イメージ 1 
 
あらすじ
「早う死にたか」毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生
(2015年 上半期 第153回芥川賞)

 

ひと言
取り上げたテーマや視点はおもしろいと思いますが、それ以外は読みにくい表現な上に121ページという短さ。長ければいいというものでもありませんが、これが芥川賞?というのが正直な感想です。

 

 

リハビリはよくて、実務としての歩行はだめなのだ。スポーツジムには行くが日常生活で階段は使わない人だちと同じだ。
(P19)

 

 

プロの過剰な足し算介護を目の当たりにした。健斗は不愉快さを覚える。被介護者への優しさに見えるその介護も、おぼつかない足どりでうろつく年寄りに仕事の邪魔をされないための、転倒されて責任追及されるリスクを減らすための行為であることは明らかだ。手をさしのべず根気強く見守る介護は、手をさしのべる介護よりよほど消耗する。要介護三を五にするための介護。介護等級が上がれば、国や自治体から施設側へ支給される金の額も上がる。健斗とやっていることは同じだが、動機の違いからして似て非なるものだった。所詮、労働者ヘルパーたちは自分だちか楽に仕事をこなすために″優しさ″を発揮するだけで、被介護者自身の意向にそったケアをしていない。生きたい者にはバリアを与え厳しくし、死にたい者にはバリアをとり除き甘やかすというふうに、個別のやり方を考えるべきだろう。表面的には同じでも、自分が楽をしたいからなんでも手伝うのと、尊厳死をアシストするために葛藤を押し殺して手伝うのは全然違う。本気で死にたがっている被介護者を見極め、車いすに乗せ、漫然と一律提供している食事からありとあらゆるたんぱく質を排除し歩行能力を完全に奪い、第二の心臓とされる脚の筋肉を弱める徹底ぶりか感じられない。
(P42)

 

 

延命医療が発達した今の世では、したいことなどなにもできないがただ生き長らえている状態の中で、どのように死を迎えるべきかを自分で考えなければならなくなってしまった。ほとんどの人は昼も夜もない地獄の終わりをただじっと待つしかない。それは長寿の現代人にもたらされた受難なのか。目の前にいるこの小さな祖父一人にそれを担わせるのはあまりにも酷ではないか。 「足も腕も肩もじぇえんぶ痛くてねえ」 身体のあちこちを自分で揉んだり叩いたりしている祖父に対し以前のようにマッサージでもしてやりたい衝動に駆られた健斗だったが、我慢する。筋肉を凝り固まらせ、苦痛を大きくし、死にたい欲求を一気に高めて目的を達成させてあげなければ、同じ
ことの繰り返しだ。
(P64)

 

 

このフロアには、祖父と同じように全身チューブだらけの延命措置を受げている、自然の摂理にまかせていればとっくに死んでいるであろう老人たちの姿しかない。苦しみに耐え抜いた先にも死しか待っていない人たちの切なる願いを健康な者たちは理解しようとせず、苦しくてもそれでも生き続けるほうかいいなどと、人生の先輩に対し紋切り型のセリフを言うしか能がない。未来のない老人にそんなことを言うのはそれこそ思考停止だろうと、健斗は少し前までの自分をも軽蔑する。凝り固まったヒューマニズムの、多数派の意見から外れたくないとする保身の豚か、深く考えもせずそんなことを言うのだ。四六時中白い壁と天井を見るしかない人の気持ちか、想像できないのか。苦しんでいる老人に対し″もっと生きて苦しめ″とうながすような体制派の言葉とは今まで以上に徹底的に闘おうと、酸素吸入の音を聞きなから健斗は固く誓った。
(P91)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
ツバキ文具店は、今日も大繁盛です。
夫からの詫び状、憧れの文豪からの葉書、大切な人への最後の手紙…。伝えたい思い、聞きたかった言葉、承ります。『ツバキ文具店』待望の続編。
(2018年本屋大賞 10位)

 

ひと言
今年の1月本屋大賞のノミネート作品が発表になってすぐに予約を入れてやっと借りることができました。「ツバキ文具店」の全くの続編で、「ツバキ文具店」を読んでいない人には、男爵、パンティー、バーバラ婦人はもとよりミツローやQPちゃんのこともよくわからないだろうなぁと思いながら読みました。前作同様、ゆったり、ほのぼのした鎌倉での生活がいきいきと描かれていて、楽しく読ませてもらいました。
小学生のときに行ったきりの鎌倉ですが、今度鎌倉へ行ったら「ベルグフェルド」のハリネズミ や「ラポルタ」のジェラートを食べてみたいなぁ

 

 

