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今朝はまた雪、帰りにJR名古屋高島屋の『アムール・デュ・ショコラ』にこの時期だけ出店の「マックス ブレナー」に寄りました。噂のチョコレートチャンクピザ 1/6サイズ(420円)と名古屋タカシマヤ限定の小倉チョコレートピザ(500円)をテイクアウト。電子レンジで20秒ほど温めていただきます。甘~い!。チョコレートも大味な感じがするのですが、うちの女性陣は すごくおいし~い♪ また食べたい♪ とのことでした。

 

マックスブレナー ルクア大坂(食べログ)
名古屋市中村区名駅一丁目1番

 

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あらすじ
ベントレーを駆り、GHQに啖呵を切る。お洒落でダンディ、何をしても様になる。危機の時代、日本が最も必要としたジェントルマンの生涯。こんなカッコいい男見たことない!

 

 
ひと言
年末にレンタルDVDで渡辺 謙さん主演の「負けて、勝つ」~戦後を作った男・吉田 茂~を観ました。
「吉田 茂の懐刀」といわれ、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」といわれた人であるぐらいは知っていたのですが もっと白洲 次郎について知りたくてこの本を借りました。人気の「白洲次郎 占領を背負った男」も借りられたら読んでみたいです。

 

 

一九四五年の十月、日本政府はマッカーサーの指令を受けて憲法改正案の作成に着手した。松本烝治国務相を中心とする憲法問題調査委員会がその任にあたり、天皇の統治権を認める「松本私案」が翌年二月三日、GHQに提出された。しかしGHQはこれを一蹴。二月十三日、GHQが作成した「マッ力ーサー草案」を日本側に提示した。この場に立ち会ったのは松本国務相、吉田茂外相、白洲次郎、長谷川元吉翻訳官の四人。あまりに突然の展開に「日本側は呆然となった」という。この二日後、急展開に待ったをかけようと白洲次郎はホイットニー准将に私信を送る。それが「ジープウェイ・レター」である。白洲は、ここで「急激な改革は極端な反動を招く」とし、日本には日本のやりかたがあると説明する。白洲は日本側を「THEY(彼ら)」、GHQ側を「YOU(あなた方)」と呼ぶなど、一貫して中立の立場を貫いてはいるがGHQへの怒りがこめられている。しかし、翌日のホイットニー准将からの返信で「ジープウェイ・レター」もまた一蹴される。「日本政府が実行シナイノナラ司令部デ独自ノ行動二出ル」「連合国ヨリ改革ヲ押シ付ケラレルコトニナレバコンナ生易シイモノデハ済マヌ」と、語調は一段と厳しさを増す。日本政府は意見がまとまらぬまま、草案の翻訳に着手せざるを得なくなり、法学者の検討も経ずに、白洲次郎と外務省翻訳官が作業にあたることとなった。 「シンボル・オブ・ステーツ」とある天皇の地位が「国家の象徴」と訳されたのはこのときである。「井上の英和辞典」を参考にしてのことだった。

 

 

【ジープウェイ・レター】抜粋
彼をはじめ閣僚は、貴下の草案と彼らの草案は、同じ目的地を目指してはいるが、選ぶ道に大きな違いがあると考えています。貴下の道はアメリカ的で非常に直線的、直接的。一方彼らの道は、曲がりくねった細長い回り道で、実に日本的なものに違いありません。貴下の進む道を空路とするなら、彼らの道はでこぼこ道(確かに平坦な道のりではありません!)のジープウェイといえましょう。……。現行の政府は政党政府ではありません。それゆえ国民の支持をどの程度あてにできるのか、知る術もないのです。新聞を見て、左翼の極端な直接行動について読んでいます。しかし、一方で彼らは、国民の大半は激しく共産主義に反対しており、心から天皇を擁護していることも知りすぎるほど知っています。彼らは、いかなる改正であれ、それが「ドラスティック」なかたちで提出されれば、議会で野次り倒されて、結局何も成し遂げられずに終わってしまうことを恐れています。それゆえ注意深く、慎重にことを進めねばならないのです。彼らはこの国の政党政治の時代を今なお鮮明に覚えております。ときに政党が近視眼的であったり、腐敗していたりしたとしても、当時彼らが考える「民主的原理」はいたるところに行き渡っていました。国中どこでも軍人は蔑視され、サーベルを帯しては、もはや電車にも乗れないほどでした。軍事予算も各方面で削減されたのです。その結果、激しい反動が起こって、ご存じのように軍国主義が台頭したというわけです。彼らは完全な改革を急激に行なうことで、極端な反動を招くことを恐れており、それだけは避けたいと考えています。改正を発議する権利が、ひとたび天皇ではなく議会に与えられれば、戦いは勝ったも同然で、あとは国民の意思に従って、政府が思い通りに改正を進めることができるだろう、というのが彼らの一致した気持ちなのだと、私は考えます。

