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あらすじ
「軍部が悪い」だけでは済まされない。七十年前のリーダーたちは、なにをどう判断し、どこで間違ったのか。松岡洋右、広田弘毅、近衛文麿、木戸幸一、昭和天皇を俎上に。半藤は検察官として罪状に迫り、弁護士加藤は情状酌量の根拠を開陳。いま「失敗の本質」を白日のもとに晒すべく徹底的に検証する。

 

ひと言
以前に読んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の加藤 陽子さんと私の大好きな歴史探偵の半藤一利さんという、昭和史研究のツートップの二人の対談集。
さすがにこの二人の対談は専門的すぎて、私にはなんのことかわからない部分もありましたが、それでも楽しく読ませてもらいました♪

 

 

 

【加藤】そしてその日、広田弘毅はウエッブ裁判長の判決を聞き、通訳による翻訳読み上げを待たずにヘッドホンを外した。判事たちに深々と頭を下げると、二階の傍聴席にいるお嬢さんの ほうを見上げて、目を細めて会釈し退廷するのですよね。
【半藤】あの場面がいいばっかりに、のちにずいぷんと株を上げました。広田は絞首刑を宣告されたただひとりの文官で、その死刑は十一人の裁判官のうち六対五という際どさで決まったこともあって、当時から同情を寄せるひとも少なくなかったわけですが。
【加藤】では一般的にどういう形で広田の人間像が伝わったかというと、もちろん城山三郎さんの小説『落日燃ゆ』によってです。この本は昭和四十九年(一丸七四)の刊行でした。
【半藤】これが売れたんです。タイトルもよかった。
(第一章 広田弘毅)

 

 

 

 

【半藤】それにしても、天皇はなぜあれほど松岡を嫌ったのか。昭和天皇という人は不思議なくらい個人の悪□は言わない人なのですが。
【加藤】明治天皇を知っている世代の人たちには、「(昭和天皇は)やっぱりまだまだお若い」、といった感じだったのでしょうか(笑)。松岡だって日露戦争のときに上海で外交官人生をスタートさせた、だいぶ上の世代ですからね。半藤さんは富田メモ(※)をぜんぶお読みになっておられますが、はっきりとそこには白鳥と松岡がいるから靖国にはいかないと?

 

 

 

※富田メモ 昭和四十九年年(一九七四)から昭和六十三年(一九八八)にかけて宮内庁次長および宮内庁長官をつとめた富田朝彦は、昭和天皇の側近にあってその発言を記していた。富田の死後、遺族が日本経済新聞社に提供し、同社は半藤一利と秦部彦に検証を依頼した。メモすべての公開はされていない。

 

 

【半藤】ええ、はっきり書いてありました。A級戦犯のなかに、靖国神社に祀られる資格のないものがいるということなのでしょう。それが白鳥と松岡。
【加藤】しかし白鳥にしても、それほど破滅的な外交をやったかというと……。どうなのでしょう。三国同盟についての白鳥の起案レペルの文書では、どうイギリスを抑えるかという点に力点が置かれています。もちろん白鳥が心酔していたドイツ・イタリアとの同盟関係というのは、天皇にしてみれば、とんでもないということになるのでしょうけれど。
【半藤】旧制浦和高校で私と同級生だった白鳥さんの息子、洋三くんは、「親父はひとがいうような分裂症じゃないんだ」と言っていました。
【加藤】松岡洋右とは違うと。
(第三章 松岡洋右)

 

 

 

【編集部】けれど連合艦隊司令長官山本五十六は、「目下ワシントンで行われている日米交渉が成立した場合は、Xデーの前日午前一時までに、出勤部隊に引揚げを命ずるから、その命令を受けた時は、直ちに反転、帰航してもらいたい」と言うわけですよね(※)。全艦隊の首脳陣を集めてXデー、戦争を開始する日が十二月八日であることを告げたあとに。

 

 

 

※昭和十六年(一九四一)十一月十三日、各艦隊の司令長官、司令官、参謀長、首席参謀が岩国航空隊の会議室に集合した。山本五十六は、集まった者たちに戦争を開始する日が十二月八日であることを告げて作戦の最終的な打ち合わせをおこなった。そのとき、たとえ攻撃隊発進のあとでも、命令を受けとったら引き返させるようにせよとつけ加えている。機動部隊の司令長官、南雲忠一中将が無理な注文だと反対すると山本は、「百年兵を養うは、何のためだと思っているか。もしこの命令を受けて、帰って来られないと思う指揮官があるなら、只今から出動を禁止する。即刻辞表を出せ」と声を荒げたという。阿川弘之はその著書『山本五十六』のなかで「言葉を返す者は、一人もいなかったということである」と記した。

