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人間ドックの帰り、もう一つのお目当ては、「コンパル」のエビフライサンド(930円)です。もう鉄板中の鉄板、コンパルを代表するサンドイッチで、以前食べたのがいつだったか思い出せないぐらいの昔ですが、感動させてくれるおいしさだったことははっきりと覚えています。今池店で10分ほど待って持ち帰り用を作ってもらいました。1時間ほどしてから食べたのですが、冷めてもおいしい♪ 昔と変わらない とてもおいしいサンドイッチでした♪ごちそうさまでした。

 

コンパル
名古屋市千種区今池1

 

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今日は人間ドックで今池へ。検査を終えて、お昼は行く前から決めてあった「中屋パン」のあんドーナツ(140円)をいただきます。とてもモチっとして甘過ぎずたっぷりこしあんが入っています。評判通りのとても癖になるおいしいあんドーナツで、またこちらの方へ来たときには是非食べたいです。ごちそうさまでした♪。他にも野菜カレーパン(170円)もいただきました。

 

中屋パン(食べログ)
名古屋市千種区今池1

 

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あらすじ
全国書店でベストセラーランキング1位続出の2016年最大の話題作! 各界の著名人も笑って泣いて大絶賛! 清々しい読後感に、心がスカッと晴れて元気が出ます! 『九十歳。何がめでたい』というタイトルには、佐藤愛子さん曰く「ヤケクソが籠っています」。エッセイには、動作音が静かになって接近に気付けない自転車、よくわからないスマホ、犬や子供の立てる騒音に苛立つ人たち、いたずら電話など、多彩な事象に憤り、嘆く著者の姿が描かれている。基調をなすのは、「いちいちうるせえ」の精神だ。

 

ひと言
2週間ほど前から またギックリ腰になり、鍼灸接骨院にも通っています。今回は長引いて 今でも湿布とコルセットのお世話になり、毎朝 靴下を履くのに一苦労の毎日。
90歳!こんなにそこらじゅうが痛い体でまだ30年以上も生きるのか!ほんとうに何がめでたい!とつくづく思ってしまいます。
本は字も大きく200ページちょっとなので すぐに読み終えてしまいましたが、楽しく読ませていただきました。
途中、四つ葉のクローバーの押し花が挟まったページがあって、腰が痛いのも忘れ、すごくほっこりとした気持ちになることができました。ありがとうございました。
この押し花を挟んだ人がそのことを思い出し、図書館の本棚に戻ったこの本から、四つ葉のクローバーがその人の手元に戻りますように!

 

 

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「文明の進歩」は我々の暮しを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を磨滅させて行く。 もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと……。 もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。
(来るか? 日本人総アホ時代)

 

 

「すずめ蜂はこちらから攻撃しない限り何もしません」 とすずめ蜂研究室はいっている。すずめ蜂がいても知らん顔をしていればいいのである。なのに我々はすずめ蜂を見ただけで忽ち攻撃的になる。彼らは営々として巣を作り、女王蜂を中心に休みなく働いているだけだ。人間世界を攻撃し、勢力を拡大侵略しようとしているわけではない。しかし猛毒の針を持っているすずめ蜂は、必ず刺すとは限らないのだが、萬一刺された時は大ごとになるというので早目に殺されてしまう。これを人間界では「用心深さ」「危険予防」という。 「まったく、すずめ蜂という奴はロクなもんじゃない。蜜を集めてるわけじゃなし、何の役にも立たねえしようがねえ奴だ……」 という親爺さんが来た。その点蜜蜂はせっせと働いて蜜を集めて人間の役に立つものな――。 役に立つ? うーん……。それは人間が勝手に上前をはねているだけじゃないのか? 上前をはねられるかどうかで、蜂の値打ちを勝手に決めている……。牛や鶏は大いに上前をはねられるから上等の生きものとして大事にされ、すずめ蜂・ゴキブリ・ナメクジなどは何の利用価値もないから憎まれて殺される。 「奴らはまったく、何のために生きているのかねえ……」 そう親爺さんはいった。そう改たまって訊かれても、私にわかるわけがない。神さまのお考えでしょう、とでもいうしか――。 ただ一つわかることは、生きものはすべて、人間に利用されるために生れているわけではない、ということである。 
(蜂のキモチ)

 

 

頼りになるのは「お母さん」だった。先生に叱られたり喧嘩で負けたりすると、お母さん目ざして走って帰った。そして涙ながらに訴える。すると、「それはお前の方が悪い。先生が間違ったことをおっしやるわけがない」 期待に反してお母さんは必ず先生の味方をするのだったが、それでも訴えたことで何となく気持が落ち着いて、傷ついた心は晴れたものだ。 昔の男の子たちはよく先生から殴られたり、廊下に立たされたりしていた。体罰が必要なほど当時の男子児童はエネルギーに満ちていて、「わるさ」が多かった。殴られても骨が折れたり熱が出たりしないのは、年中どやしつけられたりはたかれたりして鍛えられていたからだろう。先生や親父さんからそんな目に遭っても、泣きはしても恨むことはなかった。すぐに忘れて、また叱られるようなことをしたのである。年中、子供に怒りながらも、親は可愛がった。子供のことが常に念頭にあったから、箸の上げ下ろしに怒ってしまうのだった。 毎日のように叱ったり叱られたりしながら、親子は密着していた。そこには「情」というものがあった。子供にだって「いっそ死んでやれ」とヤケクソになることがある。だがそんな時頭に浮かぶのは「自分が死んだら、父ちゃんや母ちゃんがどんなに悲しむだろう」という思いだった。兄ちゃんや姉ちゃん、喧嘩ばっかりしている弟やいつも虐めている妹とももう会えなくなる、弟はやっぱり泣くだろうか、妹は、おばあちゃんは、隣りのおばさんは……などと思いが広がっていくうちに、死ぬ気は夢のように消えてしまう。私にもそんな経験が何度かあった。
(答は見つからない)

