシの学校にも何人もいる。逆ギレというやつだ。だが、それでかえっていじめがひどくなってしまった奴だって、もっといる。最初から、どうしても「ふざけるな!」が言えないタイプの少年もいる――タケシのように。学校の先生は言う。「だったら、せめて、もうやめてくれ、嫌だからやめてくれ、ってしっかり言わなきや」評論家も言う。「NOをはっきり言えないのは日本人の悪い癖でしてね」コメンテーターも言う。「ふりかかった火の粉を払う程度の勇気は、いじめられてる子にも必要だと思いますよ、私は」親も言う。「そんなにつらいんだったら、どうして教えてくれなかったんだよ。なんで一人でためこんじゃうんだよ」いじめたほうは言う。「だって、あいつ、全然怒ってなかったし、嫌がってなかったし」いじめを見ていた同級生は言う。「なんか、あいつらけっこう仲良さそうだったから、友だち同士でじゃれてるんだと思ってました」もうやめてくれよ――。言えそうなのに、言えない。「ふざけるな!」よりずっと簡単で、ずっとあたりまえの言葉のはずなのに、どうしてもそれが言えない。「どうしてだと思いますか、センセイ。「もうやめてくれよ」は、負けの言葉だからです。それを口にした瞬間、僕は、自分がいじめられていることを認めなければならないのです。自分があいつらに負けていることを、自分で受け容れなければならないのです。「ごめんなさい」や「ゆるしてください」は、無理やりにでも自分が悪いんだと言い聞かせていれば、なんとか言えます。いまの場合なら、僕がたまたまあのタイミングでコンビニに来てしまったのが悪いんです。目が合ってしまったのが悪いんです。それでいいんです。でも、「もうやめてくれよ」は違います。向こうの攻撃にギブアップするときの言葉です。向こうのやっていることが正しくても間違っていても、いじめがひきょうなことでもなんでも、とにかくギブアップなのです。悔しいじゃないですか。っていうか、情けないし、それを言ったらおしまいじゃないですか。負けを認めた瞬間、僕は赤ちゃんみたいにわんわん泣いてしまうかもしれません。張り詰めていたものが切れてしまう、という感じです。わかってくれますか。センセイ。センセイにも僕の気持ちは伝わってますか。不戦敗つづきの僕でも、自分からギブアップはしたくないんです。「もうやめてくれよ」と言ったら、一万分の一の可能性で、いじめが止まるかもしれません。でも、それと引き替えに、九九・九九九九パーセント、僕はこわれてしまうと思います。
(第五章 ナイフとレモン)

 

 

「自殺にもいろんな方法があるけど、飛び降り自殺を選ぶひとって、なんかね、死を選ぶぐらいだから疲れはててるんだけど、それでもね、最後の最後にね、いっしゅんだけ、空を飛びたかったんじゃないかな、って。きせきが起きて、ほんとに信じられない、ありえないきせきが起きて、空を飛べたら、もう一回リセットして生きてみようか、って……そんなこと考えて、むいしきかもしれないけど思ってて、飛び降りたんじゃないかな、って」
(最終章 テーチス海の水平線)

 

 

雨に濡れた街並みの遠くに、わが家のマンションが見える。最初に気づいたのは母親だった。まだ屋上に通いはじめて間もない頃、「あの子、ウチのほうを向いて飛び降りたんだね」と、ぽつりと言ったのだ。美由紀は最後にわが家を見てくれた。だから、あの子は飛び降りたのではなく、わが家に早く帰りたくて飛ぼうとしたのだ、人間は空を飛べないことを忘れて、つい、飛べると思ってしまったのだ――両親はそれを、いまも心の片隅で信じている。管理人はいつものように屋上まで付き添って、「四十九日もすんだんだったら、もう、娘さん、どこかで生まれ変わってるかもなあ」と言ってくれた――両親はそれも、ほんの少しだけ、信じている。……。……。
「さっきの話、一つだけ間違ってるぞ」 叱る声ではなく、咎める声でもなく、おだやかに笑って言った。「……どこが?」美由紀は意外そうに聞き返す。「一番大事なものは、夢でもないし、希望でもないし、優しさとか誇りとか、そんなのでもないんだ。それはぜんぶ、二番目に大事なものなんだよ」お父さんは話しながら、拍子をとるようにリュウの肩をそっと叩く。「じゃあ、一番って、なに?」と美由紀が訊いた。「簡単なんだ。簡単すぎて、親はつい子どもに伝えるのを忘れちゃうんだ。子どもが生まれた瞬間は、みんな、親は誰だって思うことなんだけどな」リュウも「それ、なんなの?」とお父さんを見上げて訊こうとした。だが、お父さんは、こっちを見ちゃだめだ、というふうにリュウの頭を手のひらでおさえて動かないようにした。「きみのお父さんも、伝え忘れてた。それをいまも悔やんでる。きっとお母さんも同じだ。みんなそうだ。自分から死を選んでも、そうでなくても、とにかく子どもを亡くした親は、みんな……ずっと、悔やんでるんだ………」声は途中から大きく震えた。お父さんは息を詰めて嗚咽をこらえ、上から押しつぶしたような声で言った。「生きてほしかったんだ」 美由紀は黙ったまま、お父さんをじっと見つめる。「生きてほしい……ずっと、ずっと、生きてほしい……夢なんかなくても、優しくなくても、正義の味方なんかじゃなくてもいいから、生きていれば……明日、夢が見つかるかもしれないし、明日、自分が自分であるという誇りが持てるかもしれない。それでいいんだよ」美由紀はなにか言いかけたが、お父さんは、わかってるよ、と泣き笑いの顔でそれを制してつづけた。「明日のことを考えると怖くてしょうがなくて、いいことがなにもないかもしれない。でも、じゃあ、あさってはどうだ? しあさってはどうだ? 来週になったら、来月なら……中学校を卒業したら、どうなってる?」ロを閉じて小さく肩を落とす美由紀に、お父さんは諭すように言った。「生きるっていうのは、なにかを信じていられるっていうことなんだよ」……。……。「だから……」お父さんの声は、また涙で震えはじめる。ハナを啜る。荒く息をついて、こみあげてくる嗚咽をいくつもやり過ごす。「生きてて……ほしかった……」膝をついて、リュウを背中から抱きしめる。強く、強く、抱く。そのはずみで、リュウの手からレモンが落ちた。美由紀も黙って、自分のレモンをフェンスの上に置いた。つややかなレモンの皮が陽射しを浴びてまぶしく光り、まるで太陽の小さなかけらのようだった。
(最終章 テーチス海の水平線)