 

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名古屋は雪 電車通勤の帰り、昨年の12月に拡充された名駅の『名古屋うまいもん通り』の「キュイット」に寄りました。
有名パティシエ辻口博啓さんのお店で、以前に一度行列に並んだのですが、なかなか列が進まず途中でリタイヤしてしまいました。チーズタルト6個(1200円)。とろとろの2種類のフランス産クリームチーズの味が絶妙で すごく後味のいいタルトです♪。チーズタルト好きには少し物足りないと思うかもしれないチーズ感ですが、チーズ感を強めて味をごまかすのではなく、この上品なチーズを味わってほしいという辻口さんのメッセージを感じる一品です。まだ食べていませんが 冷やして食べるとまた一味違うチーズ感になりそうでとても楽しみです♪。

 

 

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あらすじ
タイトルの「且坐喫茶(且く坐して茶を喫せよ)」とは、禅の言葉で「まぁ、お座りになってお茶でも飲みなさいよ」の意味。茶の師匠から人生のすべてを学んだという作家・いしいしんじは、アロハシャツにジーンズ姿で師匠の門戸を叩いたことからはじまりました。その茶観は、どのようにして形成されていったのか。本書では、著者が禅僧・牧師・茶人・現代画家・和菓子作家・陶芸家などを亭主とする一期一会の茶事に臨み、一亭一客の狭小の茶室のなかで坐して茶を喫した経験を通し、日本人の美意識、亡き師匠の思い出などを綴ります。

 

ひと言
「且坐(しゃざ)喫茶」。素敵なタイトルのこの本が図書館の新着のコーナーで私を待ってくれていました♪。3つの国宝の茶室のなかで最も有名な山崎の待庵。(残り2つは 犬山の如庵、大徳寺の密庵)。二畳隅炉のこの狭く暗い空間に坐して宇宙を感じてみたいなぁと思いました。

 

 

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【Google マップのストリートビューをキャプチャー】

 

 

旧国鉄、山崎駅の改札を出てロータリーを見わたす。駅前に、古書店か定食屋のような何気なさで、妙喜庵が建っている。階段をあがって案内を請う。寺務所からあらわれたご住職も、同じ町内に住む知り合いに接する気安さで、初対面の僕を、寺の奥へと誘ってくれる。そうしてやはり、なんの構えもない、力が抜けた風情で、侍庵がそこに、その名のとおり「待っている」。「こうだ」という押しだしが一切ないのはもちろんのこと、いわゆるわび、さび、茶の湯らしささえ感じない。ほんとうに、木がそこに、川がそこにあるのと同じように、利休の作った茶室が、ただそこにある。裏返せば、そこになくったって、別にかまわない、そのように建っている。これが国宝か。……。見学するにはもちろん、お寺に予約を入れておかなければならない。それでも、通常はにじり口からなかのようすを窺うだけ。ほんのわずか開かれたすき間をのぞき、流れている空気の色、包みこまれた時間の風合いに、ただ思いを馳せるだけ。拳をつき、身をくぐらせる。大ぶりなにじり口が、頭上でいま、僅かにふくらんだようにおもう。気がついたら、座っている。そこ、とまるで茶室から定められたように、畳上のある場所にぴったりと。右ななめ奥に切られた炉にむかい、水屋から出てくる亭主を待ちかまえる体勢。

 

 

