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あらすじ
人を殺め、静かに刑期を終えた妻の本当の動機とは。驚愕の結末で唸らせる表題作はじめ、交番勤務の警官や在外ビジネスマン、美しき中学生姉妹、フリーライターなどが遭遇する6つの奇妙な事件。入念に磨き上げられた流麗な文章と精緻なロジックで魅せる、ミステリ短篇集の新たな傑作誕生。
(2015年 本屋大賞 7位)

 

ひと言
早川書房「ミステリが読みたい!」 文藝春秋「週刊文春ミステリーベスト10」 宝島社「このミステリーがすごい!」で2位に大差をつけての1位。史上初の「三冠」制覇。
そして 第27回山本周五郎賞も受賞、2015年 本屋大賞 7位。もう読むきゃない本。
6話とも読みやすく引き込まれてしまいます。ミステリーというよりホラー小説に近いかも。2016年の本屋大賞でも米澤 穂信さんの『王とサーカス』が6位にランクインしているのでこの本も読んでみたいと思いました。

 

 

「アラムは、我々は貧しいのだと言う。外国で学んでそれを知ったのだと。確かに私らの生活は、何もかもが行き届いているわけではない。ダカに比べれば足りぬものも多いし、イギリスに比べればなおのことだろう。だが貧しさとは、豊かさを見て初めて気づくものなのか。豊かさに比べて足りぬということが貧しいのか。私らの暮らしには不幸もある。やりきれぬこともある。だが私らは、自分たちが貧しく惨めだとは思っておらん」
(万灯)

 

 

ばあさんが顔を近づけてくる。「それで、お兄さん、あんたです。去年の秋頃でしたか、あんたが来なさったのは」「……」「豆南町で峠の連続事故を調べている人がいることは、すぐにわかりました。小さい町です。よそからの人が来ただけで、すぐにわかります。でもお兄さんは、うちの店には来なかった。カーナビを持っているんでしょうかねえ」違う。俺は豆南町になど行ったことはない。今日初めてここに来たのだ。一年前に連続事故のことを調べていたなら、それは先輩だ。俺じゃない。そう叫ぼうとするが、声は喉の奥でくぐもるばかり。「四件の事故を結びつけて世間様に書かれては、本当に困るんです。いえ、あたしはいいんですよ。もうお迎えを待つばかりです。娘も、事情があってもひとさまを殺しだのは間違いないですから、因果が巡ってきたと思えるかもしれません。でもねえ。孫はまだ、そうはいきません。あたしはね、しょせん関守です。この店に来てもらわないことには何も出来ません。お兄さんが最初に来たときがそうでした。後で知って、気を揉むばかり。でも、ありかたいことですねえ。お兄さんはまた来てくれた。今度はあたしの話を聞いてくれた。サエノカミサンが守ってくれたんでしょうかねえ。ポケットの中の機械は、後できちんと懐します」閉じたまぶたの裏に、先輩の顔が浮かぶ。その先輩はこう言っている。だから言っただろう。よほど気をつけてかからんと危ないぞ、と。俺じゃない。このネタを調べていたのは先輩、あんたじゃないか。扇風機の唸りは聞こえない。体を起こしてもいられない。力を失って投げ出された腕が、コーヒーカップをテーブルから叩き落とす。遠く遠く、おそろしく遠くから、しわがれたような声が訥々と聞こえてくる。「ねえ、聞こえるかね。お兄さん、聞こえるかね。まだ聞こえるかね」重いまぶたを、かろうじてこじ開ける。すると目の前に、老婆の目が。笑っているような目が、俺を覗き込んで。「――それとも、もうそろそろ、聞こえんかね」
(関守)

 