 

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あらすじ
ハナは下北沢で古着屋を経営している37歳。仕事は順調。同年代の男よりも稼いでるし、自分の人生にそれなりに満足していた。ある日、恋人から「結婚してやる」と言われ、小さな違和感を感じる。「どうして、この人は『私が結婚を喜んでいる』と思って疑わないんだろう…」違和感は日に日に大きくなり、ハナは恋愛と仕事について模索していくことになるのだが…。人生の勝ち負けなんて、誰が分かるというのだろうか。ひたむきに生きる女性の心情を鮮やかに描く傑作長編。

 

ひと言
結婚して、子どもがいて、辞める勇気のない仕事があって…。手に持ったものを置くこともできず 新たなものを手にすることもできない人。これから何でもつかめるけれど、今は何も手にしていなくて 何かを手にすることができるという保障もない人。なにも選ばずに生きているように見えて、実は選択しないことを選んで生きている人。角田さんの本には はっとする言葉が散りばめられていて、その言葉を見つけるために、その言葉に出会うために でもその言葉は悩みを解決してくれるわけでもないのに…
でもやっぱり角田さんの本を読みたくなる。

 

 

パーティの招待状には「平服でお越しください」と記されていたものの、もちろん平服なんかでいくわけがない。タケダくんをまだ好きだとか、惜しいことをしたとか、そんなことはいっさい思わないものの、自分でも始末に困る見栄があった。だれにかわからないが、ひょっとしたら参加者全員に、元恋人の結婚パーティで、まあきれいな人、とか、まあすてきな人、とか、思われたいのだった。当然タケダくんにも、おや、と思ってもらいたかった。これを未練というのならば、私にはまだ未練があったのだろう。二月のパーティのために買った服・バッグ・靴・アクセサリーの一式は、合計で三十万円を超えた。その全額が、すなわち私の見栄指数なのだろうと思った。
(ウェディングケーキ)

 

 

その人はその人になってくしかない、か。百円ショップの前を通りすぎるとき、私はそこで足を止めて、チサトの言葉を口のなかでつぶやいた。……。その人はその人になっていくしかないと、チサトはきっと日々のどこかで学んだんだろう。勝ち負けも持ち物の多さも、生きていくのになんの関係もないと。こうこうと光る蛍光灯に誘われるようにして、私は百円ショップに足を踏み入れた。……。私はあふれ返る品物に目をとめず、食器コーナーヘと進み、さっき手にしたマグカップにもう一度手をのばした。気に入ったものしか買わないと決めていた。キリエの仕事場みたいにかっこいい部屋にしようと思っていた。間に合わせのものなんか持ちこまないと意気込んでいた。でも、その決意や意気込みは、本当に私のものだったのだろうか。どこにもいないだれかの価値観を、自分のもののように錯覚していただけじゃなかったのか。私はしげしげとそのカップを眺めた。いかにもちゃちなこのカップを、毎日眺め、毎日手にしていたら、いつか、いとおしく思うことができるだろうか。自分にとってたいせつなものに思えてくるんだろうか。これがほしい、というよりもむしろ、私はそんなことを知りたかった。……。……。
そうだ、空っぽの部屋を嘆くことなんかない。だってこれから、いくらでもものを満たしていける。百円だろうが、百万円だろうが、だれの目も気にせずにほしいものを手に入れればいい。私はふと立ち止まり、広げたてのひらに視線を落とす。あの部屋のように、何ひとつつかんでいないからっぽのてのひらが、淡い闇に頼りなく浮かび上がっている。なんにもつかみとっていない、なんにも持っていない――それはつまり、これからなんでもつかめるということだ。間違えたら手放して、また何かつかんで、それをくりかえして、私はこれを持っていると言えるものが、たったひとつでも見つかればいいじゃないか。それがたとえ六十歳のときだって、いいじゃないか
ねえ、そうだよね。きっとそうだよね。母でもなく、チサトでもなく、キリエでもなくタケダくんでもなく、私は自分自身にそう確認してみる。両手をポケットにつっこんで、ぴたりと動かない日の丸の旗から目線を持ち上げると、明かりのない正月の夜空はいつもより深く、まばらに散らばった星はいつもよリ強い光を放っていた。
(空に星、窓に灯)