 

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今日は名鉄百貨店へ ルタオのドゥーブルフロマージュ(まだ食べていないので記事はまだ)を買いに行き、その地下に9月27日にできた「コメダ謹製 やわらかシロコッペ」の小倉ホイップ(280円)とポークたまご(390円)をお昼に買いました。今 話題のコッペパンのお店で、今までは結構行列ができていましたが今日はすんなりと買うことができました。大きめのコッペパンで2つも食べるとお腹いっぱいになります。もう少し小さめにして女の人でも2つ味わえるようにしたほうがいいかも。味は感動とまではいきませんが美味しかったです。

 

コメダ謹製 やわらかシロコッペ(食べログ)
名古屋市中村区名駅1 名鉄百貨店本店 地下1階

 

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あらすじ
刊行10年目にして100万部を突破した、不朽のロング・ミリオンセラー!二つの世界的大企業・京セラとKDDIを創業し、JALを再生に導いた「経営のカリスマ」が、その成功の礎となった「人生哲学」をあますところなく語りつくした一冊。夢をどう描き、どう実現していくか? 人間としてもっとも大切なこととは何か?
サッカー日本代表の長友佑都選手、野球日本代表監督の小久保祐紀氏などトップアスリートも座右の書としてその名を挙げる、「究極の人生論」。

 

ひと言
こういう自己啓発本はほとんど読まないのですが、TVでこの本を座右の書、愛読書とされている方の話があり、Amazonを調べてみると451件ものカスタマーレビューで ☆5つ 274件 平均 4.3(2017年10月9日現在) 。これは読んでみないとと思い借りました。
強く思うこと。今日よりは明日、明日よりは明後日と、少しずつでいいから、かならず改良や改善をつけ加えてやってみること。視点を変えて、あるいは視点の次元を一つ上げて問題を見つめ直してみること。これらのことを忘れることなく日々を過ごしていきたいと気持ちを新たにしました。

 

 

人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは、次のようなものです。
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の。″掛け算″によって得られるものであり、けっして″足し算″ではないのです。まず、能力とは才能や知能といいかえてもよいのですが、多分に先天的な資質を意味します。健康、運動神経などもこれにあたるでしょう。また熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、これは自分の意思でコントロールできる後天的な要素。どちらも0点から100点まで点数がつけられます。 掛け算ですから、能力があっても熱意に乏しければ、いい結果は出ません。逆に能力がなくても、そのことを自覚して、人生や仕事に燃えるような情熱であたれば、先天的な能力に恵まれた人よりはるかにいい結果を得られます。そして最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではありません。考え方という言葉は漠然としていますが、いわば心のあり方や生きる姿勢、これまで記してきた哲学、理念や思想なども含みます。この考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるからです。
(プロローグ)

 

 

松下さんは有名なダム式経営の話をされた。ダムを持たない川というのは大雨が降れば大水が出て洪水を起こす一方、日照りが続けば枯れて水不足を生じてしまう。だからダムをつくって水をため、天候や環境に左右されることなく水量をつねに一定にコントロールする。それと同じように、経営も景気のよいときこそ景気の悪いときに備えて蓄えをしておく、そういう余裕のある経営をすべきだという話をされたのです。 それを聞いて、何百人という中小の経営者が詰めかけた会場に不満の声がさざ波のように広がっていくのが、後方の席にいた私にはよくわかりました。 「何をいっているのか。その余裕がないからこそ、みんな毎日汗水たらして悪戦苦闘しているのではないか。余裕があったら、だれもこんな苦労はしない。われわれが聞きたいのは、どうしたらそのダムがつくれるのかということであって、ダムの大切さについていまさらあらためて念を押されても、どうにもならない」 そんなつぷやきやささやきが、あちこちで交わされているのです。やがて講演が終わって質疑応答の時間になったとき、一人の男性が立ち、こう不満をぶつけました。 「ダム式経営ができれば、たしかに理想です。しかし現実にはそれができない。どうしたらそれができるのか、その方法を教えてくれないことには話にならないじゃないですか」 これに対し、松下さんはその温和な顔に苦笑を浮かべて、しばらくだまっておられました。それからポツリと「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」とつぶやかれたのです。今度は会場に失笑が広がりました。答えになったとも思えない松下さんの言葉に、ほとんどの人は失望したようでした。 しかし私は失笑もしなければ失望もしませんでした。それどころか、体に電流が走るような大きな衝撃を受けて、なかば茫然と顔色を失っていました。松下さんのその言葉は、私にとても重要な真理をつきつけていると思えたからです。
思わんとあきまへんなあ――この松下さんのつぶやきは私に、「まず思うこと」の大切さを伝えていたのです。ダムをつくる方法は人それぞれだから、こうしろと一律に教えられるものではない。しかし、まずダムをつくりたいと思わなくてはならない。その思いがすべての始まりなのだ。松下さんはそういいたかったにちがいありません。 つまり、心が呼ばなければ、やり方も見えてこないし、成功も近づいてこない。だからまず強くしっかりと願望することが重要である。そうすればその思いが起点となって、最後にはかならず成就する。……。
企業経営でも、新規の事業展開や新製品開発などでは、頭で考えればたいてい、これは無理だろう、うまくいかないだろうと判断されることのほうが多いものです。しかしその「常識的な」判断にばかり従っていたら、できるものもできなくなってしまう。本気で何か新しいことをなそうとするなら、まずは強烈な思い、願望をもつことが不可欠なのです。 不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法なのです。
(第1章 思いを実現させる)