私にとってベルグフェルドは、子どもの頃、あこがれの店だった。先代が甘いお菓子、とりわけ洋菓子を食べさせてくれなかったので、余計にその想いが募ったのだ。 中でもハリネズミは、長い間、片想いの相手だった。今から思うと恥ずかしさと申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、小学生の私はよく、学校帰りに外からじーっとショーケースを凝視していたものだ。その視線の先には、いつもチョコレートがけのハリネズミがいた。
(ヨモギ団子)

 

 

それにしても、切手を考案した人はすごい。切手を使った郵便制度が世界で最初に確立したのは、イギリスである。 それまで、郵便料金は受け取る方が払わなくてはいけなかった。けれど、その料金というのがとても高額で、貧しい人たちは郵便物が届いても、料金が払えないので受け取らずにそのまま返していたというのだ。 そういう人たちは、送り主と事前に暗号などを決めておいて、封筒を開けなくても、封筒を太陽にかざすだけで、送り主からのメッセージを受け取る術をあみだしていた。たとえば、丸がかいてあれば元気、バッテンがかいてあれば具合が悪い、というようなものである。そうすれば、わざわざ郵便料金を払わなくてもいいというわけだ。
けれど、せっかく郵便物を届けたのにそのお金をもらえないのでは、仕事として成り立だない。この問題をなんとかしようと立ち上がったのが、ローランド・ヒルだった。今でこそ「近代郵便制度の父」とうたわれるローランド・ヒルだが、もとは庶民だったそうだ。彼こそが、郵便料金の前納という仕組みを考えた人物なのである。こうして、一八四○年、イギリスに切手を便った郵便制度が確立した。 そして、イギリス留学中にその仕組みを見て感銘を受けた前島密という人が、日本に戻ってから、日本にも同じような仕組みを確立させたのである。一円切手の肖像になっているあのおじいさんが、前島密さんだ。日本で近代郵便制度が始まったのは、明治四年(一八七一年)、今から百五十年近くも前のことになる。
(ヨモギ団子)

 

 

イメージ 2

(むかごご飯)

 

 

店を閉め、男爵が持ってきてくれた七草を水に浸ける。……。
「明日の朝は、爪を切ろうね」 苦手なネギをお椀に残し、さっきから箸でいじっているQPちゃんに私は言った。 「どうして?」 「七草を浸けておいたお水で爪を濡らしてから爪を切ると、その年一年、元気でいられるんだって」 「本当に?」 「本当だよ」 実は去年、もういいだろうと思って七草爪をさぼった。そうしたら、ほどなく風邪を引いてしまったのだ。もちろん、直接的な因果関係がないことくらいわかっている。迷信と言えば迷信だ。けれど、それをすることによって気合が入って、自分は風邪を引かないのだと暗示をかけ、体が風邪の菌をブロックしている、ということはあるのかもしれない。 実際に風邪を引いた時、それを強く感じたのだ。だから今年は、七草粥の朝に絶対爪を切ろうと決めている。
(蕗味噌)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
角田ワールド全開!!待望の小説集。「父とガムと彼女」初子さんは扉のような人だった。小学生だった私に、扉の向こうの世界を教えてくれた。「猫男」K和田くんは消しゴムのような男の子だった。他人の弱さに共振して自分をすり減らす。「水曜日の恋人」イワナさんは母の恋人だった。私は、母にふられた彼と遊んであげることにした。「地上発、宇宙経由」大学生・人妻・夫・元恋人。さまざまな男女の過去と現在が織りなす携帯メールの物語。「私はあなたの記憶のなかに」姿を消した妻の書き置きを読んで、僕は記憶をさかのぼる旅に出た。(ほか三篇)

 

ひと言
私の好きな角田 光代さんの本。初出は十年以上前のものばかりですが、角田さんらしい短編集でした。角田さんの本を読むと、いつも付箋だらけになって、読了後 どこをこのブログに残そうかと、その付箋の付近を何回か読み直すのですが、なかなかカットするのが忍びなくて今回もたくさんの文章を引用してしまいました。
この後、何年か十何年か経った後でこの引用文を読み返したときに、1つでも多くの作品の記憶が心に留まっていますように!