 

11月14日 大阪で中学2年生のときのクラスの同窓会に参加してきました。

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幹事さんがしっかりしているのと、そのときのクラスが楽しく、みんないい奴ばっかりなので、いつも5年ごとに集まって同窓会を行っているのですが、今年はそのときの担任の先生にもご参加していただき、喜寿のお祝いを兼ねた同窓会です。私は5年前は都合がつけられずに、10年ぶりの参加です。

ちょうど14日が去年の1月に亡くなった親父の月命日で、お寺さんがお参りに来てくださるので、前日の夜から実家に泊まり、お勤めの後、少し早めに家を出て、久しぶりの難波をぶらっとします。

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ほんとうに何十年ぶりの「二見の豚まん」(190円)を店先でいただきます。蒸したての柔らかい昔と変わらないおいしい豚まんでした。

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次は大阪のたこやき No1とも云われるなんば花月すぐ横の「わなか 千日前 本店」。

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定番のたこやき8個入(450円)をお店の中でいただきました。とてもおいしいのですが、熱くて口の中をやけどしそうです。

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少し食べすぎたかなと反省しながら、会場の「道頓堀ホテル」へ。

みんな忙しい中、どうにか都合をつけて担任の先生を含めて15名が参加してくれました。残念ながら当日来れなくなった2名が出てしまいましたが、みんな元気で、まだまだ若く、みんなの頑張っている姿を見ていると自分ももっと頑張らなきゃと元気づけられます。

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10名ほどで2次会はカラオケに行き、終電近くまで久しぶりの再会を楽しみ、その日は実家に泊まりました。

とても楽しいクラス会でした♪。これからは段々寒くなってくるので、体には十分注意して無理しないようにお互い頑張ろうね。
つぎ会うときまで元気でね。楽しいひとときをありがとう♪
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あらすじ
昨年亡くなった高倉健のエッセイ集。健さんが忘れられない時間と場所、忘れ得ぬ人びとに対する男の想いを語った23編を収録。映画の中の朴訥(ぼくとつ)で寡黙な「高倉健」としてではなく、ひとりの人間としての素のままの気持ちが綴られています。 飾らない内容、語りかけるような文章、そして最終章で明かされる、タイトルに込められた思い…… 。

 

ひと言
今日は早いもので大好きな健さんの一周忌。
この本はもう何回も読んだ本だけど、数日前から読み返しました。
今朝は、とびっきりの豆を挽いておいしいコーヒーを淹れて、鉄道員(ぽっぽや)の撮影中、健さんが毎日食べていた大好物の芋だんご(芋もち)を手作りし、バターとオリーブオイルで焼いてお供えしました。
おいしいコーヒーと芋だんごだったよ♪ってあなたに褒められたくて…
健さんが大切にしてきた「人を想う心」。それを忘れないように気をつけるね、見守っていてね。健さん……。

 

 

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三十回目のお詣りをして、心の区切りがついた。一九九〇年からは、もうこれからは行けるときに行こう、心の流れにまかせて自然体であろうと自分に納得させた。三十年間のお詣りで仏様にいうことはいつも同じだったような気がする。「昨年中は有難うございました。こんなに気ままに生きて、昨年はまたしかじかの人の心を傷つけてしまいました。反省します」と手を合わせる。何か頼んだ覚えは一度もない。これからも同じことを祈り続けると思っている。しかし、よく考えてみれば、その時々、一番気になっている人の名を挙げ、その人になんとかご加護を与えてください、と祈っている。頼みごとはしない、などと言いながら、やはりお願いをしてるじゃないか。気になっている人はもう年中変わっているから、気が多いんですよね。
(善光寺詣り)

 

 

『駅』『居酒屋兆治』『夜叉』『あ・うん』ですね。降旗監督が走った姿や、威圧感を感じさせたり、怒鳴ったりする姿を見たことないですよね。大声出したことも人から聞いたこともないんですよね。だからといって、人を突き放しているのではなくて、俳優のことも、小道具のことも、大道具や照明のことも、衣装のことも、きちっと見てくれているんです。認めてくれるから、それぞれの人が、それぞれの場で、よりよいものを求めて、必死で駆け回る。『史記』でしたか、「士は己を知るもののために死す」という言葉、スタッフはみんな降旗さんの前に出ると、死なないまでも、必死で走り回るんじゃないでしょうか。といって、「うーん、よくやった」とか、「おまえは偉いぞ」と褒めることもしないんですよね。だけど、映画ができあがると、一人一人の努力が、きちんと画面の中に込められているんです。あの人の映画に参加できた人は、どのパートの人間でも、自分の今後の行く先に灯りをともしてもらったような気持ちになるんじゃないでしょうか。
(殿様の血)

