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あらすじ
勝利を、信じろ――。足袋作り百年の老舗が、ランニングシューズに挑む。
埼玉県行田市にある「こはぜ屋」は、百年の歴史を有する老舗足袋業者だ。といっても、その実態は従業員二十名の零細企業で、業績はジリ貧。社長の宮沢は、銀行から融資を引き出すのにも苦労する日々を送っていた。そんなある日、宮沢はふとしたことから新たな事業計画を思いつく。長年培ってきた足袋業者のノウハウを生かしたランニングシューズを開発してはどうか。社内にプロジェクトチームを立ち上げ、開発に着手する宮沢。しかし、その前には様々な障壁が立ちはだかる。

 

ひと言
TVドラマ「陸王」のマラソンシーンのロケが9月22日から24日に豊橋市で行われ、豊橋観光コンベンション協会の鈴木恵子の尽力で1万人もの人々が参加し、天下の国道1号線にも規制をかけてロケが行われたというニュースを知りすぐに図書館に予約を入れました。TVドラマが始まってしまいましたが、TVでは原作と順序が入れ替わって寺尾 聰さんが早く登場したり…など原作を先に読んでいるとこれからのドラマも楽しく見られそうです。でも「陸王」と云えばやっぱり誰でも慶応大学を思い出すよね。池井戸 潤さんが慶応出身だからか…なるほど。

 

 

有村は、店内にディスプレイされていた一足を持って戻ってくる。一万円ほどの値札のついたジョギングシューズだ。 「このジューズはいま一番の売れ筋なんですが、この踵の部分、見てください。クッションが入って分厚くなっているでしょう。いま、多くの靴にこういうクッションが採用されているんですが、私はこの構造そのものに問題があると思ってまして。間違った走法に導いてしまう可能性がある」 走法に正しいとか間違っているとかがあるなんて、宮沢は考えてもみなかった。
「このシューズを履いて走ると、踵から着地してつま先で蹴る――そういう走り方になります。ヒール着地といいます。重心のかけ方などにもよりますが、そういう走り方だと、特に初心者の場合、たとえば一般にランナー膝と呼ばれる腸脛靭帯炎といった故障を起こしやすい。周囲でランニングをしているという人に話をきくと、故障者が多いことに驚かれると思いますよ。故障までいかなくても、ちょっと膝や足首が痛いという人はいっぱいいます。いろんな理由はあると思いますが、走り方そのものに問題がある人が少なくないはずです」 「ヒール着地に、シューズの形状が関係しているということですか」 「いかにもそうしろといわんばかりのシューズなんです。履いてみると踵が上がっているから、自然にそうなり易い」 有村は続けた。「こうした故障が多く報告される一方で、近年、走法についての解析が進んできて、有名選手たちがどんなふうに走っているかが研究されてきました。するとおもしろいことがわかったんです。たとえばケニアの選手は足の中央付近で着地している。オリンピックに出た日本の一流アスリート達もそうです。ミッドフット着地、あるいはもっと足の先で着地するフォアフット着地の選手の選手もいます。つまり、こうした一流選手は故障を招きやすいヒール着地では走っていないんです。ではなぜ、フォアフット、ミッドフット着地という走り方が、より速く走れ、そして故障も少ないのか。それは、その走法が人間本来の走り方だからなんです」 「人間本来の走り方?」 宮沢は思わず繰り返していた。走りの話を聞きにきたはずなのに、有村の話はどんどん広がっていく。
(第二章 タラウマラ族の教え)

 

 

足袋は白とは限らない。外履き用の足袋には様々な模様を施したものがあるのだが、そのほとんどは冨久子さんがデザインしたものなのだ。冨久子さんには、先代の頃からかれこれ半世紀もこはぜ屋の足袋をデザインし続けてきた実績がある。 いま、宮沢が見せたのは、濃紺に白い模様を絡ませたデザインだった。 
「トンボか」 その白い模様を見て、安田がいった。「勝虫ですね」 勝虫として縁起がいいとされるトンボは、こはぜ屋の足袋にも様々な形で登場するお馴染みだ。それを少し大きめのデザインにして、シューズのワンポイント代わりにしている。足袋と違うのは、紐で縫い上げるようにしてあることだが、その紐も勝色といわれる藍色の指定だ。靴底には、地下足袋で使う生ゴムを貼り付けることにした。 「へえ。良い感じじやないですか。さすが、冨久子姉さん」 感心したあけみさんに、「よし、作ってみるぞ」、と安田が意気込んでいる。「試作品を作って、まずは履いてみようじゃないか。社長、少々、時間くれますか」 「頼むわ」 かくして、こはぜ屋の新しいビジネスは、ささやかに動き出したのである。
(第二章 タラウマラ族の教え)

 

 