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まず感じるのは、土のにおい。薄暗がりのなかを漂ってくる芳香は、まわりの土壁から発し、五百年のときを埋めて、僕の縮こまった体躯を包んでいく。藁房を叩きつけ、あえて傷跡を残した土の肌は、みつめているとまるで、コケに覆われた洞窟の壁面だ。広いのか、狭いのか。印象が小舟のように揺れ動く。木と土と、紙の直線。まるみ。体内にいるような感じを受けて、ふと右横に目をやれば、床の間の土壁の隅に角はなく、くるりと、空気を押しつけたようにまるまっている。衝動に駆られ、つい立ちあがる。その場に立ってみると、待庵のなかは小さく感じる。床の間上部の落とし掛けが、ちょうど僕の鼻の位置にある。ところが、真上に視線をむけると、折りたたまれた駆け込み天井がしゅっと伸び上がり、ロのなかでつい、広い、と漏らしている。これはいったい、なんなのだろう。あらためて、正客の座につく。床の間は北側。僕が背にした東側の壁にふたつ、中と小サイズの窓が穿たれ、南側、にじりロの斜め上に、大ぶりな窓が配置される。大、中、小と、リズミカルにならんだ三つの方形から光がこぼれ、茶室のすみずみにまで波打っていく。もっているノートの長辺をつかい、あらためて、畳のサイズをはかってみる。なんだかやけに大きいように感じたけれども、京畳の一畳分にまちがいはない。おもいつき、部屋をしめきってもらう。にじり口、窓、ふすま、すべて閉ざされたなかに座り、息をひそめているとまもなく、仰天することが僕の身に起こった。これまで生きてきて、はじめて経験することだった。からだを右に引っぱる力を感じ、ふりむくとそこに、闇をたたえた穴があった。床の間の空間がまるまると、すべてを飲み込まんばかりの大きさに口をひらいていた。薄日がうしろ、左手から射すいっぽう、右手には絶大な闇がひろがる。座っていて、ぐいぐい、からだの芯がそちら側へ引っぱられ、肌に飛沫がはじけるような恐怖をおぼえる。待庵の床の間の壁のまるみは、室内をより広く見せようという工夫、そういわれていることは知っていた。が、僕の身に起こっているのはそれ以上のことだった。僕にとって、壁のまるみは無限へと引きずり込む、まっくろい穴の縁だった。右へ引きずり込まれそうになりながら、茶室のしつらえに視線を飛ばす。炉の前に座っているひとをイメージする。と、今度はそちらへの磁力を感じ、からだがぐいっと正面に引き戻される。炉には、いまのこの瞬間を燃え尽くそうという炭の光。右手、床の間にひろがる闇と、炉に灯った炭の光、両者のあいだで人間が揺らぐ。油断すると、引き裂かれてしまうかもしれない。そのちょうどまんなかに、真上へみずから躍りあがるような床柱が立っている。その宙にもし、花が浮かんでいたとしたら、花は光と闇のまんなかに立つ、つなぐ、ひとときの生命の結晶だ。まるみをたたえた闇、宇宙に引っぱられ、この場から消えてしまいそうな存在を、真正面からあらわれた人間の、生命の光がすくいあげ、この世界にとどめる。待庵の客は、宇宙のこの一点にしか位置をしめられない寂しさにふるえ、この一点にたしかに位置を占めている僥倖にふるえる。そのように作ってある。もうひとつ気づいたことがある。床の間だけでなく、土壁の、炉の切られた側、北西の角もまるい。それはおそらく、炉の前に置かれる茶碗のまるみと呼応している。待庵の宇宙を、茶碗は惑星のように移動する。ケプラーの法則にしたがい、楕円軌道に乗って、亭主と客のあいだを行き交う。

 

 