 

 

ウサギの御守り
人が人を傷つけるとき、自分が一番大事に想う人を、いや、むしろとっても大切な人をこそ、深く傷つけてきたような気がする。この人はかけがえのない人なんだ、もうこんな人には二度とは会えないぞと思うような人に限って、深く傷つけるんですねえ。傷つけたことで自分も傷ついてしまう。そしていつのころからか、本当にいい人、のめり込んでいきそうな人、本当に大事だと思う人からは、できるだけ遠ざかって、キラキラしている思いだけをずっと持っていたいと考えるようになってますね。卑怯なんですかねえ。くっつかなければ、別れることはない。全然その人に会うこともできない、電話すらできなくても、自分の胸の想いというのは、全くなにかタイムカプセルにでも入ったように変わらないんですよね。人にはそれぞれ、いろいろな、しがらみとか事情とかあって。そのときには自分はこうですと言えないというのありますよね。何年かたったとき、今なら言えるんだけどと思うこともあるんですが、時の流れが早すぎて、向こうはもう切り替えて違うパートナーを探してるとかですね……難しいですね、世の中。男と女の話を語る資格は、僕にはありませんが、でも女性を想わない訳ではないんです。うまくいかなかったことが、みんないやな思い出かというとそうでもなくて、うまくいってない、いや、いかなかったんだけどちょっとした瞬間、昔よく聴いた曲とか、立ち止まった景色とか、目をつぶって思い出すとジンとしてくることがあるんです。……。……。
「愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」
『幸福の黄色いハンカチ』の北海道ロケ中に、ぼくが、山田洋次監督に、愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答でした。
(ウサギの御守り)

 

 

車から降りてしばらく探しましたが、やはりわからない。すると、一緒にいた仲間の一人、小林稔侍君が、近くのおばさんをつかまえて聞いてくれたんです。「おばちゃん、このへんに、都荘ってアパートがあったんだけど、知らない?」そのおばさんは、数人の男がうろうろしているので、先ほどから気になっていたらしい。「そこ、そこの空地にあったのよ。でも、もう取り壊しちゃったわよ」安心したような声で言った。よく見ると、門柱はそのまま残っていて、しかもその門柱には、「文京区大塚6-27-2 都荘」と横書きされた表札が、はめ込まれたまま残っていたんです。大泉の東映の撮影所に通い始めたころのことがよみがえってきて、とってもなつかしく思ったんです。ここから歩いて池袋に出て、そこから西武線に乗って、撮影所へ通ってました。金もなかったなあ……。門柱にさわってみたけど、ビクともしなかった。「柱ごと持って帰りたいけど、無理だよな。今度はカメラ持ってきて写真に撮ろう」そんなことを、独り言みたいに言ってると、おばさんが話しかけてきた。「あんたたちはなに?」「いや、都荘っていうアパートがあったって聞いたからね」「ああ、都荘って有名だったからね。昔、高倉健が住んでたのよ」おばさんは、昔からのことを知ってるらしかった。「嘘だろ」と、稔侍がまぜ返すと、すかさずおばちゃんが答える。「本当だよ。ここらへんでは有名な話なのよ。…」……。おばさんのお喋りを聞いたあと、ぼくはもう一度、門柱と表札にさわってみて、言ったんです。周りが気安い仲間たちだったからでしょうね、また、チョロっとね、「チキショウ、これ柱ごと記念に取っておきてえなあ……」二ヵ月くらいたったときだと思います。稔侍と一緒にメシを食っていると、「アノー、持ってきたんすよ、あれを」と、突然ぼそっと言うと、ガサガサと新聞紙の包みを取り出した。手にずしりと重いそれは、開いてみるとあの都荘の表札なんです。ぼくはびっくりして、口の中のメシを噛まずに飲み込みそうになった。「こんなもの、どうやって外したんだよ」コンクリートの門柱に、ピタッとはめ込まれたタイルの表札である。素人の手には負えないはずだ。「いや、あの『あにき』のときの鉄カブト、じゃなくてヘルメットかぶって、その下にちゃんとほっかぶりもして、金づちとこれで」と、ノミと金づちを持つしぐさをした。……。「で、コンコンやってたんですよ。そしたらまた、あのババア、いや、おばさんが出てきて、「何してるの?」「うーん、ここ、もう立ち退きだからあ」とかごまかしてですね。横っちょがちょっと欠けてしまいましたけど……」
とても嬉しかった。稔侍の思いが。そのときから、左のカタが欠けている横長でちょっと黄ばんだ表札は、ぼくの宝物になったんです。そのとき一緒だった仲間の中で、これは自分がやるべきことなんだという稔侍の思いと一緒に……今度は僕の心に嵌め込まれて、ガッチリ留まっているんです。受け切れないほどの、奴の思いをどうやったら返せるでしょうか。
稔侍とのことはきっともっとお話ししたくなると思います。たくさんの方に聞いていただくしか返せるすべがないのかもしれません。ありがとう、稔侍。
(都荘の表札)
 