 

 

【半藤】海軍の場合は所帯も小さいし、連合艦隊司令長官が命令を発すれば攻撃隊の反転帰航もできたかもしれません。山本長官の権威は絶大でしたから。ただ、陸軍は大部隊がほうぼうに展関していますから、「はい、わかりました」とは言いませんよ(※)。大本営が寺内寿一総司令官の南方軍の戦闘序列を発表したのが十一月六日。その発表後、陸軍は、作戦開始に先立ってプノンペンやサイゴンなどに十個師団をおいていましたし、中国から南下させた第三飛行集団もすでに進駐していたのです。東条が陸軍を掌握していたといっても、ことここに至ればもう東条ひとりでは抑えきれません。

 

 

※児島襄は『戦史ノート』、「指揮官と参謀」の項に、連合艦隊司令長官という職務の特殊性についてこう記した。「連合艦隊司令長官というのは、非常に特異な存在である。海軍の全戦闘部隊を統轄する最高指揮官で、これに当たる職責は陸軍にはない。陸軍は師団長→軍司令官→方面軍司令官→総軍司令官という順序で大兵力の指揮官はいたが、海軍のように全戦闘部隊を一人で統轄する指揮官は存在しなかった」

 

 

【編集部】聖断がくだっても、陸軍は言うことを聞きませんか。
【半藤】あそこの時点ではもう無理です。と私は考えます。ハル・ノートをみんなアメリカの宣戦布告として受けとっているんですからね。十一月の三日だったなら、とは思いますが。
(第五章 昭和天皇)

 

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あらすじ
「僕は、実際には存在しない男なんです」世田谷に古い洋館を構えるある家に、家庭教師として通うことになった聡子。ある日、聡子の前に、屋敷の離れに住む謎の青年が現れる。青年はときに攻撃的で荒々しい言葉を吐き、ときに女たらしのように馴れ馴れしくキスを迫り、ときに男らしく紳士的に振る舞った。激しく変化する青年の態度に困惑しながらも、聡子はいつして彼に惹かれていく。しかし彼の哀しい秘密を知った聡子は、結ばれざる運命に翻弄され――。感涙必至の、かつてない長編恋愛サスペンス。
(2012年 本屋大賞 10位)

 

ひと言
解離性同一性障害(DID)という難しい内容を扱った作品だが、とても読みやすく、解離性同一性障害というものがそれなりにわかりやすく解説されていて勉強になりました。たこやきの話など、じんとさせるような話をほり込んでくるのは百田さんらしいなぁと思いました。

 

 

「岩本さんが多重人格になったのはなぜですか?」「これが原因だと、はっきりは言えません。ただ、多くの解離性同一性障害の患者が幼少期に虐待に遭っています。八〇パーセントというデータもあります」「そんなに!」「解離性同一性障害の患者は女性が圧倒的に多いのです。その理由についても、幼児期に女性の方が性的虐待を受けやすいからだとも言われています。実際、女性患者の場合、かなりの確率で幼児期に近親者からの性的虐待を受けています」(6)

 

 

「そうした激しい虐待を受けた子供たちの何割かは、自分を守るために、自らを消すのです。別の人格を生み出し、虐待を受けているのは自分ではないと思い込むのです」私はうなずいた。「解離性同一性障害の患者の何割かは、幼少時に幽体離脱を体験しているという報告があります。自分の魂が肉体から抜け出て、虐待されている自分を眺めているのです。つまり自分ではない別の人格が本人に代わって虐待を受けることになります。その人格は本人を守るために生み出された人格です。ですから、多くの解離性同一性障害のオリジナルの人格には虐待された記憶がありません。なぜなら、その記憶を持っているのは、別の人格たちだからです」(6)

 

 

「プリズムってご存じですね」「はい」「ふだん私たちが見ている光は色なんて見えないんだけど、プリズムを通すと、屈折率の違いから、虹のように様々な色に分かれます。人間の性格も、光のようなものかもしれないと思う時があります」(6)

 

 

「人格解離は九歳以下の子供に起こるとされています。この辛い体験は自分じゃない別の子供に起こっていることだ、と思い込める豊かな想像力があり、しかも一種の分離能力のある子供においてのみ生じる病気でしょう。アメリカでは解離性同一性障害の患者たちは『幼児虐待から生き残った人』とも呼ばれています。虐待された子供は、死ぬか、発狂するか、人格分離を起こすしかないのです」(7)

 

 