 

 

安易に近道を選ばず、一歩一歩、一日一日を懸命、真剣、地道に積み重ねていく。夢を現実に変え、思いを成就させるのは、そういう非凡なる凡人なのです。 ただし、継続が大切だといっても、それが「同じことをくり返す」ことであってはなりません。継続と反復は違います。昨日と同じことを漫然とくり返すのではなく、今日よりは明日、明日よりは明後日と、少しずつでいいから、かならず改良や改善をつけ加えていくこと。そうした「創意工夫する心」が成功へ近づくスピードを加速させるのです。
(第1章 思いを実現させる)

 

 

人生では、「知識より体得を重視する」ということも大切な原理原則です。これは、いいかえれば「知っている」ことと「できる」ことはかならずしもイコールではない。知っているだけで、できるつもりになってはいけないという戒めでもあります。……。
情報社会となり知識偏重の時代となって、「知っていればできる」と思う人もふえてきたようですが、それは大きな間違いです。「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが、現場での経験なのです。
(第2章 原理原則から考える)

 

 

「ここに信号のない平面交差の十字路があります。信号がないために四方から車が流れ込んで、進むも退くもままならない大混乱が起きています。このままでは、この混乱を解決することができません。しかし、それは平面交差という二次元の世界の中で解を見つけようとしているからです。ここに『高さ』というファクターを加える。すなわち三次元の視点を持ち込むと、どうなるでしょうか」 「つまり、この十字路は平面交差でなく立体交差しているとすれば――そう、信号がなくても、車はスムーズに流れることになります。私の発想もそういうことでした。いっけん複雑に見える現象も、単純な構造の投影にすぎないことが多い。そこで視点を変えて、あるいは視点の次元を一つ上げて問題を見つめ直したとき、その答えが実に明快に導き出されてきたわけです」
広中先生がおっしやっているように、物事を単純化して、本質を直截(ちょくせつ)にとらえる「次元の高い目」をもつべきです。それは、私心や利己、利害や執着を離れた、公明正大で利他的な心によってもたらされるものなのです。
(第2章 原理原則から考える)

 

 

遺伝子というのは、人間でも動物でも植物でも、あるいはカビや大腸菌といった原始的な生物であっても、四つの文字からなるすべて同じ「暗号」を使って、その情報が書き込まれています。人間のような高等生物が、そのようにわずか四文字による情報によって成り立っていることには、ほんとうに驚かされます。 人間の細胞一個の中には、三十億もの遺伝子情報が書き込まれており、この情報量を本に換算すると、千ページの本が千冊分という膨大なものになります。これほどたくさんの情報をもった遺伝子が、人間を構成する六十億の細胞一つひとつに書き込まれている。 さらに驚くべきは、その遺伝子情報が書き込まれているDNAの微細なことです。地球上に住んでいる六十億人分のDNAすべてを集めて合わせてみても、たった米粒一個の重さにしかならないというのです。 これほど微細なスペースの中に、恐ろしく膨大な情報が何の狂いもなく理路整然と書き込まれている。しかも、地球上に存在している生物すべてが、同じ四つの文字からなる遺伝子暗号によって生かされている。 このことを考えると、まったく奇跡というべきで、何らかの偶然で自然にでき上がったものとは考えにくい。人間の想像をはるかに超えた、宇宙全体をつかさどっている「何か偉大なもの」の存在を想定しないと説明がつかない――村上先生は、そういう存在を「サムシング・グレート」と名づけたのです。
(第5章 宇宙の流れと調和する)

 

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あらすじ
炎上覚悟! 思ったことや軽いジョークを口にしただけで、クレーム、バッシングの嵐。求められるのは人畜無害な意見ばかり。こんな世の中に誰がした! 数々の物議を醸してきた著者が、ズレた若者、偏向したマスコミ、平和ボケの政治家たちを縦横無尽にメッタ斬り。思考停止の世間に一石を投じる論考集。今こそ我らに「放言の自由」を!

