イメージ 1 
 
あらすじ
答えてください。娘を殺したのは私でしょうか。
東野圭吾作家デビュー30周年記念作品。娘の小学校受験が終わったら離婚する。そう約束した仮面夫婦の二人。彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。娘がプールで溺れたー。病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。過酷な運命に苦悩する母親。その愛と狂気は成就するのか。愛する人を持つすべての人へ。

 

ひと言
脳死・脳死判定と臓器提供。こんな答えを出せない問題を取り上げた作品で、さすが東野圭吾、ぐいぐいと引っ張られて一気に読ませてくれます。脳死や判定基準、海外での臓器移植の問題など知らなかったことも多く、勉強になりました。この作品も間違いなく映画化されると思いますが、多くの人が考えさせられる作品になることを願っています。

 

 

「君はどう思う?」そんなことを訊かれてもわからない、と答えるのではないかと和昌は予想した。だが薫子は少し首を傾げ、黙っている。やがて、前に公園で、と□を開いた。「クローバーを見つけたの。四つ葉のクローバー。あの子が自分で見つけたのよ。ママ、これだけ葉っぱが四枚付いてるって。それで私、わあすごいね、それを見つけたら幸せになれるのよ、持って帰れば、といったの。そうしたらあの子、何ていったと思う?」訊きながら和昌のほうに顔を巡らせてきた。わからない、と彼は首を振った。
「瑞穂は幸せだから大丈夫。この葉っぱは誰かのために残しとくといって、そのままにしておいたの。会ったこともない誰かが幸せになれるようにって」胸の奥から何かが込み上げてきた。それは忽ち涙腺まで達し、和昌の視界をぼかした。「優しい子だったんだな」声が詰まった。「ええ、とても優しい子よ」「君のおかげだ」和昌は指先で涙をぬぐった。「ありがとう」
(第一章 今夜だけは忘れていたい)
 
「参ったな。君にはかなわない」「今頃わかったの? ちょっと遅すぎない?」たしかに、と笑ってから真顔に戻って妻を見つめた。「君には苦労をかけた」薫子は、ゆっくりとかぶりを振った。「苦労だなんて思ったことない。幸せだった。瑞穂の世話をしている時、この子を産んだのは私で、その命を守ってるんだっていう実感があって、とても幸せだった。傍目には狂った母親だと見えたかもしれないけれど」「狂っただなんて、そんな……」でもね、といって薫子は遺影を見上げた。「この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある。そして子供のために狂えるのは母親だけなの」和昌に視線を戻した。不気味なまでに力強い目をして続けた。「もし生人が同じことになったら、きっとまた私は狂う」静かな口調だが、その言葉に和昌は圧倒された。彼女の目を見返すしかなかった。薫子は、ふっと頬を緩めた。「もちろん、命を捨ててでもそんなことは防ぐけどね」「俺もだ」
(第六章 その時を決めるのは誰)
 
「死亡診断書に従えば、四月一日の午後一時ということになります」「それを受け入れると?」さあ、と彼は腕組みをした。「本音をいえば、それは違うんじゃないかと思います。臓器提供に同意した場合のみ、脳死判定を行い、確定すれば死亡とする。同意しなければ判定は行われず、当然死亡したとみなされることもない」――どう考えてもおかしな法律です。脳死が人の死だというなら、あの事故が起きた夏の日、瑞穂は死んだことになる」「ではあの日があなたにとっての命日だと?」いや、と和昌は首を捻った。「それもまた抵抗があります。あの日、瑞穂はまだ生きていると感じたのも事実ですから」「では、奥様の意向を尊重されますか」うーん、と彼は唸り、こめかみに手を当てた。「そうですね。やっぱり私は保守的に考えたいです。脳死は人の死じゃない。瑞穂が死を迎えたのは、臓器が摘出された四月二日ではないでしょうか」「保守的とは?」「つまり、心臓が止まった時、という意味です」すると進藤は口元を緩め、和昌に笑いかけてきた。「だったら、あなたにとってお嬢さんはまだ生きていることになる。この世界のどこかで彼女の心臓は動いているわけですから」「あ……なるほど」進藤がいっている意味を理解した。瑞穂の身体からは心臓も摘出され、どこかの子供に移植されたと聞いている。この世界のどこかで、かー。そう考えるのも悪くないな、と和昌は思った。
(第六章 その時を決めるのは誰)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
心のざわめきを静めるヒントは、禅の考え方の中にあります。「禅の考え方」などと言うと、難しくてとっつきにくいもののように感じるかもしれませんが、決してそんなことはありません。習慣を少しだけ変えてみる。あるいはものの見方をほんの少し変えてみる。それによって心は穏やかになります。心がざわざわして何となく落ち着かない―。そう感じながら毎日を過ごしているのなら、あなたの生活の中に、禅の考え方を取り入れてみてください。