 

 

思春期に向けて成長した私は幾度となく、かつて時間をともにしてくれた彼女に強く感謝することになった。学校の外にも世界はあると教えてくれたのは彼女だった。私が見ているより世界はずっと広くて、退屈ならばそこから出ていけばいいと教えてくれたのぱ彼女だった。思春期特有の閉塞感を私が感じずにすんだのは扉が聞かれていたからだし、いじめがはやったときに、それにかかわらずにすんだのは扉の向こうの世界を知っていたからだった。
(父とガムと彼女)

 

 

K和田くんはたとえてみれば消しゴムのような男の子だった。他人の弱さに共振して、自分をすり減らす。共振された他人は、K和田くんのおかげでか、もしくは時間の力でか、自己治癒力でか、そのうちたちなおってふたたび世のなかに向き合い同化する。けれどK和田くんは、いつまでもすり減ったままなのだ。自分とは露ほども関係のないことがらに傷つき、うなだれ、気力を失い、そしてそのまま、たちなおることができない。それなのにまた、だれかの痛みに共振し、さらにすり減る。元に戻るすべを知らないまま。それがK和田くんだった。
(猫男)

 

 

きみと生活をはじめるときに、ぼくはあの見知らぬ家の時間のことを思い出していた。あんなふうな時間が、ぼくらの生活に流れればいいと思っていた。すぐじゃなくたっていい、十年後、二十年後、五十年後でもいい。交際をはじめたころの強い恋愛感情が薄れたとしても、それはかたちを変えて習慣のなかにひそみ、そのことに、ぼくもきみも深い安心感を覚えるような、そんなふうにいつかなれればいいと思っていた。 信じられるものを、ぼくは創り出したかったんだろう。それは恋愛感情というあいまいなものでも、婚姻という形式でもなくて、もっとささやかでちいさなもの。老婆が運んできたビールと、冷やしたグラスみたいなもの。こぽこぽというちいさな音や、湯気をたてる料理みたいなもの。お帰りなさい、いってらっしゃいとすりへるくらいくりかえす言葉。自分の名前すら忘れてしまったとしても、それだけは忘れない揺るぎない所作。そういうものを、きみと、創り出したかった。 薄っぺらい紙切れを持って区役所にいったあの日、ぼくが思っていたのはそういうことだったのだと、今、どうしてもきみに聞いてほしかった。……。……。
きみは遠慮がちに、薄い紙を差しだす。何か創り出せると信じていたぼくらが、区役所に持っていった紙とよく似ているが、正反対の意味を持つそれを受け取り、ぼくは寝室を出る。台所にいき、グラスを洗う。洗い終え、きみから受け取った紙を広げてみる。あとは、自分の名前を書き入れるだけになっている。 そのときぼくは思う。ひょっとしたら、創り出せなかったのではなくて、実際は創り出したのかもしれない。信じられるささやかな何かを。明日から別々の生活をはじめるとしても、それは消えずにぼくらの内にあり、そうして何十年もたったある日、ふと思い出したようにぼくらを安心感で満たすかもしれない。 ダイニングテーブルにつき、ぼくははじめて字を覚えた子どもみたいに、慎重に、ゆっくりと自分の名前を書き入れていく。
(おかえりなさい)

 

 

「ああ」悠平はグラスのビールを三分の一ほど飲むと、困ったような顔で笑った。「おれがきみくらいのときはさ、携帯電話なんか存在しなくって、たいへんだったよな。会おうと思って会えないことなんか、日常茶飯事。遅刻したって、連絡もできないわけだから。携帯電話が一番変化させたのは、恋愛の形態じゃないかなあ」
「それ、駄洒落ですか。ケータイが変化させたのはケータイ」椿は顔をしかめて悠平をのぞきこむ。
(地上発、宇宙経由)

 

 

このメールが、どういう仕組みで送られているのか私にはよくわからないんだけれど、メールを送る空中の電波みたいなものが、全部ショートしたとして、日本じゅうの携帯電話が不通になったとしたら、いったいどのくらいの関係がそれとともに消えちやうかしら。
見知らぬどこかで暮らす人妻が送ってきた文章を、晶は思い出す。 電波はさ、町じゅうにたてられた電波塔に集められて、宇宙に飛んでんだ。 ボタンのすべて赤く灯った販売機の前で、夜空を見上げたまま晶は見知らぬ女に向かって話しかける。宇宙を経由して、だれかの元に届くんだ。それって何かに似てると思わない? 何か――たとえば、祈りみたいなものにさ。人と人を会わせたりするのは、この電波塔のほうじゃなくて、祈り、みたいなことのほうだとおれは思うわけ。電波塔がぶっ壊れたって、祈り、とか、思い、みたいなものを、おれらは宇宙に飛ぼせるんじゃないかな。宇宙経由でだれかに届けようとするんじゃないかな。 へへへ、と笑って晶は冷たいお茶のボタンを押した。がたがたと、静けさを破るように缶が転がり落ちてくる。
(地上発、宇宙経由)

 

 