すぐ横の木の陰で幼い女の子が泣いているのに気付いた。兄らしい男の子が必死に慰めている。女の子は幼稚園児くらい、兄は小学校一、二年生くらいに見えた。男の子が「お金も落として、たこ焼きも落として――」と言うのが聞こえた。見ると、女の子の足元にたこ焼きが容器ごと落ちていた。女の子はずっとしくしく泣いていた。どうやら、たこ焼きを落とす前に、お金も落としていたようだった。私はたまらなくなって、声を掛けるために近寄ろうとしたが、卓也がそれを押しとどめた。「よくあることだよ」卓也は言った。「何もすることはない」私はその言葉に驚いた。たしかに卓也にとっては、何でもないことなのかもしれない。広志たちが受けてきた虐待と比べれば、取るに足りないものだろう。でも私には少し冷たく聞こえた。幼い兄は落ちたたこ焼きを拾って容器の上に載せた。そしてそれを持って、すぐ横のたこ焼きを売っている屋台まで行った。私は気になってその様子を見ずにはいられなかった。幼い兄は屋台でたこ焼きを売っていた若い女に、「落としてしまったんです」と言った。派手な化粧をした茶髪の女は不機嫌そうな顔で、「それで?」と言った。「二百円しか持ってないんですけど、二百円分だけ売ってくれませんか」「うちは一人前、五百円だよ」男の子は「ごめんなさい」と言ったが、女は不機嫌そうに手を差し出した。男の子はおずおずと女の掌に二百円を置いた。女は無言で小銭を箱の中に放り込むと、二人前のたこ焼きを男の子に差し出した。男の子は首を振ったが、女は妹に無理やり手渡した。そしてびっくりして立ち竦んでいる二人に向かって、早く立ち去るように、というふうに手を振った。兄妹は小さな頭を下げて、屋台から離れていった。私は驚いて若い女を見つめていた。「ぼくらもたこ焼きを食べようか」不意に卓也が言った。私がうなずくと、卓也は茶髪の女に、「たこ焼き、二つ」と言った。女が二人前のたこ焼きを卓也に渡すと、卓也は五千円札を出した。女が釣りを渡そうとすると、卓也は「手がふさがってるから、釣りはいいよ」と言って、素早く屋台から離れた。私は慌てて卓也の後を追いながら、胸がいっぱいになっていた。(7)

 

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上の娘が四間道(しけみち)へ行ったおみやげに「シャンドゥリエ」のタルトを買ってきてくれました♪。グルメの友人にも勧められていて、行きたい行きたいと思っていたお店です。
おいしいお店はいっぱいありますが、感動させてくれる一品のお店にはなかなか出会えません。
でもこちらのタルトは一口、口に入れると「何 これ!」と感動させてくれるタルトです。
少々高いのでいっぱい味わえないのが残念ですが、また他のタルトも味わってみたいです。ごちそうさまでした♪

 

フランス焼菓子 シャンドゥリエ
名古屋市西区那古野1丁目

 

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あらすじ
少年野球、サービスマン、卒業式、バレンタイン、超能力、就活、日本、出稼ぎ、恋愛……。
異なるテーマの9つのストーリーに登場するのは、生きていれば誰もが直面するような悩みや悲しみ、迷いや不安といった、さまざまな思いを抱いている主人公たち。彼らは、人との出会いを通して生きるヒントを学び、新たな自分へと成長を遂げていきます。各ストーリーに登場する人物が少しずつ重なり合いながら循環していく物語は、まさに私たちがいま生きているこの世界そのもの。生きる力が湧いてくる作品です。

 
ひと言
図書館でこの本を見つけて、以前読んだ「手紙屋」の作家だと気づき借りることにしました。9つすべての短編の登場人物が次の短編につながっていてネバーエンディングストーリーのようでした。最後の短編「恋の力」は高校2年生の安田純平と河原結佳の物語。あとがきにもあるように、「恋の力」を読み終えてもう一度最初の「ユニホーム」を読みました。
今までは「好きだから大切にする」ということが当たり前のことと思っていたけれど、それでは好きなものしか大切にすることができません。「大切にするから好きになる」という気持ちで毎日を生きれば、大切にすることでいくらでも「好き」を広げていける。この気持ちを忘れませんように♪

 

 