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あらすじ
高等小学校卒という学歴ながら『日本列島改造論』を引っ提げて総理大臣に就任。比類なき決断力と実行力で大計の日中国交正常化を実現し、関越自動車道や上越新幹線を整備、生涯に30以上の議員立法を成立させるなど、激動の戦後政治を牽引した田中角栄。その経歴から総理就任時には「庶民宰相」「今太閤」と国民に持てはやされ、戦後では最高の内閣支持率を得たが、常識を超える金権体質を糾弾され、総理を辞任。その後、ロッキード事件で受託収賄罪に問われて有罪判決を受けるも、100名以上の国会議員が所属する派閥を率い、大平・鈴木・中曽根内閣の誕生に影響力を行使。長らく「闇将軍」「キングメーカー」として政界に君臨。

 

ひと言
2016上半期ベストセラーの1位ともいわれる「天才」。戦後最大の疑獄事件といわれた1976年(昭和51年)のロッキード事件のときは何もわからない中学3年生だった。小沢一郎は「オヤジが逮捕されたロッキード事件というのは世にも不思議な事件なんだよ。刑事裁判なのに、ロッキード社の役員に罪に問われることはないという「免責特権」を与えて、供述させたわけだ。こんなことができるんなら、時の権力に目をつけられた人はみんな罪人にされちゃう。いわば、日本の司法の自殺行為だった。」と語る。田中角栄をよく思わないアメリカの陰謀。清濁併せ呑む、33本の議員立法を成立させた田中角栄がもう少し長く政治に携わっていたら……。今、この国はもう少しまともな国になっていただろうか?……。

 

 

そして挑の節句に二人は結婚したのだ。その夜、今まで俺に向かってほとんど何もいわずにただ尽くしてくれていた彼女から、三つのことをはっきりと約束させられたものだった。彼女が俺の将来についてどう見立てていたのかは知らないが、一つには「決して出ていけとはいわないこと」、二つには以前彼女の身に何かあったのかは知らぬが、「自分を足蹴にはしないこと」、三つには「将来あなたが成功をして世に出て、皇居の二重橋を渡るような日があったら必ず自分を一緒に連れて行くこと」。そしてそれ以外はどんなことにも耐えますからと。俺としては当然彼女の手をとって握りしめ誓いをしたものだったが、今それを思い返すと、いささか忸怩たるものがないでもないが。(P25)

 

 

三十歳の時、代議士になりたての俺は第二次吉田内閣の法務政務次官に抜擢され就任した。これは周りが羨む人事だった。あの吉田がよくもまあ俺のような者に目をつけたと思う者も多かったろうが、俺は俺の勘で彼が俺みたいな人間に興味を抱いているのが分かっていた。彼みたいに生え抜きのエリートには俺のような人間は異端というよりも、むしろ物珍しい存在に映っていたに違いない。ある時吉田が、若いくせにひどく背伸びしても見えたのだろう、党内での俺の発言を聞いて俺の歳を質した後、「君は自分の出生届を自分で出しにいったそうだね」と皮肉な冗談をいい周りを笑わせたことがあったが、俺がそれに答えて「あなたはどうしてそれを知っているんですか」と混ぜっ返したら、吉田がくわえていた葉巻を外しそうになって笑ったので、ああ俺はこの男の心をつかまえたなと思った。(P40)

 

 

私はまぎれもなく田中角栄の金権主義を最初に批判し真っ向から弓を引いた人間だった。だから世間は今更こんなものを書いて世に出すことを政治的な背信と唱えるかもしれぬが、政治を離れた今でこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記した。それはヘーゲルがいったように人間にとって何よりもの現実である歴史に対する私の責任の履行に他ならない。
(長い後書き) 

 

 

いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曽有の天才をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだった。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。
(長い後書き) 

 

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あらすじ
活字離れのあなたに効く、小説の喜び。ばかばかしくも、恰好よい、伊坂幸太郎が届ける「5つの奇跡」。「俺たちは奇跡を起こすんだ」独自の正義感を持ち、いつも周囲を自分のペースに引き込むが、なぜか憎めない男、陣内。彼を中心にして起こる不思議な事件の数々。何気ない日常に起こった5つの物語が、1つになったとき、予想もしない奇跡が降り注ぐ。ちょっとファニーで、心温まる連作短編の傑作。
(2005年 本屋大賞 5位)

 