 

ひと言
「大阪ローカルのお笑いのテレビ構成作家」と自称する百田さんだけに、面白おかしくなるように少し盛り気味(?)かなと思うところもありますが、すべて正論で嘘はなく(?笑)楽しく読ませていただきました。
本はほとんど買わず、図書館に予約を入れて借りて読み、その浮いたお金を美味しいものを食べることに回している私としては、百田さんの「一年間だけはベストセラーやエンタメ小説を図書館に置かないように」というもっともな、本当に正論と思えるご意見には耳が痛かったです。 本を買ってくれる人がいるから出版文化が守られ、そのおかげで私は本が読めるんだという感謝の気持ちをこれからも忘れないようにするつもりですので大目に見てくださいね。

 

 

あまりにも当たり前のことなので、言うのも気が引けるが、「やればできる」という言葉は、「やればできた」者が言う言葉だと思う。過去に頑張った結果、あることを達成した経験のある者だけが口にできる言葉なのだ。人は努力を重ねることで、どれだけ「やれば」どれだけ「できる」かということを体で覚えていく。「やればできる」という自覚と他からの評価はそうやってできていくものだと思う。……。世の親や教師に言いたい。何もやったことのない子に「やればできる」と言うのはやめようではないか。彼らに言うべきことは、「やらないのは、できないのと同じだ」 という言葉だと思う。もうこれ以上、日本にバカを増やしてほしくない。
(第一章 現代の若きバカものたちへ)

 

 

私が言っているのは、専門書や学術書以外のエンタメ小説を含む娯楽本の新刊をせめて一年だけは入れないでほしいということだ。一年経てば無料で読めるのだから、彼らの娯楽を奪っていることにはならないと思う。 これは出版社、書店、取次、著者を守るためでもあるが、敢えて言うなら出版文化を守るためでもある。ペストセラーと言っても大量に売れる期間は一年もない。せめてその期間くらいは、出版社と書店と著者の利益を守ってほしいと言っているのだ。
(第二章 暴言の中にも真実あり)

 

 

「この前、セクハラの研修会に出たんだけど、説明を受けているだけで鬱になったよ」 どういうことだと私が聞くと、彼は研修で聞いたセクハラの実例を挙げた。「たとえば、上司が部下の女性を連れて取引先に行き、そこの応接室に通されたとする」「うん、それで」 「その部屋の壁に水着の女性のポスターが貼ってあって、それを見た部下の女性が、『不愉快だから帰りたい』と言ったとする」 「それはまたわがままなセリフやな」 「その時、上司は、大事な商談だから写真は我慢しなさいと言うと、それでセクハラ認定されるんだ」 私は思わず椅子から転げ落ちそうになった(それは嘘だが)。「なんで、それがセクハラになるんや?」「部屋に女性の性的な部分を強調したポスターが貼ってあり、そのことを不快に感じている女性を、強制的にいさせたということで、アウトなんだと。裁判になるとほぼ勝てないと」 「ほんまかいな」
(第三章 これはいったい何だ?)

 

 

先の東日本大震災でも、杉(杉良太郎)氏は妻(歌手の依代夏子氏)や事務所のスタッフらを引き連れて被災地を訪れ、車両十二台(20トントラック二台、タンクローリー車一台、冷蔵・冷凍車二台、その他の車七台)で、多くの救援物資を届け、杉氏自身が味付けしたカレーライス五千食、豚汁五千食、野菜サラダ三千食を被災者に提供した。さらに水2トン、男女下着類四千枚、歯みがきセットー万セットなども持ち込んだという。はたしてこれがどれくらいの費用になるかはわからないが、一億円は優に超えるだろう。 杉氏がこれまでに慈善活動に費やした全額は数十億円と言われる。驚くべき額である。簡単にできることではない。そんな杉氏に、「偽善だろう」という言葉を投げつける人が少なくない。あるインタビューでそう聞かれたときの杉氏の答えがふるっている。 「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億円を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々も、ぜひ自腹で数十億円を出して名前を売ったらいいですよ」 痺れるくらいかっこいいセリフである。
(第三章 これはいったい何だ?)

 

 

私は質問に答える形で日教組の批判をしたのだが、その中に「日本のガンである」という発言があり、会場にいた共同通信社の記者がそれを配信し、多くの新聞が例によってその言葉だけを取り出して批判的に書いた。 この時、私はこう言った。すこし長いが、そのまま書く。
「日教組は長年にわたって、自虐史観にもとづく教育をこどもたちに行なってきました。日教組の強いある県では(注:会場では県の名前を言っている)、教員たちに配る指導要綱に、日本人が戦争でいかに悪いことをしてきたかを教えると書かれていました。そして南京大虐殺や従軍慰安婦を強制連行したという中韓の捏造歴史をこどもたちに教えた後、彼らに感想を書かせたのです。 私はその感想を目にしたある記者からそれを聞きました。こどもたちの感想は、『日本という国はひどい国だ』『日本人であることが恥ずかしい』『祖父たちは最低だ』というものばかりだったといいます。 たしかに戦争における悪を教えるのも大切です。しかし、そういう暗黒史はもっといろんな知識を身に付けてから教えればいい。純粋無垢な小学生にまず教えなくてはいけないのは、日本という国は素晴らしい国であった。自分たちは素晴らしい民族であったということだと思います。 日本人でいるのが恥ずかしいと思わせる教育は間違っています。そういう教育を受けたこどもが、誇りある人間、立派な大人に育つとは思えません。 私は日本人であることが恥ずかしいと思わせるような教育を推し進める日教組は日本のガンだと思っています」(会場、大拍手)……。さらに言えば、実はこの後にも私の発言は続いている。ついでだから、これも述べる。
「なぜ、日教組はこういう教育を長い間行なってきたのでしょうか。私は、その謎は長年にわたって日教組のドンと呼ばれた槙枝元文委員長にあると見ています。彼は、人権などまったくない北朝鮮の礼賛者で、当時は政治家さえも簡単には行けなかった北朝鮮に何度も招かれ、全日成主席から勲章まで貰っています。つまり、日教組というのは、こういう人物を長年、トップに頂いてきた団体ということです」 もちろん、この発言はどのメディアにも紹介されなかった。私の発言を批判するなら、こういう発言もきっちりと載せてほしいのだが。
(第四章 我が炎上史)