じっと村野を見たまま茂木は聞いている。「たしかに企業の規模は小さいし、業績もいまひとつだ。だけど、シューズを作るという姿勢や熱意では、アトランティスよりもこはぜ屋のほうが上だと思う」 村野は続ける。「君に見せてやりたいよ。靴底を貼り合わせて一足出来上がったときのあの人たちのうれしそうな顔をさ。アトランティスは、ある意味大企業になりすぎた。彼らの関心事は業績であり、目先の利益だ。物事を測る尺度もカネで、新しいジューズを開発する理由は、業績向上のためだ。そのために、ほとんど機能的に進化していないシューズに、新たな名前をつけていかにも革新的であるかのように売るということまでする。私は、そういうシューズをあえて勧めてはこなかったが、それは会社の方針に反する行為だった」 村野は続ける。「だけどな、シューズってのは、人が履くもんだ。ランニングシューズは、走る人が履く。自分たちが担当しているアスリートに、少しでも良いものを届けるために作るのが本来の姿だと思う。たしかに、アトランティスのシューズは品質も悪くないし、機能性も優れているだろう。だけど、彼らはランナーのために作ってない。そんなシューズには魂はない。ただの工業製品だ」 断言した村野は、真摯な眼差しを茂木に向けた。「私はそんなのを売るのに疲れちまったんだよなあ。会社は小さくてもいいから、真正面からランナーを見据えて、少しでもいいものを、なけなしの予算で作っていく。そういう仕事っていいなって、そう思った。だから手伝ってるんだ」 俯き加減になって、茂木はじっと村野の話を聞いている。「もし、君がアトランティスの『RⅡ』を履いてみたいと思ったら、何の遠慮もいらない。ぜひ試してみてくれ。いろいろ話したが、どう作ったかはそれを履く人には関係がない。いいと思ったシューズを履けばいい。それだけのことだ」 村野は心の中を洗いざらい、そのまま話したつもりだが、それを茂木がどう捉えたかはわからない。
(第十二章 公式戦デビュー)

 

 

村野さんがウチみたいな小さな会社を手伝ってくれるのも、私にはうれしかった。他の大手メーカーからも引く手あまたのはずなのに、だ。ウチはカネもなく、ちっぽけな会社だけど、だからこそ、より強く大きな夢を見ることができる。負け惜しみに聞こえるかも知れないけど、ありがたいことだよ」 「もし世の中から、おカネっていう価値観を取っ払ったら、後には本当に必要なものや大切なものだけが残るんでしょうね」 思ったことを、素直に茂木は口にした。「気づかないほど当たり前のものの中に、本当に大切なものがあるのかも知れません。人の絆もそうなんじゃないでしょうか」 ふいにこみあげてくるものを堪え、茂木はいった。「皆さんの期待に背かないよう、絶対に悔いのないレースをしてきます。応援よろしくお願いします!」
(第十二章 公式戦デビュー)

 

 

「もう十分なんですよ」 茂木からこぼれ出たのは、そんな冷ややかな言葉だった。「この二年間、都合よく離れて行く連中を何人も見てきました。いいときは擦り寄ってくるのに、悪くなるとあっという間にいなくなる。御社だって、そうじゃないですか。サポート契約を打ち切ったのはオレじゃない。御社のほうでしょう。なのに、レースに復帰した途端、手のひらを返したように近づいてくる。もう、うんざりなんですよ」 「うんざりするのは君の勝手だ」 佐山はいった。「たしかに、ウチは君の評価を誤ったかもしれない。それは謝罪する。だけども、こはぜ屋なんて会社、もうシューズ作りそのものが、できなくなってるんだぞ。君は、それでもいいのか」 「そりゃあ、契約しているシューズが無くなってしまったら困りますよ」 茂木は落ち着き払って、こたえた。「だけど、いまのこはぜ屋さんは、いってみれば二年前のオレと同じなんです。ピンチで困り果て、必死で這い上がろうともがき苦しんでいる。もし、それを理由にオレ、がこのシューズを履かなかったら、それはオレが苦しいときに背を向けた連中と、自分が同じことをすることになる。オレはそうはしたくない。オレは、自分が信じようとしたものを、ずっと信じていたい。もしこのシューズを履かなかったら、それは自分自身を裏切ることになってしまうんです」……。
その一部始終を、ほんの少し離れた人混みの中でじっと見ている者たちがいた。宮沢と、村野のふたりである。いま宮沢は、唇を噛んだまま人混みの中にただ呆然と佇んでいる。 その横にいて村野は、アップのために外へ出ていく茂木の行方を目で追っていたが、やがてその姿が人混みに見えなくなってしまうと徐に宮沢を振り向いた。 「茂木の期待にこたえよう。こたえるしかない」 そう村野にいわれ、宮沢は、ただ頷くことしかできなかった。 人の信頼をこれほどまで深く、明確に感じたことがいままであっただろうか。 ビジネスが双方の信頼関係の上に成り立つといったところで、そんなものは口先だけのことだと思っていた。そんな経験しかしてこなかった。 表面上はよろしくやっていたところで、いざ業績が悪化すれば、あっという間に離れていなくなってしまう。 宮沢が知っている信頼とは、せいぜいその程度のことだった。他人の信頼など、ビジネスの上では当てにならないと思っていたのだ。 だが、いま宮沢が目の当たりにしたのは、正真正銘、木当の信頼だった。 「裏切れないですよ。裏切れるもんですか」 宮沢は、熱に浮かされたようにつぶやいていた。「茂木君の期待に、必ず――必ず、こたえて見せます」そういった宮沢の肩を、ぽんぽんと二回叩いただけで、村野は歩き出した。
(最終章 ロードレースの熱狂)

 

 

【2017.12.24 追記】

 

 

先ほど日曜劇場「陸王」を観終わりました。
ドラマでは陸王シューズの注文の電話がどんどん鳴るということでしたが、ドラマの中で、とても効果的、感動的に描かれた豊橋。
実生活では豊橋観光コンベンション協会の鈴木恵子さんにうちのドラマや映画のロケに豊橋を使わせて欲しいと電話がどんどん鳴るんでしょうね。天下の国1を規制してまでのドラマロケ大成功でしたね。豊橋市民のみなさんそして鈴木恵子さんほんとうに感動的なドラマをありがとう♪もう次は、新幹線(こだま)でも名鉄でも何でも止めちゃって素敵なドラマや映画作成に協力してくださいね。
それにしても 茂木 裕人役の竹内 涼真くん、すごくカッコよかったねえ♪男でもファンになりそう。
もちろんビズリーチのCMで一躍人気になった仲下 美咲役の吉谷 彩子さんもかわいかったです。