ひと言
破天荒であまり自分の周りにいてほしくないような主人公、陣内。でもまっすぐで憎めなくて、なぜか惹かれてしまいます。それにしても また強盗、殺し屋なの!?とにかく楽しく読ませてもらいました。

 

 

「お父さん、いつもああいう感じ?」「あの人? うん」志朗君が「あの人」という言い方をして、僕は暗い気分になる。親のことを、他人を呼ぶかのように、「あの人」だとか、「あいつ」と呼ぶ子供は多い。面と向かって、「あんた」と呼びつけたりもする。それは単に、照れ臭さやポーズからの場合もあるのだけれど、そういった呼び方が親子の間に距離を生み出していることは多い。以前に読んだドストエフスキーの小説に、「親子が敬語抜きで話し合うロシアの習慣は、二人が仲がいいときはいいけれど、喧嘩になったときは、どうもね」と書いてあったけれど、僕は、そもそも敬語抜きで喋っているから喧嘩になるんだと思う。原因やきっかけがどうであれ、不自然な言葉遣いを続けていると、人間関係はおかしくなる。「今日は、お母さんは来なかったんだね」「母さんは旅行に行ってるから」「お母さんのことは、母さんって呼ぶのに、お父さんは、『あの人』なの?」
(チルドレン)

 

 

「だろ」と僕は言う。「弁護士にできることなんてそれくらいのことなんだよ。恐喝をなかったことにしたところで、少年が本当に教われるわけがないのにさ」僕は口を尖らせた。「そういうのはさ、スランプ中のバッターに、キャッチャーのサインを盗んで教えるのと一緒なんだよ。その場しのぎなんだ。選手に本当に必要なのは、狂ったバッティングフォームを直してあげることなのに」
(チルドレン)

 

2016年5月27日 オバマ大統領がヒロシマを訪れてくれました。

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安倍首相のスピーチにもありましたが
広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだこの歴史的な訪問を心から歓迎したい。オバマ大統領の決断と勇気に対して、心から敬意を表したいです。
今まではアメリカに遠慮してヒロシマを訪れられなかった世界の指導者にもこれからは訪れてもらえると思います。
テロが心配された伊勢志摩サミットでしたが、全国から駆けつけてくれた多くの警察官、伊勢志摩のひとたちの お・も・て・な・し のおかげで無事におえることができそうです。ほんとうにお疲れさまでした。

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25日から広島方面に修学旅行に行っていた下の娘も、今日帰ってきました。警備の関係で広島平和記念資料館は入れないかもしれないと言われていましたが、25日は見学することができたということでよかったです♪。
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あらすじ
僕たちは「その日」に向かって生きてきた。昨日までの、そして、明日からも続くはずの毎日を不意に断ち切る家族の死。消えゆく命を前にして、いったい何ができるのだろうか…。死にゆく妻を静かに見送る父と子らを中心に、それぞれのなかにある生と死、そして日常のなかにある幸せの意味を見つめる連作短編集。
(2006年 本屋大賞 5位)

 

ひと言
最近は(だいぶ前からだけど)夜はルビが見えないし、疲れてすぐに眠たくなるから読書も大変だけど、こういう本に出会うと「読書ってほんとうにいいなぁ」「人にも勧めてあげたいなぁ」と心から思います。
一期一会 こんな素敵な本との出会いが、これからも一冊でも多くありますように!
「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「ヒア・カムズ・ザ・サン」我々の世代の人なら誰でも知っている名曲ばかり。「潮騒」って曲あったかなぁ?
南原清隆・永作博美さんが演じる角川映画、佐々木蔵之介・檀れいさんのBSプレミアムドラマの2作品がDVDになっているのでレンタルできれば観てみたいと思いました。

 

 

 

でも、母ちゃんは「いる」――それだけで、いい。うまく言えないけど、母ちゃんの役目は「いる」ことなんだと思う。「いる」と「いない」の差はとんでもなく大きいけど、「いる」をキープしてしまえば、そこから先のことはどうだっていい。……。それほど母ちゃんに期待しているわけではないけど、でも、とにかく、母ちゃんは「いる」からこそ意味がある。いてくれないと困る。なにがどう困るのか予想もつかないぐらい困る。いてほしい。絶対に。これからも。
(ヒア・カムズ・ザ・サン)

