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あらすじ
殿中でござる! ご存知赤穂浪士の討ち入り!
江戸時代に本当にあった事件を室町時代に舞台をうつし、歌舞伎や文楽で演じられる。討ち入りまでの流れをとてもスムーズに落語家の語りを生かして伝えている。

 

ひと言
図書館の新着コーナーに置かれていて、忠臣蔵 大好きな私のこと、ちょっと手に取って見てみると少年少女向きの本ながら、大序 鶴岡の兜改め から涙、涙の九段目 山科の雪転(山科閑居)、十一段目 合印の忍兜(討ち入り)までしっかりと書かれており、読んでみると、これまた面白かったです。
そういえば、2003年の「忠臣蔵 決断の時」という10時間超ワイド時代劇で蟹江敬三さんが演じる加古川本蔵がすごくよかったのを思い出しました。また久しぶりに観てみよう♪。「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」も観てみたいなぁ。忠臣蔵はやっぱりいいなぁ、日本人の心だなぁとあらためて思いました。

 

 

その昔、平安時代に書かれた『伊勢物語』という、お姫様用の恋の教科書としても読まれた物語がありましてね。その第十三役に、武蔵の国の男が京都の女にむけて「武蔵鐙(あぶみ)さすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし」と、恋の歌を書いた手紙を出したという話がある。 で、高師直の官職が武蔵守。つまり、武蔵鐙の恋の歌と、自分とを重ね合わせたわけです。「自分じゃ、しゃれてるつもりだろうけど、気持ち悪いだけなんだよ、サル顔のスケベオヤジ!」とはいわなかったものの、そういう気持ちをこめて、顔世御前は恋文を投げ返そうとしました。が、すんでのところで、思いとどまりました。
(大序 鶴岡の兜改)

 

 

迷ってはみたものの、武士たるもの、いかなることであろうと、主君の命令には従うものと思い直した本蔵は、脇差しと大きな刀の両方をぬくと、それぞれをぶつけて、かちんかちんと音をたてました。「金打」(きんちょう)といって、「約束を破ったときは、もう二度と大小の刀をさしません」、つまり武士をやめます、死んでおわびをしますという、独特の儀式です。歌舞伎や、時代劇でも、ときどき見ることができますよ。以上、時代劇豆知識でした!
(二段目 諫言の寝刃)

 

 

が、文箱を開いて、手紙に目を通したとたん、その顔がみるみるこわばりました。たしかに、そこには返歌が書いてありましたが、それはこんなものだったからです。
『さなきだに 重きが上の さよ衣 わがつまならぬ つまな重ねそ』
ね? 師直さんが、むっとしたのも、当然でしょ? え? なにいってるのか、さっぱりわからない? いや、実は、あたくしにもぜんぜん……。と、それじゃあ話が進みませんので、あたくしも意味を調べましたよ、はい。この歌は、鎌倉時代の『新古今和歌集』の中にある、寂然法師という方が詠んだものだそうです。「さよ衣」とは、夜寝るときにまとう着物で、いまでいう、かけぶとんなので、あたたかく寝られるように綿が入っていて、重いんだそうです。「つま」は、着物の左右のえりからすそまでの、はしっこの部分のことですが、同時に「妻」、つまり女性のことをもさしている。そこで、こんな意味になるらしいんですな。「そうでなくても、かけぶとんは、重いもの。自分のふとん(自分の妻)以外に、別のふとん(別の女)をかけるもんじゃない」これで、おわかり? 「不倫はいかんぞ!」といってるんです。こんな歌を、師直さんからのラブレターの返事にするってことは、「いいかげんにしなさい! わたしは塩谷判官の妻で、あんたなんかに興味なし!」と、きっぱりと断ったということ。
(三段目 恋歌の意趣)

 

 