 

11月4日 久しぶりにお天気のいい週末。
今年中に行っておきたかった西国三十三所の番外3寺を巡ってきました。
朝7時に家を出て、名阪国道の針インターから県道38号線を通り9時15分 長谷寺の駐車場に到着。

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先ずは長谷寺から歩いてすぐの法起院の徳道上人にご挨拶に伺います。
来年は西国三十三所 草創1300年の年。養老二年(718年)に長谷寺の開祖 徳道上人によって始められ、その徳道上人の御廟をお祀りしているのが法起院です。
こうして健康に過ごせて2巡目の西国巡りを終えることができることの感謝と、今日の長谷寺から新たに始まる3巡目も無事に満願を迎えられますようにとお祈りします。

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長谷寺の御本尊大観音特別拝観で今年1年身につけていた五色線のお焚き上げをお願いして、新たな御縁を結ばさせていただきます。

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(写真は長谷寺のHPからお借りしました)

おまいりを終え月輪院でお抹茶をいただきます。

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法起院の前を通り国道165号を西、国道24号を北上し、京奈和道の木津ICから高速に乗ります。
途中、半年ほど前に 第二京阪との接続で部分開通した新名神(3.5km)を通ります。この道の開通のおかげで 奈良―京都 の行き来が楽になりました。

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阪神高速8号京都線の終点山科ICを降りてすぐの大石神社へ。

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「忠臣蔵」の映画やお芝居で「天野屋利兵衛は男でござる」の名ゼリフで有名な、赤穂義士討入りに際し、必要な武器を調達した天野屋利兵衛を祀った義人社。

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大石願掛け像にはたくさんの心願・大願のお札が

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約270年 途絶えていた観音巡礼を再興した花山法皇。その出家のお寺が京都 山科の元慶寺。花山法皇が晩年を過ごしその菩提を祈るのが兵庫県三田市の花山院。
その2寺をお参りし、中国道の神戸三田ICから京都へ向かいます…
(えっ、後の2寺はこれだけ!? すみません。今年来年は徳道上人の草創1300年なので…。
花山院の境内の銀杏がとてもきれいでした)

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いつもの中国道 宝塚トンネルの渋滞を通り抜けて、名神 大津SAに車を停め、JR大津駅まで15分ほど坂道を下って歩きます。今日はお天気もよく3連休なか日で京都市内の大渋滞が予想されるので、駐車料金無料のパークアンドライドです。何より最近の運動不足 人間、歩かなきゃ。
17時02分発の新快速に乗って京都駅まで10分(200円)でした。

今回の旅のもう一つの目的が京都国立博物館の「国宝」展です。それもⅢ期(10月31日~11月12日)だけに公開される 誰もが教科書などで見たことのある「漢委奴国王」の金印を観たかったので、いつもの11月末の紅葉の季節の「長谷詣で」よりひと足早いこの時期の旅になりました。

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お昼も食べていないし、まだ博物館は待ち時間がかなりあるだろうから食事をしてから…との考えで、前から行こうと決めていたふんわりパンケーキのお店「fleur(フルール)」へ行ったのですが1時間待ちで先に国宝展へ。
京都国立博物館の公式Twitterで待ち時間をチェックするとなんと現在待ち時間0分。ツイート通り「金印」の最前列での鑑賞待ちは20分でした。

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金印も20分並んで間近で観られたし、源頼朝像の肖像画、東寺の両界曼荼羅図、今年国宝に指定された大阪金剛寺の大日如来坐像、油滴天目茶碗 etc… どれもすばらしい国宝の数々でした。中でも平家納経の美しさにはびっくりでした。
京都まで観にきてほんとうによかったです。おみやげに人気No1の金印スタンプを買いました。

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行きは歩きでしたが帰りは「fleur」へ行くのでバスで京都駅へ。待ち時間なしで入店。京都店限定のきなこクリームパンケーキ(1200円)をいただきます。どうやって作るの?というぐらいふわふわのおいしいパンケーキでした。

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京都駅八条口側にある551蓬莱 京都駅店は相変わらずの大行列。15分ほど並んで豚まんとしゅうまいを買って電車で大津駅まで戻ります。

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大津SAまで 帰りはずっと登り坂。一日の最後にこの坂きつい!。20時55分にSAを出発します。
とても疲れましたが帰りは渋滞もなく、全走行距離498km 楽しく充実した1日でした。

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今日は、職場の人と3人で最近話題の「喫茶ゾウメシ」へお昼を食べに行きました。西尾市で人気の「ぞうめし屋」さんの2号店です。肉みそのり玉プレート(896円)をいただきます。今井醸造という会社が経営する喫茶店で、さすが味噌屋さんの豆みそ。甘めで濃厚なお味噌で、ご飯の上の温玉とパリパリのあおさ海苔と混ぜて食べるととてもまろやかな味で美味しいです。この豆みそ、ごはんととてもよく合います。

 

思わずテイクアウトの肉みそ 200g(648円)をおみやげに買いました。ごちそうさまでした。

 

 

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喫茶ゾウメシ(食べログ)
名古屋市西区菊井1

 

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あらすじ
中学一年生のこころは、ある出来事を機に学校へ行けなくなり、いつも家で過ごしている。ある日一人で家にいると、部屋の鏡が突然輝き始め、潜り抜けてみると、そこは城の中だった。集められたのはこころを含め、似た境遇にいるらしき中学生が七人。九時から十七時まで滞在が許されるその城で、彼らにはひとつの課題が出される。猶予は一年。戸惑いながらも七人は、少しずつ心を通い合わせていくのだが……。