 

 

ある議員が、沖縄のメディアを牛耳る「沖縄タイムス」と「琉球新報」に対して批判的な意見を述べて、私に感想を求めた。私はその二つの新聞社にはさんざん悪口を書かれてきただけに、苦笑しながら次のように言った。問題となった発言であるから、そのセリフを正確に記す。
「私も沖縄は、あの二つの新聞社がめっちゃ頭に来てね。僕ね、琉球タイムスでしたか、一回記事に大きな見出し書かれてね。『百田尚樹、また暴言』 って。『また暴言』はないやろって(笑い)。本当にもう、あの二つの新聞社から私は目の敵にされているんで。まあほんとに、沖縄のあの二つの新聞社は本当はつぶさなあかんのですけども(笑い)」
まあ毒舌を吐いたわけだが(「琉球タイムス」というのはジョーク)、最後の「つぶさなあかんのですけども」のあたりの口調のニュアンスを活字で表現するのは難しい。落語家が笑いを取るときによくやる「――ですけれども」という、語尾を柔らかくぼかすような口調で語ったものだと言えばわかってもらえるだろうか。その場にいれば誰でもギャグとわかる。その証拠に、会場にはどっと笑いが起き、その話題はそこで終わった。というか、そもそも沖縄の二紙に関しては議論など一切なかった。
(特別付録 我が炎上史 番外編)

 

 

なぜ「違和感を覚える」のか。それは普天間基地がもともと民家密集地帯に作られたものではないからだ。基地ができてかなり長い間、周辺にはほとんど民家がなかったのである。普天間基地を上空から写した一九七〇年頃の写真があるが、その頃でも基地周辺は畑ばかりで民家はほとんどない。 それなのに、なぜ基地の周囲に家が立ち並ぶようになったのか。沖縄は復帰したとはいえ、本土に比べて経済事情はよくなかった。現在も地元財源はわずかに26パーセントという財政的には非常に貧しい県である。そうした状況から、基地のそばに行けば仕事があると思って来た人も大勢いたと思われる。米軍相手に商売ができる、あるいはビジネスチャンスがあると考えた人もいただろう。多くの人が往むようになれば町は発展し、さらに人々がやってくる。そしていつのまにか基地周辺はびっしりと民家が立ち並び、気がつけば普天間基地は町のど真ん中にあるという不思議なことになってしまった。
 沖縄タイムスは、「戦前の宜野湾役場は現在の滑走路近くにあり、琉球王国以来、地域の中心地だった」と書き、昔から普天間あたりは栄えていたというイメージを読者に与え、私の「基地の周りは田圃だらけで、ほとんど民家はないんですね(発言ママ)」という言葉が間違っているような印象操作を行っている。しかし宜野湾市の人口は一九二〇〜四〇年代までは約一万三〇〇〇人前後で、その間ほとんど増減がないが、一九四五年に普天間基地ができてからは急激に増え、一九七〇年には約三万九〇〇〇人と三倍になり、その後さらに倍増して二〇一五年には約九万五〇〇〇人に膨れ上がっている。
(特別付録 我が炎上史 番外編)

 

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今日は笹島のグローバルゲートの開業日。みんなそっちに流れてゲートタワーは空いているだろうという読みで「銀座天龍」の焼きギョーザと小ライス(1200円)を食べに行きました。甘し、読みは外れて 「ミート矢澤」も「たいめいけん」も相変わらずの行列(いつになったら食べられるんだろう)「天龍」も20分待ちでした。女の人は2人で1つ頼んだほうがいいかもと思うくらいデカい餃子が8ケも。テーブルに置いてある食べ方通り、いろいろな食べ方で食べましたが 酢とからしが一番合うかも。

 

玉ねぎやニンニクなどを不使用の餃子で臭いを気にする女の人にはいいかもしれませんが、男(私)にはやっぱり物足りないです。

 

 

銀座天龍 名古屋店(食べログ)
名古屋市中村区名駅1 JRゲートタワー 12F

 

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今日は前から行きたかった「テーラ・テール」のテイクアウトのお昼です。写真のカードを立てかけてあるパンから時計回りにソンプルサン(210円)マシカク1/2(130円)サリュー(200円)紅茶ブリオッシュ(240円)とまとオリエンタル(230円)と写真にはないハイジ(300円)を買いました。すべて少し小振りで色々な種類を食べられるのがうれしいです♪。サリューはずしりと重たいバターたっぷりのクロワッサンでうまい!これハマルかも。紅茶ブリオッシュもめちゃくちゃおいしくて、もう一つ食べたい気分です♪。

 

まだ人気のソンプルサンとハイジは食べていませんが、食べログの百名店パン2017に愛知で3店、スーリープー、ポンレベックと並んで選ばれるだけのことはあるおいしいパン屋さんでした。ごちそうさまでした♪。

 

 

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テーラ・テール(食べログ)
名古屋市東区泉3

 