ひょっとしたらぼくらは本当にひとりかもしれない。だれといても、どのくらいともにいても、ひとりのままかもしれない。けれど記憶のなかではぼくらはひとりではない。ぼくの記憶から妻を差し引いたらこの八年間はぼんやりと白い曖昧な空白になる。格子窓のレストランを、桜の咲く墓地を、夜行列車の振動を、きらめく海沿いの道を思い出すとき、そこにはつねに妻がいる。妻の記憶にはぼくがいる。今、ひとりだとしても、あるいはだれかを失ったとしても、ぼくらの抱えた記憶は決してぼくらをひとりにすることがない。 だからだいじょうぶ。彼女の声が耳元で聞こえた気がしてぼくはふりむく。そこにはだれもいない。朝の陽射しに照らされた無人のテーブルが静かに並んでいる。
(私はあなたの記憶のなかに)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
樋口一葉の歌の師匠として知られ、明治の世に歌塾「萩の舎」を主宰していた中島歌子は、幕末には天狗党の林忠左衛門に嫁いで水戸にあった。尊皇攘夷の急先鋒だった天狗党がやがて暴走し、弾圧される中で、歌子は夫と引き離され、自らも投獄され、過酷な運命に翻弄されることになる。「萩の舎」主宰者として後に一世を風靡し多くの浮き名を流した歌子は何を思い胸に秘めていたのか。幕末の女の一生を巧緻な筆で甦らせる。
(2013年後半 第150回直木賞)

 

ひと言
登世と以徳(もちのり)との出会いから引き込まれ、天狗党の家族が捉えられ処刑されていく目を覆いたくなるような悲惨な話にこれは歴史小説なのかなぁと一瞬思いましたが、登世(歌子)の
君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ
に涙が溢れてきました。やっぱりこれは「恋歌」という題名にふさわしい、直木賞作品でした。素敵な作品をありがとうございました。

 

 

さぞかし私は必死の形相をしていたのだろう、お母っ様は広縁から何かを言って寄越した。よく聞き取れずに近寄ると、声を低めて繰り返す。「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の」 何を思うてか、崇徳院の御歌を口にしている。上の句だけだ。 ぼんやりと見上げる私に向かって、お母っ様は呆れたように片眉を上げた。 「登世、下の句を忘れたのですか」 この下の句は……。と、ふいに気がついた。お母っ様は首肯し、「短冊に記してお吊るしなさい」と言うが早いか、すいと横顔を見せて広縁を引き返した。 私はその後ろ姿に「有難うございます」と頭を下げ、自室の文机の前に滑るように坐り込んだ。ありったけの短冊を出して書きつける。武家の奥向きでは、この上の句は「失せ物、待ち人に出会えるように」との願掛けに使われるのだ。瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
私は言の葉にひしと思いを込める。ああ、何でこれに気がつかなかったのだろう。思いを込めた言の葉は言霊になるのだ。願いになる。
(第一章 雪桃)

 

 

「御蔭様で夫は天狗党狩の手にかかることなく、自ら切腹することができました。己のような身分の低い侍がかような最期を迎えられるのも、林様に賜った御恩と口にして果てました。私もすぐさま後を追うつもりでござえました。だども、……町人の出ゆえ、懐剣で咽喉を突く覚悟が決まりませなんだ。夫の傍で迷ううち、捕吏に捕えられ……」 語尾を湿らせた女は生きてこの世にあることを聡じているのだろう、身を揉んでむせび始めた。夫や子の消息を知りたいと集まってきていた女たちがそっと膝を動かし、一人、二人と場を離れていく。私は立ち上がる気力もなく、女の痩せた肩が弱々しく震えるのを見ていた。そのうち私はあろうことか女の泣き声が腹立たしく、鬱陶しくてたまらなくなった。死ぬために戻ってきた夫をこの妻は何ゆえ、説き伏せなかったのだろう。切腹が武士の誉だなどと血迷っている夫に蓑笠をかぶせ、何ゆえ遠国に落ちのびなかったのだろう。そこで百姓をして生きる道はなかったのか、そういう闘い方はないのか。
侍の矜りも志も捨てて、私と共にひっそりと暮らしてくださいませぬか。そう願ったら、以徳様はうんと言ってくださるだろうか。夜を尽くしてそのことを考えたけれど、遠くの森で梟が啼くだけだった。
(第五章 青鞜)

 

 

小窓から差し込む月明かりが痩せた後ろ姿を照らし出していた。てつ殿だ。そっと近づいて肩に手を置いた。拒絶されるのはわかっていてもそうせずにはいられなかった。あの夜、小四郎様を見上げていたてつ殿の横顔の美しさが胸に迫って、たまらなくなった。てつ殿はゆっくりと振り向いて私を見上げ、その途端、能の面のように張りつめていた顔が一気に崩れた。「義姉上」 てつ殿は小さく叫んで私にしがみついた。声を殺して嗚咽している。私はただ、てつ殿を抱きしめた。 昼間、女から聞いた小四郎様の辞世の句がよみがえる。「かねてよりおもひそめにし真心を けふ大君につげてうれしき……さように伺いました。最期の最期まで尊王の志を貫かれた、藤田様らしい句でござえました」そして辞世の句はこの他にもう一首あったらしいと、女は教えてくれた。