戸無瀬は、はっと目を見開きました。「釣り合いがとれない? とんでもありません。由良之助殿もわが夫も、同じ家老の職とはいえ、わが夫の主人、桃井若狭之助様は小大名。家老としての給料も、由良之助殿の給料の三分の一ほど。由良之助殿が浪人の身になったいまも、たいした差はございますまい」「いやいや、わたしが申しているのは、お金の話ではなく、心の話でございます」「心? 大星家と加古川家とでは、心が釣り合わないと、おっしゃるのか? それはどちらかの心が上で、どちらかが下ということか? どういうことか、お話いただきましょうか」思いも寄らない展開に、戸無瀬の顔が、さっと青ざめる。一方、お石の表情も、さっきとはうってかわって、きりっとひきしまります。「では、申しましょう。主君、塩谷判官のご切腹は、短気をおこした責任を取らされたもの。ですが、それもこれも、お心が正直だったからこそ。それにひきかえ、桃井様は、高師直に金や銀の賄賂を贈っているそうな。そんなへつらい武士の家老の加古川様と、亡き殿に忠義ひとすじの大星家とでは、心の釣り合いが取れないといっているのです」「へつらい武士ですと! 聞き捨てなりません!」
……。……。
「わたしがいっているのは、そのようなものではありません!」「では、いったい何をお望みで?」「この三方には、加古川本蔵殿の首をのせていただきましょう」思いも寄らない言葉に、戸無瀬は、ええっと、のけぞりました。「い、いったいなぜ……」「主君の塩谷判官が、高師直に斬りかかったとき、後ろから抱きとめたのは、あなたの夫、加古川本蔵殿。そのせいで、師直はかすり傷で逃げ出すことになり、殿はご本望を遂げられないまま、ご切腹。□にはお出しにはなりませんでしたが、殿のご無念の中には、本蔵殿への憎しみがあるはずです。その本蔵殿の娘を、喜んで妻に迎えるような力弥ではありません!」「し、しかし……」「どうしても、祝言をあげたいというのなら、この三方に本蔵殿の首をのせてください。さあ、どうします! はいか、いいえか、はっきりしていただきましょう!」あまりに鋭いお石の言葉に、戸無瀬も、思わずうつむいたそのときです。 「では、加古川本蔵の首、さしあげましょう」 戸口の方で声がしたと思ったら、外から虚無憎が入ってきました。そして、かぶっていた笠をぱっと投げ捨てると、下から現れたその顔に、あっと声をあげたのは、小浪と戸無瀬で。「と、父様!」「本蔵様!おまえ様、いったい、どうして……」「ええい、二人とも、みっともない声をあげるでないわ!」加古川本蔵は、妻と娘を一喝すると、お石に向きあいまして。 「お石殿。あなたなら、きっと、わたしの首をよこせというだろうと思っていましたよ。しかし、それは本物の武士がいう言葉。由良之助殿のように、浴びるほど酒を飲み、遊びほうけるような、ばか者には似合いません。そして、蛙の子は蛙ともいいますから、その息子の力弥殿も、親に劣らぬ大ばか者でしょう。そんな者の祝言のために、この首、切らせはしませんぞ!」本蔵は、憎々しげにいうと、ばーんと三方をふみつぶしたもんだから、お石も、かあっと頭に血が上りました。「いくらなんでも、いいすぎでしよう! こうなったら、不肖ながらわたしも大星由良之助の女房、お相手いたしましょうぞ! いざ、勝負!」
……。……。
大声をあげて飛び出してきた大星力弥は、落ちていた槍を拾うが早いか、本蔵のわき腹に、ぐさりと突き立てました。不意を突かれた本蔵は、うっと、うめくのが精一杯。そのまま、どさりと倒れこむ。「と、父様!」 「本蔵殿!」 妻と娘が二人して、がばっと取りつき、泣き出すのもかまわず、力弥はとどめを剌そうと、槍をかまえなおす。が、しかし! 「待て、力弥! 早まるでない!」後ろから声がしたと思ったときには、がしっと槍をおさえられておりました。 「ち、父上!」そうです。ここで、大星由良之助の登場です! 由良之助は、驚く力弥にかまわず、瀕死の傷を負った本蔵をふりかえりまして。「ひさしぶりだな、本蔵殿。計略通りにいって、さぞ満足だろう」「さすがは由良之助殿。すべて、お見通しであったか」 本蔵は、大きく目を見開くと、深々と、何度もうなずいています。 「あのとき塩谷判官殿を抱きとめたのは、師直が死にさえしなければ、切腹にはなるまいと思ったからだ。が、考えが浅かった。加古川本蔵、一生の不覚、すべてはわたしの罪。こうなったからには、どうにかして殺してもらおうと、こうしてやってきたのだ」なんと、お石をバカにしたり、投げとはしたりしたのも、力弥を怒らせ、自分を殺してもらうためだったというんだから、びっくりです!「思い通りに、力弥殿の手にかかり、首をさしだすことができる。由良之助殿、これで小浪を嫁にしていただけるのなら、未来永劫、そのご恩は忘れぬ。武士ならば主君のために投げ出す命を、こうして子のために投げ出す親心を、どうか、どうか、わかっていただきたい!」あまりの言葉に、戸無瀬も小浪も、声をあげて泣き伏すばかり。
……。……。 
「由良之助殿も、力弥殿も、主人の仇を討った後は、ほかの主人に仕えることなく、雪のように消えようというお考えでしょう? ああ、そうか、だから、力弥殿は小浪を離縁しようとなさったのですね。夫婦となって、すぐに死に別れは小浪がかわいそうだと。そんなこともわからず、お石さんをうらんだりして、わたしは、なんてバカだったんでしょう……」「いいえ、うらんで当然ですよ。わたしも、わざととはいえ、ずいぶんとむごいいい方をいたしましたから。それにしても、家柄もよく、かわいい娘さんが、どうしてまた、こんな不運な目にあわなければならないのでしょうか……」 お石と戸無瀬は手をとりあって、さめざめと涙を流しています。それを見た本蔵は、苦しい息の下で、うれし涙を流しました。
「ああ、よかった……。忠臣の中の忠臣、大星由良之助殿の息子に、わが娘が嫁ぐとは、帝に嫁ぐ以上の誉れ。大手柄をあげた娘の婿殿へ、この引き出物をさしあげたい……」本蔵は懐から手紙のようなものを取り出すと、力弥に差しだしました。力弥は、うやうやしく押しいただいてから、さっそく開いてみると。 「こ、これは、師直の屋敷の絵図面……」
(九段目 山科閑居)

 

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あらすじ
現代のロンドン。日本から美術館に派遣されている客員学芸員の甲斐祐也は、未発表版「サロメ」についての相談を受ける。このオスカー・ワイルドの戯曲は、そのセンセーショナルな内容もさることながら、ある一人の画家を世に送り出したことでも有名だ。彼の名は、オーブリー・ビアズリー。保険会社の職員だったオーブリー・ビアズリーは、1890年、18歳のときに本格的に絵を描き始め、オスカー・ワイルドに見出されて「サロメ」の挿絵で一躍有名になった後、肺結核のため25歳で早逝した。当初はフランス語で出版された「サロメ」の、英語訳出版の裏には、彼の姉で女優のメイベル、男色家としても知られたワイルドとその恋人のアルフレッド・ダグラスの、四つどもえの愛憎関係があった……。
退廃とデカダンスに彩られた、時代の寵児と夭折の天才画家、美術史の驚くべき謎に迫る傑作長篇。

 