 

ひと言
辻村 深月さんの本だし、Amazonのカスタマーレビューでも評価が高かったので借りました。最初は、鏡のお城での様々な体験を経て精神的に強くなったこころが元の学校生活に戻っていく「ネバーエンディング ストーリー」のような小説だと思って読み始めたのですが、よく練られた設定と構成で後半の展開はいい意味で見事に予想を裏切ってくれて、少し頭を整理して読み直さなければならないほどの感動のラストでした。全部を読み終えた後で喜多嶋先生やリオンが出てくる個所を読み返してみると辻村 深月さんの緻密な伏線に納得。これは本屋大賞にノミネートされる作品だと思いました。

 

 

遠くを見る目をしていたお母さんに向けて、言う。「お母さん」「ん?」「―― ありがとう」 お母さんがぽかんとしたように、唇を開いた。こころを見つめる。こころはどうしても伝えたかった。 「先生に、あんなふうに言ってくれて。私がどう言ってたか、伝えてくれて」 本当は、お母さんの言葉だけで伝わるかどうか心配で、お母さんが先生に最後に言った通り、自分の口で伝えたかった。――ああ、先生の中でのこころの心証はた、ぶん今頃散々だろう。真田美織は会うって言っているのに、それを拒むこころは、きっと先生が思う素直さや健全さに欠けた、問題ありの生徒だ。 だけど。 「お母さん、私が言うことの方を信じてくれたから……」 「当たり前じゃない」 お母さんが言った。声の語尾が微かに掠(かす)れ、お母さん、が俯いた。繰り返す、「当たり前だよ」の声は、もう完全に震えていた。こころは微かに驚き、目をぱちぱちさせる。大人が「怖い」なんて言葉を使うとは思わなかった。お母さんが目を少しまた伏せる。「自分がこころの立場でも怖かったと恩う。本当はもっと早く話してほしかったけど、さっき、先生に言う時に、こころの気持ちが少しわかった気がしたの」 こころが黙ったままお母さんを見ると、お母さんが微かに笑った。疲れたような力ない微笑みだった。 「先生に、『こころは悪くない』って言う時、その通りだと思ってるのに、それでも、信じてもらえるかどうかわからなくて怖かった。こころが怖かった気持ちが全部正確に伝わらないんじゃないか、わかってもらえないんじゃないかって思ったら、話すのに、勇気がいったよ」 お母さんが手を伸ばし、テーブルの上にあったこころの手を両手でぎゅっと握った。そして、聞いた。
「――学校、かわりたい?」 カワリタイ、という言葉の意味が、最初、すぐには入ってこなかった。握られたお母さんの少しひんやりした手の感触とともに、少しして、転校したいかどうかという意味なのだと理解する。こころは目を見開いた。 これまで、自分でも考えたことがあった。とても魅力的な考えに思えることもあれば、それは逃げることと一緒なんじゃないかと後ろ向きに思えたこともあった。小学校からの仲良しの子たちもいる、あの雪科第五中。真田美織なんかのために自分が出ていくことが癪だった。あの子たちがそうなっても反省なんかせず、むしろどこか誇らしげに、「うちらのせいで出ていったね」と笑い合うところが見て来たように思い浮かんで、怒りと聡ずかしさで吐きそうになったこともあった。けれどそれは、これまでは、現実味がまったくない選択肢だと思っていた。希望しても、お母さんが許してくれない、とそう思っていた。 しかし今、そのお母さんが続ける。 「もしこころが転校したいなら、お母さん、調べてみるよ。少し遠くなるけど、隣の学区の中学や、私立の中学校に通えるところがあるかどうか、一緒に探そう」 新しい場所に行っても自分はダメなんじゃないか、という不安は、まだ強い。またこんなことが起こるとは思わないけれど、転入生はどうしたって目立つし、こころが前の中学から逃げてきたことだって、新しいクラスメートたちにはすぐにわかってしまうかもしれない。 だけど、新しい学校で、普通の子みたいに溶け込める可能性だってある。何もなかったように通うことが、本当にできるかもしれない。それはとても甘美な可能性だった。何より、お母さんに認められたような気がして、心の内側が柔らかく、あたたかくなる。この子はどこにも通えない子じゃないと、わかってもらえた気がした。 
カレオの頭上で、ジングルペルの曲が鳴り響いている。クリスマスセールのお知らせを明るい声が放送している。 「……ちょっと考えてもいい?」 こころは聞いた。胸によぎるのは、城の、みんなのことだった。 転校はとても魅力的な考えだけど、それは同時に『雪科第五中の生徒』であることを失うことでもある。――城に行ける資格を、失ってしまうかもしれない。みんなにもう会えなくなるかもしれない。それだけは絶対に嫌だと思った。 「いいよ」とお母さんが答える。「一緒に考えよう」
(十二月)

 

 

「こころちゃん」 喜多嶋先生が言う。泣き止んだこころに、とても優しく。「闘わなくても、いいよ」と。 タタカワナクテモイイ ―― 、という言葉が、初めて聞く外国の言葉のように聞こえた。 前に、喜多嶋先生に「闘ってる」と言われた時、嬉しかった。けれど、その時以上の、想像してもみないほど柔らかい響きを伴った言葉に聞こえた。 先生を無言で見つめ返す。先生が言った。「こころちゃんが頑張ってるの、お母さんも、私も、わかってる。闘わないで、自分がしたいことだけ考えてみて。もう闘わなくてもいいよ」 その声を聞いた瞬間、こころは目を閉じた。目を閉じたまま、どう答えたらいいかわからなくて、ただ、一度だけ頷いた。 自分がしたいことだけ、と言われても、こころは自分が何をしたいのかわからない。 けれど、闘わなくてもいい、なんて考えがあることそのものに全身を包み込まれるほどの安堵を感じた。
(一月)