「お母さん。あなたが思っているより、僕ずーっともててるんだよ。教えてやりたいよ本当に」「バカ」って言ってました。頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒められたい一心だったと思います。……。
あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。
(あなたに褒められたくて)

 

11月8日 第28回の3人旅は姫街道を歩く旅です。

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東名の三ケ日ICで降りて、天竜浜名湖鉄道の気賀駅前に車を停め、9時14分発の列車で、隣の西気賀駅へ。

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石畳みの山道を歩き姫岩を目指します。

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ここから細江神社まで3時間半ほど姫街道を歩きます。

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「姫街道」とは、1498年(明応7年)浜名湖と海を隔てていた陸地が切れ、「最近切れたためにできた渡し」ということから「今切れの渡し」と呼ばれる渡しができました。しかしこの渡しは危険なだけではなく「今切(いまぎれ)」が「縁切れ」という不吉を連想させ、新居の関所は江戸に向かう「入り女」に対して取り調べが厳しいということも重なり、女の人が「今切」を避け、峠道に向かわせたのが「姫街道」の始まりのようです。

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途中みかんがたわわに実っていたり、伝説のダイダラボッチの足跡の池の横を歩きます。

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小引佐から見えるプリンス岬、その向こうに見える浜名湖を渡る東名高速、その先には舘山寺の観覧車。姫街道を歩いて巡る人だけが見ることのできるご褒美のような素晴らしい景色でした。

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気賀の関所は夕方6時には門が閉められ、朝6時まで開きません。そこで領主 近藤用随は住民の不便を考え、「犬くぐり」と呼ばれる関所の抜け道をつくりました。

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わらのムシロを1枚垂らした門で、人は立ったまま通れないが、犬がくぐって通るのは差支えないという なんと粋な計らいでしょう。
ムシロには「みをつくし」(舟が水路の目印にする杭)のマークが…。ここを通ればいいよ。と言ってくれているようでとても嬉しい気持ちにしてくれます♪。

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足が棒になるほど歩いて気賀駅へ戻り、お昼は近くのうなぎ屋さん「曳舟」でうな丼(2200円)をいただきます。

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次の舘山寺へ向かう途中、道端の無人販売所でお土産に激安のみかんを買います。

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ここは何回か訪れているのですが舘山寺にお参りするのは初めてです。

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縁結び地蔵には人気の心の文字にかぎの絵が描かれた縁結び絵馬がたくさんかけられていました。

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好きな西行がこの岩の上で歌を詠んだと伝えられる西行岩にも登ってみました。

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今日のお風呂と食事は「ホテルウエルシーズン浜名湖」です。

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ディナーバイキング&温泉セットプラン(5130円)はとてもお値打ちで、今回もとても楽しい3人旅でした♪。
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あらすじ
数百キロ離れて暮らすカップル。久しぶりに再会したふたりは、お互いの存在を確かめ合うように幸せな時間を過ごす。しかしその後には、胸の奥をえぐり取られるような悲しみが待っていた―(表題作)。16歳の年の差に悩む夫婦、禁断の恋に揺れる女性、自分が幸せになれないウエディングプランナー。迷い、傷つきながらも恋をする女性たちを描いた、10のショートストーリー。

 

ひと言
1ポンドが「ヴェニスの商人」の肉1ポンドだったとは…。この前に読んだ村上春樹の「女のいない男たち」にもあった『逢ひ見ての…』に通じる表現。
『1ポンドの悲しみ』 だなんて、知的さを含んだ 衣良さんらしいおしゃれな言葉だなぁ。覚えとこ♪

 

 

「なにしてるんだ」朝世は泣きそうな声でいった。「あの子の名前を考えてる。あの子は今苦しくてたまらなくて、それでも必死に闘っていると思う。がんばれって応援してあげたいけど、わたしはどんなふうに呼んだらいいのかもわからない。わたしたちのまわりにあるものは、どんなにくだらないものでも、ちゃんと決まった名前をもってるのに、あの子には名前もないの。生まれてひと月で、もっているのは穴のあいた心臓だけなんだ。そう考えたら、たまらなくなって」朝世はボールペンの先を手帳に突き刺した。声を漏らさないように肩を震わせている。俊樹がペンチのとなりにやってきて、しっかりとその肩を抱いた。……。
「今回のことで、ぼくにはよくわかったことがある。名前ってぼくたちがやってるみたいに誰のものかあらわすだけじゃないんだ。何度も心のなかで呼んでみたり、歌うように繰り返したり、誰にも見られないように書いたりする。好きな人の名前って、それだけでしあわせの呪文なんだね。……。
朝世は右手の人さし指で俊樹の頬にAと書くと、あたりに看護婦の姿がないのを確認してから、そのイニシャルがいつまでも消えないように、そっと唇を寄せた。
(ふたりの名前)

 

 