 

 

さく梅は風にはかなく散るとても にほひは君が袖にうつして

 

 

この「君」も京におわす帝を指して忠義の句であると女は解釈していたし、世の多くの者もそうとらえることだろう。けれど私は、「君」はてつ殿を指しているのだと察した。尊王攘夷を成し遂げた暁には必ず添い遂げよう、そう決めていた恋人への想いを小四郎様は詠んだのだ。そしててつ殿も、それをわかっているだろうと思った。
(第五章 青鞜)

 

 

以徳様はお預けとなっていた上総久留里藩で、獄死していた。私が出牢前に役人から聞かされた以徳様が京に向かったという噂は全く根も葉もないもので、私がまだ牢に囚われていたあの頃、既にこの世になかった。あの人は戦場で幕軍の百目砲弾を身に受け、その銃創が元で失血死したという。遺体は首を刎ねられ、斬首された同志らと共に獄門台で晒された。市毛様は旧友の死を悼み、志半ばで斃れた以徳様の辞世の句を添えてくれていた。
今日までも誰か為なれはなからへて うき世にうきを重ね来つらむ
まことに、憂き世に憂きを重ねた人生だった。幕府によって国が聞かれて後は攘夷などとうてい不可能な空論ではないかと気づきつつ、そして幕末の水戸藩にあって戦の虚しさに気づきながらそれをも阻止できず、地滑りするように己の使命に殉じた。あの人は西洋の大砲や銃に立ち向かう無力をもわかっていた。それでも先祖伝来の武者拵えをして、戦場を駆けた。敵の槍を撥ね上げ、かい潜り、斬る。突いて止めを刺すごとに家来に首を獲らせ、傷ついた者を庇い、逃がした。そして鉛弾を撃ち込まれたのだ。 血塗れのままに投獄され、広がり続ける己の血溜りの中で死んだ。まだ二十六歳であったというのに。
以徳様は命を擲つのではなく、生きようによって自らの義を全うしようと決意していた。あの頃の水戸藩士にとって、その道は何と険しかったことだろう。 やがて以徳様が他の多くの同志と共に罪を赦され、志士として贈位されたことをてつ殿から知らされたとき、私は歌を詠んだ。
うれしさをひとり聞くこそ悲しけれ 憂きをば共に嘆きしものを
夏草の生う川岸に降り立ち、青々とした水の流れを見つめる。 てつ殿と手を取り合って常陸の山野に別れを告げたとき、胸の裡に抱いていたのは以徳様が戦場に出る前に詠んだ歌だった。
かへらじと契るもつらき別れかな 国のためとて仇ならぬ身を
私が夫に返した歌はこうだ。
国のため君のためとぞ思はずば いかにしのばむ今日の別れ路
あの日、筑波山の麓に広がる菜の花畑を見晴るかしながら、私は己の返歌を恥じた。型通りの、何の膨らみもない歌。なぜもっと、己の心を三十一文字に注ぎ込まなかったのだろう。戦場の夜も昼もあの人の胸で響き続けるような、そんな言葉をなぜ捧げられなかったのだろう。己の拙さを心底、悔やんで、もし本当に江戸に辿り着けたなら和歌を学ぼうと心に決めた。
ここまで生き延びたのだ、この先も生きられればその命を懸けて修業する。そう決意して常陸路を抜けた。 歌人として名を挙げてからの私はさまざまな相手と醜聞を立てられ、世間には眉を顰めて評する者もいることを知っている。噂は嫉妬混じりのものもあるけれど、妻子のある歌人と何年も関係を続けたことがあるのは事実だ。 そう、私は誰の苦しみをも思いやらず、己の欲情のままに生きてきた。 けれどどんな男と浮き名を流そうとも、夫への恋情は尽きることがない。未練だと己を諌めようとも、夫への想いが募り続けることに私は愕然とする。以徳様が自ら腹を切って果てなかったのは、死ぬる寸前まで私の元に戻ってきてくれるつもりであったゆえだ。私はそう信じている。でもあなたは帰ってきてくれなかった。私はもう、あなたよりも遥かに老いました。それは、あまりにも狡うはございませんか。
私は川面を吹き過ぎる風に向かって、娘のように半身を曲げて力を込める。
恋することを教えたのはあなたなのだから、どうかお願いです、忘れ方も教えてください。