 

 

 

わが家で過ごした年末の一カ月に、夫婦で何度も話し合った。僕は「子どもたちにも教えたほうがいいんじゃないか」と言いつづけたが、和美はどうしても譲らなかった。子どもたちがママと過ごす最後の日々を、侮いの残らないように送らせてやりたい。和美にも、隠しごとを背負ったまま人生を締めくくってほしくない。僕の言いぶんは――わかる、と和美は言う。すごくよくわかるし、そのほうが正しいような気もする、わたしも。でも、と和美はつづける。最後のわがままを通させてほしい、と僕に訴える。「わたしね、最後の最後の、もうぎりぎりまで、二人の元気な顔を見ていたいの。ママは治るんだって信じてる顔を見せてほしいの、少しでも長く。悟ったような顔なんて似合わないって、あの子たちには」
(その日のまえに)

 

 

〈 突然、すみません。わたしたちは、ずっと昔に二〇一号室に住んでいた夫婦です。この部屋はとても素敵な部屋です。わたしたちの幸せな思い出もたくさん染み込んでいます。どうぞ、いつまでもお幸せに。出窓には、お花を飾るときれいだと思います。おせっかいでゴメンナサイ 〉二つ折りにしたメモと『豆まきセット』を、二〇一号室のボックスに入れた。
(その日のまえに)

 

 

そのときにわかったことが一つある。悲しみと不安とでは、不安のほうがずっと重い。病名という形を与えられる前の、輪郭を持たない不安は、どんなにしても封じ込めることができない。どこにいても、なにをしていても、不安は目に見えない霧になって僕にまとわりついていた。その頃の僕が描いたイラストは、自分でもはっきりとわかるくらい出来が悪かった。集中できないまま、ただ手を動かしていただけの仕事だった。検査のあと、永原先生から病名を告げられ、一年足らずの余命を宣告されて、形のなかった不安は現実的な悲しみになった。告知の瞬間、僕は――そして和美も、冷静だった。ショックや悲しみがなかったとは言わない。それでも、取り乱すことはなかった。不安に包まれていた日々、僕たちはその不安を収めるための器を心の中に用意していたのだろう。いま振り返ると、そう思う。器はいくつもあった。「検査の結果、なんでもありませんでした」から段階をおって「病気ですが、すぐに治ります」「完治は難しくても、命にかかわるものではありません」……そんな中の、最も選びたくなかった器を、僕たちは与えられ、不安はそこに流れ込んでいったのだ。僕たちの胸には、不安の代わりに絶望が居座った。絶望は毎晩のように和美に涙を流させ、元気だった頃はのんびり屋だった彼女をぴりぴりといらだたせ、僕に何度も深酒をさせた。運命を恨んだ。もっと早く病院に行っていればという後悔にさいなまれた。テレビや街で和美と同じ年格好の女性を見ると、腹立たしささえ感じた。だが、絶望というのは、決して長くはつづかないのだ。これも初めて知った。ひとの心は絶望を背負ったまま日々を過ごすほど強くはないのだと思う。だから、ひとは、絶望して死を選ぶ。そうでなければ、絶望をつかのま忘れようとする。和美の余命は、絶望とともに死を迎えるには長すぎた。のこされる二人の息子――健哉と大輔のことを思うと、自ら死を選ぶわけにもいかなかった。だから、僕たちは日常を生きた。
(その日)

 

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あらすじ
北国の湿原を背にするラブホテル。生活に諦念や倦怠を感じる男と女は“非日常”を求めてその扉を開く。恋人から投稿ヌード写真の撮影に誘われた女性事務員。貧乏寺の維持のために檀家たちと肌を重ねる住職の妻。アダルト玩具会社の社員とホテル経営者の娘。親に家出された女子高生と、妻の浮気に耐える高校教師。働かない十歳年下の夫を持つホテルの清掃係の女性。ホテル経営者も複雑な事情を抱え…。ささやかな昴揚の後、彼らは安らぎと寂しさを手に、部屋を出て行く。人生の一瞬の煌めきを鮮やかに描く全7編。
(第149回直木賞受賞作)