ひと言
「サロメ」「オスカー ワイルド」名前ぐらいは聞いたことはあるけれど、ほとんど全く知らないことばかりだったので勉強になりました。

 

 

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おまえの口に口づけしたよ、ヨカナーン
「ステューディオ」誌創刊号より 1893

 

 

甲斐は、ある日、祖父の留守中に入ったアトリエで、デスクの上に広げられていた〈イギリスの画家たち〉という画集を何気なく手に取った。その中に、〈サロメ〉がいた。
暗い他の水面の上、ふわりと空中に浮かんだ妖しい女の姿。燃え上がるような黒髪と、天女のごとき純白の帯が空中を漂う。男の首――いましがた刎ねられたのか、したたり落ちる生血は白い帯となって、水面にとろけ落ちている――を掲げ、陶然とそれに語りかける妖女の邪悪な顔。――
そのページに、少年だった甲斐は釘付けになった。奇妙で、どこかそらおそろしく、強烈な磁力を発する絵。けっして見てはいけないものを見てしまったような、けれどどうしても目を逸らすことのできない、メデューサの魔力がその絵にはあった。
(プロローグ)

 

 

サロメのエピソードは、新約聖書の聖マタイ伝に記述がある。ごく短い記述で、実は「サロメ」という名前すら出てこない。しかし芸術家たちは、この短い記述に少女サロメの魔性を読み取って、自分たちの創作に移植したのである。
ユダヤのヘロデ王は、兄弟の妃であったヘロディアを娶ったが、これに意見した預言者ヨハネ(ヨカナーン)を牢につないだ。ヨハネに、ヘロディアは殺意を抱くが、ヨハネが聖人であると知っているヘロデ王はそれを許さない。ヘロデ王の誕生日に、ヘロディアの娘が踊りを披露し、喜んだ王は、なんでも褒美をつかわすと約束する。娘は母と相談して、ヨハネの首がほしいと言う。衛兵が獄中のヨハネの首を刎ね、盆に載せて娘に差し出す――というのが、聖書の中の記述である。
獄につながれた預言者、彼を恐れる王と殺意を抱く妃、年若い姫君のダンス、そして少女が聖人の首を所望する異常性。――世紀末の頽廃主義者を標榜するオスカー・ワイルドが、いかにも好みそうな素材だ。
(プロローグ)

 

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あらすじ
昭和36年。小学校用務員の大島吾郎は、勉強を教えていた児童の母親、赤坂千明に誘われ、ともに学習塾を立ち上げる。女手ひとつで娘を育てる千明と結婚し、家族になった吾郎。ベビーブームと経済成長を背景に、塾も順調に成長してゆくが、予期せぬ波瀾がふたりを襲い―。山あり谷あり涙あり。昭和~平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編!
(2017年 本屋大賞 第2位)

 

ひと言
少し厚めの467頁ですが、読みやすく結構 一気に読め さすが本屋大賞2位、おすすめの本です。「みかづき」というタイトルもこの本のことをよく表していて いいなと思いました。「欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研讃を積むのかもしれない」という言葉が心に残りました。
でも、まさか直木賞作品の「蜜蜂と遠雷」が本屋大賞だなんて…。
今までの常識では考えられない受賞だけど、それだけすばらしい本で、書店員さんたちがみんなに是非読んでもらいたいと願っているんだなぁということがすごく伝わってきました。
でも…図書館でなかなか借りられないだろうなぁ……。早く読めますように★

 

 

最も相容れなかったのは進学に纏わる問題です。高校進学率が漸く五割を超えたその当時、小中学校の新設に追われていた文部省は高校新設に立ち遅れ、日本社会には数年後の高校全入運動へ繋がる暗雲が垂れ込めていました。十五の春に泣かされる中学浪人が大量に生み出される予兆です。それは文部省の不手際というよりは確信犯的な政策の一部であったと私は考えています。
何故、高校新設を急がないのか。生意気盛りの私が問い質す度、A氏は泰然と返したものでした。「どのみちエリートのポストは限られているのだから、子供達の皆が皆、高校に進学する事はない。列強との経済戦争に勝ち披いていくには、エリート同様、最低限の義務教育を受けた賢明な労働者もまた必要だ」詰まる処、それが役人の本音なのでした。ごく一部のエリートと、その他大勢の庶民。国民を二分し、各々に相応しい教育を施すことで日本の国際競争力を高める。結果的にそれは誤算であり、日本人は限られたエリートの椅子を巡ってすさまじい競争を繰り広げる結果と相成ったのですが、文部官僚達は庶民がそれなりの教育(即ち、それなりの人生)に甘んじるものと高を括っていたのでしょう。
進学を望む子供に学舎を与えないのは明治以来の「学制」に反する。そんな私の正論は、小娘の戯れ言として一笑に付されました。遺伝子が平等でない限り、教育の平等もまた存在し得ない。そう明言するA氏の優先事項はあくまでも一部の優等生を日本のリーダーとして育てる事であり、その他大勢を日本経済の土台を支える従順な労働者として確保する事でした。
(第六章 最後の夢)
 
「私さ、この業界に入ってからずっと、釈然としないところがあったんだよね。なんで、塾はただのビジネスであっちゃいけないんだろうって」「ビジネス?」「そ。たとえば、豪華な料理や宝石が高値で提供されても、それはそういうビジネスなわけだから、誰も文句をつけないよね。塾だけが、有償で教育を提供することに妙なやましさを背負わされている。富裕層しか通えないエステは垂涎の的になっても、月謝の高い塾は非難の的にしかならない。どっちも顧客があってのものなのに、なんでこうなっちやうのかなって」
(第七章 赤坂の血を継ぐ女たち)

 