「実はある日、俺より小さいやつが入ってきたんだ。そう、今のお前より小さい。そいつは、投げる、打つ、走る、守る。野球のどの要素をとってもチームの誰よりも下手だった。でもいつ誰に聞かれても笑顔でこう言うんだよ。『僕は、将来プロの選手として活躍する』って。最初はみんな笑ってた。俺も笑ってたんだ。お前がなれるなら誰でもなれるって言いながらね。でもそいつは中学、高校になっても野球をやめなかった。そして俺はずーっとチームメイトだった。その間そいつはずっと変わらなかった。『将来プロの選手として活躍する』って言い続げていたんだ。そうしたら、どうなったと思う?」「プロの選手になった……?」有馬は首を振った。「俺たちのチームは甲子園にも行った。チームメイトではエースとキャプテンがプロの選手になった。でもそいつは俺の知ってる限り 、一度も公式戦で使ってもらえない3番手のピッチャーだった。甲子園ではベンチにすら入れなかった。それでもやつぱ本気だった。本気でプロで活躍する選手になることを目指していたんだ。チームメイトでプロになったエースは東京ボンバーズの桑原、キャプテンは大阪ライオンズの佐伯だ。知ってるだろ」佳純ぱ顔を輝かせて、うなずいた。二人とも佳純の憧れの選手だ。その選手たちと有馬が一緒に甲子園に行った仲間だという事実だけで興奮した。「彼らがそれぞれ新入賞をとったとき、インタビューで言ったことを知ってるかい?」佳純は首を振った。「二人ともこう言った。『僕はあるチームメイトのおかげでここまで来られた。そのチームメイトがいなげれば、野球を通じて成し遂げたすべてのことかなかっただろう』。そのチームメイトが俺より小さかったその彼だよ。一番身体が小さい彼が、どこまでも夢を諦めずにがんばっている。俺たちが諦めている場合じゃないって、誰もが思っていたんだ。そして、今は誰もか気づいている。他のみんながずっと野球を続けられたのも、甲子園に行けたのも、二人がプロで活躍できるようになったのも、俺が今こうして野球をしていられるのも、あいつのおかげたって」「その人は、今も野球を……?」有馬は首を振った。「今は弁護士の卵だ。でも草野球チームで今でも俺と野球を楽しんでる。そいつと一緒にプレーした奴はみんな『あいつのおかげで今の自分がある』って言うんだ。俺も同じ。本当にそう思う。誰かが好きなことを一生懸命がんばる姿っていうのは、そいつが夢を実現したかどうか以上に、周りの人の心に影響を与えるんだ。わかるか?」佳純は黙って聞いていた。
(ユニホーム)

 

 

 

「四人で全員に配ってたら、ここまで来るのにどれだけ時間がかかるんだろう」なんて余計な心配をしているうちにも、人事部長は話を続けた。「そこで、私どもが最初に設けた基準は、この説明会で前から10列目までに座るということです。理由は各自考えていただければ幸いです」会場は相変わらず静寂に包まれていたが、会場の空気が凍り付いているのは誰もが肌で感じていた。「当社の面接を受けるうえで、必要なもの、それから今後の日程が書かれた資料を、今スタッフがお配りしました。前から10列目までの方にお渡ししましたので、その方々はこの会場にお残りください。それ以外の方は、本日は終了になります。ご足労いただきありがとうございました」そう言って、ゆっくりと丁寧に頭を下げると、人事部長はさっさと舞台袖に引き下がった。代わりに、扉という扉から「誘導」という腕章を付けた係員が何人も入ってきて、「お帰り口はこちらになっております」と声を上げ始めた。初めはあっけにとられていた多くの学生も、事態か飲み込めてきて、諦めのため息とともに席を立ち姶めた。誰もが無言で席を立ち、荷物を持ち上げるときにすれる衣類の摩擦音ばかりがあちこちから上がっている。敦史はあまりの唐突な出来事に、すぐに立ち上がることができず、「えっ、終わりなの。ホントに終わりなの?」と小声でくり返すことしかできなかった。哲也が怒りに震えながら立ち上かった。「俺たち、高校生じゃねえんだよ。みんな平等で、何だかんだ言っても許してもらえるだろ、なんて甘えは捨てないと一生仕事なんかねえってことだ。俺もいつまでも学生気分でお前に引っ張られてる場合じゃねえな」哲也は敦史に目もくれず、足早に会場をあとにした。
(ラッキーボーイ)

 

 

「そんで好きになったから掃除をしたのか?」「いや、そうじゃない。好きになろうと思ったから、掃除をしたんだ。自分が心から大切にしているものは、大好きになるんだってことをある人に教えてもらってね。やってみることにしたんだよ。
(ラッキーボーイ)

 

 

好きだから大切にするのではなく、大切にするから、好きになる……か」
(夢の国)

 