 

 

君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ

 

 

(第六章 八雲)

 

6月30日 今日は夏越の大祓。半年間の穢れを祓い、これからの半年の健康と厄除け祈願しようと、近鉄蟹江5時38分発の急行 津 6時50分発の特急に乗り換え(津―丹波橋 の特急料金は1320円で済み、大和八木の乗り換えが楽)で京都へ行ってきました。

イメージ 1

8時43分 近鉄丹波橋駅に到着。京阪電車に乗り換えて出町柳駅へと思っていましたが、なんと人身事故で京阪が止まっています。改札も閉鎖でものすごい人が駅に溢れています。仕方なく近鉄に戻って竹田駅まで行き、地下鉄に乗り換えて北大路駅へ。予定では下鴨神社をお参りしてから「茶寮 宝泉」でしたが、時間が遅くなったので205系統の市バスで先に「宝泉」へ。開店の20分ほど前に到着し、1番乗りです♪

イメージ 2

もちろん前から食べたかった評判のわらび餅(1100円)と夏越の祓なので水無月とお抹茶のセット(950円)をいただきます。

イメージ 3

わらび餅ができるのを待つ間、手入れの行き届いたお庭を眺め、最高のおもてなしと極上のわらび餅をいただく。とても贅沢なひとときを過ごさせていただきました。ありがとうございました♪。

イメージ 4

下鴨神社の本殿、言社(干支のお社)のおまいりを済ませ、夏越の祓と並んで今回の京都の旅の目的である相生社のえんむすびの神さまにおまいりします。

イメージ 5

縁あって上の娘が今年の11月に結婚することになり、2人が末永くいつまでも一緒でありますようにと絵馬を奉納します。

イメージ 6

お参りのしかたがイラスト付きで書かれていて、とても分かりやすいです。娘の代わりに反時計回りに回って祈願します。

イメージ 7

糺の森の「さるや」さんで申餅をいただきます。

イメージ 8

河合神社のカリン美人水も代わりにいただきました。とてもおいしかったです♪

イメージ 9

出町柳から4系統の市バスで上賀茂神社へ向かいます。
「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えながら、作法に従って茅の輪をくぐります。

イメージ 10

茅の輪をくぐる度に手前で一礼すること、左に回るときは「左足」から 右に回るときは「右足」から輪をくぐることに注意しながらくぐります。

イメージ 11

上賀茂神社のえんむすびの神さまは紫式部も度々お参りに来たと史実に書かれている片岡社。
紫式部が片岡社で自らの恋の成就を祈った歌が残されています。
ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし(新古今和歌集)
こちらでも娘たち2人の名前を書いた絵馬を奉納します。

イメージ 12

「神馬堂」のやきもちを買おうと思っていましたが、結構な行列ができていたのでパスします。46系統の市バスで今宮神社へ向かいます。拝殿前の茅の輪をくぐっておまいりを済ませ、あぶり餅の「かざりや」の方へ向かう途中、東門の方にもかわいい茅の輪があったのでくぐります。

イメージ 13

昨年の暮れに今宮神社におまいりしたときには2軒ともお休みでいただけなかったあぶり餅。先ずは「かざりや」さんへ。

イメージ 14

「一和」さんのあぶり餅もいただきます。写真を撮ってもいいですか?と一声をかけて一枚。少し離れた所でもかなりの熱気です。お餅を炙る方の暑さは半端じゃないと思います。こんなご苦労をされて炙っていただいたお餅を感謝していただきます。どちらも他ではあまり食べたことのない独特なお味で、とてもおいしいです♪


イメージ 15

千本今出川まで46系統の市バスに乗り、そこから歩いて「ル・プチメック今出川店」(赤メック)へ。宇治の「たま木亭」と並んで京都で1、2位を争うパンの名店です。もう3時前だったからか、思ったより空いていたので店内で人気のラムレーズンミルクフランスとクロワッサン アラクレームをいただきます。評判通り無茶苦茶おいしいです。

イメージ 16

北野天満宮の夏越の祓にも行く予定でしたが、とても蒸し暑く結構歩き疲れたので今日はこれで帰ります。
雨予報でしたが、全く降られることもなく充実した京都旅でした。

この半年、どうにか無事に過ごさせていただきました。
これからの半年もみんなが無病息災で過ごせますように!
イメージ 1 
 
あらすじ
武士の刀は殿のためにあるのではない。命にかえても守りたい者のためにあるのです。富商の娘を娶り、藩の有力派閥の後継者として出世を遂げる三浦圭吾。しかしその陰には遠島を引き受けてまで彼を守ろうとした剣客・樋口六郎兵衛の献身と犠牲があった。時が過ぎ、藩に戻った六郎兵衛は静かな余生を望むが、愚昧な藩主の企てにより二人は敵同士に仕立てられていく――剣が結ぶ男と男の絆を端然と描く傑作時代長編。