 

「上田、ゆとり教育の言いだしっぺって、誰だか知ってる?」「いや」「今はなき教育課程審議会の連中だよ。その元会長の発言が、これ。斎藤貴男ってジャーナリストのインタビューで、おっさん、ゆとりについてどえらい本音をぶちまけてるぜ」マーカーの引かれた箇所へ目を走らせるにつれ、一郎はみるみる顔をこわばらせていった。
『学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく仲ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです』
『(日本の)平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが〝ゆとり教育〟の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ』……。
「つまるところ、それがこの国を動かしてる連中の本音だよ。合理的っちゃ合理的だ。それしか日本の活路はないと連中はマジで思ってるんだろうよ」「エリート以外は確信犯的に切り捨てるってことか」「だな。非才、無才はせいぜい実直な労働者になってくれってか」「非才や無才だけじゃない。素質もやる気もあるのに、家に金がないってだけで、同級生に遅れをとってる子もいる。この国はそんな子たちも切り捨てるのか」おかしい。何かが狂っている。
(第八章 新月)

 

 

常にしゃかりきに何かを追っている妻を、かつて自分は永遠に満ちることのない三日月にたとえたことがある。そんな断りをはさんで吾郎は続けた。
「それから妻はこんな話をしました。これまでいろいろな時代、いろいろな書き手の本を読んできて、一つわかったことがある。どんな時代のどんな書き手も、当世の教育事情を一様に悲観しているということだ。最近の教育はなってない、これでは子どもがまともに育たないと、誰もが憂い嘆いている。もっと改善が必要だ、改革が必要だと叫んでいる。読んでも読んでも否定的な声しか聞かれないのに最初は辟易したけれど、次第に、それはそれでいいのかもしれないと妻は考えはじめたそうです。常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研讃を積むのかもしれない、と」
水を打ったようにしんとした場内に、エコーをおびた吾郎の言葉が沁みるように溶けていく。「教育に完成はありません。満月たりえない途上の月を悩ましく仰ぎ、奮闘を重ねる同志の皆さんに、この場をお借りして心からの敬意を表します。また、今後も刻々と変容していくであろうこの日本社会で、官民を問わず、教育の欠落に立ちむかわんとするつわものたちの奮闘が未来永劫に継承されていきますように、その祈りをこめてお礼の言葉と代えさせていただきます」満月たりえない途上の月。その光を皆が無言でふりあおぐように、吾郎の声がとだえた会場はひちときの静寂に包まれた。それが万雷の拍手に変わったのは、深々と一礼した吾郎が壇上を去ってからだ。
(第八章 新月)

 

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あらすじ
言いたかった ありがとう。言えなかった ごめんなさい。伝えられなかった大切な人ヘの想い。あなたに代わって、お届けします。家族、親友、恋人⋯⋯。大切に想ってっているからこそ、伝わらない、伝えられなかった想いがある。鎌倉の山のふもとにある、小さな古い文房具屋さん「ツバキ文具店」。店先では、主人の鳩子が、手紙の代書を請け負います。和食屋のお品書きから、祝儀袋の名前書き、離婚の報告、絶縁状、借金のお断りの手紙まで。文字に関すること、なんでも承り〼。
(2017 本屋大賞 第4位)

 

ひと言
本屋大賞のノミネート10作品が発表になってすぐ図書館に予約を入れました。読み終えた昨日の11日が本屋大賞の受賞作発表日で、「ツバキ文具店」は4位でした。おばあちゃんの知恵や昔からの言い伝えが随所に紹介されていて、「へぇそうなんだ」と感心させられることが多かったです。本の感想は、さすが小川 糸さん、暖かで優しい気持にさせてくれるすてきな作品でした。
それから明後日の金曜日、4月14日の22時からNHK総合のドラマ10で「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」(多部未華子 主演)の連続ドラマも始まるということなので、そちらも観てみたいです。

 

 

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初めて筆を待ったのは、六歳だった。お稽古ごとが上達すると言われる六歳の六月六日、私は生まれて初めて自分専用の毛筆を手に構えた。赤ちゃんの頃の私の産毛で作った毛筆だった。
(夏)

 

 

漢字で最初に練習したのは「永」である。練いて、「春夏秋冬」や、「雨宮鳩子」という自分の名前が上手に書けるようになるまで練習を繰り返した。
(夏)

 

 

「いいかい、鳩子」先代は、私の目をじっと見て言った。「たとえば、誰かに感謝の気持ちを伝えるため、お菓子の折詰を持って行くとする。そういう時、たいていは自分がおいしいと思うお店のを買って、持って行くだろう? 中にはお菓子作りが得意で自ら作った手づくりの品を持参する人もいるかもしれない。けど、だからといって、買った物には気持ちが込もっていない、なんてことがあるかい?」私は先代に問われたものの、黙って先代の次の言葉を持つことしかできなかった。「だろう? 自分でお菓子を作って持って行かなくても、きちんと、お菓子屋さんで一生懸命選んで買ったお菓子にだって、気持ちは込められるんだ。代書屋だって、同じことなの。自分で自分の気持ちをすらすら表現できる人は問題ないけど、そうできない人のために代書をする。その方が、より気持ちが伝わる、ってことだってあるんだから。鳩子の言っていることもわからなくはないけど、それだと、世界が狭くなる。昔から、餅は餅屋って、言うじゃないか。手紙を代書してほしいって人がいる限り、うちは代書屋を続けていく、ただそれだけのことなんだよ」先代は、先代なりに必死に何か大切なことを伝えようとしてくれたのだと感じた。すみずみまでは理解できなくても、大まかな大事なところは、ぼんやりとだが私にも伝わった。何より、お菓子屋さんのたとえが、当時の私にはわかりやすかったのだ。代書屋というのは、町のお菓子屋さんみたいな存在なのだと、その時は自分なりに理解した。
(夏)