 

ひと言
当たり前のことなんだけど、日々の生活の中でなかなか実践できていないこと、ふと忘れてしまって生活していること を思い出させてくれるような本でした。
「知足」に触れられたところでは、龍安寺の「知足の蹲踞」(つくばい)が頭に浮かんできて、ふと忘れがちになってしまう「知足」をもっと心がけて日々を過ごせていけたらと思いました。

 

 

イメージ 2

遊戯三昧(ゆげざんまい)
自分がなすべきことに無心で取り組み、それを遊びのように楽しむ。
(第一章 悩みや不安を遠ざける心の習慣)

 

 

日本人の特徴の一つとして、「みんなと同じでなければいけない」と固執してしまう傾向があるのではないでしょうか。逆に言うと、他人と違っていることを恐れている、と言えるかもしれません。それは、周囲の人と自分を「比べている」ことのあらわれでもあります。比べるからこそ、みんなと違っている自分の能力や容姿、置かれた環境などにコンプレックスを抱いたりするのです。「人は人、自分は自分」です。禅においては、他人は他人、自分は自分で、それぞれが比べようのない絶対の存在だと考えます。それを比べるから、苦しみや悩みが生まれるのです。比べるのをやめれば、生きることはずっと楽になります。「比べない」ということは、簡単に言うと「善し悪しをつけるのをやめる」ことです。「どっちがきれいで、どっちが醜い」「どっちが得で、どっちが損」などと物事を判断するから、私たちは他人を羨んだり、自分を嘆いたりします。そのとらわれから解放されれば、周囲と違う自分や、自分と違う他人を受け入れることもできるのではないでしょうか。
(第一章 悩みや不安を遠ざける心の習慣)

 

 

毎日を穏やかな気持ちで、心静かに過ごしたい――。多くの人がそう願っているのではないでしょうか。仏教では、人の心を乱す原因として、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」の「三毒」を挙げています。「貪」とは、欲深くむさぼる心。「瞋」とは、怒りの感情。「癡」とは、愚かさのことです。今、とくに「瞋」、すなわち他人への怒りや憎しみの感情に振り回され、人間関係を悪くしたり、ストレスを抱えたりする人が増えている。私にはそのように思えてなりません。
(第三章 おおらかな心をつくるヒント)

 

 

「知足」という言葉があります。足るを知る。言い換えれば、「ほどほどを知る」ということです。人間の欲望には際限がありません。「もっと欲しい」という思いに心がかき乱され、いつになっても満たされないとしたら、それは大きな苦しみです。自分にとって必要な物を手に入れたら「これで十分」と考え、それ以上を求めない。それが「ほどほどを知る」。その心持ちでいることができれば、苦しみは少なくなります。
(第三章 おおらかな心をつくるヒント)

 

イメージ 1
 
2日前に「肉魂」でカルビ丼を食べて 今週はカップラーメンの予定でしたが、今日 栄に行く用事があり、お昼に「ボルケーノキッチン」のボルケーノプレート マカロニサラダセット こってりソース(1000円)をいただきました。
やわらかいローストビーフに しょうゆベースのバターが入ったソースがよく合っておいしいです。ごちそうさまでした。明日の昼食は必ず抑えるようにします!