 

ひと言
2012年 直木賞を受賞の「蜩ノ記」。本も映画もよくて、いい作品を書く人だなぁと思っていましたが、昨年の末 病気で亡くなられたという訃報にびっくりしたのを覚えています。66歳という早すぎる死。この作品も不器用でも人としての矜持を持ち続ける誇り高き人を描き、読む人に感動を与えてくれた葉室 麟さん。
心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

圭吾はまた、六郎兵衛を裏切ることになるのではないかと嫌な気持になったが、それ以上は考えないようにして御用部屋を出た。 これからどうなるのかはわからないが、六郎兵衛を守っていこう、と圭吾は誓った。 すると、昨日、六郎兵衛が夕陽に照り映える紅葉を黙って見つめていた姿を思い出した。六郎兵衛のあの姿は何かに似ている、と思う。 何であろう、と考えていると、春になるとどこかから舞い込んで軒下に巣をつくる、―― 燕 が思い浮かんだ。燕は玄鳥ともいう。 (あの玄鳥はいつまで、わが屋敷にいてくれるのだろうか) 六郎兵衛はわが家の守り神となってくれるのではないだろうか、と圭吾は思いながら、ゆっくりと廊下を歩いていった。(九)

 

 

握り飯を食べ、竹筒の水を飲みながら、作之進が、こんな歌を知っているか、と訊いて詠じた。

 

 

吾が背子と二人し居れば山高み 里には月は照らずともよし

 

 

六郎兵衛には歌の深い意味はわからなかったが、作之進がこうして自分とともに過ごしている時を大切に思ってくれているのだ、と感じた。「よい歌でございます」 六郎兵衛が素直に言うと、洋之進はうなずく。「思いをかけた友と ともにいることができるのなら、ほかには何もいらぬということであろうな」 作之進は六郎兵衛を見つめた。
(十四)

 

 

六郎兵衛が頭を振る。「わたしはさようなことを教えた覚えはありませんぞ。武士の刀は主君であれ、家族であれ、おのれの命にかえても守りたい大切なひとのために振るうのだと思っております」「それは、わたしも同じことです」 圭吾はあえぎながら言った。「いや、違う。あなたがいま闘っているのは、殿に命じられたからにほかならない。すなわち、おのれの身分に縛られて刀を抜いたのです」 六郎兵衛は悲しげに言った。「武士には、ほかの生き方はないではありませんか」「いや、武士であることを捨てればよいだけのことです」 六郎兵衛はやさしい目で圭吾を見つめた。圭吾は六郎兵衛を見つめ返して、ゆっくりと言葉を発した。「さようなことを言われるなら、樋口殿こそ、武士を捨てればよかったではありませんか。自分ができなかったことをなぜ、わたしに言うのですか」「自分ができなかったからこそです。わたしは武士であることを捨てても何も無かった。虫けらのように死ぬだけでした。ですが、あなたには家族もいるし、学問の才もある。別な生き方ができたはずだ」 顔をゆがめて圭吾は答える。 「無理だ。そんなことができるはずがない」「いや、していただく。そのために今からあなたの刀を折る」言うなり、六郎兵衛は一歩踏み込んだ。
(二十六) 

 

イメージ 1
 
6月30日の夏越祓(なごしのはらい)まで後3日。今日からJR高島屋に「五建ういろ」が来てくれています(感謝)。
もちろんいただくのは五建のみな月(4つで540円)他にも抹茶と黒糖もいただきました。この時期は和菓子に水無月をいただくことが多いのですが、「五建ういろ」さんのは格別においしいです♪。
さすが6月30日には10万個が売れる(ホントにそんなに売れるの!?)という京都で一番有名な水無月。ごちそうさまでした♪

 

今年の6月30日は運よく土曜日。茅の輪をくぐりに、そうだ京都、行こう。

 

 

五建外良屋(食べログ)
京都市東山区五条橋東2丁目

 

イメージ 1
 
今日のお昼は久しぶりにグルメの師匠に「実家カフェ山田」へ連れて行ってもらいました。看板に「実家カフェ山田のお食事コンセプトは「高知」です」とあるように本場高知のかつおのたたきがいただけるお店です。評判のかつおの藁焼き塩たたき定食(1350円)をいただきます。かつおは藁焼きというのは知ってはいたのですが、藁焼きというのは、藁の強力な炎と燻し効果で鰹の美味しさを最大限に引き出す調理法とのこと。確かに肉厚で生臭さもなく、とてもおいしい鰹でした。