 

 

途中、レンバイの中にあるパン屋さんに寄って、できたての餡パンをふたつ買う。レンバイの正式名称は、鎌倉市農協連即売所で、お正月の四日間以外、ぼぼ年中無休で朝八時から、鎌倉近郊の農家で採れた野菜を売る市場が開かれている。その一角にパラダイスアレイという小さなパン屋さんがあり、そこの餡パンが絶品なのだ。丸いパンの表面に白い粉でスマイルマークが描いてあるのが、いつ見てもかわいらしい。まだできたてらしく、ホカホカしている。
(夏)

 

 

封筒に記す宛先と宛名は、紙との相性も考え、万年筆ではなく毛筆で書く。敬意を込めて、「様」は、難しい方の「樣」にした。そして宛名にも、「机下」と脇付を記す。男爵をイメージし、封筒からはみ出すほどの威勢の良い文字を書く。切手は、金剛力士像の図柄を貼った。これは、厳然たる謝絶状である。金剛力士像の切手は五百円だが、絶対にお金は貸せないとする男爵の強い意志を示すためには、このくらいのことをしてもいいだろう。優しい印象の切手を貼ったら、相手はまた無心するかもしれない。
いつもと同じように、封を開けたまま一晩お仏壇の特等席に立てかけた。翌朝、もう一度内容を吟味し、いよいよ封印する。口を糊で閉じた後に、上から「吾唯知足」という禅語の入った木版を押せば完成である。われ、ただ足るを知る。自分の分をわきまえ、満ち足りていたい、と自らを戒める言葉だ。具体的に何にお金を使ってなくなったのか明確には書かれていなかったけれど、男爵からのメッセージにしようと思った。
あとは、結果を待つだけである。手紙の最初に書く「拝啓」という言葉は、「へりくだって申し上げます」という意味だ。その言葉で始めた手紙は、「敬具」でしめるが、それは「以上、うやまって申し上げました」という気持ちを表す言葉である。
それよりももっと丁寧に格式をもって書く時は、「謹啓」とし、その場合は「敬白」で結ぶ。要するに、これはお辞儀のようなもの。お辞儀に、真、行、草があるように、手紙の始めと終わりにも、それぞれの礼儀の度合いにのっとった頭語と結語がある。
ただ、漢語で始まって漢語で終わると堅苦しいイメージになってしまうので、女性の場合は、「ひと筆申し上げます」で書き始め、「かしこ」もしくは「あらあらかしこ」で結ぶ。「かしこ」というのは、「かしこまる」からできた言葉で、「これで失礼します」という意味だ。もらった手紙への返信であれば、「お手紙ありがとうございました」とか「お手紙うれしく読ませていただきました」なども、頭語の役割を果たす。この場合も、「かしこ」や「あらあらかしこ」で締めるとされている。
ちなみに、あらあらとは「おおよそ、大ざっぱに、ざっと」などの意味を持ち、とにかくこれで失礼しますね、というニュアンスらしい。どんな頭語で書き出しても、女性の手紙の場合は「かしこ」もしくは「あらあらかしこ」が結語になる。季節のご挨拶もすべて省いていきなり本題に入る時は、「前略」と記すが、女性の手紙の場合はもう少し柔らかく、「前文ごめんくださいませ」とか、「前文おゆるしくださいませ」などとすると優しげな印象になる。
「前略」で始めた場合は「不一」で結び、十分に意を尽くしていないことを示す。走り書きを詫びる場合は、「草々」で締める。前略は、挨拶で言うところの「やあ!」とか「ハーイ」といった、ごくごく親しい間柄で交わされる気軽な挨拶だ。
手紙に関する面倒な決まり事は、たいてい出だしと終わりに集中する。本文に関しては、相手の名前や家族の敬称は、気持ち大きめに書くことを心がける。相手の名前などが文章の下の方にくる時は、名前の前に一文字空けるか、行を改め名前が上にくるよう調節する。逆に、「私」や家族に関しては気持ち小さめに書くのを心がけ、行の下の方にくるよう配慮する。と、一応はなっているのだけど……。
そのことだけに気をとらわれると、肩肘の張った妙に堅苦しい手紙になって、ぎこちないのだ。要は、人付き合いと全く一緒で、相手をうやまい、思いやりを持って、礼節をわきまえて接すれば、結果的にこうなるというだけのこと。手紙に、正しいも間違いもない。
(秋)

 

 

幼い頃、一月七日の朝になると、必ず爪を切らされたのだ。
六日の晩から七草を水に浸けておき、翌朝、その水に指先を浸して爪を切ることを、七草爪という。年が明けてから初めて爪を切る日とされており元日から六日の夜までは、どんなに爪が伸びても切ることを許されなかった。七草爪をやると、その一年、風邪を引かないで過ごせるのだと先代は言った。私はそのことを、中学を卒業するまで当たり前のこととして信じていた。
(冬)

 

 