 

ひと言
3年前の2013年上半期の直木賞作品。最初の「シャッターチャンス」を読んだときは、どうして選ばれたのかわからない、いつもの直木賞作品としか思っていなかったのですが、読み終えた後は なるほど直木賞作品だなという感想に変わりました。
文章がうまく、普通の人々のどうしようもない哀しさや切なさがこちらにすごく伝わってくる作品でした。是非、他の作品も読んでみたい作家さんです。

 

 

砂利に足を取られぬよう坂を下り終えた。右に曲がり、灯りのない坂を上りかけたところでふと、空を仰いだ。林の葉も散って、空が広くなっている。月のない夜だった。冷えた空気のずっと向こうに、星が瞬いている。細かいものを見るのは駄目になったけれど、不思議なことに星の瞬きはくっきりと目に飛び込んできた。星々を見ていると、この坂を上り、下り終わったところに自分が生まれ育った家があることも、そこで待つ正太郎のことも、今朝見た新聞も、テレビニュースのことも、なにもかもがひどく遠いもののように思えてきた。
どこかでゆっくりと休みたい――。
ひとりになりたいと思ったのも、そんなことを考えたのも初めてだった。星が照らす木々の梢に誘われるように、ミコは林の中へと足を踏み入れた。幹にぶつかり、木の株に脛を打ちながら、冬支度を終えた林のにおいを嗅いでいると、なにやらふるふると目から温かいものがこぼれ落ちてくる。ミコは手探りで、脛を打った株に腰を下ろした。饐(す)えた臭いの軍手で涙を拭う。木の梢が交差して網の目になった空に、星が輝いていた。……。……。
うとうとし始めたミコの目に、再びちいさな灯りが近づいてきた。微かに聞こえるのは自分の名前だ。正太郎が呼んでいる。西に消えたはずの星が再び天頂で瞬いているのが見えた。星に向かって叫んだ。「お父ちゃん」懐中電灯の灯りが林の中を泳ぎ始めた。やがて灯りがミコをとらえた。ミコは眩しさに目を瞑った。枯れ木や落ち葉を踏み、株に突っかかったりつんのめったりしながら正太郎が近づいてくる。何度名前を呼ばれても、立ち上がることができなかった。夫に背負われて林をでた。広い背中からミコヘ、少しずつ温もりを分け与えながら正太郎が坂道を上り始める。坂を上りきったところで、つと正太郎が立ち止まった。「ミコ、あんなところでお前、なにしてた」静かな問いだった。「星――」「星がどうかしたか」「星をみてた――」正太郎は「そうか」と言って再び歩き始めた。傷めた右脚を庇いながらゆっくりゆっくり坂を下る。ミコもひと揺れごとに眠りに吸い込まれてゆく。なだらかな下り坂を転ばぬよう歩む正太郎も、昨日より少し優しくなっている。
(星を見ていた)

 

 

「もう終わりにしようよ、こんなことは。お互いにとってなにもいいことなんかないんだよ。昨日ね、うちの娘もきみと同じように土下座したよ。いつからこんな芝居じみた女になったんだろうって、情けなくて泣きたくなった。心底腹が立ってるよ、僕は。手形に判子を捺すついでに離婚届にも捺して、さっさと出しなさいよ。幸せにするなんて無責任な言葉、どこで覚えたの。そんなもの、生活をちゃんと支えてから言いなさいよ。幸せなんてね、過去形で語ってナンボじゃないの。これから先のことは、口にださずに黙々と行動で証明するしかないんだよ。きみを見ているとね、僕はいつも反吐がでそうだったんだ」義父のつっかけサンダルが大吉の左肩を蹴った。勢いでエントランスに尻もちをついた。心底腹が立って怒りに満ちた男の顔は、どうしても笑っているようにしか見えなかった。
(ギフト)