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意を決し、炉の前に座ってみる。そうしないでいられようはずがない。背をのばし、しずかに息を整える。薄目を閉じ、からだにかかる力、光の加減に意識をむける。床の間の引力を感じない。ここにいる、と強くおもう。東側、右手に位置する窓が、僕を見つめている。からだがゆっくりとほどかれる。窓はふたつの目、炉は口。床の間は手で触れないこころだ。いつのまにか、茶室全体に「自分」が充ちている。主は「茶室になる」。あるいは茶室が「主になる」。両方が同心円状に重なり、入れ子状に包み合う。そこにいる小さな自分を見ている、中くらいの自分をたえず感じながら、大きな自分が手を動かすさまを、一畳の距離を置いて、客が見ている。そんな波打ちのなかを、まんまるい茶碗が行き来する。右、左、上、下を、やわらかなまるみが受けながし、茶室のあらゆる箇所に、いくつもの渦巻が生じる。生まれながら移動し、重なりあい、相殺し、照応しあっている。目の前の炉にもし、炭火が灯っていたとしたら。僕の身はその光のなかへ、なかへ、吸い込まれていくだろう。僕自身がばらばらの粒子となって、あらゆる渦に巻き込まれ、ここにいて、同時にそこに、あそこにいるという、摩詞不思議な実感をおぼえるだろう。壁面のアール、窓からこぼれ落ちる光、伸び縮みする畳。まちがいなく、そのように作ってある。客が体感するのが、宇宙空間に置かれた自身だとしたら、亭主が目の当たりにしているのは素粒子の戯れだ。自分はそこにいる、同時にそこにいない。波であり、同時に粒である。伸び縮みする時間。闇に引きずり込む目に見えない力。二十世紀の理論物理学者は、じつはみんな侍庵を訪れて、その体験を数式であらわしたんじやないのか。やはり思いきって、ごろん、と大の字に寝転んでみる。ほかの茶室でやったことはないけれども、待庵はきっと許してくれる。手を伸ばし、足を伸ばすと、二畳という広さがちょうど、人間を包みこむ膜の大きさであることに気づく。呼吸する、そのくりかえしのなかに、かすかに声がきこえる。風音かもしれない、そら耳かもしれない。ただ僕は、実感として、ささくれた竹の先が、かさかさと液面の底をこする音を耳にしたのだ。穴の底で。自分のからだと一体になった、紙と土と木で作られた建物のまんなかで。……。
畳の上で僕は、いつしか、ひとつの茶碗になっていた。僕のなかにはもう、予め、液体がたたえられている、とおもった。天井を見上げ、窓の光を浴び、深々と呼吸する。土壁の、三箇所のまるみを見上げるとやはり、こころがふっくらと落ちついた。ごろ、ごろ、と寝返りをうってみる。たぷりたぷりと液体が揺れ、しばらく経ってから、平らかな緑色に凪いだ。待庵は、建物というだけでなく、ひとつの結び目だ。そこにいるあいだ、ほかで味わいようがない感覚に打たれ、巻きこまれ、時を過ごす。国宝だから、でない。何度も書くけれども、そのように作ってあるのだ。だがしかし、外に出た瞬間、夢のように雲散するかというとそうでない。結び目はほどかれ、待庵の欠片が僕のなかに残る。待庵がある宇宙に僕は浮かび、侍庵をなす素粒子と僕は共鳴している。
ひとが訪れ、立ち去り、誰もいないそこに光が、時間が流れている。茶室はひとつの宇宙である、とよくいわれるが、待庵を知ったあと、僕はこんな風に感じている。宇宙は一軒の茶室である、と。息をし、歩き、笑ったり泣いたり、顔を見合わせたりしながら、僕はいま、ひとつの茶事を生きているのだと。待庵の壁のまるみが、微笑みかけながら、ことばを越えて教えてくれた、そんな気がしている。
(待つ)

 

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あらすじ
少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。言いたいことがいつも言えずに、悔しかった。思ったことを何でも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけど。ある年の聖夜に出会ったふしぎな「きよしこ」は少年に言った。伝わるよ、きっと──。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい珠玉の少年小説。

 

ひと言
この本は以前に読んだことがあるけれど、こういうブログを書くようになって、自分自身の備忘録として この本を読んだことや この本の中の残しておきたい言葉があるので 懐かしく思い返しながら読みました。
「それが、君のほんとうに伝えたいことだったら……伝わるよ、きっと」

 

 