「きてくれるとは思わなかった。急でしたから」英恵はうなずいていった。「芹沢さんを三十分も持たせてしまうのは気の毒だから」ふたりは池をめぐる遊歩道を肩を並べ歩きだした。……。英恵は縁の水面をゆっくりと揺れながらすすむボートを眺めていた。始まったものにはいつか終わりがくる。だが、別なことを始めるためには、先に終わらせておかなければならないものがある。それはまだ英恵には終わらせることができないものだった。英恵はまっすぐにまえを見ていった。「毎週のように花を買いにきてくれるのはとてもうれしかったです。いつも短い時間だったけれど、芹沢さんとお話しできて楽しかった」芹沢は英恵の声の調子になにかを感じたようだった。黙ってとなりを歩いている。足元で枯葉を踏む乾いた音がした。英恵は一歩先にでて背中ごしにいった。「でも、こうしてお店の外でお会いするのは今日だけにします。芹沢さん、ごめんなさい。この池を一周したら、わたしは家にかえります」芹沢はうなずいたようだった。「そうですね。それが一番いいのかもしれない。英恵さんにはかえる家があるんですよね。ご迷惑をおかけしました」迷惑なんかじゃない。英恵はいいたかった。あなたはわたしの心がからからに乾いてひび割れそうなときに、たっぷりと水分を贈ってくれた。感謝しているのはこちらのほうだ。芹沢はふっ切れたようにさばさばという。「急な転勤の辞令がでて、来月から秋田市にいくことになりました。生保業界は転勤が多いんです。だから最後にきちんとお会いして気もちだけでも伝えておこうと思って。でも、ぼくのわがままでした。英恵さんがつくってくれた花束を部屋に飾れなくなるのが、これからはちょっと淋しいです」ふたりはそれから三十分ほどかけて、ゆっくりと池をめぐった。家族のこと、友人のこと、学生時代の思い出。もう何度も誰かに話したことを、初めて話すときの新鮮さで伝えあった。自分の話をこんなふうに集中してきいてくれる誰かがいるのが、英恵はただうれしかった。だが、楽しい時間は駆け足ですぎてしまう。どれほどゆっくり歩いても、先ほどの出人口はやってきてしまう。最後の数十メートルをふたりは無言のまま歩いた。自分の名残おしい気もちは、芹沢にもきちんと伝わっていると英恵は思った。ふたりは枯葉の散らばる階段を見あげた。芹沢は緊張した顔でいった。「ぼくはここに残って、もうすこし頭を冷やしていきます。今日はどうもありがとう」そういって手をさしだした。英恵は階段を見あげてから、芹沢を見た。冷たい手を取って、指先だけそっとにぎる。「わたしのほうこそありがとう。いつかまた花束をつくらせてくださいね」英恵は芹沢の目を見た。秋の盛りの公園がすべて目のなかに吸いこまれていくようだった。男の人の目を見て、これほど切ない気もちになることは、もう一生ないかもしれない。でも、きっとこれでいいのだ。糸を引くように指を離す。英恵は咲かせることのできなかった白いつぼみを一輪胸の奥に抱えて、階段をゆっくりとのぼった。だが、毎日のように花を扱う英恵は知っている。花は決して咲いているときだけが美しいのではない。花には花の、つぼみにはつぼみの美しさがある。いつかこのつぼみを咲かせるときがくるまで、大切に残しておこうと思った。その日はきっとやってくる。
(十一月のつぼみ)

 

 

「ふたりでよく本の感想を話していたでしょう。ぼくは機械のメンテナンスをしながら、きいていたんだ。とても他人のような雰囲気じゃなかった。本の話をしているときの千晶さんは、なんていうか……けっこう、いけてたよ」目のまえの新宿の街に新しい日がさしたようだった。視界全体が汚れをぬぐわれて、さっと明るくなった。ほんの五文字の言葉が生む力に、千晶は心を動かされていた。高生は表情を硬くしている。一世一代の殺し文句をはいたあとには見えなかった。「それで、今日はこのあとだけど……」……。「今日は予定がないから、ちょっと早いけど明るいうちに、冷たいビールでものまない? わたし、高生さんと話したいことがいっぱいあるみたいな気がする」高生はほとんど目を閉じそうに細めて笑った。「どうせ、これまで読んだ本の話なんでしょ」千晶は少女のように舌の先をのぞかせた。「うん、そうだけど、それが一番わかるんだよ。あなたがどういう人で、なにが好きか。心の底でどんなふうに生きたいと思っているか」千晶は窓のむこうを見ている高生にいいたかった。これほどたくさんの本が書かれているのは、そのせいなのだ。本はひとつひとつがちいさな鏡で、読む人間の心の底を映しだす力がある。……。高生と千晶の物語にいつか最高の山場がやってくるとしても、そこまでのページにも、きっと素敵なサイドストーリーが待っているに違いない。千晶はカウンターのうえでサイン本を開いた。輝やく銀の大文字が躍っている。わたしたちの本は、今日この瞬間にこの言葉から始まるのだ。それがどんな結末をむかえるにせよ、千晶は途中で読むのをやめるつもりなどなかった。
(デートは本屋で)

 