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あらすじ
真実を歪めたのは誰だ? STAP騒動の真相、生命科学界の内幕、業火に焼かれる人間の内面を綴った衝撃の手記。

 

ひと言
「STAP細胞はありますっ!」ちょうど2年前の2014年4月、小保方さんの記者会見を見たとき、ここまできて この人がまだ全世界の人に対して嘘をついているとは思えなかった。

 

 

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本書がすべて真実ではないとしても 祖母の割烹着の話、200回STAP細胞を作ったとする発言の件の記述は作り話や嘘だとは思えない。
理化学研究所を依願退職させられ、早稲田大学から博士号を剥奪され、すべてを失った小保方さんが2016年3月31日、将来、他の科学者がSTAP細胞を作製できるようにとSTAP細胞の作製手順などを全文英語のホームページ「STAP HOPE PAGE」に公開した。

 

 

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もしSTAP細胞が嘘なら、あれから2年経ち 多くの人の記憶から薄れた今になって、またこういう行動を取る理由は何なんだろう。

 

 

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全文英語であるのも、「ねつ造と改ざん」とまで言われた理研や日本の研究施設ではなく「美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するほんとうの世界の科学者」に汚名を雪いでもらい、小保方さんの夢であった再生医療研究の発展を継いでもらいたい一心ではないだろうか。

 

 

 

 

また多くの人が認識していることであるが、小保方さんが担当していたのはSTAP現象までであってキメラマウスを作るのを担当していたのは若山照彦教授(現 山梨大)である。

 

 

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「STAP現象」が小保方さん、「STAP幹細胞」が若山教授という分担だが、マスコミにより、「STAP現象」も「STAP幹細胞」も「STAP細胞」と呼ばれるという混乱が発生し、小保方さんだけが世界を騙した極悪人のように扱われている。言論の自由を履き違え、自らを正義の執行人とでも思い違いをしているのか、小保方さんの人権を踏みにじる公然ストーカー行為のマスコミ。ネイチャーに不完全な論文を提出され、理化学研究所・早稲田大学の面汚しと感じた人たちの小保方さんへの仕打ちには怒りを禁じえない。

 

 

世界の研究者が小保方さんの研究を引き継ぎ、STAP現象より先の実用的な再生医療へつながる増殖する能力を持つSTAP「幹」細胞の培養法を発見することを心より願っています。「絶対にSTAP細胞を再現して下さい。実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」という言葉を残して自ら命を絶つことになった理研 副センター長の笹井さんのためにも……。
笹井芳樹さんのご冥福をお祈りします。

 

 

 

キメラ実験のために細胞を運ぶためと、実験結果を見させていただくために、この頃は、理研CDBの若山研と女子医大を行き来する生活を送っていた。若山研で実験を行っている間は、大阪の祖母の家に泊めてもらっていた。祖母は得意料理の鱧のすき焼きをよく作ってくれた。「今、何しているの?」と聞かれ、「偉い先生にパンダみたいなネズミを作る実験をしてもらっているんだよ」と言うと、祖母は、「うんうん」と笑顔でうなずきながら、きっと何もわからないであろう研究の話を聞いてくれた。……。泣きじゃくる孫に祖母は、「しゃんとし。しろっぱ(白衣)着て頑張ってるなんてすごいわ」「なんのために研究しとるのか考えてみ。みんなのためや。研究は皆のための仕事や。思い通りにいかんでも、心正しく一日、一日頑張れば、それでええんや」と叱咤してくれた。祖母の言葉は心にしみわたり、この人の孫でよかったと心から思えた。その日の夜、祖母が古い桐たんすを整理していた。黄ばんだ割烹着を取り出し、「着物を着てた頃やから戦前のもんかもなぁ」とつぶやいた。赤い縞模様の割烹着も出てきた。「おばあちゃん、それちょうだい。白衣の代わりに着る」と言うと、「こんなん着るん?」と祖母は笑った。「心正しく、一日一日頑張りなさい」という祖母の言葉を忘れないように、これを着て頑張ろうと思った。黄ばんだ割烹着は洗っても洗っても黄ばんだままで、袖口のゴムも緩んでいたけれど、前が開かない割烹着はスカートが汚れず、実験はやりやすかった。若山研の研究員の先輩からは、割烹着姿の私を見て「お母さん」とからかって呼ばれることもあった。
(第四章 アニマル カルス)

 

 

 