君は小学一年生なんだな。男の子だ。言葉がつっかえるのを、いつも友だちにからかわれている。いつそれがいじめに変わるかと思うと、お母さんは怖くてしかたないらしい。うまくしゃべれないせいで引っ込み思案になっている君を見るたびに、胸が締めつけられるという。……。もしよろしければ――と、君のお母さんは手紙の最後に書いていた。息子に宛てて返事を書いてやってもらえませんか。吃音なんかに負けるな、と励ましてやってくれれば、息子の心の支えになると思うのです。手紙には切手を貼った返信用の封筒も入っていた。メモ書きで添えられた宛名は、君の名前になっていた。……。君に宛てる手紙のかわりに、短いお話を何編か書いた。小説雑誌の編集者にページを割いてもらうとき、「個人的なお話を書かせてほしい」とぼくは言った。お話は――少なくともぼくの書くお話は、現実を生きるひとの励ましや支えになどならないだろう、と思っている。ましてや、慰めや癒しになど。……。お話にそんな重荷を背負わせるつもりもない。お話にできるのは「ただ、そばにいる」ということだけだ、とぼくは思う。だからいつも、まだ会ったことのない誰かのそばに置いてもらえることを願って、お話を書いている。

 

 

「目をつぶって、聞いて。もっといいことを教えてあげるから」「………うん」「誰かになにかを伝えたいときは、そのひとに抱きついてから話せばいいんだ。抱きつくのが恥ずかしかったら、手をつなぐだけでもいいから」固く閉じたわけではないのに、瞼はぴたりとくっついて、もう持ち上がりそうになかった。「抱きついて話せるときもあれば、話せないときもあると思うけど、でも、抱きついたり手をつないだりしてれば、伝えることはできるんだ。それが、君のほんとうに伝えたいことだったら……伝わるよ、きっと」少年はうなずいた。それを待っていたように、また体が宙に浮く感覚に包まれた。「君はだめになんかなっていない。ひとりぼっちじゃない。ひとりぼっちのひとなんて、世の中には誰もいない。抱きつきたい相手や手をつなぎたい相手はどこかに必ずいるし、抱きしめてくれるひとや手をつなぎ返してくれるひとも、この世界のどこかに、絶対にいるんだ」きよしこは最後に「それを忘れないで」と言った。少年はもう一度、今度はもっと大きくうなずいた。
(きよしこ)

 

 

少年は、君と似ていただろうか。ぼくは、君になにかを伝えられただろうか。いつか――いつでもいい、いつか、君の話も聞かせてくれないか。うつむいて、ぼそぼそとした声で話せばいい。ひとの顔をまっすぐに見て話すなんて死ぬほど難しいことだと、ぼくは知っているから。ゆっくりと話してくれればいい。君の話す最初の言葉がどんなにつっかえても、ぼくはそれを、ぼくの心の扉を叩くノックの音だと思って、君のお話が始まるのをじっと待つことにするから。君が話したい相手の心の扉は、ときどき閉まっているかもしれない。でも、鍵は掛かっていない。鍵を掛けられた心なんて、どこにもない。ぼくはきよしこからそう教わって、いまも、そう信じている。
夢があった。いつか、個人的なお話を書いてみたい。ぼくとよく似た少年のお話を、少年によく似た誰かのもとへ届けて、そばに置いてもらいたい。ゆっくり読んでくれればいい。難しいことは書いていない。ぼくは数編の小さなお話のなかで、たったひとつのことしか書かなかった。きよしこは言っていた。「それがほんとうに伝えたいことだったら……伝わるよ、きっと」本ができあがったら、真っ先に、君に送るつもりだ。かさばる封筒を郵便受けから取り出して、君はきょとんとするだろうか。薄気味悪く思って、お母さんのもとに駆けていくだろうか。お母さんはぼくのことを、もう怒っていなければいいけれど。夜どおし降った雨が明け方にあがった、よく晴れた朝に、この本が君のもとに届いたなら、とてもうれしい。

 