 

ボルケーノ キッチン
名古屋市中区栄3 スカイル9F

 

イメージ 1
 
なかなか仕事の都合が合わず、延び延びになっていた「肉魂」へ職場の男4人でお昼を食べに行ってきました。
すごく肉厚の焼肉ビストロの和牛ハンバーグ定食(一日限定12食)(980円)と迷ったのですが、女将の「今日の特上カルビ丼のお肉は松阪牛です」の言葉に、特上厚切り黒毛和牛カルビ丼(1980円)+自家製温泉卵添え(120円)+ご飯大盛(200円)に決定!。
でもちょっと昼食代 2300円は予算オーバーかも…、今週 残りはカップラーメンかな…。でもすごくおいしかったです♪ごちそうさまでした。次は限定ハンバーグも食べてみたいです。

 

肉魂(食べログ)
名古屋市中村区名駅4

 

3月11日 早いものであの日から6年。14時46分は青岸渡寺で黙祷を捧げようと思い、朝5時08分 東名阪の蟹江ICから高速に乗りました。

イメージ 1

途中 尾鷲北-南IC間で5kmほど(10分弱)国道42号に降りる必要がありますが、熊野大泊ICまで2時間10分弱で到着。熊野は時間がかかるというのはもう昔の話です。ICから7分ほど7時23分にはもう、日本書紀にも記されている日本最古の神社「花の窟神社」に到着です。

イメージ 2

朝早くて花の窟神社では御朱印をいただけませんでしたが、そこから30分で、熊野権現が最初に降臨した場所であるとされる「神倉神社」に到着。

イメージ 3

急勾配の石段538段を20分ほど登ります。山上から見える海は、あの日とは違って朝日を浴びて静かに凪いでいました(合掌)。

イメージ 4

神倉から35km(45分)で「熊野本宮大社」に到着。本宮、産田社にお参りし、 日本一の大鳥居をくぐってかつて熊野本宮大社があった「大斎原(おおゆのはら)」にお参りします。

イメージ 5

大斎原からすぐの河原の水辺まで歩きます。昔の熊野詣の人々はここから舟で新宮へ向かったのかなと思うと感慨も一入です。

イメージ 6

お昼は「茶房 珍重庵」で めはり寿司(650円)と熊野もうで餅(350円)をいただきました。あたたかい めはり寿司は珍しくおいしかったです。

イメージ 7

新宮へ戻り、「熊野速玉大社」へお参りして、そこから20km弱(30分ほど)で那智の「大門坂駐車場」に到着。13時35分 駐車場から300m ほどの熊野古道 大門坂を歩いて登り「熊野那智大社」を目指します。

イメージ 8

途中「大門坂茶屋」さんの平安衣裳を着た女の人とすれ違いました。「撮らせてください」と声を掛けてパチリ。こちらの貸し衣裳は料金もお安くておすすめです。
参考までに 『大門坂茶屋』 おかみさん日記

イメージ 9

先に「熊野那智大社」にお参りする予定でしたが、到着したのが14時25分 予定を変更して先に「青岸渡寺」へ。

イメージ 10

防災無線で「14時46分 サイレンの合図で1分間の黙祷を行います」という放送が那智山全体に流れます。お寺の回廊に出て、東北の方に向かって黙祷。
15893名のお亡くなりになった方々のご冥福と、まだ2553名もの行方がわからない方々が一日も早くご家族のもとに戻られることを心よりお祈りいたします。

イメージ 11

上の写真は【石巻市の大川小の献花台に早朝から花を手向ける人(読売ニュース)】です

その後、団体ツアーの人たちにご一緒させていただいて、お経をお供えしました。
「熊野那智大社」にお参りし、願いを書いた護摩木を持ち、樹齢850年の真ん中が空洞になっているくすのきの「胎内くぐり」をさせていただきました。

イメージ 12

「飛瀧神社」(那智の滝)にお参りし、滝前からバスに乗る予定でしたが、待ち時間がけっこうあったので、駐車場まで大門坂を歩いて戻ります。

イメージ 13

今日も、神倉・本宮・大門坂 那智とよく歩いたなぁ。
でも こうして まだまだ健康で歩いてまわれることや、
再び 第1番の札所を訪れることができることに
感謝の気持ちを忘れないようにしないとと思いながら歩きます。

