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あらすじ
僕たちは「その日」に向かって生きてきた。昨日までの、そして、明日からも続くはずの毎日を不意に断ち切る家族の死。消えゆく命を前にして、いったい何ができるのだろうか…。死にゆく妻を静かに見送る父と子らを中心に、それぞれのなかにある生と死、そして日常のなかにある幸せの意味を見つめる連作短編集。
(2006年 本屋大賞 5位)

 

ひと言
最近は(だいぶ前からだけど)夜はルビが見えないし、疲れてすぐに眠たくなるから読書も大変だけど、こういう本に出会うと「読書ってほんとうにいいなぁ」「人にも勧めてあげたいなぁ」と心から思います。
一期一会 こんな素敵な本との出会いが、これからも一冊でも多くありますように!
「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「ヒア・カムズ・ザ・サン」我々の世代の人なら誰でも知っている名曲ばかり。「潮騒」って曲あったかなぁ?
南原清隆・永作博美さんが演じる角川映画、佐々木蔵之介・檀れいさんのBSプレミアムドラマの2作品がDVDになっているのでレンタルできれば観てみたいと思いました。

 

 

 

でも、母ちゃんは「いる」――それだけで、いい。うまく言えないけど、母ちゃんの役目は「いる」ことなんだと思う。「いる」と「いない」の差はとんでもなく大きいけど、「いる」をキープしてしまえば、そこから先のことはどうだっていい。……。それほど母ちゃんに期待しているわけではないけど、でも、とにかく、母ちゃんは「いる」からこそ意味がある。いてくれないと困る。なにがどう困るのか予想もつかないぐらい困る。いてほしい。絶対に。これからも。
(ヒア・カムズ・ザ・サン)

 

 

 

わが家で過ごした年末の一カ月に、夫婦で何度も話し合った。僕は「子どもたちにも教えたほうがいいんじゃないか」と言いつづけたが、和美はどうしても譲らなかった。子どもたちがママと過ごす最後の日々を、侮いの残らないように送らせてやりたい。和美にも、隠しごとを背負ったまま人生を締めくくってほしくない。僕の言いぶんは――わかる、と和美は言う。すごくよくわかるし、そのほうが正しいような気もする、わたしも。でも、と和美はつづける。最後のわがままを通させてほしい、と僕に訴える。「わたしね、最後の最後の、もうぎりぎりまで、二人の元気な顔を見ていたいの。ママは治るんだって信じてる顔を見せてほしいの、少しでも長く。悟ったような顔なんて似合わないって、あの子たちには」
(その日のまえに)

 

 

〈 突然、すみません。わたしたちは、ずっと昔に二〇一号室に住んでいた夫婦です。この部屋はとても素敵な部屋です。わたしたちの幸せな思い出もたくさん染み込んでいます。どうぞ、いつまでもお幸せに。出窓には、お花を飾るときれいだと思います。おせっかいでゴメンナサイ 〉二つ折りにしたメモと『豆まきセット』を、二〇一号室のボックスに入れた。
(その日のまえに)

 

 

そのときにわかったことが一つある。悲しみと不安とでは、不安のほうがずっと重い。病名という形を与えられる前の、輪郭を持たない不安は、どんなにしても封じ込めることができない。どこにいても、なにをしていても、不安は目に見えない霧になって僕にまとわりついていた。その頃の僕が描いたイラストは、自分でもはっきりとわかるくらい出来が悪かった。集中できないまま、ただ手を動かしていただけの仕事だった。検査のあと、永原先生から病名を告げられ、一年足らずの余命を宣告されて、形のなかった不安は現実的な悲しみになった。告知の瞬間、僕は――そして和美も、冷静だった。ショックや悲しみがなかったとは言わない。それでも、取り乱すことはなかった。不安に包まれていた日々、僕たちはその不安を収めるための器を心の中に用意していたのだろう。いま振り返ると、そう思う。器はいくつもあった。「検査の結果、なんでもありませんでした」から段階をおって「病気ですが、すぐに治ります」「完治は難しくても、命にかかわるものではありません」……そんな中の、最も選びたくなかった器を、僕たちは与えられ、不安はそこに流れ込んでいったのだ。僕たちの胸には、不安の代わりに絶望が居座った。絶望は毎晩のように和美に涙を流させ、元気だった頃はのんびり屋だった彼女をぴりぴりといらだたせ、僕に何度も深酒をさせた。運命を恨んだ。もっと早く病院に行っていればという後悔にさいなまれた。テレビや街で和美と同じ年格好の女性を見ると、腹立たしささえ感じた。だが、絶望というのは、決して長くはつづかないのだ。これも初めて知った。ひとの心は絶望を背負ったまま日々を過ごすほど強くはないのだと思う。だから、ひとは、絶望して死を選ぶ。そうでなければ、絶望をつかのま忘れようとする。和美の余命は、絶望とともに死を迎えるには長すぎた。のこされる二人の息子――健哉と大輔のことを思うと、自ら死を選ぶわけにもいかなかった。だから、僕たちは日常を生きた。
(その日)