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あらすじ
どれだけ歩きつづければ、別れを受け容れられるのだろう。幼い息子を喪った「私」は旅に出た。前妻のもとに残してきた娘とともに。かつて「私」が愛した妻もまた、命の尽きる日を迎えようとしていたのだ。恐山、奥尻、オホーツク、ハワイ、与那国島、島原…“この世の彼岸”の圧倒的な風景に向き合い、包まれて、父と娘の巡礼の旅はつづく。鎮魂と再生への祈りを込めた長編小説。

 

ひと言
誰もが避けて通ることのできない たいせつなひととの別れ。死別以外にも様々な別れを人は受け入れて生きていく。だから一日一日を大事に、今 大切な人と一緒に過ごせるこの一瞬、一緒に過ごせた日々に感謝し、今日もそして今年も生きていかなきゃ。
『一期一会』2016年の最初に出会った本がこの本であったことに感謝。

 

 

額に入れられた写真が壁に並んでいた。遺影だ。古いモノクロ写真がほとんどだったが、まだ掛けられて間もない様子の写真もあった。棚の上には人形が並んでいる。どれも、花嫁人形だった。……。「結婚せずに亡くなったひとだ、みんな」「そうなの?」「だから、花嫁人形をお供えするんだよ。男のひとには、これがあなたの花嫁さんだよ、って。女のひとには、花嫁衣装を着れなかったわけだから、あなたのかわりにお人形さんに花嫁さんになってもらうから、って」……。花嫁に出会えずに亡くなった若者や少年の悲しみよりも、花嫁衣装を着ることの叶わなかった少女の悲しみよりも、むしろ、亡くなったひとのために人形を選ぶ遺族の悲しみのほうが、いまの私には胸に迫る。
(第一章 4)

 

 

もう二十代の後半になっているはずのその子に訊いてみたかった。亡くなった友だちのことを、きみは、いまもまだ覚えている――?「ふつー、忘れないでしょ、よっぽど記憶力の悪いひとじゃなかったら」明日香は私の感傷を指ではじきとばすように、軽く言った。だが、そのあとすぐに「思いださないことはあるかもね」とつづける。「忘れちゃうのと思いださなくなるってのは、違うもんね」「うん……」「ヒロミさんだって、友だちのこと忘れてないけど、きっと、札幌で思いだしたりはしないんだと思うよ。ヒロミさんにはヒロミさんの人生があるんだもん」
(第二章 4)

 

 

ケーキにロウソクを二本立てた。家族水入らずの、ささやかな誕生日パーティーが始まった。非常識だとあきれられてしまうかもしれない。死んだ子の歳を数えるというのは、まさにこのことだった。それでも、私と洋子は決めていた。すべてを命日から数えるのはやめよう。家族のいちばん悲しい日から数えて一年目、二年目、三年目……と区切りをつけていくのは、確かに由紀也の冥福を祈るためには必要なのかもしれない。だが、それと引き替えに家族のいちばんうれしい日を手放したくはない。二年たったのだ、あの日から。看護師に呼ばれて分娩室に足を踏み入れ、まだヘソの緒をつけたままの由紀也と出会ってから、ちょうど二年――由紀也の今日や明日を祝うことはできなくても、昨日を祝うことはできる。シャンパンで乾杯をした。「ゆきちゃん、誕生日おめでとう」仏壇の写真にグラスを掲げた洋子は、「二歳だったら、もうしゃべってるね」とつぶやくように言って、「ママ」という言葉を声色を何種類もつくって繰り返した。
(第四章 2)

 

 