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

帰りは大門坂駐車場から自宅まで約230km(3時間40分)でした。
7回忌の3月11日、心に残る熊野の旅でした。
イメージ 1 
 
あらすじ
主人公の幹は赤ん坊の頃、浜辺でわかめにくるまっているところを拾われた。大平家の家族になった幹は、亡き祖父が始めた実家のB&B(ベッド&ブレックファースト、朝食付きの簡易宿泊所)を手伝いながら暮らしている。美しい自然にかこまれた小さな村で、少し不思議なところもあるが大好きな家族と、平凡ながら満ち足りた暮らしをしていた幹だったが、ある日、両親が交通事故に遭ってしまう。大事にはいたらなかったが、それから家族が不気味なうさぎの夢をみたり、玄関前に小石がおかれたりと奇妙なことが続くようになる……。神聖な丘に守られた小さな村。みなしごの主人公が手にした“幸せの魔法"とは?この美しい世界に生きる希望を描ききった著者の最高傑作!

 

ひと言
ばななさんの本はいつもオカルト的、サスペンス的な部分があるけど、その後ろに暖かくてほんわかさせてくれる部分があって、著者の最高傑作とは思わないけど、また次も読んでみたいなぁと思わせてくれる本でした。

 

 

「まず、自分の宇宙の神様を自分だと思わないと、決して全部は見えてこないと思うよ。彼らのような過去の偉人を、同じ道を歩んだかもしれない人たちを尊敬してないっていうことじゃない。ただ、自分の人生は自分しか助けられない。自分を助けられたら、きっと神様も釈迦も地球もなんでもかんでも助けてあげられるんだ。
子どもがほしくてしかたなかった淑子のために、俺は祈ったんだ。赤ちゃんが授かりますようにと。あんな来方で来るとは思わなかったけれど、おまえはやってきてくれた。あれが人生最大の収かくだった。それに比べたらこんなTシャツなんか、小さなことだよ。」祖父は微笑んだ。「引き寄せっていうのはつまり、欲の問題だろう? でも、俺のはそれじゃないんだ。欲がないところにだけ、広くて大きな海がある。海には絶妙なバランスがある。その中を泳ぎながら、俺は最低限の魚をとって食べている、ただそれだけのことなんだ。有名になる必要はないし、足りているもので生きればいい、そう決めれば必要なものはそこにあるんだ。花のベッドに寝ころんでいるような生き方をするんだよ。幹のいちばんいいところは、心からの幸せの価値を知っていることだ。今のままでいい。うっとりと花のベッドに寝ころんでいるような生き方をするんだ。もちろん人生はきつくたいへんだし様々な苦痛に満ちている。それでも心の底から、だれがなんと言おうと、だれにもわからないやり方でそうするんだ、まるで花のベッドに寝ころんでひるねしているみたいに。いつだってまるで今、そのひるねから生まれたての気分で起きてきたみたいにな。」自分の中の幸せが祖父に伝わっていることがほんとうに嬉しかったから、その言葉をずっと大事に抱いていこうと私は思った。亡くなったとき、祖父はもちろん棺桶の中でそのTシャツを着ていた。まるで天にふわっと抱かれるように。
(P23)

 

 

母は病院のベッドでこのきれいな春の季節を過ごさなくてはいけない。今だって体の痛みや不快と戦っている。でも、生きていてよかった、母は帰ってくるのだから、と私は思った。こんなにも失うことが切ないなんて、なんと幸せなことだと思ったのだ。
生まれたときから重症らしい私の幸せ病はとどまるところを知らないくらいに強くなっていく。親が嫌いだとか家のあとを継ぎたくないとかいうのは、生まれてすぐになにもかも失ってほんとうに丸裸になっていた私にはそもそもありえないことだった。生きているだけでもうけものだと思っていたからこそなにをしても楽しかったのだし、その魔法はいつまでも解けなかった。赤ちゃんの私がみんなにかけた魔法なのか、それともみんなが私をはじめにかけねなく優しく抱いてくれたから強くかかった魔法なのか。
(P57)

 

 