「絶対に無理しないでくださいね、ほんと、散歩だけでいいですから」モリカゲさんの背中に上半身を預けると、数秒後、ぐんと視界が広くなる。きっと、あの時の私も重たかったに違いない。それでも先代は、この景色を見せたくて、私をおんぶしたままこの石畳を歩いてくれたのだ。それは、確かにかつて見たことのある景色だった。「いいんですよ」私をおぶったまま、モリカゲさんは春の夜に溶けそうな声で言った。「えっ?」葉っぱたちが、私とモリカゲさんの会話に耳を澄ます。「だから、後悔しないなんて、ありえないんです。ああしてあげればよかった、あの時あんなことを言わなければよかった、ってね。ボクも、ずっと思ってましたから。でも、ある日気づいたんですよ。気づいたっていうか、娘に教わったんです。失くしたものを追い求めるより、今、手のひらに残っているものを大事にすればいいんだって。それに、」モリカゲさんは続けて言った。「誰かにおんぶしてもらったなら、今度は誰かをおんぶしてあげればいい。僕も、かみさんにたくさんおんぶしてもらったんです。だから今、こうしてあなたをおんぶできているんです。それだけで、十分ですよ」
 モリカゲさんは、もしかしたら泣いているのかもしれなかった。けれど、私からは顔が見えない。QPちゃんの手には、どこからか摘んできたのか、野の花が握られている。「ありがとうございます。私、もうこの記憶だけで、一生、生きていけるかもしれません」モリカゲさんに、そしてもうこの世にはいない先代に、この気持ちを届けたかった。
(春)

 

4月9日 今日は昼前には雨があがるという天気予報。今日を逃すと今シーズンの桜は観に行けなくなります。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)
朝5時40分に家を出て 先ずは大津を目指します。

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7時20分 映画「ちはやふる」で有名になった、天智天皇をまつる近江神宮へ到着。わが衣手は雨にぬれつつも、今を春べと咲くやこの花(梅ではなく桜)たちが出迎えてくれ、心は晴れやかになります。

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有名な漏刻(水時計)です。境内一面、見事な桜たちです。

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納経所が8時からなので、7時55分に 14番 三井寺に到着。

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まだ雨が降っていますが、三井寺の桜も見事です。

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13番 石山寺へ、本堂横の桜です。

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お参りを済ませた頃には雨も上がり、前から行こうと決めていた「茶丈藤村」の たばしるとお抹茶のセットでひと休み。【たばしる】とは、石山寺で松尾芭蕉が詠んだ「石山の 石にたばしる 霰(アラレ)かな」のような激しく飛び散る感じを表現しようと丹波大納言小豆とクルミを入れた珍しい食感・触感のお菓子です。

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12番 岩間寺、ぼけ封じの観音さまの桜です。

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石山IC-宇治東IC の高速を利用して、前から行きたかった京都で超有名なパン屋さん「たま木亭」へ。すごい行列です。

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お店の前が京都大学の宇治キャンパス。こちらの桜も満開でした。

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車の中で揚げたてのカレーパンを食べながら、10番 三室戸寺へ

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宇治西IC-大原野IC を利用し、以前ブログに書いた森見 登美彦の「夜行」 の「法金剛院」にちょっと寄り道です。

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桜が満開のこの時期、車で京都市内に入ると大渋滞で身動き取れなくなるという心配がありましたが、満開の待賢門院桜をどうしても観ておきたくて…。
すばらしい!すこし往復に時間がかかりましたが、観に来てほんとうによかったです。

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百人一首でも有名な
「ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて今朝は 物をこそ思へ」 (待賢門院堀河)
の歌碑もありました。

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もうひとつ 善峯寺への途中「十輪寺(なりひら寺)」にも寄り道します。三方普感の庭と満開のなりひら桜を拝見します。

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「大原や 小塩の山も けふこそは 神世のことも 思出づらめ」(在原業平)
裏山には、在原業平が かつての恋人・藤原高子が山を隔てた大原野神社に参詣したおり、竈で塩を焼き その煙に自分の思いを託したと云われる塩竈の跡。恋愛結婚成就のご利益があると云われる塩竈の周りには多くの女の人が…

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法金剛院の「待賢門院桜」に、十輪寺の「なりひら桜」、それも満開の見頃の桜を2つも…。ありがとうございました。14時30分 20番 善峯寺に到着。ここの桜もすばらしいです。

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沓掛IC-亀岡ICを利用し 21番 穴太寺へ。

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お参りを終えて 23番 勝尾寺を出たのは17時の5分前。22番 総持寺と24番 中山寺もまわる予定でしたが納経所が終ってしまいますので本日のお寺巡りはこれで終了です。

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どこへ行っても満開のすばらしい桜たちが出迎えてくれ、桜をこよなく愛した西行や在原業平にゆかりのある桜も観るごとができた、さくら 桜 の西国三十三所巡りの旅でした。

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今日はゴルフの岐阜オープンを観戦に行った帰り、東海北陸道の尾西ICで降りて、以前から行きたかった一宮市萩原町の「川村屋賀峯総本店」へ立ち寄りました。
評判の羽二重餅 こしあん(260円)つぶあん(240円)をいただきます。稲沢の「松屋長春」の羽二重餅もめちゃくちゃおいしいですが、「川村屋賀峯」も、特に後味がすごくよく、めちゃくちゃおいしいです。「松屋長春」はなかなか買いにくいので、こちらの方がいいかも♪。とても美味しかったです。ごちそうさまでした。

 

川村屋賀峯 総本店
一宮市萩原町串作

 

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あらすじ
あの町と、この町、あの時と、いまは、つながっている。初めて人生の「なぜ?」と出会ったとき――きみなら、どうする? 一緒に立ち止まって考え、並んで歩いてゆく、8つの小さな物語。失ったもの、忘れないこと、生きること。この世界を、ずんずん歩いてゆくために。生きることをまっすぐに考える絵本「こども哲学」から生まれた物語と、3.11の震災を描いた「あの町で」を収録。

 

ひと言
今年もまた、人々の想いをのせて咲く花、桜の季節になった。
じっと眼を閉じれば 誰にも、かけがえのない大切な人と観た桜、花開いた桜を観てうれしそうに微笑むその人の笑顔が思い浮かぶ。
桜 咲け! すべての人の想いをのせて 美しく!

