あらすじ
「早う死にたか」毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生
(2015年 上半期 第153回芥川賞)
「早う死にたか」毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生
(2015年 上半期 第153回芥川賞)
ひと言
取り上げたテーマや視点はおもしろいと思いますが、それ以外は読みにくい表現な上に121ページという短さ。長ければいいというものでもありませんが、これが芥川賞?というのが正直な感想です。
取り上げたテーマや視点はおもしろいと思いますが、それ以外は読みにくい表現な上に121ページという短さ。長ければいいというものでもありませんが、これが芥川賞?というのが正直な感想です。
リハビリはよくて、実務としての歩行はだめなのだ。スポーツジムには行くが日常生活で階段は使わない人だちと同じだ。
(P19)
(P19)
プロの過剰な足し算介護を目の当たりにした。健斗は不愉快さを覚える。被介護者への優しさに見えるその介護も、おぼつかない足どりでうろつく年寄りに仕事の邪魔をされないための、転倒されて責任追及されるリスクを減らすための行為であることは明らかだ。手をさしのべず根気強く見守る介護は、手をさしのべる介護よりよほど消耗する。要介護三を五にするための介護。介護等級が上がれば、国や自治体から施設側へ支給される金の額も上がる。健斗とやっていることは同じだが、動機の違いからして似て非なるものだった。所詮、労働者ヘルパーたちは自分だちか楽に仕事をこなすために″優しさ″を発揮するだけで、被介護者自身の意向にそったケアをしていない。生きたい者にはバリアを与え厳しくし、死にたい者にはバリアをとり除き甘やかすというふうに、個別のやり方を考えるべきだろう。表面的には同じでも、自分が楽をしたいからなんでも手伝うのと、尊厳死をアシストするために葛藤を押し殺して手伝うのは全然違う。本気で死にたがっている被介護者を見極め、車いすに乗せ、漫然と一律提供している食事からありとあらゆるたんぱく質を排除し歩行能力を完全に奪い、第二の心臓とされる脚の筋肉を弱める徹底ぶりか感じられない。
(P42)
(P42)
延命医療が発達した今の世では、したいことなどなにもできないがただ生き長らえている状態の中で、どのように死を迎えるべきかを自分で考えなければならなくなってしまった。ほとんどの人は昼も夜もない地獄の終わりをただじっと待つしかない。それは長寿の現代人にもたらされた受難なのか。目の前にいるこの小さな祖父一人にそれを担わせるのはあまりにも酷ではないか。 「足も腕も肩もじぇえんぶ痛くてねえ」 身体のあちこちを自分で揉んだり叩いたりしている祖父に対し以前のようにマッサージでもしてやりたい衝動に駆られた健斗だったが、我慢する。筋肉を凝り固まらせ、苦痛を大きくし、死にたい欲求を一気に高めて目的を達成させてあげなければ、同じ
ことの繰り返しだ。
(P64)
ことの繰り返しだ。
(P64)
このフロアには、祖父と同じように全身チューブだらけの延命措置を受げている、自然の摂理にまかせていればとっくに死んでいるであろう老人たちの姿しかない。苦しみに耐え抜いた先にも死しか待っていない人たちの切なる願いを健康な者たちは理解しようとせず、苦しくてもそれでも生き続けるほうかいいなどと、人生の先輩に対し紋切り型のセリフを言うしか能がない。未来のない老人にそんなことを言うのはそれこそ思考停止だろうと、健斗は少し前までの自分をも軽蔑する。凝り固まったヒューマニズムの、多数派の意見から外れたくないとする保身の豚か、深く考えもせずそんなことを言うのだ。四六時中白い壁と天井を見るしかない人の気持ちか、想像できないのか。苦しんでいる老人に対し″もっと生きて苦しめ″とうながすような体制派の言葉とは今まで以上に徹底的に闘おうと、酸素吸入の音を聞きなから健斗は固く誓った。
(P91)
(P91)



