花のベッドで寝ころんでひるねしているように生きるのは楽なことではないけれど、それを選んだからには、周りにいくらそう思われてもしかたがない。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからなくていい。人が一生をかけて本気で成そうとしていることなのだから、かんたんにわかられても困るのだ。しかし自然というものは、ミミズから大海まで、霧から太陽の光まで、草むらから大木まで、ちっともそんなつまらないことを思っていない。
私が自然を見れば、同じ分だけの力で自然も私を見る。見てくれてありがとう、ほめてくれてありがとう、明日も来てくれよ…そんな感じしか返ってこない。私がだれにも恥じない真心を持っていることも、静かな熱いものを大事にしていることも、だれにも言わないでこつこつといろいろなことをやっていることも、全部お見通しだ。
私が恥じない心を持っているからこそ、それが私の自然を見る目に映る。自然がにごらないで見えるときには、私もにごっていない。その瞬間は自然に力を与える。寄せては返す波のように、その力はめぐりめぐって私に返ってくる。この村の自然は私の力になって、私の力は村の大地に返っていく。そのことはとなりの山にもふもとの海にも広がって影響を与えていく。その循環こそが生きていることだと思うのだ。
(P125)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
ねがはくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃――23歳で出家し、1190年2月73歳で寂すまで平安末期の動乱の世を生きた西行。その漂泊の足跡を実地にたどりつつ、歌の読み込みに重点を置き、ゆかりの風物風土の中で味わうことによって自ずと浮かび上がってくる西行の人間的真実。待賢門院への思いなど、謎に満ち、伝説化された歌聖の姿に迫り、新たな西行像を追求する。

 

ひと言
この前読んだ森見 登美彦さんの「夜行」に出てきた西行の「春風の 花を散らすと……」に触れてからというもの、最近は寝ても西行、覚めても西行の生活です。
2012年 低視聴率が話題になったNHKの大河ドラマ『平清盛』のDVD(全13巻もあって、現時点で8巻目 第30話 平家納経まで観ました。この「平清盛」歴史に忠実で、わかりやすいし、泣かせどころもいっぱい。中井貴一さん演じる平 忠盛がすごくいいです!おすすめです)を借りて、寝る時間を削ってずって観ています。話題のこの本も借りて付箋だらけで読みました。たくさんの歌が引用されていましたが、特に心に残った歌を4首。

 

 

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり

 

 

身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ

 

 

ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃

 

 

風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかな

 

 

 

前章で私は、「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり」の歌が好きだといった。その時私は、在原業平も、西行におとらず桜を愛したことを、心の中で思っていたのである。

 

 

 

世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし

 

 

これは古今集にある業平の歌で、桜の花を謳歌した王朝時代に、もしこの世の中に桜というものがなかったならば、春の心はどんなにかのどかであっただろうに、と嘆息したのである。むろん桜を愛するあまりの逆説であるが、西行がこの歌を知らなかった筈はなく、同じようにはらはらする気持を、「夢中落花」の歌で表現したのではなかったか。そこには長調と短調の違いがあるだけで、根本的な発想には大変よく似たものがあると思う。
(花の寺)

 

 

崇徳天皇が、白河法皇と待賢門院璋子の間に生れた不義の子であったことは、周知の事実であり、父親の鳥羽上皇は、「叔父子」と呼んでおられた。このことは前にも記したが、祖父の胤子であるから叔父に当り、名目上は子でもあるという意味である。表向きは平穏でも、こうした親子の間柄ほど複雑で、陰湿なものはない。白河法皇が崩御になると、前関白太政大臣忠実の娘が後宮に入って、皇后に冊立され、ついで美福門院得子が、鳥羽上皇の寵愛を一身に集めるようになる。だからといって、待賢門院がないがしろにされたわけではないが、真綿で首をしめられるように、徐々に衰退の一途を辿る。それが表面に現れたのは、得子の産んだ体仁親王(後の近衛天皇)を皇太子に立て、崇徳天皇に譲位をせまられた時のことであった。その時天皇は二十三歳で、体仁親王を養子にしていられた。させられていた、というべきかも知れない。それは得子の身分が低いので箔をつけるためであったが、親王はわずか三歳で即位し、譲位の宣命には、「皇太子」ではなく、「皇太弟」と記されていた。これはきわめて重要なことで、皇太弟では、退位後に上皇は院政を執ることができないだけでなく、子孫を皇位につける望みもあやしくなる。『愚管抄』には、「コハイカニト又崇徳院ノ御意趣ニコモリケリ」と、鳥羽上皇に恨みを抱かれたことが記してあるが、実際には摂政忠通の策謀によるものであったらしい。……。……。
どちらかといえば、一本気で、融通のきかない忠実・頼長父子と、天才的な策士である忠通との二派にわかれた摂関家の内紛が、皇室の内部にまで影響を及ぼし、保元の乱の要因となったことは疑えない。