私もそう思う。一生消えない傷を心に負っても、ひとは一生泣きつづけるわけではない。そして、涙が涸れたからといって、傷が消えてしまったわけでもない。私たちがこれから背負っていくのは、涙の出ない悲しみなのかもしれない。洋子はシャンパンをすすって、「最近こんなこと思ってる」と話を先に進めた。「乗り越えなくていいんだ、って。自分の子どもが死んだことを乗り越えるなんて絶対にできるわけない。そんなの、生きてるひとの傲慢だよね」真っ白なケーキの上で、二つの小さな炎が揺れる。「それに、乗り越えちゃうと、もう戻れなくなるでしょ。そういうのって寂しくない?」ねえ、寂しいよねえ、ゆきちゃんも、と洋子は由紀也の遺影に笑いかける。ちょうど一年前の写真だ。満一歳の誕生日に撮った。トリミングをして胸から上だけを写真立てに入れたが、ほんとうは由紀也の前にはケー牛があった。一本だけ立てたロウソクの炎が、意外と大きく灯っていたのを、いまでもよく覚えている。「乗り越えてないよ、ママ、そんなに強くないし、偉いひとでもないから」洋子は由紀也に語りかける。芝居がかったところのない、自然な声と、表情と、しぐさだった。秋から冬――夜の長い季節、私が旅に出ている夜は、いつもそうやって過ごしてきたのだろうか。「でも、慣れてきた」私に向き直る。「乗り越えなくても、慣れることなら、誰でもできるよね」とつづけ、「由紀也がいないことに慣れてきたから、やっと元気になれた」と自分の言葉に自分でうなずいた。
(第四章 2)

 

 

私と洋子も、由紀也が死んでからずっと哀しい顔をして生きてきた。お互いに相手のことを責めなかった代わりに、自分をゆるせなかった。でもな、と私は言った。「ときどき笑えるようになった」一年前には笑えなかった。わが家で眠るのが怖かった。だから旅に出た。泳ぐひとが息継ぎをするように、短い旅をつづけた。洋子はわが家に残った。由紀也の記憶を磨り減らさないよう、じっと一人で、ときには私と二人で、自分にゆるしてもらえない自分を抱きかかえてきた。そして、いま、私は思う。「忘れることや捨て去ることはできなくても、少しずつ薄めることはできるのかもな」「うん……」「樹里さんも、大西さんを一生ゆるせなかったとしても、もう憎んだり恨んだりっていう哀しい顔になるようなことはないんじゃないかな」「さっき樹里さんも言ってたね。時の流れが解決してくれることもあるんじゃないかって」「あるよ、絶対に」「信じてる?」ああ、と答えかけて、別の言い方に変えた。「祈ってる」明日香は「じゃあ、わたしも祈ろうっと」と夕陽を見つめ、「わたしのために祈ろう、っと……」と手を合わせた。……。まだ母親を亡くして一カ月半にもならないのだ。泣けばいい。美恵子の思い出が濃密に残っているうちに、たくさん泣いておけばいい。いずれ、忘れはしなくても、少しずつ悲しみは薄まってくる。それでいい。由紀也を亡くした私と洋子が歩いてきた道を、明日香もたどる。世の中の誰もが、たいせつなひとといつか別れてしまう。例外はない。すべてのひとがたどらなければならない道を、明日香はいま、歩きはじめたばかりなのだ。
(第九章 4)

 

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私のグルメの師匠とも云える友人に コスパの高い お値打ちでおいしいマグロのランチ「まぐろ太郎」に連れて行ってもらいました。師匠おすすめの 中おち刺身定食(800円)をいただきます。見るからに骨から剥ぎ取ったほんとうの中落ちで、ねっとりプリプリのおいしい中落ちがかなり多めに入っています♪。揚げたてのマグロカツも付いてグッド。
ただご飯は おかわり、大盛り無料のせいもあっていまいち。ここはおいしいまぐろを食べるお店、おかわりや大盛りは追加料金にしてもっといい米にしたほうがもっと流行るのになぁと思いました。

 

まぐろ太郎(食べログ)
名古屋市中川区八田町

 

人混みが好きではないのですが お正月ずっと家にいるわけにもいかないし 年会費4320円でテーマパークの入場料1人分よりも安く家族4人が半日楽しめるので 11月下旬にオープンしたコストコ岐阜羽島倉庫店へ行くことにしました。

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ネットで会員の新規登録をしておいて、向こうでその受付番号を伝え 写真を撮ってもらい個人会員 家族会員の2枚のカードを作ってもらいます。

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20分ほど会員登録の列に並んでいる間に子どもたちにはフードコートに並んでもらって人気ナンバーワンのクォーターパウンドホットドッグ(180円 ジュース類は飲み放題付き)で先に腹ごしらえ。とにかく安くてでかいホットドッグです。