記者会見や海外メディア対応の準備は深夜までかかり、この日は笹井先生とタクシーを相乗りして帰宅した。「ついに明日が記者会見だね。この1年よく頑張りましたね」と笹井先生が声をかけてくれた。若山研にいた時から笹井研に移っても、ずっと自分を見失っていたような気がしていた。それらの日々が頭を巡った。「女神様は滅多に見せてくれないんだ」笹井先生の口癖だった。「僕はね、科学者は神の使徒だと思ってるんだ。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね、そこを捉えられる人間は神様に選ばれているんだよ。だから真の科学者は神の使徒なんだ。その美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するのが科学者の仕事なんだよ。神に仕える身として日々を過ごすんだよ。人間の考えつく範囲での発明は限界があってね、しょせんは人間の思いつくレベルでの議論になってしまうでしょ。だから僕は神の作った生命と向き合う発生学が好きなんだ」
(第七章 想像をはるかに超える反響)

 

 

「200回STAP細胞を作ったとする発言」に対しては、「私は、STAP細胞作成の実験を、毎日のように行い、しかも一日に複数回行うこともありました。STAP細胞の作成手順は、(1)マウスから細胞を取りだして、(2)いろいろなストレスを与え(酸や物理的刺激など)、(3)―週間程度培養します。この作業のうち、(1)(2)の作業は、それ自体にそれほどの時間はかからず、毎日のように行って並行して培養をしていました。培養後に、多能性マーカーが陽性であることを確認してSTAP細胞が作成できたことを確認していました」と追加で説明し、「Oct4陽性の細胞塊を作成したところまで」を、STAP細胞を作製した根拠として述べたことを追加で説明した。しかし、200回キメラマウスまで作ったかのように誤解されたまま報道され、研究者を名乗る人たちからは、この追加コメントは無視され、「200回もやるには何年もかかる。そんなわけはない」と全否定されてしまう。
(第九章 私の心は正しくなかったのか)

 

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あらすじ
君には、警察学校を辞めてもらう。この教官に睨まれたら、終わりだ。全部見抜かれる。誰も逃げられない。警察学校が担う役割とはなんだろうか。篩(ふるい)にかけられた友もまた、警察官を育成するために必要なものだったのだろうか。校庭のすみに育てられている百日草が示すものが、警察組織を守るための絆ではなく、市民を守るための絆であることをただただ願いたい。前代未聞の警察小説!
(2014年本屋大賞 6位)

 

ひと言
読了後はあまりいい気分になりませんでしたが、警察官職務執行法や公務執行妨害などに関する記述などは「ふーん、そういう風になっているのか」とためになることが多くとても勉強になりました。
ところで、2016年の本屋大賞が昨日発表になり、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」が大賞に輝きました。早く図書館に予約を入れなくっちゃ。

 

 

「ここでわたしに職務質問をしてみろ。この手帳がバッグという想定だ。もしこの前のように不合格だったら、いますぐ荷物をまとめて出て行け」宮坂も□を開いた。しかし返す言葉がすぐには見つからなかった。「やるのか、やらないのか。どっちだ」「いま、ここで、ですか」「そう言ったはずだ。やらないなら出て行ってもらう」「……やります」答えるとほぼ同時に、風間が先に立って歩き始めた。宮坂は背後から近づき、声をかけた。「すみません。ちょっといいですか。わたしは――」左胸のポケットに手をやった。そこから警察手帳を出す間にも風間の目を注視し続ける。「宮坂という者です。失礼ですが、あなたのお名前を教えていただけますか」「何を根拠にそんな質問をしているんですか」一度は立ち止まった風間だが、また歩き始めた。食らいつく。「警察官職務執行法第二条です。警察官は異常な挙動を見せる不審者に対して職務質問ができる旨定めてあります」「あいにくと、わたしには急ぎの用事がありますので」歩を進める風間の前に、宮坂は先回りをし、立ちはだかった。軽く風間の胸に手を当て、その場に押し止める。「体に触るとは、行き過ぎではありませんか」「いいえ、警職法には『停止させて質問することができる』ともありますから、この行為は許されています」「わたしの名前は風間といいます」答えながら、風間は床に視線を落とした。「では風間さん。いまお持ちのバッグを開けさせてもらってもよろしいでしょうか」渋る素振りをみせる風間に、宮坂は半歩近づいた。「お断りしておきますが、拒めば拒むほど、わたしの心証が悪くなっていきますよ。あなたに疾しいところがないのであれば、どうかお願いします」まだ俯いたままの風間が、持っていた手帳を渡してきた。手帳と風間を同時に視界に入れながら、宮坂は続けた。「お手数ですが、私が調べるところをずっと見ていてもらえますか。顔をそらさないでください。そのあいだは両手をポケットヘ入れないように願います」「よし、そこまででいい」風間が顔を上げた。「荷物をまとめる必要はないようだな」「恐れ入ります」「なぜだ」「はい?」「なぜ、わざと下手なふりをした」この前の授業について言っている。やはり見抜かれていたようだ。
(第一話 職質)