 

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今日のお昼は職場の人と自転車で「洋食や なかむら」へ行きました。ハンバーグステーキとカニクリームコロッケが絶品と評判のお店です。平日のBランチ(デミグラスのハンバーグステーキ)(1050円)をいただきました。本日のスープがグリーンピースのスープで、とてもおいしいです。ハンバーグが少しモチっとして評判のデミグラスソースとよく合いとてもおいしいです♪。お店の雰囲気もよく、今度は人気のカニコロとハンバーグステーキのセット(1740円)(+250円でハンバーグを150gに)を是非食べたいです。ごちそうさまでした♪ 

 

 
洋食や なかむら
名古屋市西区上名古屋2丁目

 

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JR名古屋高島屋で今日まで開催の大京都展へ行きました。
お目当ては創業480年 八坂神社の南楼門にある「二軒茶屋 中村楼」。中村楼の前はもう何十回も通っていますが、恐れ多くてもちろん入ったことのないお店。あの坂本竜馬や伊藤博文、谷崎潤一郎も食したと伝えられる名物 田楽豆腐(750円)をいただきます。今まで食べた赤みそ系の田楽とは違う異次元のおいしさです♪。一昨年にリニューアルされた併設の「二軒茶屋(カフェ)」で田楽豆腐や鯛茶漬けが食べられるということなので今度 京都へ行ったときは是非二軒茶屋へ立ち寄りたいです。
湯葉丼(1300円)もいただきましたが、こちらは「とようけ茶屋」のほうが圧倒的に美味しいです。あたりまえか、そもそも二軒茶屋に湯葉丼なんてメニューあるの?
上の写真では田楽豆腐のよさが伝わらないのでHPより写真を拝借。

 

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二軒茶屋 中村楼
京都市東山区祇園町 八坂神社鳥居内 (こんな住所あるんだ!)

 

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あらすじ
箱根の山は蜃気楼ではない。襷をつないで上っていける、俺たちなら。才能に恵まれ、走ることを愛しながら走ることから見放されかけていた清瀬灰二と蔵原走。奇跡のような出会いから、二人は無謀にも陸上とかけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。たった十人で。それぞれの「頂点」をめざして…。長距離を走る(=生きる)ために必要な真の「強さ」を謳いあげた書下ろし1200枚!超ストレートな青春小説。最強の直木賞受賞第一作。
(2007年本屋大賞 第3位)

 

ひと言
高校球児の夢の舞台が甲子園であるように、陸上の長距離をやっている学生の夢の舞台である箱根駅伝。補欠もいないたった10人で、その多くが初心者たちが……。ちょっと設定に無理があるようにも思いますが、すごく読みやすく、グイグイ惹きこまれて、感動させてくれる本でした。これからお正月、箱根駅伝をより楽しく見ることができそうです♪
今まで知りませんでしたが2009年に映画にもなっているようなので、機会があればそちらも観てみたいです。

 

 

 

「長距離選手に対する、一番の褒め言葉がなにかわかるか」「速い、ですか?」「いいや。『強い』だよ」と清瀬は言った。「速さだけでは、長い距離を戦いぬくことはできない。天候、コース、レース展開、体調、自分の精神状態。そういういろんな要素を、冷静に分析し、苦しい局面でも粘って体をまえに運びつづける。長距離選手に必要なのは、本当の意味での強さだ。俺たちは、『強い』と称されることを誉れにして、毎日走るんだ」
(四、記録会)

 

 

 