 

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今日は、2週間ほど前にTVで取り上げられたお店に 職場の人と3人でお昼を食べに行きました。四天王と呼ばれるメニューの1つのイタリアンまぜそば 白のマゼボナーラ(900円)+小ライス(ランチ時 無料)をいただきます。もちもちの全粒粉の極太麺にベーコン、チーズがたっぷり入ったクリーミーなカルボナーラソース。 お、おいしい♪。〆に残ったソースに小ライスを入れてリゾットに。これもグッド♪。リピート確実。是非 四天王と呼ばれる4品を食べてみたいです。ごちそうさまでした。

 

極太麺 まな屋(食べログ)
北名古屋市九之坪梅田

 

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あらすじ
我那覇真子
「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員。
日本文化チャンネル桜沖縄支局キャスター。1989年(平成元年)沖縄県名護市生まれ。
2005年高校交換留学で米国オハイオ州・カリフォルニア州へ。2008年早稲田大学人間科学部入学。在学中、高円宮杯全日本中学校弁論大会を主催する。JNSA(日本学生協会基金)の運営委員を務める。2012年早稲田大学人間科学部卒業。

 

2015年ジュネーブでの国連人権理事会で、日本を貶める目的をもったプロパガンダ演説をした翁長沖縄知事に敢然としてカウンタースピーチをした。

 

 

ひと言
我那覇真子(がなは まさこ)さん。数か月前まで我那覇さんのことは全く知りませんでした。2015年9月の国連人権理事会で、我那覇さんが翁長沖縄県知事に対するカウンタースピーチを行ったということから関心を持ち、You Tube 等で我那覇真子さんの動画を観ました(我那覇真子のことを知らない方は、一度観てみてください)。
以前に読んだ「「東京裁判」を読む」に書かれた「今ある文書が国民に公開されず、公開されても国民がそれを読もうとしないことは、焼却と同様の「財産放棄」ではないのか」という言葉が頭をよぎります。
マスコミには報道しない自由もあるということや、マスコミの報道が正しいと鵜呑みにせず、真実を知ろうという気持ちを忘れることなく、客観的な真実から自分の頭でしっかりと考えることの大切さを再認識させてくれる本でした。

 

 

平成21年9月に行われた衆議院選挙において国民は、自公連立政権に対する不満、失望、マンネリ、閉塞感の積み重ねをもって民主党に政権を委ねることにしました。その下ごしらえ、雰囲気づくりをしたのが例によって新聞テレビ等のマスコミです。ほとんどそれは情報操作、世論操作と言えるもので、国民的合意を「一度は民主党にやらせてみよう」に誘導しました。 それでも、鳩山氏のエスタブリッシュメント性が大いにこの流れを押したことは間違いないでしょう。政権交代という大仕事を成し遂げ、首班指名を受け絶頂の舞台に上がった時のご本人の昂揚感の高みは想像に余りあります。 しかし政治の現実は、それは厳しいもので野党時代にはあまり表面化しなかった氏の政治家としての資質の低さが、極大にクローズアップされてしまいました。氏の失策、失態をかばうのは、難しいことです。 中でも普天間問題に対する対処は、ひどいものでした。最低でも県外と広言しておきながら結局、辺野古しかありませんとなったのは、見ている方が恥ずかしくなるものであり、「大丈夫私には、腹案がある。トラストミー」がアメリカ政府側の″ルーピー″という評価になったのは痛々しい限りでした。 氏は、辺野古回帰の弁明に「学ぶにつけ海兵隊の抑止力の重要性が分かりました」と言い やっとまともな発言をしたかと思いきや、後にあれは方便の為の発言でしたと悪びれる様子もなく又発言していました。
(第1章 日本を守る沖縄の戦い)

 

 

「世界一危険な飛行場」という負の称号をつけられましたが、この言葉は平成15年普天間に視察に来た当時のアメリカ国防長官ラムズフェルド氏がその時発言したものとされ、その後盛んに新聞マスコミ等によって用いられ定着し、政治家識者が普天間基地を語る際の枕詞になりました。過密地域にある飛行場は、世界には何か所もあります。国内では、大阪国際空港(伊丹空港)や福岡空港(板付空港)の例があり、発着回数や機体の大きさから言えば、よっぽどそちらの方が危険度は上でしょう。 市街地の中に普天間基地があると言われますが、作家の百田尚樹氏も指摘されるように基地の周りに人が集まり出して街になっていったのであって、周りが普天間基地を街の中の飛行場にしたのです。もちろん仕事、その他生活が、暮らしがいいからです。つまり迷惑を受けているのは普天間基地の方なのです。 行政の観点からもそれは確かめられます。普天間基地の周りを学校、市庁舎等の公共施設、大学、民間商業施設、住宅等がまるで取り囲むように密集していますが、その建築許可を出しているのは宜野湾市自身です。飛行機の進入経路は、特に法規制され安全が計られるはずが何とそこにもおかまいなしに建造物が立ち並んでいます。 平成十六年に米軍普天間基地所属のヘリコプターが、基地に隣接する沖縄国際大学キャンパス内にハードランディングし三人の負傷者を出した事故がありましたが、あくまでもこれを墜落とし、新聞マスコミと左翼大学は大騒ぎをしました。しかし大学をあえて軍事施設の隣に設置し、学生を危険に晒すことにした大学側の落ち度は、一切問われることがありませんでした。何を研究し、何を教えている大学なのでしょうか。
(第2章 沖縄の異常なジャーナリズム)