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あらすじ
明治二十年。新時代の躍動とともに、ノボさんこと正岡子規は二十歳を迎えた。アメリカ渡来のべーすぼーるに夢中の青年は、俳句・短歌・小説・随筆、あらゆる表現に魅入られ、やがて日本の文芸に多大な影響を及ぼす存在となる。子規は常に人々に囲まれていた。友人、師、家族から愛され、子規もまた彼らを慕った。そしてこの年、東京大学予備門で運命的な出会いを果たす。同じく日本の文学の礎となる、金之助こと夏目漱石である。

 

志をともにする子規と漱石は、人生を語り、夢を語り、恋を語った。明治三十五年、子規の余命が尽きるまで、誰もが憧れた二人の交際は続く。
子規と漱石の友情を軸に、夢の中を走り続けた人、ノボさんの人生を描く。

 

 

ひと言
今年の9月19日は「糸瓜忌」を失念してしまい、子規を想うことなく過ごしてしまいました。数日してから思い出し、図書館でまだ読んだことのなかったこの本を借りました。
旧暦カレンダーで1902年9月19日(金)先勝を調べてみると旧暦の8月18日。ただ亡くなったのが午前1時だから17日の月明に で何らおかしくはないし、生まれたのがまだ旧暦が使われていた慶応3年の9月17日。それより何よりも17文字の俳句に命をかけた子規へのオマージュとして十七という言葉を使った虚子。
「子規逝くや 十七日の月明に」という句がこころに響きます。
今年は漱石 1867年2月9日(慶応3年1月5日)と子規 1867年10月14日(慶応3年9月17日)の生誕150年の年。漱石が子規に読んでもらいたかったであろう「坊ちゃん」を読みかえしてみたくなりました。

 

 

子規は文机に座って一枚目の紙に文集の総題を書いた。″無伺有洲(むこうじま)七草集″
万葉集の山上臣憶良の連作二首、
″秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花″
″萩の花尾花葛花撫子が花女郎花また藤袴朝顔が花″ からの発案である。
この二首は万葉集の中でもきわめて珍しい形式になっている。子規は万葉の時代の歌人で山上憶良を特に評価していたから自分にとって初めての一人の創作による文集にこの名を付けた。 子規は総題を眺め満足そうにうなずいた。
(初恋の人。子規よどこへでも飛べ)

 

 

″漱石″とは『晋書』から出典した″漱石枕流(ちんりゅう)″から来たもので、本来は″石に枕し、流れに漱(くちすす)がん″という謙虚な暮らし、さまざまなことに耐えながら物事を学ぶ姿勢をいう言葉だが、或る時、西晋の孫楚という人物がこれを″石に漱ぎ流れに枕す″と間違えて言った。それを注意されると、「いや、石に口を漱ぐのは歯を磨くためで、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と主張して自分の誤ちを認めようとしなかった。 この故事から、自分の失敗を認めず、屁理屈ばかりを並べて言い逃がれする、負け惜しみの強い高慢な態度、人を意味するようになった。
(血を吐いた。あしは子規じゃ)

 

 

子規は去年の夏、向島に行き、そこであの界隈を散策し、目に映ったものをそのまま書き留めるようにすると、決りきった慣用句で美文を仕上げるより、情景そのままが浮かび上がってくるようだ、と評した。 「雨がしきりと降る日に渡し舟に乗ったのじゃがえらい美しゆうて水墨画の中におるようじゃった」 子規はなつかしむように金之助に話した。 「長命寺には行かれたかの?」「いや、あの辺りは桜の季節が舞台のようになると聞いている」「長命寺には美味い桜餅を食べさせる店がある」「ああ、それは知ってるよ。よほど美味しかったのかい?」「おう。なかなか甘うて……」 子規は何か思い入れがあるようにうなずいた。 金之助は思ったより長居をしてしまい、それを詫びて子規の許を引き上げた。 金之助か部屋を退出してほどなく、子規はさっそく「七草集」を手にとり、同じ紙包みの中に入っていた金之助の手紙を読みはじめた。 なかなかよくできた七言絶句であった。
 一首一首を読んでいくうちに、月香楼、長命寺の文字を見つけ、金之助が「七草集」を丹念に読んでくれているのに頭が下がった。 八首日から九首目を読んで子規の手紙を持つ手が震え出した。
長命寺中餅をひさぐ家 墟(ろ)に当たる少女美しきこと花の如し 芳姿(ほうし)一段憐れむ可き処 別後君を思うて紅涙加わる
―― さすがに夏目君じゃ。あの文集の中であしが一番力を入れた思いが何かわかってくれとる。
子規はおろくへの想いをいくつかの箇所にさり気なく入れておいた。 それを金之助は即座に察知していた。九首を読み終えて、子規は文末に目を止めた。そこに”辱知 漱石妄批”とあった。子規は金之助が″漱石″を使ったことを大変に満足した。
(血を吐いた。あしは子規じゃ)

 

 

「おう、いいものを見せようわい」 「何でしょうか」 ノボさんは筆を手にとると新しい半紙を出して、そこに文字を書いた。 ″子規″とある。 秉五郎がそれを見て首をかしげた。 「シ、キ、と読む。時鳥(ほととぎす)のことじゃ。あしはこの初夏から名前を正岡子規とした。五月の或る夜、血を吐いた。枕元の半紙に血がにじんでおった。それを見た時、時鳥が血を吐くまで鳴いて自分のことを皆に知らしめるように、あしも血を叶くがごとく何かをあらわしてやろうと決めた。それで子規じゃ」
 秉五郎は″子規″の文字を見た。 話を聞いて、秉五郎は泣きそうになった。それほどまでの思いで、この人は何かをしようとしている。これまでこんな人に逢ったことは一度もなかったし、未熟な自分が恥かしく思えた。
(血を吐いた。あしは子規じゃ)