「教えてください」と走は頼んだ。藤岡は足を止め、おもしろそうに走を眺めた。「いいだろう」と、走とムサに向き直る。「ばかげた部分は、少なくとも二つある。ひとつは、日本人選手が太刀打ちできないから、留学生をチームに入れるのはずるい、という理屈。じゃあオリンピックはどうするんだ。俺たちがやっているのは競技であって、お手々つないでワン・ツー・フィニッシュする幼稚園の運勤会じゃない。身体能力に個人差があるのは、当然のこと。しかしそのうえでなおかつ、スポーツとは平等で公正なものなんだ。彼らは、同じ土俵で同じ競技を戦うとはどういうことかを、まったくわかっていない」ムサは黙って、藤岡の言葉に聞き入っている。走は、静かに繰りだされる藤岡の分析に、ただ圧倒されていた。「彼らのもうひとつの勘違いは、勝てばいいと思っているところだ」と、藤岡はつづけた。「日本人選手が一位になれば、金メダルを取れば、それでいいのか?断固としてちがうと、俺は確信している。競技の本質は、そんなところにはないはずだ。たとえ俺が一位になったとしても、自分に負けたと感じれば、それは勝利ではない。タイムや順位など、試合ごとにめまぐるしく入れ替わるんだ。世界で一番だと、だれが決める。そんなものではなく、変わらない理想や目標が自分のなかにあるからこそ、俺たちは走りつづけるんじゃないのか」そうだ。走は、もやもやが晴れていくのを感じた。こういうことに、俺は引っかかり、怒りを覚えたんだ。藤岡はすごい。走の感じたこと、言いたかったことを、いともたやすく解きほぐして言葉にしてしまった。「あいかわらずだね、藤岡」と声がした。いつのまにか清瀬が、走とムサの背後に立っていた。
(七、予選会)

 

 

一人ではない。走りだすまでは。走りはじめるのを、走り終えて帰ってくるのを、いつでも、いつまでも、待っていてくれる仲間がいる。駅伝とは、そういう競技だ。
(八、冬がまた来る)

 

 

「王子、今日まで無理につきあわせてすまなかった」と清瀬は言った。応援部の奏でる音楽がいっそう大きくなる。「選手はスタートラインについて」と、係員の呼ぶ声がする。「ハイジさん。僕はそんな言葉を聞きたいんじゃないよ」王子は笑った。「鶴見で待ってて」王子はベンチコートを清瀬に預け、一区を走るほかの十九人とともに、スタートラインに立った。……。
「じゃあ、俺からの伝言を頼みます。『きみに伝えたいことがある。だから、這ってでも鶴見まで来い』と」王子がその伝言を聞いたのは、十五キロ地点でのことだった。マイクを手にした監督車の大家が、ダミ声で怒鳴ったのだ。伝えたいこと? 聞いてやろうじゃないか。呼吸は苦しくなってきていたが、王子は再び気持ちを奮い立たせた。……。
もう少し、もう少しだ。「王子さん! 王子さん!」ムサと走が叫んでいる。走の隣で清瀬が、じっと王子の到着を待っている。中継ラインを越えた王子は、走りはじめたムサの手に、握りしめていた襷を渡した。襷は王子とムサを一瞬つなぎ、すぐに王子の指先からすりぬけていった。心臓が苦しい。目を開けていることもできない。この荒い呼吸音は自分のものなのか。王子は立ち止まり、まえのめりに倒れこみそうになって、だれかに抱きとめられたことに気づいた。「さっき、大手町できみに言ったことは取り消す」清瀬の声が、すぐそばでした。「俺はきみに、こう言いたかったんだ。ここまで一緒に来てくれて、ありがとう」「合格」と王子はつぶやいた。
(九、彼方へ)

 

 

いまはちがう。胸にかかった寛政大の襷に、走はそっと触れた。この一年で走は変わり、そして知った。走りは、走を一人にするばかりではない。走りによって、だれかとつながることもできる。走るという行為は、一人でさびしく取り組むものだからこそ、本当の意味でだれかとつながり、結びつくだけの力を秘めている。清瀬に会うまで、走は自分の持つ力に気づけていなかった。長距離とはどういう競技なのか、よくわからないまま走っていた。走りとは力だ。スピードではなく、一人のままでだれかとつながれる強さだ。ハイジさんが、それを俺に教えた。言葉をつくし、身をもって、竹青荘の住人たちに示した。好みも生きてきた環境もスピードもちがうもの同士が、走るというさびしい行為を通して、一瞬だけ触れあい、つながる喜び。ハイジさんは、信じるという言葉ではたりないと言った。俺もそう思う。どんな言葉も嘘になりそうなほど、ただ自然に湧きあがる全幅の信頼が胸のうちにある。自分以外のだれかを恃(たの)む尊さを、俺ははじめて知った。走ることも、それに似ている。理由や動機は必要ない。ただ呼吸するのにも似た、俺が生きるために必要な行為だ。
(十、流星)