 

 

何と保護を叫ばれるジュゴンは、辺野古にはいないのです。反対活動団体がいうジュゴンのいる辺野古の海というのは、得意の詐術なのです。ジュゴンは、正しくは辺野古よりも北側の大浦湾の北側の集落嘉陽沖合いに回遊生息するもので辺野古の海には回遊することもあるという程度の関わりなのです。 では、ジュゴンを絶滅させてはならないという主張はどうでしょう。ところがこれも又ウソ話なのです。そもそもこれは、種の保存の問題でも何でもないのです。何故ならその数がわずか三頭だからです。 この数ではもう繁殖うんぬんの話ではないのです。つまり何が何でも反対運動に利用できるものは、徹底して使うということです。 ほとんど良心の呵責を感じていないのが彼等らしいところで、恥の感覚もおそらくない事でしょう。 因みにジュゴンは、フィリピン、マレーシア、インドネシア、オーストラリアの海域に八万頭、他の海域に二万頭が生息していると言われています。沖縄辺野古北側嘉陽の三頭を取り上げジュゴン全体の保護を叫ぶのは全くのお門違いなのです。 それにしても、いちいちこういう反駁をしなければならないのは、実にわずらわしい事で大方が嫌気をさしています。 なぜなら自分の時間が非生産的な事に費やされる事になるからです。世の中一般の普通の市民に、これに付き合おうという方はほんとに少ない事でしょう。
(第2章 沖縄の異常なジャーナリズム)

 

 

沖縄戦についても、愛国心をもって一命を捧げた方々に犬死、捨石などと天を恐れぬ暴言を平然と叶く神経を持つ人々、これが左翼人の本性です。やはり人の内には、天、神、仏と言った人智を超えた存在が必要なのでしょう。
(第2章 沖縄の異常なジャーナリズム)

 

 

それは、県知事選挙や名護市長選挙の勝敗を見ると明かです。 移設を前提に普天間基地の返還が日米の間で合意されたのが平成八年、それを受けて移設の是非を問う住民投票が行われたのが平成九年でした。 住民投票には公職選拳法が適用されないので、反対派のなりふりかまわない手段――つまり通常なら完全に選挙違反になる――によって小差で賛成派は負けました。 しかし、その直後に当時の名護市長比嘉鉄也氏が受け入れを表明して辞職します。 そして急遽市長選が行われる事になりましたが、賛成派の推す候補が移設絶対反対を叫ぶ候補を破っています。 結局その後移設地名護市の市長選は、都合三回連続、県知事選挙も四回連続移設推進、あるいは容認の保守が反対絶叫革新候補に対し勝利を収めているのです。変調の始まりは、例のあの鳩山民主党の乱にあるのです。日本中央では、もう終息した「一度は民主党にやらせて見よう」シンドロームですが、そこから発生した政治的、社会的混乱の余波が沖縄ではまだ、続いているのです。 選挙が民意と言うのなら、とっくに移設についての答えは出ているわけで、知事選なら四期十六年後にやっと勝って今回だけが民意ですと言われてもそれは理不尽と言うものです。
(第3章 左翼と沖縄)

 

 

沖縄戦を語る時忘れてはならないのは、海軍 大田 實 少将の海軍次官宛の打電文です。この電文は、沖縄戦の実相をあますところなく伝えるものであり、歴史の貴重な証言となっています。……。

 

 

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沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
(沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように)
(第5章 沖縄の自助論)

 

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今日は久しぶりに下宿をしている娘が帰ってきたので、先日 名鉄百貨店の北海道展で買った「ルタオ」のドゥーブルフロマージュ(1728円)を切りました。生クリームの入ったレアとベイクドチーズの2層構造になったチーズケーキで、チーズの味がすぐ口の中に飛び込んでくるのかなと思ったら、上質な生クリームの味が先に口の中に広がります。ふわとろで濃厚な非常に上品な味で万人が認めるおいしさです。

 

ネットでお取り寄せももちろんできるのですが、また次の北海道展で会えるのを楽しみにしています♪。ごちそうさまでした♪。

 

 

Le TAO(ルタオ)
北海道小樽市堺町7

 

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今日のお昼は、あの将棋の藤井聡太くんの行きつけのラーメン屋さんということで話題になった「陣屋」さんへ行ってきました。
お店の方に「あの… 藤井聡太くんがいつも食べている…」と注文すると「大盛チャーシューらあめん(930円)ですね。大盛ですけどいいですが?」「はい、それでお願いします」しばらくすると大きな丼にチャーシューがたっぷりのラーメンが到着。壁に掛けてあった藤井聡太くんとお店の方の写真と一緒にラーメンの記念撮影。
1959年に名古屋市千種区に創業した「好来」が元祖(総本家)の「好来系」と云われるあっさりとした和漢根菜薬膳スープ。

 

将棋の藤井聡太くんやスケートの浅田真央さんも体に良さそうなこのスープが好きで通っているのかなぁ と思いながらスープをいただきましたが、大盛はスープの量が多くて全部飲み干すことはできませんでした。ごめんなさい。次は浅田真央さんの推し麺のみそカレーらあめんをいただきたいです。ごちそうさまでした。

 

 

陣屋(食べログ)
名古屋市北区大曽根2

 

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職場の人から、昨日 岐阜へ行ったので…と「サカエパン」のあんぱんちゃん(120円)をいただきました。
惜しげもなく黒ゴマがたっぷりと振られたずしりと重たいぱんで、今まで食べたあんぱんの中で、一番たくさんのあんが入っています。これで120円?!びっくりするほどの安さです。それでいて 甘さがいい塩梅で抑えられた上品な味で、大量のあんにも くどさを全く感じない 誰もが納得、一番人気のおいしいぱんでした。ごちそうさまでした♪。