 

 

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末にあはむとぞおもふ

 

 

百人一首で有名な崇徳院の御製である。永治元年(1141)譲位して間もなくの作とかで、『詞花和歌集』では「恋 題不知」となっており、「谷川」が百人一首では「滝川」に変っている。一応はげしい恋の歌には違いないが、岩にせきとめられて、二つに分れた急流が、やがては一つになって逢うことができるであろうという信念は、崇徳院の皇統が、いつかは日の目を見ることを切に願っていられたことを暗示している。
そのころから母后の待賢門院も落胆のあまり出家して、病がちとなり、四年目の久安元年(1145)崩御になった。女院に、罪の意識はあまりなかったと思われるが、法金剛院での寂しい生活の中では、時に因果応報ということを考えずにはいられなかったであろう。ともあれ、肉親同志が戦う地獄図を見る前に亡くなられたことは、せめてもの倖せであった。
(讃岐の院)

 

 

それは文治五年秋のことで、翌建久元年(1190)二月十六日、西行は弘川寺において七十三年の命を終った。その報に接した都の人々の間には、一大センセーションを巻き起した。「ねがはくは花の下にて春死なん」と歌った人が、あたかも「そのきさらぎの望月」、釈迦入滅の頃に死んだというので、俊成以下名のある歌人たちはみな感動して、多くの歌を残した。以来、「ねがはくは」の歌が西行の辞世の句となって今に伝わったが、地下の西行は苦笑しているのではあるまいか。花を愛するあまり、いっきに詠み下したこの歌には、それなりの魅力はあるが、何となくロマンティックに流れた嫌いがあり、人を沈黙させるような美しさに欠ける。……。
さすがに慈円は西行の至り得た境地に共鳴して、

 

 

風になびく富士の煙にたぐひにし
人の行ゑは空にしられて

 

 

と歌い、詞書に「風になびく富士の煙の空にきえて 行くゑも知らぬわが思ひかなも、この二三年の程によみたり、これぞわが第一の自讃歌と申し事を思ふなるべし」と記して、富士の歌こそ西行の辞世にふさわしいものであることを示唆した(拾玉菜)。……。
西行を仏教の聖者の如く祀りあげているのは、「ねがはくは」の歌によったのはいうまでもないが、当時としてはその方が通りがよかったし、今でも一般の人々はそう思っているようである。だが、西行の真価は、信じがたい程の精神力をもって、数奇を貫いたところにあり、時には虹のようにはかなく、風のように無常迅速な、人の世のさだめを歌ったことにあると私は思う。
(虚空の如くなる心)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
大好きなママが、パパとの自由な恋をつらぬいてこの世を去った。ひとりぼっちになったいま、ちひろがいちばん大切に思うのは、幼児教室の庭に描く壁画と、か弱い身体では支えきれない心の重荷に苦しむ中島くんのことだ。ある日中島くんは、懐かしい友だちが住む、静かなみずうみのほとりの一軒家へと出かけようとちひろを誘うのだが……。魂に深手を負った人々を癒す再生の物語。

 

ひと言
今になってよしもとばなな…と笑われるかもしれませんが、もう少し読みたくてカスタマーレビューを見てこの本にしました。「デッドエンドの思い出」もよかったけれどこの本もよかったです♪。特に何かをしてくれる訳じゃないけれど、ずっとそばに寄り添っていてくれるようなあたたかさを感じる本でした。心に残るフレーズがたくさんあって、何をこのブログに書き残すか悩まされました。
2003年の長男の誕生とともにペンネームを(吉本ばなな)から(よしもとばなな)に改名されていたということを今知りました。ごめんなさい。デットエンドの作者名も直しておきますね。
 