 

 

大原恒徳は三度、正岡の家にやって来て、その話を子規にした。 子規はその提案を受け入れなかった。
「それは到底できんぞなもし。あしはやりたいことがようけあるぞな。いろんな本を読んでみたい。それを読むことで少々身体が、あしの生命が減ってもかまんのです。勿論、あしは朝に道を聞けば夕に死んでもかまんという聖人ではないし、高尚な人間にむかうためにすべてを投げ打てる徳のある者でもないが、でもあしは猿ではないし、鸚鵡(おうむ)でもない、上京して以来、いろいろ迷っていたが数年前からようやく本を読む、物を識ることの悦びがわかりはじめた。そうやって根を詰めて生きれば身体に良くないことも承知しとる。だからといって一年休学なり廃学して、五年なり十年長生きをしたとしても、その一年の間、自分は決して満たされることがないぞなもし」 子規の中にようやく自分が何をすべきかが固りつつあった。
(血を吐いた。あしは子規じゃ)

 

 

漱石は以前聞いた、或る話を思い出した。 「これは山に登る人から聞いたんだが、山登りというのは、その山が高ければ高いほど途中の道は下りが多いそうだ」 子規は漱石の顔をじっと見ていた。 「興に乗っている時はきっと登山でいう登りのようなものさ。さして考えることもなく足が進むのさ。筆が止まる時は下りの道を進んでいて、ちっとも進んでない気がするんだと思うよ。高い山ほど下りが多いというのが本当なら、君が今書いているものが前より高いものという証拠かもしれないよ」 「なるほど…」 子規が漱石を見て白い歯を見せた。 「そうか、今は下りの道を歩いとるから進んどるように思えんのじゃ。きっとそうじゃ」 子規は漱石の言葉に得心がいったという顔をした。
(漱石との旅。八重、律との旅)

 

 

「あしは、いつか意中の人に逢うのを待っとります」 子規はこう言っていた。 あの頃、漱石には秘かに恋情をかたむけていた女性がいた。 相手は女子高等師範付属女学校に通うハ歳下の女性で、その美しさは一高生の間でも評判だった。その上彼女は学業成績も優秀で、いつも首席であった。名前を大塚楠緒子(くすおこ)といった。彼女の方でも一高で優秀であった夏目金之助の存在は知っていたと思われる。後に彼女は漱石の一歳下の友人の小屋保治と結婚した。小屋は大塚家養子となり彼女を妻取った。漱石の松山行きがあわただしく決定したのは、その結婚が原因だと噂がひろがった。 漱石の意中の人が、その楠緒子であったかどうかは定かではないが、楠緒子が三十六歳の若さで亡くなった時、漱石は日記の中で彼女の死のことを綴り、悼句を日記にしたためている。

 

 

有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中

 

 

これほどの激情的な句をあとにもさきにも激石はこしらえていない。 その激石だからこそ、子規の気持ちがわかり過ぎるほどわかるのである。子規は女性について語ることはほとんどなかった。だから、あの日は子規が他人にたった一度自分の真情を吐露したのだと漱石は思っていた。 「そいか、一人で暮らすより二人で、家族で暮らす方が平穏でいいぞなもし」子規の言葉に漱石は返答せず、うなずいた。
(子規庵、素晴らしき小宇宙)

 

 

九月十八日は、子規は朝から痰がなかなか切れなかった。容態もかんばしくないのは見ていればわかった。 宮本医師が呼ばれた。隣りから陸羯南も来た。碧梧桐も呼ばれた。 碧梧桐はやって来ている顔ぶれを見て、律に虚子を呼ぶのかと尋ねた。するとすぐに子規が言った。「高浜も呼びにおやりや」その一言で子規自身も何かを感じているのが周囲に伝わった。 碧梧桐は羯南の家へ行き電話を借りて虚子を呼んだ。 部屋に戻ると、子規が右手をやや上にむけて筆を使う仕草をした。碧梧桐と律が手伝って画
板に貼った唐紙を目の前にたて子規に筆を持たせた。 子規はその唐紙の中央に句を書いた。

 

 

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

 

 

書き終えると手から筆を放した。筆が落ちるのを碧梧桐が拾った。 子規は痰を切ろうと喉を鳴らし、これを律が拭った。 五分後、子規の手がまた動いた。 碧梧桐がその手に筆を取らせた。律が画板を子規の前にたてた。同じ唐紙の一句目の左にさらに一句書いた。

 

 

痰一斗糸瓜の水も間に合はず

 

 

そうしてまた手から筆を放した。放すというより零れ落ちるふうだった。 また五分後、子規の手が動いた。次は右端に一句書いた。

 

 

をととひのへちまの水も取らざりき

 

 

今度は子規がはっきりと筆を投げ捨てたのがわかった。 転がった筆の墨が敷布を染めた。 この三句を書き終えるまで子規は一言も発しなかった。勿論、周囲の人々も無言でこれを見守った。聞こえていたのは子規の痰を切ろうとする荒い息遣いと咳と最後に筆が敷布に転がった折のかすかな気配のみであった。
辞世の句であることはあきらかだった。へちまの水は旧暦の八月十五日に取るのをならいとする。それができなかった無念を句に詠んだのだ。 子規は書き終えた唐紙を一瞥もしなかった。かわりに周囲の者がそれを覗き込んだ。 文字は所々かすれてはいるがしっかりした筆致であった。ただ最後の一句の仕舞いの文字が力なく尾を引いていた。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