 

一年中販売されているアイスクリームパンも人気とのことなので今度は是非お店を訪れて食べてみたいです。

 

 

サカエパン(食べログ)
岐阜市加納栄町通1

 

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あらすじ
「つぶさなあかん」と言われる理由。「百田発言」で注目の「沖縄タイムス」と「琉球新報」は、毎日何を書いているのか。稀代の「怪物知事」を生んだ異常な背景を解き明かす!
《エスカレートする翁長氏の行動は、いずれも県紙2紙をはじめとした沖縄メディアが事前に煽ってきたものだ。翁長氏の知事就任以来、沖縄県の強硬姿勢と沖縄メディアの翼賛報道は、相互に増幅を繰り返しているように見える。言ってみれば、翁長氏は沖縄メディアの「脚本・演出」を忠実に実現する、偉大な「主演俳優」なのだ》(「はじめに」より)

 

ひと言
数日前にも沖縄で米軍ヘリが不時着し炎上というニュースが流れた。「またかよ…、どうして沖縄にばかり…」沖縄の人々の声が聞こえてきそうだ。ほんとうに沖縄の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
でもどう考えても日本の安全保障は要衝の地 沖縄にお願いし頼るほかはない。普天間の移設問題のこれまでの経緯や地理的条件を理解することもなく「最低でも県外」と沖縄の人々を喜ばせそして裏切った鳩山由紀夫。
ずっと裏切られ続けてきたという思いがあると思います。でも沖縄を含む日本を守る「国境の砦」(あとがきに書かれた著者の仲新城 誠さんの言葉を使わせてもらいました。語弊があったとしたらごめんなさい)という誇り高い使命を持つ沖縄と沖縄の方々を我々そして日本国は必ず全力で支援する。どうか我々を、日本国を信用してほしい。そしてどうか辺野古への移設を許してほしい。

 

 

最近は県民ですら、2紙の報道に眉をひそめる人が多い。15年4月には「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」(我那覇真子運営代表委員)が沖縄で結成された。結成趣意書では「(2紙は)左翼イデオロギー運動を反戦平和運動に偽装し県民を不幸と悲惨な奈落へ誘おうとしています」と言い切る。県内では、かつてなかった動きである。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

全国紙と異なる、沖縄独特の新聞事情も紹介しておこう。県民にとって県紙が欠かせない理由の一つは、県紙がほぼ毎日、1ページをまるまる割いて、亡くなった一般の人の遺族が出す「おくやみ広告」を載せる慣習があるからだ。おくやみ広告(告別式広告)は連日、10~20件ほど。亡くなった本人だけでなく、その縁者の名前もずらりと並ぶ。例えば喪主が妻の場合、「夫○○○○儀」の表題で始まり、「病気療養中のところ○月○日午後○時○分○歳をもって永眠致しました。生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ致します」などという「前文」が続く。……。

 

 

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もし、こうした広告を見過ごした場合、関係者の葬儀に欠席して非難されることもあるから、県紙の購読は社会的なマナーですらある。したがって、たとえ近年、県紙の主張に賛同できなくなったとしても、なかなか購読中止に踏み切れないわけだ。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

沖縄の県紙2紙とタッグを組んで普天間飛行場の辺野古移設反対を訴える翁長雄志知事とは、どういう人物なのか。
「どうせ、われわれが反対しても、政府は辺野古に基地を造る。反対したほうが振興策を取れる」 これは、翁長氏が那覇市長時代、ある会合で、移設問題について語ったとされる言葉である。同席した県内の保守系首長たちが、2014年11月の知事選の際「確かに、翁長氏が言った」と記者会見などで暴露した。 「辺野古に基地は造らせない」と断言する現在の翁長氏からは、およそ考えられない発言だ。これが真意なら、翁長氏の辺野古反対とはパフォーマンスでしかない。翁長氏は「違う趣旨で言った」などと反論したが、似た発言があったことは事実上認めた。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

普大間飛行場移設問題は、尖閣問題とセットで考えないと全体像を俯瞰したことにならない。しかし「辺野古移設反対」一点張りで県民の共感を広げた翁長氏に対し、仲井真氏は県内移設を容認する根拠として「普天間飛行場の危険性除去」を繰り返すばかりだった。これは戦略ミスであり、「尖閣」を語らなかったことは、仲井真氏の敗因の一つだったと思う。 なぜなら危険性除去と県内移設容認は、論理的には必ずしも結びつかない。むしろ県外・国外移設こそ抜本的な危険性除去につながるからだ。県内移設を容認するのであれば、仲井真氏は当然、尖閣を狙う中国の脅威についても強調すべきだった。 「尖閣を守るためには、現時点では米軍の抑止力が必要だ。尖閣に近い沖縄本島に米軍がいることが、最大の抑止力になる」。そう明言すれば、県内移設が必要な理由として「危険性の除去」より、よっぽど説得力があったはずだ。少なくとも建前としては、それこそ米軍基地が「県内」でなくてはならない唯一最大の理由なのだから。
(第1章 翁長知事とは何者か)

 

 