自分の母親の棺おけの中を、好奇心と興味と嫉妬でいっぱいになった人たちが、形だけ、とおりいっぺんの黒い服を着て、偽の厳粛さで身を飾って、悲しげな顔にぎらぎらとしたまなざしをはりつけて見に来たときのあの気持ち……その取り繕われたいんちきな雰囲気を壊すために裸踊りでもしてやろうかと思うようなあの気持ちを、私は一生忘れないだろう。……。
……それでも、お棺にすがって号泣するパパを見たとき、負けた、と思った。パパはママしか見ていないのに、私はしっかりよけいなもので気をわずらわせている。(P11)

 

 

人がいやなことを相手のためにがまんしてくれるのは、恋愛の初期だけだ。やがてお互いのいやなことがわかってきて、自然にそれをしなくなる。だから、今はこれをしていいときなんだ、私は自分にそう言い聞かせた(P80)

 

 

私が抱きしめているのに、なぜか崖っぷちでふたりでしがみつきあっているような惑じがした。「遅かれ早かれ、彼はきっと消えていってしまうだろう」私はそのとき、確信した。向こう側に引っぱられて楽になりたいという彼の心の重みは、どんな愛情でもこの世がどんなに美しくても、もう支えきれないほどであることを私は体で感じたのだ。魂の深いところで。「でも、この思い出は消えないだろう」私は思った。それさえもなかったら、彼はなんのために生まれてきたのだろう。涙がにじんだ。「ありがとう、もう大丈夫。」ほんとうは全然大丈夫ではないのに、彼はかすれた声でそう言った。(P81)

 

 

ほんとうに人を好きになるということが、今、はじまろうとしていた。重く、面倒くさいことだったが、見返りも大きい。大きすぎて、空を見上げているような気持ちになる。飛行機の中で、光る雲の海を見ているような気持ちに。それは、きれいすぎて悲しい気持ちととてもよく似ている。自分がこの世界にいられるのが、大きな目で見たら実はそう長い時間ではないと気づいてしまうときの感じに、とてもよく似ていたのだ。(P142)

 

 

私は絵を見ながら、ゆっくりと説明した。暗い、誰もいない園庭に、私の声が低く響いた。
「これが、中島くん。木陰でのんびりとバナナを食べているの。これが中島くんのお母さん、いつも中島くんの近くで笑っているの。それで、これがみずうみで、これがあの神社でしょ?で、これがミノくん。紅茶をいれて笑っています。背も小さいでしょ。それから、これがチイさん。天蓋つきのベッドで寝でいます。お姫様のおサルさんよ、誰にも意味はわからなくても、ここは幸せな世界なの。誰にもこわせない。それで誰も意味を知らないまま、この壁はみんなの目に入って、そしてやがて壊されて、この世からなくなってしまう。でも、みんなの潜在意識の中に、幸せなあなたたちがちょっとだけ残っているの。いいでしょ?」中島くんは、黙ってうなずいた。(P201)

 

 

それはありえないことかもしれないけれど、かすかな希望を持って悪いということはない。その希望のわずかな熱で凍えた手足をあたためてはいけないなんて、誰にも言えない。(P206)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
僕らは誰も彼女のことを忘れられなかった。私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作! 「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」
(2017年本屋大賞ノミネート10作)

 

ひと言
2017年本屋大賞ノミネート10作に選ばれ、すぐに図書館に予約を入れた本です。ファンタジー、サスペンスホラー? 最初からわけがわからなくて、伏線だろうからと どんどん読み進め、最終夜の鞍馬でどう回収してくれるのかなと楽しみにしていましたが……。第二夜 奥飛騨 第三夜 津軽は必要があったの?森見さんの本としてはいまいちでした。
それよりも、私の好きな西行が 想い続け、失恋して出家の原因にもなったといわれる法金剛院の待賢門院璋子(たまこ)と、夢の中で逢瀬を遂げたことを詠んだと言われている

 

 

「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり」

 

 