 

 

小さなつぼみが日増しにふくらみ、花がほころんで、というあたりまえの順序を踏まずに咲いた。まるで花咲かじいさんのおとぎ話のように、一夜にして満開になった。もちろん、そんなはずはない。みんなもわかっている。わかっていても、うつむきどおしだった顔をふと上げると、昨日までなかったはずの桜の花が咲き誇っていた、というのが実感だった。特別だったのは、ぼんとうは桜ではない。あの年の春が特別だったのだ。三月半ばの金曜日の午後、大地が激しく揺れて、水平線の彼方から襲ってきた巨大な波が、町を呑み込んだ。たくさんのひとが命を奪われ、もっとたくさんのひとが家や仕事をうしなった。桜を忘れていたひとは、三月から四月にかけては花を気に留めるどころではなかった、と首を横に振る。ようやくひと息ついたら夏だったんだ、と寂しそうに笑うひともいる。だが、そんな年でも、やはり桜は咲いた。厄災に襲われる以前となにも変わらず、四月半ばを過ぎた頃からほころびはじめ、四月の終わりに満開になって、こいのぼりの泳ぐ五月の空に散っていったのだ。
(あの町で 春)

 

 

秋も深まりつつあるいま、奇跡はあきらめている。願うのは、早く見つけてやりたい、わが家に帰らせてやりたい、ということだけだ。娘には「ママは遠くに行っちゃって、なかなか帰ってこられないんだ」と言ってあるが、いつまでもこのままではいられない。
……。……。
娘が「あそこ――」と川を指差した。体表が白くなった鮭が、水草の間に沈んでいた。まだ河口からほとんどさかのぼっていない場所だったが、ここで力尽きてしまったのだろう。その亡きがらを、別の鮭が追い越していく。体をくねらせ、しぶきを立てて、力強く川をのぼる。「あんなに元気がよくても、やっぱり死んじやうの?」悔しそうに、納得がいかない顔をして、娘は訊く。少しためらったが、父親は「ああ」とうなずいた。「もっと上流までさかのぼって、山のぼうまで行って、死んじゃうんだ」川に溶けた毒は無味無臭で、鮭にもわからないかもしれない。それでも、気づいてくれ、と思う。気づいたとしても、いまさら海に戻ることはできない。できなくても、怒ってほしい。怒りながら川をのぼって、命が尽きる、その瞬間まで、人間の愚かさを赦さずに――。父親は娘とつないだ手をあらためて握って、「でもな」とつづけた。「鮭は、川に帰ってきて、結婚するんだ」「へぇーっ」「結婚して、川の底に卵を産むんだ。だから、春には、たくさん子どもが生まれるんだよ」「そうなの?」娘の顔は、たちまち明るくなった。「ああ、そうだ」父親は娘から手を離し、肩を抱いた。やがて、この町にも冬が訪れる。雪景色のなか、川の上流では、命のバトンを渡し終えた鮭が安らかな眠りについているだろう。春になると、卵からかえった鮭の稚魚は、ほんの数センチの小さな体で川をくだり、海に向かって長い旅を始めるだろう。そしてまた、数年後に、毒に穢された川に帰ってくるのだ。また一尾、鮭が川をのぼってくる。
……。……。
父親の手をはずして川面を覗き込んだ娘は、のぼってきた鮭に向かってなのか、水底に沈む亡きがらに向かってなのか、「お帰リーっ」と声をかけた。父親は黙って小さくうなずき、膝を折った。娘と目の高さを合わせて、また肩に手を載せる。今度は娘も恥ずかしがらなかった。「あのな、よーく聞いてほしいんだ……」父親は、静かに語りかけた。
(あの町で 秋)

 

 

ぼくは、これだけをきみに伝えたいんだ。ゆっくり「不自由」と付き合っていきなよ。時にはいろんな「不自由」が窮屈だったり、うっとうしかったり、文句をつけたくなったりするかもしれないけれど……どうか、生きることを嫌いにならないで。哲学というのは、生きることを好きになるためのヒントなんだと、ぼくはいま思っているから。
(自由って なに?)

 

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あらすじ
百貨店内の書店、銀河堂書店に勤める物静かな青年、月原一整は、人づきあいが苦手なものの、埋もれていた名作を見つけ出して光を当てるケースが多く、店長から「宝探しの月原」と呼ばれ、信頼されていた。しかしある日、店内で起こった万引き事件が思わぬ顛末をたどり、その責任をとって一整は店を辞めざるを得なくなる。傷心を抱えて旅に出た一整は、以前よりネット上で親しくしていた、桜風堂という書店を営む老人を訪ねるために、桜野町を訪ねる。そこで思いがけない出会いが一整を待ち受けていた……。一整が見つけた「宝もの」のような一冊を巡り、彼の友人が、元同僚たちが、作家が、そして出版社営業が、一緒になってある奇跡を巻き起こす。
(2017年本屋大賞ノミネート10作)

 

ひと言
読み終えて、この本ずるいよなぁ。書店員がいちばん 売りたい本である本屋大賞に必ずノミネートされるよなぁ。と思ってしまいました。この本は、村山 早紀さんと全国の書店員さんたちとの協同で作られた本ですが、本好きの人に是非読んでもらいたいすてきな本でした。

 

 

もうすでにないもの、失われた大切なもののことを訊ねるということは、誰かを詰問するということだ。なぜいまの自分はそれを持っていないのかと、誰かを責めるということだ。それならもういい、と一整は思った。今更誰を傷つけても、あの場所は失われ、一整にはもうそこに戻ることはできないのだ。
(第五話 春の野を行く)