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店内を廻って 人気のプルコギビーフ 1.6kg(2613円)、さくらどり もも肉 2.4kg(2198円)、5色チーズのピザ(1500円)、スフレチーズケーキ(1380円)やシャンプーなどの雑貨を買いました。お正月おいしいお肉をいっぱい食べたのでビーフの肩ロースステーキは次の機会に。
野菜の販売コーナーでは結構大きな部屋自体を冷やして、その中へ寒いと言いながら人が入るという いかにもアメリカらしいスタイルがおもしろかったです。

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3時間近くも店内を見て廻り 商品の大きさ量の多さにびっくりの楽しいコストコでした。
2016年がスタートしました。今年もよろしくお願いいたします。

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人混みがイヤなので 初詣にも行かないし、初売りやバーゲンの買い物に出かけることもありませんが
子どものころから大好きな 白みその雑煮を食べないと私のお正月は始まりません。

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年末に親父の3回忌で大阪に帰ったので、名古屋ではまず売っていない雑煮大根、西京白みそ そして里芋と丸もちを買ってきました。焼き豆腐だけは31日に買って、昆布を前日から水に浸けて雑煮を作ります。
おせち お屠蘇 雑煮を4杯(もち4つ)もいただきました。ごちそうさまでした。
やっぱり日本のお正月はこうでなくっちゃ。
今年がいい年になりますように♪
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あらすじ
この本には、「日本感動大賞第5回」に寄せられた本当にあった20篇の感動的な物語が収められています。どの物語にも、家族や友人など、大切な人を想う気持ちがあふれています。生きていれば誰だって、迷ったり、落ち込むことがあります。そんなとき、この本に収められた物語を思い出してください。困ったときには、きっと誰かがあなたを助けてくれます。きっと、あなたをやさしく励ましてくれるはずです。

 

ひと言
今年の締め括りの一冊は何にしようと図書館で悩んでいたとき、この本を見つけました。今年もいろいろなことがあって、多くの人やたくさんの本に勇気をもらって…、いっぱいのありがとうを思い出しながら読みました。
すぐに忘れそうになるこの言葉をこれからも忘れないように…。感謝の気持ちを忘れないように…。
2015年 今年1年ほんとうにありがとうございました。
2016年 来年も素敵な1年になりますように☆

 

 

祐司が七歳になった年、父の肺と膀胱にまたもやガンが見つかりました。第二の人生をスタートさせてから十五年目のことでした。六十四歳の父は、十五年前のように「まだ死ねない」と頑張る気力がありません。私たちの前ではいつものように明るく振る舞っていましたが、母と二人きりになると「もう、まいね(ダメ)じゃあ……」と落ち込むのです。入院したため、祐司と毎日顔を合わすこともできません。だから、余計に元気をなくしたのでしょう。そんな父を心配した母が「祐司に電話をかけてみたら?」と勧めました。登校前の短い時間でしたが、父と祐司は久しぶりに楽しくお喋りをしました。祐司が登校する時間になり、父は家にいるときのように「忘れ物はないか? 車に気を付けるんだぞ」と注意をして、「じゃあ、さようなら」と電話を切ろうとしました。それを聞いた祐司が、泣きそうな声をあげたのです。「待って! ジジ! ジジとはもう会えないの?」「いや、会えるよ」祐司が何故そんなことを言いだしたのかわからず、困惑しながら答えた父に、祐司は怒ったように言いました。「じゃあ、『さようなら』はおかしいよ! 『さようなら』はもう会わない人に言うんだよ!」じゃあ――なんて言うんだ?」「またね、だよ」その言葉に、父はハッとしました。「そうか、またね、か!」「そうだよ! じゃあ……またね!」元気のいい「またね」を聞いて電話を切った父は、ボロボロと涙をこぼしました。またね、という言葉に、また会いたいという孫の想いを感じ取ったのです。同時に、自分にはまだ未来があるのだという希望も。諦めてはいけない。元気になって、また祐司のところに戻るのだ――。そう決意した父に再び頑張る力が湧いてきました。「またね」という言葉が父に勇気と希望を与えたのです。
(父の宝物)