が出てきて、この本を読み終えた後は、すぐに璋子と西行のことをいろいろと調べてみました。この本よりそちらのほうが楽しかったかも。
それにしても白河上皇に寵愛され、孫の鳥羽天皇の中宮で、崇徳天皇・後白河天皇の母である待賢門院璋子。「桜」に「璋子」を想い重ねて 生涯 桜を詠み続けた西行。璋子って絶世の美女だったんだろうなぁ。
森見さんは長谷川さんと璋子を重ねてこの小説を書いたのかなぁ。今年は寒い日が多かったからきっと綺麗な桜だろうなぁ。この春 京都 JR花園駅すぐの法金剛院の桜を観にいきたいと思いました。

 

 

イメージ 2

(法金剛院の桜)

 

 

冷たい春の夜風に吹かれて白い花弁が降ってきた。輝くような梢を見上げて岸田が言った。「春風の花を散らすと見る夢は――」「そりゃ、なんだ」佐伯は言ったが、岸田はそのまま続けた。「さめても胸の騒ぐなりけり」これは西行法師の歌なんだ、と語る岸田の顔は夜桜と同じように青白かった。憔悴していたのだろう。その冬から春にかけて岸田は異様な気迫で仕事に打ちこんでいたからだ。「分かるかい」と岸田は言った。「これが『夜行』だよ」
(第四夜 天竜峡)

 

 

「見たいかね」中から現れたのは、岸田の銅版画にちがいなかった。暗い谷間の底を黒々とした川が流れている。どこからともなく射す光が川の水面を不気味に光らせている。目を引くのはその川の対岸、黒々と天を衝く山の裾に広がる白い砂利の浜と、輝くように満開の花を咲かせている夜桜だった。その桜の下にひとりの顔のない女性が立ち、こちらに呼びかけるように右手を挙げている。春風の花を散らすと見る夢は――。「これは『夜行』という連作の一つで『天竜峡』という」「不思議な絵ですね。夢の風景みたい」「岸田が描いたのはこんなシロモノばかりさ」
(第四夜 天竜峡)

 

 

もしも芸術家というものが隠された真実の世界を描く役目を果たしているなら、こんなに筋の通った話はない。けれども僕はそんな理性的で美しい説明を信じない。真実の世界なんていうものはどこにもない。世界とはとらえようもなく無限に広がり続ける魔境の総体だと思う。きっと田辺君なら分かってくれるだろう。僕の描く夜の風景が魔境なら、胸を騒がせる西行の桜も魔境なんだ。僕らは広大な魔境の夜に取り巻かれている。「世界はつねに夜なんだよ」と岸田は言った。
(第四夜 天竜峡)

 

 

その夜、彼女は宇宙飛行士の話をした。ソ連の宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という有名な言葉がある。今では宇宙からの映像など珍しくもないから、我々はその「青さ」を知っているつもりでいる。しかし宇宙飛行士の語るところによれば、本当に衝撃を受けるのは背景に広がる宇宙の暗さであるらしい。その闇がどれほど暗いか、どれほど空虚かということは、肉眼で見なければ絶対に分からない。ガガーリンの言葉は、じつは底知れない空虚のことを語っている。その決して写真にあらわせない宇宙の深い闇のことを考えると、怖いような感じもするし、魅入られるような感じもする。
「世界はつねに夜なのよ」と彼女は言った。
やがて賀茂大橋までやってきた。飛び石を伝って川を渡る彼女の後ろ姿を私は見ていた。夜が終わっていく、と私は思った。とりたてて何が起こったというわけでもないのだが、その夜になって私はようやく、自分が彼女に惹かれていることに気づいた。それは九月のことで、その翌月が鞍馬の火祭だった。「みんなで行ってみよう」と言いだしたのは誰だったのだろう。ひょっとすると私だったのかもしれない、と思う。
(最終夜 鞍馬)

 

イメージ 1
 
今日はバレンタインデー。先日、JR名古屋高島屋のアムール・デュ・ショコラで買ったクラブハリエのハートブラウニー(1944円)を家族でいただきました。たくさんのナッツとレンジで温めて少しとろりとなったチョコの食感がいい具合にマッチしておいしかったです。ごちそうさまでした。