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あらすじ
小学3年生、母を亡くした夜に父がつくってくれた"わが家" のトン汁を、避難所の炊き出しでつくった僕。東京でもどかしい思いを抱え、2 カ月後に縁のあった被災地を訪れた主婦マチ子さん。あの日に同級生を喪った高校1年生の早苗さん…。厄災で断ち切られたもの。それでもまた巡り来るもの。家族の喪失の悲しみと再生への祈りを描く、7つの小さな物語。

 

ひと言
読み終えて 警察庁のHPで行方不明の方の人数 2567名(10月9日発表)を確認し、法務省のHPで死亡届を見た。後5ヶ月でもう5年になる。
いつも泣くことのほか 何もしてあげられないけど、この震災のことを、亡くなった人たちのことを ずっと忘れなければ 私たちの心の中にずっとその人たちは生き続けることができる。
これからだんだん寒くなっていくけど 次の春を その次の春を、おだやかな暖かい日がつづく春を想って…… 

 

 

「いまのおまじないって……」マチコさんが訊くと、転校してしまう子が「六年生のひとが教えてくれたの」と答え、見送るほうの子が「ずーっと、二小の伝統になってるの!」と自慢するようにつづけた。「そうそう、伝統だよねー。だって、ウチのお父さんも二小なんだけど、お父さんの頃からあったんだって。ほかの学校にはないから、二小だけの伝統なんだよね」「すごく効き目あるって六年生のひとが言ってたよ」「奇跡を呼ぶんだよね」「だからまたエリちゃんと会えるよね」「会える会える」ケイコちゃんが友だちの誰かに伝えてくれた。その友だちが別の誰かに伝え、年下の子にも広がって、やがて代々語り継がれる伝統になった。「あれ? おばちゃん、泣いてるの?」「なんで? えーっ、わたし、なにもヘンなこと言ってないよね?」「でも泣いてるよ」「やだ、なんでぇ?」わかった。わたしがこの町でいちばん会いたかったのは、昔のわたしだったんだ、と思った。だいじょうぶ。ちゃんといた。マチコさんがこの町で暮らしたことの証は、ここに残っていた。胸のつかえが、すうっと消えていく。やっと、誰かのためにきちんと涙を流せる気がした。「誰か」の顔は浮かばないままでも、もう落ち込まなくていいんだ、と顔の見えない誰かが、そっと背中をさすってくれた。
(おまじない)

 

 

奇跡を信じるには月日がたちすぎている。もう二度と会えないんだ、と思わせてほしい。あきらめさせてほしい。そうすれば、思いっきり泣いてあげられるのに。慎也に対して幼なじみ以上の感情を抱くことはなかったものの、だからこそ、男子や女子の区別がほとんどない幼い頃に戻って、わんわん泣くことができるだろう。現実にはありえないようなか細い希望を大切に守りすぎて、きちんと悲しむことができないというのは、やっぱりおかしいと思う。心の底から悲しませてほしい。無念と悔しさいっぱいのお別れをさせてほしい。お墓参りもしたい。仏壇にお線香だってあげたい。なにより、おっちょこちょいで元気だった慎也の思い出を、みんなで話したい。なつかしい話は尽きないはずだし、きっと最後にはみんな泣いてしまうはずだ。そのほうが慎也も喜んでくれるだろうし、ありったけの涙を振り絞って流したあとは、こっちの気持ちもすっきりするだろう。理津子さんにその思いをぶつけてみた。なるほどね、と理津子さんは小さくうなずいてから、まっすぐに早苗を見据えた。「慎也くんでも誰でもいいんだけど、津波で亡くなったひとは、あんたをすっきりさせるために亡くなったわけじやないからね」ぴしゃりと言われた。
(しおり)
    
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四日前の六月七日に、法務省は死亡届の提出手続きを簡略化することを決定した。たとえ遺体が発見されていなくても、家族の申述書などがあれば市町村役場に提出できることになったのだ。法務省のホームぺージからは、申述書の様式がダウンロードできる。由美さんが帰ったあと、理津子さんはさっそくその内容を確かめて、「ひどいなあ……」とうめき声でつぶやいた。早苗も見せてもらった。ざっと目を通しただけでも、胸が締めつけられた。アンケートか問診票のような様式だった。たとえばー。〈本人の生存を、いつ、どのような方法で、最後に確認しましたか〉〈現在に至るまで、本人から連絡がありましたか〉〈本人からの連絡がない理由について、どのように考えますか〉――回答の選択肢は二つ。〈本人の死亡以外の理由は考えられない〉か、記述式のくその他の理由〉。〈親族のうち、本人が死亡したものと納得していない人がいますか〉――今度も選択肢は二つ。〈いない〉ならそれでいいが、〈いる〉場合には、本人との間柄や納得していない理由を記入することになっていた。「こんなの家族が書かなきやいけないの?」思わず訊くと、理津子さんは「お役所の書類だからしかたないわよ」とため息をついた。「慎也くんのお父さんとお母さん、これを書いたの?」「うん、ゆうべね」「……つらかっただろうね」よけいなこと言わないの、とたしなめられるだろうかと思っていたが、理津子さんは黙ってうなずいた。申述書はどこまでも事務的につくられている。必要最小限のもの以外はすべて削ぎ落とされ、理由を答える箇所はあっても、感情を伝える項目はどこにもない。理屈では割り切れない思いや、すっきりしない思いを捨て去らなければ、家族の死を届け出ることはできないのだ。「でも、これくらい冷たくてそっけないほうが、かえっていいのかもね。踏ん切りがつくもんね」理津子さんはそう言って、「もう三ヵ月なんだから……」と自分に言い聞かせるようにつづけた。
(しおり)