 

ハ重と律は子規を見つめ、やや左に傾いていた身体と蒲団からはみ出していた足に気付き、それを戻した後、二人して子規の上半身を持ち上げるべく子規の両肩をハ重の両手が握りしめ顔を上げるようにした。 その時、ハ重は息子の両肩を抱くようにして言った。 「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」 その言葉は九月の明る過ぎるほどあざやかな月明かりが差す部屋の中に透きとおるような声で響き渡った。 ハ重の目には、それまで客たちが一度として見たことのない涙があふれ、娘の律でさえ母を見ることができなかった。その場にいた碧梧桐は黙したままうつむいていた。 虚子は根岸の路地を歩きながら、先刻、碧梧桐と鼠骨に子規の死を報せるために急いだ路を淡々と歩きつつ、あの時にあまりに空が明るいのでつい仰ぎ見た秋の月を思い出していた。
子規の死を己の中に刻もうと発句したものをもう一度反復した。

 

 

子規逝くや十七日の月明に

 

 

(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

 

……。霜が白く空が重い日だ。私はヨーロッパから帰った時にはじめて君の墓へ行く。その時君はすでに泡ではなく一本の杭の棒になっているのだろう。私はその杭の周りを三度回る。花も捧げず水も手向けず、ただ君の杭を三度回って去ろう。その時、私は君の土臭い影をかいで、君の定かではなくなっているものが何なのかを見てみよう。
漱石の心底には子規の死に対する哀切がみちていた。 子規以外には語ってもわからぬものが二人の間にはたしかに存在していた。漱石は明治三十六年に帰国し、東京帝国大学文科大学、明治大学の講師を務めながら明治三十八年に子規の創刊した「ホトゝギス」に最初の小説「吾輩は描である」を発表した。明治三十九年四月に「坊っちやん」、九月に「草枕」を発表し、一躍その文名を上げた。 その後、朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」「こころ」と日本近代文学を代表する小説を世に出した。
(子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ)

 

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あらすじ
女が映し出す男の無様、そして、真価。太平の世に行き場を失い、人生に惑う武家の男たち。身ひとつで生きる女ならば、答えを知っていようか。時代小説の新旗手が贈る傑作武家小説集。
「ひともうらやむ」「つゆかせぎ」「乳付」「ひと夏」「逢対」「つまをめとらば」
男の心に巣食う弱さを包み込む、滋味あふれる物語、六篇を収録。
(平成27年/2015年下期 第154回 直木賞)

 

ひと言
どれだけいい女なんだろう、会ってみたいなぁ と思わせるような魅惑的な表現。今まで聞いたことがないほどユニークな表現で女性を生き生きと描き、どの短編も読みやすく引き込まれて読みました。敢えて云えば「ひともうらやむ」と「つまをめとらば」がよかったかな。

 

 

世津はとにかく、美しい。もう、どうにも美しい。ただ美しいのではなく、男という生き物のいちばん柔らかい部分をえぐり出して、ざらりと触ってくるほどに美しい。
(ひともうらやむ)
 
あらかたの男は、根拠があって自信を抱く。根拠を失えば、自信も失う。……。けれど、女の自信は、根拠を求めない。子供の頃から、ずっと目立たぬために周りを注視してきた私だから、そう見えるのかもしれぬが、女は根拠なしに、自信を持つことができる。 その力強さに、男は惹きつけられる。男のように、根拠を失って自信を奪われることがない。 朋はたまたまあの姿形だったから、美形という根拠があって、私が絶対に落ちるという自信を持っているように見えた。しかし、そうではないのではないか。 女という生き物は美醜に関わりなく、いや、なにものにも関わりなく、天から自信を付与されているのではないか。 もしも朋が醜女だったとしても、あのとおりに近づかれたとしたら、おそらく同じことになっていたのであろうと、私は思った。
(つゆかせぎ)

 

 

「通常、毒蛇が鼠を噛めば、たちどころに息絶える。ところが、なにごとにも程というものがあってな、噛み過ぎれば、毒液とて切れる。そういうときに噛むと、当然、鼠は死なない。驚いた毒蛇はそれっきり鼠を噛まなくなる。毒液がたっぷりと溜まっても、鼠が恐ろしくて二度と襲うことができぬ。で、餓死する」 嘘のような真の話か。真のような嘘か。 「その毒蛇のようなものかもしれぬ。こちらは二本差しているのに、百姓が敬服しないどころか、道で行き交っても挨拶もせん。で、うろたえる。なんとか挽回しようとして、墓穴を掘ると、さらにうろたえる。それが積み重なると、やがて百姓が恐ろしく見えてくる。しだいに閉じこもるようになって、終いには気を患う」
(ひと夏)

 

 

ともあれ、省吾は断わった。本心を押し殺して、断わりの言葉を並べた。すると、とたんに佐世の垂れ気味の大きな目に涙が湧いた。そして、朝露が葉を転がる音があるとすればかくやと思える声で、どうぞ、お願いいたします、使ってくださいませ、と言ったのだった。その声を聞けば、もう省吾も堪えようもなかった。
(つまをめとらば)