草の根の運動といえども、将来は大きく発展する可能性もある。そうした運動の一つが、反基地のスタンスで報道を続ける県紙2紙に対抗し、15年春に結成された「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」だ。15年8月7日には東京で「緊急国民集会」を聞いた。 多くの講師が登壇したが、この日の主役は「沖縄の2つの新聞はつぶさなあかん」発言で物議をかもした作家の百田尚樹氏だった。 発言について「沖縄の2つのマスコミが怒るのはしゃあないと思うが、すべての新聞が『許さん』と怒った。集団的自衛権の行使だ」などと軽妙なトークを展開し、会場を沸かせた。 「正す会」代表で、15年9月には国連で翁長知事に対抗して演説した我那覇真子氏が決議を朗読。「(2紙の)偏向が目指すものは、日米安全保障体制毀損による防衛力の弱体化、報道しない自由を行使しての中国脅威の隠蔽」「二紙は、新聞を装う政治プロパガンダ紙と断じて間違いない」などと強く批判した。
(第2章 「異論」が封じられた辺野古問題)

 

 

尖閣問題に対する主要メディアの姿勢を見るにつけ、自分も報道に携わる身だが、「報道しない」ことも報道機関にとって一つの意思表示なのかと思うようになった。沖縄メディアの報道ぶりを見ていると「尖閣問題より基地問題が優先だ」という無言のメッセージを痛いほどに感じるのだ。
(第3章 地元メディアが語らない尖閣の危機)

 

 

日本の漁業者は、今や尖閣にはほとんど近づかない。海保の奮闘がなければ、尖閣周辺の海は中国船だけが跳梁(ちょうりょう)する無法地帯になりかねない。 沖縄の主要メディアのように、中国公船の動向に対する日本人の感覚が麻痺してしまえば、まさに中国の思うつぼだろう。中国当局が公言する「日本の実効支配の打破」とは、日本人のそういう心の隙を狙った「心理戦」でもあるはずだ。
(第3章 地元メディアが語らない尖閣の危機)

 

 

県紙や地元紙が、尖閣の危機や与那国島への自衛隊配備に冷淡な理由は何か。「県民の人権を抑圧する在沖米軍基地と戦う」という姿勢で県民の支持を得てきた新聞である。彼らとしては日米両政府こそ戦う相手なのだから、中国の脅威を直視できないのではなく、今さら直視したくないのだろう。 編集の実権を握っている人たちは、反戦平和運動が盛んだった東西冷戦時代に記者としての薫陶を受けた世代である。特定の世界観の刷り込みを受けているのかも知れないし、私たちとは世代の差もある。 八重山日報は「尖閣を守れ」というメッセージを発信し続けているつもりだが、その「尖閣」とは、石垣島の北にある小さな島々のことではない。「自分の領土は自分で守る」という日本人の領土意識そのものなのだ。
(第4章 与那国自衛隊配備を歪めるもの)

 

 

「国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に、国内の米軍専用施設の73.8パーセントが集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や県の振興開発にさまざまな影響を与え続けている」
翁長雄志知事は、初当選した2014年知事選、沖縄戦の戦没者を弔う全戦役者追悼式、ジュネーブの国連での演説、辺野古埋め立て承認取り消しの記者会見――節目節目の場で、常に「0.6パーセント」「73.8パーセント」という数字を「沖縄差別」の根拠として挙げてきた。
この2つの数字のギャップは確かに衝撃的だ。普天間飛行場の国外・県外撤去要求、米軍だけでなく自衛隊にも向けられる反感、非武装中立を是とする平和教育――。翁長知事と沖縄メディアは、2つの数字と「差別に苦しむ沖縄県の声」を錦の御旗に掲げ、こうした動きを沖縄から日本全国へ拡大しようとしている。しかし、国境の島に住む私たち八重山の住民がこの数字から感じるのは、差別というより、沖縄の悲しくも雄々しい宿命だ。国土面積のわずか0.6パーセントに過ぎない沖縄が、日本の安全保障を両肩に担い、必死に立っている。それは中国をにらむ要衝の地という地理的条件のためだ。翁長知事と沖縄メディアが主張するように、この宿命から逃げることが「負担軽減」なのだろうか。それは称賛すべきことなのか。人間が宿命を自覚して進むべき道を見いだすとき、宿命は使命に変わるのではないか。
普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、国との法廷闘争に突入する翁長知事は「世論頼み」と伝えられ、沖縄メディアと連携して一層苛烈な宣伝戦を仕掛けてくることが予想される。
在沖米軍基地の整理縮小は進めなくてはならないが、現在の国際情勢で、沖縄の非武装化は不可能だと私は考えている。それが米軍か自衛隊なのかは分からないが、沖縄を守る軍事力は必要だ。将来的に外国の軍事力に頼らない姿が実現すれば、恐らくはそれが真の負担軽減になるのだろうという気はする。しかし、日本を守る「国境の砦」という使命の放棄を、「負担軽減」と呼ぶ気には到底なれない。翁長知事と沖縄メディア、そして私の考えは、この点で決定的に違う。
沖縄戦で10万人もの犠牲者を出し、戦後も1972年まで27年間、本土から切り離されて米軍統治に苦しんだ沖縄が今、受難の歴史を振り返るとき、何よりも願うのは、平和で、豊かで、自由な日本を50年後、100年後の次世代に引き継ぐことである。国土面積のわずか0.6パーセントに過ぎない沖縄であっても、その理想を実現するため、どの都道府県にも負けない大きな役割を果たすことができる。それは県民の誇りだ。
安全保障の面だけではない。風光明媚な沖縄はアジア随一のリゾート地であり、世界に聞かれた交流拠点でもある。オンリーワンであると同時にナンバーワンとして、日本を牽引できる存在となる可能性を秘めているのだ。
翁長知事と沖縄メディアの「暴走」の先には、どのような沖縄の未来が、そして日本の将来が待っているのか。今こそ、「差別」ではなく「使命」を、「負担」ではなく「理想」を、堂々と語れる沖縄であってほしい。
2015年11月 八重山日報編集長 仲新城 誠
(あとがき)