 

 

包みの中には、ホタテの貝殻でつくったネックレスが入っていた。貝殻をきれいに磨いて色をつけ、穴を開けて紐を通しただけの、ほんとうに素朴な、アクセサリーとも呼べないようなものだった。貝殻の内側には〈まいちやん おめでとう〉の手書きのメッセージと、今日の日付が記してある。「これ……わたしのお誕生日のプレゼントってこと?」黙ってうなずくお母さんに代わって、お父さんが「そうだよ」と答えてくれた。「佐藤さんって誰?」「麻衣がカレンダーを送ってあげたひとだ」「マジ?なんでウチの住所知ってるわけ?」説明はお父さんに任せた。お母さんはまたキッチンに引っ込んで、ネックレスに同封してあった手紙を読んだ。いかにもお年寄りらしい、細くて頼りなげに震えたボールベンの字だった。〈先日はお手紙ありがとうございました。娘さんのお誕生日、せっかくのご縁ですので、私にもお祝いの真似事をさせてください。仮設住宅のみんなと一緒につくっている飾り物です。まだまだ下手ですが、やることがなにかあるだけでも、心に張り合いが出ます〉カレンダーには、週に三日、ネックレス作りのために仮設住宅の集会室に出かける予定が書いてあるらしい。〈カレンダーに書いた予定を見るたびに、ニコニコしています〉文字が震える。震えつづける。おばあさんの書いた文字だから、ではなく。〈私の孫は中学二年生でしたが、可哀相なことになってしまいました。麻衣ちゃんはどうか元気で大きくなってください。お祈りしています〉
(記念日)

 

 

「写真というのはたいしたものですね。泣けるんですよ、写真があると」――「女房も、嫁も、孫も」とつづけたあと、少し間をおいて「私も」と付け加える。山本くんの写真が家になかった頃は、仏壇の前で悄然とするしかなかった。悲しみは胸に降り積もる一方で、流れ出て行く先がない。写真が届いて、やっとそれが見つかった。家族がみんな泣くようになった。仏壇に向かわなくても写真をちらりと見るだけで、いや、写真がそこにあるということ、ただそれだけで、目に涙がにじんでしまう。「おかげで、みんなすっかり泣き虫になって、家の中が湿っぽくなっちゃってね」言葉ではぼやいていても、表情のほうは、ほっとしている。
(五百羅漢)
 
運命について思う。悲しみはある。ないと言えば嘘になる。けれど、悔しさや無念や恨みだけは抱くまい、と自分に言い聞かせる。ひとはそのために、運命のせいにするという知恵を授かったのかもしれない。冬が来て、また春がめぐって、桜が咲き、鮭の稚魚は海を目指して泳ぎだす。……。……。
まっすぐ座り直して、冬を越えたあとに待つ春を、また思う。次の春も、また次の春も、おだやかな暖かい日がつづくといい。
(また次の春へ) 

 

10月24日 今日はお天気もよく、友引。
昨年の7月、琵琶湖の竹生島の宝厳寺を訪れたのが、ご縁となり西国三十三所を巡り始めましたが、ついに谷汲さんへ行く日がやって来ました。今日で満願達成です。

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谷汲さんの山門をくぐり、石畳や石段をかみしめるように一歩一歩ゆっくりと進みます。

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本堂(現在)にお参りし、満願堂(過去)へ納札します。

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笈摺堂(未来)にはすごい枚数の白い着物(笈摺)、それに笠、杖、折り鶴が奉納されていました。

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本堂で御朱印を三ついただき、先達申請書もいただきました。
般若心経をまだ完全に諳んじることができない私が「先達」だなんて恐れ多いですが、家族や友人が西国三十三所を巡るときの案内人として少しでもアドバイスしてあげることができれば…、この後、自分が亡くなるまで、今度はゆっくりと また西国三十三所を巡りたいと思っていますが、その巡礼の励みやきっかけになれば…。と思い「先達」に申し込むことにしました。

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感謝の気持ちを忘れずに、毎日を心静かに過ごすことができますように!」その願いをいつも忘れないように、満願の記念に念珠守りもいただきました。忘れそうなときは、この数珠を見てその気持ちを思い出すようにします。

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本堂の柱の阿吽の口をした「精進落としの鯉」に触れて、山門を出てすぐ右にある「富岡屋」さんに向かいます。

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ずっと前から、満願達成したら必ず食べようと思っていた「満願そば(700円)」。不定休となっていたので「お休み」だったらどうしよう。と思っていましたが開いていてよかった♪
食べ終わった器の底には「満願成就」の文字、側面には笈摺堂のご詠歌「今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲」の文字

いろいろなことに感謝!感謝!感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんとうにありがとうございました(合掌)