 

 

そのひとは、一整を見て、それはそれは優しいまなざしでいった。
「小さな古い店でも、町中のひとに愛されて、頼りにされている、町の本屋なんですよ。最後の本屋なんです。この辺には、コンビニもなければ、郊外型の大型書店もない。新古書店だってない。桜野町だけのことではありません。近所の町や村からも、本を扱う店はみんな消えてしまって、いまや本屋というと、うちだけになってしまっているんです。桜風堂が無くなっても、若いひとたちはまだ、ネット書店で本を買えるだろうけれど、お年寄りや小さい子たちにはそれができない。みんな本が読めなくなってしまうんです。この辺り、図書館もありませんからね。それはしのびない。なによりも、町から書店の火が消えてしまうのが嫌なんです。最後に残ったこの桜野町まで、本屋がない町になってしまう。そんなの悲しいじゃないですか」
(第五話 春の野を行く)

 

 

『四月の魚』が売れていくにあたっては、実は声に出して語られない、ある事情もあった。この新刊は、春の「あの」万引き事件をきっかけに、勤めていた店から去った、ある若い書店員が仕掛けようと準備していた本であったということ。それを彼の元職場の書店員たちが売ろうとしているのだ、ということ。その事実がいつの間にか、書店員たちの間で噂になり、共有されていった。「ああ、そんな事件があったよね。気の毒なその書店員はその後どうなったんだろうか」そんな言葉や会話とともに、『四月の魚』はさらに手厚く売り場に並べられた。言葉にはしなくても、この場所にいられなくなったひとりの書店員の意志を継ごうと、そんな思いを抱いた書店員は多かったのに違いない。
(終章 光舞う空)

 

 

この物語はもちろん、本と本屋さんが好きなお客様たち、つまり、いまこの本を買ったり借りたりして、手にしてくださっているあなた、読者のみなさんのために書きました。――でも、本屋さんたちに捧げるために書いた物語でもありました。子どもの頃から大好きだった本屋さん。作家になってからは、自分の本を棚に挿し平台に並べ、大切に売ってくださるひとびとがいるところ。その場所とそこにいるひとびとへの愛と感謝の思いを綴った、この物語はいわば、わたしにとっての、本屋さんへの密かな恋文だったのです。だから、ゲラを読んだ書店員さんたちに、面白かった、この本を売りたい、といっていただけて、ほんとうに嬉しかったです。いまこうして、ついに本になったこの物語が、全国の書店に旅立っていきます。そのお店で、この本は、書店員さんたちに気に入っていただけるでしょうか。笑顔を向けていただけるといいなあ、と思います。
(あとがき)

 

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今日は職場の人と2人で、久しぶりに「手打うどん かとう」にお昼を食べに行ってきました。
やっぱりあのおいしい出汁が飲みたいから かけうどん(540円)、これも鉄板で多くの人が頼む 天婦羅かしわ3ケ(340円)。メニュー表にはなかったけれど張り紙があり気になった メゴチの天ぷら2尾(400円)を職場の人と分けていただきました。
おいしい!さすが愛知県 うどんランキングNo.1だけのことはあります。

 

メニュー表にあった春限定の春キャベツ…(正式名を忘れてしまいましたが、春キャベツと大根おろしとかつお節が入っていた)を次は食べてみたいと思いました。ごちそうさまでした。

 

 

手打うどん かとう(食べログ)
名古屋市中村区太閤通3

 

3月25日 自宅から遠い若狭、播州の札所をまとめて巡ってきました。

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自宅から21kmほどの岐阜羽島ICから、朝6時09分に名神に乗り、敦賀JCTを経由して舞鶴東ICで降り、8時10分に 29番 松尾寺に到着しました。自宅から約2時間30分(190km)です。

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前回の熊野同様、2014年7月に小浜―敦賀が開通したおかげで若狭もすごく近くなりました。今日は舞鶴若狭道の全線を走ります。 【注】(**km)は自宅からの距離です

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松尾寺の山門横の白梅がとてもきれいでいい香りを漂わせていました。

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舞鶴若狭道に戻り、綾部JCTを経て、京都縦貫道の与謝天橋立ICで降りて 28番 成相寺まで70分弱です。ほとんどの方が車でみえるのか、ここが入山料金所です。

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まだ境内には雪が残っていました。

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お参りを済ませ、車で5分ほどの山頂へ向かいます。天橋立がきれいに見えました。

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与謝天橋立ICから綾部JCT、舞鶴若狭道の終点吉川JCT、山陽道の山陽姫路西ICまで2時間【170km】。
ICから書写山ロープウェイ駐車場(448km)まで12分ほど、12時45分に到着です。
前回は山上マイクロバスに乗ってしまいましたが、今回は20分ほど歩いて 27番 圓教寺へ。

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平成の大修理が終わり美しくなった姫路城がすぐ近くなので 立ち寄りたいと思うのですが、今回も時間がなくて、途中の展望所から拝ませていただきます。

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14時発の下りのロープウェイに乗り、遅いお昼は駐車場すぐの書写だんご(味噌・醤油 各310円)をいただきます。

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国道372号を走って 26番 一乗寺には15時05分(468km)到着。 25番 播州清水寺には16時28分(510km)に到着、お参りを済ませて出てきたときは16時52分。24番 中山寺までまわる予定でしたが、納経所が5時までなので、今回はこれで終わりです。

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舞鶴若狭道の三田西IC(525km)から高速に乗って帰る予定でしたが、高速の事故渋滞の影響で大混雑の下道を通り、19時25分 中国道の宝塚IC(555km)から高速に乗りました。
自宅に着いたのが22時 走行距離728.3km の西国巡りの旅でした。