 

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あらすじ
京都の美大に通うぼくが一目惚れした女の子。高嶺の花に見えた彼女に意を決して声をかけ、交際にこぎつけた。気配り上手でさびしがりやな彼女には、ぼくが想像もできなかった大きな秘密が隠されていて。「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」奇跡の運命で結ばれた二人を描く、甘くせつない恋愛小説。彼女の秘密を知ったとき、きっと最初から読み返したくなる。

 

ひと言
ほとんど実名なのに、叡電で木野美術大学?そんな大学あったかなぁ。調べてみると京都精華大学だった。そうだ初めての合コンが京都精華の子だったなぁ。宝ヶ池駅で降りたことないなぁ、今度降りて歩いてみよ。それに今度 叡電で くらま温泉の露天風呂にも行きたいなぁ。いろいろ脱線しながらなつかしく京都を思い出しながら読みました。

 

 

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こんな時間の設定のラブストーリーもあるんだと感心しました。初めて出会った日に「また会える?」と聞く高寿に、ぽろぽろと涙する愛美。もう会えないってことなんだと思うと切なくなります。
この今一瞬、一瞬を 大切にいとおしく思って生きていかないといけないなぁと思いました。
2016年12月、福士蒼汰と小松菜奈で上映されるということなのでそちらも楽しみにしています。

 

 

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「わたしは……わたしたちの世界の人間は、五年に一度しかこちらの世界に来れないの。五年に一度、四十日間までしか留まっていられない」湿度のせいだろう。彼女の息が一瞬、白く霞む。「次に会えるのは五年後で、わたしたちは十五歳と二十五歳になっている。十歳違い。その次に会うときは、十歳と三十歳……。あなたはもう、過去に見てきたよね?」体が石灰のように白く固まった感覚がする。愛美の瞳をみつめることしかできなかった。その濡れた奥にあるせつない色と揺らめきから、真実を掬い取ることしかできなかった。だからね。と愛美が言う。彼女の美しい声がいちばん魅力的に響く、呼吸のような囁き声で。「今こうしている時間はとても大切なの。わたしたちが同じ二十歳の恋人でいられるこの五月二十三日から四月の十三日までの期間は……とてもかけがえがないんだよ」ぼくは夏美を抱き寄せた。
(第二章 箱)

 

 

「ぼくが昨日一緒に過ごした愛美を、今のきみは知らない。昨日だけじゃなく、今まで一緒に過ごしてきた思い出全部を、きみは知らない。一度そのことがわかってしまうと、どんどんそれが見えてきて……きみが気づかせまいと努力してる瞬間もわかってしまって………きみの言ってること、やってることぜんぶ……。……きついんだよ。きみと会ってるのにきみじゃないような、すごくきつい感じになるんだよ」ぼくは息切れして、溺れるように息継ぎして、言った。「一緒にいると、つらいんだ」レインコートを着た家族の観光客が、ぼくたちをちらりと見ながら通り過ぎていく。その間、愛美は何も言わず立ちつくしていた。
(第三章 ぼくは明日、昨日のきみとデートする)

 

 

重いものが音もなく落ちたように、ぼくは自分の間違いに気づいた。『わたし、だいぶ涙もろい』そうだ。愛美はいつも泣いていたじゃないか。とても些細だったり、不思議なタイミングで泣いてたじゃないか。ああそうだ……それはどういうときだった。初めて手をつないだとき。初めて料理を作ってくれたとき。初めてお互いの呼び方を変えたとき。でも、ぽくにとっての初めては――愛美にとっての「最後」で。二度と戻れない、過ぎ去っていくもので――。
(第三章 ぼくは明日、昨日のきみとデートする)