 

 

「逮捕します」風間は、他のボタンをゆっくり外し、上着を脱いだ。「容疑は?」「公務執行妨害です」脱いだ上着を無造作に丸め、教卓に放り投げるようにして置くと、風間は教場を見渡した。「宮坂の答えは公妨での逮捕だそうだ。それと同じ考えの者はいるか?」ほぼ全員が手を挙げた。ただ、都築だけは、両手を机の下に置いたまま、教壇にじっと視線を向けている。「なるほど。わたしの結論はこうだ。――やめておけ」風間は右手を胸の高さまで軽く持ち上げ、「一つ。現行犯人逮捕手読書」その言葉に合わせて親指を折り曲げた。「二つ。弁解録取書」人差し指も折り倒してみせる。「三つ。取扱状況報告書。四つ、実況見分調書。五つ、犯罪履歴照会書」中指、薬指、小指まで行っても、まだ終わらなかった。今度は左手を掲げ、また同じように指を順番に折っていく。「六つ、被疑者調書。七つ、被害者調書。ハつ、写真撮影報告書……」書類名の読み上げが終わったのは、指が一巡して右手に戻り、それも薬指までが折り曲げられてからだった。「公務執行妨害で誰かを逮捕した場合、最低でもこれだけの書類を作る羽目になる。公妨の法定刑を言えるか、宮坂?」「……三年以下の懲役または禁固だったと思います」「そう。けして軽くはない。いや重罪と言ってもいいだろう。だからこれはどのペーパーワークが発生するわけだ。公務執行妨害で逮捕する――よく聞く言葉だな。だが、その裏側にある仕事について、きみたちは考えたことがあるか?」みな首を横に振った。「くだらん書類作りに時間と労力を割かれるな。そんな暇があったら、街に出て一分でも長くパトロールをした方が世の中のためになる。酔っ払いに絡まれても我慢しろ。警察官は忍耐だと覚えておけ」はいっ、の声など気にも止めない素振りで、風間は教卓の上着を手にした。
(第一話 職質)

 

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大阪の実家の近くにある 焼き立てパンが食べ放題でとても美味しい「シャン クレール」さん。とても人気のお店で30年近く続けてこられたのですが、訳あってこの4月いっぱいで閉店されることになりました。親父やお袋、うちの家族などのちょっとした記念に 大阪に帰ったときによくみんなで食べに行ったお店です。最近ではこの3月末、就職が決まり寮生活を始める甥っ子を囲んで食事をしました。
長いあいだ ほんとうにおつかれさまでした。そして いつもお値打ちでおいしいお料理をありがとうございました。またどこかで「シャン クレール」さんのパンやお料理が食べられることを心待ちにしています♪

 

シャン クレール(食べログ)
堺市西区上野芝向ケ丘町6

 

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今日は名城公園の満開の桜の中を歩いて、愛知学院大学の名城公園キャンパス内にある猿Cafeへお昼を食べに行きました。猿Cafeの看板メニューのメキシカンアボカドタコライス飲み物付(大盛り)のランチ(500円+大盛り50円)をいただきます。たくさん入ったアボカドがとてもいいアクセントになって、それがちょうどいいトロミの半熟たまごとうまく絡みあっておいしいです♪。食後に名前は忘れましたが春限定のもちクレープ巻きアイスのようなデザート(400円)もいただきました♪。広くゆったりとしたお店でお値打ちでおいしいランチ。12時~13時は学生さん優先ということなのでその時間を外して是非また伺いたいお店でした♪。

 

 

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あらすじ
1975年、偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。17歳。無軌道に生きるわたしには、まだその意味はわからなかった。大陸から台湾、そして日本へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌跡。台湾生まれ、日本育ち。超弩級の才能が、はじめて己の血を解き放つ!友情と初恋。流浪と決断。圧倒的物語。
(2015年 第153回 直木賞受賞 2016年本屋大賞 ノミネート10作)

 