 

お値打ちで、高知へ行かなくても おいしい鰹のタタキがいただけて大満足。ごちそうさまでした♪

 

 

実家カフェ山田(食べログ)
名古屋市中村区深川町3

 

イメージ 1
 
JR高島屋のハワイフェア2018も明日まで、金曜日には買うことができなかった「レナーズ」のマラサダをどうしても食べてみたくて、今日は約1時間並びました。お一人様6個までということで、人気No.1のシュガー(161円)を3個、シナモンシュガー(161円)を1個、カスタード(221円)を2個 購入しました。売り場近くのインフォメーションコーナーですぐに揚げたてのシュガーとカスタードを1つずついただきます。サクっとしていて、中は、モチモチ。おいしい~♪。金曜日のテディーズ ビガー バーガーも超美味しかったし、次のハワイフェアも楽しみにしています。ごちそうさまでした♪。(写真はJR高島屋のものを借用)

 

レナーズ・マラサダ
933 Kapahulu Avenue, Honolulu, Hawaii

 

イメージ 1 
 
あらすじ
夏目漱石が生き、模索し、書いた激動の「明治」という時代はいかなる時代であったか。 歴史探偵・半藤一利が、激動の明治・近代日本の苦悩を背負い表現し続けた不世出の小説家・夏目漱石をキーワードにして、夏目漱石と明治の文人、明治期の日本のあり方を綴ったエッセイ。 付録に、1996年東京・三百人劇場で上演された、戯曲「夢・草枕」も掲載。

 

ひと言
自他とも、万人が認める「歴史探偵」半藤一利さん。また半藤さんはあの漱石の長女(筆子)の娘(4女)の夫であり、これも自他ともに認める漱石ファン。その半藤さんが書いた漱石と明治の本ということで借りました。なかなかおもしろく、小村寿太郎と陸奥宗光についての記述はさすが半藤さんらしく、楽しく読ませてもらいました。

 

 

わたしが座右の銘にしたい夏目漱石の句に、

 

 

菫(すみれ)程な小さき人に生れたし がある。もう一つ、座右の銘としたい漱石の句に、
木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙(せつ)を守るべく というのがある。
「拙を守る」とは、漱石先生がもっとも好んだ言葉であり、終生もちつづけた生き方の根本である。出所は、陶淵明の詩の「拙を守りて園田に帰る」か、『老子』の「大巧は拙なるがごとし」かであろう。世渡りの下手なことを自覚しながら、それを良しとして、あえて節を曲げない愚直な生き方をいう。俗世に媚びて名利を求めるのを卑しいとする生き方である。
これを換骨奪胎して、 木瓜咲くや一利拙を守るべく と、ときどき頼まれると色紙に書いたりしている。 同じく木瓜を季語とした漱石の句に、其愚には及ぶべからず木瓜の花 という木瓜礼讃のものもある。
愚といい拙といい、老手や荘子がその著書で説きに説いた東洋思想であって、自分の思想ではないけれども、漱石先生はそれをおのれのものにしようと生涯かかって努めた。世のさまざまな小利巧や不正などいい加減な生き方に屈せず、こらえること。それが大切と門下生たちにも教えた。世間からすれば「何と愚かなやつだろう」とみられているのにも平気で、愚直を通す。なかなかできないことであるが、できないからこそそうした生き方は尊いのであろう。
今回は、それら木瓜の句ではなくて、漱石の俳句のなかでも指折りかぞえる名句の一、とされている菫の句を選んだ。明治三十年、熊本の五高教授時代の作。当時、漱石は満三十歳。 いまから七、八年前のことになるか、これを刻んだ句碑が、熊本市京町本丁の京陵中学校前に建てられた。このときに、除幕式に列席して、挨拶を乞われて一言、 「この句をえらんだ熊本の関係者のみなさんの、よき心やりに感動いたします」 とわたくしは申しのべた。
スミレという小さいながら、素朴で、清純で、やさしいこの花に、漱石はかぎりない愛情をそそいで、句にしている。この花は出しゃばらずに片隅にひっそりと咲く。無心と清潔とを尊んだもっとも漱石らしい句であり、それをわざわざえらんだ関係者の人たちの眼の高さを、ほんとうに嬉しく思ったのである。
のちの明治四十四年二月、文学博士号を文部省が押しつけてきたとき、「これまでずっとただの夏目なにがしで生きてきましたし、これからもただの夏目なにがしで生きていきますから」と辞退した漱石の姿勢にそのまま通じている。人の真価は、門地門閥はもとより、肩書や地位や財産や学歴なんかにあるのではない。漱石はこの句でそういいたかったのである。
(第1部 「菫程な小さき人に生れたし」)