ひと言
選考委員満場一致の第153回直木賞受賞作。2016年本屋大賞にもノミネートされているということでもう読むっきゃない本。図書館に予約を入れて、やっと読むことができました♪
高校時代に替え玉受験を請け負い、進学校から不良学校に移ったこと。定規をとがらせ、ナイフ代わりにしたことなどは東山さんのお父さんの実話ということだ。
台湾に生まれて日本に育った東山さんには、アイデンティティーの問題が常にあり、小さい頃から日本と台湾を行ったり来たりしていて、どちらでも「お客さん」だったと語る。人間のアイデンティティというものは、大雑把に言って三つの層をなしている。一番下の土台にあるのは、言うまでもなく家族だ。この父親とこの母親の子供がわたしなのだという揺るぎない認識は、ほとんどすべての人の自己同一性の根幹をなしている。その上に地域に対するアイデンティティが築かれる。異郷で同郷の者に会ったときに親近感を持ってしまうのはそういうわけだ。そのさらに上に仕事や生き方といった雑多なアイデンティティが積み上げられてゆく。と受賞のインタビューで語った東山さん。
暴力的な部分もあるので好き嫌いが分かれる作品かもしれないが、なるほど満場一致の直木賞作品でした。

 

 

一八九五年から一九四五年までの五十年間、台湾は日本の統治下にあった。言うまでもなく、日清戦争の敗戦による割譲である。この間、同化政策によって台湾の学校教育はすべて日本語で行われた。だから必然的に、日本人として生き、日本を故郷のように慕う岳さんたちのような日本語世代があらわれることになる。彼らの日本に対する愛情にはなみなみならぬものがある。第二次世界大戦のときは、自ら志願して大日本帝国のために戦った人たちもいたほどだ。そのせいで約三万人が命を落としたと教科書には書いてある。アメリカから空爆も受けた。岳さんたちは日本人として、お国のため、昭和天皇のために命を投げ打ったのだ。なのに敗戦と同時に、日本は台湾をばっさりと切り捨てた。やっぱりきみたちは台湾人なんだ、台湾人は台湾人であって日本人ではない、どうかお幸せに。それまで日本人として生きてきた人々の自我は、このとき音を立てて崩壊した。大陸で共産党に駆逐された国民党がこの島になだれこんできたのは、(外省人のわたしが言うのもなんだが)まさに泣きっ面に蜂だった。すぐに台湾人への弾圧がはじまった。日本語のみならず、台湾語の使用まで禁じられた。台湾生まれの台湾育ちのわたしが、台湾語が不如意なのはこのためである。「ぼくは……」口のなかのものを嚥下してから、わたしは言った。「葉尊麟の孫です」岳さんの表情が曇った。
(第六章 美しい歌)

 

 

「たまたま新聞かなにかで王璇ってやつの詩を読んだんだ」そう言って、照れくさそうに一節を諳んじた。「魚が言いました わたしは水のなかで暮らしているのだから、あなたにはわたしの涙が見えません――自分に詩が理解できるなんて思いもしなかったけど、ああ、そういうことなんだなと思ったんだ」わたしはうなずいた。「高校のときにおれがあんなに荒れていた理由がわかったような気がした。おれたちは自分の痛みにばっかり敏感で、他人もおなじような痛みを抱えてるなんて思いもしなかった。おまえが太腿を定規刀で刺したとき、おれはまるで自分が刺されたみたいに身動きができなかった。びっくりしたのもあるが、それだけじゃないような気がした。なにかがおれを打った。それがなんなのかずっと気になってた。そして、この詩に出会った。たぶん、おれたちはどっちも――」「水のなかの魚だった、か?」「うん……ダセエな」「まあな」わたしは言った。「でもいい詩だな」
(第十章 軍魂部隊での二年間)

 

 

心から願うものが手に入らないとき、わたしたちはそれと似たもので満足するしかない。もしくは、正反対のもので。そしていつまでも、似たものを似たものとしてしか認めない。それを目にするたびに、妥協したという現実を突きつけられる。だけど、ほとんどの人は気づいていない。その似たものでさえ、この手に摑むのは、ほとんど奇跡に近いのだ。「だけど、どんな人でも」とわたしは言った。「いつまでもだれかのかわりではいられないんだ」「うん」
(第十三章 風にのっても入れるけど、牛が引っぱっても出られない場所)

 

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名古屋城の満開の桜を車の中から愛でながら、職場の人と幅下の「手打ちそば処 谷屋」へお昼を食べに行きました。お昼限定のとりしょうが丼とおそば(1144円)を注文して待っている間に、突然周りの人(私のは鳴りませんでした)のケータイが緊急地震速報で鳴り出しびっくりしました。
コシがあるおそばも最後に出されるとろとろの蕎麦湯もおいしかったです。お店の雰囲気もよく、また伺いたいおそば屋さんでした♪

 

手打ちそば処 谷屋
名古屋市西区幅下1